2011年10月20日

わが師、松下幸之助 民主党樽床議員の松下政経塾での研修

わが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子としてわが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子として
著者:樽床 伸二
PHP研究所(2003-03)
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松下政経塾第三期生・民主党幹事長代行の樽床伸二議員が松下政経塾で接した松下幸之助の教えをまとめた本。2003年の出版だが、現在は絶版となっており、筆者もアマゾンマーケットプレースで購入した。

この本には次のような帯が付いている。

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松下政経塾の入塾試験

樽床さんは松下政経塾の第三期生として五年間の研修を受けた。最初に松下幸之助と会ったのは、昭和56年の最終面接だった。試験官は松下幸之助、副塾長の丹羽正治松下電工会長、塾頭の久門泰氏という顔ぶれだったという。

最初に丹羽副塾長から「きみ、悪いことできるか?」と聞かれたという。その後も副塾長がもっぱら質問し、松下幸之助はじっと聞いているだけだったという。

樽床さんが受験した時の松下政経塾の試験は、願書と同時に「現在の日本で、問題と思うことを述べよ」という原稿用紙10枚の小論文。一次試験は全国の主要都市での政経塾職員による面接、二次試験は茅ヶ崎の政経塾での論述式試験、英会話ヒアリング、政経塾の役員面接だった。

役員は牛尾治朗ウシオ電機社長、香山健一学習院大学教授、緒方彰氏で、樽床さんは香山教授から政治に対する考え方、政策論議でかなり突っ込まれたという。そのあと身体検査と体力測定。

当時は松下グループからの出向社員が塾の運営をしており、各学年に一人指導員がいた。松下幸之助塾長は月に一回円卓室というラウンドテーブルで講話した。


松下幸之助の謦咳(けいがい)に接する

最初の講話で松下幸之助は「私が四〇年ほど若返ることができたら、こういう塾をしなくても私が政治家になればいいことだ。でも、こう年をとってきてからはダメです。だから結論は、諸君に代わってやってもらいたい」という話をした。

その後の塾生抱負で、樽床さんは当時87歳の松下幸之助の鋭い視線に、すべてを見透かされているような感覚になった。相手に言葉が届かない。衝撃的な体験だった。

同じような体験は樽床さんが卒塾後、衆議院選挙に立候補準備中に松下記念病院に入院している松下幸之助を訪ねた時に起こったという。周りの光景が消え、塾長の目だけが迫ってきた。

松下幸之助は肉親全部に先立たれ、小学校四年で中退し、丁稚奉公に出たことは有名だが、樽床さんも貧しい一家に生まれ、幼い妹を交通事故で亡くすという辛い経験をしている。傲慢な言い方だが、「松下幸之助にできて、私にできないことはない」と松下幸之助を目標に頑張っているのだと。


松下政経塾でのエピソード

当時88歳で通常は車いすで移動していた松下幸之助が、自分の思いを託そうとしている若い塾生の前では車いすに乗っている姿を見せられないと塾では車いすを拒否していた。

樽床さんは「塾長が、それだけの強い思いを政経塾に投入されているのに、君たちは何をボンヤリしているんだ」と側近の人に叱責されたという。

政経塾が成功するかどうかは否定的な意見が多かったが、大阪の中小企業のオヤジが絶対に成功すると言っていた。「幸之助さんは、売れ筋を見る目はものすごく確かだ。よい政治家、政治をきちんとしてくれる人は必ず求められている。それは市場でいえば”売れ筋”商品になるということだ」。


松下政経塾での研修

松下政経塾では教室で教える講義は最小限で、最初の二年は塾内で自分で選んだテーマの研究、後半の三年は自分の将来構想に基づき、自らが課題を見つけて実戦的に学んでいくという形で、活動場所は限定されない。毎月全員が集まって進捗を報告するというシステムだった。

樽床さんの場合、最初の一ヶ月は松下幸之助の思想・哲学についての講義、次の二ヶ月は松下電器販売店での住み込み営業研修。戸別訪問でご用聞きを繰り返した。辛い仕事だったという。次の二ヶ月は松下の乾電池工場での工場研修。これで半年が過ぎた。

次の一年間は座学中心で、憲法、政治哲学、マクロ経済学など。夕方は茶道、剣道、体育、書道、古典の学習が必須で、毎週鎌倉から裏千家の先生が茶道を指導しに来た。

二年めの後半、次の三年間の準備。樽床さんは政治家を目指していたので、地元に帰って三ヶ月間選挙区の研究・調査をした。このときの人脈、ネットワークが現在でも生きているという。そして次の八ヶ月間は逢沢一郎氏の秘書として岡山県で衆議院選挙の準備を手伝った。

