2012年06月21日

体制維新 − 大阪都 橋下徹さんの大阪都構想と堺屋太一さんとの対談

体制維新――大阪都 (文春新書)体制維新――大阪都 (文春新書)
著者:橋下 徹
文藝春秋(2011-11-01)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

大阪市と大阪府の行政組織を統合して大阪都をつくる構想をぶち上げている橋下徹大阪市長の本。

2011年11月に行われた大阪市長選挙では、橋下氏が民主党・自民党・共産党(!)の支持を得た平松氏を大差で破って大阪市長になった。大阪府知事に当選した大阪維新の会の幹事長の松井氏とタッグを組んで、大阪都構想を実現できる体制が整った。

昔の「行列のできる法律相談所」時代のイメージしかなかったので、橋下さんは丸山和也参議院議員と同様の、単なるタレント市長かと思っていたが、この本を読んで、しっかりした信念と優れたバランス感覚を持った政治家であることがわかった。

正直、あまり期待していなかったが、得るところが大きい本だった。

橋下さんは、1969年東京生まれ。大阪で育ち、北野高校で全国高校ラグビー選手権に出場し、ベスト16まで行ったという。その後早稲田大学から弁護士となり、1998年に橋下綜合法律事務所を設立した。

テレビの「行列のできる法律相談所」でテレビ受けするあまのじゃくな回答で人気を博していた。

対談で登場する堺屋太一さんが1965年、通産省時代に大阪万博をやろうと言いだした時から、大阪府と大阪市は仲が悪く、「府市あわせ(ふしあわせ)」と呼ばれ、サントリーの佐治敬三さんなどの財界人が仲に入ったりして40年間話し合いを続けてきたが、関係は一歩も進んでいないという。

大阪の問題は人口260万人の大阪市と、人口880万人の大阪府が二重行政となっており、別々に大学も美術館も図書館もあり、もちろん役所も別だ。東京都もかつては東京府と東京市の2つがあったが、1943年に、東条英機首相時代に一体化されている。

大阪市には地域団体組織、市役所、市長という「大阪版鉄のトライアングル」があり、平松市長時代は公金を使った政治活動を認めていたのだと。さらに大阪市の24ある行政区長は公選でなく任命制なので、すべて一律でなければ気がすまず、区をよくしようという意欲が全くないという。

世界各国では個々の都市の成長を促して、都市と都市をつないでいくのが国の役割となっているという。ロンドン市長、ニューヨーク市長、パリ市長、ローマ市長、ソウル市長と競いあうのだと。それには大阪市では小さすぎ、大阪都が必要なのだと。



大阪維新の会で、市長、府長、大阪府議会の過半数を押さえているので、ぜひ橋下市長のリーダーシップで大阪都構想を実現して、関西経済圏の復権を目指してほしいものだ。


公務員もクビにできる制度に

橋下さんの大阪維新の会が提出している2大法案は、職員基本条例と教育基本条例だ。

以前中田前横浜市長の「政治家の殺し方」で紹介した様に、橋下さんもたぶん「死ね」メールなどを職員から顕名で受け取っているのではないかと思う。あまりにひどい公務員はクビにできるようにして、幹部は公募制とすることを提案している。

政治家の殺し方政治家の殺し方
著者:中田 宏
幻冬舎(2011-10-26)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

そして教育関係では私立高校の授業料助成金が橋下さんの目玉政策だ。

全国ワースト1位かそれに近い大阪の少年犯罪率、失業率、離婚率などの根幹は教育にあるという橋下さんの認識をもとに、公立でも私立でもどちらでも選ぶことができるようにすることが、大阪ワースト問題を解決するカギとなり、教育の質も向上するというものだ。



世帯年収610万円以下で無料、610万円から800万円までは実質年間10万円。これで大阪府の世帯の7割をカバーする。私立高校の授業料は上限58万円に抑える。2011年は公立から私立に3,500人ほどの生徒が移動した。これで公立高校も必死になり、大阪の高校教育は劇的に変わったという。「


政治を語ることと、組織を動かすことは全く別物

政治を語ることと組織を動かすことは全く別物。そのことが日本の政治の世界では理解されていないと橋下さんは語る。

政治家の役目は、一定の方向性を示し、実現に必要な人やお金の配置をし、組織が機能する環境を整え、組織が動かなくなる弊害を取り除くといった組織マネジメントだ。

個別の政策を実行するのは、行政組織にしかできない。政治家が自分でやろうとしたら失敗してしまう、その典型が政権交代直後の民主党なのだ。

民主党が政権をとっても、鳩山さんも管さんも組織を動かした経験がないので、行政組織を動かせなかった。橋下さんは弁護士時代に社課外取締役等で企業経営にかかわった経験がが役に立ったという。橋下さんから見れば、野田首相は組織マネジメントに力を入れているという。

中国では地方の行政組織を動かして実績を上げた人が中央でも出世する。江沢民胡錦濤習近平がその例だ。アメリカでもクリントン大統領、ブッシュJR大統領が州知事あがりだ。

前評判の高かったオバマ大統領が苦戦しているのも、組織を動かした経験がないからだと思うと橋下さんは言う。


大阪府でPDCAサイクルをまわす

この本を読んで、橋下さんは行政のトップとして成功するだろうと感じた。それは次のようなことを言っているからだ。

大阪府では、府庁の意思決定システムがなかった。10億円を超える大きな予算でもまったく記録が残されていなかった。議事録もない。

だから、橋下さんは最高意思決定機関として戦略本部会議を設けて、部局長がつくったマニフェストを議論させた。部局長マニフェストは数値目標を原則として、PDCAサイクルをまわす。

各現場は部局長のマニフェストに沿って自分の方針をつくって、自律的に動く。こういったしくみを作らないと巨大な組織は一定方向に動かないという。

昔ながらの職員からは、知事はすべて職員に仕事を任せて、最後の責任を取るというマネジメントをしてもらいたいとも言われたが、今の時代では組織の方向をきっちり固めるのが重要だ。

組織の一定の方針の下で、各現場に自律的に動いてもらう。その結果の責任はトップが当然取るという仕組みなのだ。

行政のトップでPDCAサイクル(継続的改善のためのシステム)を意識して組織を動かしている人はほとんどいないと思う。その意味でも、筆者は橋下さんに期待するところ大である。


政治を自動車輸送にたとえると

この本の最初と最後にある堺屋太一さんとの対談も面白い。

政治を自動車輸送にたとえると、タクシーのようなものだと堺屋さんは言う。国民に選ばれた政治家が後部座席に座って、行先を決めて、運転は技術と経験がある官僚が担当する。これが本来の民主主義なのだ。

ところが民主党は、政権交代をするなり、「政治主導」でやると、いきなり運転席に座ったものだから、経験と技能がないので、たちまち事故を起こしてしまった。

事故に懲りて客席に戻ったら、今度はタクシーでなく路線バスになった。「官僚権限の強化」という行先の路線バスなのだと。


財務官僚は財政赤字を減らそうと努力していない

財務省は国の財政問題で赤字を減らそうとしていると思ったら、大間違いで、本当は彼らは、財政赤字を増やして増税し、経済への影響力を強めようとしているのだと。

堺屋さんの子供の時に陸軍の軍人は敵を減らすために戦ってくれていると思っていたが、実際は軍人は敵を次々と増やしていた。

満州で張作霖を爆死させると、ノモンハンに行ってソ連・モンゴル軍と戦う、ノモンハンで勝てなかったら、北京政府に干渉し、それが逃げたら、今度は上海・南京で蒋介石軍と戦う。蒋介石軍を重慶に追いだしたら、今度は仏印に出ていくというふうに、常に敵を増やしていた。

敵を増やすことによって、軍事予算が増え、徴兵権が強くなり、陸軍の統制力が強化される。それが軍務官僚の正体だったのだと。

今の財務官僚も同じことしている。国家事業を効率化するのでなく、予算要求の上限をつけて、いらないものを全部温存して赤字を増やす。その挙句に、この不況のさなかに増税する。

仕組みが官僚権限を拡大するようにできあがっているので、困ったことに財務官僚も昔の陸軍軍人もその自覚がないのだと。


役所の間の人事異動はほとんどない

現在の厚生労働省のトップは1970年代から1980年代初めに入省した人たちで、当時は通産省、農林省は巨大な官庁で文系キャリアを25人前後取っていたのに対して、厚生省や労働者は小さい官庁だったので、せいぜい7人くらいだった。

ところが、30年たって厚生労働省は巨大化して人材不足、農林水産省は人余りとなっている。やむなく農水省は自分たちがコントロールできる制度として「賞味期限」というものをひねり出したという。

役所間の人事異動はほとんどないので、巨大化した厚労省では人材が手薄になっている部局がある。安倍・福田内閣では、省間の人事異動をやろうとしたが実現しなかったという。


政治マネジメントとは

橋下さんがやってきたことは、大阪府庁の仕事の1%以下で、残りの99%は組織が粛々と仕事をしている。

しかし、その1%は組織の在り方や、組織全体の方向性を決める質的に重要なもので、伊丹空港廃港、庁舎移転、学力テスト結果公表、りんくうタウン再生、直轄事業負担金制度廃止などの重要な決定だ。

市町村別の学力試験結果を公表したことで市町村教育委員会の意識が変わった。

文科省、教育委員会、朝日新聞、毎日新聞は「市町村別結果の公表をしたら過度な競争が生じる、不当な学校序列が生じる」と非難していたが、そんな弊害は生じておらず、大阪の教育現場は学力向上に向けて動いているという。



橋下府知事時代に橋下さんは、直轄事業負担金は「ぼったくりバー」と発言して問題を提起し、国の直轄事業負担金制度の見直しを実現させた。



伊丹空港廃止問題は、前原国交相がリーダーシップを発揮し、伊丹空港と関空を経営統合して、運営権を民間に売却するという案をだし、2012年4月に新会社が設立された。



府議会議員の定数を109名から88名まで減らすと大阪維新の会は決断した。これに対して朝日新聞は批判したという。

知事としていかなるとき前面に出るべきなのか、どの部分を行政組織に任せるべきなのか、線引きに日々神経をとがらせてきたと橋下さんは語る。たとえば槇尾川ダム建設中止の決断は行政ではできない。知事の決断なのだ。



政治家の賞味期限

政治家だけで政策を作り上げることができないことは、政権交代時の民主党のマニフェストで明らかだという。

また今の地方議会事務局には、知事部局ほどの体制が整っていないために、そもそも議会が条例をつくれる体制になっていない。

政治家は直感、勘、府民感覚であるべき方向性を示し、その方向性で行政マンが選択肢をつくり、中身を詰める。行政マン同士で見解の相違があるなら、徹底的に議論してもらう。

