2010年05月12日

柳井正 わがドラッカー流経営論

柳井正 わがドラッカー流経営論柳井正 わがドラッカー流経営論
販売元:日本放送出版協会
発売日:2010-01
おすすめ度:4.5
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NHK教育テレビで2009年6月に放送された「仕事学のすすめ わがドラッカー流経営論」をまとめた本。

番組では勝間和代さんが、”トランスレーター”になり、柳井さんにインタビューした。日経BPネットでも内容が公開されている

柳井さんはドラッカーの本は20冊以上読んだという。ユニクロの東京支社の本棚にもドラッカーの著書が置いてある。

柳井さんは元ITT社長のハロルド・ジェニーンさんの「プロフェッショナル・マネージャー」や、マクドナルドのレイ・クロックの「成功はゴミ箱の中に」も「私の教科書」としてエンドースしているが、ドラッカーからも大いに影響を受けたと語る。

経営者が本を読んで影響を受けるということは、どういう事なのかわかって参考になる。


柳井さんが影響を受けたドラッカーの教え

柳井さんはドラッカーの説く最も重要なポイント2点を、自らの経営に生かしている。

1.企業の目的は顧客の創造である

「企業とは何かを理解するには、企業の目的から考えなければならない。企業の目的は、それぞれの企業の外にある。事実、企業は社会の機関でかり、その目的は社会にある。

企業の目的として有効な定義は一つしかない。すなわち、顧客の創造である。(中略)

顧客が企業の土台として企業の存在を支える。顧客だけが雇用を創出する。社会が企業に資源を託しているのは、その顧客に財とサービスを供給させるためである」(現代の経営)

ドラッカー名著集2 現代の経営[上]ドラッカー名著集2 現代の経営[上]
著者:P.F.ドラッカー
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2006-11-10
おすすめ度:5.0
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これに対する柳井さんの解釈は次の通りだ。

1.社会に貢献するために企業は存在する
2.付加価値のある商品を提供せよ

柳井さんはユニクロの社員全員にドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を配ったこともあるという。

プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))
著者:P・F. ドラッカー
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2000-07
おすすめ度:4.5
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ドラッカーの本は読んだだけではダメで、自分の成長につれ何度も読み返す必要があるという。「ドラッカーはこういっているけど、自分にとってはどうなのか?」と問いかけながら読み、自分の頭で考え、行動するのが大切なのだと。


2.知識労働者とは新種の資本家である

柳井さんが経営の根本に置く、もう一つのドラッカーの教えは次の言葉だ。

「知識労働者とは新種の資本家である。なぜならば、知識こそが知識社会と知識経済における主たる生産手段、すなわち資本だからである。(中略)

組織とは、多分野の知識労働者を糾合し、彼らの専門知識を共通の目標に向けて動員するための人の集合体である。」(ネクスト・ソサエティ)

ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまるネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる
著者:P・F・ドラッカー
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2002-05-24
おすすめ度:4.5
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柳井さんは「サラリーマン意識を捨てろ」と呼びかける。ユニクロでは、他社のようなヒエラルキーは存在せず、店長が組織内で一番偉いのだと。知識労働者が増えれば、経営が変わる。松下幸之助の言う「全員経営」なのだ。

この考え方から、ユニクロではパートタイマー2,000人を地域限定正社員として採用した。人の定着率が上がり、人件費比率も驚いたことに下がったという。結局た一番大切なのは「知識労働者」なのだと。


時間は無限ではない

仕事のやり方でも柳井さんは、ドラッカーの言葉を引用する。

「成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする、計画からもスタートしない。時間が何にとらえているかを明らかにすることからスタートする。」(経営者の条件)

時間は無限ではない。自分の潜在能力を生かすために集中せよと語る。

ドラッカー名著集1 経営者の条件ドラッカー名著集1 経営者の条件
著者:P.F.ドラッカー
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2006-11-10
おすすめ度:5.0
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ユニクロのユニークなCSR的活動

最後にユニクロのやっているユニークな活動が紹介されている。

★難民キャンプにリユース商品を寄贈
2009年末までに寄贈した商品は200万点を越え、対象国もミャンマー、グルジア、ウガンダなど8カ国に上るという。

★障がい者雇用
ユニクロの障がい者雇用率は8%だ。障がい者をチームに加えることによって、チーム全員の助け合いの精神が高まり、顧客に対する意識も高まり、売り上げアップにつながったという。