後半の三年の上級政治専科では、一年間大阪府議実力者の事務所で秘書・カバン持ちをやった。その時、地盤を引き継いで府議とならないかと誘われて心は動いたが、出身地ではないことから松下幸之助の「目指すのは一番高い山だ。高い志があるなら安寧の道を歩むべきでない」という言葉を思い出して断る。

次は英国病を克服したサッチャー政治を研究しようと海外研修を考えていたが、またしても逢沢氏に呼ばれ、こんどは衆議院選挙本番を経験する。そして大阪に戻り、異業種交流会の事務局長となり、大阪の中小企業を中心に組織作りをする。


卒塾して立候補

卒塾して定職にも就かずに、最初に寝屋川市を中心とする大阪七区に立候補し、松下労組の推す候補と戦い破れる。捲土重来を誓うと、天の助けで小選挙区制となって松下労組代表とは戦わなくなった。

落選の翌日から寝屋川市駅の駅頭に立って投票御礼の街頭演説を始める。「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」という政経塾の5誓の一つを実践する。


樽床さんの政治信条

樽床さんの政治信条は松下幸之助の「成功の要因」分析から始まる

樽床さんの政治信条の基本は、松下幸之助の教えの「人間観の確立」が不可欠であるというものだ。それができていないから、争いが起こる。「人間を考える」にある「新しい人間観の提唱」をこの本でも紹介している。

人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1995-01)
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そして「他人の立場になって考える」などをこの本の第二章を使って説明している。

この本のなかで、紹介されている西武グループの総帥の堤義明さんの政経塾での講演が面白い。まず堤氏はこの類の講演はすべて断っている。松下政経塾で政治家を養成するということも非常に難しい。それでも政経塾に足を運んだ理由は、堤さんが唯一尊敬する経済人の松下幸之助に頼まれたからだと。

松下幸之助は一代で大企業をつくったことは、それ自体は尊敬する理由ではない。尊敬する理由は、企業の発展段階で経営手法を変え、それがことごとく成功していることだと語った。

松下幸之助は、塾生に信長、秀吉、家康のどれを選ぶかと質問されて、「鳴かぬなら、それもまたよしホトトギス」と語ったという。松下幸之助の度量の大きさ、優しさも感じられたが、逆に怖さも感じたという。それは「有縁の人、無縁の衆生」」ということで、縁がないものは見捨てるということだからだ。

この本の第三章は松下幸之助の七つの提言の検証に充てている。

1,憲法改正
2.政治改革
3.税制改革
4.無税国家
5.教育改革
6.国土創成
7.地方分権

政経塾出身の政治家が増えた今では、もっと組織だった研修をしているのだろうが、樽床さんの経験がビビッドに語られていて面白い。絶版なのが残念だが、そのうち樽床さんが政府の要職につけば、復刊されることだろう。

次に紹介する野田首相の「民主の敵」よりもよっぽど良い。

民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)
著者:野田 佳彦
新潮社(2009-07)
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創立当時の松下政経塾の研修内容が具体的にわかって参考になるおすすめの本である。


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2011年10月01日

松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか 側近中の側近・江口克彦さんが語る

松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか
著者:江口 克彦
WAVE出版(2010-06-10)
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松下政経塾出身者としてはじめての総理大臣の野田佳彦総理が誕生して、さっそく国会で論戦を演じた松下幸之助の側近中の側近、元PHP研究所社長の江口克彦さんの本。江口さんは松下政経塾の元面接官だった。

江口さんはみんなの党に所属している参議院議員で、野田さんへの質問は全文が江口さんのサイトに公開されている

ちなみに民主党代表選挙直前の江口さんの各候補の評価は次の通りで、全体的に評価は低いが、比較すると野田さんの評価が一番高い。

【江口克彦の代表候補採点】

前原誠司前外相 30点

野田佳彦財務相 44点

馬淵澄夫前国交相 35点*

樽床伸二元国対委員長 18点

*馬淵氏は松下政経塾OBではないが、江口氏主宰の「壺中の会」で学んでいる。

この本は2010年6月、江口さんが参議院議員になる直前に出版された。江口さんは現在みんなの党所属で「前原氏は腐った饅頭」などという放言をしており、所属政党が違うので額面通りには受け取れないが、それぞれの候補の比較という意味では参考になると思う。


