2011年11月10日

あぁ、監督 野村克也元監督の名将、奇将、珍将 メッタ切り

あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)あぁ、監督 ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)
著者:野村 克也
角川グループパブリッシング(2009-02-10)
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現役時代は南海で三冠王を達成し、南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた「生涯一捕手」を信条とする野村克也氏(ノムさん)の監督メッタ切り。「名将、奇将、珍将」という副題がついているが、手放しで名将としてほめているのは川上哲治さんくらいで、ほかはすべて何かしらケチをつけている。

2009年2月の第2回WBC開幕直前に出版された本なので、その当時の話も紹介している。


落合WBC監督?

落合がノムさんをWBCの監督に推薦したのだという。ノムさんは、逆に落合の名前はなぜ出ないのかとWBCの体制検討会議で発言したが、結局誰も落合の名前を出す人はいなかった。

結果は前年西武に負けて日本一を取れなかった巨人の原辰則監督に決まったわけだが、ノムさんは落合監督を一番評価しているという。

落合が評論家時代、ノムさんの率いる阪神のキャンプに来て、3−4時間も野球論議をしていったという。「野球界広しといえども、野球の話ができる人はほかにいないんですよね」と言っていた。落合のこの発言がいまのプロ野球界の状況を物語っているという。


プロは終着駅という選手が大多数

現役のときからノムさんは「素質を見込まれてプロに入ったのに、どうして努力しないのだろう」とよく思ったという。プロになるのが終着駅で、プロに入ったらホッとして向上心をなくしてしまい、持てる素質すら開花させられないで終わってしまう選手が大多数なのだと。

落合も同じことを「超・野球論2」で語っていたが、ノムさんもだれにも負けないくらい練習したと語る。それでもいくら練習をしても打率が伸びないという技術的限界にぶちあたったという。

要は相手ピッチャーのマークがきつくなったのだ。そのままでは2割5分しか打てない。3割を打つための残りの5分を埋めるのが、データの導入だった。

本当のプロの戦いは技術的限界の先にある。技術的限界を超えた「知力」の戦いなのだ。


監督代えたらチームは強くなる病

阪神は真弓監督を更迭し、またもや「監督を代えるだけでチームは強くなる」病が出てきそうな感じだ。

ノムさんが阪神の監督1年目の時に先日亡くなった久万オーナーに、球団の心臓部は編成部であり、10年近く低迷した理由は編成部にあると直談判したという。

オーナーはノムさんの訴えを聞き入れ、補強に力を入れて現場が野球に集中できるような環境をつくってくれた。だからノムさんの後の星野監督の1年目でセリーグ優勝できたのだと。


それにしても監督を神格化していないか?

この本では監督はあたかも補強、選手起用、試合の指揮のすべてに絶対的権力を持つような存在に書かれているが、今週ブラッド・ピット主演の映画が公開される「マネー・ボール」を読んだところなので、「本当にそうか?」という疑問がわいてくる。

マネー・ボール (RHブックス・プラス)マネー・ボール (RHブックス・プラス)
著者:マイケル・ルイス
武田ランダムハウスジャパン(2006-03-02)
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大リーグではゼネラルマネージャー(GM=日本でいえば球団社長か?)がいて、編成には絶対の権力を持っている。

監督は選手起用と試合の采配、つまり雇った選手をどう使うかが役目で、補強や新人獲得、つまりどの選手を雇うかはGMの役目と分担ができている。

新人獲得の場面に、監督が出て行って、最後の一押しをするというのはあるのかもしれないが、少なくとも誰を獲得するかという議論で監督が決断を下すべきではないと思う。

監督は自分の意見は言えるかもしれないが、数年で変わる監督が将来の戦力となる新人選手獲得の決定権を持っているというのは考えずらい。その意味で、この本には違和感を感じた。

ドラフト会議で指名が重なって監督がくじを引く場面が報道されるが、だからといって監督が決定権を持っているわけではないだろう。あまりにも監督を神格化しているのではないかと思う。