この積極姿勢は多くの日本企業が見習うべきだと思う。


★匠プロジェクト
日本の繊維業界で長年働いてきた50代、60代の技術者を社員として雇い、中国などの工場で技術指導を担当させる。g.u.の990円ジーンズは、この匠プロジェクトでカンボジアで生産したものだと。

現地の人を教えるほうが、「日本人に教えるよりも、よっぽど教えがいがある」という。

欧米アパレルメーカーでも技術指導をしているが、欧米は出張型で、ユニクロの場合は「駐在型」である。つきっきりで指導するのだ。


最近のドラッカーブーム

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という本が売れているので、ドラッカーブームが再来している。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだらもし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
著者:岩崎 夏海
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2009-12-04
おすすめ度:4.0
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ドラッカーは決して奇をてらったことを言っているのではない。あくまで経営や社会の原則を説いているのであり、ユニクロの柳井さんのように、その原則を経営に生かすと、成功例となれる。

ユニクロはSPAというビジネスモデルが優れている他に、柳井さんという常に学び続ける経営者がいたことが成功の要因だということがわかる。

ドラッカーの教えを多く紹介しているわけではないが、最も重要な教えを、ユニクロの経営に生かしている。

簡単に読めて参考になる。

筆者もドラッカーの本を買ったが、実は「積ん読」になっている。息子が買った「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」も積ん読だ。

まずは積ん読を解消して、近々あらすじを掲載する。


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Posted by yaori at 01:43Comments(1)TrackBack(0)

2009年02月02日

ユニクロ!監査役実録 監査役というより上場コンサルタントの実録

「ユニクロ」!監査役実録―知られざる増収増益の幕開け「ユニクロ」!監査役実録―知られざる増収増益の幕開け
著者:安本 隆晴
販売元:ダイヤモンド社
発売日:1999-05
おすすめ度:4.0
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以前紹介したユニクロの柳井正社長の「一勝九敗」という本で紹介されていたユニクロ監査役で、公認会計士の安本隆晴さんの1999年に出した本。

一勝九敗 (新潮文庫)一勝九敗 (新潮文庫)
著者:柳井 正
販売元:新潮社
発売日:2006-03
おすすめ度:4.0
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どちらの本にも書いてあるが、安本さんの書いた熱闘「株式公開」―いまだから店頭登録入門
を読んで、柳井さんが是非話を聞きたいと連絡してきたのが二人が知り合うきっかけだ。出版直後の1990年のことである。

当時は全部で25店舗、そのうち18店がユニクロで、7店がメンズショップだった。


ユニクロのビジョン

初対面の安本さんに、ポロシャツと綿パン姿の柳井さんは、カジュアルウェアだけを専門に扱う店は日本にはないと語り始める。

「カジュアルウェアはあまり年齢・性別にとらわれることもなく、流行に左右されることもないし、マーケットは相当大きい。スーツなどの重衣料の何倍もあります。多くの人が普段着られて、ちょっとした外出着にもなるものを、買いやすい値段で買ってもらう。そのために、当社が企画した商品を大量発注、完全買い切りでやる。それに、倉庫型店舗でのセルフ販売だから接客業務はほとんどいらない。」

アメリカのウォルマート社やギャップ社を目標としており、日本ではしまむらやセブンイレブンに興味がある。経営を本格的に勉強したいし、今後出店を重ねていき、いずれの日にか株式を上場したいと思っているので、その指導をして欲しいという。

上場がすべてでなく、通過点と思えるようにしたいと。

当時経営コンサルタント会社に勤めていた安本さんはその場でOKしてつきあいが始まった。


柳井さんの役員合宿での宿題

この本の冒頭に柳井社長が1998年12月26日に13人の役員宛に送ったメールが引用されている。1998年12月といえば、東証一部に上場(1999年2月)替えする直前だ。