その際のルールは次のようなものだ。

1.原則は行政的な論理に勝っている方を選択する。

2.論理的に5分5分なら、知事が政治的に選択する。

3.行政論理に負けていても、これはというものは、政治決定で選択する。この時は行政の言い分が勝っていることを認めるが、政治的な思いからあえて選択したことをしっかりと説く。

直感、勘、府民感覚で賞味期限が切れれば、政治家としては使い物にならない。「終了」だと。日本には自分の政治家としての賞味期限切れに気づかない政治家が多いと。

民主党の事業仕分けも、行政マン同士で議論させて、政治家や第三者が見守り、上記1,2,3のルールで判断していけば、組織は動いたのではないかと。「戦略は細部に宿る」のだと。


たしかに地方自治体の首長をつとめて行政のトップだった人が、国政も担当するというのは、英語で言うと"make sense"、腑に落ちる考え方である。

YouTubeの映像をいくつか紹介したが、元タレント弁護士だけにテレビ慣れしている。日本では珍しい劇場型政治家だ。得るところが大きい本である。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。



  
Posted by yaori at 22:34Comments(0)TrackBack(0)

2012年06月18日

日本の瀬戸際 森本新防衛大臣の本を読んでみた

日本の瀬戸際日本の瀬戸際
著者:森本 敏
実業之日本社(2011-03-01)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

第2次野田内閣で、防衛大臣に就任した防衛庁・外務省出身で、拓殖大学教授の森本敏(さとし)さんの本。

森本さんは昭和16年生まれ。防衛庁出身(防衛大学理工学部卒業)で、外務省に出向した後、外務省に入りなおして、在米日本大使館の一等書記官や、情報調査局安全保障政策室長など一貫して安全保障の実務を担当し、退官後は野村総研や、大学の講師や客員教授となり、平成12年からは拓殖大学教授という経歴を持つ。

野田内閣で森本さんの経歴を見たときに、「こんな防衛大臣に適任の民間人がいるとは!」と驚き、野田さんは人を見る目があるなと思ったので、興味を抱いて森本さんの本を読んでみた。

この本は2011年3月の発売なので、森本さんの最近著である。このほかに、「日本防衛再考論」という本も出しているので、これも読んでみる。

日本防衛再考論―自分の国を守るということ日本防衛再考論―自分の国を守るということ
著者:森本 敏
海竜社(2008-05)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

ひと言で言って、「百聞は一見に如(し)かず」だ。

この人は「学者」ではない。

この本にも、「日本防衛再考論」にも何の出典・参考文献・自己論文等も示されていない。この人がどれだけ安全保障について研究してきたのか、全くわからない。

一流の学者なら自分の本を書く場合、欧米なら数十ページ、日本でも最低数ページや十数ページは出典などを示すものである。

拓殖大学教授という肩書と、この本の内容に強く違和感を感じる。

一例を示すと、森本さんは「北朝鮮には莫大な天然ウランが埋蔵されている」とこの本で語っている(49ページ)。

1950年代末に中国の専門家の資源調査で莫大な天然ウランが埋蔵されていることを知り、1960年代からソ連から原子炉を購入し、この原子炉を動かして生産(前後の関係から重工業生産と読める)に必要な原子力エネルギーを確保してきたと書いている。

筆者が浅学なのかもしれないが、北朝鮮に莫大な天然ウラン資源があるという話は聞いたことがない。また北朝鮮の電力発電用の原子炉は止まっており、ソ連から購入した原子炉はすべて実験機規模だった。重工業生産を支えるエネルギーを原子力発電でまかなってきたわけではない。

この情報一つをとっても、出典・根拠を全く示さない森本さんの情報の正確性は非常に疑問に思える。

また安全保障の「専門家」なのかもしれないが、書いてあることが抽象的すぎて、具体論にかける。

たとえば第4章(日本の外交・安全保障政策と日米同盟進化はどうあるべきか)という章では、次のようなサブタイトルがならぶ。

1.外交・安保政策における日本の基本課題とは何か

 ・国益を追求する国家戦略を早急に構築すべし

 ・政策決定プロセスの封印で検証が不能に陥る(筆者注:そもそもタイトルからして何を言いたいのか不明)

 ・国家の情報機能を強化すべし

 ・法律で完全に縛られた自衛力を見直す局面に来ている

 ・価値観を共有する国々と連携強化すべき(韓国、豪州、ASEAN諸国など)

 ・日米同盟による抑止力強化が最重要課題

 ・アジア太平洋の地域的枠組みの進展に日本がイニシアティブを!

どれもこれも抽象論だ。具体策と筋道がないので、「足が地についた」議論ではない。

尖閣列島問題では、「尖閣諸島の実効支配が急務の課題」というサブタイトルを掲げて、5つほどのポイントを説明している。

「その第1は、尖閣諸島の実効支配をいかに強化するかについてである。(中略)…その具体的な方法については、まだ検討中である。」

「第2には、海上保安庁の能力向上についてである。(中略)…海上保安庁の予算を急に増やすことは、現実問題として難しく、…(後略)」という具合に、尻切れトンボの寄せ集めだ。

これでは「評論家」だ。「専門家」ともいえないだろう。

このブログは筆者のポリシーとして本の批判は書かない。世の中にろくでもない本は多くある。そういう本は、そもそもあらすじを書く対象としては選ばないのだ。

しかしこの本については、突如登場した防衛大臣という重要なポストの閣僚だけに、あえて批判めいた筆者の意見を公開する。

いずれ森本さんの真の能力が試される時が来るだろう。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。


  
Posted by yaori at 07:32Comments(0)TrackBack(0)

2012年05月16日

政治家の殺し方 前横浜市長・中田宏さんの暴露本 ノンフィクション小説のようだ

政治家の殺し方政治家の殺し方
著者:中田 宏
幻冬舎(2011-10-26)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

前横浜市長・中田宏さんの暴露本。この本を読むと横浜市に巣くっている様々な闇・おもて勢力の実態がわかる。

このブログを書き始める前なので、ブログにあらすじは紹介していないが、中田さんの本は何冊か読んだことがある。特に「偏差値38からの挑戦」というサブタイトルがついている「なせば成る」は面白かった。

なせば成る (講談社プラスアルファ文庫)なせば成る (講談社プラスアルファ文庫)
著者:中田 宏
講談社(2005-11-25)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

突然の市長辞任の理由

中田さんが横浜市長選挙に出馬しないと表明したので、このブログでも著書を何冊か紹介している元ダイエー会長の林文子さんを民主党がかついで、林さんが横浜市長になったのは、ちょうど前回の衆議院選挙が行われた2009年夏だった。

筆者は中田さんが衆議院選に出馬するので、市長を辞めたものとばかり思っていたが、実は市議会の有力者達とつながる闇勢力から「ハレンチ市長」として、ありもしないでっちあげスキャンダルで攻撃されていたという。

そして自民・公明・民主がオール与党として談合している市議会勢力に、次の市長選挙を牛耳られないように、衆議院総選挙と横浜市長選挙を同一日にするためにあのタイミングで市長を辞めたのだという。


中田市長追い落とし作戦

2007年11月から7週間にわたって「週刊現代」の見出しに「私の中に指入れ合コン」とか、「口封じ恫喝肉声テープ」、「公金横領疑惑」などと事実無根の記事を書かれ、挙句の果てには「中田の愛人」と称する女性までテレビに登場するというスキャンダルを起こされていたという。

中田さんが市長をやめて後、週刊現代を発行する講談社を名誉棄損で訴え、2010年10月には全面勝訴を勝ち取っている。また”フィアンセ”と称する女性から慰謝料を求められた裁判でも、付き合った事実すらないとして全面勝訴した。

スキャンダルの疑いは晴れたが、政治には闇の世界があることを知ってほしいためにこの本を書いたのだという。


ノンフィクション小説のように面白い

中田さんは横浜市出身で、神奈川県立霧が丘高等学校を卒業し、2浪して青山学院大学に入り、松下政経塾を経て28歳で衆議院議員となり、2002年に37歳で横浜市長に当選する。当時は史上最年少の政令指定都市の市長だった。

筆者は神奈川県藤沢市出身だ。しかし友人から横浜スタジアムをめぐる利権について聞いたことはあったが、同じ県にある横浜市の政界がこれだけ腐敗しており、公務員も既得権を守るのに汲々としているとはこの本を読むまで全く知らなかった。

この本は中田さんの横浜市の闇勢力との抗争ドキュメンタリーで、ノンフィクション小説のように面白い。あまり詳しく紹介すると、読んだときに興ざめなので、簡単に紹介しておく。

★中田さん追い落としのねつ造スキャンダルは2007年11月の「週刊現代」から始まった。根も葉もない上記のような内容だ。

★2008年12月には中田の愛人と名乗る元ホステスの女性が全国ニュースに登場、3000万円の慰謝料を請求して裁判を起こした。しかし、幸いなことに、家族のきずなは保てたという。この女性は裁判には一度も出廷しなかった。金をもらって訴えたに過ぎないのだ。

★中田さんを恨んでいたのは、まずは指名競争入札で仲間同士で仕事を融通しあっていた建設業界だ。一般競争入札にしたので、競争がきびしくなったからだ。

★公務員組合も恨んでいた。公務員の定数を1000人当たり8人から5人まで減らし、各種手当も減らした。退職時昇給という最後の一日だけ昇給して、それが退職金のベースを高くするというお手盛りも辞めさせた。

★暴力団もからむ風俗業界も恨んでいた。京浜急行の日ノ出町駅から黄金町駅の間に違法売春風俗店が250店もあったのを、県知事、神奈川県警本部長、警察庁長官の協力を得て撲滅した。

★さらにAという市会議員が中田さんの政敵だったという。横浜市に住んでいる人は、Aというのが誰なのかわかるのだと思う。

★選挙の開票を翌日開票とすると1億3千万円もコストが下がるので、それを実施したら、朝刊しかない地元新聞は大反対したという。地元新聞も自社の利益優先で、県のコスト削減など二の次だったのだ。

★横浜市の公務員の待遇うは信じられないほど優遇されている。
希望しなければ10年間異動なしで、しかも毎年昇給するという「渡り」を辞めさせ、3年で強制配転としたので、公務員組合から敵視された。そのほかにも一律だった管理職のボーナスを上下100万円の差をつけたとか、鎌倉市などの隣の市に行くだけでもらえる出張手当も辞めさせた。

