2016年11月13日

【再掲】トランプ 次期アメリカ大統領に! やはり米国民はチェンジを選んだ

トランプが大統領に当選した。獲得票数ではヒラリーが上回っていたが、米国の選挙制度は州の選挙人総取り制度なので、トランプが過半数を上回る選挙人数を獲得して当選した。

筆者の本件に関する見方は選挙前と変わっていない。

やはり米国民は”チェンジ”を選んだ。民主党でなく、共和党を選んだ。その共和党の代表がトランプだったということだ。

トランプがこの本で公約したことが、すべてそのまま実現するとは思わないが、再度トランプの言っていたことを紹介するために、このあらすじを再掲する




米国大統領選挙が11月8日(火)にせまっている。民主党のヒラリー・クリントン、共和党のドナルド・トランプ、いずれが大統領になっても、史上最低の大統領となるのではないかという気がする。

バラク・オバマも、大統領になる前に筆者は期待を込めて、オバマの「マイ・ドリーム」「合衆国再生」の2冊のあらすじを紹介している。

この本の帯に、トランプは「次期アメリカ大統領に最も近い男」として、紹介されている。たしかに、相手のヒラリー・クリントンは女性なので、トランプが”もっとも近い男”であることは間違いない。

だから、トランプには期待していないが、トランプの自伝のあらすじを紹介する。

同じく本の帯に、”救世主か”、”詐欺師!か”、”日本の敵か”、”味方か”という文句も載っている。

日経新聞では「もしトラ」という、もしトランプが大統領になったらというシリーズを立ち上げて、半信半疑で予行演習している。みんなトランプが大統領になったら…という一抹の不安を持っているからだ。

この本は、図書館の新刊書コーナーに置いてあったので、読んでみた。米国大統領の座を争っている候補者の本が新刊書コーナーに置いてあっても、誰も手を出さないということは、トランプが大統領になんてならないと、みんな思っているからだろう。

しかし、この本を読んで、”ひょっとして”ということもあるかもしれないと思えてきた。というのは、トランプが言っていることは、オバマが8年前に言っていたことと同じだからだ。

”チェンジ”である。

トランプは”チェンジ”という言葉は使わないが、オバマがこの8年間で、失政を積み重ねて、米国を現在のような状態にまで追い込んだ。自分は「オバマケア」など、オバマのやった多くのことをすぐに廃止する。私は、米国が再び偉大な国になるまで、祖国のために戦い続けるのだと主張している。

この本の原題は、"Crippled America"(訳すと”障害者アメリカ”となる)だ。原著は、わざと怒っているトランプの写真を表紙にしている。



オバマ政権に対する民衆の失望を自分の力にしようというトランプの作戦だ。

外交政策

この本でトランプは、メキシコとの国境に壁を作って、不法移民をシャットアウトするという政策を繰り返している。国境の地形から、壁が必要なのはせいぜい1,600キロで、すでにアリゾナのユマにモデルとなる長さ192キロの壁ができているという。

ユマ・セクターと呼ばれる壁ができてからは、不法入国を試みて逮捕された人の数は72%減少したという。

「建設資金はメキシコに絶対に払わせる。」

「国境に関する様々な費用を値上げしたり、ビザ手数料を値上げしたり、関税を変えたり、メキシコへの海外支援を打ち切ってもよい。」

「私は移民を愛している。移民受け入れには積極的だが、不法移民はお断りだ。」

「米国は法治国家かそうでないかをはっきりさせる。口先だけで行動を起こさない政治家にはうんざりだ」。

トランプは、生得市民権にも反対だ。「なぜ米国で生まれたからといって、不法移民の子供にまで自動的に市民権を付与しなければならないのか。」

「もともと合衆国憲法修正第14条は、南北戦争後に解放された奴隷に市民権を付与することが目的だったのだ」。

防衛政策

トランプは、米軍を強化する。

「中東その他における米軍の軍事政策があまりに弱腰なために、誰も我々を信じようとしない。」

「はっきり言っておこう、米国は今後、米国史上最強の存在となる。兵士たちは最高の武器と防御装備を供与される。兵士たちは米国の英雄だ。だが現政権はそのことをすっかり忘れている。」

「サウジアラビアにも、ドイツにも、日本も韓国にもイギリスでも米軍はただ働きで安全を守っている。」

「米国に守られている国々は、正当な金額を我々に支払うべきだ。私に舵取りをさせれば、彼らに必ず払わせる!」

トランプは、ニューヨークの学校でトラブルメーカーだったので、ニューヨーク・ミリタリー・アカデミーに送られ、そこを卒業している。最終的にはペンシルベニア大学MBAコースのウォートン・スクールを卒業している。

「オバマ大統領のイランとの交渉は、私が知る限り最悪のものだ。あれ以上まずいやり方は不可能だろう。
どんな犠牲を払おうと、どんな手段を用いようと、イランに核兵器を作らせてはならない。」

「私は以前から、ユダヤ人を愛し、尊敬し、イスラエルと特別な関係を結ぶことに賛成してきた。米国の次期大統領は、伝統的に強固なイスラエルとのパートナーシップを再建しなければならない。」

「中国は敵以外の何者でもない。彼らは低賃金労働者を利用して我々の産業を破壊し、数万人の仕事を奪い、我々のビジネスをスパイし、テクノロジーを盗み、自国の通貨を操作し、切り下げることによって中国市場での米国製品の価格をつり上げ、時には販売不能に追い込んだ。」

内政について

トランプは再生可能エネルギー開発に反対だ。

「そもそも再生可能エネルギーの開発は、地球の気象変化は二酸化炭素の排出が原因だとする誤った動機から始まっていた。ソーラーパネルは確かに効果はあるが、経済的には無価値だ。」

トランプはオバマケアは即刻廃止すべきだと主張する。

「疑問の余地はない。オバマケアは大災害だ。」

「民主党が『オバマケア』を無理やり成立させたやり方を思い出すと私は今でも怒りに震える。」

「私ほどビジネスというものを理解している人間はいない。より良い保険により安く加入したいのなら、消費者のために保険会社を競合させることだ。私の理屈通りに事を運べば、我が国の医療制度も、そして経済もすぐに上向くだろう。」

経済政策

経済政策については、トランプは「経済こそが大事なのだ。愚か者め」という題の章を設けているが、内容は抽象的で、具体策はない。

「私は金持ちだ。半端でない金持ちだ」、と言い出したかと思うと。

(本の最後にトランプのバランスシートが掲載されている。それによると総資産が92億ドル、負債5億ドル、純資産87億ドルとなっている。トランプは過去5年間で、1億ドル以上寄付したという)

「社会保障に手を付けるべきではない。議論の余地は全くない。」

と高齢者にリップサービスをして。

「米国に仕事がない。仕事が消え去ってしまったのだ。だから、中国、日本、メキシコといった国々から雇用を取り戻さなければならない。」

この章の最後はこんな終わり方だ。

「そして今、私は米国のために戦う。私は米国に再び勝利して欲しいと願っている。そしてそれは可能なのだ。
我々がすべきことは、勝利のために専心し、かつて『メイド・イン・アメリカ』が持っていた名誉を取り戻すことだ。」

(筆者コメント:具体策はなにもない。米国企業が外国に生産を移しているのは、経済合理性のためであり、外国製品を買っているのは、ほかならぬ米国民だ。これでは何をすればいいのかわからない、と言っているのと同じことだろう)。

「ナイスガイは一番になれる」

「ナイスガイは一番になれる」という章もある。

断っておくが私は「ナイスガイ」だ。本当だ。」

この章で出てくる例は、メイシーズのCEOと長年良い関係を結んできたが、トランプのメキシコに関する発言で、メイシーズはトランプとの関係を断つとプレスリリースした、とか、NBCはトランプの関係するミスユニバースなどのショーのオンエアを拒否したので、トランプが訴えた、とかいった話だ。

おまけに、

「言っておくが私の髪はすべて自毛である。」

武器を持つ権利

トランプは武装する権利を擁護する。

合衆国憲法修正第2条は、市民が武器を保有し、携帯する権利を保障している。トランプ自身も武器を持っており、銃の「コンシールド・キャリー」(外から見えないようにしていれば銃を持ち歩ける)の許可証も持っていると。

(筆者コメント:これで一定のNRA票は確保できるだろう)。

メディアやロビイストを相手にしない

トランプは、メディアとは常に敵対している。また、選挙運動はすべて自分の金で運営しているので、ロビイストの入り込む余地はないと。

「メディアというものは恥ずかしげもなく嘘をつき、ニュースを捻じ曲げてしまうのだ。あらゆる世論調査が、人々がもはやメディアを信用していないことを示している。」

税制

トランプは、「私ほど税法を理解している政治家は他にいない。米国の税制はすべての米国人にとってフェアで、もっとシンプルな制度に変えなければならない」という。

トランプの税制改革案は、0%、19%、20%、25%の4つの税率にする。さらに。相続税をなくす、というものだ。金を稼いだのは故人で、税金はすでに支払われているからだ。

大金持ちの控除の多くは廃止するというが、相続税をなくすことは、大金持ち優遇とみられても仕方がないだろう。

しかし、減税につながる税制改革案は一定の支持が得られるだろう。

過去のセクハラ

ヒラリー陣営から過去のセクハラを攻撃されている。これについては、トランプ自身は次のように言っている。

「私は、自分の今までの女性への接し方を、これ以上ないほど誇りに思っている。」

この件に関してもっとも的確な意見を行けるのは、娘のイヴァンカだろう。私の子供たちは私のために働いているだけでなく、私が批判された時には真っ先に弁護してくれる。このことも私にとって大きな誇りだ。


この本で、あきらかに、トランプは保守派、中産階級、労働者階級、高齢者の票にターゲットを絞って、これらの人へのリップサービスに努めている。オバマ=民主党より、ましではないかと思わせたいのだろう。

今回の大統領選挙の結果は、まともにいけばヒラリーの勝ちだろうが、議会でも少数派となっている民主党から米国民の支持が離れている傾向があるので、民主党から再び大統領がでるかどうか予断は禁物である。

大統領選挙が終わるまでの賞味期限の本かもしれないが、トランプの主張はよく理解できた。

とりあえずは、あまり積極的に読む必要はない本なので、上記あらすじを参考にしてほしい。


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2015年06月02日

【再掲】政治と秋刀魚 日本政治研究者 ジェラルド・カーティスさんの本

2015年6月2日追記:


会社でジェラルド・カーティスさんの講演を聞いた。日本語堪能で、見かけは外人だが、話す言葉は日本人と変わらない。

現在の安倍内閣の安保法制の改定、集団的自衛権の解釈変更は、1960年代の日米安保条約改正と同じくらい大きな意味を持つとカーティスさんは強調していた。

日本は経済大国でありながら、軍事大国でない世界でも珍しい例だったが、これからは米国はもちろん、東アジア諸国、オーストラリア、インドなどと連携して、台頭する中国に対抗する構図となるだろうと。

米国のオバマ政権については、カーティスさんは、オバマ氏は所詮政治家ではないこと(弁護士あがりの雄弁家という位置づけ)、戦略がないことが最大の問題点であると語っていた。

カーティスさんが学生時代に日本に来て学んだ「根回し」などは、オバマ氏には無縁で、あの手この手で戦略的に事を運んで、相手を説得する力が弱いと言っていた。

日中関係では、安倍首相の戦後70年の談話が鍵になると語っていた。

安倍首相が靖国神社に参拝したことで、中韓のみならず、米国も嫌悪感を示したのは、なにもわざわざ中韓を刺激して、東アジアに緊張を招かなくてもよいだろうという意思表示だったと。

特に、中国の戦勝記念日の9月3日に中国に行って、先の大戦は日本の侵略戦争であったと認めるような発言をすれば、現在の日中間の問題は解決するだろうと語っていた。

安倍首相がそんなことを認める発言をするとは到底思えないが、冷静に考えれば、いくら米国主導のABCDブロックのせいで、石油を求めて自衛のための戦争を強いられたといっても、金を払わずに、資源を武力で確保しようとしたことは「侵略」という定義にあたるのではないかと思う。

そんなことを考えさせられた。

なかなか参考になる講演だった。カーティスさんの代表作の「政治と秋刀魚」のあらすじを再掲する。


2013年1月30日初掲:

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年
著者:ジェラルド・カーティス
日経BP社(2008-04-10)
販売元:Amazon.co.jp

東京オリンピックの年(1964年)に初来日して以来、45年以上、日本の政治を研究してきた米国コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授の本。

カーティスさんはニューヨーク生まれ。ニューメキシコ大学を卒業後、ニューヨークのコロンビア大学の大学院生だった時に、第2次世界大戦前の最後の駐日米国大使だったジョセフ・グルーについての論文を書くことになったのが日本研究のスタートだった。

グル―については、グル―の伝記のあらすじを参照してほしい。

グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)
著者:廣部 泉
ミネルヴァ書房(2011-05-06)
販売元:Amazon.co.jp


米国の日本研究家は3世代

カーティスさんによると、米国の日本研究者は次の3世代に分類できるという。

第1世代:戦前の日本研究者で、ハーバード大学で歴史を教え、ケネディ大統領の時の駐日大使になったエドウィン・ライシャワー教授、コロンビア大学に長く在籍したヒュー・ボートン教授などがいる。

この2人とジョセフ・グルーは、戦争の真っ最中に、戦後日本の統治のために天皇制を絶対に残すべきだと強く主張していた。吉田茂のいう「真の日本の友」である。

第2世代:戦時中、陸軍や海軍の日本語学校で日本語を学び、日本軍の無線傍受や戦後統治に携わった後、日本研究家となった世代。日本と戦った経験があったため、日本に対する思い入れが強く、日米戦争が二度と起こらないようにすることを使命と感じている世代だ。

代表的な人物としては、日本研究家のドナルド・キーンエドワード・サイデンステッカー、GHQ職員として来日し、日本に世論調査を紹介した文化人類学者のハーバート・パッシン教授などだ。

第3世代:なんらかの理由で日本に興味を持ち、コロンビア大学などで日本研究をはじめたグループ。カーティスさんはこの第3世代に入る。

第3世代のあとは、JET(Japanese Exchange and Teaching)世代だ。JETプログラムで日本に来て学校で英語教員として仕事をしながら、日本について学ぶ。毎年数千人が来日しており、2007年には5,500人が参加。そのうち半分がアメリカ人だった。


カーティスさんの日本との付き合い

カーティスさんは1940年ニューヨークのブルックリン生まれ。15歳の時に両親が離婚するが、7年後また一緒になる。クイーンズに引っ越し、高校生の時にピアノ奏者としてバンドの一員となって活動し、ニューヨーク州立音楽大学に進学する。

バンドの一員だったというのは、アラン・グリーンスパン元FRB議長と同じような経歴だ。

音楽の仕事に限界を感じていたカーティスさんはニューヨークを離れ、ニューメキシコ州でクラブの仕事をしながら、ニューメキシコ大学に入り直して社会学の勉強をする。アメリカでは大学を変えても取得した単位は生かせるので、カーティスさんのように大学を変えることもある。

そのうちウッドロー・ウィルソン奨学金を得て、コロンビア大学政治学部大学院に入学した。コロンビア大学の指導教官のアドバイスで、ジョセフ・グルーの研究をしたことから日本との付き合いが始まったことは冒頭に記した通りだ。


カーティスさんの初来日

カーティスさんの初来日は、1964年7月。東京オリンピックの直前だ。

23歳だったカーティスさんは、日本に到着して宿泊先の日本国際文化会館に行くタクシーの中で、うろ覚えの日本語でタクシー運転手と話していたら、「日本語がお上手ですね」と言われて、励まされたという。

東京では西荻の四畳半の下宿に住みながら、国際基督教大学(ICU)の日本研究センターで日本語を勉強した。食事は外食で、近くの大衆食堂の主人が「今日はこれを食べなさい」と、サバやサンマなどを出してくれたので、カーティスさんの食生活は革命的に変わったという。

カーティスさんがトンカツを初めて食べたときには感動したという。今でもおいしいトンカツの店があると聞くと、いくら遠くても行かずにいられなくなるという。

しかし、あの当時のトンカツの味を保っている店は今では少なくなってきたとカーティスさんは嘆く。筆者も同意見だ。神保町の交差点近くの「トンちゃん」のおやじさんが揚げたトンカツが懐かしい。海外駐在に行くと聞くと、餞別にトンカツをおごってくれたものだ。

カーティスさんは下駄をはいて銭湯に通って商店街の人と親しくなった。ラーメン屋やスナックに行って、日本語を練習していた。カラオケでは、伊東ゆかりの「小指の想い出」や、園まりの「夢は夜ひらく」を歌っていたという。




日本政治の研究

1年間の日本語教育受講後、カーティスさんはコロンビア大学に戻り、博士論文のテーマに日本の政治を選んだ。

カーティスさんは1966年に再来日し、米国大使館の報道官と一緒に中曽根さんを訪ねた。カーティスさんが日本の政治を研究したいと相談すると、中曽根さんは大分2区から立候補予定の佐藤文生氏の選挙活動を研究するように助言したという。

佐藤さんは、大分の県議会議員を長年務め、国会議員となるべく出馬したが、最初は落選し、2度目の挑戦で捲土重来を狙うところだった。

佐藤さんは中曽根派ではなかったが、中曽根さんが目をつけていた人物の一人だった。大分県は、都会ではないがそれほど田舎でもないということで選んだという。

佐藤さんは、「隠しても仕方がない。なんでも見ていってくれ」と言ってくれたという。カーティスさんは佐藤さんの家に住み込み、世話人などとの打ち合わせにも参加させてもらったという。

カーティスさんが書いた論文が「代議士の誕生」という本になった。

代議士の誕生(日経BPクラシックス) (NIKKEI BP CLASSICS)代議士の誕生(日経BPクラシックス) (NIKKEI BP CLASSICS)
著者:ジェラルド・カーティス
日経BP社(2009-09-25)
販売元:Amazon.co.jp

このときに覚えたのが「お流れ頂戴します」という言葉だ。宴会で世話人一人ひとりから酒を杯に注いでもらい、それを一人につき2-3杯飲んで、世話人の間を回っていく風習だ。

初めはカーティスさんは、全部飲んでいたので、すぐに目が回ったが、佐藤さんは平気でいた。実は、飲んだフリをして、「杯洗(はいせん)」に酒を捨てるのだと。


当時は中選挙区制

当時の選挙制度は日本独特の中選挙区制で、一つの選挙区から3−5人が当選する。自民党から2−3人が立候補するので、自民党の中でも党内抗争が激しく、いきおい派閥ができる。

派閥としては当時は田中派が最大の派閥だった。

カーティスさんが竹下さんから聞いたところによると、金丸さんは自民党から配分された政治資金を代議士に配るときに、封筒を開けさせて札束を数えさせた。

ところが田中角栄さんは、封筒を渡してその場では開けさせなかった。後で開けてみると、党の分配額より多い金額が入っていたという。自民党の資金に自分で積み増していたのだ。これが田中角栄流の人心掌握術である。


日米政治比較

カーティスさんは、1967年から1994年まで毎年下田で開催された日米の国際政治学者の会議:下田会議への参加を通して、評論家の江藤淳さんや、政治学者の佐藤誠三郎さん、京都大学の高坂正堯さんなどと親交があったという。いずれも早死にしたことは残念だと語る。

下田会議は1994年以降開催されていなかったが、2011年に新・下田会議として再開された

この本では様々な分野についての日米比較が紹介されている。

たとえば日本の大学教授の給料と昇進はほとんど年功序列だ。

良い本を書いた先生でも、たいした論文を発表しない先生でも同じ。学生に良い授業をしようとする先生でも、毎年同じ講義を行う先生でも、教えている年数が同じならほとんど給料は変わらない。まさに社会主義であると。

米国の場合には、いい先生は他の大学から引き抜きのオファーが来るので、引き留めるためには大学は給料を上げなければならない。だから同じ年数働いている教授でも、業績によって報酬は大きく異なる。

国会議員のスタッフの数も全然違う。日本は3人までしか公設秘書が認められないが、米国では国の費用で雇われているスタッフが、下院議員で18名、上院議員では約50名だという。


中曽根さんの外交4原則

中曽根さんは、「外交4原則」という考えを説明してくれたという。

1.力以上のことはしない。
2.ギャンブルをしない。
3.世界の潮流を客観的に分析する。
4.外交と内政を混同しない。

米国と戦争したのは、上記すべてに違反している。

自国の国力を過信したことが最大の過ちで、東条英機首相は「清水の舞台から飛び降りる気持ちだ」とギャンブルをした。

ドイツが敗退しつつあるという世界の潮流を正しく把握しなかった。関東軍の中国での行動を国内政治に利用して外交と内政を混同させたと中曽根さんは語っていたという。

ちなみに、カーティスさんは小泉首相が当時のブッシュ大統領の求めに応じ、「反テロ特別措置法」を成立させ、インド洋で船舶の給油活動をはじめたのは、評価しているという。


カーティスさんの奥さんは日本人だが、奥さんと知り合ったのはニューヨークで社会学のパッシン教授が主催するパーティに参加した時だったという。

カーティスさんは奥さんの助けもあって、日本語でこの本を書いたという。

大物政治家との人脈を持ち、日本の政治事情に日本人よりも精通している。いわば日本の政治を映す鏡のような人だ。

読みやすい本なので、是非一読をお勧めする。


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2014年10月21日

残念! 松島みどり法務大臣辞任

残念ながら松島みどり法務大臣が辞任した。

今年の夏まつり時期に地元で配布した「うちわ」が、公職選挙法違反ではないかと、国会で蓮舫議員に攻撃された結果だ。

最初の答弁が命運を決したと言えるだろう。

「これはうちわですか?」と聞かれたことに対して。「討議資料」ですと答えた。

これで詭弁であるとの印象を与えてしまい、法務大臣がこれで良いのかという議論が沸き起こってしまった。

ネットで「松島みどり うちわ」で画像検索すると、いろいろ面白い画像が出てくる。

蓮舫議員が今回のうちわを手にしているところ。

蓮舫追及







































出典:ネット検索

蓮舫議員自身も、みんなの党の松田公太議員も丸いうちわをつくって配布している。

蓮舫うちわ






















出典:ネット検索

結果論ではあるが、初期対応で「うちわですが、有価物ではありません。蓮舫さん、あなたも作っていませんか?」と答えられたら、また展開も変わっていたことだろう。

辞任は残念だ。ひいきめすぎるかもしれないが、政策を印刷したうちわを夏祭りの時に配るなど、それ自体はグッドアイデアだと思う。

これれにめげずに、ひきつづき政治活動で結果を残してほしいものだ。


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2014年09月04日

法務大臣就任おめでとう がんばれ 松島みどり!

このブログで何度か応援メッセージを送ってきた筆者の友人の松島みどり衆議院議員が法務大臣に就任した。

1995年に朝日新聞の記者を辞め、自民党の第1回公募に応募して、ひたすら衆議院議員をめざしてきて2000年に初当選。

一時落選したこともあったが、見事に復活。議員を目指して朝日新聞を退職してから20年、とうとう大臣に就任した。

松島みどり入閣





















出典:IRORIOニュース

松島さんは東大経済学部出身だが、議員立法でいくつかの法案を成立させた実績もある。また、テレビの漢字クイズ番組の「日本語王」でチャンピオンになったこともある

東大応援部のチアリーダーの創設者だ。(松島さんが創設する前は、東大生チアリーダーがいないので、他の大学の女子学生が応援に来てくれていたと思う)。

昔からガッツのある、元気あふれる人だった。

法務大臣としても、がんばれ 松島みどり!


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2014年08月17日

中国の大問題 前中国大使 丹羽宇一郎さんの経験談

中国の大問題 (PHP新書)
丹羽 宇一郎
PHP研究所
2014-06-14


元伊藤忠社長で、前中国大使の丹羽宇一郎さんの本。「中国の大問題」として次のような切り口から中国の現状を論じている。

第1章 14億人という大問題
第2章 経済という大問題
第3章 地方という大問題
第4章 少数民族という大問題
第5章 日中関係という大問題
第6章 安全保障という大問題

まるで池上彰さんの「大問題」シリーズ本のコピーの様だ。




終章で、「日本という大問題」として、中国と比較しての日本の教育支出の少なさ、偉くならなくても満足な若者たちなどのテーマを「10年後に死んでいるかもしれない人間のメッセージ」として論じている。

これが丹羽さんが最も言いたかったことなのだろう。

日本の将来を考えたとき、教育の充実こそが、日本が世界で生き残る最重要にして必須の条件となると論じている。

「非正規社員の全廃」、「(出世することの)インセンティブを提示せよ」等の主張を打ち出している。

日本の教育費については、注釈が必要だと思う。中国は国防費の3倍、国家予算の17%を教育費に使っていると丹羽さんは語る。

この本では日本の教育費の国家予算に対する比率を記載していないが、ネットで調べると日本の公財政教育支出の対GDP比は3.3%(つまり国防費の3.3倍)で、一般政府総支出に占める公財政教育支出の割合は9.5%だ。

しかし、日本では公的な教育資金が少ない分、家計から教育費をねん出しているから、家計で負担している私的教育費を含めた教育費はGDPの5%(つまり国防費の5倍)になる。これは塾などの副次的な教育支出を除いた家計負担分だ。

2009年の統計だが、公財政支出と私的教育費を合計したグラフを載せているブログを見つけたので、紹介しておく。

3950




















出典:社会実情データ図録

たぶん財務省筋だと思うが、日本の場合は少子化のため、生徒数が少ない。だから生徒一人当たりを取ってみれば、日本はOECDでもそん色はないという議論もある。

平成20年教育費の現状_ページ_9




















しかし、日本の問題は韓国や他の先進国が教育予算の比率を増やしているのに対して、国家予算の教育費比率を据え置いていることだ。次の文部科学白書2009にある図を見るとわかりやすい。

img052



































出典:文部科学白書2009図表1−1−29

丹羽さんの教育が最重要投資であるという問題提起は正しい。どう実現していくかが問題だが、具体的アイデアはこの本にはない。言いっぱなしで、「10年後に死んでいるかもしれない人間のメッセージ」と自分で言うゆえんだろう。

中国の指導部との人的コネクションはさすが

ともあれ、中国の指導者層と人的なコネクションを広く持つ人だけに、これから習近平体制を支える人脈の読みなども参考になる。

丹羽さんは、習近平には10数回会っているという。

習近平は長崎県と姉妹都市関係にある福建省に14年間居たからだと。丹羽さん自身は、習近平は比較的親日的でフェアな人物という印象を持っているという。

現在は権力闘争が続いているが、5年後は習近平体制が確立し、そのための準備を着々と行っている。たとえば、前政権の中央政治局常務委員の一人だった周永康とその関係者350人を汚職容疑で拘束した

着々と反対派を排して、習近平体制を作りあげている。

次がこの本に紹介されている習近平体制の顔ぶれだ。

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出典:本書41ページ

次のリーダーとして有望なのは、汪洋、孫政才、胡春華という50代の3人だという。それぞれ地方の書記を経験している。

チャイナセブンと呼ばれる、トップの中のトップの常務委員の中では、国際は金融のプロである王岐山が注目だという。

また常務委員でもないのに、国家副主席になっている李源潮も次期国家主席とも目される実力者だと。

習近平体制では、日本の小沢一郎のもとでホームステイした経験を持つNo.2の李克強国務院総理をはじめ、汪洋、孫政才、胡春華、李源潮は知日派で、じつはきわめて親日体制なのだと。

習近平体制を考えるときは、そうした視点を見落としてはならないと丹羽さんは語る。


行動する中国大使

丹羽さんは、中国大使としての在任期間中に、33ある一級行政区のうち27地区を訪問し、その時々で日本の経済人を同行して経済と友好の両方を推進したという。また伊藤忠の社長時代には、北京市、江蘇省、吉林省などの経済顧問を歴任したという。

次が丹羽さんが訪問した27の行政区の地図だ。

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出典:本書88−89ページ


丹羽さんは民主党政権の目玉の民間大使として就任した。日中友好を深めるイベントを多く開催したことや、経済面での行動力はさすがだと思う。


評判を落とした尖閣国有化の時の丹羽発言

石原都知事が尖閣列島を東京都で買い上げることを発表したことをきっかけに、民主党政権はすぐに尖閣列島の国有化を宣言した。その時、日中関係を悪化させるので、国有化を急ぐなと注文を出したのが丹羽大使だった

当時は丹羽大使の発言は、日本政府の公式方針に沿っていないとして批判された。しかし、この本では、「領土は1ミリも譲歩できない」とあらためて持論を展開し、あの時は国有化のタイミングを考え直すべきだと発言したものだと釈明している。

このあたりが、アマゾンのカスタマーレビューで☆一つのレビューが多くある原因だろう。言い訳本だと。

「棚上げ合意」はあったのか、という点については「棚上げ合意」は無かったと結論づけている一方で、尖閣問題は「フリーズ」すべきだと語る。

現在もなお外務省のホームページの「尖閣諸島に関するQ&A」には日中国交回復前後の「棚上げ論」が公開されている。

公式な「棚上げ合意」はもちろん無かったが、外務省がホームページで公表している周恩来や小平の意見を踏まえて、尖閣列島付近の日本企業の資源開発に待ったを掛けてきたのは日本政府であり、事実上「棚上げ」を黙認していた事実がある。

それが素人外交の民主党に代わり、石原元都知事のペースにはまって、性急に国有化を宣言したことから現在の尖閣での緊張は始まっている。

丹羽さんの本心としては、「おいおい、棚上げしたはずじゃなかったの?寝た子を起こすなよ」という趣旨だったのだろう。

元中国大使なだけに、丹羽さんもいまさら政府の方針と異なることは言えないので、この本では「棚上げ」ではなく、「フリーズ」と言っている。


商社マンの大先輩なだけに、プロの外交官とは違った中国との交流拡大を実践した功績は高く評価したいが、外交という意味では無力で、かつ最後は使い捨てされたと言わざるを得ない。田中真紀子が小泉内閣の外務大臣に就任した時に、「外務省は伏魔殿」と評したことが、思い出される。

シャドーバンキングについて、「私の試算では…GDPの16%、シャドーバンキングで中国の経済が崩壊することはないだろう」とか、データで見る限り中国は人口減少時代には入らないとか、中国の将来を危ぶむ声が多いなかで、中国を再評価する冷静な発言は参考になる。