「次回の役員合宿の質問事項です。この年末年始考えて下さい。
2001年8月までに何をどう改革するのか。
どのように他企業と差別化するのか。
どのようにしたら店長の転勤が3年に1回になるのか。
どのようにしたらパート社員の平均勤続年数が3年以上になるのか。
どのようにしたら店長の年収が倍になるのか。
倍の年収の店長の必要条件は何か。
最高水準の店長だけにするにはどのようにすればよいか。
店長の仕事を労働集約から知識集約にするには、どうすれば実施できるか。
店舗作業の大幅減を、コストアップせずにお客様に迷惑をかけずにどのように進めるのか。
店舗での問題点を店長が的確に迅速に発信するために、どのようにしたらよいのか。
売り場発の情報(顧客ニーズの発見)と本部での的確な対応がまだ不十分だが、この解決方法は何か。
39期、40期の年間最適出店数は店舗の質の大幅アップするという前提で、何店舗が最適か。」
このあと商品、企画生産、店舗開発、広告宣伝などの質問が続き、全部で44項目に及ぶ。

原理原則を洞察し、勉強し、実践し、失敗を恐れず前進を求め、直接的な、真っ向勝負の、気取らない柳井社長の性格がよく現れた文章であると安本氏は語る。

ユニクロでは毎月1回祝祭日に役員合宿と呼ぶ終日の会議を行う。上記が柳井さんの議題メールだ。


この本の目次

この本の目次は次の通りだ:

序章  福音は読者から 資料分析とレビュー報告
2章  要人から友人へ 株式公開コンサルティング
3章  船団始動す 資本政策と初の第三者割り当て増資
4章  社名に託された成功要因 いよいよ公開準備委員会
5章  組織と人、それぞれの成長 会計基準の採用
6章  大事の前に小事起こる 管理規程の整備と運用
7章  時よ空転するなかれ 店舗急増!管理体制と業務基準
8章  いざ行かん故郷へ 公開準備作業軌道に
9章  事務所開きは怒濤のごとく 資本政策立案
10章 難問降りて標的を変える 人的関係会社を整理する
11章 確執から生まれるもの 銀行借り入れと「IIの部」作成
12章 「初値つかず」の果てに 公開申請、審査そして上場

1994年当時のユニクロの店舗数は355店、都心店はまだ少なく、ほとんどがロードサイド店だった。

柳井さんはお父さんの始めたメンズショップを受け継ぎ、1984年に広島にユニクロ1号店をオープン、それから冒頭に書いたビジョンでSPA(Specialty-taylor of Private apparel)事業を拡大する。

1994年に広島証券取引所に上場、97年に東証2部、99年に東証1部に上場したが、この本は広島証券取引所に上場するまでの1990年から1994年までの4年間の安本さんの業務日記をベースにしたものだ。

安本さんは他の会社にもかかわっていたので、ユニクロ以外の話も含まれている。会計監査をして横領を見つけた話とか、ユニクロ以外の話も面白い。


ユニクロの成功要因



「柳井さんはまだ成功していないというだろうが」、という注釈つきだが、安本さんがユニクロの成功要因をまとめている。

「まず先に方針ありき、原理原則を考え、それに基づいて方針を立てる。

世の中の、あるいは業界の常識がその原理原則とかけ離れていて抵抗にあっても、曲げずに実行する。

実行が無理だと判断したらスパッとあきらめるか、時期を待つ。

決まったらすぐに実行し、それが駄目だったら失敗をすぐに認め、次の手をすばやく打つ。

重要なのは『すぐに実行』で、社長の発想を具体化につなげた経営幹部や社員の方々の努力にはすごいものがある。頭が下がる思いだ」

と。


柳井さんの最高の教科書

このブログでもあらすじを紹介している柳井さんが「私の最高の教科書」と絶賛するハロルド・ジェニーンさんの「プロフェッショナルマネージャー」に書いてある通りのことを柳井さんは実践していることがよくわかる。

プロフェッショナルマネジャープロフェッショナルマネジャー
著者:ハロルド・ジェニーン
販売元:プレジデント社
発売日:2004-05-15
おすすめ度:4.0
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柳井さんが最も影響されたという「3行の経営論」を思い出す。

本を読む時は、初めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ。



柳井さんの「商売の原点」

柳井さんは「常に商売をやっているんだ、ということを忘れずに」とよく口に出すそうだが、次のようなエピソードがあったという。

柳井さんが大学卒業後、小郡商事に入社して商店街の店の店頭に立っていたときに、高校の担任の先生が通りかかった。「おや、柳井くんじゃないか。なぜ、こんなところにいるんだね。」

せっかくいい大学を出たのに小売店の売り子かい、といったような皮肉な口調で、見下されたという。柳井さんは平静を装ったが、その時「一般の人には、商売というのはそんなふうに映るんだ」と思ったという。