★おどろくことに、市職員からは実名で「おまえはバカだ」、「死ね」メールまで部署名・氏名入りで送られてきたという。公務員であれば、たとえ態度が悪くても懲戒免職などされないことを知っているからだ。

昔の長野県の田中康夫知事名刺折り曲げ事件を思い出させる公務員の暴挙である。

★定期を1か月定期から半年定期にしたら職員から規則違反と言われた。いままで差額をネコババしていたので、既得権と思っている職員がいたのだ。なんのことはない、ほかの自治体も同じで、横浜市が先陣を切って半年定期化したのだと。


こんな具合に、信じられない地方政治の実態が語られている。簡単に読める面白い読み物である。


参考になれば投票ボタンをクリック願いたい。


  
Posted by yaori at 12:58Comments(0)TrackBack(0)

2012年04月18日

次回を目指せ リック! (共和党大統領候補者リック・サントラム)

2012年4月18日再掲:

リック・サントラムが大統領候補戦から撤退した。これで米国共和党の大統領候補はロムニー前マサチューセッツ州知事に一本化される見込みだ。

リックは旗色がわるかったことと、先天的に染色体異常を持つ3歳の娘が入院したことから、24日の出身地のペンシルベニア州の予備選挙の前に撤退宣言をしたようだ。

ちょっと残念だが、熱心なカトリックのリックは妊娠中絶に反対している点などから、今回の候補者選びで米国の多くの選挙民の支持を得ることは難しかったかもしれない。

リックはまだ53歳だし、また次の機会もあるだろう。引き続き頑張れ、リック!



2012年3月29日初掲:

今年は米国の大統領選挙の年だ。筆者は米国に合計9年間駐在していたので、いまだに大統領選挙の興奮を覚えている。

特に印象深かったのは、2000年のアル・ゴア対ジョージ・W.ブッシュのフロリダ州での再集計のゴタゴタだ。

いったんはアル・ゴアは敗北宣言をしてジョージ・W.ブッシュに祝福の電話を入れたが、フロリダ州の結果があまりにも僅差だったので、再集計を申し入れ、結局3−4週間かかって、無効票も入れて再集計し、ブッシュの勝利が確定したのだ。

なにか気が抜けた3週間だったことを思い出す。

ところで2012年の共和党の大統領選挙は、前マサチューセッツ州知事のロムニー候補とペンシルベニア州選出の前上院議員のリック・サントラム、長年共和党の顔だった前上院院内総務ニュート・ギングリッジ他で争われている。

当初はロムニー候補が優勢だったが、リック・サントラム候補が盛り返している。

RickSantorum





筆者はリック・サントラム候補と知人のパーティで一緒になったことがある。筆者の知人・ソニーのフレッド・石井さんが、自宅でリック・サントラムを招いたパーティを開き、それに当時ピッツバーグ日本語補習授業校の運営委員長だった筆者も招待されたのだ。

ちなみにフレッド・石井さんは、当時で在米約20年。サンディエゴのソニーのテレビ工場に勤めたあと、ピッツバーグのテレビ工場のトップとして勤務されており、ピッツバーグ日本語補習授業校の運営では大変お世話になった。

これがその時のリックと、ソニーのテレビ工場ナンバー2との3ショットの写真だ。

RickSantrum






2000年ころの写真だ。筆者も若いが、リックも若い。

たとえ共和党の候補者となっても、現職のオバマと戦って勝てるかどうかわからないが、パーティで会ったこともあり、心情的にはリック・サントラムを大統領候補として応援したい。

このブログでも紹介した通り、オバマは名家の出身でなく、社会派弁護士としてシカゴ郊外で活動を始め、民主党の党大会で注目されて、のし上がってきた。

マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝マイ・ドリーム―バラク・オバマ自伝
著者:バラク・オバマ
ダイヤモンド社(2007-12-14)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

リック・サントラムも同じく名家の出身でなく、ピッツバーグ地区の大学を卒業し、弁護士となり、ピッツバーグ出身のハインツ上院議員(ケチャップのハインツ家出身)のサポーターとなり、共和党のヒエラルキーで出世した。

同じ弁護士出身だが、考え方はかなり異なる。オバマはリベラルなのに対して、リック・サントラムは保守そして、宗教心が厚い。

オバマ対サントラムなら、面白い選挙となると思う。

リックがんばれ!



参考になれば投票ボタンをクリックしてください。



  
Posted by yaori at 08:38Comments(0)TrackBack(0)

2012年03月08日

祝!なでしこジャパン対米初勝利! サッカーという名の戦争

2012年3月8日追記:

結局なでしこジャパンは、アルガルベカップ決勝でドイツに破れ、2位に終わった。



筆者は今回は試合終了までテレビで観戦した。

すごい試合だった。前半早々に2点立て続けに点を取られた時は、今回はダメかと思ったが、よく追いついた。そして後半43分くらいにPKで3点目を取られた時も、あきらめずにすぐに点を取ってタイにして、ロスタイムに入った。

ロスタイムタイムアップ寸前に、ドイツのセンターフォワード、アフリカ出身のエムバビにハットトリックとなる4点目を押し込まれて、負けた訳だが、試合内容は決して悪くなかった。

たぶん佐々木監督は、今回をロンドン・オリンピックの強化試合と位置づけているのだと思う。後半で岩清水や鮫島など中心選手を交代させた。若手の力を伸ばそうとする戦略なのだと思う。

結局エムバビのみに3点やられた。身体能力バツグンのアフリカ系ストライカーであはあるが、守る手だてはあったと思う。

是非次のキリンカップでも国際試合の経験を積み、ロンドンオリンピックに100%の力で臨んで欲しいものだ。


2012年3月7日初掲:



現在行われている女子サッカーのアルガルベカップの予選リーグで、なでしこジャパンがとうとう米国に勝った。これで対米戦の連敗を止め、対戦成績は1勝、4分、21敗となった。次は3月7日にドイツと決勝戦だ。ぜひこの勢いで優勝してほしいものだ。

筆者は後半の最初まで試合を見ていたが、眠くなって途中で寝てしまった。起きたらなでしこが勝っていた。

前半ではゴールポストにあたる米国のモーガンの鮮やかなシュートとか、あぶない場面もあったので、よく守り切って勝ったものだと思う。

知名度が低い時代からなでしこジャパンを支援してきたのが、現・早稲田大学教授の平田竹男さんだ。平田さんは通産省官僚から日本サッカー協会・専務理事に転職し、現在は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授を務めている。

その平田さんが日本サッカー協会専務理事時代に出した本が、「サッカーという名の戦争」だ。

サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台 (新潮文庫)サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台 (新潮文庫)
著者:平田 竹男
新潮社(2011-08-28)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


平田さんは、元巨人軍の桑田と一緒にこのブログで紹介した「野球を学問する」という本を書いている。

野球を学問する野球を学問する
著者:桑田 真澄
新潮社(2010-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

この本ではサッカーのもう一つの舞台として、外交交渉の様なマッチメーキングの実態と面白さを紹介している。


なでしこジャパンを支援

平田さんはなでしこジャパンの知名度を上げるために、いろいろな努力をしてきたことを紹介している。

たとえばアテネ五輪の女子サッカーでは、はじめて地上波での生中継が実現した。本来人気番組「新婚さんいらっしゃい」の枠を、女子サッカーの生中継にテレビ局が編成替えしてくれたのだ。

平田さんは今でも桂三枝さんと時々会うそうだが、そのたびにこのことを思い出すという。

日本対北朝鮮の試合は平均視聴率16.3%(同日の巨人ー阪神戦の視聴率は11.3%)、最大瞬間視聴率が31.1%を記録したときは本当にうれしかったという。

平田さんは、男子サッカーのスポンサーのキリンに呼びかけ、女子のキリンカップをつくってもらったり、通産省時代から付き合いのあるアップフロント・エージェンシーの山崎会長に頼んで、所属するタレントの松浦亜弥、吉澤ひとみ、辻希美などに女子サッカーの応援に来てもらったという。

”ハロプロ”の協力もあって、マスコミの注目度も上がり、女子サッカーがテレビで報道される機会が増えた。

2011年に女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝して、女子サッカーの人気は今日の極みに至るわけだが、それまでは平田さんなどの地道な知名度アップの努力があったのだ。


「中東の笛」ならぬ中東のゴール取り消し

サッカーのワールドカップで一旦ゴールと認定された得点が、取り消されたことが一度だけ起こった。

1982年のワールドカップでのフランス対クウェート戦の時に、観客の笛をオフサイドの笛と勘違いしたクウェートの選手がプレーを止めた後にゴールが決まった。そうするとスタンドからクウェートの王子がグラウンドに下りて、猛烈に抗議を始めると、ゴールが取り消されたのだ。

ワールドカップ本大会で得点が取り消されたのはこれが唯一のケースだ。中東の国との交渉がどれほど難しいかを象徴する事件だ。


マッチメーキングで少しでも有利な環境をつくる

ドーハの悲劇と呼ばれる1993年10月のワールドカップアメリカ大会のアジア最終予選では、最終予選に残った6チームがカタールの首都ドーハに集まって総当たりのリーグ戦で戦った。



日本は2週間で5試合を戦い、最後の5試合めのロスタイムでイラクに同点にされて力尽きた。この試合で時間稼ぎをすべき時間帯に、攻めなくてもよいのにイラクゴールまで攻め上がって結局イラクにボールを渡して失点のきっかけをつくった選手がいたことは、前回の「武器としての決断思考」で瀧本哲史さんが指摘していた通りだ

上のビデオではわからないが、次のビデオだとそれがはっきりわかる。



得失点差で3位となり、日本は本大会には出られなかった。しかしあのようなコンディションで戦わなければならなかったのは、協会も含めて日本サッカー界全体に国際競争を勝ち抜けるだけの自力が付いていなかったのだと平田さんは語る。

その12年後の2005年のアジア最終予選は、4か国ずつ2グループに分かれ、6か月かけて各国ホームアンドアウェーで戦った。どちらが困難か明らかだろう。

2002年から2006年まで平田さんは、日本サッカー協会の専務理事としてあらゆる年代の代表戦のマッチメイクを担当した。

たとえばアテネオリンピックの日本代表のアジア最終予選は、日本とUAEの2か所集中開催。しかもUAEが先、日本ラウンドが後という最良の開催方式を勝ち取った。

基本はホーム・アンド・アウェーだが、対戦相手が決定してから24時間以内に交渉で合意すれば、開催方法を変えられる。しかし十分な準備がないと、24時間以内には交渉をまとめられない。事実、韓国が属する別のグループは交渉がまとまらず、ホームアンドアウェーとなった。