また、重慶とドイツを結ぶ国際貨物列車の登場により、チャイナランドブリッジで約10数日で運べるようになったというのも参考になった。

民間人として初めての中国大使としての経験談は興味深く、経済や政治面での分析についても参考になる本である。


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2014年06月03日

竹島密約 安倍首相が面談した韓国人歴史家 ロー・ダニエル氏の研究

+++今回のあらすじは長いです+++

文庫 竹島密約 (草思社文庫)
ロー ダニエル
草思社
2013-02-02


この本を知ったのは、たぶん鳥居民さんが著書でこの本を紹介していたからだと思うが、何気なく見ていた安倍首相の日々の行動の2014年4月16日11:05〜12:15に、韓国の日本研究者・ロー・ダニエル氏のインタビューと書かれていることに気が付いた。

なぜ安倍首相がロー・ダニエルさんと会ったのか。その理由はこの本のあとがきを読むとわかる。

あとがきの重要部分だけ紹介しておく。

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出典:本書(文庫版)297ページ

なんと、密約締結関係者の一人の中曽根康弘元総理が、ロー・ダニエルさんに真相を究明して欲しいと依頼し、秘書を通じて多くのサポートを与えたというのだ。

中曽根元総理は先日9回目の年男パーティを迎え、5回目の年男の安倍総理他の多くの政治家が集まった。

杖をつきながらも、自分で動けて、発言もしっかりしているのは立派だが、さすがに年齢による衰えは隠せない。

中曽根元総理も、自分が元気なうちに、自分も関係した竹島密約の真実を伝えたかったので、ロー・ダニエルさんに執筆を依頼したのだろう。

関係者の多くは亡くなっているが、それでもロー・ダニエルさんは直接の関係者数名にインタビューしており、この本の信ぴょう性を高めている。

「なか見!検索」は必見

この本は文庫版となってアマゾンの「なか見!検索」に対応するようになった。立ち読み感覚で、重要な部分が読めるので、ぜひここをクリックして、ネット立ち読みしてほしい。特に最初の目次、主な関係者とプロローグ、あとがきをぜひ見てほしい。

あらすじを紹介する前に、竹島がどのあたりにあるのかを紹介しておく。

次が文庫版14ページにある地図だ。「なか見!検索」でも、見られるので、ここをクリックして、目次と登場人物紹介に続く竹島付近の地図を参照して欲しい。

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出典:本書14〜15ページ

まさに日本と韓国のちょうど中間地点にあることがわかると思う。

竹島は尖閣列島と違って、地下資源があるという話もなく、日比谷公園程度の大きさで、本来何の役にも立たない無人島である。いままで何度も「爆破したら」という選択肢が、外交の場では半分本気・半分冗談として出されてきた。

しかし、竹島の存在は漁業資源に関係する排他的経済水域の設定には大きな意味を持つ。

昭和20〜30年代生まれまでの人は、「李承晩ライン」という言葉を覚えているだろう。李承晩は、初めての韓国大統領で、反日・反共を貫き、日本との間に勝手に「李承晩ライン」という排他的漁業水域を設け、日本の漁船を多数拿捕した。

日本が韓国との日韓漁業協定締結を急務としたのは、こういった漁船拿捕による漁民からの要望も強かったからだ。

尖閣列島については、1978年の日中平和友好条約交渉の際に、小平が先送りを提案したが、公式には日本側はそれには応じなかったとされている(外務省のホームページによると”福田総理より応答はなし。”とされている)。

しかし、その後、日本企業が尖閣列島付近の資源開発を検討しても、日本政府として許可を出さずに、事実上小平提案の解決の棚上げを尊重してきたという経緯がある。

この本では、日中間の尖閣列島問題の先送り合意の13年以上も前の1965年に、日韓間で竹島問題の先送りを秘密裏に合意していた密約が存在することを明かしている。

竹島密約は次のような簡単なものだ。

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出典:本書227ページ

この本では、講和条約交渉の際に、当初は韓国領とされていた竹島が、日本側の外交努力で、1949年12月29日の第6次草案から日本領に変わり、ディーン・ラスク国務次官補は竹島は日本領とみなすと韓国側にレターで回答していることを明かしている。ところが、サンフランシスコ講和条約では竹島に関する記述は抜け落ちて1951年9月8日に調印された。

講和条約が1952年4月28日に発効する前に、李承晩大統領は、竹島は韓国領として「李承晩」ラインを設定、1952年9月から日本漁船の拿捕を始めた。

日韓国交正常化交渉は、1953年10月に外務省参与・久保田貫一郎が、「日本が講和条約を締結する前に韓国が独立したのは不法である。日本の36年間にわたる統治は韓国にとって有益だった」と発言したことから紛糾し、その後4年以上再開されなかった。

その間、1957年2月に首相に就任した岸信介は、地元の山口県の漁民が韓国に抑留され、漁業にダメージを受けているので、自らの「策士」の矢次一夫を使って、韓国に様々なアプローチをしていた。

岸信介は自ら「親韓派」と称していた。

矢次は、岸首相の就任日に、韓国外務部の政治局長と駐日韓国大使館の参事官を秘密裏に、岸首相の南平台にある私邸に案内した。

そのころ岸信介の娘と結婚した安倍晋太郎は、岸信介の秘書として、岸の私邸に同居していた。矢次一行は裏口から入り、オムツの干してある中を通って、就任したばかりの岸信介首相と面談したという。

このオムツをしていたのが、当時2歳だった安倍晋三総理だ。

岸信介は、矢次を使って蒋介石とも連絡を取り、蒋介石・李承晩・岸信介というアジアの反共産主義ラインをつくるろうとしていた。

しかし、1960年に岸信介は新日米安保条約問題で、李承晩は不正選挙問題で退陣する。

李承晩の後は、短期間、民主党の張勉が政権を取り、翌1961年5月16日の朴正煕少将が率いる軍事クーデター後、親日派の朴正煕大統領が誕生する。

朴正煕大統領は、1979年に暗殺されるまで、18年の間、韓国の大統領として、アジアの最貧国の一つだった韓国が先進国クラブのOECDに加盟できるまでに成長させた。

朴正煕大統領と一緒に親日政策を展開したのが、朴正煕の義理の甥の金鍾泌だ。

この本では、第2章”叔父と甥の対日外交”として、、旧陸軍や一橋大学出身者など韓国の親日派が中心となって池田隼人首相の日本と請求権交渉をまとめ上げたことを紹介している。

朴正煕大統領は、就任後アメリカ訪問の前に日本に立ち寄り、政財界の代表の前で、「われわれが、過去のよろしくない歴史を暴きたてるのは賢明なことではありません。両国は共同の理念と目標のために親善を図らなければなりません」と述べて好印象を与えた。

また、岸信介前首相、佐藤栄作、大野伴睦、石井光次郎、船田中、矢次一夫らの政界の「韓国ロビイストの集まり」ともいえるメンバーとの会食では、「未熟な小生をよろしくご指導ください」と日本語であいさつしたという。

韓国の親日派を相手とする請求権交渉では、当初韓国案8億ドル、日本案1億ドルと大きな隔たりがあった。しかし、最終的には1962年10月に金鍾泌中央情報部長が訪日して大平外務大臣と交渉し、有償3億、無償2億、民間借款1億ドルの6億ドルで決着した。これがその後の韓国の発展につながる経済開発5か年計画の資金となった。

請求権交渉が妥結したことで、李承晩ラインも消え、漁船の拿捕もなくなった。次の問題は日韓基本条約の締結だ。

この交渉の過程で、ロッキード事件で一躍有名になったフィクサーの児玉誉士夫の名前も出てくる。

外務省や大平外相は、竹島問題の国際司法裁判所への提訴を条件としたが、韓国側は「未解決の状態で維持する」という作戦にでた。これが後の「未解決の解決」という竹島密約につながる。

金鍾泌は訪日後、下野して外遊、その後1963年12月の朴正煕の第5代大統領就任とともに、与党共和党議長として復帰した。

しかし、「対日屈辱外交反対」を唱える野党勢力や学生デモの前に、朴正煕大統領を守るためのスケープゴートとして辞任した。そのあとを継いで、対日交渉を担当したのが、満州軍官学校出身で、1964年5月に就任した丁一権国務総理と金鍾泌の兄の銀行家金鍾珞だった。

日本川の交渉役は、1964年5月に大野伴睦が亡くなった後、河野一郎が継いだ。

主流派の佐藤派は日韓条約締結に積極的だったが、河野派は佐藤派より5人少ないだけで、党内の第2の勢力だった。もし河野派が反対するとなにもできない。だからキャスティングボードは、党人派を代表する河野一郎が握っていた。

河野一郎を日韓交渉に引っ張りだすには、ちょうど韓国を訪問中だった中川一郎や中曽根康弘が協力した。

そして日韓交渉全体を密にフォローし、時には間を取り持ったのが、大野伴睦の盟友の渡邉恒雄(ナベツネ)の読売新聞社だった。渡辺の指示で、日韓関係をとりもったのが当時の読売新聞のソウル特派員で、幼少期を韓国で過ごした嶋元謙郎さんだ。嶋元さんはこの本の取材に全面協力したので、この本は嶋元謙郎、恵美子夫妻にささげられている。

河野一郎はこのままでは総理になれないというあせりから、日韓交渉を引き受けた。

河野の腹心の宇野宗佑と金鍾泌の兄の金鍾珞が交渉代理人、斡旋役が嶋元謙郎、交渉の責任者が河野一郎、丁一権という交渉チームが出来上がった。

東京オリンピックが1964年10月10日から開催され、池田首相は病気のため、オリンピックを花道に退陣した。そのあとを継いだ佐藤栄作首相の1965年1月の訪米前に、日韓交渉を合意させるというギリギリのタイムテーブル下で、日韓交渉は進められ、1964年末にすべてが決着した。

竹島については、上記に紹介した竹島密約が河野一郎と丁一権の間で成立した。1965年1月11日のことだった。2日後に朴正煕大統領も承認し、1月13日にジョンソン大統領との会談直前の佐藤栄作首相に電話で日韓合意が伝えられた。

日韓基本条約は1965年2月20日に仮調印され、1965年6月22日に正式締結した。河野一郎が病で亡くなったのはその2週間後の7月8日だ。

全斗煥盧泰愚らを中心とする軍部内の「ハナ会」は、朴正煕大統領が暗殺されると、12・12事件を起こして、権力を掌握し、全斗煥が大統領に就任した。

ハナ会」はいわば朴正煕ファンクラブで、メンバーは慶尚道出身の軍人で、滅私奉公に徹した朴正煕を崇拝し、日本流の軍人精神を慕った。

彼らの愛読書は、山崎豊子の「不毛地帯」で、主人公のモデルの伊藤忠の瀬島龍三さんを尊敬していたという。

瀬島龍三さんも、1980年に東急の五島会長と訪韓して、全斗煥、盧泰愚両将軍と面談していることを著書の「幾山河」に書いている。



幾山河―瀬島龍三回想録
瀬島 龍三
産経新聞ニュースサービス
1996-07


竹島密約は、軍人親日主義の朴正煕、全斗煥、盧泰愚の「軍人親日主義」体制では守られた。しかし、盧泰愚大統領を継いだ非軍人の金泳三大統領には伝わらなかった。

野党政治家として半生を送った金泳三大統領は、「歴史の清算」として、光州事件の再調査、全斗煥、盧泰愚両前大統領の逮捕、朝鮮総督府の建物の解体などを実施した。

金泳三大統領自身は、日本語が流暢で、大統領退任後は早稲田大学の特命教授を務めるなど、日本との友好にも貢献した。

金泳三大統領以後は、日韓関係は、金大中大統領や李明博大統領の就任当初や、盧武鉉大統領・小泉純一郎総理のシャトル外交など、一時的な改善の時期はあったが、ほぼ一貫して悪化してきた。

中曽根康弘首相は、首相に就任すると、すぐに「竹島密約」の存在を調査させている。日本の外務省は承知していたが、全斗煥政権の韓国では、発覚を恐れ、密約の紙は処分されていた。

密約の紙自体も、密約の精神自体も消失したのだ。

竹島は、それ自体は何の意味もないが、韓国大統領の対日強硬姿勢を示す格好の話題として、政権の支持率アップのためのプロパガンダとして使われている。韓国の天気予報では、必ず竹島の天気も紹介されるという。

李明博大統領は、竹島に上陸してテレビ中継させている。朴槿恵大統領もいずれ竹島を訪問することだろう。

たかだ日比谷公園程度の島に、そんなに意味があるのか?

引き継がれなかった「竹島密約」の先人の知恵に、あらためて思いを致す本である。


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2014年05月26日

呆韓論 呆れる写真も満載! 元時事通信ソウル特派員の室谷さんの韓国批判

呆韓論 (産経セレクト S 1)
室谷克実
産経新聞出版
2013-12-05


元時事通信ソウル特派員の室谷克実さんの韓国批判。このブログでは室谷さんの「日韓がタブーにする半島の歴史」を紹介している




韓国の対日感情は、朴正煕大統領に続く、全 斗煥、盧泰愚までの軍事政権の時はそれほど悪くなかったが、長年の反日教育のためにどんどん悪化しているのは、憂慮すべきことだ。

最近でも、李明博大統領は経済界出身で、大阪生まれだ。李明博大統領なら、日韓関係も少しは改善するかと期待して、ソウル市長時代の「都市伝説 ソウル大改造」や、「すべては夜明け前から始まる」のあらすじを紹介した。



しかし、李明博大統領も、当初こそ日本に対する関係改善の姿勢を示したが、その後は支持率低下に苦しみ、最後は竹島を訪問するなど、スタンドプレイに走った。

現在の朴槿恵大統領にも期待して、大統領就任の時に「朴槿恵の挑戦」のあらすじを紹介している




朴槿恵大統領は、親日派だった朴正煕大統領の娘なので、「高木正雄」(=朴正煕の日本名)の娘と言われるのを極端に嫌っているという。少しでも親日の姿勢を示せば、「それ見たことか、やはり親日派か」と言われて国民の支持を失うことを恐れ、日本には厳しくあたらなければならないのだろう。

それにしても、日米間の首脳会議の時の朴槿恵大統領のかたくなな態度と、中国の習近平主席には笑顔をふりまく両極端な態度は、最近の「中国という蟻地獄に落ちた韓国」などの本が指摘している通り、韓国は中国の属国として生きていくつもりなのかと思わせるほどだ。




朴槿恵大統領の正当性が疑われている

この本の最初に、朴槿恵政権の正当性が疑われていることが紹介されている。

朴槿恵大統領は2013年2月に就任した。2012年12月に行われた大統領選挙は、朴槿恵候補51%:文在寅候補48%という接戦だった。

当選した要因として、朴候補は選挙戦中に、国家情報院(元KCIA)や国軍サイバー司令部によるツイッターやSNSへの応援書き込み支援を受けていたことが判明している

また高齢層の支持を得るために、65歳以上のすべてに毎月20万ウォン(2万円)の年金を支給すると公約していた。しかし、当選した後は、財政状況が厳しいため、「詐欺公約」と非難されるほど内容が切り詰められてしまった。

これら国家情報院や国軍サイバー専門部隊の支援と、「詐欺公約」がなければ、朴槿恵は大統領にはなれなかっただろう。加えて、「セウォル号」事故で、不信任も急増している。こんな政治基盤が弱い大統領だけに、反日の姿勢を貫いて国民の支持を得るのは必須なのだろうと思う。


この本の目次

この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応していないので、目次を紹介しておく。

はじめに

序章 妄想と非常識に巻き込まれた日本

第1章 「自由と民主主義」の価値を同じくしない国

第2章 恥を知らない国際非常識国家

第3章 反日ならすぐにバレる嘘でも吐く

第4章 世界から軽蔑される哀れな反日病

第5章 歪みだらけのオンリー・イン・コリア

第6章 呆れかえるウリジナルの暴走

第7章 本当に恐ろしい人間差別大国

第8章 「売春輸出大国」の鉄面皮

第9章 わかりあえない不衛生・不法・不道徳

第1 0章 反撃の種「対馬」の仕込み方

終章 官邸、皇居の耳目役への警鐘

おわりに


序章を読めば大体の論点がわかる

この本の序章に最も重要な部分が、かいつまんで説明されている。

日の丸を食いちぎる人や、安倍首相と橋下大阪市長の顔写真を踏みつける人、韓国サッカー応援団の安重根フラッグ、ソウルの日本体感前に置かれた慰安婦像などの写真も序章に紹介されている。

実は序章を読めば、この本の論点が簡単に理解できる。本当は「なか見!検索」に最適の本なのだが、仕方がないので、まずは書店で序章を立ち読みすることをおすすめする。


朴槿恵大統領の「1000年恨み節」

序章の中で、朴槿恵大統領が、2013年3月1日(独立運動記念日)の記念演説で、「1000年恨み節」を語ったことを紹介している。曰く、「被害者と加害者の立場は1000年経っても変わらない」と

「1000年恨み節」なら、元寇は1274年と、1281年。もとはといえば、高麗の皇太子が元のフビライに日本征服を促したことが原因だと室谷さんは言う。

ネットで「元寇」で検索したら玉川大学の公開サイトで、元寇について詳しく解説しているものがあるので、ここをクリックして見てほしい

本も出ているので、今度読んでみる。

知るほど楽しい鎌倉時代
多賀 譲治
理工図書
2011-01



参考になった点をいくつか紹介しておく。

★「日帝統治の体験者ほど反日の度合いが低い」
室谷さんは特派員時代に、韓国13代目の大統領となった盧泰愚が体育相だった時に、パーティで話したことがあるという。

韓国人記者もたくさんいたので、室谷さんは韓国語で話かけたら、盧泰愚は日本語で答えたという。

「あなたの韓国語より、私の日本語の方がうまい。遠慮はいりません。日本語でどうぞ」

さらに話を続けると、

「私たちの世代で日本語を話せないとしたら、バカですよ。若い人は日本語を知らないから、私と全斗煥は、副官に聞かれたくない話は日本語で話したものです。今でも電話をしていて微妙な話題になると、秘書に聞かれないよう、どちらからともなく日本語になります」。

盧泰愚氏は、国民学校で担任だった日本人の教師をソウルに招待したという。

上の親日派世代は鬼籍に入るか、発言力を失う中、反日ファンタジー歴史学しか知らない人びとが韓国の政界、マスコミを牛耳っているのだと。

★朴槿恵大統領は中国語が堪能
朴槿恵大統領は、西江大学電子工学科卒、フランス留学経験があり、学生の時に習った中国語が堪能と言われている。

韓国が中国傾斜を強めている最近の傾向には、こういった背景もあるのだろう。

外華内貧
韓国人にとって大切なことは、外面を華やかに飾ることだと。「外華内貧」は朝鮮半島で創作された数少ない4文字熟語で、「見栄っ張り」、「格好つけ屋」などという意味だという。この4文字熟語ほど韓国人の何たるかを示す言葉はないと室谷さんは語る。

この本ではあまり詳しく紹介していないが、室谷さんの「悪韓論」では、韓国型新幹線(KTX)の韓国製部品の強度の問題によるエンジントラブル多発や、わいろを受け取って、不合格品を原子力発電所に取り付けさせて逮捕された100人余りの技術者のことを紹介している。

悪韓論 (新潮新書)
室谷 克実
新潮社
2013-04-17






★信じがたい離職率
この本のなかで”2007年の古いデータで恐縮だが”と紹介されている雇用統計に驚く。

入社1年以内の離職率     : 30.1%
入社2年以内の離職率     : 68.9%(青年求職者対象となっている)
3年以上一つの職場に勤めた率: 18.3%(つまり離職率81.7%!)

いくら韓国の離職率が高いとはいっても、にわかには信じられないデータだ。

額に汗する仕事そのものを蔑視し、そうした仕事をする人を露骨に軽蔑し、そして、そうした仕事に携わる人自身も、自分の職業に何らの誇りも持っていない。これが、朝鮮半島の歴史が作り上げた産業文化の底流だという。

彼らが作る製品あるいは半製品・部品が精度に欠けるのは、至極当然の帰結なのだと室谷さんは語る。

★慶尚道と全羅道の対立
金大中氏が大統領になるまでは、全羅道(後期百済の中心地域)に対する差別はすさまじかったという。もともとは、高麗王朝の始祖、王建が残した「訓要十条」に、旧百済地区からの人材登用を戒め、それがため高麗、李朝を通じて、全羅道の両班はほとんど官職に就けなかった。

朴正煕、全 斗煥、盧泰愚、金泳三と続いた慶尚道出身の大統領時代に、官民、軍警とともに、慶尚道優位の人材登用、予算配分が続き、全羅道差別は極みに達したという。

もともと異民族のように扱われていた済州島出身者も同様だったという。ちなみに呉善花さんは済州島出身だ。

2012年12月の大統領選挙の結果を見ても、全羅道では野党候補が9割の得票率で、全羅道の中心地の光州での朴槿恵の得票率は7.8%しかなかった。一方、慶尚北道では朴槿恵支持が8割だった。

百済と新羅の対立が現代まで残っているとは!

まとめるのが難しい国である。だから対日批判で国をまとめようとするのだろう。

室谷さんの本は、「悪韓論」も読んだ。こちらは、具体例が多く取り上げられているので、今度あらすじを紹介する。

悪韓論 (新潮新書)
室谷 克実
新潮社
2013-04-17



冒頭に記したように、序章を読めば、まさに呆れるような写真とともに、このの本の論点が理解できる。まずは書店で序章を立ち読みすることをおすすめする。


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2014年05月10日

オーディション社会 韓国 敗者復活戦がない韓国社会



競争社会の割には、敗者復活戦がない韓国社会の問題点を明らかにした本。

著者の佐藤大介さんは、毎日新聞社を経て、2002年に共同通信社社員となり、2007年に韓国の延世大学に社命留学、その後2009年から2011年末までソウル特派員として勤務していた。

韓国の問題点を指摘する本は多い。

このブログでも「韓国併合への道 完全版」を紹介した日本に帰化した韓国人・呉善花(オ・ソンファ)さんや、元時事通信ソウル特派員の室谷克美さんなどが代表格だろう。

呉善花さんは、処女作の「スカートの風」以来、どちらかというと自分の反省を込めて、自分が体験した日本と韓国の差を様々な例で紹介している。それが韓国政府の怒りを買い、日本に帰化した後は、韓国からは入国拒否の扱いを受けている。







室谷さんは、もはや「芸風」が韓国嫌悪となっており、このブログでも紹介した「日韓がタブーにする半島の歴史」に続いて「悪韓論」、「呆韓論」などの本を次々に出している。



現在「呆韓論」を読んでいるので、こちらのあらすじもいずれ紹介する。

呆韓論 (産経セレクト S 1)
室谷克実
産経新聞出版
2013-12-05


船長や船員が一般乗客を装っていち早く逃げたなど、信じられない事実がどんどん出てくる「セウォル号」の沈没事故、ソウルの地下鉄衝突事故など、韓国の信頼度が著しく低下している。

韓国のテレビでは、船長の適切な対応で全員が助かった日本のフェリー転覆事故を報道して、「セウォル号」との差を報道している。



到底こんな国には住みたくないと思うのが人情だろうが、日本にとっては、韓国が隣国であることは変えられない。

きれいごとのように聞こえるかもしれないが、室谷さんのように、呆れて、「すべての問題の根源と責任はかの国の病にある」といって、避難ばかりしてつき合うことをやめて無関心になるのではなく、少なくとも実情は知っておくべきだと思う。

その意味で、この本は役に立つ。

参考になった点をいくつか紹介しておく。

★韓国のオーディション番組は、人口の4%が参加したといわれるほど人気だ。「スーパースターK」と、スーザン・ボイルを生んだ英国のオーディション番組「ゴット・タレント」の韓国版の「コリア・ゴット・タレント」の2つが特に有名で、スーザン・ボイルと同じように、見かけはぱっとしないが、歌唱力抜群の歌手を生み出している。

その代表格がホガクだ。

身長163センチのずんぐりした容姿で、幼いころに両親が離婚。一緒に暮らしていた父の健康が悪化したことから、中学生で学校をやめ、修理工をして生活費を稼いでいた。母の消息を探し当てたが、別の過程を持っており、再会することはできなかったという過去を持つ。



もう一人は、 チェ・ソンボンだ。3歳で孤児院に預けられ、暴力を受けて5歳で脱走。10年以上もガムなどを売りながら、路上生活をしていたという。



本家のスーザン・ボイルはこんな形で見出された。



韓国社会は競争が厳しく、敗者復活戦もない。ホガクやチェ・ソンボンが人気を集めた背景として「代理満足」(テリマンジョク)があるといわれている。代理満足とは自分が目標を成し遂げられなかった場合、本人に代わって、自分が感情移入できる出場者が目標を達成することで満足感を得られることだ。

★人生の競争は「教育」から始まる
韓国の教育熱はすごい。家計の5割が塾の費用という家庭もあるという。

英語教育熱が高まり、子どもと母親が、英語教育を学ぶために海外で暮らし、父親は韓国でせっせと稼ぐ「キロギアッパ」とよばれる居残り父親が5万人を超えるとも言われている。日本でいう「逆単身」だ。

★韓国は高校全入制
韓国では1970年代に高校入試が加熱し、中学浪人が増加したことから、今は私立も公立も一緒にして、高校標準化が行われ、生徒は学区単位の抽選の結果、各高校に振り分けられる。

韓国では私立といっても、教育の裁量権はなく、日本の受験校の様に中高一貫教育で、高校2年までで高校の全教程を完了するといったことはできない。

これによって、高校間のレベルの差はなくなったが、学校内の学力格差が問題となった。できる生徒は、低レベルの授業に満足できず、大学入試のために塾や予備校に通う結果となっている。

★しかし、実際にはソウル大学などの難関校へ入学するには特殊目的高校に入らないと難しい
高校標準化の例外として、特殊目的高校というエリート校が存在する。もともとは、科学、語学、芸術、スポーツなどの専門教育を受けるための高校だったが、現在は有名大学進学のためのエリート校となっている。

実際、韓国の最難関校のソウル大学の合格者出身高校のトップ20はほとんど特殊目的高校となっている。

高校標準化ではあるが、できる子は特殊目的高校に入学するために、激しい受験戦争を戦っているのだ。ちなみに、プサン他4校ある科学英才学校の倍率は15倍だが、入学後は寮費は無料、授業料も安い。実際にはほとんどの生徒が奨学金を得ていて、実質負担はゼロだという。

★就職のためにボランティア活動証が金で買える
韓国では就職競争も激しい。英語ができる、ボランティア活動に従事した、部活動のリーダーだった等の「スペック」がないと、大企業には就職できない。

だからボランティア活動に従事したという証明書を出してくれる団体を紹介するブローカーが、多数活動しているという。大体日本円で30〜50万円の登録料で正式の活動証明書がもらえるという。

★「八八万ウォン世代」
韓国の就職事情は厳しい。「スペック」をそろえて、みんな大企業や安定している公務員を目指す。しかし、2010年の185大学の卒業者25万人のうち、就職できたのは52%の13万人だ。半数は就職ができない。やむをえず非正規雇用労働者となる者も多い。

正規労働者と非正規労働者の賃金は大きな差がある。正規労働者では平均1,400円の時給が、非正規労働者では平均800円である。

1997年のIMF主導の改革で、2万社を超える中小企業が倒産し、200万人が失業した。このしわ寄せを受けているのが若者だ。1990年には雇用全体の27%が若者だったが、2000年には23%、2010年位は15.3%まで落ち込んだ。

そんな韓国のワーキングプア世代について書いた「八八万ウォン世代」がベストセラーになっている。




★大企業は弱者を救わない
韓国の2010年の企業数は335万社、このうち従業員300人未満の中小企業が99.9%を占め、300人以上の企業は0.1%に過ぎない。

雇用全体でも79%が中小・零細企業だ。

さらにサムスンなど超大企業は、毎年5〜10%のパフォーマンスの悪い従業員を切り捨てている。大企業に入ってからも、激しい競争に晒されるのだ。いったん切り捨てられると敗者復活の道はほとんどない。

1997年の通貨危機の際に、韓国は財閥の経営改革や金融機関の再編などに踏み切り、輸出主導で2年たたずに景気回復にこぎつけ、「IMFの優等生」と呼ばれた。その結果、GDPにおける貿易依存度は88%と世界でも最も高いレベルだ。

輸出中心型企業を中心とする大企業の労働者の平均月収は2011年で42万円、一方、中小企業の正社員の平均月収は26万円で、格差は拡大している。

★お住まいはどちら?
最後に韓国での「住所」というブランド力について紹介している。ソウルでも江南(ハンナム)地区は高級住宅地として有名で、 ハンナムスタイルというPSY(サイ)のヒットソングにもなっている。



日本も、ある程度は、住所はブランドになる。たとえば、関西なら芦屋、東京なら田園調布とか成城学園などだ。しかし、大きい家が相続税対策で小分けされ、小さな家やアパートになっているので、住所=ブランドがだんだん薄れている。相続税課税強化で、今後もこの傾向は続くだろう。

筆者の故郷の神奈川県藤沢市鵠沼も、昔は大邸宅ばかりだったが、今は普通の込み入った住宅地になってしまった。昔の面影はほとんどない。

★家庭崩壊と自殺大国
最後は、「家庭崩壊と自殺大国」というタイトルで、韓国はOECDで自殺率一位であることを紹介している。

特に高齢者の年金が充実していないので、高齢者の自殺が多いのが特徴である。また、有名人の自殺も多い。

元巨人軍の趙 成Α淵船隋Ε愁鵐潺鵝砲留さんの女優チェ・ジンシルが自殺したことは知っていたし、この本でも紹介されている。しかし、趙 成自身も2013年1月に自殺していることをウィキペディアで知った。

たしかに「自殺大国」なのかもしれないが、複雑な思いだ。


この本を読んで、韓国人を応援したいという気になる人は少ないと思う。「セウォル号」事故を見ても、韓国人に生まれなくてよかったと思う人が大半だろう。

しかし、様々な競争を勝ち抜いたきた韓国人のなかには、当然、世界でもトップクラスの人材もいる。今度紹介する「呆韓論」のように、バカにして呆れているだけでは、足をすくわれる。