特に今回の日本ハムの栗山新監督就任や、中日の高木守道監督就任にも、軽さを感じてしまうところだ。


中日落合監督

監督の敵は、選手、ファン、オーナー、メディア。いずれもうまく使うという発想が大事だ。

その意味で落合監督は勘違いしているのではないかとノムさんは語る。

「どうも落合は勘違いしているのではないか。彼はグラウンドで結果を出せばいいと考えているようだが、それだけではプロ野球の監督として失格なのだ。いくら強くても、実際にファンが球場に足を運んでくれなければ、商売は成り立たないのである。

誰のおかげで自分が存在できるのか。ファンあってのプロ野球ということをいま一度考えてもらいたいのである。」


落合監督はセリーグで優勝し、CSも勝ち抜き、日本シリーズでも優勝する可能性があるにもかかわらず、今年で中日のユニフォームを脱ぐ。落合監督になって中日の人気が落ちて、観客動員数が減っていることがその理由だ。

ノムさんの懸念通りの展開となった。


ヤクルト古田前監督

古田が監督としてダメだったのは、プレーイングマネージャーとなる道を選択したことと、ヘッドコーチに投手出身で自分と親しい伊藤昭光を起用して、お友達内閣を作ってしまったたからだという。

スター選手だから自分中心の考え方をするので、周囲に感謝の念がない。野村さんに年賀状一枚送ってこないことがそれを象徴しているという。

まさに名選手、名監督ならずだ。


監督メッタ切り

この本でノムさんは多くの監督を批評している。詳しく書くと本を読んだときに興ざめなので、対象としている監督の名前だけ挙げておく。

三原脩(巨人、西鉄ライオンズ(現西武)、横浜をいずれも日本一にした)

鶴岡一人(南海ホークスで20年間監督。ただしノムさんは鶴岡組には入れてもらえなかった)

土井正三(オリックス監督時代にイチローを飼い殺し)

・恐怖と情感にあふれていた星野仙一

・財布を持ち歩かない絶対的指揮官・広岡達朗

・揃った戦力を使うのに卓越していた森祇晶

・人格者・王貞治

・監督して必要な6つのファクターをすべて持っていた川上哲治

ノムさんが本を読むきっかけとなった本


ノムさんの本は色々読んだが、ノムさんは本当に勉強家だと思う。そのノムさんが評論家となった時、多くの本を読むきっかけとなった本は、安岡正篤(まさひろ)の「活眼活学」だったという。

[新装版]活眼 活学(PHP文庫)[新装版]活眼 活学(PHP文庫)
著者:安岡 正篤
PHP研究所(2007-05-22)
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この本は筆者も読んだ。平易でわかりやすい。手軽な安岡正篤入門書である。


データ野球はどこを見るか?

最後にノムさんがどういったデータを見ているのか、さわりを紹介している。今週映画「マネーボール」を見るので、比較してみるのが楽しみだ。

たとえば:

・あるピッチャーはストレートを何球続けて投げるか

・ボールカウントごとの配球はどうなっているのか

・こういうアウトカウント、ボールカウント、ランナー位置ではどういう球種を投げてくるのか

・どういう状況でキャッチャーのサインに首を振ったか

・このバッターは空振りしたあと、どのようなスイングをしたのか


野球は心理戦でもある。ノムさんの放談が楽しめる本だった。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。



  
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2006年05月05日

野村ノート 野球技術も扱った人間論・組織論

野村ノート


(野球技術論の部分は続きを読むに第三部として記載しました)

2005年10月に発刊された楽天球団監督の野村克也氏の野球技術も扱った人間論・組織論。

元々は野村氏が阪神時代に書き、選手に配った『ノムラの考へ』という100ページあまりのメモがベースだが、単なる野球本ではない。

その証拠に本書の各章のタイトルは次の通りだ。ビジネス書、稲盛和夫さんの本といってもいいくらいの章題が並ぶ。

1.意識改革で組織は変わる
2.管理、指導は経験がベースとなる
3.指揮官の最初の仕事は戦力分析にある
4.才能は学から生まれる
5.中心なき組織は機能しない
6.組織はリーダーの力量以上には伸びない
7.指揮官の重要な仕事は人づくりである
8.人間学のない者に指導者の資格なし

上記の各章の並び方とは一致しないが、内容を整理すると、この本は次の三つの部分から成り立っているので、前回紹介した『無形の力』からの補足も加えて、あらすじをまとめてみる。