この時は通産省時代のカタールの石油大臣とのコネが生きて、ベストマッチメーキングができた裏側も紹介していて興味深い。


通産官僚時代に築いた人脈

平田さんは通産官僚時代にハーバード大学に留学し、ケネディスクールの自治会の役員としてアジア人でトップ当選したり、ケネディスクールのサッカー部を創設したりして、世界的な人脈を築いた。ケネディスクール時代の恩師が、その後労働長官となったロバート・ライシュ教授だ。

留学から帰って1989年4月に通産省産業政策局サービス産業室の課長補佐となり、J−リーグ設立やTOTO創設に尽力し、それが縁で日本サッカー協会の専務理事に就任した。

日本サッカー協会の専務理事になってからは、冒頭のなでしこジャパンの支援やマッチメーキング改善、それまで開催が止まっていた日韓戦の継続開催、日韓戦のテレビ放映権の平等化にとりくんだ。中東勢とは日韓が一緒になって交渉するというサッカーにおける日韓新時代を迎えることになった。

日韓共催ワールドカップでは、大分県の中津江村など各国のキャンプ地となった日本のホスピタリティ精神が世界に報道された。

また中村俊輔が2005年のコンフェデレーションカップで決めたロングシュートは世界中で語り草になり、日本のサッカーの国際認知度を上げる効果があった。



この本で平田さんは中村俊輔のゴールに代表される他国のファンまで魅了するサッカーと、中津江村に代表される日本のホスピタリティ能力という「ソフトパワー」で、日本が国際関係を改善することを提唱している。

2018年あるいは2022年のワールドカップで日本の単独開催を目指すことは、平田さんも従来主張してきたことだが、妥協するとすればロシアとのワールドカップ共催だろうと。

もちろん共同開催は原則として認められず、ロシアとは北方領土問題もある。ロシアはまさに近くて遠い国である。そんな日ロ関係を改善し、お互いがお互いを知る絶好のチャンスになるだろうと。

ロシアと協調することには反対の人も多いと思うが、筆者はロシアとの関係を深めることには賛成だ。ロシアと日本そして米国には中国という共通のライバルがある。このブログで紹介した大前研一さんが「ロシアショック」で提案しているように、ロシアカードはうまく使えれば21世紀の日本外交と日本経済に多大な貢献をすることになるだろう。

ロシア・ショックロシア・ショック
著者:大前 研一
講談社(2008-11-11)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

現在の政治家でロシアと関係を深めるという戦略思考ができる人がいるのかどうか定かではないが、柔道大好きプーチンが大統領に返り咲き、第2期プーチン時代が当分続くと見込まれる現状では、北方領土問題を解決して日ロ関係を改善する大チャンスと言えると思う。

平田さんの父親はシベリア抑留者だという。ロシアとの共同開催が実現したら、お父さんは何と言うだろうかという言葉で結んでいる。

サッカーの男女・日本代表の対外試合のマッチメーキングの裏側や苦労について、ここまで詳しく書いた本はほかにないと思う。

大変参考になる本である。


参考になれば投票ボタンをクリック願いたい。



  
Posted by yaori at 22:47Comments(0)

2011年11月21日

命の限り蝉しぐれ 中曽根康弘元総理と竹村健一氏の対談

命の限り蝉しぐれ―日本政治に戦略的展開を命の限り蝉しぐれ―日本政治に戦略的展開を
著者:中曽根 康弘
徳間書店(2003-12)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

小泉総理(当時)に衆議院議員出馬を止められて政界現役を引退した中曽根康弘元総理と評論家竹村健一氏との対談。2003年12月の出版で、この年の10月に中曽根さんは自民党北関東比例代表区の公認候補を外された。


小泉元首相の「政治的テロ」

小泉首相からの中曽根さんと宮沢喜一さんに対する議員退職の通告に対し、宮沢さんも中曽根さんも反発し、中曽根さんはいたずらに時間を引き延ばされ、結局"NO”と一方的に通告してきたのは「政治的テロ」だと言って強く非難したことは記憶している。

もともと自民党北関東比例代表区の終身1位となるかわりに、小選挙区からは出馬をしないという約束が橋本首相の時代にあり、党の記録にも残っているという。宮沢さんも同様の約束があった。

しかし小泉首相は中曽根さんの抗弁には黙りこくり、中曽根さんの「断じて承服できない」という言葉には無言で帰り、後から安倍晋三幹事長を使いとして決定方針だけ伝えてきたという。

いかにも小泉首相のひ弱さがわかるストーリーだ。

中曽根さんは小泉首相や管直人さんなどのいまのリーダーはタレント的政治家だと断じる。国会全体がクラゲのような「背骨のない軟体動物」のようになっており、国家観がないという。

「私から見ると、今の若い政治家たちは”銀のスプーンをくわえて生まれ育ってきた”から苦難を知らない。従って、非常時という概念もない。われわれは昭和の時代から何回も非常時を経験して、非常時にはふだんやらないことをやらなければ障害を突破できないということを心得ている」

と中曽根さんは語っている。



「体の中に国家を持っている」

竹村さんによると、石原慎太郎都知事は「中曽根さんが素晴らしいのは、体の中に国家を持っていることだ」と言っていたという。戦争の修羅場を潜り抜けた人だけが持つ言葉の重みを感じさせる最後の政治家だろう。

中曽根さんは総理大臣になる前は、その時の政界の主流派と行動を共にするために主張を変え変節することがあり、そのことをマスコミは「風見鶏」とレッテルを貼って非難していた。

しかし、民主党が政権を取って、見かけ上の2大政党制が成立した今、本当の連立政権には「政策の融合」が不可欠ではないかと思える。このことは、大前研一さんも「『リーダーの条件』が変わった」で次のように書いている。

「イギリスも連立だが、日本の連立は足し算した連立であって、一つの見解でまとまった政権ではない。だから吹けば飛ぶような社民党や国民新党の意見に左右される民主党政府は何の改革もできないし、国民からそっぽを向かれる。」


2大政党制

中曽根さんは日本に2大政党制時代は到来するかと聞かれ、イギリスやアメリカの2大政党制は社会的基盤があるが、日本にはない。だから本当の自民党支持者、民主党支持者はあまりおらず、無党派層を中心に揺れ動いているのが現状だと分析する。

日本は「フランス型」の社会基盤であり、フランスのように情勢変化に応じて各党の勢力図が変わったり、新たに政党ができたりするのだという。その意味で第3党の可能性もあると語る。

「みんなの党」が力をもちつつある現状を2003年に言い当てている。なんという先見性なのだろう。

今度紹介する中曽根さんの「わたしがリーダーシップについて語るなら」で、中曽根さんはリーダーの資質として「目測力」、「説得力」、「結合力」、「国際性」、「人間的魅力」を挙げている。

「目測力」とは面白い表現だが、中曽根さんならではの先見性のある意見が参考になる。


憲法改正と教育基本法改正

中曽根さんは政治家になった時からの目標である憲法改正と、教育基本法の改正をやり遂げられなかったことに挙げている。しかし、中曽根さんは議員はやめるけれども、政界は引退しない。自由な立場から言論、執筆活動を続ける。生涯現役で、政治家として現役で死んでいくのだと。


いくつか参考になった点を紹介しておく。

★中曽根外交はコミュニケーション外交。
中曽根さんは当時のレーガン大統領との「ロン・ヤス」関係をはじめ、相手の首脳と一所懸命になってコミュニケーションしようとした。

中曽根さんは自称「心臓英語」に「心臓フランス語」でレーガン大統領のみならず、サッチャー首相、ミッテラン大統領とも直接話し合った。

首相としてはじめて訪れた韓国では、全体の1/3は韓国語でスピーチし、迎賓館の歓迎二次会では「黄色いシャツ」という韓国語の歌を歌った。



そのお返しに当時の全斗煥大統領が日本語で「知床旅情」を歌った。こんな付き合いを各国の首脳とできるリーダーが今の日本にいるだろうか?

★間接税(=消費税)の導入
国家ビジョンを持って、中曽根さんは政治を行っている。たとえば売上税にしても、中曽根さんが提唱し、在任中は実現できなかったが、中曽根さんの路線を継いだ竹下内閣で実現した。

内閣法制局はマッカーサーの肝いりで作られた部署(?)
内閣法制局は内閣の姿勢が憲法から逸脱していないかを目を光らせる部署だ。日本は自国を守る権利はあるが、集団的自衛権はないという解釈を一介の役人の内閣法制局が打ち出して、それを総理大臣が唯々諾々としているのは情けないと。

★中曽根さんの憲法改正の主要論点
・前文は全面改定。まず日本語になっていないし、日本の歴史とか国家・伝統に触れていない。
・第一章の天皇の項は煩瑣過ぎ。天皇の国事行為を列挙しているが、これは抽象的な表現でよい。
・第9条は第1項は残すとして、国の交戦権を認めない第2項は現状に改め、第3項として集団的自衛権を入れる。
・第4章の国会は参議院の機能を独自のものに改める。
・第5章の内閣は、中曽根さんの議員になった時からの主張である首相公選制を討議する。
・第8章の地方自治は道州制を取り入れ、地方分権を推進する。
・第9章の改正は改正案が国会の過半数で通過したときは、国民投票。2/3なら国民投票不要というふうにより改正しやすくする。

★教育基本法は「蒸留水」
中曽根さんが教育基本法を問題視するのは、本来憲法と教育法は対の関係であるべきだからだ。明治憲法には教育勅語があった。現在の教育基本法は日本の伝統や文化・歴史が全く考慮されておらず、権利や個性とか人格とかは書いてあるが義務や責任は一切書かれていない。その意味で教育基本法は「蒸留水」であり、日本の水の味がせず、どの国にいっても適用できるという。

★FTAの大潮流に乗り遅れるな
中曽根さんは「FTAの大潮流に乗り遅れるな」と檄を飛ばす。農業問題は政治家の決断次第でどうにでもなると語る。

田中角栄さんが通商産業大臣だったときに、それ以前の宮沢さん・大平さんが行き詰まっていた日米繊維交渉を、日本の繊維工場に近代化資金と補償金を与えて簡単にまとめてしまった例を挙げている