この本では兵役のことを一切触れていないが、筆者は兵役こそ、韓国社会に緊張感と規律、そして馬力をもたらしているのではないかと思っている。

もちろん中には脱落者もいるが、幼いころから自らを鍛え抜き、厳しい競争を勝ち抜き、兵役も経験して、緊張感のある人生を生きてきた韓国人トップエリートは侮れない。彼らはハングリーでワールド・クラスの競争力がある。それが筆者の持つ韓国人の印象である。


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2014年04月23日

破綻する中国、繁栄する日本 長谷川慶太郎さんの近著

破綻する中国、繁栄する日本
長谷川 慶太郎
実業之日本社
2014-01-31


評論家長谷川慶太郎さんのシャドウバンキングの実態とバブル崩壊に向かう中国の行方を予想する本。さらに最近出た最新作はもっと刺激的なタイトルになっている。

中国崩壊前夜: 北朝鮮は韓国に統合される
長谷川 慶太郎
東洋経済新報社
2014-04-18



この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして目次を見てもらいたい。目次を読むだけでもだいたいの内容がわかると思う。

章・節のタイトルを紹介しておく。

序章 迷走する中国
 北朝鮮の衝撃
 防空識別圏設定の誤算
 シャドウバンキングが中国崩壊のトリガー

第1章 日本に屈服するか中国
 窮地に追い込まれた中国
 激しさを増す人民解放軍との攻防
 人民解放軍の急所、「シャドウバンキング」
 リーマン・ショック後の経済対策4兆元の功罪
 不良債権処理に苦しむ銀行
 決定したシャドウバンキングの処理
 中国経済の行方

第2章 揺らぐ中国国内
 冬が山場に
 テロが頻繁化する
 怪しげな不動産ブーム
 工場シャッター街と中国製品
 世界の工場でなくなった中国
 共産党が恐れる弱腰外交批判
 人民解放軍に困る習近平

第3章 国際常識を逸脱した国家
 中国が勝利するのか
 レアアースで躓いた共産党に焦り
 国際条約を守らない中韓
 苦境に陥る韓国経済

第4章 シェール革命で勢力地図が塗り替わる
 運のいい安倍首相
 技術に対するトップの認識と理解度が焦点

第5章 繁栄する日本
 消費増税で景気は中折れせず
 日本の独自技術が世界で注目
 メタンハイドレートの実用化に本腰

第6章 21世紀中に共産主義と民族主義は消滅する
 共産主義は人を幸せにしない
 情報化社会に負ける共産主義
 民族主義は消滅の運命
 イランにみる日本技術の素晴らしさ
 歴史が証明する日本人の素晴らしさ


シャドウバンキングの実態

リーマンショックの時の4兆元(約60兆円)の経済刺激策のうち、3兆元を地方政府に資金負担させて高速道路や鉄道などのインフラ整備に充てた。

地方政府は原則起債は禁止されているので、「融資平台」というプラットホーム会社を設立して、金融商品を銀行に売らせて資金を集めた。その金額が30兆元(約450兆円)に拡大した。これがシャドウバンキングだ。経営者は人民解放軍の幹部たちで、シャドウバンキングで融資を受けた会社は300万社にも上るという。

その金で中国各地に高層マンションなどを建設して経済は急回復した。しかし、建設しても入居者がないので、ゴーストタウン(鬼城)化している。有名なのは、江蘇省常州市や貴州省貴陽市、内モンゴル自治区オルドス市などで、中国全土でゴーストタウンは200以上あるといわれている。



オルドス市は、石炭価格が上昇した時には、好景気に酔いしれたが、石炭価格が下がると炭鉱が閉山して失業が急増した。高層マンションなどに入居できる人が少なくなったのだ。中国の地方政府は、我が世の春をエンジョイしてきたが、シャドウバンキングが崩壊し、ゴールドマンサックスの推計では約300兆円の不良債権が発生するとみられている。

日本のバブルの時の不良債権の総額が100兆円と言われているので、いかに中国のシャドウバンキング崩壊のインパクトが大きいかわかると思う。

こうした事情から、ゴールドマンは2013年5月に中国最大の国有銀行の中国工商銀行の持ち株を全株売却し、バンクオブアメリカも2013年9月に中国建設銀行の持ち株を売却した。


習近平の権力闘争

人民解放軍を押さえつけるために、シャドウバンキングをつぶして大損を解放軍の幹部に経験させて息の根を止めるというのが習近平主席や李克強首相のシナリオだという。国民の生活より、人民解放軍に勝つことを優先するという政治問題なのだと。

習近平は江沢民の牙城の石油閥にもメスを入れている。

中国を代表する石油会社・中国石油天然気集団(CNPC)と子会社のペトロチャイナの元幹部4人が南スーダンの石油利権をめぐる汚職で摘発された。

石油閥は前共産党政治局常務委員の周永康がボスで、周は党内順位9位だった。周まで汚職追及の手が伸びるかどうか注目されている。周は無期懲役となった元重慶市書記の薄熙来と関係が深く、薄の失脚に反対したといわれている。

周は江沢民派で、習近平は江沢民派との権力闘争に勝利するために、石油閥の汚職を追及しているのだという。


せっせと海外蓄財する幹部たち

中国共産党の幹部たちは海外で蓄財している。習近平自身も、姪を通じて香港でオフィスビルなどに投資しているといわれ、中国のバブル崩壊で不動産価格が下落することは避けたいと思っているはずだと長谷川さんは語る。

ちなみに、中国共産党中央規律委員会が把握した中国から不法に海外に流出した資金は、2011年6千億ドル、2012年1兆ドル、2013年は1兆5千億ドルだという。資金の行き先はカナダのバンクーバーや、米国西海岸のサンフランシスコやロスアンジェルスで、資金の移転先では不動産ブームが起こっている。


尖閣列島周辺には石油資源はない

長谷川さんは尖閣列島周辺に海底石油資源があると言われているが、実際には商業ベースで開発可能な油田やガス田はないと語る。

オイルメジャーのロイヤル・ダッチ・シェルとエクソン・モービルは、この地域には商業ベースに乗るような資源はないと言っており、日本側の石油開発業者の試掘計画もない。

中国が開発しているガス田の試掘用パイプから炎が出ているが、たとえ天然ガスが出ても、それを中国本土に運ぶ手段がない。400キロもの海底パイプラインは現実的でなく、LNG化するにはLNGプラントやLNG船が必要で、到底巨大なインフラ投資には引き合わない。

だから中国も本気で開発していない。中国は日本に屈しないという宣伝が目的なのだ。

それでも中国が尖閣列島に対して領土権を主張している理由は、尖閣付近は海が深く、中国のミサイル潜水艦の格好の隠れ場所になるからだ。中国は「最小限核抑止」を狙っている。相手からの第一波の核攻撃に生き残り、最小限の核で報復をするという戦略だ。そのために最も重要なのがミサイル潜水艦なのだ。

東シナ海は海底が浅いので、日本のP3C哨戒機に捕捉されてしまう。ところが、尖閣付近の海は深く、簡単には捕捉できない。人民解放軍はそれを狙っているのだと。

たしかに次の地図を見ると、中国側の大陸棚には潜水艦の隠れ場所はないが。尖閣付近には沖縄トラフがあり、潜水艦の絶好の隠れ場所となりそうだ。

尖閣付近地図







































出典:海洋情報特報掲載論文

最近中国は、米国のヘーゲル国防長官にウクライナから買って改修した空母「遼寧」を案内して、米国とは敵対関係になりたくないという、いわば恭順の姿勢を示している。

中国には米国と軍事的に衝突する自信はない。「本当は、遼寧なんてたいした脅威にはなりませんよ。」と米国に伝えたいのだろう。





その他の話題も参考になる

情報通の長谷川さんらしく、その他の話題も参考になる。いくつか例を挙げておく。

★シェールガス開発に伴う、汚水問題は採掘方式を「ドライ方式」(水の代わりにLPGガスをシェール層に注入して、破砕する方式)に変えたことで、環境汚染の問題は解決している。

★北海道の夕張では露天掘りの炭鉱が操業を続けている。400トンの無人ダンプをはじめ、建設機械が大型化して、地表から80メートルの深さまで経済的に採掘できるようになったからだという。




★カジノ解禁で日本の景気は盛り上がる。超党派の「国際観光産業振興議員連盟」はカジノ法案を議員立法で国会に提出して、2014年中の成立を目指している。カジノを国による免許制にしようというものだ。


この本をうのみにせず、情報が正しいかどうかは自分で確認する必要があると思うが、いずれにせよ痛快かつ刺激的な本である。


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2014年02月09日

中国はもう終わっている 二人の帰化日本人の対談



中国からの帰化日本人の石平さんと、台湾からの帰化日本人の黄文雄さんの対談。

この本はアマゾンの「なか見、検索!」に対応していないので、ちょっと長くなるが、”なんちゃってなか見、検索!”で目次を紹介しておく。

第1章 中国経済の崩壊でこれから何が起こるのか
・中国の株価下落でなぜ世界が大騒ぎしたのか
・いまごろリーマン・ショックのつけが表面に
・中国でシャドーバンキングはなぜ生まれたのか
・中国の不良債権は300兆円
・地方政府の崩壊が秒読み
・ますます信用できなくなっている中国の統計
・続々と撤退する外国資本と大量失業者の発生
・中国社会を崩壊させる2つのグループ

第2章 習近平体制は間もなく破綻する
・身内を攻撃する習近平
・習近平と江沢民派との闘いが始まった
・習近平は「大政奉還」を狙っている
・毛沢東路線に回帰する習近平
・習近平が煽るウルトラ・ナショナリズム
・憲政をめぐって分裂する中国
・中国で民主化は可能なのか
・李克強は習近平に取って代わるか
・胡錦濤と習近平の「最終戦争」

第3章 日中はこうして激突する
・アベノミクスを執拗に攻撃する中国
・中国とともに沈没する韓国
・オバマに「宿題」を突きつけられた習近平
・スノーデン問題で冷え込む米中関係
・着々と進む安倍政権の「中国包囲網」
・TPP経済圏の出現に焦る中国
・中韓接近で変化する朝鮮半島情勢
・中国と接近した国の末路
・中国は尖閣問題をどうしたいのか
・中国の本当の狙いは南シナ海か
・習近平が恐れる軍部の暴走
・靖国問題はもう中国のカードにならない
・沖縄問題と反原発に媚中派が結集
・沖縄は中国に飲み込まれるか
・台湾も香港も中国離れが進む

第4章 2014年世界から見捨てられる中国
・偽りの経済成長で深刻化する大気汚染と疫病蔓延
・350年前の人口爆発から始まった環境汚染
・環境悪化が中国の経済成長を不可能にする
・ウイグル問題の爆発が迫っている
・世界から締め出される中国
・日本は中国崩壊に備えよ

目次を読むだけでも、大体の内容が推測できると思う。最近の話題が多く、刺激的なタイトルばかり並んでいて、すぐにでも習近平体制が崩壊しそうな印象を受ける。

そんなに危ういのか、にわかには判断ができないが、参考になった点を紹介しておく。

ちなみに、石平さんは、結構激しいことを言っている。

「私から見ると、まるで中国と韓国は「ドラえもん」のジャイアンとスネ夫ですね。共倒れ同士がお互いを慰めあって、連携して日本に無理な要求をしている。彼らが生き残る道は、頭を下げて日本といい関係をつくるしかないのに、変な意地を通している。とくに、韓国を待っているのは、中国の属国になって中国と共倒れになるという、哀れな将来ですよ。」

まるで長谷川慶太郎さんのようだ。

破綻する中国、繁栄する日本
長谷川 慶太郎
実業之日本社
2014-01-31


★中国の高度成長は終わった。これでせっかく生まれた中産階級は冷え、不動産が暴落し、地方政府の財政が破たんする。富裕層はますます海外に逃げ出す。

★2013年7月に卒業して、9月に就職する中国の大学生は約700万人いる。2013年5月時点で就職内定率は16.8%で、「史上最悪の就職氷河期」と言われており、大量の大学卒業生が職にあぶれることになる。都市と農村の中間地区に集団で暮らす蟻族(平均月収は2,000元=2万6千円以下)が増加する。

★習近平は訪米して、オバマ大統領と8時間も費やして会談したが、延々と日本批判を繰り返す習近平に対して、オバマは「それまでだ。日本はアメリカの同盟国であり、友人だ。あなたはその点をはっきり理解する必要がある」と反論したという。子供の教育問題で時間がないという理由で、習近平の奥さんもオバマ夫人と会えなかった。

★オバマ大統領の最大の関心事は、サイバー攻撃問題と北朝鮮問題で、習近平主席からかなりの譲歩を取り付けた。しかし習近平にはたいした成果はなかった。

★中国によって侵害されているアメリカの知的財産権は年間3,000億ドル(30兆円)にも上る。ハッキング、情報窃盗に協力しているという疑いが、華為技術(ファーウェイ)にかけられている。華為は1988年に人民解放軍の元幹部の任正非社長が人民解放軍の仲間と設立した。

★アジアの中で日本を嫌いなのは中国と韓国だけ。安倍政権の「中国包囲網」は着々と進んでいる。日露間でも2+2(外務大臣と防衛大臣による安全保障協議委員会)設置で合意した。インドとの協力関係も進んでいる。安倍政権は、戦後初めて国益に基づいた戦略的外交を展開している。

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出典:本書134ページ

★韓国軍の統帥権は、朝鮮戦争以来アメリカにゆだねられており、これが2012年に返還される予定だったが、2015年に延長してもらった。それ以降は韓国軍が自ら作戦を指揮しなければならない。韓国は日本の集団的自衛権に反対しているので、韓国が攻撃された場合、アメリカは当然韓国を支援するだろうが、日本は韓国を支援することはできなくなる。

★現実的に中国軍が尖閣に上陸して、占領することは、アメリカが尖閣を日米安保条約の適用範囲と明言しているから不可能。せいぜい、国民に見える形でギリギリの挑発を繰り返すしかない。あわよくば、それで何とか安倍政権に圧力をかけて屈服させたいと思っている。

★南シナ海が中国の本当の狙い。アメリカの軍事力に対抗するために、南シナ海の海底に原子力潜水艦の基地をつくって、そこからICBMでアメリカ本土を核攻撃できる体制をつくることができる。これが中国の対アメリカの切り札となり、南シナ海こそ「核心的利益」だ。

★中国のアフリカ援助は、中国人を派遣し、現地に雇用を生まない「ひもつき援助」なので、ザンビアのマイケル・マタ大統領は、「中国資本をたたきだせ」、「彼らはインベスターではなく、インフェスター(寄生者)だ」と主張して2011年の大統領選挙に勝利した。また、ボツワナのイアン・カーマ大統領も「中国が労働者をつれてくるなら、それは『ノー』だ」と語っているという。

★日本は中国とは正反対のやり方で、直接見返りは求めずに、無償援助や技術移転を中心にアフリカ外交をやっており、中国は脅威に感じている。


石平さんと黄文雄さんは、中国と韓国を悪く言い過ぎではないかという気もするが、ここまで日本の肩を持ってくれる帰化中国人も少ないと思う。

中国、韓国の今後の動向が、この本の指摘するようになるのかどうかはわからないが、いずれにせよ目が離せないことは間違いない。一つの見方として参考になる本だった。


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2013年11月25日

小沢一郎 淋しき家族の肖像 どこまでが真実か不明の暴露本

小沢一郎 淋しき家族の肖像
松田 賢弥
文藝春秋
2013-06-12


「角栄になれなかった男」など小沢一郎に関して何冊も暴露本を出しているフリージャーナリスト・松田賢弥さんの本。



松田さんは週刊文春でも小沢一郎の暴露記事を書いている。

特に、この本の冒頭に引用されている小沢一郎の妻・和子さんの支持者に宛てた手紙(離縁状)は週刊文春でも暴露され、政治家小沢一郎には相当なインパクトを与えるものだ。

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出典:本書10〜11ページ

この手紙は6ページ余りにわたって掲載されている。また、週刊文春WEBには手書きの手紙のコピーが掲載されている。

上記で紹介した最初の部分に結論が出ている。

「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しいときに見捨てて逃げ出した小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚しました。」

強烈な手紙である。

それと次の段落で、小沢の隠し子のことが触れられている。3年付き合った女性との間の子で、その人が別の人と結婚するから引き取れと言われ、和子さんと知り合う前から付き合っていた●●●●という女性に、一生毎月金銭を払う約束で養子にさせているのだと。

そして、和子さんが小沢に罵倒された言葉も引用されている。

「あいつ(●●●●)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる」

伏字になっている部分は、実名が入っているという。

本当の手紙なのか、あるいは捏造(ねつぞう)なのか、にわかには信じられない。

小沢一郎が松田さんや週刊文春を名誉棄損で提訴したという話は聞いていない。

隠し子の話が唐突に出てくることなどから、筆者にはガセはないかという気がするが、本当に離婚しているなら、いずれわかるので、現状では判断は差し控えたい。

「放射能が怖い」という部分はまさにガセの可能性が高いと思うが、隠し子の話は本当なのかもしれない。

うがった見方だが、一部真実が含まれているので、小沢一郎も名誉棄損で訴えられないという事情があるのかもしれない。

先日の最高裁判決で、民法で非嫡出子の遺産分与が嫡出子の1/2となっていることが違憲という判決がでて、衆議院ではこれを規定している民法900条の該当部分を削除する改正案を可決し、議案を参議院に送った

法案に反対する国会議員からは、日本の家族制度が崩壊するという意見が出されたという。

なぜ非嫡出子の遺産分与を嫡出子と同じにすると、家族制度が崩壊するのか、ロジックがにわかには理解できなかったが、この本を読んでなぜ国会議員が騒ぐのかわかったような気がする。

小沢一郎に本当に婚外子がいるのかどうかはわからないが、一部の政治家や資産家が一番影響を受ける可能性が高い。民法を改正しても、一般市民にはほとんど影響がないだろう。

この本には小沢一郎が田中角栄の5歳で肺炎のため亡くなった長男と同い年だったとことから、「他人とは思えない」ということで、田中のバックアップを得たことや、建設省人脈やゼネコンを徹底的に使った小沢流選挙術などが紹介されている。

どれだけ真実が含まれているかどうか、判断できないところだ。

いくつかの真実を含んだキワモノと思って読んでみると良いと思う。


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2013年10月04日

韓国併合への道 完全版 日本に帰化した呉善花さんの本



1910年の韓国併合に至る歴史的事実と、1945年までの日本統治下の韓国、そして日本統治時代の評価についての拓殖大学教授・呉善花(オ・ソンファ)さんの本。

生い立ちや日本に来た1983年前後の事情は、ベストセラーとなった処女作「スカートの風」に詳しい。今度このあらすじも紹介する。



ちなみに「スカートの風」=チマパラムという言葉の意味は、女の浮気や、ホストクラブ通いなど自由奔放な女性を指す言葉だという。

呉さんは、1956年韓国済州島に生まれる。韓国人だったら誰でも求める、お金と権力にあこがれて、大学から志願して軍人となり、軍人との結婚を目指す(当時、韓国の歴代大統領は軍人だった)。

軍人との初恋はあえなく破れ、27歳の時に日本に留学する。日本の大東文化大学を卒業後、東京外国語大学大学院でマスターを取った。日本の大学で教えながら活発に執筆活動しており、2005年に日本に帰化している。

日本統治時代を客観的に評価する姿勢が韓国で国賊扱いを受けており、2007年の母親の葬儀の時には、空港で入国拒否をくらい、日本領事館の抗議で、葬儀にだけ参列できた。

2013年7月に親戚の結婚式で韓国に行ったところ、仁川空港で入国を拒否され、日本に強制送還されるという事件が起きている。



入国拒否となったのは、全3部作となった「スカートの風」や、この本の影響も大きい。

この本の初版は2000年に発売され、その時は第10章までで終わっている。




次が初版に集録されている1〜10章までのタイトルだ。

第1章 李朝末期の衰亡と恐怖政治

第2章 朝鮮の門戸を押し開けた日本

第3章 清国の軍事制圧と国家腐敗の惨状

第4章 独立・開化を目指した青年官僚たちの活躍

第5章 一大政変の画策へ乗り出した金玉均

第6章 夢と果てた厳冬のクーデター

第7章 国内自主改革の放棄

第8章 新たなる事大主義

第9章 民族独立運動と日韓合邦運動の挫折

第10章 韓国併合を決定づけたもの


上記の通り第1〜10章は歴史書である。

その後、2012年に「完全版」として、11章と12章が追加された。これら2つの追加が本当に重要な日本統治時代の評価に関する部分なので、これらについては、節のタイトルまで紹介しておく。

第11章 日本の統治は悪だったのか

・西洋列強による植民地統治との違い

・韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘

・英仏蘭が行った一方的な領土宣言

・巨額投資による産業経済の発展

・原料収奪をもっぱらとした西洋諸国

・武力的な威圧はあったか?

・武断統治から文化統治への転換

・植民地で行われた弾圧と虐殺

・学校数の激増と識字率の急伸

・教育を普及させなかった西洋列強

・差別と格差をなくそうとした同化政策

・戦時体制下の内鮮一体化政策

第12章 反日政策と従軍慰安婦

・反日民族主義という「歴史認識」

・国民に知らされない日本の経済援助

・親日派一掃のための「過去清算」

・韓国人自身の「過去清算」への弾圧

・「従軍慰安婦」問題の再燃

・政権危機と対日強硬姿勢の関係


この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応している。目次は節タイトルまで記載しているので、ここをクリックして、全部の目次をチェックしてほしい。

この本を読んでいて、1〜10章までは歴史の叙述で、正直やや冗長なので、ダレ感があったが、最後の2章の思い切った発言は前の10章までとは全然異なっており、目が覚める思いだ。

2005年に日本国籍を取得して、2012年の「完全版」で、呉さんが思っていたことをやっと書けたということだと思う。それが上記のような韓国政府の入国拒否という事態を招いたのだろう。

第11章の「日本の統治は悪だったのか?」では、日本による朝鮮統治と西洋列強の植民地統治との違いとして次の4点を挙げている。

1.収奪によって内地を潤すという政策をとらなかったこと

2.武力的な威圧をもっての統治政策を全般的にとらなかったこと

3.文化・社会・教育の近代化を強力に推し進めたこと

4.本土人への同化(一体化)を目指したこと

たとえば、現在韓国で使われている地籍公簿(土地台帳、地籍図)は1910年から1918年までの間に朝鮮総督府が作ったものだ。近代国家体制の確立していなかった朝鮮に、本格的な土地調査を導入し、これにより土地の所有者を明確にした。

ところが、韓国の歴史教科書では、「全農地の約40%にあたる膨大な土地が朝鮮総督府に占有され、朝鮮総督府はこの土地を東洋拓殖株式会社など、日本人の土地会社に払い下げるか、我が国に移住してくる日本人たちに安い値段で売り渡した」(2002年の中学校国史の国定教科書を呉さんが引用)と書いている。

日本による土地調査事業について、ソウル大学の李榮薫教授の調査報告を紹介している。

「総督府は未申告地が発生しないように綿密な行政指導をした。(中略)その結果、墳墓、雑種地を中心に0.05%が未申告で残った。あの時、私たちが持っていた植民地朝鮮のイメージが架空の創作物なのを悟った」。

「日帝の殖民統治史料を詳らか(つまびらか)にのぞき見れば、朝鮮の永久併合が植民地統治の目的だったことがわかる。収奪・掠奪ではなく、日本本土と等しい制度と社会基盤を取り揃えた国に作って、永久編入しようとする野心的な支配計画を持っていた。近代的土地・財産制度などは、このための過程だった」。

しかし 李榮薫教授などは少数派だ。韓国の教科書フォーラムで聴衆に殴られる李教授の姿がYouTubeに掲載されている。



李榮薫教授は、「大韓民国の物語」で、韓国の歴史教科書を変えよと主張している。

大韓民国の物語
李 榮薫
文藝春秋
2009-02



この本で呉さんは、日本は西洋列強の収奪を目的とした植民地支配とは異なり、差別と格差をなくそうとした同化政策を取っていることを指摘している。李榮薫教授も、「地理的に接していて、人種的に似ていて、文化的によほど似たり寄ったりで、一つの大きな日本を作ろうとしていたのだ」と語っている。


創氏改名の真実

創氏改名についても、韓国でしばしば主張されているような「朝鮮人の姓名を強制的に日本名に改めさせること」ではない。

昭和15年に施行された創氏改名は次のような条件で行われた。

1.創氏は6か月間限定の届け出制。届け出なかったものは従来の朝鮮の姓が氏としてそのまま設定される。

2.創氏しても従来の姓がなくなるわけではなく、氏の設定後も姓および本貫はそのまま戸籍に残る。

3.日本式の氏名などへの改名は強制ではなく、期限なく、いつでもしてよい制度である。

朝鮮では本貫(ほんがん)と姓がある、たとえば慶州出身の李さんなら慶州李氏が本貫で、李が姓だ。本貫・姓では女性は結婚しても夫の姓にはならないので、本貫・姓に代わる家族名として「氏」を創設できる制度だ。結果として朝鮮在住者の80%が創氏して日本風の名前に変更している。

改名は名を変えることで、こちらは10%以下が改名した。

韓国国民に知らされない日本の経済援助

韓国の初代大統領となった李承晩は、日本の植民地支配に甘んじてきた屈辱の歴史を清算し、民族の誇りを取り戻すために、反日民族主義を打ち出した。

日本は終戦の時に、朝鮮のすべての日本及び日本人保有の私有財産・工場設備・インフラなどを米軍経由韓国に委譲し、北朝鮮にあった資産はすべてロシアが没収した。

ハーグ条約は占領軍が占領地の私有財産を没収することを禁じている。しかし、日本はこの主張を1957年に取り下げ、在朝鮮資産を正式に放棄した。

日本と韓国は戦争をしたわけではないので、本来日本に戦争賠償責任は生じない。

それにもかかわらず日本は1965年の日韓国交正常化を機に、日韓経済協力協定を締結して韓国に多額の援助をした。1950年代には国民一人当たりのGDPがわずか60ドルという世界最貧国の韓国にはまさに干天の慈雨となった。

日韓経済協力協定に基づく日本の援助額は、10年で有償2億ドル、無償3億ドル、民間経済協力3億ドル以上の合計8億ドル以上である。これは当時の日本の外貨準備のほぼ半分にあたる巨額の援助である。

このほか民間人に対する補償として1975年に軍人、軍属または労務者として召集され終戦までに亡くなった者を対象に、その直系遺族9,500人にそれぞれ30万ウォンが支払われている。同時に日本の金融機関への預金などの財産関係の補償として9万4千件に対して総額66億ウォンが支払われている。

韓国は日本からの資金を使って朝鮮戦争で荒廃した港湾、鉄道、鉄橋などのインフラや、農業近代化、中小企業育成、POSCO製鉄所などの重化学工業団地などを建設した。

1970〜1980年には約2,000億円が援助され、1980年からは追加の約3,300億円が地下鉄建設、ダム建設、下水処理などに活用されている。


韓国人自身の過去の清算

1997年1月の韓国の通貨危機以降、「韓国人自身の過去の清算」という言葉が登場し、日本の過去ばかりでなく、自らの過去を問い直そうという動きがでてきた。この表れが1998年10月に日本を訪問した金大中大統領の「もはや過去について論及することはない」という発言だった。

続く盧武鉉大統領も「過去は問わない、未来を見つめよう」と登場したが、金大中も盧武鉉も支持率低下とともに、対日強硬姿勢に転換している。


反日姿勢は大統領支持率アップに必須

盧武鉉はさらに親日反民族行為を糾弾するとして、106名を公表し、財産を没収した。これで親日派を一掃したのだ。

言論も弾圧された。2002年に韓国で出版された「親日派のための弁解」は青少年有害図書とされ、著者のキム・ワンソプは独立運動家の名誉棄損で在宅起訴された。




韓国の日本に対する賠償請求権は、1965年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」で消滅している。

しかし、韓国政府は盧武鉉政権の2005年以来、「従軍慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人被爆者は対象外だったので、解決していない」という態度を取っている。

どの政権でも政権支持率が下がる3,4年目には必ず対日強硬姿勢を打ち出しているのが現状だ。

朴槿恵(パククネ)大統領に至っては、就任当初から対日強硬姿勢を打ち出している。これは2011年8月に、韓国憲法裁判所が「韓国政府が賠償請求権の交渉努力をしないことは違憲」とする判断を示したことに始まっている。

つい最近もソウル高等裁判所で、新日鐵住金に対して戦時中の朝鮮人労働者に対して雇用条件と異なった重労働をさせたという理由で賠償を認める判決がでており、新日鐵住金は韓国大法院(最高裁判所)に上告した。

日本人から見ればきりがない韓国の賠償や謝罪要求は、実はすべて両国間で解決済みの問題であることを呉さんは冷静に指摘している。

呉さんは親日的な発言に目をつけられて、今は韓国入国を禁止されている元韓国人だが、その主張は拝聴すべきものと思う。

大変参考になる本だった。筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。


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2013年05月30日

米韓FTAの真実 TPPの正しい理解に役立つ韓国の事情

TPPの正しい議論にかかせない米韓FTAの真実TPPの正しい議論にかかせない米韓FTAの真実
著者:高安雄一
学文社(2012-11-22)
販売元:Amazon.co.jp

TPP交渉への日本の参加が正式決定した。

TPPに関しては、「考えてみよう!TPPのこと」というサイト、「現代農業絵ときTPP反対」など、様々な反対論が出ているが、中には誤解に基づくものもある。

このブログで紹介した「隣の国の真実」など韓国に関する著書が多い高安雄一さんが、米韓FTA批判への韓国政府の反論を紹介することで、日本のTPP論議での同様の誤解に回答している。