第一部 人間論・組織論
第二部 個別選手評
第三部 野球技術論(続きを読むに記載)


第一部 人間論・組織論

野村氏が監督として成功したのは、プレイングマネージャーの南海時代ではなく、1980年に引退し、長い評論家生活で十分知識を拡充し、1990年にヤクルトの監督となってからといえるだろう。

しかしヤクルト時代の野村監督の戦績を見ても圧倒的に強かった時期はない。

1990年 ヤクルト 5位
1991年 ヤクルト 3位
1992年 ヤクルト 優勝 
1993年 ヤクルト 優勝(日本一)
1994年 ヤクルト 4位
1995年 ヤクルト 優勝(日本一)
1996年 ヤクルト 4位
1997年 ヤクルト 優勝(日本一)
1998年 ヤクルト 4位(この年の優勝、日本一は筆者のひいきの横浜だ)

1999年 阪神   6位
2000年 阪神   6位
2001年 阪神   6位

ひところの巨人の様な九連覇とかはありえず、連覇した1992年、1993年を除いてはヤクルトは日本一となった翌年は4位というパターンを繰り返している。

大きな補強もせず、FA引き留めにも弱いヤクルトが年々そこそこの成績を残せているのは、中心選手が持つヤクルトの野球は他より進んでいるという優位感に他ならないのだと野村さんは説く。

弱者の戦略は『無形の力』なのであると。それは野球知識であり、優位感も含め様々な心の持ち方である。

野球選手は野球博士であるべきだと。たしかにプロ野球を見ていてもルールを完璧に理解したクレバーな頭脳プレイはさすがプロと思わせるものがある。

選手に優位感を持たせることも重要だ。

「うちは他のチームより進んだ野球をやっている」と選手に思わせ、データをもとに具体的な攻略法を選手に授けると、監督に対する信頼が芽生え、他チームに対しては優位感を持ち、チームにとって大きな効果を生むのだと。


感謝の心から始まる人づくりが最も重要

ヤクルトの2軍グラウンドに「おかげさまで」と書いた紙が貼ってあったという出だしからこの本は始まる。

「親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊が自分ではないのか」

『無形の力』を読み、野村さんの生い立ちを知ると、この言葉がいっそう重みを持ってくる。

今の選手に最も欠けているのが感謝の心であり、感謝こそが、人間が成長していくうえで、最も大切なものであると野村さんは説く。そして個人の成長の集大成がチームとしての発展に繋がっていくのだと。

選手には「人生」と「仕事」とは常に連動しており、人生論が確立されていないかぎり、いい仕事はできないことを覚え込ませる。

そして『無形の力』をつけるのだ。技量だけでは勝てない。情報収集と活用、観察力、分析力、判断力、決断力、先見力、ひらめき、鋭い勘などが『無形の力』だ。

よい監督は、まずは選手たちの人づくりに励む。楽天の一年目を引き受けた田尾監督以下のチーム首脳は全く人づくりを行っていなかった。息子のカツノリ氏から楽天一年目のキャンプの話を聞き、これではダメだと予想していたと。

もともと監督と選手の立場は正反対で、監督はチーム優先で考えているのに対して、選手は個人主義である。

ところが、選手は自分の存在意義を知ってくれる人がいれば、「この人のために死んでもかまわない」と思えてしまうから不思議だと。

「士(さむらい)は己を知る者の為に死す」という言葉があるが、リーダーのためという思いから、チーム優先に変われるのである。それが強いチームをつくる為の人づくりなのだ。


決断と判断とは異なる

この話は筆者にとっては目からウロコという思いだ。

野村さんは監督になったばかりの頃は、『決断』と『判断』というふたつの言葉を混同していたが、二つは異なるものだと。

『決断』は賭けで、何に賭けるか根拠が求められ、責任は自分で取る度量がなければならない。

一方『判断』は基準に従って判断するものだ。知識量や修羅場経験がものをいう。

例えば投手の継投タイミングを決めるのが『判断』であり、完全に監督の判断能力が問われる。

いざという場面でどうしても情が出てしまうのが野村さんの欠点であると。「なんとか勝たせてやりたい」という気持ちが出てしまい失敗することが多いと。

ビジネスでも『決断』なのか、『判断』なのかを区別して考えれば、おのずと頭がきれいに整理できることが多いと思う。


理想のチームはV9時代の川上巨人

チームづくりの終着はまとまりであると。その意味でV9時代の川上巨人はまさに適材適所であると。

野村さんの頭のなかには常にV9巨人のオーダーがあり、それに自分のチームを近づけるにはどうしたらよいかと考えたと。ホームラン打者ばかりそろえてもダメなのだ。


野村監督は詰めが甘い?