江口さんは、筆者が最も好きな本の一つの「成功の法則」の著者で、PHP研究所の中心人物として晩年の松下幸之助に23年仕えた側近中の側近だ。

松下幸之助 成功の法則松下幸之助 成功の法則
著者:江口 克彦
WAVE出版(2010-03-18)
販売元:Amazon.co.jp
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その江口さんが昭和54年(1979年)に松下幸之助が松下政経塾を設立した経緯を語る。


日本一の高額納税者

松下幸之助は60歳の時の昭和30年(1955年)から昭和38年(1963年)まで昭和35年に2位になった以外は、日本の所得番付で第一位を独占しており、亡くなる前年の昭和63年まで連続33年間トップ10位に常に入っていた。

当時の日本の税制では高額所得者は78%が税金で取られ、手元に残るのは22%だけだった。「税金を納める手数料を取っているようなものだ」と語っていたという。

日本の高すぎる税金、非効率な政府、頼りない政治が、松下幸之助が政治改革の必要性を感じた一つの理由だ。


無計画の金権政治に危機感

昭和47年から49年までの田中角栄首相の金権政治と列島改造ブームによる地価高騰、昭和48年に起こったオイルショックによる狂乱物価、そして昭和49年からの赤字国債発行。これらが松下幸之助に強い危機感を抱かせることになった。

同じく危機感を共有するソニーの盛田さんと昭和50年に「憂論」という対談本を出し、これがベストセラーになっている。

憂論―日本はいまなにを考えなすべきか (1975年)憂論―日本はいまなにを考えなすべきか (1975年)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1975)
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このなかで松下幸之助は「わが国の現状はいわば夕陽みたいなものでしてね。落ちかけたら非常に早い。」と語り、危機感をあらわにしている。

戦後の日本は「経済大国」といわれるほどの目覚ましい発展を遂げた。しかし、これは松下幸之助によれば、20年なり30年前に、「20年、30年後の日本をこのような姿にしよう」という計画をもち、それを国民合意のもとに共同の力で推進してきたものではない。

終戦から無我夢中で働いてきて、気がついてみれば経済大国となっていたものであり、計画性がないので公害や無計画な都市の膨張というアンバランスを生むことになった。

それゆえ当面の事態への適切な対応とともに、国家の大計を打ち出すことが急務であると松下幸之助は主張していた。松下幸之助の考える未来像が小説「21世紀の日本」だ。

筆者も読んだが500ページの大作である。正直、松下幸之助自身が書いたものではないと思う。たぶんブレーンが書いたのだろう。

私の夢・日本の夢―21世紀の日本 (PHP文庫)私の夢・日本の夢―21世紀の日本 (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1994-11)
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「21世紀の日本」では、2010年に「最も理想的と思われる国はどこか」という国際世論調査を行ったところ、圧倒的第一位は日本を選んだというフィクションから始めている。

日本が世界一となった理由は、国民所得で世界トップクラクス、先進国の中では税率が低い、富の分配が公平、すべての国民の生活水準が高い等の経済的理由のほかに、「日本人のモラルやマナーのよさ」、「美しい自然」、「治安のよさ」、「青年が希望を持って生きている」、「老人が大切にされている」、「日本の皇室の存在」、「政治の安定」、「日本は世界に貢献している」などだったと。

「日本人のモラルやマナーのよさ」は東日本大震災で日本人が日本人の美徳として強く意識したところだ。その他の点も、今もなお理想の国のあるべき姿として妥当である。


政治改革のうねり

ところが松下幸之助がこのような理想国家論を発表した昭和51年にロッキード事件が起こり、まさに金権政治の醜い姿が明るみにでた。筆者は今も覚えているが、「1ピーナッツ」が100万円のワイロを意味し、全日空にロッキード・トライスターを買わせてくれという丸紅の要請に対し、田中角栄は「よっしゃ、よっしゃ」と答えたという。

このような政治の混迷にあたって、オピニオン誌として発刊したのが今なお発行されている昭和52年12月発刊の"VOICE"だ。

Voice (ボイス) 2011年 10月号 [雑誌]Voice (ボイス) 2011年 10月号 [雑誌]
PHP研究所(2011-09-10)
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昭和50年にソニーの盛田さん、京セラの稲盛さん、ウシオ電機の牛尾さん、学習院大学の香山健一教授、演出家の浅利慶太氏の5人がそろって松下幸之助の真々庵に来て、政治を改革する国民運動の必要性を説くが、結局立ち消えとなる。