隣りの国の真実 韓国・北朝鮮篇隣りの国の真実 韓国・北朝鮮篇
著者:高安雄一
日経BP社(2012-11-22)
販売元:Amazon.co.jp

ちなみに「みんなの党」のホームページでも「TPP反対論に対する反対論」を公開している。

最初にTPPの論議で、なぜ米韓FTAを題材として取り上げたかの説明をしている。TPPとFTAは次の表のように、非常に似通った内容の条約だ。

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出典:本書2ページ

また日本と韓国とは農業の国際競争力がなく、貿易立国であるという意味で、経済構造が似ているので、韓国の例が日本の参考にもなる。


韓国はFTA先進国

韓国がFTA先進国であることはよく知られている。この本で紹介する米韓FTAのほかに、EUともFTAを結んでいるので、工業製品の関税については、日本と比べると韓国製品の方が圧倒的に有利なポジションにいる。


対米国貿易      日本製品に対する関税率    韓国製品に対する関税率

自動車        2.5%                    0%
トラック        25%                     0%
カラーテレビ     5%                      0%

対EU貿易      
乗用車        10%                     0%
薄型テレビ      14%                     0%
液晶モニター     14%                     0%
電子レンジ      5%                      0%

これが日本もTPPに加盟して、「バスに乗り遅れるな」という根拠となっている韓国製品との競争力の差だ。

TPPでもよく言われる問題の整理をいくつか紹介しておく。


ISDS(Investor-State Dispute Settlement)条項

★アメリカ企業は日本政府を提訴できるが、日本企業はアメリカ政府を提訴できない?
これは条約がそのまま国内でも効力がある国と、条約を履行するために国内法が必要な国の差だ。

つまりアメリカは条約がそのまま国内では効力がない。外国企業はFTAなりTPPなりの条約を根拠としては提訴できない。

しかし、アメリカは条約を履行するための国内法を作っているので、その法律を根拠にアメリカ政府を訴えることができる。

★国際仲裁機関はアメリカ寄り?
国際仲裁機関で裁定が終わった200件余りのうち、投資家勝訴は30%。しかし公開されていない和解をあわせると推定60%を超えているといわれており、必ずしも国家有利ではない。

国際投資紛争解決センターは世界銀行の下部組織だが、世銀総裁は裁定には関与しない。裁定者は紛争当事者から各1名、双方が合意した第三者1名である。アメリカ寄りという事実はない。

★アメリカ企業による濫訴
アメリカ企業が提訴するケースは相対的に多い。しかし、法制度が未整備の国を提訴するケースが多く、法制度が整備している国が提訴されるリスクは少ない。


食の安全と農業

★ラチェット条項は「毒素条項」でBSE(狂牛病)が発生しても禁止措置を取れない

「ラチェット条項」とは、一度開放された水準は、いかなる場合でも反自由化の方向には戻せないというものだ。しかし「ラチェット条項」は投資、国境間のサービス貿易、金融サービスの一部にしか適用されない。

★未来最恵国待遇で、将来米国より高い水準の市場開放を別の国と合意すると、米国も同じ待遇にしなければならない?
未来最恵国待遇も、投資、サービス貿易のみに適用され、物品貿易には適用されない。

★農業壊滅 コメは守ったが、畜産などその他の農産品は関税撤廃で壊滅する?
たしかに牛肉をはじめ自由化される農産品の生産額は減少するという試算があるが、韓国では牛肉の生産量は増加している。

国産牛を好むという消費者のトレンドが国産品増加の要因で、自由化による生産減少を国産品選好が上回ることが予想される。

日本でも同じことが起こった。BSEによる輸入禁止期間もあったが、日本における輸入牛肉のシェアは一定に留まっているのが実情だ。

その他、次の様な誤解・疑問点についても丁寧に説明している。

★国のエネルギー政策が崩壊する

★国民皆保険が崩壊する

★金融市場が国際資本の草刈り場になる

★ジェネリック薬品が製造不可になる

★著作権侵害が非親告罪になり、誰でも告訴できる

★著作権の保護期間が70年に延びて、一般利用者に負担が掛る


FTAもTPPもほぼ同様の分野についての交渉となるので、米韓FTAについての考察が参考になる。正しいTPP/FTA理解に役立つ本である。


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2013年05月16日

戦後史の正体 元外務省・国際情報局長が書いた「米国の圧力」史

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)戦後史の正体 (「戦後再発見」双書)
著者:孫崎 享
創元社(2012-07-24)
販売元:Amazon.co.jp

昨年から話題となっている外務省の元・国際情報局長の孫崎享(まごさき・うける)氏が書いた「米国からの圧力」を軸とした戦後史。

昨年7月に発売されて以来ベストセラーとなっている。現在でもアマゾンの売り上げランキング250位くらいに入っている。

いわゆる「とんでも本」だと思っていて、いままで読んでいなかったが、外務省の元・局長だけに、興味深い指摘もある。


日本が負担した占領軍駐留経費

戦後日本の復興に、アメリカのガリロア・エロア資金(1946〜1951年までに18億ドル。うち5億ドルは返済)が大変役立った。米国による寛大な占領だったと言われている。しかし、実は同じ時期に日本は占領軍の駐留経費を約50億ドル負担しており、占領軍のゴルフ場代から、特別列車代まで負担していた。

孫崎さんは、一般に言われているほど「寛大な占領」ではなかったという。むしろ経済的な負担も日本に過酷なものがあった。

ちなみに、ガリオア・エロアは、人の名前か地名の様に思えるが、ガリオアはGovernment Appropriation for Relief in Occupied Areaの頭文字を取った"GARIOA"で、エロアは Economic Rehabilitation in Occupied Area Fundの頭文字を取った"EROA"だ。

本書によると、日本の負担した占領軍駐留経費は次の通りだ。

  年       金額     一般会計に占める割合
1946年    379億円   32%
1947年    641億円   31%
1948年  1,061億円   23%
1949年    997億円   14%
1950年    984億円   16%
1951年    931億円   12%

日本政府は戦争に敗れ、国土も産業も荒廃した大変な経済困難のなかで、6年間で5,000億円、国家予算の2〜3割を米軍経費に充てている。

この時、米国に駐留費の減額を求めて公職追放されたのが石橋湛山で、米国の言う通りにしたのが吉田茂だと孫崎さんはいう。

吉田茂の功績を高く評価している高坂正堯(こうさかまさたか)の「宰相吉田茂」などとは全く異なる評価である。

宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))宰相吉田茂 (中公クラシックス (J31))
著者:高坂 正尭
中央公論新社(2006-11)
販売元:Amazon.co.jp

吉田の考えは、「占領下だから文句をいってもしょうがない。なまじっか正論をはいて米国からにらまれたら大変だ」というものだったという。だから吉田は、対米追随派の代表であると。

このブログでは北康利さんの「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」のあらすじも紹介している。吉田茂の政治姿勢を表す言葉として、「戦争に負けて外交で勝った歴史はある」というものがある。これが吉田の政治信条を貫いていたのではないかと筆者は考えている。

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて吉田茂 ポピュリズムに背を向けて
著者:北 康利
講談社(2009-04-21)
販売元:Amazon.co.jp

孫崎さんの自主派/対米追随派で分けるというのは、偏った見方という気がするが、これがこの本を貫く孫崎さんの姿勢である。


自主派か対米追従派か

孫崎さんは、政治家は次の様に自主派と対米追随派に大別できるという。

自主派:
・重光葵(外相)
・石橋湛山
・芦田均
・岸信介
・鳩山一郎
・佐藤栄作
・田中角栄
・福田赳夫
・宮沢喜一
・細川護煕
・鳩山由紀夫

対米追随派:
・吉田茂
・池田隼人
・三木武夫
・中曽根康弘
・小泉純一郎
・海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、安倍晋三、麻生太郎、管直人、野田佳彦

一部抵抗派:
・鈴木善幸
・竹下登
・橋本龍太郎
・福田康夫


日本の「自主派」政治家を引きずりおろす米国のツールは、検察、マスコミ、学者

検察特捜部は、もともとGHQの指揮下にあった「隠匿退蔵物資事件捜査部」(戦後に日本人が隠匿した資産を探し出してGHQに差し出すのが任務)だった。だから、孫崎さんは、創設当初から検察特捜部は米国と密接な関係を維持してきたと指摘する。

占領直後は、GHQは「公職追放」というまさに偏見と独断がまかり通る武器を持っていた。孫崎さんによると、米国からバージされた首相・政治家は次の通りだ。

芦田均以前の政治家は別として、田中角栄、小沢一郎が米国に目をつけられたというのは、うなずける。

・石橋湛山(公職追放)
・鳩山一郎(公職追放)
・芦田均(昭電疑獄)
・田中角栄(ロッキード事件)
・小沢一郎(越山会疑惑)


マスコミ、学界、官僚も親米

米国は、日本の大手マスコミのなかで、「米国と特別な関係を持つ人々」を育成してきた。また、外務省、防衛省、財務省、大学にも「米国と特別な関係を持つ人々」がいる。

松田武著の「戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー 半永久的依存の起源」では、日本の米国学界が「米国に批判的な、いかなる言葉も許されない」状況でスタートし、米国から多額の援助を受けたことを指摘しているという。 

戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー―半永久的依存の起源戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー―半永久的依存の起源
著者:松田 武
岩波書店(2008-10-28)
販売元:Amazon.co.jp


アメリカの望みは「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させること」

1950年にトルーマン大統領は、対日講和条約締結交渉を開始するように指示し、それを受けて1951年にジョン・フォスター・ダレス(後の国務長官)が来日する。

その時のダレスの交渉姿勢が、「われわれは日本に、われわれが望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保できるだろうか。これが根本問題である」だった。

孫崎さんは、この姿勢が現在に至るまで変わっていないと指摘する。

たとえば鳩山首相の「普天間飛行場の移転先を最低でも県外」という発言は、米国の方針に反するために、鳩山首相は米国につぶされたと孫崎さんはいう。

たしかに鳩山首相の「最低でも県外」は、混乱を招いた。しかし、それ以外にも鳩山首相のお母さんからの毎月1,500万円の「こども手当」とか、国連総会で勝手に「2020年に温暖化ガス25%削減」とか言いだしたとかの要因もあって国内外の信頼を失って退任したので、別に米国の虎の尾を踏んだから退任したわけではないと思う。

ちなみに、普天間飛行場の返還・移転交渉については、守屋元防衛事務次官の「普天間交渉秘録」のあらすじを紹介しているので、参照願いたい。

「普天間」交渉秘録「普天間」交渉秘録
著者:守屋 武昌
新潮社(2010-07-09)
販売元:Amazon.co.jp


行政協定(地位協定)のための安保条約?

戦前の外務省アメリカ局長で、1946年に外務次官になった寺崎太郎は、「行政協定(注:現在は地位協定)のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明らかとなっている。つまり本能寺は最後の行政協定にこそあったのだ」と語っている。

朝鮮戦争が勃発したことから、米国は日本に対する考えを変え「ソ連との戦争の防波堤」としようとした。

日米地位協定では、第2条で基地の使用を認め、「いずれか一方の要請があるときは、(中略)返還すべきこと、または新たに施設および区域を提供することをを合意することができる」となっている。

ダレスの「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させること」が実現しているのだ。


「北方領土問題」は米国発案

孫崎さんは、北方領土問題は米国が、日本とソ連との間に紛争のタネをのこし、友好関係に入らないためにつくったものだと語る。

というのは米国ルーズベルト大統領はスターリンにソ連参戦の条件として国後、択捉の領有権をソ連に約束している。しかし冷戦の勃発後は、国後、択捉島のソ連による領有に米国は反対している。

孫崎さんが頻繁に引用する米国の歴史家・マイケル・シャラーさんの「『日米関係』とは何だったのか」でも、この件が紹介されている。

「うまくいけば、北方領土についての争いが何年間も日ソ関係を険悪なものにするかもしれないと彼らは考えた」。

「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで「日米関係」とは何だったのか―占領期から冷戦終結後まで
著者:マイケル シャラー
草思社(2004-06)
販売元:Amazon.co.jp

この本も図書館で借りたので読んでみる。

紛争のタネを残しておくというのは、インド・パキスタンの間のカシミール問題、アラブ諸国の間の飛び地問題、日韓の竹島問題、日中の尖閣列島などにも当てはまり、外交上よく行われる手口だという。


「イコール・パートナー」を提唱したライシャワー大使

孫崎さんは、ライシャワー大使についての逸話をいくつか紹介している。

一つは東京オリンピックの時の選手村が当初朝霞に決まっていたのを、外務省がライシャワー大使の口添えで代々木の米軍キャンプを移転させ、跡地を選手村にしたことだ。

この時は、オリンピックの主管官庁の文部省が反対し、「朝霞に決めたので主管官庁でもない外務省が口を出すな」と全く動かなかったので、事務次官会議を通さずに閣議に上げたという。

東京生まれのライシャワー大使は、戦前も対日戦争に反対し、戦後は沖縄返還のきっかけをつくった。まさに「二つの祖国」を橋渡しした人である。

日本への自叙伝日本への自叙伝
著者:エドウィン・O・ライシャワー
日本放送出版協会(1982-01)
販売元:Amazon.co.jp


自主派の佐藤栄作首相

佐藤首相時代に日本は「核保有国は、非保有国を攻撃しない義務を負うべきだ」という政策を立案し、1968年に国連の「非核保有国の安全保障に関する安保理決議」として結実している。

佐藤首相は、1965年に沖縄を訪問し、「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、わが国にとっての戦後が終わっていない」という声明を読み上げた。

これは外務省と全く打合せしていなかったという。

佐藤首相は、退任後、1974年に「非核三原則」の提唱により、ノーベル平和賞を受賞した。筆者も賛否両論がおこったことを覚えている(どちらかというと、「否」の方が多かったと思うが)。

たしかに「核保有国は、非保有国を攻撃しない」という義務が、本当に国際的に確立できれば、ノーベル平和賞にも値するだろう。


ニクソンと佐藤首相の密約

1969年に訪米した佐藤首相は、ニクソン大統領との間で二つの密約を締結する。一つは沖縄に核兵器を持ち込むような事態が将来生じた場合、日本政府は理解を示すという「核持ち込み密約」。

もう一つはニクソンが大統領選挙対策上もっとも重視していた南部各州対策のための繊維製品の対米輸出枠の密約だ。

佐藤首相は帰国後密約は存在しないという立場をとり、合意を実行しなかった。ニクソンと交渉にあたったキッシンジャーは激怒し、報復を始めた。


ニクソンの報復

第1弾は日本には事前通告なく発表されたニクソン訪中。第2弾はニクソンショック(金ードル交換停止)だと孫崎さんはいう。

ニクソン訪中については納得できるが、ニクソンショックはたぶん密約無視とは関係ないだろう。


田中角栄失脚

ロッキード事件が米国発で起こり、田中角栄が失脚任したことは、一般的にはロシアからのガス輸入や北海油田開発などの日本独自のエネルギー政策が、米国の怒りを買ったといわれている。

しかし、孫崎さんは田中角栄が、米国より先に日中国交回復を実現したことが、米国の怒りをかったのだと説く。

米国は日本の頭ごなしに、ニクソン訪中を1972年2月に実現していながら、中国との実際の国交樹立は議会の反対で1979年までできなかった。

ところが、田中角栄は中国を訪問した1972年9月に日中国交回復を実現している。これが中国が田中真紀子や、小沢一郎などの旧田中派の政治家を「老朋友」と遇する理由だ。


日本のP3C大量配備は米国防衛のため

孫崎さんは、日本のP3C対潜哨戒機大量配備は、日本のためではなく、米国のためだと指摘している。

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出典:Wikipedia

オホーツク海に潜むロシアの潜水艦はSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を持っており、それのターゲットは米国で、日本ではない。

しかし米国はシーレーン防衛という名目でP3Cを大量に買わせて、米国の防衛の肩代わりをさせているのだと。

一面ではたしかに孫崎さんの指摘するような面はある。しかし、現代の防衛はイージス艦や、三沢など各地にある米軍の高性能レーダー、AWACS早期警戒機、海峡に設置された音波収録器など、様々な情報を管制してはじめて成り立つのであり、単に対潜哨戒機だけ持てば役に立つわけではない。

特に昨今は、中国潜水艦と思われる国籍不明潜水艦も日本近海に出没するようになってきている。

孫崎さんの説は、あまりに狭量というか、外務省の元高官が言う言葉ではないと思うが…。


2005年の日米同盟の変質

2005年小泉政権が締結した「日米同盟 未来のための変革と再編」は従来の安保条約を変質させている。

1.日米軍事協力の対象が極東から世界に拡大された。

2.戦略の目的が、「国際安全保障環境を改善する」こととされた。


TPPは日本にとってきわめて危険

TPPの狙いは日本社会を米国流に改革し、米国企業に日本市場を席巻させることで、日本にとってきわめて危険な要素を含んでいると孫崎さんは語る。

被害は限りなく想定されるという。

たとえば国民健康保険制度が崩壊するという危険性を挙げているが、意味がよくわからない。TPPを米国が日本にせまる理由も、日本が中国に接近することへの恐れと、米国経済の深刻な不振だという。

こういった議論については、今度紹介する「米韓FTAの真実」という本が、参考になると思う。

TPPの正しい議論にかかせない米韓FTAの真実TPPの正しい議論にかかせない米韓FTAの真実
著者:高安雄一
学文社(2012-11-22)
販売元:Amazon.co.jp

注意して読むと、外交官時代に自分が見たり聞いたりした情報はふくまれていない。公務員として守秘義務が課せられているからだろう。

自分が持っている情報は一切出さないが、公表されている情報をまとめて対米追随派/自主派という論理を組み立て、政治家や過去の事件を分類している。

佐藤優さんの本だったか、インテリジェンスのほとんどは新聞や雑誌などの公開情報の寄せ集めという話があった。公開情報を分析して、その奥に潜む真実や、その国の真意を探り当てるのがインテリジェンスだ。

外務省のインテリジェンス部門の国際情報局長をつとめた人だけに、同じ手法をとってこの本を書いているものと思う。

結論として、やはり「とんでも本」というか、「偏向本」ではないかと思うが、的確な指摘も含んでいる。どう評価したらよいのか、よくわからない本である。


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2013年05月13日

隣の国の真実 知っているようで知らない北朝鮮と韓国の現状

隣りの国の真実 韓国・北朝鮮篇隣りの国の真実 韓国・北朝鮮篇
著者:高安雄一
日経BP社(2012-11-22)
販売元:Amazon.co.jp


日経ビジネスオンラインで「知られざる韓国経済」「茶飲み話ではない北朝鮮」として2011年末から2012年初めまで不定期に掲載されていたシリーズものが本になった。

著者の高安雄一さんは、大東文化大学教授。1990年に当時の経済企画庁に入省し、韓国の日本大使館に3年間駐在した経験がある。

この本では韓国経済の基礎知識と、補足として北朝鮮についての統計データを紹介している。

筆者自身も両国に対する基礎知識は断片的だったので、知識拡充に役立った。

たとえば朴槿恵大統領の伝記を紹介した時に、朴正熙元大統領の20年間で韓国と北朝鮮のGDPは逆転したと書いたが、北朝鮮のGDPがそもそもなぜ韓国より高かったのかは知らなかった。

その疑問がこの本を読んで解けた。北朝鮮は第2次世界大戦後ずっとソ連や中国などの共産圏諸国の援助を受けており、これらの無償援助がGDPの多くの部分を占めていたのだ。

たとえば1945〜1960年のソ連や中国の北朝鮮への援助額は18.5憶ドルだった。ところが、中ソ対立で北朝鮮が中国寄りの立場をとったことから、ソ連からの援助は打ち切られ、中国も文化大革命による内紛や援助余力がなかったことから、1961〜1970年には援助額は3.8憶ドルに激減した。

「ガリオア・エロア資金」として知られる米国からの対日復興援助は、1946〜1951年の6年間で18億ドルだった。

国の規模を考えれば、日本の3億ドル/年に対し、北朝鮮の1.2億ドル/年は、優遇といえるだろう。

これが北朝鮮の一人当たりGDPが1950年代の4,000ドル前後から毎年減少し、2010年には推定1,073ドルにまで減少した原因だ。一方、韓国は1950年代は見るべき産業は農業くらいしかなかったが、朴正熙大統領が主導した「漢江の奇跡」により500ドル台から、2010年には20,756ドルと急増して現在に至っている。

現在北朝鮮の一人当たりGDPは世界第144位で、カメルーン、パキスタン、ラオスなどと一緒の下位グループにいる。


北朝鮮の統計

北朝鮮の統計は公式に発表されたものが少ないが、一人当たりGDPが低い割には識字率は100%と高い。

平均寿命は69.3歳で、韓国の79歳に比べて低いが、世界的には中ぐらいに位置する。ただし、幼児死亡率は2.6%と世界117位にとどまっている。ちなみに日本の幼児死亡率は0.2%で世界最低で、韓国は0.4%と世界20位である。


韓国のFTA締結状況

韓国は次の諸国・地域とFTAを締結している。
EU,米国、ASEAN,EFTA(欧州自由貿易連合)、インド、チリ、シンガポール、ペルーの8カ国・地域

現在FTA交渉中なのは、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、メキシコ、GCC,コロンビア、トルコの7件で、日本とはFTA交渉が中断したままとなっている。

よく言われるように韓国の輸出依存度は高い。GDPに占める輸出の割合は韓国では50%近く、15%の日本とは比べ物にならないくらい高いので、輸出が韓国の成長の源であることは国民共通の認識となっている。


農民票の影響度

総人口に占める農民の割合は、日本の5.5%に対して6.4%だ。しかし国民の直接投票によって選ばれる大統領が強大な権限を持っていることや、選挙制度が小選挙区制に基づく一院制で、農民の多い地区は限られていることから、FTAに反対する農業団体の声がマジョリティになりにくい構造がある。

もっともFTA締結のために農業部門を切り捨てているわけではない。農業部門への補助金は莫大なもので、コメの関税化も当初2004年とされていたものを、FTA再交渉で2014年に遅らせている。

しかし、輸出が韓国成長の源なので、韓国政府はTVコマーシャルなどで、「日本が先を走っていきます。中国が先を走っていきます。(中略)より大きな世界に進むための私たちの選択、米韓FTA。…」というような刺激的な言葉で、国民にアピールし、今では国民の過半数がFTA推進を肯定している。

いくつか印象に残った点を要点だけ紹介しておく。

★韓国の財政は健全
韓国の財政は健全で、1988年に導入された国民年金制度は積み立て段階で、まだ支払いが始まっていないこともあり、国家財政は黒字だ。

GDPに対する国家債務比率は33%、それも半分以上の債務が対応資産があるものなので、これらを除くと純債務はGDPの16%程度にとどまる。

1997年の韓国の通貨危機は、財政の赤字が問題ではなく、国際収支の赤字と外貨準備不足によりもたらされたものだ。

★韓国の税率は日本より低い
韓国の税率は日本より低い。1975年には所得税率8〜70%だったが、現在は6〜35%の4段階に下がった。

法人税も20〜40%だったものが、現在は10%と22%の2段階に簡略化されている。付加価値税は1977年の導入以来10%で変わりない。

政府のクレジットカード普及策により法人所得の捕捉率が上がったことも、経済成長と並んで、税率を低く抑えられている原因に挙げられている。

★韓国の予算に占める福祉関係支出は少ない
韓国の予算に占める福祉関係支出はまだ少ないことも均衡財政が保てる理由の一つだ。韓国の65歳以上の高齢者比率は11%で、OECD諸国の間でも低い。

国民皆年金となったのは1999年と日が浅いので、年金をもらえない高齢者には2008年から国家予算から対象者に年金が支給されるが、これは経過的な措置で、いずれ減少が見込まれる。

★医療保険は高齢者への配慮なし
医療保険では日本の健康保険のように、一般は30%だが、高齢者負担が70歳以上20%、75歳以上10%と減る制度ではなく、おおむね同じである。

年間の医療費自己負担額の最高額が決まっており、これを超えると国民健康保険公団が補てんしてくれる制度がある。

介護保険は2008年からスタートしたばかりで、負担も低水準だ。儒教精神で高齢者は家族が看護するという伝統があるせいもあるが、世界でも類のないスピードで高齢化が進む韓国で、このような低負担が将来も続けられるのかは疑問があるところだ。

★外国人労働者は50万人
外国人労働者は現在50万人いて、労働力不足解消に貢献している。

★高い大学進学率
日本の54%に対して79%と高い大学進学率が、これは専修大学(2〜3年)への進学率も含んでおり、実質の4年制大学の比較では日本より若干高い程度である(同じ専修学校も含む基準だと日本は約70%)。

★地方大学よりもソウルの大学
大学は序列化が激しく、ソウルの大学、トップはSKY(ソウル大学、高麗大学、延世大学)が占めており、高学歴は就職等にも有利な現状を反映している。地方大学よりもソウルの大学、専修大学よりも4年制大学の希望が高い。

個別の大学入試はなく、「大学就学能力試験」に一本化されている。国家公務員上級職試験の合格者からみた大学のランキングは次の通りだ。

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出典:本書

★逆単身赴任(キロギアッパ)
「キロギアッパ」という言葉は、海外留学している子どもに一緒に妻がついていっているんで、夫は韓国に残って、時々子ども・妻を訪問するという、逆単身赴任に近い韓国特有の言葉だ。小学生8、000人、中学生6、000人、高校生4、000人が6か月以上の海外留学中だという。

★大学生の就職難
大学生の数は増えているが、企業の新卒者採用は逆に減少している。これが韓国の大学生の就職難につながっている。

1996年の企業の新卒者に占める転職者の比率は34%だったのが、2002年には82%となっている。このため新卒者に占める非正規雇用者率は4割を超えている。

★兵役義務
男性国民は21か月の兵役義務を負っている。企業は兵役義務を終えたものという条件を課すところが多いので、大学生の間に兵役を果たす人が多く、休学者の90%以上が兵役である。2年から3年間休学する人が多い。

★ウォンはリスク資産
韓国政府の財政状態は健全だが、外債残高に対する外貨準備高が不足していた。そのため1997年1月に中堅財閥の韓宝が破たんしたことがきっかけとなって財閥の連鎖倒産が起こり、金融会社の不良債権が積み上がった。

返済能力に不安を感じた海外の貸し手が、短期貸出のロールオーバーを拒否して、資金の返済を迫ったことから、外貨準備不足でIMFの支援を仰いだ。

通貨危機を契機として、1997年末からは韓国は完全変動相場制となった。ウォンは地政学的リスクがあるので、ハイリスク資産と見なされている。それが、韓国の景気が良くても、ウォンが高くならない理由である。

★韓国の電気料金は格安
韓国の電気料金は国際的にも格安で、日本の4割程度となっている。これは割高な重油発電が1981年の79%から2009年には3%にまで激減し、かわりに割安な石炭火力が45%、原子力が34%と転換が進んだことが理由だ。原子力発電所は20カ所ある。

★韓国の年金制度
韓国の年金制度は1988年に国民年金制度が導入されたが、当初は対象が10名以上の事業所で雇用されている人に限られており、1999年に国民皆年金となった。

このためまだ年金の支給が本格的に始まっていないため、退職世代の格差は大きい。所得格差を示すジニ係数で見ると、日本の退職世代のジニ係数は0.34に対し、韓国は0.4となっている。

韓国の年金は「高齢者に厳しい」年金となっており、最低の10年間年金を払った人への支給額は月8千円程度と低い。

40年間年金を支払った人への所得代替率(現役世代の何割の年金がもらえるかの比率)は日本の50%に対して韓国は40%と低い。

もっとも年金制度のスタートが1988年なので、年金を満額貰える人がでてくるのは2028年以降となる。

出生率は2005年は1.08%で日本よりも低いことを考えると、現在は税金を投入しない純粋保険料方式となっているが、将来的にこれが維持できるかどうかは疑問が残る。


知っているようで知らない韓国と北朝鮮の現状がおさらいできて参考になった。

このあらすじを参考にして、日経ビジネスオンラインの「知られざる韓国経済」「茶飲み話ではない北朝鮮」の高安さんの記事もチェックしてみることをお勧めする。


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2013年04月16日

信念をつらぬく 経済産業省出身の古賀茂明さんの自伝

信念をつらぬく (幻冬舎新書)信念をつらぬく (幻冬舎新書)
著者:古賀 茂明
幻冬舎(2013-01-30)
販売元:Amazon.co.jp

以前紹介した「日本中枢の崩壊」の著者、経済産業省出身の古賀茂明さんの自伝。

日本中枢の崩壊日本中枢の崩壊
著者:古賀 茂明
講談社(2011-05-20)
販売元:Amazon.co.jp

現在は「無職」

古賀さんが「日本中枢の崩壊」を出版した時は、まだ経済産業省の官僚だったが、過激な公務員制度改革を推進しようとした関係で反感を買い、ポスト待ちポジションの大臣官房付として2年弱も留め置かれ、ついに2011年9月に経産省を辞職した。

その後は、大阪府市東郷本部特別顧問となった。このポストは月に数回呼ばれて日当は2〜3万円。交通費は新幹線の普通車分で、グリーン車に乗って仕事をするとか、会議に間に合わせるために前日に大阪入りしたりすると、ほとんどお金は残らないという。

他にはテレビのレギュラーコメンテーター、「エコノミスト」、「週刊現代」、「週刊プレイボーイ」連載、そして有料メルマガの発行をしている。職業は「無職」であると。

「日本中枢の崩壊」でも簡単に触れていた、古賀さんの官僚としての仕事ぶりを紹介していて興味深い。


古賀さんの経歴

古賀さんは1955年生まれ。父親は石炭会社に勤めるサラリーマン、母は専業主婦という家庭に生まれた。九州生まれではあるが、3歳の時に東京に引っ越してからは、東京と神奈川に住んだ。

麻布中学に入り、麻布の開放的な雰囲気を楽しむ。1974年に東大文気貌り、法学部に進学してテニスサークルを立ち上げる。法学部の司法試験や公務員試験を目指して勉強にいそしむ雰囲気に慣れず、2年留年する。


官庁訪問での印象

2留だと民間企業に行けないと脅され、公務員試験を受けた。勉強していなかった行政法は一夜漬けでなんとかこなす。10月の合格発表まで待っていると、「官庁訪問は合格発表前にしなければならない」と知らされ、ほとんど内定が終わった9月初めからあわてて官庁訪問を始める。

大蔵省は感じが悪かった。しかし、成績の良さが気に入られ、次回面接を言い渡され、内々定をもらえた。

東大法学部の成績で、「優」は勝ち、「良上(りょうじょう)」は引き分け、「良」と「可」は負けとしてカウントするのだと。古賀さんは成績には全く関心を持っていなかったが、「良上」が3つで、残りはすべて「優」だった。