野村さんが阪神の監督を三年で辞めるとき、次期監督は星野さんしかいないとフロントに進言して、阪神星野監督が実現した。

星野監督になって2年目に阪神がリーグ優勝したとき、阪神の久万オーナーからは、「野村君と星野君には決定的な違いがある」と言われたと、「野村君は詰めが甘いよ」と。

たしかに星野さんは金本をみずから口説き、フロントに伊良部を獲らせ、自分のパイプでムーアなど、外国人を獲得し、コーチ、選手もチームの3分の1近くを入れ替え、金もつかって別物と言ってもいい阪神を作り上げた。

野村さんは金を使わないという球団方針に真っ向から反対せず、藤本や赤星などドラフトの下位で獲れる選手獲得に口をだした程度であるが、星野さんは多額の費用を掛け、かつ自ら動いて投打の大物を集めた。

野村さんの本には書いていないが、星野さんがみずから口説いた金本が、阪神のチームリーダーとなったことが、阪神の意識改革の上で大きいとNHKなどのマスコミは解説している。

ストイックに練習に励み、38歳となった今もウェイトトレーニングで自分の体をいじめぬく姿を、他の選手は見ているのだ。

野村阪神時代にはいなかった金本というチームリーダーの存在に加えて、筆者は副官となるコーチやスタッフ陣の違いも大きいと思う。

野村さんには野村マフィア的な右腕、左腕となる副官がいないが、星野さんはそれがいて、『チーム星野』として阪神の建て直しにあたったことで、大きな差がついたのではないかと見ている。

現在の楽天監督の野村さんには阪神時代と同様、頼りとなるチームリーダーと副官が不足している。このままだと、また阪神の三年連続最下位の再現となるのでないか。

チーム建て直しも、会社建て直しも組織運営という意味では同じだ。いかに強力なリーダーであっても、ワンマンがどうこうできる時代ではない。それこそV9巨人の様な様々な持ち味を持った再建チームと、選手をまとめることができるチームリーダーができるかどうかが、楽天球団の浮上のカギとなると思う。


第二部 個別選手評

イチロー

イチローは最初に見たときから良い選手だと感じたので、なかなか土井正三監督が使わないのが解せなかったと。

イチローが天才であることは間違いないが、同時にすごい努力家である。イチローはマシン相手に一日中打っている。

野村さんの好きな言葉に「小事が大事を生む」というのがあるが、イチローも「頂点に立つということは小さなことの積み重ねだ」と言っていたと。イチローの発言はまさに野村さんの野球観に通じており、感銘を受けたと。

また「打席のなかで注意しているのはワンポイントだけ、常に左肩を意識している」という言葉にも感銘を受けたと。体が開かない様に、『打撃の壁』を意識しているわけだ。

イチローは、「ぼくは違います。変化球をマークして、真っ直ぐについていく、これがぼくの理想です」と語っていたと。すごいことだと。

たしかにイチローの天才的バットさばきを見ると、変化球をマークし、直球についていくということを実践しているのだと思う。

1995年ヤクルトがオリックスと対戦した日本シリーズでは、事前のスコアラーの情報では、イチローには全く弱点が見あたらないとのことだから、イチローの内角攻めの意識を高めるべく、野村さんはテレビや新聞のインタビューで「イチローは内角に弱点がある」と言い続けたのだと。

古田などは対策に困っていたので、もっと言ってくださいよと言ってきたと。

日本シリーズ中のイチローはシーズン中のイチローとは別人で、完全に壁を崩していたので、外角を中心に攻略し、2割6分に抑えることができた。ささやき戦術でヤクルトは優勝できたのだと。