たぶん江口さんもこの会合に参加したのだろう、その時の発言が10ページほどにわたりこの本に収録されている。

昭和50年には自民党の若きエース石原新太郎が3選を目指す美濃部亮吉都知事に対抗して都知事選に立候補するが、タカ派発言が災いして敗れた。石原現都知事も最初の挑戦では敗北したのだ。


松下政経塾構想

5人の提唱した「生活人大連合」は立ち消えとなったが、松下幸之助は昭和21年からあたためていたという政治家育成塾の構想を本格化させる。

当初は「繁栄政治研究所」という仮称だったが、最終的にこれが「松下政経塾」に変わり、文部省主管の財団法人として設立されたのは昭和54年のことだ。最初の運営資金は50億円、建物は20億円で、松下幸之助の全額出資というスタートだった。

次のような塾是、塾訓、5誓が定められ、応募資格は25歳以下(現在は22歳から35歳まで)、研修期間は5年、月13〜15万円の研修費と年2回の十数万円の特別研修費が支給されるというものだった。

松下整形塾塾是





松下政経塾での松下幸之助の教えについては、「松下幸之助翁82の教え」という本に詳しいので、今度この本のあらすじで紹介する。

松下幸之助翁82の教え―私たち塾生に語った熱き想い (小学館文庫)松下幸之助翁82の教え―私たち塾生に語った熱き想い (小学館文庫)
著者:小田 全宏
小学館(2001-10)
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第1期生30名の募集に対し、907名が応募し、3次選考の後、23名が内定した。江口さんも面接官として選考に参加した。松下幸之助から指示された選考基準は「運の強い人、愛嬌のある人」だったという。

その第1期生の一人が野田佳彦首相だ。

松下幸之助が研修期間を5年としたところに、松下幸之助の本当の狙いがあらわれている。

「政経塾を5年制にしたのはな、塾生たちに、わしの考えた人間観を彼らの体に染み込ませようと思ったからや。人間をどう捉えるか。これが、特に政治の出発点や。(中略)塾生たちがその「人間大事」の原点から、政治を考えられるようにせんといかん。」

松下幸之助の超ベストセラー「道をひらく」では、松下幸之助の人間観を具体的な事例を通して説明している。「人間は偉大な力、とてつもない能力を有している」という人間観が根本にある。

道をひらく道をひらく
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1968-05)
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そして松下幸之助が書き上げて「もう死んでもいい」と感想を漏らした本は、「人間を考える」だった。

人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1995-01)
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「人間大事」という正しい人間観を確立させるためには、5年間の修業が必要と松下幸之助は考えていたのだ。


松下政経塾の基本方針

塾の基本方針は次の通りだ。実際にどのような研修が行われていたのかは樽床伸二議員の「わが師、松下幸之助」に詳しく紹介されているので参照して欲しい

1.自修自得

2.切磋琢磨

3.万差億別

4.徳知体の3位一体研修

わが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子としてわが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子として
著者:樽床 伸二
PHP研究所(2003-03)
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松下政経塾出身者では昭和61年の衆議院選挙で逢沢一郎が当選し、塾出身のはじめての国会議員となった。その後増減はあったが、現在は自民党・民主党・地方首長に多くの人材を輩出し、そして今回1期生から野田佳彦総理大臣が誕生した。

松下政経塾は決して一本調子で伸びてきたわけではなく、平成2年の衆議院選挙では塾生6名が立候補したが、逢沢一郎のみが当選という結果となって、志望者が急減した。平成2年の第11期生は塾生はわずか3名となって存亡の危機に立たされた時期もあった。


幻の松下新党構想

最後に幻に終わった松下新党構想を紹介している。

松下幸之助は江口さんに「きみ、政党をつくろうと思うんやけど」と昭和50年ころから言いだし、総論賛成・各論反対のさまざまな人の影響を受けながら、昭和60年から具体的な準備作業を開始し、平成元年の参議院選挙を目標としていた。ところが松下幸之助が90歳という高齢もあり、その年の10月から病気がちになって新党構想は日の目をみなかった。


松下幸之助の著作や言動をたどりながら、松下政経塾設立、そして政治に対しての松下幸之助の思いををわかりやすく解説している。いつもながら江口さんの描写する松下幸之助の言葉は、ビビッドでまるで松下幸之助から話しかけられているようだ。