筆者は公務員試験を受験するつもりはなかったので、「成績ドレッシング」に関心を持っていなかったが、当時の学生票(通信簿)を引っ張り出してきてみると、5勝、8引き分け、12敗だった。これではいいところの公務員は無理だろう。

公務員志望の学生は、教室の最前列に陣取り、熱心に授業をうけて、「優」を増やすべくよく勉強する。もしテストが「良」程度になりそうだと、そのテストを受けるのをやめてしまう。まさに「優」コレクターの「成績ドレッシング」である。

古賀さんが通産省を訪問してみると、「大蔵省とかけもちの学生が抜ける可能性があるから、追加で取っておこう」という段階だったようだが、そんなことはおくびにも出さず、言葉も態度も驚くほど丁寧だった。

仕事も趣味もバリバリこなす若手の課長補佐を紹介され、古賀さんは通産省に行きたいという気持ちが強くなった。しかし入省してみたら、こういったエネルギッシュな人は、ほとんどいなかった。なんのことはない、官庁訪問用の特殊な人材を配置した、巧妙な採用戦略だったことがわかったという。

建設会社に転職していた父親の関係で、建設省も一度だけ行った。最初は「もう大方内定は出しているので、面倒だな」という感じがありありだったが、成績が良いと知ると、前に待っている学生をすっとばして古賀さんを面接し、最初から「うちに来ませんか」と態度が豹変したという。

公務員試験の結果に自信がなかった古賀さんは、会社回りもして、日本興業銀行、日本長期信用銀行、東京海上から公務員志望者枠で内定をもらったという。いまはありえない景気の良かった時代の話だ。


入省後の仕事は人間ソーター

1980年に入省すると、工業技術院総務課に配属された。「1年生が先輩より早く帰るなんてとんでもない」という雰囲気や、「人間コピー・ソーター」、地獄の国会答弁資料作りの様子などが紹介されている。

こういった非生産的な官僚の仕事は、話には聞いていたが、「体験者語る」という形で聞くと、あらためて驚かされる。

先端技術開発をめぐって、通産省と科学技術庁の間で、なわばり争いが起こった。これは通産省から一人理事を出すということで決着した。「天下り先を確保できれば万事OK」という霞が関の考え方に初めて触れたという。

法律を作る場合でも、必ずと言っていいほど推進団体をつくる。たとえば原子力の安全性を担保する法律を作ると、原子力安全基盤機構をつくる。理事長、理事といったポストをつくり、天下り先を確保するのだ。天下りポストをたくさんつくると、官僚は上司から評価されるからだ。

古賀さんは2年目の後半に係長に昇進し、3年目には経済企画庁財政金融課に係長として出向した。国の経済見通しは、実は経済企画庁、大蔵省、通産省の交渉で、「経済成長率の見通しは何パーセントで行きましょう」という風に決めていたという。

もともと役人の大半は法学部出身者なので、経済に関する知識レベルは低い。2年間の経企庁出向で通産省に戻ってくると、「経済のプロ」とみなされるようになったという。

次に古賀さんは大臣秘書官となり、村田敬次郎渡辺美智雄田村元大臣に仕える。

1987年から南アの総領事館に駐在する。釈放されたばかりのネルソン・マンデラを日本領事館のパーティに呼んだら来てくれ、大変な混雑だったという。


課長補佐時代

1990年に帰国して産業政策局産業構造課の課長補佐となり、日米構造協議の取りまとめをする。アメリカの要求が正しいと思えば、それを受け入れるべく省内を説得して回っていたので、「改革派」のレッテルを貼られる。この時に実現したのが、行政手続法、審議会の公開化だ。

労働時間の短縮、少子化問題も手掛けたが、いまだに大きな進展がないのは残念だと。

古賀さんはそもそも官僚にはなりたくなかったし、出世してトップになっても天下り先のあっせんばかり考えているのは性に合わなかった。

その「出世したくない」古賀さんがエリートコースの基礎産業局総務課の筆頭課長補佐になった。

筆頭課長補佐は法令審査委員(その後廃止)も兼任している。法令審査委員会は予算と人事の強い権限があり、課長補佐以下の人事には局長でも課長でも口出しできなかった。

その中でも大臣官房の秘書課、総務課、会計課の筆頭課長補佐は別格で、次官候補とみなされる。

古賀さんは次に大臣官房の会計課の筆頭課長補佐となった。そして「官房長から予算削減の指示が出ている」とウソをついて数百億円の無駄を削減できた。「古賀流事業仕分け」だ。

予算折衝では、各省庁の総務課長、局長、事務次官、大臣の4段階に族議員も絡んでいた。古賀さんは、大蔵省の主査と話して、総務課長と局長折衝を廃止した。


課長に就任

古賀さんは産業政策局に戻り、産業組織政策室長に就任した。誰もが不可能だと思っていた独禁法を改正し、持ち株会社の解禁を実現する。

当時の橋本龍太郎大臣が支持してくれた。公取委の人数を増やし、事務局長を次官クラスに、部長を局長クラス、その下に部長クラスのポストをつくるという公取委の地位を上げる提案をしたところ、公取委は持ち株会社解禁賛成に回った。

1996年に古賀さんはOECDのプリンシパルアドミニストレーターとしてパリに赴任して3年いた。

この時にOECDから発送電分離、電力市場自由化を日本に勧告した。プレスに情報提供して、日本国内でニュースとして流れるように仕組んだという。

1999年にフランスから帰国すると商務情報政策局の取引信用課長、産業技術環境局の技術振興課長を経て、2002年に内閣府の産業再生機構設立準備室の参事官となった。5年間の期間限定で産業再生機構を立ち上げる。

銀行は当初、産業再生機構を行員の出向先として考えていたが、銀行からの出向は断った。

企業再生のプロを雇って、自前の人材で運営し、4年間でカネボウやダイエーなど40社の再生を手がけ、利益を上げて300億円の税金を払い、解散後は400億円を国庫に納めることができた。


経産省でKYとみなされる

2004年に経産省に戻り、経済産業政策局経済産業政策課長となる。各局の筆頭課長が集まる「政策調整官会議」で、経産省で当時発覚した「裏金問題はもっとしっかり調査すべきだ」などと発言して、KYとみなされる。

産業構造審議会に「基本政策部会」を作ろうとして当時の局長と対立し、「勝手にやれ」と言われて、部会を立ち上げると、半年で中小企業庁の経営支援部長に左遷された。


大腸ガンに罹り九死に一生を得る

1年後に中小企業基盤整備機構に理事として出向、その時に下血して大腸ガンが見つかり、大手術の上復帰を果たす。

1年後に産業技術総合研究所へ理事として出向中に、福田内閣で公務員制度改革基本法の制定を推し進める渡辺喜美さんに呼ばれ、内閣府の「国家公務員制度改革推進本部」の幹部として2008年7月に就任する。

1か月後渡辺喜美大臣が退任させられた。しかし、堺屋太一氏や屋山太郎氏などをまねいた顧問会議の支援を得て、2009年3月に「国家公務員法改正案」が麻生内閣から国会に提出されたが、不成立に終わる。

2009年9月に民主党政権が誕生し、当初は仙谷大臣より補佐官就任を要請されたが、霞が関の反対で実現しなかった。公務員制度改革推進本部幹部は全員更迭、古賀さんは経産省に大臣官房付として戻った。

民主党内閣は、公務員の「退職管理基本方針」を打ち出し、仕事はないが給料は高い「専門スタッフ職」をつくったり、「現役出向」で民間企業へ天下りの抜け道をつくる方針をだしてきた。これは民主党の「脱官僚、天下り根絶」の方針とは全く逆のものだった。

長妻大臣はこの動きに抵抗した。厚生労働省だけはこれを認めないとしたことで、官僚のクーデターに会い、更迭の憂き目を見た。官僚にとってはそれほど重要な骨抜き工作だったのだ。

古賀さんはなんとかこの動きを阻止すべく、実名で民主党の政策を批判する論文を書き、2010年6月29日、「週刊エコノミスト」に「現役経産官僚が斬る『公務員改革』消費税大増税の前にリストラを」という題で論文が掲載された。

「退職管理基本方針」は記事が載った翌日に閣議決定されたが、「専門スタッフ職」創設にはストップがかかった。


このようにもっぱら古賀さんの経歴を語っている。

はっきりいって、打たれるべくして打たれたクイである。本を出す目的がよくわからない本というのが、率直なところだ。

ともあれ、経産省での仕事のやりかたなどは参考になる本だった。


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2013年03月28日

朴槿恵の挑戦 韓国と「結魂」した新大統領に期待する

朴槿恵〈パク・クネ〉の挑戦 - ムクゲの花が咲くとき朴槿恵〈パク・クネ〉の挑戦 - ムクゲの花が咲くとき
著者:李 相哲
中央公論新社(2012-11-08)
販売元:Amazon.co.jp

先日韓国初の女性大統領として就任した朴槿恵(パク・クネ)の生い立ちや政治信条などを紹介した本。


槿(ムクゲ)は韓国の国花

朴槿恵の槿(ムクゲ)は無窮花(ムグンファ)と呼ばれ、国歌(愛国歌)にも歌われている。韓国人にとってはムクゲは特別の花だ。

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出典: Wikipedia



朴槿恵の父・故・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が3日かかって考えた名前だという。

朴槿恵は60歳。若く見えるが、その経歴はすさまじいものがある。

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出典: Wikipedia

22歳の時(1974年)に、朴正煕大統領夫人の母・陸英修が在日朝鮮人の文世光に銃撃されて死亡

その5年後の1979年に、朴正煕大統領も腹心の部下のKCIA部長の金戴圭に暗殺される。この時、朴正煕大統領はまだ61歳だった。


良くも悪くも朴正煕の娘

朴正煕大統領の手法は「開発的独裁」と呼ばれ、軍事クーデターを起こした1961年には一人当たり80ドルだった国民所得を、暗殺された1979年には1,620ドルにまで急成長させた「漢江の奇跡」の立役者として評価されている。

その一方で、クーデターを起こして政権を強奪した手法や、民主化を抑圧し、ベトナム戦争に韓国軍を派兵するなど、独裁者として権力をほしいままにした。米国のカーター政権の圧力をはねのけて、秘密裏に核開発を進めていたこともわかっている。

個人的には清廉潔白な人だったといわれ、韓国にM−16小銃を供給することになったマクドネル・ダグラス社からの賄賂の百万ドルの小切手を受け取らず、代わりに小銃を出してくれと言って突っ返したという逸話がある。

M−16小銃

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出典:Wikipedia

この本の半分以上は故・朴正煕大統領の人物伝となっている。朴槿恵〈パク・クネ〉が紹介されるときは、朴正煕の長女と紹介されることが多いので、やむを得ないところかもしれない。


朴正煕の経歴

朴正煕の経歴を簡単に紹介しておく。朴正熙は1917年に貧しい農村に5男2女の末っ子として生まれ、師範学校を卒業して聞慶国民学校で教師をした後、1940年に満州に渡って、満州国軍軍官学校に入学した。

2年で主席で卒業して、日本の陸軍士官学校に編入。1944年に卒業した後は、満州国軍に配属され、終戦時には満州国軍中尉だった。一時日本名に改名したことがあり、高木正雄と名乗った。蒋介石のように日本陸軍に在籍したことはないが、酔うと日本の軍歌などを歌っていたという。

終戦後、韓国軍の中心的存在としてランクを高めていき、1961年5月16日の軍事クーデターの時は、第2軍副指揮官だった。(写真の右側のサングラス・ジャンバー姿が朴正煕)

朴正煕クーデター





出典:Wikipedia

クーデター後、朴正煕は国家再建最高会議議長に就任し、1963年に韓国大統領に就任した。1964年には中断していた日韓交渉を再開させた。

反対勢力を押し切るために1964年6月に戒厳令を発布、1965年6月に日韓基本条約を締結し、日本から無償3億ドル、有償2億ドル、融資3億ドルの援助を取り付ける。韓国の輸出額が年間1億ドルしかない時代だった。これが「漢口の奇跡」の原資となった。

竹島をめぐる日本と韓国の間の領有権問題について「両国友好のためにあんな島など沈めてしまえ」と発言したと言われているが、真偽のほどは確認できていないようだ。

1972年に10月に国会を解散、政党・政治活動を禁止して、大学を閉鎖して全土に非常戒厳令を発布する政治改革を断行する国家非常事態宣言を発表した。10月維新と呼ばれる事態である。

1973年8月に、日本を訪問していた金大中がホテルから拉致されるという金大中事件が起こる。

10月維新時代に辛酸をなめた活動家や一般市民に、朴槿恵は謝罪している。2004年に金大中を訪ね謝罪した時は、金大中は「本当にうれしかった。世の中にこんなこともあるんだなと思った。朴正煕が生き返って私に握手をもとめているような気がした」と自伝で書いている。

金大中自伝(II)歴史を信じて――平和統一への道金大中自伝(II)歴史を信じて――平和統一への道
著者:金 大中
岩波書店(2011-02-26)
販売元:Amazon.co.jp

1972年の10月維新の後、1974年に母親の陸英修が在日韓国人の文世光に銃撃されて死亡、1979年には父親の朴正煕が暗殺されたことは前述のとおりだ。


朴槿恵の政治活動

父親が暗殺された後、朴槿恵は政治からは遠ざかっていた。しかし、1997年に韓国経済が破綻し、IMFの管理下に置かれると、朴槿恵は国の危機を救うために政治家となることを決断し、1998年に国会議員となった。

ハンナラ党の主要メンバーとして積極的に活動し、一時ハンナラ党を離れたことはあるが、ほどなく復党した。2004年にはハンナラ党総裁となって、選挙を勝ち抜き、「ハンナラ党のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた。

2006年の遊説中に男にカッターナイフで切りつけられ、右耳から顎に60針縫う傷を負わされた。傷口があと1センチ深かったら、頸動脈に達し、命を落としかねなかったという。

この時の心境を朴槿恵は次のように書いている。「手術台に横になった時、両親を思い出した。手術が行われている間、私の頭には、ずっと、銃創で苦痛に耐えている父と母の顔が浮かんでいた。…」


大統領候補に

2007年に大統領候補を李明博と争ったが1.5ポイント差で敗れ、李明博が大統領として就任する。李明博の「すべては夜明け前から始まる」などの著書を、このブログでも紹介しているので、参照してほしい。

すべては夜明け前から始まる―大韓民国CEO実用主義の大統領李明博の心の軌跡すべては夜明け前から始まる―大韓民国CEO実用主義の大統領李明博の心の軌跡
著者:李 和馥
理論社 (発売) 現文メディア (発行)(2008-02-15)
販売元:Amazon.co.jp

その後、李明博大統領と朴槿恵は、2009年に世宗市問題で対立することになる。世宗市はソウルの集中化を緩和するために、ソウルに代わる首都として韓国中部に新たに建設する都市で、首都移転計画を見直す李明博に、当初計画通りに建設すべしとして朴槿恵が迫ったのだ。


尊敬する政治家は父とサッチャー

「尊敬する政治家」を聞かれて、朴槿恵は、「父とサッチャー」と答えた。サッチャー自身も「人間として必要なことはすべて父から学んだ」と父アルフレッドを尊敬していたという。

朴槿恵は、両親が亡くなった後、大事なことを決めるときに、「父だったら、母だったらどうしただろう」と考える習慣ができたという。


朴槿恵への質問状インタビュー

この本の最後に、朴槿恵への質問状に対する彼女の回答が紹介されている。時間の関係で、インタビューができなかったために、質問状形式での受け答えとなったものだ。

現在の韓国の問題点と解決の方向性が示されているので、興味深い。参考になるものを紹介しておく。

★私は結婚はしておりませんが、「結魂」はしました。何度も公の場で言ったことがありますが、私はずっと前に、大韓民国と結婚(結魂)したのです。ですから、私は大韓民国にすべてをささげてきましたし、これからもそうするつもりです。私は一人でも、独身でもありません。亡くなった父も、きっとこの結婚は喜んでくれているでしょう。

★今、我が国の抱えているさまざまな問題のうち、至急解決しなければならない切実な課題の一つは、さまざまな勢力、社会各層、地域の間に生じている「対立」、「不信」、「不公正」を解決することです。それらの問題を解決して「大統合」を実現するのが何より大事です。

★そのために「国民幸福推進委員会」を作り、誰も疎外されたり、立ち遅れたりすることのないように、どの地域に住んでいようが、どの分野の仕事に従事していようが、みんなが自分の未来を夢見ることのできるような社会を目指します。

★今まで、我が国では、国家の経済成長が必ずしも一人ひとりの幸せに繋がっていませんでした。(中略)私は「国民みなが自分の能力を発揮できる国」にしようと思います。

★それを実現するために、我が国の強みでもある情報通信技術、科学技術を産業全般に応用して創業者を増やし、若い人たちに働きの場を提供するための政策を推進します。今後、製造業中心の伝統的な産業を高付加価値産業へと変貌させ、文化産業、ソフトウェア産業のような未来型産業を積極的に育成し、働き口を増やします。

★中小企業と大企業が共に成長し、正規雇用と非正規雇用との間に差別のない制度を整備する努力が必要です。そのために「経済民主化」を主張しています。(中略)「韓国型福祉制度」を作りたいのです。

★私は、不正腐敗の問題を非常に深刻に受け止めています。政治が存在するもっとも大きな理由、政治の使命は、国民の生活をよりよくすることにあります。つまり「民生」を第一に考えなければならないのです。ところが、我が国の政治は、国民の生活とは関係のない不正腐敗をはたらいて、逆に国民から批判される場合が多い。

★これについては本当に痛恨の思いを持っています。恥ずかしいことです。私はこれから、この国の誰であろうが、不正腐敗に関与した場合は、絶対容認しないでしょう。真の改革は私から、私の周辺から始めなければならないと思います。権力に関連のある不正腐敗問題については、「特別監察官制度」を作り、事前予防に努めます。

★北韓は、核兵器が典型的ですが、武力で相手を脅迫し、屈服させようとする計略が通用しないことを認識し、そうした考えを捨てなければなりません。そこで初めて、相互尊重、相互信頼の雰囲気が作られるでしょう。そのような雰囲気を作り出すため、私は韓半島信頼プロセスを推進しようと思っています。

★私と我が国民は2400万人の北韓同胞を決して忘れることはありませんし、実際、忘れてもいません。我々は同胞愛と人道的な立場に立っていつでも助ける準備ができています。

特に最後の質問の回答が大変参考になった。

この人は「自責」(他人の責任をあげつらう「他責」に対して、自分の責任をまず考える態度の人)の人だと思う。

やっかいな金正恩という隣人の取り扱いは大変だと思うが、日韓関係改善を含め、朴槿恵大統領の今後の活躍を大いに期待したい。


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2013年01月14日

グル― 真の日本の友 大戦直前の駐日米国大使ジョセフ・グル―の伝記

+++今回のあらすじは長いです+++

グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)
著者:廣部 泉
ミネルヴァ書房(2011-05-06)
販売元:Amazon.co.jp

太平洋戦争勃発前の1932年から10年間駐日米国大使として戦争回避に尽力し、戦争が始まった後は、帰国して20年ぶりに国務次官に復帰し、戦争末期には日本の天皇制維持のために尽力した米国外交官・ジョセフ・グルーの伝記。


グルータワー

東京赤坂の米国大使館員宿舎には3つの建物がある。一つはペリータワー、2つめはハリスタワー、そして3つめがグルータワーだ。米国では高く評価されているグル―が日本ではあまり知られていない。

吉田茂はグルーを「真の日本の友」と呼んだ。その言葉が真実であることがわかるグル―の伝記である。


ボストンの名家生まれ

グル―(Grew)は1880年にボストンに生まれた。グル―家はベンジャミン・フランクリンマシュー・ペリー(ペリー提督)ともつながりのある名家で、J.P.モルガンとも親類だった。

グル―は創立8年の名門校グロトン校に入学し、当然のようにハーバード大学に進学する。グロトン→ハーバードの2年下にはフランクリン・ルーズベルトがいた。フランクリン・ルーズベルトとは、学内誌「クリムゾン」の編集仲間だった。後に駐日米国大使として大統領に出した手紙には、”Dear Frank”の出だしで始めるものが多くみられる。

ルーズベルトも、大観衆の前で「ハロー、ジョー」と呼びかけて、グル―が赤面したこともあるという仲だった。


外交官を志す

当時の上流階級の習慣で、グル―は大学卒業後、見識と高めるための「グランド・ツアー」に旅立ち、ヨーロッパから中近東と渡り、マレーシアで虎狩をし、マラリアにかかってインドとニュージーランドで療養した。合計18ヵ月かけ、最後は日本経由で米国に帰国した。

その間、インドでのマラリア闘病中に米国総領事館に世話になったのため、実業界に入らせたいという父親の意向に逆らって、外交官の仕事を志すようになった。

グル―は帰国してすぐにダンスパーティで知り合ったアリス・ペリーと結婚する。

アリス・ペリーはペリー提督の兄のオリバー・ペリーのひ孫で、父のトマス・サージャント・ペリーが慶応大学の英文学教授として日本に滞在していたので、日本語がペラペラだった。

グル―は7歳のときに罹ったしょう紅熱のために難聴となってヒアリングに障害を抱えていたので、最初の韓国総領事秘書となるチャンスは実現しなかったが、カイロ総領事代理として外交官としてのスタートを切った。

当時の米国の外交官は、政治任官と、コネ任官で占められていた。その後試験制度が導入され、グル―は無試験で外交官になった最後のクラスだった。

無給のカイロ総領事代理のあと、グルーのマレー虎退治武勇伝を気に入ったセオドア・ルーズベルトの推薦でメキシコ大使館付3等書記官となり、はじめて有給の外交官となった。


外交官として出世

グル―はサンクト・ペテルブルク、ベルリン、ウィーン、2度目のベルリンに駐在し、2度目のベルリンで第1次世界大戦を体験した。米国参戦とともに米国に帰任し、終戦後パリ講和条約会議に参加する。

デンマーク公使、スイス公使、ローザンヌ条約(近代トルコの領土が確定した西欧諸国との条約)交渉米国代表を経て、1924年にクーリッジ政権の国務次官に就任する。

クーリッジの2期目ではケロッグ国務長官が腹心のオールズを国務次官補を重用したので、1927年にトルコ大使として転身した。

トルコはグルーがローザンヌ会議で一緒に交渉したイノニュが、ケマル・アタチュルク大統領の相棒として首相だったので、すぐに打ち解けた。米土通商航海条約締結や、娘がボスポラス海峡を泳いで渡るなどのイベントもあった。


駐日米国大使に就任

グル―は1932年に駐日大使となる。1942年に捕虜交換船でアフリカのロレンソ・マルケス港経由帰国するまで10年間その職にとどまり、日本と米国の戦争を回避するために尽力した。

本国の国務省では1928年にスタンレー・ホーンベックが極東部長に就任した。ホーンベックは、その後15年間にわたって米国の対日政策を牛耳った。1929年には元フィリピン総督のスティムソンが国務長官に就任している。

グル―が駐日米国大使として日本に着任してからは、日本語の話せるアリス夫人の思いやりのある数々の行動が日本人の心を打った。

たとえば誤って高価な壺を割った執事に対して、「あれは気に入らない壺だったので、処分に困っていた」と思いやったことを、歴代の駐日米国大使に仕えた日本人執事船山貞吉が紹介している。

白頭鷲と桜の木―日本を愛したジョセフ・グルー大使
著者:船山 喜久弥
亜紀書房(1996-02)
販売元:Amazon.co.jp

グル―は樺山愛輔牧野伸顕、牧野の娘婿の吉田茂幣原喜重郎などの穏健派と家族ぐるみで親交があった。

軍関係者では海軍関係者はゴルフなどに参加したが、陸軍関係者は荒木貞夫大将を除いては没交渉だった。

1932年の大統領選挙では、高校・大学の後輩のフランクリン・ルーズベルトが大統領に当選した。

それまでの共和党政権から民主党政権に交代するので、通常は主要外交官ポストは総替えとなる。このためグル―は、"Dear Frank"で始めるレターを出して、年金資格が得られる1934年までは一級ポストに留まれるように頼んでいる。ルーズベルトはこの手紙を受けて、ハル新国務長官にグル―留任の指示を出した。


戦争に向かう軍国主義日本

このころの日本は1931年に満州事変、1932年に国際連盟脱退というように、軍国主義に向かっていた。

フランクリン・ルーズベルト政権の国務長官に就任したのは、たたきあげの民主党員コーデル・ハルだった。それまでスティムソン長官のエスタブリッシュメント出身者優遇の人事に反感を持っていたホーンベックは、ハル新長官に近づき、信頼を得るようになった。その後の極東政策のキーマンとしての地位を確立した。

グル―が大使の頃、ベーブ・ルースヘレン・ケラーが来日している。

1936年の二.二六事件の前の晩はグル―が斉藤実内大臣夫妻と鈴木貫太郎侍従長夫妻を招いて、トーキーを上演した。その翌日斉藤内大臣が暗殺され、鈴木貫太郎が重傷を負い、牧野伸顕が九死に一生を得たことはグレーにとって大ショックだった。

二.二六事件後、広田弘毅内閣が成立する。広田は当初外務省同期の吉田茂を外相に入れたい考えだったが、自由主義者の吉田就任に対して陸軍から横やりが入り、やむなく広田首相兼務の後、有田八郎が外相に就任した。

広田弘毅の秘書官だった岸信介は、首相官邸でグル―に岡田首相の身代わりに秘書官の松尾伝蔵が射殺された現場を見せたという。広田弘毅は通訳も入れず、日米親善が政策の土台であることをグルーに強調した。

1年弱の広田内閣の後は、4か月の林銑十郎内閣の後、1937年6月に第一次近衛内閣が成立する。


日中戦争に拡大

1932年7月7日に盧溝橋事件が起こり、日中戦争の泥沼が始まる。

グル―は共産主義こそ危険な敵であり、日米はパートナーとなれるという自説を説いていた。しかし、日本軍が中国各地に進撃を進めたので、グル―の米国における発言権は低下していた。

グル―の発言が、日本政府そして日本国民の反省を呼び起こしたのは、第二次上海事変の後、日本軍機が米国パネー号を誤爆したパネー号事件の時だった。日本政府は陳謝し、日本国民からの詫び状が米国大使館に寄せられたという。

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出典:本書111ページ

日米関係を少しでも改善させるために、グル―は米国で客死した斉藤大使の遺体の移送にあたり、ルーズベルト大統領にかけあって、米海軍の巡洋艦を手配した。

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本書:120ページ

1939年には一時帰国して、ルーズベルト大統領と2回面談した。国務省幹部とも面談し、対日強硬策は日本の軍部を追い詰め、戦争に走らせる結果となることを訴えた。


第二次世界大戦勃発

1939年9月には、ドイツ軍がポーランドに電撃侵略し、第2次世界大戦がはじまった。

ホーンベックが取り仕切る米国の対日強硬政策は変わらなかった。もはや日本の穏健派は力を失ったとみて、日米通商航海条約の破棄や、航空燃料や鉄くずなどの対日禁輸法案が続々打ち出された。

1940年7月には第2次近衛内閣が成立し、松岡外相、東条陸相が入閣し、日米関係は一層悪化していく。グル―はドイツの勝利が日本人に大きな影響を与えつつあることを感じている。

1940年9月には日独伊三国同盟が成立し、その直後の1940年10月に、グル―は日本の中国進出をいさめる演説を日米協会で行っている。

1941年1月には日本が真珠湾攻撃を考えているという噂が、ペルー公使からアメリカ大使館に伝えられた。グル―はハル長官あてに電報で知らせている。

しかし、はるかに国力が勝るアメリカ相手に日本が戦争など起こすことはないという過信があり、アメリカは本気にしなかった。


日米交渉による戦争回避努力

1941年2月から野村吉三郎元外相が駐米大使となって、その後50回弱開かれる日米交渉がスタートした。

日本の外交暗号はすでにアメリカに解読されており、アメリカは日本の手の内を知って交渉を続けていた。解読結果は”マジック”と呼ばれ、ルーズベルトが”マジック”を待ち望んでいたことはよく知られている通りだ。

このあたりの事情は、このブログで紹介した日米露の3国の資料を分析した「暗闘」のあらすじを参照してほしい。

暗闘(上) - スターリン、トルーマンと日本降伏 (中公文庫)暗闘(上) - スターリン、トルーマンと日本降伏 (中公文庫)
著者:長谷川 毅
中央公論新社(2011-07-23)
販売元:Amazon.co.jp

日本は1941年6月に南部仏印進駐を決定した。このことが、日米関係を決定的に悪化させた。7月には在米日本資産の凍結(これにより日本は貿易取引でドル決済ができなくなった)、8月には綿と食料を除く対日禁輸が成立し、石油輸出がストップした。


事態打開の頂上会議案も不発

強硬策を主張する松岡外相を辞めさせるために、1941年7月に第2次近衛内閣は辞職した。2日後、第3次近衛内閣が成立した。近衛はルーズベルトとの頂上会議を提案する。

グル―はこの頂上会議提案を積極的に評価した。いままで日本の首相が外国を訪問するという前例はなかった。それにもかかわらず、日本が提案してきたことは太平洋の平和は維持されなければならないという強い決意の表れに他ならないと力説した。

ルーズベルトも野村大使を呼んで、「非常に立派」と評価し、「近衛公とは3日間くらいの会談を希望する」と乗り気だった。それを押しとどめたのが国務省の政策を牛耳っていたホーンベックだった。

日本の国内問題が解決されない限り、首脳会談によって問題は解決されないとの立場を繰り返したのだ。ホーンベックの意見を容れたハル国務長官の進言により、ルーズベルトは頂上会談をあきらめた。

石油備蓄を日に日に消費していく日本は、このままでは開戦に追い込まれることをグル―は力説した。しかし、日本が戦争に踏み切ることはありえないとするホーンベックにより牛耳られた米国国務省は動かなかった。


御前会議で戦争準備決定

1941年9月6日の御前会議で、10月末までに外交交渉がまとまらなければ、戦争準備をすることが決定された。

この時の天皇の言葉が、明治天皇の御製「よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ」を引用し、平和愛好の立場を強調したものだった。