もっとも筆者はこの野村さんの説明には異議がある。筆者の記憶では、この年の日本シリーズが始まる直前に、野村さんはたしか「イチローの振り子打法は打つ時に足がバッターボックスから出ているので、ルール違反だ」とマスコミでぶち挙げたはずだ。

これがイチローへのプレッシャーとなり、イチローを押さえ込むことができたのではないかと記憶している。ビーンボールの様なことをするなと当時感じたものだ。


古田敦也監督に対する複雑な感情

古田は野村さんに年賀状もよこさないと。つまり冒頭に出てきた『感謝の心』がないと、野村さんは言いたいのだろう。だから正直、古田が野村さんのことをどう思っているのかわからないと。

古田は過信家といってもいいほど自己中心的な性格をしているが、ことリードという点では探求心、向上心があった。なにより野球に対するセンスが良く、頭脳明晰であると。

筆者は古田がスポーツマンNo. 1決定戦などに出演したのを見たことがあるが、記憶力クイズなどでは抜群の強さだ。

野村さんは自分が古田を育てたという気持ちがある。

新人の古田に対し「8番キャッチャーのレギュラーをおまえにやる。バッティングは頑張って2割5分打て。だからその分配球術を勉強しろ」と、野村監督のすぐ前に座らせて勉強させ、ピンチの時はベンチから野村監督がサインをだすこともあったと。

人間教育以外にも全身全霊をこめてあらゆる指導をし、超一流まで育て上げたという気持ちがあるために、求めるものが大きいのかもしれないと。


現役選手への辛口批評

阿倍のリード、松阪の投球フォームと腕の振り、上原の自己中心的性格(古くは鈴木啓示、村山実がそうだったと)、石井一久のすぐキレる性格、城島のおおざっぱなリードなどを辛口批評している。


野村さんの呼ぶ三悪人

江本、江夏、門田。これが野村さんの呼ぶ三悪人だ。いずれも扱いにくい選手で、江本、門田とは腹を割ってうち解けることはなかったが、クセのある選手を悩みながら指導し、人間教育をしたのだと。

江夏は阪神で甘やかされ、南海に来たときはすねていたが、野村さんが言いにくいことも言い、厳しく接したり、叱ったりで愛情を持って接して、二人でストッパー革命を起こそうと奮起させた。

ひじを壊していた江夏に自分の経験から腕立て伏せが良いとすすめ、ひじの痛みをなくさせ、再起させたが、血行障害で50球しか投げられないとわかると、こんどはストッパーとして成功させた。

江本には身だしなみからはじまり、人間教育につとめた。

門田には「全部ホームランを狙う」という思い違いを、王選手に引き合わせることにより是正しようとした。

王さんは「門田君はいつもホームラン狙っているの? 自分の能力、自分のもっているものを出し切って、結果は神にゆだねる。その結果がホームランになったり、ヒットになったり、凡打だったり、バッティングとはそういうものだよ」と言っていたと。

門田はそれでも信じなかったそうだ。

ホームランは麻薬の様なもので、ホームランを打つとその後、体が無意識にホームランを欲しがるようになると。

韓国でホームラン王だった李スンヨプが、一年目、二年間は日本で全くダメだったのは、このホームランへの思いこみがあったからなのではないかと筆者は感じる。


野球は心理のスポーツ 間のスポーツ 

最後に野村さんは野球は『間のスポーツ』であると語る。しかし最近のテレビ中継や新聞報道では、こうした野球の妙が欠落していると。

解説者はただ選手を褒めちぎり、結果論だけで選手を評価する。評価の基準も根拠も見あたらないと。

野球が『心理のスポーツ』であるという本質を、この本を読むことで知って欲しいと野村さんは言う。

たしかにプロはこういう心理戦、配球の読みで戦っているのかとよくわかり、考えさせられる本であった。

付録についている81コマに区切ったストライクゾーンとそれからボール2個分はずれたボールゾーンを使っての配球説明といい、さすがプロは違うと思わせる。

野球の面白さをあらたに味わえ、ビジネス書としても参考になる良い本であった。


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2006年05月04日

無形の力 楽天を応援しようという気になる野村克也氏の私の履歴書

無形の力―私の履歴書


2006年から楽天球団の監督になった野村克也氏が日経新聞に連載した『私の履歴書』。

次回紹介する『野村ノート』が野球論をベースにしたビジネス書であるのに対して、こちらはまさに野村さんの経歴と野球観。

野村克也氏に関するウィキペディアの説明も非常に良くできているので、是非クリックしてご覧頂きたい。

この本のタイトルとなっている『無形の力』というのは楽天球団のスローガンで、宮城フルキャストスタジアムにも横断幕が掲げられている。

野村克也氏は監督経験も長いが、評論家時代も長かったので、野球関係者としては驚くほど多作だ。アマゾンで『野村克也』で検索すると、自らの著書中心に41件がヒットする。