今後松下政経塾出身者の本はいくつかあるが、塾の設立関係者の話は珍しい。さすが松下幸之助の側近中の側近の江口克彦さんだけある。参考になる本だった。


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2006年04月29日

道をひらく 松下幸之助バイブル 毎日1ページ読む本

道をひらく


松下幸之助の1968年発行の累計400万部を越える超ベストセラー。

松下幸之助の言葉を紹介した江口克彦さんの『成功の法則』に刺激を受け、松下幸之助の代表作を読んでみた。

カーネギーの『道は開ける』は英語のオーディオブックで読んだ(聞いた)が、同じ様なタイトルで日本ではカーネギーの本以上に売れている松下幸之助の本があるとは知らなかった。

自分の不勉強を反省している。


道は開ける 新装版


この本は図書館で借りて読んだが、結論から言うと借りて読む本ではない。

松下幸之助が雑誌PHPの裏表紙に連載してきた短文のなかから、121編を選んでまとめたものなので、見開き2ページで一つの話となっている。

借りた本は1988年発行の第1版63刷だが、ポケット聖書の様な装丁だ。

手許に置いて毎日一つの話を読むというための装丁だ。

121編にものぼる短文集なので、いちいちあらすじを紹介できないが、印象に残った2つを紹介しておこう。

尚、以下はあらすじではない。一部省略してコンパクトにしたが、原文のままである。


働き方のくふう

額に汗して働く姿は尊い。だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。

人より1時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。だが、今までよりも1時間少なく働いて、今まで以上の成果を上げることも、また尊い。

そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。

それは創意がなくてはできない。くふうがなくてはできない。怠けろというのではない。楽をするくふうをしろというのである。

楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるだろう。


手を合わす

うどんの値段は同じであっても、客を大事にしてくれる店、まごころこもった親切な店には、人は自然に寄りついてくる。その反対に、客をぞんざいにし、礼儀もなければ作法もない。そんな店には、人の足は自然と遠ざかる。

客が食べ終わって出ていく後ろ姿に、しんそこ、ありがたく手を合わせて拝むような心持ち、そんな心持ちのうどん屋さんは、必ず成功するのである。

親切で、うまくて、早くて、そして客の後ろ姿に手を合わす ー この心がけの大切さは、何もうどん屋さんだけに限らないであろう。お互いによく考えたい。


シンプルだが、商売あるいは経営に携わる者にとって忘れてはならないことである。
筆者も早速アマゾンで注文した。自分のデスクに置き、毎日一話ずつ読んでいこうと思う。


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2006年04月15日

成功の法則 初めて読んだ松下幸之助の純金の言葉 感動で眠れませんでした

成功の法則―松下幸之助はなぜ成功したのか


(今回のあらすじは長いです)

ブログの更新に間があいてしまったが、実は長年貯めたユナイテッドのマイレージを24万マイル使って、家族4人で春休みを利用してサンフランシスコに旅行していた。

今回の帰りのフライトの中では3冊の本が読めたが、その内の一冊が松下幸之助の言葉を集めた『成功の法則』だ。

筆者は長年ビジネス書を中心に読んできたが、松下幸之助の本は読んだ事がなかった。

この本は松下幸之助自身が書いた本ではないが、松下幸之助の晩年22年間にわたり、ほとんど毎日朝から晩まで一緒に仕事をしてきたPHP研究所社長の江口克彦さんが、松下幸之助の教えを厳選して構成し、どうすれば成功できるのかという問いに答えようとするものだ。

帰りの飛行機の中で、この本を読んでいて感動で涙がにじんでくるとともに、全く眠れなかった。

今までカーネギーやスティーブン・コビーなどアメリカのビジネス書、稲盛和夫、大前研一、堺屋太一、野口悠紀夫などの数々のビジネス書を読破してきたと思いこんでいた自分が、『モグリ』であることがわかり、恥ずかしくなった。

松下幸之助は1989年に亡くなっているので死後17年たつが、全世界で何十万人もの人を雇用する松下グループの経営のみならず、PHP研究所を通しての文化活動、私財70億円を投じて始めた松下政経塾が前原前民主党代表や自民党の逢坂、伊藤副大臣はじめ、国会議員を多く輩出し、日本をより良い国へと変える原動力となりつつある。

松下幸之助は人類のよりよき未来の為にと語っているが、その残した功績は『永遠に不滅』といえるほど偉大である。

この本が最高なのは、松下幸之助のやわらかい和歌山弁のいいまわしをそのまま使って、松下幸之助自身が読者に直接語りかけてる様に構成してあることだ。

頭にスッと入ることといい、日本を代表する名経営者の発言をかいつまんで、わかりやすく構成していることといい、本当に絶妙である。


成功への道は一つ

江口さんは、まず成功の定義から入る。

たとえ金持ちにもならず、有名にならなかったとしても、持って生まれた人間的能力を100%発揮したとすれば、その人は成功したと言えるのではないかと。

松下幸之助はよく次のように話していた。

「きみなあ、成功の道というものは、いろいろの行き方があるけどね。でも結局のところ、おおむね同じじゃないかと思う。多少の違いはあっても、成功の道すじ、軌道というのは、だいたいにおいて決まっている。いわば共通性があるということや」