これに発奮したことがユニクロ躍進の原点だったかもしれないと安本さんは推察する。


この本はまるで株式公開マニュアル

本のサブタイトルに「知られざる増収増益の幕開け」と書いてあるが、このサブタイトルに惹かれて読むと失望すると思う。

柳井さんの強烈な個性が出る場面がところどころあるが、全体に株式公開準備マニュアルの様な本である。

1999年の出版なので2006年に施行された会社法でかなりの変化があるため見直しが必要だと思う。

しかし筆者も経験があるが、中規模会社が上場するまでに社内規程をいろいろ整備し、人事制度を導入し、資本政策を決め、メインバンクから借り入れを行うなど課題がある。

それについてステップごとに直面した課題も含めて具体的に解説されているのでわかりやすい。


柳井さんの性格がわかる

柳井さんの性格がわかる逸話がいくつか紹介されている。

柳井さんの「店長を教育すべきエリアマネージャーの作業標準ができていない。それに管理職としての認識が甘い。場当たり的な教育しかできていない。そこをなんとかしたいのです」という要望を受けて、安本さんが大手企業向けで実績のある教育研修コンサルタントを紹介した。

一度社員研修会を開こうということになり、コンサルタントが「自分たちで考えてから行動するのが重要」と教えていると、柳井さんが入ってきてそれを聞いて、「今の小郡商事は会社方針が先にあり、それをどうやって実行するかが最優先でしょう」と発言して立ち去る。

そのあと柳井さんから「会社の方針を汲んでくれないし、本人たちの自発性を待つという考え方では遅すぎる。今はトップダウンで行くべき時。単に使われるだけじゃダメ、というように教えるのは大企業になってからでもいいでしょう。」との話があり、安本さんはコンサルタントに電話をかけ断った。

これは1991年のことで、ファーストリテーリングと社名変更する直前のことだが、小郡商事と呼んでいた頃の会社の規模を考えると、大企業向けの教育内容は、当時のやり方に合っていなかったのかもしれない。

なかなか新規融資に応じてくれず、ユニクロの将来性を見ずに担保至上主義に徹しているメインバンクの支店長との衝突の話とか、支店長を飛び越えて本店の部長に話をして、かえって支店長との関係を悪化させた話とかが紹介されている。

安本さんが追記しているが、この支店長が銀行をやめ取引先に転籍したあとに安本さんが街で出会ったら、ヘッドロック?を掛けられて頭をコツンとたたかれたという。

ユニクロはメインバンクを変えようと画策したはずなので、あるいはメインバンクをはずされてうらみ骨髄なのか、よくわからない話だ。

今は隆々としているユニクロが、株式公開前は地方の同族企業として銀行融資の確保に四苦八苦していた様子がよくわかる。

安本さん自身は父親と同居するために東京のコンサル会社をやめて、静岡で独立して自分の会計士事務所をスタートした。

その時にユニクロとの契約を、会社との顧問契約から個人顧問契約に変えて貰ったが、顧問料は安本さんの期待の3割減ではなく、ばっさり半額にされたという。

柳井さんの性格を象徴するような話だと思う。いかに世話になっていても、コンサルタントは使い倒し、自分の判断する適正コストしか払わないということだろう。


1999年に出版された本だが、柳井さんの経営に取り組む真摯な姿勢がよくわかり、またユニクロの様な同族会社を上場する(公開会社にする)時にはどういった点に注意をしなければならないのかがわかり、参考になる本だ。


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2008年11月22日

プロフェッショナルマネージャー ユニクロ柳井さん絶賛の経営の教科書

プロフェッショナルマネジャープロフェッショナルマネジャー
著者:ハロルド・ジェニーン
販売元:プレジデント社
発売日:2004-05-15
おすすめ度:4.0
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ユニクロ社長柳井正さんが「私の最高の教科書」と絶賛する米国の多国籍企業ITTの元社長ハロルド・ジェニーンさんの経営指南書。

巻頭に柳井さんの紹介文「これが私の最高の教科書だ」、そして巻末に柳井さんの解説とまとめ「創意と結果、7つの法則」が付いている。まさに柳井さんが「私の教科書」と呼ぶ力のいれようだ。