★無利子国債で機動的な財政運営
中曽根さんは、無利子国債を10兆円でも出して、そのかわりその分は相続財産から除外できるという扱いをすることを提案している。そのお金を機動的に使って、仕事を作ればよいという。巨人軍の内紛で話題になっているナベツネなどと年中話していることだという。


日本全体のリーダーシップが欠如している現状では、中曽根さんのような先見性のある政治家が本当に必要である。

もともとは子供向けに書いた「わたしがリーダーシップについて語るなら」のあらすじは次に紹介する。是非読んでほしい本の一つである。


参考になれば投票ボタンをクリックしてください。




  
Posted by yaori at 12:51Comments(0)TrackBack(0)

2011年11月02日

総理、増税よりも競り下げを! 衆議院議員 村井宗明さんの提言

総理、増税よりも競り下げを!総理、増税よりも競り下げを!
著者:村井宗明
ダイヤモンド社(2011-08-26)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

当選3回、富山一区選出の衆議院議員村井宗明さんの競り下げ(リバース・オークション)導入のすすめ。書店で目に付いたので、読んでみた。書店に並んでいる本にはこんな帯がついている。

scanner244











リバース・オークションについては、筆者は思い入れがある。

実は2度めの米国駐在の時にインターネット上のリバース・オークションサービスを提供しているピッツバーグの会社に投資して関係をつくり、共同で事業展開をするために日本に戻して貰ったのだ。

その会社から貰った日本語取材ビデオが次のものだ。



取材の条件としてビデオ公開の権利を貰ったということだった。

次が9分とちょっと長いが英語版のサービス紹介のビデオだ。



帰国後2年ほど電子部品や化学品原料などの様々な原材料でトライアルを重ね、リバース・オークションの事業採算を検討していた。

平均するとコストセーブは10%を超えたが、結論としてはリバース・オークション自体は国や地方公共団体中心に普及していくだろうが、商社として採算性が見込めないということでやむなく撤退した。

あれから10年経って、オークション自体は地方公共団体が税金の差し押さえで没収した美術品や様々な商品を中心に広く普及したが、調達コストを下げるリバース・オークションの普及は今ひとつのようだ。

この本では郵便事業会社でのリバース・オークション導入で、2010年上半期には141億円の予算のところ、13億円コストが下がったこと、なかには60%以上も予算より削減できた案件があったことを紹介している。

scanner245





出典:本書28−29ページ


少額随契で160万円未満は担当者の自由

国や独立行政法人には「少額随意契約」と呼ばれる制度があり、160万円未満の購入や250万未満の工事は担当者の自由に決められる。

2008年度に国が結んだすべての契約156万件のうち、89%の138万件は少額随意契約で、その実態は未公表で闇の中だという。

scanner246










出典:本書88ページ

160万円を超える案件でも、160万円以下に分割してしまえば、網の目をくぐることができる。実際に恣意的に分割して会計検査院が摘発した例が紹介されている。まさに氷山の一角である。

この本では文房具やコピー用紙を例にとり、官公庁がかなり高く物品を購入していることを報告している。たとえばコピー用紙の例ではグリーン購入法を満たすコピー用紙の民間価格はA4で0.54円なのに対して、官公庁の平均は0.677円で、民間よりも24%高く買っている。

各官庁がバラバラで購入するのでなく、まとまって共同購入という形を取ることでも、少額随意契約からはずれ、調達コストは下がる。

海外に於ける財政再建への取り組みとしては、英国の保守党・自由民主党連合政権の打ち出した2015年に財政収支を黒字化、そのために2011年度は医療費と海外援助を除いた政府全体の支出を19%削減するという予算編成を紹介している。

英国では公共機関の調達をサポートするBuying Solutionsという会社を通じてリバース・オークションを導入してきており、いままで平均14%コストを削減し、コスト削減額の合計は32億ポンド(4,000億円)に上る。

手法としては共同購入のためのWebカタログと、リバース・オークション、共同調達だ。Webカタログではサプライヤーの価格や条件が比較できる。またサプライヤー側にも、中小企業でも政府調達に参加できるというメリットもある。

インターネット・リバース・オークションは2010年は128の公共機関で実施し、コスト改善率は31%だったという。このオークションの仕組みはZanzibarと呼ばれている。

リバース・オークションが有効になる条件として次を挙げている。これがまさにキーポイントである。

1.供給市場に競争環境があること
2.調達の仕様が明確であること

この辺は米国駐在時代を含め1999年からリバース・オークションを研究してきた筆者がノウハウを持っているところだ。


日本での適用

民主党国土交通質問研究会では、日本でリバース・オークションサービスを提供しているディーコープの谷口 健太郎社長を招いて講演してもらったという。

会社のコストを利益に変える リバースオークション戦略会社のコストを利益に変える リバースオークション戦略
著者:谷口 健太郎
東洋経済新報社(2010-04-23)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

ディーコープでのリバース・オークションの国内導入例は次の通りだ。

scanner247











出典:本書145ページ

東大の小宮山前総長がインバーター蛍光灯の一括購入で半値近くなったと言っていたことがあるから、東大の導入例は蛍光灯かもしれない。

ディーコープはソフトバンクグループの会社で、筆者が日本でリバース・オークションのトライアルをやっていた2000〜2002年当時に名前は聞いたことがある。

筆者たちがあきらめた、リバース・オークション・サービスを続け、今や170人くらいの社員を雇用しているのは大したものだと思う。

ちなみに日本で過去、最もリバース・オークションを活用していたのはダイキンだと思う。しかしそのダイキンも、長年リバース・オークションを利用してコスト削減の効果が十分出たと思うので、最近はリバース・オークションをやっているのかどうかわからない。

すかいらーくなどは2001年当時は食材の調達にリバース・オークションを毎週何度も開催していたが、現在は多分やめているのだと思う。


リバース・オークションで2兆円国の歳出を削減

リバース・オークションを国の一般会計に導入すると、2兆円程度のコスト削減が期待できるという。

リバース・オークションが成功するためには、仕様の明確化とより多くの企業の参入が不可欠である。それを実現するためには、次がポイントになる。

・具体的
・オーバースペック禁止
・継続的な費用
・品質
・インターネット
・流動性
・匿名性
・見積期間
・手続きの簡素化

リバース・オークションサービス提供者への報酬は、固定費型と成果報酬型があり、村井さんは成功報酬型が効果が高いと考えていると語っている。

まさに筆者たちが陥った「採算性が見込めないので、事業撤退」というストーリーが繰り返されるようなシナリオが見えてくる。

この10年間日本のe調達は全く進歩していないと感じる。リバース・オークションは強力な武器だが、使い方が難しく、上記のような要件が揃わないと効果を発揮しない。

筆者はかつてリバース・オークションを日本に普及させるために帰国した経緯もあり、リバース・オークションが国や公機関の調達で浮上して欲しいという気持ちは強い。抵抗は強いだろうが、村井議員に期待するところ大である。


特記事項 IMFが進駐してくるとどうなるか?

日本政府が財政破綻して、IMFの管理下にはいると、どうなるか予測したネバダ・レポートというものがあり、国会で財務副大臣の五十嵐文彦衆議院議員が報告しているという。その内容は次の通りだ:

1.公務員の総数、給料は30%カット、ボーナスは例外なくすべてカット
2.公務員の退職金は一切認めない 100%カット
3.年金は一律30%カット
4.国債の利払いは5年〜10年停止
5.消費税の20%引き上げ。課税最低限を引き上げ、年収100万円から徴税を行う
6.資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債権、社債については5〜15%の課税
7.第1段階として、預金の一律ペイオフを実施
8.第2段階として、預金の30%から40%を財産税として没収

どの程度現実化するかは不明だが、IMF管理下にはいると、国民生活に大きな影響がでることは間違いない。参考になる情報である。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。






  
Posted by yaori at 01:04Comments(0)TrackBack(0)

2011年10月27日

民主の敵 野田佳彦総理の本 

民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)
著者:野田 佳彦
新潮社(2009-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

平成23年9月に総理大臣に就任した野田佳彦首相の本。平成21年7月、つまり政権交代が起こった第45回衆議院選挙の直前に発行されたものだ。野田総理が誕生して、最近また本屋に平積みにされている。

このブログで紹介した政治家の本の中では、韓国の李明博大統領の本と台湾の李登輝元総統の本が良かった。日本の政治家では中曽根康弘さんの本もよかったが、これは総理大臣を引退してだいぶ経った後の本なので、比較にはならない。

これから総理大臣をめざそうという人の本としては、古くは田中角栄の「日本列島改造論」そして田中角栄の直系の小沢一郎の「日本列造計画」がある。

日本列島改造論 (1972年)
著者:田中 角栄
日刊工業新聞社(1972)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


日本改造計画日本改造計画
著者:小沢 一郎
講談社(1993-05-21)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

野田首相の本は、野党だった民主党が政権交代を実現するという目的のもとに書かれた本なので、「政権交代に大義あり」という副題がついている。

まだ読んでいない人も多いと思うので、あまり詳しくは述べない。昔の小渕恵三総理が、アメリカのメディアに「冷めたピザ」と呼ばれたことがあった。しかし、野田さんを「冷めたピザ」と呼ばずして、誰を呼ぶのかという気にさせる本だ。

全くビジョンがない。アマゾンのカスタマーレビューでもメタメタだ。当たり前だろう。

この人には喫緊の問題の1,000兆円に到達する日本の国債と公的債務をどうするのか、現在の財政赤字をどう解消するのかというビジョンがない。よしんんば増税するにせよ、それをどうやって国民の納得を得るのかという日本の政治家として最も重要な問題への解決策がない。

当時の自民党政権への攻撃と、政権交代の必要性を訴えるだけで、この人に任せたら日本は良い方向に進むだろうという確信が全く持てない。

いったん政権交代したら、数年交代でまた自民党政権に戻ってもよいという弱気な態度にも鼻白む思いだ。

船橋駅で熱心に街頭演説を長年やってきたそうだが、ほとんど誰も聞いていないところで一方的に話してもなんの自慢にもならない。

野田首相になったら、なにが変わるのか?菅前首相夫人の菅伸子さんのように、聞いてみたいところである。

あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの (幻冬舎新書)あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの (幻冬舎新書)
著者:菅 伸子
幻冬舎(2010-07-21)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

ともあれ、印象に残った点を紹介しておく。

★2008年1月の当時の大田弘子内閣府特命担当大臣の「日本経済はもはや一流ではない」というセリフに食いついている。大田さんは長年、経済財政諮問会議の委員で、大臣にまでなった人なので、日本の方向性を決めてきたメンバーの一人である。あなたにだけは言われたくない、と思い出すたびに怒りが込み上げてくるという。

筆者には、経済財政諮問会議が日本の国の方向性をきめて来たとは思えない。ましてや大田弘子さんが政策を決める力があったとは思えない。たしかに傍観者的な発言に怒るという気持ちはわからないでもないが、「そんな大した人か?」という感じだ。

★小沢一郎の自由党と管直人の民主党が合併した時に、「モーニング娘。に天童よしみが加入」という感じだったと語る。

なにが天童よしみなのかよくわからないが、信念を持った政治家であれば、ベテランでも若手でも変わりはないはずである。中曽根さんは28歳で衆議院議員に当選し、早くから首相公選を訴えていた。国民に選ばれた政治家の間でモーニング娘。と天童よしみに比べるほどの差はないのではないか?