「だからその軌道から離れたら、みな失敗の道になっていく。個性によって多少違いはあるけれども、成功への道は一つだという感じがするな」

その成功法則を江口さんは次の6つの構成要素に分けて説明している。

1.熱意を持てば成功する
2.感動を与えられれば成功する
3.些細(ささい)を積み重ねれば成功する
4.育てる心を持てば成功する
5.責任を自覚すれば成功する
6.人間観を正しく持てば成功する

印象に残ったストーリーを紹介しよう。


熱意を持てば成功する

最初に出てくるのが熱意だ。

松下幸之助の有名な『ダム経営』というのは、川にダムをつくり水をためる様に、企業も余裕のある経営をしようという松下幸之助の持論だ。

ある講演会で、聴衆からどうすればダムができるのかを聞かれ、松下幸之助は「やはりまず大切なのは、ダム経営をやろうと思うことですな」と答えた。

会場からはなんだそんな事かと失笑が起こったが、聴衆の一人だった京セラの稲盛和夫さんは衝撃を受けた。

「何か簡単な方法を教えてくれというような生半可な考えでは経営はできない。まず『そうありたい、自分は経営をこうしよう』という強い願望を持つことが大切なのだ。そのことを松下さんが言っておられるのだと感じたとき非常に感動した」のだと。

正しい熱意のあるところ、必ず成功の道が開けてくる。自分の仕事を心底、好きになる事も必須である。

シンプルではあるが、真実を捉え、奥深い言葉だ。

筆者は『必ずできると思わないと100%失敗する』といつも言っているが、熱意と心の持ちよう、実際に信じ込むことが成功の不可欠要素であることは間違いないと思う。

松下さんのシンプルな言葉に稲盛さん同様、深い感動を覚えた。


感動を与えられれば成功する

松下さんの晩年22年間ほとんど毎日、朝から晩まで仕えた江口さんは、松下さんの「きみの声を聞きたかったんや」という一言で、この人の為ならどんなことでもなし遂げようと思った。

人に感動を与えることができれば、人はあなたのために動いてくれる様になる。人を感動させることができれば、成功への道は限りなく近くなるのだと。

江口さんがコロリときた言葉に次がある。

「きみ、身体に十分、気いつけや。わしはな、160歳まで生きるつもりや。それまで仕事をきみに手伝ってほしいんや。そうしてもらわんと、できへんのや。きみに手伝ってもらわんとあかんのに、わしより早く逝ったらあかんで」

一日の疲れは、大変な感動とともに、この言葉でいっぺんに吹き飛んでしまったものだと。


弱さからの出発

松下幸之助は小学校4年中退である。もともと素封家(そほうか)の家に生まれたが、父親が米相場に手を出して失敗し、いっぺんに貧困に陥り、家族みんなで大阪に働きに出ねばならず、帰る故郷もなくなった。さらに松下幸之助が28歳までに、親兄弟10人全員結核で死んでしまう。

松下幸之助自身も20歳の時に、肺結核の初期症状の肺尖カタルにかかり、結核にはならなかったものの、40歳過ぎくらいまでは寝たり起きたりの状態で、ずっと体に気を付けながらの94歳の生涯だった。

「衆知を集めて経営をしたのも、わしが学校出てなかったからやな。幸いにして、学校へ行っていないから、人に尋ねる以外ないことになり、それで経営も商売も、人に尋ねながらやってきた。それがうまくいったんやな」

「そう考えると、今日の、商売におけるわしの成功は、わし自身が凡人だったからと言えるやろな」

江口さんは、成功をめざす者は自分の弱さを認識し、平凡なことを誠実に熱意を持って積み重ねることによって、本当の強さを生み出していこうとすべきであるとまとめている。


部下の話を聞く

「ところで、きみ、部下の話に耳を傾けるということは大切やで。部下の話をきくと、えらい得をするよ」

部下に尋ねる、耳を傾けてほめる。内容よりも、来てくれた誠意をまずほめる。

「部下の話を聞くときに、心がけないといかんことは、部下の話の内容を評価して良いとか悪いとか言ったらあかん、ということやな。部下が責任者と話をする。提案を持ってきてくれる、その誠意と努力と勇気をほめんといかん」