この本の初版は1985年に出版された。柳井さんはユニクロの1号店を広島にオープンしたばかりで、ユニクロが小郡商事といってた時代に読み、大変衝撃を受けたという。

この本を読んで、柳井さんは自分の経営は甘いと思ったという。


三行の経営論

柳井さんが最も影響を受けたジェニーン氏の「三行の経営論」とは次の通りだ。

本を読む時は、初めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ。


この言葉を柳井さんは実践して、その時々の目標を設定し、こうありたい姿を目指して現在のユニクロを築き上げたのだ。

実はこの本はブログを書き始める前の2004年に一度読んだ。

ジェニーンさんの「三行の経営論」とジェニーンさんが公認会計士からスタートしてトップに上り詰めたことなどが記憶に残っていたので、再度読み直してあらすじをブログに書いた。


ジェニーンさんの経歴

ジェニーンさんは1910年生まれ。両親は5歳の時に離婚し、母親は歌手だったので、ジェニーンさんと妹は修道院付属の寄宿学校で生活する。15歳の時に会社の使い走りとして就職し、ボーイをしながら何とか高校を卒業。広告会社の営業や証券取引所の場立などを経て、8年間かけてニューヨーク大学の夜学で公認会計士の資格を取る。

会計士として会計事務所に就職、戦争では海軍に志願するが、メガネのせいで不合格となる。戦時中は魚雷をつくっていたアメリカン・キャン(缶メーカー)に勤め、その後光学器械メーカーを経て、ピッツバーグのジョーンズ・アンド・ラフリン(J&L)のコントローラー、副社長となる。

筆者も何回か訪問したピッツバーグの製鉄所(Midland, PAというオハイオ川沿いの巨大な製鉄所だったが、筆者が駐在した当時はそのほんの一部しか使われておらず、大部分が廃墟と化していた)で勤務した後、ハーバード・ビジネススクールのエクゼクティブプログラムを受講。

1956年に軍事メーカーレイセオン社にNo.2として転職し、1959年にITT社長に就任する。ジェニーン氏が就任した時のITTの売上高は8億ドル弱、利益は3千万ドル弱だった。

ジェニーン氏は最高経営責任者として一株当たり利益を年10%以上増加させるという目標を掲げ、58四半期連続増益を達成した。ジェニーン氏が退任した1977年にはITTは多国籍コングロマリットとしてフォーチュン500の11位にランクされ、売上高166億ドル、利益六億ドル弱と売上高・利益ともに20倍になった。

ITTはレンタカーのエイビスを買収し、1968年にシェラトンホテルチェーンを買収している。シェラトンホテルチェーン立て直しには8年掛かったというが、毎年一億ドルの収益をもたらしてくれるという。

ジェニーンさんがこの本を出版した1980年代初めは、「セオリーZ]などと呼ばれた日本的経営が世界を席巻した時代である。

セオリーZ―日本に学び、日本を超える (1981年)

この本でもジェニーンさんは、日本とはたしかに文化の違いはあるが、日本の経営システムだけが勝因ではないと語る。

低い労働コスト、最新式の設備、政府援助(?)、産業政策などが日本が勝っている要因であると分析し、米国企業は日本と今後も競争できると語っている。

なにか現在の中国企業の説明の様で、歴史は繰り返すという感じだ。


この本の目次

この本の目次がよくまとまっているので、紹介しておく。

はじめに 「これが私の最高の教科書だ」 柳井正

第一章 経営に関するセオリーG
ビジネスはもちろん、他のどんなものでも、セオリーなんかで経営できる物ではない。Gはいうまでもなくジェニーンの頭文字。したがってセオリーGは、「ジェニーン理論」の意味である。

第二章 経営の秘訣
(三行の経営論)
本を読む時は、初めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ。

ジェニーンさんがITT社長に就任して、まず出した方針は「今後、長期計画はいっさい無用とする」というものだ。しかしこれは計画をつくるあまり、四半期ごとの収益を気にしない風潮があったためである。

自分が何をやりたいのかしっかり見定め、それをやり始めよということだ。しかし言うは易く、行うは難しだ。肝心なのは行うことだという。

第三章 経験と金銭的報酬
ビジネスの世界では、だれもが二通りの通貨−金銭と経験−で報酬を支払われる。金は後回しにして、まずは経験を取れ。さらに、ビジネスで成功したかったら上位20%のグループに入ることが必要だ。