★野田さんは田中角栄さん以来、記憶にある範囲で「宰相」という重みを感じる人は中曽根康弘元総理だけだと語る。これには筆者も賛成だ。中曽根さんはビジョンがあったと思う。それにブレーンをうまく使った。そんな偉大な政治家を、年齢だけを理由に国会議員を辞めさせたのは小泉純一郎元総理だ。

★政権交代の醍醐味は、お金の使い方を変えることで、役人に緊張感を持たせることだ。しかしいずれは緊張感がなくなり、自民党と同じ過ちを犯す可能性はあるので、5年から8年で政権は交代していくべきだろう。政党には、頭を冷やして勉強しなおす時期があってしかるべきだと。

★衆議院は300人で十分だという。その通り実現して欲しいものだ。世襲はやめるべきで、同一選挙区から連続してその国会議員の配偶者や3親等内の親族が立候補できないという内規を民主党はつくったという。

塩川正十郎(塩ジイ)が「母屋ではおかゆをすすりながら、離れではすき焼きを食っている」という有名な言葉を残している特別会計については、2005年に民主党が特別会計改革・野田プランを発表している。

いったんすべてをゼロベースで見直し、31特別会計、60勘定のうち、24特別会計を廃止する方針だという。特別会計のことを「誰一人金の流れを把握できていない異常」と呼んでいる。是非実現して欲しいものだが、民主党政権下の現状はどうなのだろうか?

★政と官の癒着がつくりあげた関係が天下りと「渡り」だと。働きアリの国民が納めた血税と子供たちのポケットに手を突っ込んで得たお金で、シロアリのような天下り団体を温存させようとしている。

民主党が調べた結果では、2万6千人の国家公務員OBが4,700の法人に天下っており、それらの天下り法人に12兆6千億円もの血税が流れていると語る。天下り撲滅だと言う。

こういうおおざっぱな議論には、ケチをつけたくなる。ファンクションがあって、能力があれば元官僚でも全く問題ない。大体、12兆6千億円はどこから出てきた金額なのかわからない。

★国連至上主義を排し、集団的自衛権を認める時期で、「自衛官の倅(せがれ)」の外交・安全保障論だと。この辺は国連至上主義に近い小沢一郎と一線を画すところだ。さらに田母神さんを英雄視してはいけない。航空自衛隊の制服組のトップの戦略眼を疑うという。


★松下幸之助の200年かけて日本の海を埋め立てて国土を広げていくという「新国土創成論」に対してバージョンアップした「新日本創成論」をやりたいという。

新国土創成論―日本をひらく (1976年)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1976)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

日本は宇宙先進国であり、これからは宇宙と海とハブ化で立体的に発展を目指すという。ちなみに超党派で宇宙基本法を2008年に制定したことを紹介している。宇宙や海に行く前に日本の現在の公的債務問題をどうするのか?どこから宇宙や海を開発する予算を出すのか?

★憲法は「日本」がテーマの企画書。野田さんは新憲法制定論者だという。世界の憲法のなかで15番目に古い憲法なのだと。

憲法は「古い」と「悪い」のか?時代に合わない点を改憲する事でも良いのではないか?なぜすべて新憲法にする必要があるのか?


筆者は本にはケチはつけない主義だ。酷評するくらいならあらすじを載せない。あらすじを載せる価値もないということで無視するわけだ。

しかしこの本は、現職の総理大臣が書いた本なので、無視する訳にはいかない。だからツッコミ付きで、あらすじを掲載する。

筆者の見立てが間違っている可能性もあるので、興味があれば図書館でリクエストして読むことをおすすめする。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。



  
Posted by yaori at 23:57Comments(0)TrackBack(0)

2011年10月20日

わが師、松下幸之助 民主党樽床議員の松下政経塾での研修

わが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子としてわが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子として
著者:樽床 伸二
PHP研究所(2003-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

松下政経塾第三期生・民主党幹事長代行の樽床伸二議員が松下政経塾で接した松下幸之助の教えをまとめた本。2003年の出版だが、現在は絶版となっており、筆者もアマゾンマーケットプレースで購入した。

この本には次のような帯が付いている。

scanner235












松下政経塾の入塾試験

樽床さんは松下政経塾の第三期生として五年間の研修を受けた。最初に松下幸之助と会ったのは、昭和56年の最終面接だった。試験官は松下幸之助、副塾長の丹羽正治松下電工会長、塾頭の久門泰氏という顔ぶれだったという。

最初に丹羽副塾長から「きみ、悪いことできるか?」と聞かれたという。その後も副塾長がもっぱら質問し、松下幸之助はじっと聞いているだけだったという。

樽床さんが受験した時の松下政経塾の試験は、願書と同時に「現在の日本で、問題と思うことを述べよ」という原稿用紙10枚の小論文。一次試験は全国の主要都市での政経塾職員による面接、二次試験は茅ヶ崎の政経塾での論述式試験、英会話ヒアリング、政経塾の役員面接だった。

役員は牛尾治朗ウシオ電機社長、香山健一学習院大学教授、緒方彰氏で、樽床さんは香山教授から政治に対する考え方、政策論議でかなり突っ込まれたという。そのあと身体検査と体力測定。

当時は松下グループからの出向社員が塾の運営をしており、各学年に一人指導員がいた。松下幸之助塾長は月に一回円卓室というラウンドテーブルで講話した。


松下幸之助の謦咳(けいがい)に接する

最初の講話で松下幸之助は「私が四〇年ほど若返ることができたら、こういう塾をしなくても私が政治家になればいいことだ。でも、こう年をとってきてからはダメです。だから結論は、諸君に代わってやってもらいたい」という話をした。

その後の塾生抱負で、樽床さんは当時87歳の松下幸之助の鋭い視線に、すべてを見透かされているような感覚になった。相手に言葉が届かない。衝撃的な体験だった。

同じような体験は樽床さんが卒塾後、衆議院選挙に立候補準備中に松下記念病院に入院している松下幸之助を訪ねた時に起こったという。周りの光景が消え、塾長の目だけが迫ってきた。

松下幸之助は肉親全部に先立たれ、小学校四年で中退し、丁稚奉公に出たことは有名だが、樽床さんも貧しい一家に生まれ、幼い妹を交通事故で亡くすという辛い経験をしている。傲慢な言い方だが、「松下幸之助にできて、私にできないことはない」と松下幸之助を目標に頑張っているのだと。


松下政経塾でのエピソード

当時88歳で通常は車いすで移動していた松下幸之助が、自分の思いを託そうとしている若い塾生の前では車いすに乗っている姿を見せられないと塾では車いすを拒否していた。

樽床さんは「塾長が、それだけの強い思いを政経塾に投入されているのに、君たちは何をボンヤリしているんだ」と側近の人に叱責されたという。

政経塾が成功するかどうかは否定的な意見が多かったが、大阪の中小企業のオヤジが絶対に成功すると言っていた。「幸之助さんは、売れ筋を見る目はものすごく確かだ。よい政治家、政治をきちんとしてくれる人は必ず求められている。それは市場でいえば”売れ筋”商品になるということだ」。


松下政経塾での研修

松下政経塾では教室で教える講義は最小限で、最初の二年は塾内で自分で選んだテーマの研究、後半の三年は自分の将来構想に基づき、自らが課題を見つけて実戦的に学んでいくという形で、活動場所は限定されない。毎月全員が集まって進捗を報告するというシステムだった。

樽床さんの場合、最初の一ヶ月は松下幸之助の思想・哲学についての講義、次の二ヶ月は松下電器販売店での住み込み営業研修。戸別訪問でご用聞きを繰り返した。辛い仕事だったという。次の二ヶ月は松下の乾電池工場での工場研修。これで半年が過ぎた。

次の一年間は座学中心で、憲法、政治哲学、マクロ経済学など。夕方は茶道、剣道、体育、書道、古典の学習が必須で、毎週鎌倉から裏千家の先生が茶道を指導しに来た。

二年めの後半、次の三年間の準備。樽床さんは政治家を目指していたので、地元に帰って三ヶ月間選挙区の研究・調査をした。このときの人脈、ネットワークが現在でも生きているという。そして次の八ヶ月間は逢沢一郎氏の秘書として岡山県で衆議院選挙の準備を手伝った。

後半の三年の上級政治専科では、一年間大阪府議実力者の事務所で秘書・カバン持ちをやった。その時、地盤を引き継いで府議とならないかと誘われて心は動いたが、出身地ではないことから松下幸之助の「目指すのは一番高い山だ。高い志があるなら安寧の道を歩むべきでない」という言葉を思い出して断る。

次は英国病を克服したサッチャー政治を研究しようと海外研修を考えていたが、またしても逢沢氏に呼ばれ、こんどは衆議院選挙本番を経験する。そして大阪に戻り、異業種交流会の事務局長となり、大阪の中小企業を中心に組織作りをする。


卒塾して立候補

卒塾して定職にも就かずに、最初に寝屋川市を中心とする大阪七区に立候補し、松下労組の推す候補と戦い破れる。捲土重来を誓うと、天の助けで小選挙区制となって松下労組代表とは戦わなくなった。

落選の翌日から寝屋川市駅の駅頭に立って投票御礼の街頭演説を始める。「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」という政経塾の5誓の一つを実践する。


樽床さんの政治信条

樽床さんの政治信条は松下幸之助の「成功の要因」分析から始まる

樽床さんの政治信条の基本は、松下幸之助の教えの「人間観の確立」が不可欠であるというものだ。それができていないから、争いが起こる。「人間を考える」にある「新しい人間観の提唱」をこの本でも紹介している。

人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1995-01)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