9月6日の夜、近衛首相はグル―を秘密裏に呼び出し、ハル長官の4原則に全面的に同意すると表明し、「日米関係が現在のような悲しむべき情勢に陥ったのは自分の責任だ。関係を修復できるのも自分だけだということもわかっている。反対する勢力にもかかわらず、自分は全力を尽くす決心を決めた。」と語り、首脳会談実現への協力を依頼した。

グル―はこれを受け、大統領あてにメッセージを送った。同時に、ハル長官とウェルズ次官あての長文の電報で、日本の変化を伝え、ルーズベルト・近衛予備会談で戦争を回避すべきと訴えた。

しかし、この電報はハルからホーンベックに回され、ホーンベックが会談を否定する回答案を作成し、それがハルから野村大使に伝えられた。


東条内閣成立

近衛内閣は10月4日に総辞職し、東条英機内閣が成立する。11月にグル―は日本が「国家的ハラキリ」の挙に出る危険性を強調し、戦争の危険が高まっていると警告した。

東条内閣は11月5日の御前会議で、譲歩案として甲案、乙案を用意する。暗号解読で内容を知っていた米国は、11月26日に日本が受けられるはずのないハルノートを提示する。


日米開戦へ

日本がハルノートを最後通牒と受け止めていることに驚いたグル―は、吉田茂を通じて東郷外相に会うべく申し入れる。しかし、既に開戦決定が出されていたので、東郷外相はグル―に会おうとしなかった。

米国国務省を牛耳るホーンベックはこの期に及んでも戦争はありえないという立場だった。一時帰国した駐日大使館員が、「このままでは日本が自暴自棄で戦争に追い込まれる」と話すと、「歴史上、自暴自棄で戦争を始めた国があるなら、いってみたまえ。」という有名な返事をして、相手にしなかった。

ホーンベックは11月27日付けで、「極東関係問題ー情勢評価とある可能性」という覚書を書いている。この情勢判断の甘さが、終生彼を悩ますこととなった。

「もし賭けをするなら、本官は米日が12月15日以前に『戦争』にならない方に5:1で賭ける。…1月15日以前なら3:1、3月1日以前なら現金を賭ける。」

ルーズベルトは12月7日に天皇に宛てて戦争回避のための電報を打つが、グル―が東郷外相に届けて、天皇への謁見を依頼したのは日本時間12月8日の午前零時となっていた。もはや真珠湾攻撃は止めようがなかった。


捕虜交換船で帰国し、再び国務省へ

日米開戦後、米国大使館員は大使館に抑留された。1942年6月の捕虜交換船で、アフリカのロレンソ・マルケス港経由帰国する。帰国してから、グルーは日本軍は手ごわいことを全米で講演してまわった。

日本の外交暗号が解読されており、米国は日本の出方が手に取るようにわかっていたので、駐日大使館からの進言は重きを置かれていなかったことをグルーは帰国して知ったという。

1944年1月には宿敵ホーンベックが失脚し、グル―は5月1日付けで極東局長として国務省に返り咲いた。そして5月15日にはベストセラーとなった「滞日十年」を出版した。

滞日十年 上 (ちくま学芸文庫)滞日十年 上 (ちくま学芸文庫)
著者:ジョセフ・C. グルー
筑摩書房(2011-09-07)
販売元:Amazon.co.jp


天皇制維持に尽力

当時米国では日本占領後の政策を検討しており、グル―は天皇制を存続させて、天皇を占領政策で利用すべきだとの天皇制擁護論を展開する。

ルーズベルトは1944年11月に4選され、老齢のハルに代わって、まだ40代のステティニアスが国務長官となった。ステティニアスは経験豊富なグル―を国務次官に起用した。

1944年末には国務省、陸軍省、海軍省の3者で、戦後処理についての3人委員会が設立され、スティムソン陸軍長官、フォレスタル海軍長官と、ステティニアス国務長官の代理としてグル―が第2回目から参加した。

1945年2月からのヤルタ会議では、ルーズベルトが個人外交として国務省を通さず、ソ連の対日参戦の見返りとして、樺太南部と千島列島の返還を約束していた。このことはルーズベルトが急死した1945年4月に、後継大統領のトルーマンに知らされた。

ルーズベルトの死をヒトラーは狂喜し、日本の鈴木貫太郎首相は哀悼の意を表するという正反対の対応をしている。


原子爆弾完成

このころ原子爆弾が完成間近なことが"new weapons"という表現で三人委員会で報告されている。詳細の記録は残されていない。

1945年5月7日にドイツが降伏すると、翌8日にトルーマン大統領は対日降伏勧告宣言を出している。グル―はトルーマンの演説に天皇制存続の対日メッセージを織り込むべく、天皇制存続がいかに戦争を早く終わらせ、ソ連の勢力拡大を防ぐのに重要かをトルーマンに力説した。

トルーマンは天皇制存続を国務省、陸軍省、海軍省で討議するように指示し、3者会議が開催される。しかし、「ある軍事上の理由」により日本に天皇制存続を呼びかける大統領声明は延期される。原爆が実用化されていたのだ。


原爆投下とソ連参戦回避に努力

グル―はこれにもめげず、今度は元大統領フーバーからトルーマンへの対日問題についてのアドバイスを出させる。

ソ連の勢力拡大は米国にとって不利であること、日本の鈴木貫太郎首相は穏健なので天皇制廃止はないことを明確にすれば、日本は降伏するだろうと提言している。

1945年6月中旬にグル―はトルーマンと再度掛け合い、天皇制存続を認めた無条件降伏案の説得を試みる。トルーマンはそれをポツダムでの3巨頭会議に議題に入れるように指示し。グル―はやむなくそれに従う。

トルーマン説得に失敗した後も、グル―は陸軍長官と海軍長官の説得を続けたが、7月初めにステティニアス国務長官が辞任し、後任は外交にはバーンズが任命され、グル―が国務長官代理として陸軍や海軍と交渉を続けることはできなくなった。

当時のアメリカの世論は、天皇を処刑すべきが33%、天皇を裁判にかけて終身禁固あるいは流罪が36%、何もしないが7%というものだった。天皇制存続にはアメリカの世論は反対だった。

新国務長官のバーンズは、マンハッタン計画を推進してきた人物だった。原子爆弾の威力を試すために原爆投下に積極的であり、それまでに戦争を終わらせる提案には否定的だった。


天皇制存続による早期終戦工作

早期終戦は米兵の戦死者を減らせると主張するスティムソン協調して、グル―は天皇制存続を保証する文言をポツダム宣言に織り込むべく努力する。

そして、統合参謀本部案として「日本国民は天皇を立憲君主として存続させるか否かを決定する自由を持っている」という一文を追加する案を提出した。

しかし、バーンズから意見を求められたハルの助言や、ソ連に対して日本が講和に向けて仲介を依頼してきたことをスターリンが自慢げに話したことから、日本に弱腰とみられないようにとのバーンズの意見が通って、日本へのメッセージはポツダム宣言から削除された。

7月16日に原爆実験成功の知らせがポツダムに届き、7月18日に日本への原爆投下が決定された。その際にスティムソンは、京都を原爆の目標から外すことと、天皇制について配慮すると日本に伝えることをトルーマンに要請した。


原爆投下とソ連参戦

ポツダム宣言を鈴木貫太郎首相は「黙殺」と表明したので、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原爆が投下された。8月8日にはソ連が参戦した。

東京では最高戦争指導者会議が開催され、8月10日深夜、天皇の聖断を仰ぎ、ポツダム宣言を「天皇の国家統治の体制を変更するの要求を包含しておらざることの了解のもとに」受諾し、それがスイス政府経由アメリカ政府に伝えられた。

アメリカの返答は、「天皇と日本政府の統治権は連合国最高司令官に"subject to"である、日本政府の最終的な形は日本国民の自由な意思の表明によって確立されねばならない」という穏当なものだった。8月13日、14日の最高戦争指導者会議を経て、8月14日午後11時ポツダム宣言受諾の電報がスイスに向けて打電された。


8月15日に国務次官を辞任

日本が無条件降伏した8月15日に、グル―は自分の仕事は終わったとして辞表を提出して国務次官を退任している。

戦後、グルーは「滞日十年」の印税を国際基督教大学設立、エリザベス・サンダース・ホーム支援、バンクロフト奨学金設立に寄付した。

日本側の逆提案でグル―基金が設立され、日本側からも印税の十倍もの寄付金が集まって、1953年にはグルー奨学金一期生4人がアメリカに留学した。

グレーは1952年に回顧録を出版した。

もし米国政府が駐日大使館からのグル―の意見に従っていたなら、日米戦争は避けられた。開戦後も、自分が言うように日本に対して天皇制存続の確約を与えていれば、早期の戦争終結が可能となり、米兵の損害はより少ないものとなった。それにより原爆投下は避けられ、ソ連参戦も阻止でき、共産主義の拡大を事前に食い止めることができたであろうという主張を繰り返した。

「外交によって戦争を食い止めた外交官という歴史的役割をワシントンによって奪われた」とグル―は終生考えていたという。


日本ではあまり知られていないグルーの日本への好意と戦争回避努力がよくわかる。大変参考になる本である。


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2013年01月09日

中国大分裂 長谷川慶太郎さんの中国分裂予測

中国大分裂 改革開放路線の終焉と反動中国大分裂 改革開放路線の終焉と反動
著者:長谷川 慶太郎
実業之日本社(2012-07-12)
販売元:Amazon.co.jp

85歳になった今でも、「大局を読む」シリーズなど、するどい状況分析に基づく政治・経済予測を毎年出している長谷川慶太郎さんの近著。

長谷川さんの情報が正しいのかどうかわからないが、論理の筋道が立っており参考になる。

この本と同じ路線の「2014年、中国は崩壊する」も読んでみた。

こちらは元マイカル法務部でマイカル大連などの出店経験があるという現国会新聞社編集次長の宇田川 敬介さんが書いたものだ。

北京駅の荷物検査場には手りゅう弾を爆発されるための円筒形のコンクリートの箱があったとか、一人っ子政策に反して生まれた戸籍のない人=黒子が車に轢かれても、警官は死体を崖下に投げ落とすのを見た。さらに黒子の遺族は、車の運転手に器物損壊で訴えられたというような話が宇田川さんの本では載っている。

中国人にとってメンツがいかに重要かという宇田川さんの議論はよくわかったが、上記のような話は、いくらなんでもあり得ないのではないかと思う。

2014年、中国は崩壊する (扶桑社新書)2014年、中国は崩壊する (扶桑社新書)
著者:宇田川 敬介
扶桑社(2012-06-01)
販売元:Amazon.co.jp


この本で長谷川さんが予想しているシナリオは次の通りだ。

1.中国ではいままで毛沢東の系譜を継ぐ文革路線の人民解放軍と、胡錦濤・温家宝らが推進する改革開放路線の中国共産党の対立があった。人民解放軍は毛沢東思想を信奉し革命を推し進めるという立場だが、中国共産党は革命を放棄している。

2.人民解放軍の7つある軍区のうち最大の勢力は瀋陽軍区だ。瀋陽軍区には核兵器はないが、ロシアと国境を接しているので5つの機械化軍団のうち4軍団を傘下におき、最強の軍事力を誇っている。

中国の軍区は次の図の通りだ。

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出典:本書4−5ページ

3.2012年に毛沢東派の薄煕来・重慶市共産党書記・党中央政治局員が、収賄と妻の英人ビジネスマン殺人容疑により失脚し、中国共産党トップの9人の政治局常務委員には人民解放軍の代表はいなくなった。薄煕来は、重慶市に行く前は遼寧省省長や大連市長を歴任した瀋陽軍区の出世頭だった。

4.北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)は瀋陽軍区の傀儡で、先日のミサイル発射もすべて瀋陽軍区の命令を受けて金正恩が実施している。北朝鮮の軍事パレードには瀋陽軍区が貸し出した武器が使われている。

5.北朝鮮は3度目の核実験を近いうちに必ず実施する。瀋陽軍区は核兵器を持っていないため、北朝鮮に核兵器を開発させ、それを瀋陽軍区の切り札として北京政府を恫喝したいからだ。

6.北朝鮮が3度目の核実験を行うと、国連はいままでの経済制裁では効果がないとして、武力制裁を決議する可能性が高い。そうすると常任理事国の中国は、武力制裁に同意せざるをえない。

そうなると北朝鮮の実質支配者である瀋陽軍区が北京政府に叛旗を翻し、中国は分裂状態になる。最終的には中国は、7つの軍区に分かれた連邦制になると長谷川さんは予想している。

7.こういった情勢をわかっていないのは日本だけで、米国は中国が分裂状態になることを予想している。その際に北京政府が米国に助けを求めてくる可能性もあるとみて、2011年に第7艦隊の空母を2隻に増やした。それがトモダチ作戦で活躍した空母ロナルド・リーガンだ。



沖縄にオスプレイを配備して海兵隊の機動性を増したのもその戦略の一環である。



昨年の反日デモでは、暴徒が毛沢東の肖像画を掲げているのが目についた。



毛沢東の主導した文化大革命がいかに悲惨なものだったかは、このブログで紹介した「私の紅衛兵時代」で紹介した通りだ。

長谷川さんの見立てが正しいかどうかわからないが、中国が混乱に陥る可能性はあるのではないかと思う。

そのほか参考になった点をいくつか紹介しておく。

★パナソニックは主力のマレーシアのコンプレッサー工場が、中国のメーカーとの競争に負けて閉鎖に追い込まれた。パナソニックの中国のテレビなどの工場も赤字で閉鎖したいが、中国政府が閉鎖を認めないので、操業中止状態にある。

★中国では輸出不調と不動産価格下落のため失業者は1億人いる。銀行が不動産融資を絞ったため、不動産価格は暴落している。不動産価格は2011年末時点で前年比半額以下になったという。

★中国には預金保険制度がないので、銀行はみんな粉飾決算をしている。中国政府は必死に銀行をテコ入れしている。

★高速鉄道網建設は、総延長8万キロの予定が実績は2万キロしか建設できていない。2011年1年間では300キロしか建設できていない。建設資金が滞ったことと、乗客が少ないためだ。2011年7月の浙江省温洲の高速鉄道事故では、あれだけの大事故なのに死者は40名だけだった。乗客が少なかったからだ。

★中国の富裕層の海外移住で一番人気はカナダだ。固定資産と流動資産160万カナダドルを持ち込むと国籍が買える。カナダのマンションを、香港の財界人の李嘉誠は多く開発し、中国人の富裕層に売っているという。

★上海のブランドショップは店員が偽物をつかませるという噂がある。だから中国人は東京に来てブランド物を買うのだ。

★中国の不穏な動きに敏感に反応したミャンマーは中国離れをして、中国のプロジェクトの多くは中止となった。しかし西側の経済進出で活気を呈している。

★韓国の朴正煕大統領は一切蓄財をしない立派な大統領だったという。娘の朴さんが今回大統領になったが、2DKのマンションに住んで質素な生活をしているという。

★米国の陸・海・空軍は米国議会の上院下院の本会議で戦争決議が成立しないと軍事行動をとれないが、海兵隊は例外で大統領の命令で戦闘行動がとれる。

だから朝鮮半島になにか事が起これば、沖縄の海兵隊がオスプレイで飛ぶのだ。沖縄の海兵隊がいなければ、韓国の国防は成立しない。

★尖閣列島は、人民解放軍の南海艦隊が勝手に動いていて、北京政府は後追いで追認している。先軍政治色が強くなっている。

★中国では電圧もコンセントの形状も地域によってバラバラだ。北京と天津を結ぶ高圧電線もない。

★中国の原子炉はいろいろな国の技術のつぎはぎで、安全性には大きな疑問がある。しかし、すでに15基の原子炉が稼働している。

★日本のメタンハイドレードの開発技術はカナダから導入している。カナダのハドソン湾にもメタンハイドレードが大量に埋蔵されており、その開発技術を使っている。

★アメリカ経済の立役者となるシェールガス革命によりロシアの相対的発言力は低下している。プーチンは日本に天然ガスを買ってもらいたいと思っている。

カナダもインドネシアも天然ガスを売りたいので、日本は有利に交渉を進めることができる。

上記のように様々な情報をポンポン紹介している。しかし、真偽のほどは筆者はまだ確かめていない。まずは未確認情報としておいていただきたい。


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2012年12月04日

国会事故調 報告書 福島原発事故の包括的報告書

国会事故調 報告書国会事故調 報告書
著者:東京電力福島原子力発電所事故調査委員会
徳間書店(2012-09-11)
販売元:Amazon.co.jp

以前紹介した大前健一さんの「原発再稼働『最後の条件』」に続いて国会事故調の福島原発事故報告書を読んでみた。

原発再稼働「最後の条件」: 「福島第一」事故検証プロジェクト 最終報告書原発再稼働「最後の条件」: 「福島第一」事故検証プロジェクト 最終報告書
著者:大前 研一
小学館(2012-07-25)
販売元:Amazon.co.jp

この報告書は徳間書店から出版されているが、インターネットの国会事故調のホームページでも公開されている。YouTubeでも多くの映像が公開されている。



要約版(104ページ)、ダイジェスト版(12パージ)、報告書全文(575ページ)、参考資料、議事録などが無料でダウンロードできるので、是非一度国会事故調の報告書ページもチェックしてほしい。(国会事故調のホームページは2012年10月末で閉鎖されているが、同じコンテンツが国立国会図書館のインターネット資料収集保存事業のウェブサイトで見られる)。

大前さんの報告書と比べると写真や図が少なく、ほとんどが文章による報告書なので、読みずらい。筆者も3日ほどかかって、全文(592ページ)を読んだが、付録CDの会議録(416ページ)や参考資料(242ページ)はざっと目を通した程度だ。

興味のある人はまずはダイジェスト版(12ページ)を読むことをおすすめする。

大前報告書が技術面での検討がメインだったのに対して、この国会事故調の報告書は、技術面でもさることながら、根本原因から、当時の危機対応体制の妥当性、被災住民に対する政府・自治体の誘導・対応の悪さ、原子力規制体制の問題など、様々な角度から分析を行っている。

国会事故調のメンバーは次の通りだ。原子力の専門家は一人もいない。大前さん自身も元原子炉設計者という大前レポートと大きく異なる点だ。

委員長:黒川 清   東大名誉教授 専門:医学
委員 :石橋 克彦  神戸大学名誉教授 専門:地震学
委員 :大島 賢三  JICA顧問、元国連大使 専門:外交官
委員 :崎山 比早子 元放射線医学総合研究所主任研究官 専門:放射線医学
委員 :櫻井 正史  元名古屋高等検察庁検事長 専門:法律家
委員 :田中 耕一  島津製作所フェロー 2002年ノーベル化学賞受賞
委員 :田中 三彦  科学ジャーナリスト
委員 :野村 修也  中央大学教授 専門:法律家
委員 :蜂須賀 禮子 福島県大熊町商工会会長 被災者
委員 :横山 禎徳  社会システムデザイナー 元マッキンゼー東京支社長 東大EMP企画推進責任者


報告書の結論は「人災」

地震対策、津波対策、全電源喪失対策に問題があることを知りながら対策を先延ばしにしてたことが根本原因で、その意味で今回の事故は「自然災害」ではなく、「人災」だと結論づけている。

そして”東電がエネルギー政策や原子力規制に強い影響力を行使しながら、自らは矢面に立たず、役所に責任転嫁する黒幕のような経営を続けてきている。それゆえ東電のガバナンスは自律性と責任感が希薄で官僚的だった”と指摘している。


報告書の概要

報告書の概要がわかると思うので、重要な部分は主なサブタイトルまで含めて目次を紹介しておく。広範な検討を加えていることがわかるだろう。

第1部 事故は防げなかったのか?
1.1 本事故直前の地震に対する耐力不足
1.2 認識していながら対策を怠った津波リスク
1.3 国際水準を無視したシビアアクシデント対策

第2部 事故の進展と未解明問題の検証
2.1 事故の進展と総合的な検討
2.1.1 本事故をより深く理解するために
    1)原子炉と5重の壁
    2)原子炉事故、使用済み燃料プール問題
2.1.2 地震・津波による主な被害とその影響
2.1.3 原子炉事故の進展
2.1.4 原子炉パラメータに基づいた放射能放出家庭
2.1.5 ほかの原子力発電所における事故回避努力と事故リスク

2.2 いくつかの未解明問題の分析または検討
2.2.1 東北地方太平洋沖地震による福島第一原発の地震動
2.2.2 地震動に起因する重要機器の破損の可能性
2.2.3 津波襲来と全交流電源喪失の関係について
2.2.4 検証すべきさまざまな課題
2.2.5 MARK I型格納容器が抱える問題について

第3部 事故対応の問題点
3.1 事業者としての東電の事故対応の問題点
3.2 政府による事故対応の問題点
3.3 官邸が主導した事故対応の問題点
3.4 官邸及び政府(官僚機構)の事故対応に対する評価
3.5 福島県の事故対応の問題点
3.6 緊急時における政府の情報開示の問題点

第4部 被害の状況と被害拡大の要因
4.1 原発事故の被害状況
4.2 住民から見た避難指示の問題点
4.3 政府の原子力災害対策の不備
4.4 放射線による健康被害の現状と今後
4.4.1 放射線の健康影響
4.4.2 防護策として機能しなかった安定ヨウ素剤
4.4.3 内部被ばく対策と今後の健康管理
4.4.4 学校再開問題
4.4.5 原発作業員の被ばく
4.4.6 避難の長期化によるメンタルヘルスへの影響
4.5 環境汚染と長期化する除染問題

第5部事故当事者の組織的問題
5.1 事故原因の生まれた背景
5.1.1 耐震バックチェックの遅れ
5.1.2 先送りにされた津波対策
5.1.3 全交流電源喪失(SBO)対策規制化の先送り
5.2 東電・電事連の「虜(とりこ)」となった規制当局
5.3 東電の組織的問題
5.4 規制当局の組織的問題

第6部 法整備の必要性


報告書のポイント

長文で読みにくい報告書だが、筆者が理解したポイントを記しておく。

1.2006年に内閣府原子力安全委員会が耐震基準を改訂し、全国の原子力事業者に耐震安全性評価(耐震バックチェック)実施を求めた。東電は最終報告書の提出期限を2009年と届けていたが、勝手に2018年にまで先送りして対応を怠った。

東電及び経済産業省原子力安全・保安院は耐震補強工事が必要と知りながらも、工事を実施していなかった。保安院はあくまで事業者の問題として、大幅な遅れを黙認していた。

2.安全委員会は米国での規制強化を受けて、1993年に「全交流電源喪失事象検討WG」を設けて、「原子力発電所における全交流電源喪失事象について」という報告書を出したが、日本の外部電源・非常用電源の信頼性の高さを強調し、長時間の全交流電源の喪失を考慮する必要がないとして設計指針を変更しなかった。

米国では9.11以降にNRC(米国原子力規制委員会)が、テロ対策としてB.5.b.と呼ばれるSA(シビアアクシデント)対策を打ち出し、全電源喪失を想定した機材の備え(使用済み核燃料プールへの直接代替給水ライン設置など)と訓練を全原子力発電所に義務付けていたが、日本ではこの情報は事業者にも安全委員会にも伝えられなかった。

このように今回の事故はこれまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為で安全対策を取らなかったまま、3.11を迎えたことで発生したものだ。

3.東電は新たな知見に基づく規制が導入されると、原発の稼働率に深刻な影響が出ることと、安全性に対する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になることを恐れ、安全対策の規制化に強く反対した。電力事業連合会を通して規制当局に働きかけ、規制当局もこれを黙認し、規制は骨抜きにされた。

4.実際に地震と津波で全電源喪失という事態が起こると、官邸、規制当局、東電経営陣にはシビアアクシデントの準備も心構えもなく、緊急事態に適切に対処できず、官邸は東電の本店や現場に直接的な指示をだし、現場の指揮命令系統の混乱を招いた。

当時の菅総理によって東電の全面撤退が阻止されたというのは、菅総理の都合の良い理解で、東電自身は緊急対応メンバーを残して残りは撤退というものだった。現場に行って指示するなどの菅総理のスタンドプレイは、結局危機管理としては無駄な動きで、単に現場を混乱させるだけだった。

5.避難指示は混乱した状況で出され、一時避難のつもりで、着の身着のままで避難して結果的に長期間自宅に戻れなかったり、線量の高い地域に避難した住民が続出し、適切な避難指示がなされなかった。政府及び規制当局の危機管理は機能しなかった。

政府は緊急時対策支援システム(ERSS)と緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)を何百億円もかけて構築していた。しかし、ERSSが停電やネットワーク遮断で長時間使えず、ERSSからの放出源情報がないSPEEDIの予測は正確性に欠け、結局初動の避難指示には役に立たなかった。


国会事故調の7つの提言

国会事故調は、次の7つの提言を出している。

1.規制当局に対する国会の監視
2.政府の危機管理体制の見直し
3.被災住民に対する政府の対応
4.電気事業者の監視
5.新しい規制組織の要件
6.原子力法規制の見直し
7.独立調査委員会の活用

国家事故調は報告書を提出してホームページも閉鎖し、活動を終えている。しかし、報告書を書いても、何のアクションも取らなければ意味がない。民主党は単に大飯を除く全原発休止という事態から何もしないという不作為の作為を決め込んでいる様にも思えるが、この報告書で指摘されている問題点を考慮して、7つの提言を実現すべく動く必要がある。

単に除染活動を続ければ、それで被災地が復興するわけではない。福島原発事故を風化させず、広島・長崎原爆とともに、人類の教訓とするためにも、この報告書は役立てるべきだと思う。


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2012年11月30日

国会議員の仕事 自民党・民主党の若手ホープの政治家のつくりかた

国会議員の仕事―職業としての政治 (中公新書)国会議員の仕事―職業としての政治 (中公新書)
著者:林 芳正
中央公論新社(2011-03)
販売元:Amazon.co.jp

国会議員の仕事を、自民党の世襲政治家で参議院議員の林芳正さんと、民主党でサラリーマン家庭に育った元日銀マンの津村啓介さんが、それぞれの履歴や政治活動について語っている。

この本を読んだ後、衆議院選挙が2012年12月16日投票と決まった。林さんは参議院議員なので、選挙には臨まないが、津村さんの民主党には逆風が吹いているので、厳しい選挙になると思う。是非切り抜けて4期目当選と果たしてほしいものだ。

「職業としての政治」というタイトルでは、もちろん筆者も学生時代に読んだマックス・ウェーバーの著書が有名だ。

職業としての政治 (岩波文庫)職業としての政治 (岩波文庫)
著者:マックス ヴェーバー
岩波書店(1980-03-17)
販売元:Amazon.co.jp

この本では、ウェーバーのようなアカデミックな立場でなく、政治家として活動しているお二人の実際の行動が具体例として紹介されていて興味深い。

この本では林さんと津村さんが、機ス餡餤聴になるまで、供ス餡餤聴の仕事と生活、掘ゾ泉政権から政権交代へ、検ダ権交代後の1年について、それぞれが書き、最後の后ァ嵜Χ箸箸靴討寮治」を語ろうで、林さん、津村さんが対談するという構成になっている。

親類に政治家がいる人は林さんのパターン(林さんはちなみに4代目)。まったく徒手空拳の人は、津村さんパターンが参考になると思う。

次に目次とキーワードを箇条書きで紹介しておく。大体の内容がわかると思う。

林芳正:

機ス餡餤聴になるまで
1.「政治家の家系」ではあるけれど
  政治には「無意識」だった 
  父親の「注文」(文兇任覆文気法
  商社マンになる 世界を見たことが転機に

2.決意と戸惑い
  「どうするか考えなさい」(三井物産を退社して父親のカバン持ちに)
  (ハーバード大学ケネディスクール卒業) 
  大蔵大臣政務秘書官 
  「チャンスをもらえる人間はそうはいない」(1995年の参議院選挙で初当選) 

供ス餡餤聴の仕事と生活
1.行政の仕組みを知る
  橋本対小泉
  (父と仲人の宮澤喜一さんが属する宏池会に入る)
  規制緩和で役所と対峙(「ここで先生とお話ししても、何も決まりませんから」と労働省の役人に言われる)
  財政金融委員会

2.大蔵政務次官・参議院副幹事長
  「ゼロ金利」をめぐる攻防(デフレの始まり) 
  宮沢喜一流の指導(次官を鍛える) 
  参議院の独自性を高める

3.小泉政権
  「加藤の乱」の現場 突如変わった「風」
  (小泉内閣支持率80%に急上昇) 
  外交防衛委員会委員長(FTA推進) 
  郵政解散 小泉政治の功罪
  (罪の方が大きい。)
  (『政策がわかっている人』ではない。消費税・集団的自衛権を先送りし、郵政民営化を優先した。)
  靖国参拝で中国・韓国との関係悪化)

掘ゾ泉政権から政権交代へ
1.安倍内閣
  「強力政権」のツケ 
  三期目の選挙

2.防衛大臣(2008年8月改造福田内閣)
  予算委員会の仕事 
  初入閣でまずやったこと(所管事項のレクを受ける)
  ”チーム”の大事さ(自衛官を入れて26万人の大所帯)
 「防衛大綱」見直しに着手(大臣の承認を得ない『専決』の見直し。普天間決着を逃す)

3.2度目の入閣と自民党の下野
  唐突な「大連立」だったが 
  首相の条件(角栄の原則:内政と外交の重要閣僚、党三役の少なくとも2つを経験した人間でなければ、総理の資格はない) 
  勝負の時を誤った(麻生内閣の1年弱) 
  経済財政政策特命大臣(2009年7月から1か月)

そして2009年8月に政権交代が起こる。次は過去の衆参両院の政党別人数の推移だ。

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出典:本書265ページ


検ダ権交代後の1年
1.政権交代は必然だった
  自民党下野の根本原因
  (「旧態依然」の自民党に国民が”NO”。 小選挙区制は日本になじまない

2.民主党政権の諸問題
  マニフェストはなぜ「破綻」したか
  (間違いだらけで、作り方がいい加減。パブリックコメントも経ていない) 
  乗数効果問答(「乗数効果」を知らない菅財務大臣)
  「政治主導」の弊害 軸なき民主党外交が残したもの(普天間迷走)
  「政策不況」はいつまで続く?
  (日米FTAを無視してなぜTPPか?)
  ”青い鳥”は果たしているか?