第四章 二つの組織
どの会社にも二つの組織がある。その一つは組織図に書き表すことができる公式のもの。そしてもうひとつは、その会社に所属する男女の、日常の、血の通った関係である。

世の中の事実の中には、次が混ざっているとジェニーンさんは語る。

1.「表面的事実」(一見事実と見える事柄)
2.「仮定的事実」(事実と見なされていること)
3.「報告された事実」(事実として報告されたこと)
4.「希望的事実」(願わくば事実であってほしい事柄)
5.「受容事実」(事実のレッテルを貼られ、事実として受け入れられた事実)

プロフェッショナル・マネージャーという最高の芸術は、本当の事実を嗅ぎ分け、それが「揺るぎない事実」であることを確認するひたむきさと、知的好奇心と、根性と、必要な場合には無作法を備えていなければならないという。

ITTの基本ポリシーは"No surprise"だという。悪いことはまず先に言うことだ。

第五章 経営者の条件
経営者は経営しなくてはならぬ! 経営者は経営しなくてはならぬ! 「しなくてはならぬ」とは、それをやり遂げなくてはならぬということだ。それはその信条を信条たらしめている能動的な言葉だ。

第六章 リーダーシップ
リーダーシップを伝授することはできない。それは各自がみずから学ぶものだ。ビジネス・スクールで編み出された最新の経営方式を適用するだけでは、事業の経営はできない。経営は人間相手の仕事なのだ。

第七章 エグゼクティブの机
机を見れば人がわかる。トップ・マネジメントに、いやミドル・マネジメントにでも、属する人間にとって、当然なすべき程度と水準の仕事をしながら、同時に机の上をきれいにしておくことなど、実際からいって不可能である。

第八章 最悪の病−エゴチスム
現役のビジネス・エグゼクティブを侵す最悪の病は、一般の推測とは異なって、アルコール依存症ではなくエゴチスムである。自分の成功を盾にエゴチスムをまき散らす社員、全体最適を考えず、自己最適に走る社員をどうすべきか。

第九章 数字が意味するもの
数字が強いる苦行は自由への過程である。数字自体は何をなすべきかを教えてはくれない。企業の経営において肝要なのは、そうした数字の背後で起こっていることを突きとめることだ。

第十条 買収と成長
難点はただ、大作戦にはいつもつきもののことだが、他のだれもが彼らと同じものを見、まったく同一の戦略を思いつくことだった。その結果として、彼らはみな、巨大市場をめぐって、トップメーカーと戦うことになる。

第十一条 企業家精神
企業家精神は大きな公開会社の哲学とは相反するものだ。大企業を経営する人びとのおおかたは、何よりもまず、過ちを −たとえ小さな過ちでも− 犯さないように心がける。 

第十二条 取締役会
勤勉な取締役会は、株主のために、この基本問題に取り組まねばならぬ。その会社のマネジメントの業績達成の基準をどこに置くか。去年または今年、会社がどれだけの収益を挙げたかではなく、挙げるべきであったか。

第十三条 気になること −結びとして
良い経営の基本的要素は、情緒的な態度である。マネジメントは生きている力だ。それは納得できる水準 −その気があるなら高い水準− に達するように物事をやり遂げる力である。

第十四章 やろう!

付録 「創意」と「結果」7つの法則 柳井正


具体例が満載


目次に示されているような理論だけでなく、具体例も満載である。いくつか印象に残った例を紹介しておく。

ある時ブラジル向け電話交換機商談で、「ブラジル大統領には会えないと思う」という現地責任者に、「なぜやってみないんだ。失うものはなにもないではないか」と言ったところ、翌月彼は大統領に会い、商談をまとめたという。

ヨーロッパ全体で深刻な在庫過多が起こっていたが、ある工場の資材積み卸し係に、注文した物以外は受け取りを拒否する担当を一人配置したら、在庫問題は解決した。そこで他の全工場にも受け取りを拒否する担当を置いて問題を解決した。


事前採算性検討(F/S)が大事という例だが、カナダのケベック州カルチェにセルロース工場を建設したが、極寒地方では樹木は直径3インチ以上には生育しないことを見落としていたという。我々は森を見たが、木を見なかったのだと。