そして「他人の立場になって考える」などをこの本の第二章を使って説明している。

この本のなかで、紹介されている西武グループの総帥の堤義明さんの政経塾での講演が面白い。まず堤氏はこの類の講演はすべて断っている。松下政経塾で政治家を養成するということも非常に難しい。それでも政経塾に足を運んだ理由は、堤さんが唯一尊敬する経済人の松下幸之助に頼まれたからだと。

松下幸之助は一代で大企業をつくったことは、それ自体は尊敬する理由ではない。尊敬する理由は、企業の発展段階で経営手法を変え、それがことごとく成功していることだと語った。

松下幸之助は、塾生に信長、秀吉、家康のどれを選ぶかと質問されて、「鳴かぬなら、それもまたよしホトトギス」と語ったという。松下幸之助の度量の大きさ、優しさも感じられたが、逆に怖さも感じたという。それは「有縁の人、無縁の衆生」」ということで、縁がないものは見捨てるということだからだ。

この本の第三章は松下幸之助の七つの提言の検証に充てている。

1,憲法改正
2.政治改革
3.税制改革
4.無税国家
5.教育改革
6.国土創成
7.地方分権

政経塾出身の政治家が増えた今では、もっと組織だった研修をしているのだろうが、樽床さんの経験がビビッドに語られていて面白い。絶版なのが残念だが、そのうち樽床さんが政府の要職につけば、復刊されることだろう。

次に紹介する野田首相の「民主の敵」よりもよっぽど良い。

民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)民主の敵―政権交代に大義あり (新潮新書)
著者:野田 佳彦
新潮社(2009-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


創立当時の松下政経塾の研修内容が具体的にわかって参考になるおすすめの本である。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。


  
Posted by yaori at 12:53Comments(0)TrackBack(0)

2011年10月15日

原発はほんとうに危険か? フランスの元文部科学大臣の対談

フランスからの提言 原発はほんとうに危険か?フランスからの提言 原発はほんとうに危険か?
著者:クロード・アレグレ
原書房(2011-07-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

フランスの元文部科学大臣がジャーナリストとの対談を通して原子力政策について語る本。どの雑誌だったか忘れたが、立花隆さんの書いたものに紹介されていたので読んでみた。

書店に置いてある本には次のような帯がかかっている。

scanner241












しかしこの本をくまなく読んでみたが、「技術は二流、人は三流」という発言はない。フランスの原子力技術は日本やドイツなどより上だというような発言はあるが、このような刺激的な発言ばない。

元々日本の政府や東電を批判する目的の本ではなく、フランスの原子力政策を肯定する本なので、「日本のあるべき姿をさし示す」という帯のセールス・キャッチは、「売らんかな」という編集者の創作だと思う。

このブログでは広瀬隆さんの本京都大学の小出助教の反原発本を紹介してきた。

広瀬さんや小出さんの本は、いままでは中小の出版社から出版されていた。しかし福島第一原発の事故以降、反原発本が一流出版社から出版され、原発推進派の本はこの本の原書房のように中小出版社から出版されるという風に完全に逆転した。

この本もアマゾンの売り上げ順位で85,000位と、あまり売れていない様だ。

今や菅前総理はじめ多くの人が、日本国民の福島原発事故以来の原子力アレルギーを考えて反原発という姿勢を表明している。本当にそれで良いのかと冷静に考える必要があると思う。

その意味では、この本と大前健一さんの最近作で今度あらすじを紹介する「『リーダーの条件』が変わった」が参考になる。

「リーダーの条件」が変わった (小学館101新書)「リーダーの条件」が変わった (小学館101新書)
著者:大前 研一
小学館(2011-09-20)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


筆者のクロード・アレグレさんのメッセージ

「日本語版によせて」に著者のクロード・アレグレさんのメッセージが載っている。

最初に福島原発事故の被災者にお見舞いを表明するとともに、福島第一原発は旧式だったために、大災害に対する対策が不十分で、事故後の当局の対応を後手にまわったと結論づけている。

そして日本の将来的なエネルギー政策を再考するにあたって、西ヨーロッパ諸国にない自然災害というリスクを考えると脱原発という選択肢もあるが、それだとおそらく電気料金は2倍となり、温室効果ガスの排出量も増える。

だから原子力政策を維持・発展することも選択肢の一つだと訴える。

この場合には、日本の固有事情も考慮しながら、すべての原発を安全対策を強化した近代的コンセプトの原発に交換する。

具体的には冷却水パイプラインなどを敷設することにより海岸から離れた立地、完全密閉型の石棺の内部に小型の原子炉を格納、海底に原子炉を開発などの方策を提案している。

また政治やビジネスから影響を受けない独立の国家原子力委員会の必要性を説いている。日本は「原子力村」による政策から決別すべきだと。

原子力発電のリスクはいままで制御されてきており、これからも制御されなければならない。科学技術大国である日本はそれが十分可能な選択だアレグレさんは語っている。


ゴチャ混ぜ思考に警鐘

アレグレさんはまず「ゴチャ混ぜ思考」に警鐘を鳴らす。民生用原発のリスクは軍事用原子力、核廃棄物の脅威や核分裂物質の闇市場の脅威に比べればはるかに低く、「脅威」ではなく「リスク」であると語る。

天然のウラン鉱石中の核分裂を起こすウラン235含有量は0.73%、原発に使うウランはウラン235含有量4%、そして原爆に使う濃縮ウランはウラン235含有量80〜95%と濃縮度が全然違う。

だから万が一原発が爆発しても原爆にはならないのだとアレグレさんは繰り返し述べている。

フランスには地震も津波もないため、日本の原発とは全く事情が異なる。原子力技術も日本よりはるかに進歩しており、原発はきちんと管理され、直接・間接的に20万人の雇用を生んでいる。

フランスのメディアは在日フランス人や、日本から避難してくるフランス人の話ばかり報道していたが、メディアはフランスの切り札である原子力産業を弱体化させ、失業者を増やしたいのかと切り返している。


原子力エネルギー発祥の地はフランス

アレグレさんは、原子力エネルギー発祥の地はフランスで、アンリ・ベクレルがドイツ人レントゲンの発見したX線と呼ばれる謎の電磁波をウラン鉱石が放出していることを1896年に発見したのが最初だ。

ベクレルの研究にピエールとマリー・キュリー夫妻が加わり、ウラン以外にも放射性物質はあることが突き止められ、1903年3人は揃ってノーベル物理学賞を受賞した。

キュリー夫人は夫とベクレルの死後も研究を続け、1911年にはラジウムの発見でノーベル化学賞を受賞する。

原子爆弾の開発につながる原子核分裂は1938年12月22日のドイツのオットー・ハーンとストラスマンが発見した。

これにはイタリアのエンリコ・フェルミ、キュリ−夫人の娘イレーヌ・ジョリオと夫フレデリック、ナチから逃れたユダヤ人のリーゼ・マイトナー、オットー・フリッシュなども直接間接に関わっている。

アインシュタインがルーズベルトに原爆開発を薦める手紙が有名だが、実際にはアインシュタインの手紙はアメリカ軍部は夢物語としてまともに取り合わなかった。

マンハッタン計画を実現したのは、中性子を発見したイギリスのジェームズ・チャドウィックが1941年にチャーチルを説得し、チャーチルがルーズベルトを説得したからで、アメリカが原爆の開発・製造に踏み切り、イギリスも参加した。


原発の危険性

原発の燃料は核分裂を起こすウラン235の割合が4%程度なので、原子爆弾のように一挙に核分裂を起こすことはない。

核分裂で発生する中性子を次の核分裂につなげるためには、20回ほど水の分子とぶつけて減速する必要がある。そのために大量の水が使われており、その水がウランと接触して高濃度の放射性物質を含んでいるのだ。

福島原発の原子炉建屋の爆発は、原子炉の電源が断たれたので、圧力容器内の核反応が暴走し温度が上昇して原子炉内の水が蒸発した。そして建屋内に充満した水蒸気が分解されて水素と酸素に分かれ、水素爆発を起こして建屋を破壊し、放射能を含んだ水素や水蒸気が大気中に放出され、地域が汚染されたのだ。

フランスの原発には生成された水素は、すぐに酸素と結合させて水にする触媒装置が備わっているが、日本の原発には「水素再結合装置」がなかったという。

大気中に放出された水蒸気の他にも、原子炉建屋附近で残留している大量の汚染された水の処理がこれからの問題である。同じことを大前さんの「『リーダーの条件』が変わった」でも指摘している。

福島の原発はBWR沸騰水型炉だったので、水の循環系は一系統だけだった。しかしフランスに多いPWR加圧水型炉は、核燃料と接触する一次冷却系とタービンをまわる二次冷却系の二つがあるので、一次冷却系が破壊されなければ、外部が放射能で汚染される恐れはない。

沸騰水型原子炉

BoilingWaterReactor





加圧水型原子炉

PressurizedWaterReactor





フランスの加圧水式原子炉は、一次冷却系は300度Cの水が流れており、155気圧に維持されているという。この熱が熱交換機を通じて二次冷却系の水を温め、発電タービンを回すのだ。

地震のないフランスはともかく、筆者の感覚では地震のある日本では、155気圧という超高圧システムが必要な加圧水型原子炉の方が、かえってリスクがあるように思えるが、アレグレさんはその辺はコメントしていない。


その他、参考になった点を紹介しておく。

★いままで軍事核実験により17万人が犠牲になっており、被曝量のめやすは被曝した人を長年にわたって追跡調査して割り出した数字だ。

普通に暮らしていて年間に受ける放射線量は2.4ミリシーベルト、250ミリシーベルトを超えるあたりから警戒が必要で、1,000ミリシーベルトを超えると白血球が変化する。2,400ミリシーベルトを超えると発ガンする確率が高まる。そして5,000ミリシーベルトを超えると致死量だ。

★放射性同位元素は、体内に入ると体内被曝を起こす。たとえば放射性ヨウ素は甲状腺に貯まりやすく、甲状腺から内部被曝を起こす。それで前もって安定同位体元素のヨウ素を飲んでおけば、放射性ヨウ素が集積するのを防げるのだ。

このブログで紹介した大前健一さんの「日本復興計画」では、大前さんのアメリカ人妻にもアメリカ大使館からヨウ素カリが配られたという。ヨウ素カリを飲んで、被曝する前に甲状腺をブロックしようという考えだ。

★フランスは高速増殖炉のスーパーフェニックスは停止させ、同じ原理のフェニックスは再稼働させた。同じ技術でも大規模のものは制御ができなかったからだ。日本の高速増殖炉「もんじゅ」にも同じナトリウム漏洩問題が発生した。