3.自民党は何をなすべきか
  野党になってできたこと 
  今の私の目標(2010年1月に自民党の綱領を作り直し)


津村啓介

機ス餡餤聴になるまで
1.サラリーマン家庭
  われら団塊ジュニア世代(出身は岡山県津山市)
  (麻布から東大法学部) 
  日本銀行(1994年ー2002年) 
  (日銀で直属上司の証券課長が『ノーパンしゃぶしゃ事件』で逮捕される)

2.政治家をめざす
  オックスフォード大学MBA留学で保守党クラブに入る 
  江田五月さんとの出会い 
  民主党の候補者公募制度(イギリスの制度をモデルに) 
  親の反対
  (お兄ちゃんの人生なんだから、お兄ちゃんの好きなようにさせてあげなさいよ)

3.若い力を国会へ
  「落下傘候補」 
  初めての街頭演説(1に毎日、2に堂々、3に短いフレーズ)
  党からのサポート 
  ポスター貼りのこだわり(馬淵澄夫議員に指導を受ける) 
  労働組合とのつきあい 
  (2003年選挙で小選挙区落選、比例区で当選)
 
供ス餡餤聴の仕事と生活
1.国会という場
  新人議員の失望
  (質問者も大臣も原稿棒読み 本会議は単なるセレモニー。法律は官僚によって作られ、国会の審理はアリバイつくり) 
  一期生の仕事は「次の選挙に勝つこと」
  (一気に9人の秘書を雇い、130万円/月の歳費はすべて人件費に充て、ボーナス550万円を生活費に。週に岡山・東京を2往復 小さな祭りや神事を優先してイベントにすべて顔を出す) 
  戦後初の「戒告」処分

次が津村さんの平均的な岡山での日程だという。たしかにいろいろなイベントに顔をだしまくっている。

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出典:本書124ページ

2.国会質問
  国会質問の作り方(福井日銀総裁に質問)
  国益とは何かー外務、安全保障委員会 
  超党派の課題ー天皇制の危機

3.政治とカネ
  国会議員個人の収支(歳費+文書通信交通滞在費 100万円/月) 
  政治資金ー収入(政党交付金 1,000万円/年、パーティ代+寄付) 
  政治資金―支出(公設秘書3人は国が負担、ほかに6名を私設秘書として雇う。事務所を4ヶ所 250万円/月) 
  議員宿舎(赤坂の3LDK 家賃10万円/月)と議員パス

4.東京と地元
  「金帰火来」 
  個人事業主としての側面(優秀な秘書に支えられている)
  民主党岡山県連代表としての運営(候補者選びの人事権を握る)

掘ゾ泉政権から政権交代へ
1.民主党の試練
  初の本格代表選挙から年金未納まで 
  岡田代表の挫折 「郵政選挙」の大敗北 
  若き前原代表の登場と挑戦 ニセメール事件の意味するもの

2.小沢代表のリーダーシップ
  小沢代表と大連立構想 
  衆参ねじれ国会 
  日銀総裁空席問題

3.政権交代ー2009年8月30日
  解散先送りと底をつく資金 
  小沢代表の辞任ー西松事件 
  全国初の「予備選挙」 
  臓器移植法をめぐるドラマ 
  熱気あふれる衆議院本会議場

検ダ権交代後の一年
1.政治主導の最前線
  最初の罠(任命直後から政治家をコントロールしようとする)
  秘書官人事がターニングポイント(日銀と内閣府から1名ずつ指名)
  官僚の記者会見を禁止 
  政務三役(大臣、副大臣、政務官)会議「準備会合」が主戦場
  (官僚との良い関係作り)

2.国家戦略室の理想と現実
  政治主導のシンボル 
  菅大臣の顔が見えない 
  突然の大臣交代 
  機能変更 
  政府・与党の一元化をめぐって

3.民主党の経済財政戦記
  史上最悪の失業率とデフレ宣言
  GDP統計の整備 
  景気「踊り場」論争の内側
  「日本銀行の独立性」を高めるために

4.科学・技術政策と日本の未来
  事業仕分けの衝撃 
  科学・技術の可能性 
  国会議員の仕事ー官僚との役割分担

后ァ嵜Χ箸箸靴討寮治」を語ろう
  本物の「政治主導」とは何か 
  日本は選挙が多すぎる 
  民主党は路線を明確化できるか 
  これからの日本経済をどうする 
  政治家の資質とは 
  総理大臣をめざす(林さんは3年後に総理をめざす。津村さんは17年後に総理をめざす)

そのほかに2点ほど参考になったポイントを紹介しておく。


小選挙区制と政党交付金制度が公募政治家を生んだ

津村さんは1994年の政治改革がなかったら政治家にはなれなかっただろうと語る。小選挙区制度と政党交付金制度が、公募世代の政治家を生んだのだ。

8年目で日銀を辞めたときの1,000万円が軍資金だった。民主党の公認候補への活動費が最初は50万円、そのあと100万円になり、そのうち30万円は個人の生活費として使えた。最終的に初めての選挙が終わった段階では、700万円貯金は残っていたという。自己資金300万円しか使わなかった計算になる。

選挙本番では1,500万円の公認料が支給された。これも政党交付金制度のおかげである。さらに民主党公認となれば、お金のかからない選挙ノウハウを熟知している労働組合が支援してくれ、党幹部の有名政治家が応援に来てくれる。


官僚との戦い

林さんは一年生議員の時に、派遣法の説明にきた労働省の役人に、「どうしてこんな規制をするのだ」と聞いたところ、役人は答える代りに、「ここで先生とお話ししても、何も決まりませんから」と言い放ったという。

猛勉強して商工委員会で追及したそうだが、規制緩和に関しては、役所と正面から向き合うので、役所が何をやっているのか熟知しないといけないという。

特に注意すべきなのは「…等」」という言葉だ。「…等」とあったら、必ず「この『等』は具体的には何?」と聞かなければならない。往々にして羅列されている事柄の何倍ものものが、「等」に隠されているのだと。

管直人元総理の「大臣」という本には、そのような「罠」がいくつも紹介されているという。

大臣 増補版 (岩波新書)大臣 増補版 (岩波新書)
著者:菅 直人
岩波書店(2009-12-18)
販売元:Amazon.co.jp


政治家の自伝はいくつか読んだが、これほど率直に自らの国会議員としての生活を描いた本は少ないと思う。所属政党は違うが、官僚統治と闘っていることでは同じ経験をしている。

副題の「職業としての政治」というタイトルは、この本の内容を正確にあらわしている。政治家に興味がある人には参考になると思う。彼ら二人を応援したくなる本である。


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2012年11月26日

私の紅衛兵時代 中国の映画監督陳凱歌氏の紅衛兵時代

私の紅衛兵時代-ある映画監督の青春 (講談社現代新書)私の紅衛兵時代-ある映画監督の青春 (講談社現代新書)
著者:陳 凱歌
講談社(1990-06-12)
販売元:Amazon.co.jp

前回紹介した「北京バイオリン」や2011年12月に公開された「運命の子」などの優れた映画を監督している陳凱歌(チェン・カイコー)監督の紅衛兵時代のことを書いた手記。会社の読書家の友人から紹介されて読んでみた。

北京ヴァイオリン 特別プレミアム版 [DVD]北京ヴァイオリン 特別プレミアム版 [DVD]
出演:タン・ユン
ジェネオン エンタテインメント(2004-04-02)
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山崎豊子さんの「大地の子」でも、主人公の陸一心が、中国の文化大革命時代に日本人の子供ということで、スパイ容疑をかけられ、内モンゴル自治区の労働改造所に送られる場面があった。

大地の子 1 父二人 [DVD]大地の子 1 父二人 [DVD]
出演:仲代達矢
NHKエンタープライズ(2002-09-06)
販売元:Amazon.co.jp

今回中国共産党中央委員会総書記に就任した習近平氏も、父の習仲勲国務院副総理が文化大革命中に反動勢力として吊るし上げられたことから、1969年から7年間陝西省に下放され、洞窟で暮らしていたことが報じらている。



陳凱歌さんは1952年生まれ。映画監督の父とシナリオライターの母との間に生まれた。陳さんの母は裕福な家庭の出身で、アメリカ系のミッションスクールを出たが、日本軍が攻めてきたときに破産してしまったという。その後陳さんの母の両親と兄弟は台湾に移り、陳さんの母のみが大陸に残され、2度と両親に会うことはなかった。


陳さんの育った時代

1958年からの大躍進時代に続く1960年から62年にかけての大飢饉で、中国では2−3千万人、つまりオーストラリアの人口の2千万人以上が餓死した。1959年にはソ連と断交し、1962年にはインドとの国境紛争が起こり、1964年にフルシチョフ書記長が失脚した年に中国は核実験を成功させた。陳さんが育った時代は、このように中国が自主独立路線を歩み始めた時代だ。


文化大革命の始まり

陳さんは、1965年9月に北京の四中に入学した。大学進学率90%を誇る有名校で、党の高級幹部の子弟が多く含まれていたという。

1966年5月7日に毛沢東は、後に「5.7指示」と呼ばれる文化大革命の指示を出す。これに呼応して大学生、中学生が紅衛兵となって、「反動主義者」を吊るし上げ、集団リンチを加えた。共産主義では本来許されない個人崇拝が広まり、学生たちは「毛主席の良い子供になる」ことを目指した。

1966年7月29日、小平、周恩来、劉少奇の党首脳は、数十万人の大学生、中学生を前に演説を始め、最後に毛沢東が登場し、集会はクライマックスを迎え、それから町に軍服を着た中学生・大学生の紅衛兵があふれた。

北京四中の教師は頭を半分剃られ、メガネを割られ、首から下げた看板に書いた名前は×印で消されていたという。


破壊の限りを尽くす

「天地をひっくり返し、嵐のような波風を巻き起こして、大いにひっかきまわせ。そうやって、ブルジョア階級を眠れないようにし、プロレタリア階級も眠れないようにするのだ」というのが毛沢東の指令を受けた林彪の指示だったという。

寺院、孔子廟、キリスト教会を破壊し、北京には一切宗教的な建物はなくなった。北京市は築800年の城壁に囲まれていたが、城壁は紅衛兵たちに完全に破壊され何も残らなかった。

筆者の好きな北京ダックの名店「全聚徳」は、看板を壊され、「人民メニュー」を作らせられた。

髪が長すぎるとみられた男女はハサミで髪を切られた。細すぎるスラックスは切り裂かれ、ハイヒールのかかとは折られた。


陳さんは父親を攻撃

陳さんの父親は、若いころ国民党員だったことがあり、この過去が陳さんにも影響を与えてきた。陳さんは父親を憎むようになった。陳さんのお父さんは、「国民党分子、歴史的反革命、網に漏れた右派」として罵倒され、陳さん自身もお父さんを突き飛ばした。陳さんは14歳だった。翌日陳さんのお父さんは連行されていった。

数年後陳さんが下放された雲南省から帰省した時に、ボロをまとい、歯の抜け落ちた老人が学校の便所掃除をしていた。それが50歳になった陳さんのお父さんだったという。


陳さんの自宅も略奪される

陳さんの家は級友による家宅捜索を受け、衣装タンスは壊され、服は引き裂かれ、本は毛沢東のものなど一部を除き、すべて燃やされた。目覚まし時計やカメラなど金目のものは持ち去られ、頭痛薬まで見逃さなかった。

級友たちは破壊し尽くした後、陳さんと握手して立ち去ったという。数百万の家がおなじように略奪を受けた。紅衛兵自身の家もすべて略奪をうけた。共産党幹部、劉少奇や彭徳懐元帥も例外ではなかった。殴り倒され、ケガをさせられた。


文革の犠牲者は多い

「地主」や「資本家」とみなされたものは、もっと悲惨だった。ガラスの破片の上に座らされ、ちょっとでも動くと殴る蹴るの暴行を受け、殴り殺されたものもいた。陳さんも紅衛兵の軍服を着て、赤い腕章をつけて北京市内を自転車でまわった。人を殴ったこともある。

陳さんの友人の父親の元・石炭工業相は、頭を丸刈りにされ、全身に傷を負い、死ぬ直前に息子に会って、「お前は長男だ。しっかりしろ」と言って、数日後に亡くなった。毛沢東と周恩来に手紙を書いて無実を訴え、生涯信じた仕事に悔いはないという遺書が残っていたという。

今も共産党の考えで法律は変更されるので同じ傾向があるが、文革中には法律は存在しなかった。拷問を受け無理やり自供させられ、私設法廷で裁かれて処刑されていった。高いビルから落として、自殺とみせかけて犯行をごまかすといったことが平気に行われていた。

「人民芸術家」とされていた文豪の老舎は、京劇の衣装を焼かれ、重傷を負わされ、みずから北京の太平湖公園で湖に身を投げた。陳さんは死の直前老舎と出会ったという。

文豪老舎の生涯―義和団運動に生まれ、文革に死す (中公新書)文豪老舎の生涯―義和団運動に生まれ、文革に死す (中公新書)
著者:舒 乙
中央公論社(1995-01)
販売元:Amazon.co.jp

駱駝祥子―らくだのシアンツ (岩波文庫)駱駝祥子―らくだのシアンツ (岩波文庫)
著者:老 舎
岩波書店(1980-12-16)
販売元:Amazon.co.jp


雲南省シーサンパンナに下放

1969年の春、陳さんは雲南省の山奥の山林に下放された。17歳だった。労働改造中の父親はホームまで見送りに来て、陳さんは父親の涙を初めて見たという。

雲南のシーサンパンナのタイ族の村で、森林開発に従事した。野焼きして原生林を焼き払い、戦略物資のゴムの栽培をしていたが、結局うまくいかなかったという。

下放された女学生が発狂し、掘立小屋で乞食のように住んでいた話や、上海から来た16歳の知識青年が木の下敷きになって死亡した話が語られている。

陳さんはバスケットボールがうまかったので、1971年に軍のバスケットボールチームにリクルートされ、部隊はラオスに移動する。公然の秘密だったが、ベトナム戦争に中国軍が参加していたのだ。ラオスで爆撃跡の復旧作業を担当し、1975年除隊して北京に復員する。


北京で出発点に戻る

北京映画現像所で空調を取り扱う労働者となり、毛沢東が亡くなると、北京映画学院の監督科に入学する。1975年ー78年の入学者には、その後の中国のあらゆる部門の逸材を輩出しているという。習近平も1975年に精華大学に入学している。下放された1,000万人を超える知識青年たちが、都会に戻ってきて、出発点に戻ったのだ。

陳さんは、北京映画学院を卒業後、広西省と陝西省西安の映画撮影所で数本の映画を制作し、その後1987年に1年間映画の講義をするために米国に行き、そのままニューヨークに滞在して映画制作に取り組んでいる。

この本もニューヨークで日本での出版用に書き下ろしたものだ。

この本を読んでいて、中国は昔から変わらないとつくづく思う。

同じことのぶり返しで、最近の共産党幹部の汚職や日系企業・日本車をターゲットにした攻撃を見ていると、「アラブの春」のように、民衆の怒りが共産党に向かう日も近いのではないかという気がする。

文化大革命は毛沢東が指導した権力闘争だった。反日デモには毛沢東の肖像画を掲げる民衆の姿が放映されていた。このままいくと毛沢東崇拝が復活し、違う形での文化大革命の再来となるかもしれない。

最近では「中国は崩壊する」や、「中国大分裂」などセンセーショナルなタイトルの本が日本で多く出版されている。

2014年、中国は崩壊する (扶桑社新書)2014年、中国は崩壊する (扶桑社新書)
著者:宇田川 敬介
扶桑社(2012-06-01)
販売元:Amazon.co.jp

中国大分裂 改革開放路線の終焉と反動中国大分裂 改革開放路線の終焉と反動
著者:長谷川 慶太郎
実業之日本社(2012-07-12)
販売元:Amazon.co.jp

中国が崩壊した場合、日本も無傷ではないだろうが、共産党の一党独裁が永遠に続くこともありえないだろう。

文革時代を描いてはいるが、同じことがまた起こりそうな懸念を抱かせる本である。


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2012年11月24日

陳凱歌監督のドラマ 「北京パイオリン」を見た 

北京バイオリン DVD-BOX1北京バイオリン DVD-BOX1
出演:リュウ・ペイチー
マクザム(2007-09-28)
販売元:Amazon.co.jp

次に紹介する「私の紅衛兵時代」を書いた中国を代表する陳凱歌(チェン・カイコー)監督の代表作「北京パイオリン」のテレビ・ドラマ版を見た。

NHKで放送されたので、日本ではNHKエンタープライズがDVDを販売している。

映画は次のジャケットで、配役もお父さん役のリュイウ・ペイチー以外はドラマとは異なる。

北京ヴァイオリン 特別プレミアム版 [DVD]北京ヴァイオリン 特別プレミアム版 [DVD]
出演:タン・ユン
ジェネオン エンタテインメント(2004-04-02)
販売元:Amazon.co.jp

中国のテレビドラマを見るのは初めてだが、画質も良いし、服装もダサいところもない。結構洗練されているという印象を受けた。

元々2時間ほどの映画を18時間程度(45分X24話)のテレビドラマにしただけに、映画にはないエンターテインメント的な挿話もある。

テレビドラマは芸術総監督が陳凱歌、演出(実質上のドラマの監督)が夢継(モン・ジー)という布陣で、DVDの第5巻の特別映像では夢継が映画をテレビ・ドラマに仕立てた時の、原作者の陳凱歌監督とのエピソードなどを語っている。

映画のあらすじは詳しくは紹介しない。

養子であることを知らずに父(リュウ・ペイチー)に育てられた劉小春(リュウ・チャオチュン)が、天性の才能を発揮して北京のコンクールに優勝し、才能を開花させるという誰もが予想できるサクセスストーリーだ。

しかし、ひと癖もふた癖もあるリュウ・ペイチー演じる父親・劉成(リュウ・チェン)に加え、親しくなった友人の女優・莉莉(リーリー)や女たらしの司会者・鐘阿輝(ジョン・アフェイ)、音楽教育の第一人者といわれる余(ユー)教授など、周りを固める俳優の持ち味が面白い。

主人公の少年役の嘉央桑珠(ジャーヤン・サンジュ)がジャニーズ系の顔だちながら、今一つ垢抜けないのはご愛嬌といったところか。

余教授役の俳優は北大路欣也に似ている。次のビデオでも最後の方に登場する。



上記のコンクールの優勝発表の場面でも出てくる友人の女優莉莉(牛莉)は中国の代表的女優のようだ。



友人の司会者役の程前(チェン・チエン)も、手八丁口八丁の味をだしていて面白い。

どんでん返しの結末が、ほとんどの登場人物を一人二役にしているようなイージーな印象を受けるが、楽しめる。

全部見ると18時間と長いが、時間を忘れて楽しめるドラマである。


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2012年11月20日

ジャパン・ハンド 米国の知日派とは

ジャパン・ハンド (文春新書)ジャパン・ハンド (文春新書)
著者:春原 剛
文藝春秋(2006-11)
販売元:Amazon.co.jp

以前紹介した日経・CSISシンポジウムのアーミテージ・ナイ鼎談で、日経新聞編集委員の春原 剛(すのはら つよし)さんの進行役が手際よかったので、著書を何冊か読んでみた。

春原さんは、1961年生まれ。コロンビア大学ジャーナリズム大学院で学んだ。日経のワシントン支局勤務の他に、米国のCSISの客員研究員として1年間、超党派のシンクタンクのヘンリー・スティムソン・センターの東アジアプログラムの短期研究員として勤務した経験を持つ。ちなみに小泉進次郎も、CSISの客員研究員として在籍した経験がある。

「日中もし戦わば」は、出版社が売らんがためにエキセントリックなタイトルをつけた感じで、あまり得るところがなかったが、共和党のリチャード・アーミテージ、マイケル・グリーン、民主党のジョセフ・ナイ、カート・キャンベルなどについて書いた「ジャパン・ハンド」は参考になった。

日中もし戦わば (文春新書)日中もし戦わば (文春新書)
著者:マイケル・グリーン 張 宇燕 春原 剛 富坂 聰
文藝春秋(2011-12-15)
販売元:Amazon.co.jp

米国で対日関係にかかわった知日派(ジャパン・ハンド)は次の3つのグループに分類できるという。

1.国務省で日本語を専門とし、日本研究に取り組んだキャリア外交官
俗に「菊クラブ」と呼ばれる。国務省で2年間日本語研修を積み、日本に駐在経験を持つ外交官。トーマス・ハバード、ラスト・デミング、宮沢喜一元首相の娘婿のクリストファー・ラフルアーなどだ。戦前の駐日日本大使で、日本の真の友人と呼ばれるジョセフ・グルーが「菊クラブ」の草分け的存在だ。

グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)グルー―真の日本の友 (ミネルヴァ日本評伝選)
著者:廣部 泉
ミネルヴァ書房(2011-05-06)
販売元:Amazon.co.jp

クルーは1902年にハーバード大学を卒業、1904年に国務省に入り、エジプト、メキシコ、ロシア、ドイツの大使館勤務を経て、1924年から5年間国務次官として勤務。その後トルコ大使を経て、1932年に駐日大使となっている。

日米開戦を回避すべく努力を続けるが、1942年に交換船で無念の帰国をしている。帰国後も親日派として活動し、1944年12月には国務次官に返り咲き、日本の天皇制存続や穏当な対日政策を主張し、まさに「真の日本の友」といえる存在である。

2.ハーバード大学で日本学の権威として知られ、のちに駐日大使となったエドウィン・ライシャワーに代表される学界関係者
コロンビア大学のジェラルド・カーティス、ハーバードのエズラ・ボーゲルなどが代表的人物だ。

ライシャワーは自伝をはじめ、日本についての本をいくつも書いている。

ザ・ジャパニーズ―日本人 (1979年)ザ・ジャパニーズ―日本人 (1979年)
著者:エドウィン・O.ライシャワー
文藝春秋(1979-06)
販売元:Amazon.co.jp

ライシャワーの奥さんのハルさんも本を書いており、ハルさんについて書いた本もある。

絹と武士
著者:ハル・松方 ライシャワー
文藝春秋(1987-10)
販売元:Amazon.co.jp

ハル・ライシャワー (講談社プラスアルファ文庫)ハル・ライシャワー (講談社プラスアルファ文庫)
著者:上坂 冬子
講談社(1999-02)
販売元:Amazon.co.jp

エズラ・ボーゲルは1980年に出版されて大変話題になった"Japan as No. 1"の著者だ。

ジャパン・アズ・ナンバーワンジャパン・アズ・ナンバーワン
著者:エズラ・F. ヴォーゲル
阪急コミュニケーションズ(2004-12)
販売元:Amazon.co.jp

もっとも"No. 1"といっても、日本が世界一の大国になるという意味ではなく、副題の"Lessons for America"、つまり日本に学ぼうという趣旨の本だ。

この本はアメリカでも大変な反響を巻き起こし、日本研究が盛んになった。

ジェラルド・カーティスは日本とのかかわりあい45年という日本の政治研究の専門家だ。

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年
著者:ジェラルド・カーティス
日経BP社(2008-04-10)
販売元:Amazon.co.jp

マイケル・グリーン元大統領補佐官(1961年生まれ)も、ジョンズ・ホプキンス大学博士課程を卒業し、もともとはアカデミズムの系譜を継ぐ人材とされている。

マイケル・グリーンは静岡県の高校で英語を教え、東大で学び、椎名素夫代議士の秘書となり、日本の防衛政策に関する論文で博士号を取った日本研究の専門家だ。ジョージW.ブッシュ政権の時に、2005年まで大統領補佐官としてNSCのメンバーだった。現在はCSIS上級副所長で、アジア・日本部長をつとめている。

日本語が堪能で、先日のシンポジウムでは、自民党の林芳正参議院議員が、ロムニーに会ったら、グリーンさんをホワイトハウスで使うようにアドバイスするとジョークを言ったら、「ほめ殺し」ありがとうと言っていた。


3.官僚・学会いずれにも属さない個性派集団
存在感の大きい元国務副長官のリチャード・アーミテージの名前をとって「アーミテージ・スクール」と呼ばれる。ジム・ケリー元国務次官補、トーケル・パターソン元大統領補佐官、ロビン・サコダ元国防総省日本部長らがいる。

アーミテージは米国海軍将校だった時に、佐世保での船舶修理で修理にあたった日本人技術者たちと一緒に飲みに行き、それから日本びいきになったという。

アーミテージ・ナイ緊急提言ということで、「尖閣、尖閣、尖閣、オレたちをなめるんじゃないぞ!」という中国に対して刺激的な帯がついた本を出している。

日米同盟vs.中国・北朝鮮 (文春新書)日米同盟vs.中国・北朝鮮 (文春新書)
著者:リチャード・L・アーミテージ
文藝春秋(2010-12-15)
販売元:Amazon.co.jp

ジョセフ・グルーが「真の日本の友」なら、それの継承者ともいうべき存在だ。

マイケル・グリーン、アーミテージは共和党だ。日米関係については慢性的な「人材不足」が指摘されている民主党の知日派の代表が、現・国務次官補、東アジア・大洋州担当のカート・キャンベルだ。キャンベルは、クリントン政権時代に国防副次官補となり、普天間の変換問題や、在日米軍の縮小などを担当した。

キャンベルはハーバード大学出身。元々はロシア問題の専門家だったが、冷戦終了とともにやることがなくなっていたところを、ハーバード出身の先輩ナイがクリントン政権の国防次官補になった時に、国防副次官補としてペンタゴンに呼ばれた。

この時、キャンベルはマイケル・グリーンのところに相談に行き、グリーンの言葉を何から何までノートにとって必死に理解・吸収しようとしていたという。

普天間返還問題、テポドン発射問題、日本独自スパイ衛星導入など、キャンベルはたぐいまれな行動力と理解力で、対日政策を事実上一人で切り盛りするようになる。

ナイはキャンベルのことを「自分が見抜いた通り、見事に開花した」と評しているという。

この第3グループの知日派は、偶然が積み重なって知日派となった人ばかりで、その意味では第2.第3のアーミテージを見出すことは難しい。

この本の文末のアーミテージ、トーマス・シーファー前駐日大使、ブルース・ライト在日米軍司令官のインタビューの中でアーミテージは、「多くの人が『なぜ、それほどまでにあなたは日本が好きなのか』と聞いてくるが、私はいつも『なぜなら、私は合衆国が好きだからだ。今、日米同盟を維持することが、我々の利益になっているのだ』と答えることにしている。」という。

日本が"Power Projection"能力(敵基地攻撃能力)を持つことの必要性についてもアーミテージは語っている。

「かつて海部首相が掃海艇をペルシャ湾に派遣した時、自衛艦に『軍艦マーチ』を演奏させなかった。彼らが帰還した時に、それを演奏したのは米国の第7艦隊だった。(中略)あれ以来、多くのことが変わった。自衛隊はイラクのサマワに派遣され、日本は国際社会の『完全な市民』になった。今こそ日本は対外攻撃能力を開発する時ではないかと自分には思える」

有名になった"Show the flag"(戦列に参加しろ)や、"Boots on the ground"(兵員を派遣しろ)といったことを語ったアーミテージらしい発言だ。

この本では1995年と2006年の2回に行った米国政府関係者、約40名への日米関係についての記名式アンケート調査の内容を、「日本か、それとも中国か」というタイトルで、1章にわたって紹介しており興味深い。


将来の知日派を生み出すJET制度

1987年から日本政府が行っているJET(Japan Exchange and Teaching Program)制度を利用して日本に英語教師として滞在し、日本の文化を学んだ米国の学生は、累計で15,000人を超える。

2005年度は、米国が約3,000人、イギリス900人、カナダ800人、オーストラリア400人、ニュージーランド300人といった内訳だ。

このJET世代が、将来の知日派を生み出す宝庫となっていくだろう。


2006年の本だが、「ジャパン・ハンド」自体はあまりメンバーも変わっていない。CSISに客員研究員として務めた経験もある春原さんだけに、参考になる情報が満載の本である。


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2012年10月31日

日米大物そろい踏みの日経・CSIS共催シンポジウムに参加した

日経新聞と米戦略国際問題研究所(CSIS)の共催シンポジウムに3年ぶりに参加した。

日経CSIS





出席メンバーは毎回パワーアップする感じで、米国側の出席者はあまり変わりはないが、日本側は与党から前原国家戦略大臣・玄葉外相の両大臣が出席し、玄葉外相は30分ほどの講演を行った。

自民党からは9月の自民党総裁選を争った5人のうちの2人の、石破幹事長と林芳正元防衛大臣の二人が参加し、石破幹事長は30分ほどの講演を行った。

学者としては元東大教授の北岡伸一・国際大学学長、外務省OBとして薮中三十二・元外務事務次官が参加した。

米国からはほぼいつものメンバーで、ハムレCSIS所長兼CEO,国務省で極東・太平洋担当する現役のカート・キャンベル国務次官補、ジョセフ・ナイハーバード大学教授、リチャード・アーミテージ元国務副長官、マイケル・グリーンCSIS上級副所長といった面々だ。

いずれも民主党寄り、共和党寄りという色がついている。現在は民主党オバマ政権なので、カート・キャンベル氏が政府の要職についているが、来週の米国大統領選挙で、共和党のロムニー氏が勝つと、今度はマイケル・グリーン氏など別のメンバーが政府の要職につく、と言う感じで、まさに「回転ドア」そのものだ。

今回は国務省の現役のカート・キャンベル氏が冒頭の基調講演を行った。

日経新聞の春原剛編集委員がアーミテージ・ナイ鼎談に参加して、事前のアンケート結果や会場でプログラムの裏表紙の赤(YES)、表表紙の青(NO)を使っての即興アンケートも行って、面白かった。

会場で配られたプログラムは次の様なものだ。

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講演の内容は、日経新聞などで報道されているので、詳しく紹介しないが、大変興味深い内容だった。

特にアーミテージ・ナイ両氏は、オバマ大統領の命を受けて、日本・中国のシャトル外交を行ったばかりだった。

もちろん詳しい秘密は明かさないが、中国には「尖閣付近で紛争が起こると米国は中立ではない」と伝えるなど、効果は十分期待できるシャトル外交だったと思う。

中国とは尖閣問題、韓国とは竹島問題が起こっているだけに、日米安保条約の第5条の米国の日本防衛義務に関し、日中間で紛争が起こったら、本当に米国は日本を軍事力で守ってくれるのかという日本人なら誰しも抱く疑問に対しては、明確にイエスだというメッセージをカート・キャンベル国務次官補他メンバーが伝えていた。

ただしこの場合には日本の紛争解決努力が前提となり、当然のことながら、米国は平和的な解決を望むということだった。

基調講演では、玄葉外相が官僚のつくった原稿をベースとした講演で、ほとんど得るところのないあたりさわりのない演説だったのに対し、石破幹事長は原稿なしで30分持論を語り、ニュースでも報道されているとおり、、「今回の自民党総裁選候補者5名全員が日本国憲法改正論者」だと語り、「いつまでもあると思うな、親と日米安保条約」や日本版海兵隊の創設などを訴えて迫力ある演説だった。

石破氏の三白眼が、まるで宗教家のような気味の悪い印象を与えていた点はマイナスだが、主張がはっきりしていて良いと思った。

大変参考になるシンポジウムだった。来年も抽選に当たったら参加しようと思う。


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2012年07月21日

TPP亡国論 大体予想通りの内容 日本の将来像はどう考えるんだ?