創意」と「結果」7つの法則

ジェニーンさんの本をふまえた柳井さんの経営術の七点とは次の通りだ。

1.経営の秘訣 −まず目標を設定し、「逆算」せよ

2.部下の報告 −「5つの事実」をどう見分けるか

3.リーダーシップ −現場と「緊張感ある対等関係」をつくれ
柳井さんは、パート従業員を不当に解雇した店長は、即座にクビにするという。

4.意志決定 −ロジカルシンキングの限界を知れ

5.部下指導法 −「オレオレ社員」の台頭を許すな
柳井さんはエゴチスム社員を「オレオレ社員」と呼ぶ。

6.数字把握力 −データの背後にあるものを読み解け

7.後継ぎ育成法 −「社員FC制度」が究極の形だ。


柳井さんが絶賛するだけあって、会社経営の基本として大変参考になる。1980年代はじめに書かれた本だが、内容は決して陳腐化していない。

是非一読をおすすめする。


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2005年08月14日

一勝九敗 社長に復帰したユニクロ柳井正さんの自伝的ビジネス論


一勝九敗

ユニクロの柳井さんが慶応ラガーマン玉塚氏を排して、二年半ぶりに社長に復帰すると発表したので、ひさしぶりに柳井正さんの著書を読み直してみた。

今回のあらすじは長いので、まずポイントだけまとめます。

1.タイトルの一勝九敗が示すとおり、柳井さんでも失敗の方が多かったが、失敗を糧にさらに成長した。

2.ユニクロの成功の要因は、カジュアルウェアのセルフサービスストア、SPA(製造小売業)というビジネスコンセプトと会社としての実行力。

3.ユニクロがこれだけ大きくなったのは上場して得た資金をてこにうまく使ったから。上場して飛躍的に拡大したという点はウォルマートも全く同じ。

4.ユニクロの成功にはすぐれた広告の貢献も大きい。


この本は2003年11月に出版された。柳井さんが玉塚さんに社長職をゆずったのが2002年11月なので、ちょうど社長交代してから1年後にこの本を出したことになる。

柳井正さんは山口県出身で早稲田大学卒業後、イオンに就職するが10ヶ月で退職、父親の経営する衣料品店や建設業の小郡商事で働いた。

父親が脳溢血で倒れ、35歳で社長となる。父親は柳井さんが50歳の時に亡くなるが、葬儀で「ぼくの人生最大のライバルでした」と語り、人前であれだけ涙を流したのは初めてだったと。

上下が女兄弟の唯一の男子で、子供の頃は『山川』というあだ名がついたほどで、他人が『山』といえば『川』というあまのじゃくだったそうだ。

小郡商事は紳士服店とVANショップのカジュアル店を持っていたが、柳井さんが入ってジャスコの経験を元にいろいろ口を出し始めると従業員がどんどんやめてしまった。

最後は柳井さんと番頭の浦さんの2人となり、2人でなにからなにまでやった。このときに小売りのすべての仕事を経験する。

自分でなんでもできるというのが、柳井さんのいい点でもあり悪い点でもあるのだろう。今回の社長交代も玉塚氏に任せておけないということになったのではないかと推測する。

紳士服は20歳以上の男性しか買わないが、カジュアルウェアは世代、性別を選ばないので将来性のあるカジュアルウェア中心のビジネスとしていく。

海外からも仕入れ、ギャップ、ベネトンなどに刺激を受ける。

アメリカの大学生協を訪問したときに、セルフサービスのカジュアルウェア店というユニクロのコンセプトを思い立ち、1984年に広島でユニーク・クロージング・ストア、後のユニクロとなる第1号店を出店し、大成功を収める。

当初は"UNICLO"だったが、香港のバイイング子会社登記の時に間違って"UNIQLO"としたため、こちらの方が格好が良いとしてUNIQLOになった。

直営店とフランチャイズで店舗展開を拡大していたが、規模の利益があまり上がらないので、株式公開を目指す。

熱闘「株式公開」―いまだから店頭登録入門


このとき「熱闘『株式公開』」という本の著者の公認会計士の安本さんに会って、コンサルをお願いするとともに、後にユニクロの監査役になって貰う。

安本さんに言われたことで次の2つが印象に残っていると。
1.株式公開がすべてではなく、社会的に認められる様な会社にしないと、競争社会で生き残っていけない。
2.社長がいなくとも、組織で動く会社にしなければいけない。