「いい意見やな」

「きみの話は面白いな」

「そうすると部下はそれからなお勉強して、どんどん責任者のところへ話とか情報とか提案とか、そういう知恵を持ってきてくれるようになるんや。なんでもいいから部下に知恵を持ってきてもらう。それが大事やね」

江口さんは松下幸之助の言葉はメッキではなく、純金だったと。きわめて平凡なことばを使いながらも、相手の心を打つ。本当に思うことを、本当のことばで話していた。だからこそ多くの人が感動したのだろうと。

またたとえ他人から批判されても、大切な意見として聞けばその時批判は助言に変わるのだ。

「いい意見が聞けた。ありがたかったな。あの人の言うとおりや」と松下幸之助に言われると、批判していた人も「やっぱり松下さんは偉いねえ」と考えも変わってしまうのだった。


努力か運命か 反省と自責

「努力か運命か?運命が90パーセント、しかし残りの10%がその船の舵(かじ)となる」

「運命が90パーセントだから努力しなくていいということにはならんね。けれども、努力したから必ず成功すると考えてもあかんよ。しかし成功するには必ず努力が必要なんや」

「つまり、舵となる10パーセントでの人事の尽し方いかんによって、90パーセントの運命の現れ方が異なってくる」

松下幸之助は、物事がうまく運んだときは、「これは、運がよかったのだ」と考え、うまくいかなかったときは「その原因は自分にある」と考えるようにしてきたと。

「誰でもそうやけど、反省する人はきっと成功するな。ほんとうに正しく反省する。そうすると次になにをすべきか、なにをしたらいかんか、ということがきちんとわかるからな。それで成長していくわけや。人間として」。

松下幸之助は1日の終わり、寝る前の1時間をその日の反省に当てよとよく言っていたと。


些細(ささい)を積み重ねれば成功する

「きみ、電気ストーブのスイッチ、切れや」江口さんは松下幸之助から初めて注意された時に驚いたと。松下グループの総帥ともあろう人が、ストーブのスイッチを切るようなことにも一々指示を出す。

京都東山山麓の私邸『真々庵』でのもてなし前の細かい気配り、『人間を考える』という本を作ったときの100回を超える校正。細かい気配りは枚挙にいとまがない。

松下幸之助が最もよく受ける質問は、成功の秘訣についてというものだった。

理想を掲げることと、一歩一歩些細を積み重ねていくことが松下幸之助の成功の秘訣の車輪の両輪であった。

「正直なところ、私はそう遠い計画性を持ってやっておらなかったと思います。まあ、その日その日を大事に仕事をしてきたということが、私をして今日を成さしめたように思うのであります。」

と講演でも松下幸之助は語っていた。

一歩一歩を積み上げてというのは、あまりにも平凡ではあるが、その平凡なことを何十年も続け、些細を積み重ねるならば非凡な結果に変わるということだ。

私たちはついこの当たり前のことを忘れがちになるが、些細の積み重ねにこそ、成功の近道があるのだと江口さんは語る。


成功の秘訣は天地自然の理による

成功の秘訣は、「天地自然の理によるんですわ」、「雨が降れば、傘をさす、ということですわ」とも松下幸之助は答えていたと。

「経営はもともと成功するようになっておる。それが成功しないのは、経営者が自然の理法に則って仕事を進めておらんからや。やるべきことをやる。なすべからざることはやらない。そうしたことをキチッとやっておれば、経営は一面簡単なものや」

松下幸之助は素直な心になることであるという。

江口さんの体験に基づいた話がある。

有名な仏師の松久宗琳師は、テレビの取材に対して「自分は仏を彫っていない」と語ったと。

怪訝そうなインタビューアーに対して松久師は次に様に語ったと。

「木の中に、仏さまが見えるのです。だから私は、もともと木の中にいらっしゃる仏さまの、その周りの埃(ほこり)を取り払っているだけで、彫っているのではないのです」

松下幸之助の言う『素直な心』も同じ境地だ。

稲盛和夫さんは「私心なかりしや」と自問していたと表現していたが、同じことだろう。だから反省が大事なのだ。


経営の第一ボタン

「人間は偉大な存在である。いわばこの宇宙においては王者だ。ええか、きみ、経営をしておっても、どの人も王者だ、という考え方を根底に持っておらんとあかん。そこが大事やで」