TPP亡国論 (集英社新書)TPP亡国論 (集英社新書)
著者:中野 剛志
集英社(2011-03-17)
販売元:Amazon.co.jp
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以前紹介した小林よしのりの「反TPP論」で、参考文献の一つとして挙げられていたので読んでみた。

ゴーマニズム宣言スペシャル 反TPP論ゴーマニズム宣言スペシャル 反TPP論
著者:小林 よしのり
幻冬舎(2012-02-24)
販売元:Amazon.co.jp
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大体予想通りの内容だ。詳しくは紹介しないが、日本の最大の問題はデフレであり、1990年代バブル崩壊後の不況で、デフレを心配しなければならない状況にあったにもかかわらず、新自由主義的な構造改革を断行した。その結果デフレから脱却できずにいると中野さんは説く。

戦後の経済運営の歴史上、こんな初歩的なミスを犯した国はほかにない。だから戦後、日本以外にデフレを経験した国がないのだと。

著者の中野剛志さんは、1971年生まれの元経済産業相課長補佐で、エディンバラ大学の社会学の博士号を取っており、京都大学工学研究科助教を経て、現在は経済産業省に復帰しているという。

第1次オイルショックが1974年なので、生まれてこのかたインフレを経験したことがない人なので、わからないのだろうが、いま実効金利率が1%程度で済んでいるから、1,000兆円の国債残高でも大きな問題が生じていないのだ。

インフレとなってたとえば金利が5%になったら、利払いだけで国の財政は破たんする。

筆者がアルゼンチンに駐在していた1970年代末は、インフレ率が100%を超えている時代だった。超インフレ国のアルゼンチンに住んでいた経験がある筆者にとって、インフレは国民の財産をむしりとる国の政策だと思う。

なにせいままでの蓄えが、インフレ率100%だと1年で半減、2年で1/4になってしまうのだ。銀行に預ければ金利はつくが、インフレは下回るので、目減りすることに変わりはない。

ペソでもらった給料を、すぐにドルにしたり、金貨にしたりしていたが、それでもインフレには負ける。

日本でインフレ率100%という事態にはならないとは思うが、国民総資産1,400兆円とかいっても、5−10%くらいのインフレが起これば、数年で激しく目減りし、日本人の世界的地位も凋落を続けることだろう。

そうなるともはや挽回は不可能だ。

ところで、この本の最後は次の言葉で終わる。

「第三の開国?その前に、第一の開国が、まだ終わっていないのです。」

この意味は、日本はまだアメリカなどの陰謀から「自ら守る力」、「自立の力」を持っていないのだという。

農業問題については、反TPP論者の「食料自給率100%を目ざさない国に未来はない」と一緒に、このブログで紹介した浅川さんの「日本は世界第5の農業大国」もも紹介している。

賛否両論併記ということで、結局中野さんが何を言いたいのかよくわからない。

食料自給率100%を目ざさない国に未来はない (集英社新書)食料自給率100%を目ざさない国に未来はない (集英社新書)
著者:島崎 治道
集英社(2009-09-17)
販売元:Amazon.co.jp
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日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率 (講談社プラスアルファ新書)日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率 (講談社プラスアルファ新書)
著者:浅川 芳裕
講談社(2010-02-19)
販売元:Amazon.co.jp
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TPPに反対する人たちの論拠は農水省のTPPによる影響試算であることは、以前紹介した「TPPを考える」と同様だ。

TPPを考える―「開国」は日本農業と地域社会を壊滅させるTPPを考える―「開国」は日本農業と地域社会を壊滅させる
著者:石田 信隆
家の光協会(2011-02)
販売元:Amazon.co.jp
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中野さんは6月に経済産業省に復職したようだが、経済産業省の官僚としてどうやってTPP亡国論をブツのだろう?

この人は、どういう日本の将来像を持っているのだろう。ここをクリックして、目次を見ればわかるが、個別論だけで全体像がよくわからない。そんな印象を受ける本である。


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2012年06月21日

体制維新 − 大阪都 橋下徹さんの大阪都構想と堺屋太一さんとの対談

体制維新――大阪都 (文春新書)体制維新――大阪都 (文春新書)
著者:橋下 徹
文藝春秋(2011-11-01)
販売元:Amazon.co.jp
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大阪市と大阪府の行政組織を統合して大阪都をつくる構想をぶち上げている橋下徹大阪市長の本。

2011年11月に行われた大阪市長選挙では、橋下氏が民主党・自民党・共産党(!)の支持を得た平松氏を大差で破って大阪市長になった。大阪府知事に当選した大阪維新の会の幹事長の松井氏とタッグを組んで、大阪都構想を実現できる体制が整った。

昔の「行列のできる法律相談所」時代のイメージしかなかったので、橋下さんは丸山和也参議院議員と同様の、単なるタレント市長かと思っていたが、この本を読んで、しっかりした信念と優れたバランス感覚を持った政治家であることがわかった。

正直、あまり期待していなかったが、得るところが大きい本だった。

橋下さんは、1969年東京生まれ。大阪で育ち、北野高校で全国高校ラグビー選手権に出場し、ベスト16まで行ったという。その後早稲田大学から弁護士となり、1998年に橋下綜合法律事務所を設立した。

テレビの「行列のできる法律相談所」でテレビ受けするあまのじゃくな回答で人気を博していた。

対談で登場する堺屋太一さんが1965年、通産省時代に大阪万博をやろうと言いだした時から、大阪府と大阪市は仲が悪く、「府市あわせ(ふしあわせ)」と呼ばれ、サントリーの佐治敬三さんなどの財界人が仲に入ったりして40年間話し合いを続けてきたが、関係は一歩も進んでいないという。

大阪の問題は人口260万人の大阪市と、人口880万人の大阪府が二重行政となっており、別々に大学も美術館も図書館もあり、もちろん役所も別だ。東京都もかつては東京府と東京市の2つがあったが、1943年に、東条英機首相時代に一体化されている。

大阪市には地域団体組織、市役所、市長という「大阪版鉄のトライアングル」があり、平松市長時代は公金を使った政治活動を認めていたのだと。さらに大阪市の24ある行政区長は公選でなく任命制なので、すべて一律でなければ気がすまず、区をよくしようという意欲が全くないという。

世界各国では個々の都市の成長を促して、都市と都市をつないでいくのが国の役割となっているという。ロンドン市長、ニューヨーク市長、パリ市長、ローマ市長、ソウル市長と競いあうのだと。それには大阪市では小さすぎ、大阪都が必要なのだと。



大阪維新の会で、市長、府長、大阪府議会の過半数を押さえているので、ぜひ橋下市長のリーダーシップで大阪都構想を実現して、関西経済圏の復権を目指してほしいものだ。


公務員もクビにできる制度に

橋下さんの大阪維新の会が提出している2大法案は、職員基本条例と教育基本条例だ。

以前中田前横浜市長の「政治家の殺し方」で紹介した様に、橋下さんもたぶん「死ね」メールなどを職員から顕名で受け取っているのではないかと思う。あまりにひどい公務員はクビにできるようにして、幹部は公募制とすることを提案している。

政治家の殺し方政治家の殺し方
著者:中田 宏
幻冬舎(2011-10-26)
販売元:Amazon.co.jp
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そして教育関係では私立高校の授業料助成金が橋下さんの目玉政策だ。

全国ワースト1位かそれに近い大阪の少年犯罪率、失業率、離婚率などの根幹は教育にあるという橋下さんの認識をもとに、公立でも私立でもどちらでも選ぶことができるようにすることが、大阪ワースト問題を解決するカギとなり、教育の質も向上するというものだ。



世帯年収610万円以下で無料、610万円から800万円までは実質年間10万円。これで大阪府の世帯の7割をカバーする。私立高校の授業料は上限58万円に抑える。2011年は公立から私立に3,500人ほどの生徒が移動した。これで公立高校も必死になり、大阪の高校教育は劇的に変わったという。「


政治を語ることと、組織を動かすことは全く別物

政治を語ることと組織を動かすことは全く別物。そのことが日本の政治の世界では理解されていないと橋下さんは語る。

政治家の役目は、一定の方向性を示し、実現に必要な人やお金の配置をし、組織が機能する環境を整え、組織が動かなくなる弊害を取り除くといった組織マネジメントだ。

個別の政策を実行するのは、行政組織にしかできない。政治家が自分でやろうとしたら失敗してしまう、その典型が政権交代直後の民主党なのだ。

民主党が政権をとっても、鳩山さんも管さんも組織を動かした経験がないので、行政組織を動かせなかった。橋下さんは弁護士時代に社課外取締役等で企業経営にかかわった経験がが役に立ったという。橋下さんから見れば、野田首相は組織マネジメントに力を入れているという。

中国では地方の行政組織を動かして実績を上げた人が中央でも出世する。江沢民胡錦濤習近平がその例だ。アメリカでもクリントン大統領、ブッシュJR大統領が州知事あがりだ。

前評判の高かったオバマ大統領が苦戦しているのも、組織を動かした経験がないからだと思うと橋下さんは言う。


大阪府でPDCAサイクルをまわす

この本を読んで、橋下さんは行政のトップとして成功するだろうと感じた。それは次のようなことを言っているからだ。

大阪府では、府庁の意思決定システムがなかった。10億円を超える大きな予算でもまったく記録が残されていなかった。議事録もない。

だから、橋下さんは最高意思決定機関として戦略本部会議を設けて、部局長がつくったマニフェストを議論させた。部局長マニフェストは数値目標を原則として、PDCAサイクルをまわす。

各現場は部局長のマニフェストに沿って自分の方針をつくって、自律的に動く。こういったしくみを作らないと巨大な組織は一定方向に動かないという。

昔ながらの職員からは、知事はすべて職員に仕事を任せて、最後の責任を取るというマネジメントをしてもらいたいとも言われたが、今の時代では組織の方向をきっちり固めるのが重要だ。

組織の一定の方針の下で、各現場に自律的に動いてもらう。その結果の責任はトップが当然取るという仕組みなのだ。

行政のトップでPDCAサイクル(継続的改善のためのシステム)を意識して組織を動かしている人はほとんどいないと思う。その意味でも、筆者は橋下さんに期待するところ大である。


政治を自動車輸送にたとえると

この本の最初と最後にある堺屋太一さんとの対談も面白い。

政治を自動車輸送にたとえると、タクシーのようなものだと堺屋さんは言う。国民に選ばれた政治家が後部座席に座って、行先を決めて、運転は技術と経験がある官僚が担当する。これが本来の民主主義なのだ。

ところが民主党は、政権交代をするなり、「政治主導」でやると、いきなり運転席に座ったものだから、経験と技能がないので、たちまち事故を起こしてしまった。

事故に懲りて客席に戻ったら、今度はタクシーでなく路線バスになった。「官僚権限の強化」という行先の路線バスなのだと。


財務官僚は財政赤字を減らそうと努力していない

財務省は国の財政問題で赤字を減らそうとしていると思ったら、大間違いで、本当は彼らは、財政赤字を増やして増税し、経済への影響力を強めようとしているのだと。

堺屋さんの子供の時に陸軍の軍人は敵を減らすために戦ってくれていると思っていたが、実際は軍人は敵を次々と増やしていた。

満州で張作霖を爆死させると、ノモンハンに行ってソ連・モンゴル軍と戦う、ノモンハンで勝てなかったら、北京政府に干渉し、それが逃げたら、今度は上海・南京で蒋介石軍と戦う。蒋介石軍を重慶に追いだしたら、今度は仏印に出ていくというふうに、常に敵を増やしていた。

敵を増やすことによって、軍事予算が増え、徴兵権が強くなり、陸軍の統制力が強化される。それが軍務官僚の正体だったのだと。

今の財務官僚も同じことしている。国家事業を効率化するのでなく、予算要求の上限をつけて、いらないものを全部温存して赤字を増やす。その挙句に、この不況のさなかに増税する。

仕組みが官僚権限を拡大するようにできあがっているので、困ったことに財務官僚も昔の陸軍軍人もその自覚がないのだと。


役所の間の人事異動はほとんどない

現在の厚生労働省のトップは1970年代から1980年代初めに入省した人たちで、当時は通産省、農林省は巨大な官庁で文系キャリアを25人前後取っていたのに対して、厚生省や労働者は小さい官庁だったので、せいぜい7人くらいだった。

ところが、30年たって厚生労働省は巨大化して人材不足、農林水産省は人余りとなっている。やむなく農水省は自分たちがコントロールできる制度として「賞味期限」というものをひねり出したという。

役所間の人事異動はほとんどないので、巨大化した厚労省では人材が手薄になっている部局がある。安倍・福田内閣では、省間の人事異動をやろうとしたが実現しなかったという。


政治マネジメントとは

橋下さんがやってきたことは、大阪府庁の仕事の1%以下で、残りの99%は組織が粛々と仕事をしている。

しかし、その1%は組織の在り方や、組織全体の方向性を決める質的に重要なもので、伊丹空港廃港、庁舎移転、学力テスト結果公表、りんくうタウン再生、直轄事業負担金制度廃止などの重要な決定だ。

市町村別の学力試験結果を公表したことで市町村教育委員会の意識が変わった。

文科省、教育委員会、朝日新聞、毎日新聞は「市町村別結果の公表をしたら過度な競争が生じる、不当な学校序列が生じる」と非難していたが、そんな弊害は生じておらず、大阪の教育現場は学力向上に向けて動いているという。



橋下府知事時代に橋下さんは、直轄事業負担金は「ぼったくりバー」と発言して問題を提起し、国の直轄事業負担金制度の見直しを実現させた。



伊丹空港廃止問題は、前原国交相がリーダーシップを発揮し、伊丹空港と関空を経営統合して、運営権を民間に売却するという案をだし、2012年4月に新会社が設立された。



府議会議員の定数を109名から88名まで減らすと大阪維新の会は決断した。これに対して朝日新聞は批判したという。

知事としていかなるとき前面に出るべきなのか、どの部分を行政組織に任せるべきなのか、線引きに日々神経をとがらせてきたと橋下さんは語る。たとえば槇尾川ダム建設中止の決断は行政ではできない。知事の決断なのだ。



政治家の賞味期限

政治家だけで政策を作り上げることができないことは、政権交代時の民主党のマニフェストで明らかだという。

また今の地方議会事務局には、知事部局ほどの体制が整っていないために、そもそも議会が条例をつくれる体制になっていない。

政治家は直感、勘、府民感覚であるべき方向性を示し、その方向性で行政マンが選択肢をつくり、中身を詰める。行政マン同士で見解の相違があるなら、徹底的に議論してもらう。

その際のルールは次のようなものだ。

1.原則は行政的な論理に勝っている方を選択する。

2.論理的に5分5分なら、知事が政治的に選択する。

3.行政論理に負けていても、これはというものは、政治決定で選択する。この時は行政の言い分が勝っていることを認めるが、政治的な思いからあえて選択したことをしっかりと説く。

直感、勘、府民感覚で賞味期限が切れれば、政治家としては使い物にならない。「終了」だと。日本には自分の政治家としての賞味期限切れに気づかない政治家が多いと。

民主党の事業仕分けも、行政マン同士で議論させて、政治家や第三者が見守り、上記1,2,3のルールで判断していけば、組織は動いたのではないかと。「戦略は細部に宿る」のだと。


たしかに地方自治体の首長をつとめて行政のトップだった人が、国政も担当するというのは、英語で言うと"make sense"、腑に落ちる考え方である。

YouTubeの映像をいくつか紹介したが、元タレント弁護士だけにテレビ慣れしている。日本では珍しい劇場型政治家だ。得るところが大きい本である。


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2012年06月18日

日本の瀬戸際 森本新防衛大臣の本を読んでみた

日本の瀬戸際日本の瀬戸際
著者:森本 敏
実業之日本社(2011-03-01)
販売元:Amazon.co.jp
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第2次野田内閣で、防衛大臣に就任した防衛庁・外務省出身で、拓殖大学教授の森本敏(さとし)さんの本。

森本さんは昭和16年生まれ。防衛庁出身(防衛大学理工学部卒業)で、外務省に出向した後、外務省に入りなおして、在米日本大使館の一等書記官や、情報調査局安全保障政策室長など一貫して安全保障の実務を担当し、退官後は野村総研や、大学の講師や客員教授となり、平成12年からは拓殖大学教授という経歴を持つ。

野田内閣で森本さんの経歴を見たときに、「こんな防衛大臣に適任の民間人がいるとは!」と驚き、野田さんは人を見る目があるなと思ったので、興味を抱いて森本さんの本を読んでみた。

この本は2011年3月の発売なので、森本さんの最近著である。このほかに、「日本防衛再考論」という本も出しているので、これも読んでみる。

日本防衛再考論―自分の国を守るということ日本防衛再考論―自分の国を守るということ
著者:森本 敏
海竜社(2008-05)
販売元:Amazon.co.jp
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ひと言で言って、「百聞は一見に如(し)かず」だ。

この人は「学者」ではない。

この本にも、「日本防衛再考論」にも何の出典・参考文献・自己論文等も示されていない。この人がどれだけ安全保障について研究してきたのか、全くわからない。

一流の学者なら自分の本を書く場合、欧米なら数十ページ、日本でも最低数ページや十数ページは出典などを示すものである。

拓殖大学教授という肩書と、この本の内容に強く違和感を感じる。

一例を示すと、森本さんは「北朝鮮には莫大な天然ウランが埋蔵されている」とこの本で語っている(49ページ)。

1950年代末に中国の専門家の資源調査で莫大な天然ウランが埋蔵されていることを知り、1960年代からソ連から原子炉を購入し、この原子炉を動かして生産(前後の関係から重工業生産と読める)に必要な原子力エネルギーを確保してきたと書いている。

筆者が浅学なのかもしれないが、北朝鮮に莫大な天然ウラン資源があるという話は聞いたことがない。また北朝鮮の電力発電用の原子炉は止まっており、ソ連から購入した原子炉はすべて実験機規模だった。重工業生産を支えるエネルギーを原子力発電でまかなってきたわけではない。

この情報一つをとっても、出典・根拠を全く示さない森本さんの情報の正確性は非常に疑問に思える。

また安全保障の「専門家」なのかもしれないが、書いてあることが抽象的すぎて、具体論にかける。

たとえば第4章(日本の外交・安全保障政策と日米同盟進化はどうあるべきか)という章では、次のようなサブタイトルがならぶ。

1.外交・安保政策における日本の基本課題とは何か

 ・国益を追求する国家戦略を早急に構築すべし

 ・政策決定プロセスの封印で検証が不能に陥る(筆者注:そもそもタイトルからして何を言いたいのか不明)

 ・国家の情報機能を強化すべし

 ・法律で完全に縛られた自衛力を見直す局面に来ている

 ・価値観を共有する国々と連携強化すべき(韓国、豪州、ASEAN諸国など)

 ・日米同盟による抑止力強化が最重要課題

 ・アジア太平洋の地域的枠組みの進展に日本がイニシアティブを!

どれもこれも抽象論だ。具体策と筋道がないので、「足が地についた」議論ではない。

尖閣列島問題では、「尖閣諸島の実効支配が急務の課題」というサブタイトルを掲げて、5つほどのポイントを説明している。

「その第1は、尖閣諸島の実効支配をいかに強化するかについてである。(中略)…その具体的な方法については、まだ検討中である。」

「第2には、海上保安庁の能力向上についてである。(中略)…海上保安庁の予算を急に増やすことは、現実問題として難しく、…(後略)」という具合に、尻切れトンボの寄せ集めだ。

これでは「評論家」だ。「専門家」ともいえないだろう。

このブログは筆者のポリシーとして本の批判は書かない。世の中にろくでもない本は多くある。そういう本は、そもそもあらすじを書く対象としては選ばないのだ。

しかしこの本については、突如登場した防衛大臣という重要なポストの閣僚だけに、あえて批判めいた筆者の意見を公開する。

いずれ森本さんの真の能力が試される時が来るだろう。


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Posted by yaori at 07:32Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月16日

政治家の殺し方 前横浜市長・中田宏さんの暴露本 ノンフィクション小説のようだ

政治家の殺し方政治家の殺し方
著者:中田 宏
幻冬舎(2011-10-26)
販売元:Amazon.co.jp
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前横浜市長・中田宏さんの暴露本。この本を読むと横浜市に巣くっている様々な闇・おもて勢力の実態がわかる。

このブログを書き始める前なので、ブログにあらすじは紹介していないが、中田さんの本は何冊か読んだことがある。特に「偏差値38からの挑戦」というサブタイトルがついている「なせば成る」は面白かった。

なせば成る (講談社プラスアルファ文庫)なせば成る (講談社プラスアルファ文庫)
著者:中田 宏
講談社(2005-11-25)
販売元:Amazon.co.jp
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突然の市長辞任の理由

中田さんが横浜市長選挙に出馬しないと表明したので、このブログでも著書を何冊か紹介している元ダイエー会長の林文子さんを民主党がかついで、林さんが横浜市長になったのは、ちょうど前回の衆議院選挙が行われた2009年夏だった。

筆者は中田さんが衆議院選に出馬するので、市長を辞めたものとばかり思っていたが、実は市議会の有力者達とつながる闇勢力から「ハレンチ市長」として、ありもしないでっちあげスキャンダルで攻撃されていたという。

そして自民・公明・民主がオール与党として談合している市議会勢力に、次の市長選挙を牛耳られないように、衆議院総選挙と横浜市長選挙を同一日にするためにあのタイミングで市長を辞めたのだという。


中田市長追い落とし作戦

2007年11月から7週間にわたって「週刊現代」の見出しに「私の中に指入れ合コン」とか、「口封じ恫喝肉声テープ」、「公金横領疑惑」などと事実無根の記事を書かれ、挙句の果てには「中田の愛人」と称する女性までテレビに登場するというスキャンダルを起こされていたという。

中田さんが市長をやめて後、週刊現代を発行する講談社を名誉棄損で訴え、2010年10月には全面勝訴を勝ち取っている。また”フィアンセ”と称する女性から慰謝料を求められた裁判でも、付き合った事実すらないとして全面勝訴した。

スキャンダルの疑いは晴れたが、政治には闇の世界があることを知ってほしいためにこの本を書いたのだという。


ノンフィクション小説のように面白い

中田さんは横浜市出身で、神奈川県立霧が丘高等学校を卒業し、2浪して青山学院大学に入り、松下政経塾を経て28歳で衆議院議員となり、2002年に37歳で横浜市長に当選する。当時は史上最年少の政令指定都市の市長だった。

筆者は神奈川県藤沢市出身だ。しかし友人から横浜スタジアムをめぐる利権について聞いたことはあったが、同じ県にある横浜市の政界がこれだけ腐敗しており、公務員も既得権を守るのに汲々としているとはこの本を読むまで全く知らなかった。

この本は中田さんの横浜市の闇勢力との抗争ドキュメンタリーで、ノンフィクション小説のように面白い。あまり詳しく紹介すると、読んだときに興ざめなので、簡単に紹介しておく。

★中田さん追い落としのねつ造スキャンダルは2007年11月の「週刊現代」から始まった。根も葉もない上記のような内容だ。

★2008年12月には中田の愛人と名乗る元ホステスの女性が全国ニュースに登場、3000万円の慰謝料を請求して裁判を起こした。しかし、幸いなことに、家族のきずなは保てたという。この女性は裁判には一度も出廷しなかった。金をもらって訴えたに過ぎないのだ。

★中田さんを恨んでいたのは、まずは指名競争入札で仲間同士で仕事を融通しあっていた建設業界だ。一般競争入札にしたので、競争がきびしくなったからだ。

★公務員組合も恨んでいた。公務員の定数を1000人当たり8人から5人まで減らし、各種手当も減らした。退職時昇給という最後の一日だけ昇給して、それが退職金のベースを高くするというお手盛りも辞めさせた。

★暴力団もからむ風俗業界も恨んでいた。京浜急行の日ノ出町駅から黄金町駅の間に違法売春風俗店が250店もあったのを、県知事、神奈川県警本部長、警察庁長官の協力を得て撲滅した。

★さらにAという市会議員が中田さんの政敵だったという。横浜市に住んでいる人は、Aというのが誰なのかわかるのだと思う。

★選挙の開票を翌日開票とすると1億3千万円もコストが下がるので、それを実施したら、朝刊しかない地元新聞は大反対したという。地元新聞も自社の利益優先で、県のコスト削減など二の次だったのだ。

★横浜市の公務員の待遇うは信じられないほど優遇されている。
希望しなければ10年間異動なしで、しかも毎年昇給するという「渡り」を辞めさせ、3年で強制配転としたので、公務員組合から敵視された。そのほかにも一律だった管理職のボーナスを上下100万円の差をつけたとか、鎌倉市などの隣の市に行くだけでもらえる出張手当も辞めさせた。

★おどろくことに、市職員からは実名で「おまえはバカだ」、「死ね」メールまで部署名・氏名入りで送られてきたという。公務員であれば、たとえ態度が悪くても懲戒免職などされないことを知っているからだ。

昔の長野県の田中康夫知事名刺折り曲げ事件を思い出させる公務員の暴挙である。

★定期を1か月定期から半年定期にしたら職員から規則違反と言われた。いままで差額をネコババしていたので、既得権と思っている職員がいたのだ。なんのことはない、ほかの自治体も同じで、横浜市が先陣を切って半年定期化したのだと。


こんな具合に、信じられない地方政治の実態が語られている。簡単に読める面白い読み物である。


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Posted by yaori at 12:58Comments(0)TrackBack(0)

2012年04月18日

次回を目指せ リック! (共和党大統領候補者リック・サントラム)

2012年4月18日再掲:

リック・サントラムが大統領候補戦から撤退した。これで米国共和党の大統領候補はロムニー前マサチューセッツ州知事に一本化される見込みだ。

リックは旗色がわるかったことと、先天的に染色体異常を持つ3歳の娘が入院したことから、24日の出身地のペンシルベニア州の予備選挙の前に撤退宣言をしたようだ。

ちょっと残念だが、熱心なカトリックのリックは妊娠中絶に反対している点などから、今回の候補者選びで米国の多くの選挙民の支持を得ることは難しかったかもしれない。

リックはまだ53歳だし、また次の機会もあるだろう。引き続き頑張れ、リック!



2012年3月29日初掲:

今年は米国の大統領選挙の年だ。筆者は米国に合計9年間駐在していたので、いまだに大統領選挙の興奮を覚えている。

特に印象深かったのは、2000年のアル・ゴア対ジョージ・W.ブッシュのフロリダ州での再集計のゴタゴタだ。

いったんはアル・ゴアは敗北宣言をしてジョージ・W.ブッシュに祝福の電話を入れたが、フロリダ州の結果があまりにも僅差だったので、再集計を申し入れ、結局3−4週間かかって、無効票も入れて再集計し、ブッシュの勝利が確定したのだ。

なにか気が抜けた3週間だったことを思い出す。

ところで2012年の共和党の大統領選挙は、前マサチューセッツ州知事のロムニー候補とペンシルベニア州選出の前上院議員のリック・サントラム、長年共和党の顔だった前上院院内総務ニュート・ギングリッジ他で争われている。

当初はロムニー候補が優勢だったが、リック・サントラム候補が盛り返している。

RickSantorum





筆者はリック・サントラム候補と知人のパーティで一緒になったことがある。筆者の知人・ソニーのフレッド・石井さんが、自宅でリック・サントラムを招いたパーティを開き、それに当時ピッツバーグ日本語補習授業校の運営委員長だった筆者も招待されたのだ。

ちなみにフレッド・石井さんは、当時で在米約20年。サンディエゴのソニーのテレビ工場に勤めたあと、ピッツバーグのテレビ工場のトップとして勤務されており、ピッツバーグ日本語補習授業校の運営では大変お世話になった。

これがその時のリックと、ソニーのテレビ工場ナンバー2との3ショットの写真だ。

RickSantrum






2000年ころの写真だ。筆者も若いが、リックも若い。

たとえ共和党の候補者となっても、現職のオバマと戦って勝てるかどうかわからないが、パーティで会ったこともあり、心情的にはリック・サントラムを大統領候補として応援したい。

このブログでも紹介した通り、オバマは名家の出身でなく、社会派弁護士としてシカゴ郊外で活動を始め、民主党の党大会で注目されて、のし上がってきた。

マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝
著者:バラク・オバマ
ダイヤモンド社(2007-12-14)
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リック・サントラムも同じく名家の出身でなく、ピッツバーグ地区の大学を卒業し、弁護士となり、ピッツバーグ出身のハインツ上院議員(ケチャップのハインツ家出身)のサポーターとなり、共和党のヒエラルキーで出世した。

同じ弁護士出身だが、考え方はかなり異なる。オバマはリベラルなのに対して、リック・サントラムは保守そして、宗教心が厚い。

オバマ対サントラムなら、面白い選挙となると思う。

リックがんばれ!



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Posted by yaori at 08:38Comments(0)TrackBack(0)