経営ってそういうことだったのかと新鮮な気持ちで聞き、改革を始めた。

会社の成長のためには資金調達、出店地域確保、人材獲得が必要で、そのために株式公開を目指す。

1991年に社名を小郡商事からファーストリテーリングFAST RETAILING(早い小売り)に変更。顧客の要望を素早くキャッチして、製造委託して商品化し販売することを目標とする。

自ら「商売人から経営者へ」と語っているプロセスだった。

1991年当時の総店舗数は29店だったが、三年間の中期計画を発表し、年に30店舗ずつ出店し、3年後には100店を越えるので、その時点で株式公開を目指すと宣言。

さらに10年後には売上3,000億円という計画をつくる。これはリミテッド、ホームデポ、ウォルマートの成長の軌跡と一致している。

ロープライスエブリデイ


サム・ウォルトンの自伝を読んだことがあるが、株式公開をてこに、親族経営から大会社へ変身したウォルマートの急激な成長と同じプロセス、同じ様な軌道を描いていると感じた。

やはり株式公開は会社の成長の最高のブースターロケットである。

直営店100を越え、売上も300億円となり1994年7月に広島証券取引所に上場、初日は買い気配、翌日公募株価の7,400円を大きく上回る14,900円で初値がついた。

ユニクロは次の3つの約束をしているが、1995年には「ユニクロの悪口を言って100万円」という広告も出した。

1.購入後3ヶ月以内であれば理由を問わずに返品・交換します。
2.広告商品の品切れの場合は、即取り寄せるか、代替商品を手配します。
3.クリンリネスの徹底した売場をつくります。

当初は岐阜県などの衣料品メーカーから購入していたが、生産の中心は中国に移った。中国各地に品質管理事務所をつくり、『匠(たくみ)プロジェクト』として、日本の繊維産業を退職した熟練技術者を採用して技術指導にあたらせ、品質を高める努力をしている。

なかなか関東圏で成功できなかったが、1998年11月の原宿店で大ブレークした。このとき1900円のフリースを売り出し、そのヒットが原宿店の開店と重なり、ユニクロのイメージが『安いけど、結構いいじゃん』に変わった。

ユニクロの広告宣伝は定評がある。

「ユニクロのフリース 51色」の回転機のCMなど、いろいろな広告作品が記憶に残っているが、これらはアメリカのワイデン&ケネディのクリエイターで日本支社長ジョン・ジェイ氏の力が大きい。

山崎まさよし他の出演する「ミュージシャン、27才」のテレビCMシリーズ。山崎まさよしが自分で語り、最後に「ユニクロのフリース 15色 1900円」というコピーが流れる。

実はカメラに写らないところで、テリー伊藤が質問してそれに山崎まさよしが答えているのだと。CF制作現場で本音を引き出せるのはテリー伊藤しかいなという結論になったそうだ。

すごい発想である。

ユニクロはチェーン店展開しているが、マニュアル人間ではダメである。たとえばこんなことがあった:

雨の降った日に子連れのお母さんが来て、子供が病気なので電話を貸してくれと言って来た。店長はマニュアル通り、私用電話には貸せないと断ったが、後でご主人から猛烈なおしかりがあったと。

マニュアル人間を排し、『独立自尊の商売人』を目指せということでSS(スーパースター)店長制度を導入。なかには年収3,000万円という店長もいる。店長は会社の主役であり、本部はあくまでサポート役で、店長が店舗の経営者なのだ。

ユニクロは実力主義を徹底しており、3ヶ月毎に人事考課をしている。人事考課のためだけの役員会を開いている。賞与は年3回あり、3回目が会社業績による決算賞与である。

出店失敗、ファミクロ、スポクロ、ロンドン進出、上海進出、永田(ながた)農法でつくった野菜を売るFRフーズなど失敗も相次いだ。しかし失敗から学び成功したのだと。

社長を退任した理由は、自分の言っていることが実行されずに、かけ声だけに終わってしまうおそれがあると感じたからだと。

じつはこの部分が最初に読んだとき一番印象に残ったところだ。20〜40代の社員と一体となった経営。会社全体の中で、自分自身が浮いてはいけない。

筆者も常に自分の身を見直さなければならない。

続きを読むには、柳井さんの起業家十戒、経営者十戒を記載したので、ご興味のある方は見てください。そのほかに経営理念23条というものを柳井さんはつくっているが、こちらは割愛した。

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Posted by yaori at 01:02Comments(0)TrackBack(0)