「社員の誰に対しても、ああ、この人はすばらしい存在なんや、偉大な力を持った人なんやと考えないといかんね」

「それを、これはたいした人間ではないとか、何も知らない新入社員やとか、力のないつまらない人やとか、そんな考えで、社員と話をしたらだめやな。むしろ、部下が偉く見える、という気分にならんとな」

「経営者にとっていちばん大事なのは、この人間観やな。この人間観は経営における第一ボタンやな。早い話、掛け違えるときちんと服がきれんと同じやがな」

経営の第一ボタン』という表現も秀逸で、まさに金言である。経営者のみならず、社会で生きるものは決して忘れてはいけない松下幸之助の遺言だと思う。


部下を育てられない上司は失格

「昔話で桃太郎というのがあるやろ。猿とキジと犬。みんな違うわね。違うから、それぞれの役割が生まれ、違うから鬼退治ができたわけやね」

個性豊かな社員をどう活用していくか、これが経営者の腕のみせどころである。

部下を育てられない人に責任者たる資格はない。

部下を育てるポイントは、”下にものをたずねる、∧針を明確に示す、8限を委譲する、ご尭阿気擦襪裡瓦弔任△襪函

特に重要なのは、方針を明確に示すことだ。


方針を明確に示す

方針を松下幸之助は3つにわけていた。基本理念、具体的目標、理想だ。

「わしはいままで長いあいだ経営というものに携わってきたけれど、方針というものをいつも明確にしてきたな。こういう考え方で経営をやるんだ、こういう具体的な目標を持って経営を進めるんだ、こういう夢をもっていこうやないか、と常に従業員たちに話し続けてきたんや」

松下幸之助は方針の土台となる基本理念から外れることを決して許さなかった。

江口さんが、方針に沿って成功したときは、大変ほめられた。

「きみは、わし以上の経営者や」

家に帰るとまた電話が掛かってきて。

「ようやった。大成功やったな」

方針に沿って失敗したときには慰めてくれた。

「きみ、心配せんでいいで」「あとはわしが引き受ける」

方針に沿わずして要領よく成功したときは、全くの無視。

方針に沿わずして失敗したときは、最悪。立たされたまま3時間を超える叱責だったと。

方針がはっきりせず、ただ細かい注意だけをする人が上司であれば、部下はやる気を失い、その部門が停滞してしまうことは必定であろうと江口さんは語る。

方針がはっきりしていればこそ、部下は力強く自由な活動ができるのである。まさに金言、筆者も肝に銘じます。


使命感

「経営者の心がまえとして、要求されるものはいろいろあると思うけれども、いちばん肝心なものというならば、経営についての使命感というものやな」

「基本となる使命感を、どの程度に持てるか、どの程度に自覚するかによって、経営のいっさいに変化が生じてくるからな」

「商売をするものの使命感は貧をなくすこと、貧をなくして人々を救うことや。この世から貧をなくすことがわしらの使命なんや。そこで悟ったんやな。わしなりに」

「そしてこれがわしの経営を進める基本の考えになった。そういうことがあって、わしは自分の事業を一段と力強く進めることができるようになったんや」


人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて


松下幸之助が完成したら死んでもいいと言って書いた本は『商売を考える』でもなく、『経営を考える』でもなく、『人間を考える』だった。松下幸之助が常に考えていたのは、人類の幸せだった。

この考えからつくったのが、PHP研究所であり、松下政経塾だ。

偉大な経営者であり、人道主義者でもある松下幸之助。その松下幸之助が直接語りかけてくれる教えが、この『成功の法則』だ。これが文庫なら540円で手に入る。

これほど安い自己投資はない。

是非是非一読をおすすめする。


追記:

あらすじが長くなりすぎるので、江口さんが好んで引用される「ハーマン・カーンて人知っているか」を3日続けて質問されたエピソードは続きを読むに記載した。松下幸之助の部下を育てる愛情がよくわかるので、ご興味あればご覧頂きたい。

また最後まで読んで頂いた方に、文庫版では見あたらない稲盛和夫さんの推薦の言葉を引用する。

「著者の江口克彦氏は、20数年にわたり松下幸之助さんの側近くで仕え、薫陶(くんとう)を受けてこられた。晩年の松下さんが、自分の遺志を託そうとした人物であることは、本書に収められたエピソードの行間から、自然と感じ取れる」

「私も生前、松下さんとは何回もお目にかかり、さまざまな教えを受けてきたが、その深い思索を実用的にまとめた本書は、成功への手引き書であるとともに、人生の手引き書としても、読者の参考になるだろう」

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Posted by yaori at 12:46Comments(2)TrackBack(0)