たぶん次に多作と思われる野球評論家の『豊田泰光』でアマゾン検索すると12件なので、野球関係者の著作の多さではたぶんトップではないか。

ちなみに『長嶋茂雄』でアマゾン検索すると、長嶋さん自らの著作はほとんどないが、長嶋論的な本が多数出ており、ヒット数は80件にものぼる。やはり話題性では長嶋さんがトップなのだろう。

また『王貞治』では23件ヒットし、王さん自身が書いた『少年野球』という本も出てくる。いかにも少年野球育成に力を入れた王さんらしい。

アマゾン検索だけでも結構いろいろなことがわかるものだ。

ちなみに野村さんの著作の中には『女房はドーベルマン』という面白いタイトルの本もある。


女房はドーベルマン


サッチーで知られる奥さん野村沙知代さんが人生の伴侶として、野村さんの不可欠のパートナーであることが、この『無形の力』からもよくわかる。


野村さんの経歴

野村さんは天橋立に近い京都府網野町で生まれた。父親が野村さんが3歳の時に中国で戦死、母子家庭として貧困の中で育つ。イモや雑穀混じりのご飯が常で、コメのメシなどほとんど食べたことがなかったと。

中学卒業時に家庭が貧しいので、母親から就職するように頼まれるが、学業優秀だったお兄さんが、自分が大学進学を断念して就職するので、野村さんを高校に進学させてくれと頼んでくれ、峰山高校に進学することができた。

野球を本格的に始めたのは中学2年からで、キャッチャーで4番だった。大人顔負けの飛距離で中学でも高校でも頭角を現し、高校の野球部長の紹介でキャッチャーの弱かった南海の入団テストを受ける。

肩が弱かったので90メートルの遠投ができなかったが、審査員の温情で内緒で遠投ラインを5メートルほど越えて投げさせて貰い合格する。

なんとか入団したが、収入は驚くほど低かった。2年目で解雇されそうになるが、泣いて頼んで残して貰う。

必死に練習し、当時野球に悪影響があるという迷信のあった筋力トレーニングをひそかに実施して弱肩を克服、3年目から1軍のレギュラー捕手の地位を確保した。

母親を早く楽にさせたいという一念が、野村さんの成功の最大の原動力だ。

努力を重ね、弱点を克服する一方、観察力を磨き、テッド・ウィリアムスの『打撃論』を読んで、打てなかったカーブも投手の小さな変化、クセを見逃さないことで打てるようになる。

1960年からは『野村メモ』を取り始める。

それまで歯が立たなかった大投手稲尾も、クセを発見して3割近くまで打ち込むことができるが、同僚の杉浦がオールスターで3人一緒になった時に、稲尾にばらしてしまう。

『野村が投手のクセを見ている』といううわさはすぐに他チームに知れ渡り、投手が振りかぶる時にグラブでボールを隠すようになり、クセを封印したので、その後は配球の読みの勝負となった。

それ以来チームメートにも企業秘密は絶対に口にしないと心に決めたと。

南海での8年連続ホームラン王、6年連続の打点王、1965年の三冠王など、それからはサクセスストーリーだ。

この本ではその時々の対戦相手、同僚との逸話が紹介されており面白い。


南海プレイングマネージャー時代

1970年から南海でプレイングマネージャーとなり、1977年にサッチーの件で解任されるまで、優勝一回、在任八年間で、Aクラス六年という実績を残した。

監督を辞めるときの言葉が「長嶋や王はひまわり。自分は月見草」だ。

南海時代に影響を受けたのはヘッドコーチのブレイザーだと。

ブレイザーは後に『シンキング・ベースボール』を出版したが、大リーグではここまで考えて野球をしているのかと、南海の全員が驚いた。

たとえば「ヒットエンドランの時は、二塁手かショートのどちらが二塁カバーに入るか一塁ランナーはスタートを切るふりをして確かめろ。打者はそれを見て、ベースカバーに入る方へ打球を転がせ」といった具合だ。

今でこそ常識となっているが、当時は画期的なことで、自分たちは高度な野球をしているのだという自信になり、ブレイザーの教えがヒントとなって野村さんは野球哲学を確立した。

山内、江本、江夏を再生し、野村再生工場と言われたのも南海監督時代からだ。

監督退任後、ロッテ、西武で現役を続け、試合の締めくくりに登場し『セーブ捕手』という言葉ができるほどだったが、ある時8回1死満塁で代打を送られた時に「代打策が失敗するように」とチームの不幸を祈る自分に気がつき、引退を決意する。

1980年に引退した後は、解説者/評論家となり多くの本を読み、気に入った文章はノートに書き写すことで、『ノムラの考へ』を作り上げていった。

ストライクゾーンを9マスに区切った『野村スコープ』で配球をテレビ解説したのもこのころだ。

ヤクルト監督として返り咲き

評論家生活も9年めとなった1989年にヤクルト球団相馬社長が訪ねてくる。

「野村さんの解説を聞いたり、論評を読んだりして感心していました。うちの選手に野球の神髄を教えてやってくれませんか」と。

ヤクルトでは「一年目にまいた種を二年目に水をやり、三年目に咲かせる」という約束を見事実現する。

古田に対する英才教育を始め、チーム全員に野村ID(Important Data)野球を熱心に指導することにより、ヤクルトは考える野球、他より進んでいる野球をやっているという優越意識を植え付け、九年間で4回優勝、うち日本一3回を達成する。

ヤクルト監督を生え抜きの若松に譲り、辞任したあと、すぐに阪神から監督就任要請が来る。


阪神監督では成果があらわれず

阪神久万オーナーが出馬して「私が直接出てきて監督就任をお願いするのは野村さんが初めてです。」

「今タイガースはどん底にあります。来年、一からスタートするのに当たり、監督にふさわしいのは野村さんしかいない。野村さんは球界の第一人者。あなたの右にでるものはいません」と美辞麗句を並び立てる。

「すべて野村監督の言う通りにする」とのオーナーの言質を持って、万年最下位チームを立て直そうとするが、長年の甘やかされ体質を改善できず三年間最下位で監督退任。

しかし野村さんが次期監督に推薦した星野仙一監督が野村路線を引き継ぎ、戦力増強と熱血指導で選手をのせ、チーム改革に力をそそいだ結果、就任二年目で優勝。

野村さんはその後知人のシダックス志太会長に請われ、社会人野球の監督を3年勤めた後、2006年からは楽天に招聘され、監督となる。


今年は楽天監督だ

2005年に誕生した楽天球団ではあるが、全く『野球に対するチームの骨格』ができていない状態で、野村さんは『一からの出発ではなく、ゼロからの出発である』と語る。

優勝をねらえる球団にするにはまだまだ時間が掛かるが、野村さんの経験や知識を伝えていけば、チームとしての基礎づくりができると信じて火中の栗を拾うことにしたのだと。

野村さんは弱小球団に縁があると語るが、弱者の戦略。それが『無形の力』である。観察力、分析力、判断力、記憶力、決断力を磨いて活路を見いだすのである。

野村さんは阪神時代の失敗からも学んだ。リーダーには統率力、指導力の二つの力が必要だが、その根本にあるのが選手との信頼関係であると。

裸の王様ではどんな優れたリーダーでも力を発揮できないのだと語る。


母子家庭の貧困から出発し、ハングリー精神で必死に努力し、勉強して過去の失敗に学ぶ野村克也監督。2006年に楽天球団がどう変わるか、期待して見守りたいという気持ちにさせる好感の持てる野村さんの履歴書だった。

『ささやき戦術』にも長嶋さんは無反応だが、人の良い王さんとは会話がはずむなど、長嶋さん、王さんらしい逸話も載っている。面白く読める本だった。


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