高速増殖炉の魅力は、天然ウランを利用した核燃料ができることだ。天然ウランの99%は、ウラン238で、これを中性子をぶつけてウラン239にして、それからネプツニウム239を経てプルトニウム239を作るのだ。

ただし二次冷却材の材質に問題がある。水は中性子を減速してしまうので使えないため、液体ナトリウムを使ったが、非常に危険でうまく制御できなかった。フェニックスの規模なら制御できたが、スーパーフェニックスの規模では制御不能だったという。

★トリウム炉はウランの埋蔵量の4倍のトリウムからウラン233を作り出して燃焼させる。現在は実験炉の段階だが、トリウム炉は廃棄物がほとんど排出されない点がメリットだ。

この本では風力発電、太陽光発電、水力発電、バイオ燃料などについても手短にまとめている。

★シェールガスは既にアメリカのエネルギー消費の20%を占めている。水平に掘削し、水圧破砕法でシェールガスを回収するが、大量の水が必要なので、環境汚染の問題が起こる恐れがある。ヨーロッパにもアメリカと同じくらいの莫大なシェールガス埋蔵量があるだろうが、環境問題から開発は進んでいない。


監修者の言葉は正しいのか

監修者の岡山大学教授は、彼が最も衝撃を受けたのは、原発周辺には津波によって瓦礫に埋もれて助けを求めていた人がいたにもかかわらず、彼らを見殺しにしたことだと告発している。これは戦後の日本の歴史の痛恨の汚点であると。

本来であれば国民の命や財産を守るはずの法律を盾にして政府並びに関係者は人命を見捨てたのだと。

この情報は知らなかったが、ありうべしだと思う。


今や反原発が主流で、原発促進波が少数派のようになってしまったが、果たしてそれで良いのか。考えさせられる本である。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。




  
Posted by yaori at 01:20Comments(0)TrackBack(0)

2011年10月01日

松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか 側近中の側近・江口克彦さんが語る

松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか松下幸之助はなぜ、松下政経塾をつくったのか
著者:江口 克彦
WAVE出版(2010-06-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

松下政経塾出身者としてはじめての総理大臣の野田佳彦総理が誕生して、さっそく国会で論戦を演じた松下幸之助の側近中の側近、元PHP研究所社長の江口克彦さんの本。江口さんは松下政経塾の元面接官だった。

江口さんはみんなの党に所属している参議院議員で、野田さんへの質問は全文が江口さんのサイトに公開されている

ちなみに民主党代表選挙直前の江口さんの各候補の評価は次の通りで、全体的に評価は低いが、比較すると野田さんの評価が一番高い。

【江口克彦の代表候補採点】

前原誠司前外相 30点

野田佳彦財務相 44点

馬淵澄夫前国交相 35点*

樽床伸二元国対委員長 18点

*馬淵氏は松下政経塾OBではないが、江口氏主宰の「壺中の会」で学んでいる。

この本は2010年6月、江口さんが参議院議員になる直前に出版された。江口さんは現在みんなの党所属で「前原氏は腐った饅頭」などという放言をしており、所属政党が違うので額面通りには受け取れないが、それぞれの候補の比較という意味では参考になると思う。


江口さんは、筆者が最も好きな本の一つの「成功の法則」の著者で、PHP研究所の中心人物として晩年の松下幸之助に23年仕えた側近中の側近だ。

松下幸之助 成功の法則松下幸之助 成功の法則
著者:江口 克彦
WAVE出版(2010-03-18)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

その江口さんが昭和54年(1979年)に松下幸之助が松下政経塾を設立した経緯を語る。


日本一の高額納税者

松下幸之助は60歳の時の昭和30年(1955年)から昭和38年(1963年)まで昭和35年に2位になった以外は、日本の所得番付で第一位を独占しており、亡くなる前年の昭和63年まで連続33年間トップ10位に常に入っていた。

当時の日本の税制では高額所得者は78%が税金で取られ、手元に残るのは22%だけだった。「税金を納める手数料を取っているようなものだ」と語っていたという。

日本の高すぎる税金、非効率な政府、頼りない政治が、松下幸之助が政治改革の必要性を感じた一つの理由だ。


無計画の金権政治に危機感

昭和47年から49年までの田中角栄首相の金権政治と列島改造ブームによる地価高騰、昭和48年に起こったオイルショックによる狂乱物価、そして昭和49年からの赤字国債発行。これらが松下幸之助に強い危機感を抱かせることになった。

同じく危機感を共有するソニーの盛田さんと昭和50年に「憂論」という対談本を出し、これがベストセラーになっている。

憂論―日本はいまなにを考えなすべきか (1975年)憂論―日本はいまなにを考えなすべきか (1975年)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1975)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

このなかで松下幸之助は「わが国の現状はいわば夕陽みたいなものでしてね。落ちかけたら非常に早い。」と語り、危機感をあらわにしている。

戦後の日本は「経済大国」といわれるほどの目覚ましい発展を遂げた。しかし、これは松下幸之助によれば、20年なり30年前に、「20年、30年後の日本をこのような姿にしよう」という計画をもち、それを国民合意のもとに共同の力で推進してきたものではない。

終戦から無我夢中で働いてきて、気がついてみれば経済大国となっていたものであり、計画性がないので公害や無計画な都市の膨張というアンバランスを生むことになった。

それゆえ当面の事態への適切な対応とともに、国家の大計を打ち出すことが急務であると松下幸之助は主張していた。松下幸之助の考える未来像が小説「21世紀の日本」だ。

筆者も読んだが500ページの大作である。正直、松下幸之助自身が書いたものではないと思う。たぶんブレーンが書いたのだろう。

私の夢・日本の夢―21世紀の日本 (PHP文庫)私の夢・日本の夢―21世紀の日本 (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1994-11)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

「21世紀の日本」では、2010年に「最も理想的と思われる国はどこか」という国際世論調査を行ったところ、圧倒的第一位は日本を選んだというフィクションから始めている。

日本が世界一となった理由は、国民所得で世界トップクラクス、先進国の中では税率が低い、富の分配が公平、すべての国民の生活水準が高い等の経済的理由のほかに、「日本人のモラルやマナーのよさ」、「美しい自然」、「治安のよさ」、「青年が希望を持って生きている」、「老人が大切にされている」、「日本の皇室の存在」、「政治の安定」、「日本は世界に貢献している」などだったと。

「日本人のモラルやマナーのよさ」は東日本大震災で日本人が日本人の美徳として強く意識したところだ。その他の点も、今もなお理想の国のあるべき姿として妥当である。


政治改革のうねり

ところが松下幸之助がこのような理想国家論を発表した昭和51年にロッキード事件が起こり、まさに金権政治の醜い姿が明るみにでた。筆者は今も覚えているが、「1ピーナッツ」が100万円のワイロを意味し、全日空にロッキード・トライスターを買わせてくれという丸紅の要請に対し、田中角栄は「よっしゃ、よっしゃ」と答えたという。

このような政治の混迷にあたって、オピニオン誌として発刊したのが今なお発行されている昭和52年12月発刊の"VOICE"だ。

Voice (ボイス) 2011年 10月号 [雑誌]Voice (ボイス) 2011年 10月号 [雑誌]
PHP研究所(2011-09-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

昭和50年にソニーの盛田さん、京セラの稲盛さん、ウシオ電機の牛尾さん、学習院大学の香山健一教授、演出家の浅利慶太氏の5人がそろって松下幸之助の真々庵に来て、政治を改革する国民運動の必要性を説くが、結局立ち消えとなる。

たぶん江口さんもこの会合に参加したのだろう、その時の発言が10ページほどにわたりこの本に収録されている。

昭和50年には自民党の若きエース石原新太郎が3選を目指す美濃部亮吉都知事に対抗して都知事選に立候補するが、タカ派発言が災いして敗れた。石原現都知事も最初の挑戦では敗北したのだ。


松下政経塾構想

5人の提唱した「生活人大連合」は立ち消えとなったが、松下幸之助は昭和21年からあたためていたという政治家育成塾の構想を本格化させる。

当初は「繁栄政治研究所」という仮称だったが、最終的にこれが「松下政経塾」に変わり、文部省主管の財団法人として設立されたのは昭和54年のことだ。最初の運営資金は50億円、建物は20億円で、松下幸之助の全額出資というスタートだった。

次のような塾是、塾訓、5誓が定められ、応募資格は25歳以下(現在は22歳から35歳まで)、研修期間は5年、月13〜15万円の研修費と年2回の十数万円の特別研修費が支給されるというものだった。

松下整形塾塾是





松下政経塾での松下幸之助の教えについては、「松下幸之助翁82の教え」という本に詳しいので、今度この本のあらすじで紹介する。

松下幸之助翁82の教え―私たち塾生に語った熱き想い (小学館文庫)松下幸之助翁82の教え―私たち塾生に語った熱き想い (小学館文庫)
著者:小田 全宏
小学館(2001-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

第1期生30名の募集に対し、907名が応募し、3次選考の後、23名が内定した。江口さんも面接官として選考に参加した。松下幸之助から指示された選考基準は「運の強い人、愛嬌のある人」だったという。

その第1期生の一人が野田佳彦首相だ。

松下幸之助が研修期間を5年としたところに、松下幸之助の本当の狙いがあらわれている。

「政経塾を5年制にしたのはな、塾生たちに、わしの考えた人間観を彼らの体に染み込ませようと思ったからや。人間をどう捉えるか。これが、特に政治の出発点や。(中略)塾生たちがその「人間大事」の原点から、政治を考えられるようにせんといかん。」

松下幸之助の超ベストセラー「道をひらく」では、松下幸之助の人間観を具体的な事例を通して説明している。「人間は偉大な力、とてつもない能力を有している」という人間観が根本にある。

道をひらく道をひらく
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1968-05)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

そして松下幸之助が書き上げて「もう死んでもいい」と感想を漏らした本は、「人間を考える」だった。

人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)人間を考える―新しい人間観の提唱・真の人間道を求めて (PHP文庫)
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1995-01)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

「人間大事」という正しい人間観を確立させるためには、5年間の修業が必要と松下幸之助は考えていたのだ。


松下政経塾の基本方針

塾の基本方針は次の通りだ。実際にどのような研修が行われていたのかは樽床伸二議員の「わが師、松下幸之助」に詳しく紹介されているので参照して欲しい

1.自修自得

2.切磋琢磨

3.万差億別

4.徳知体の3位一体研修

わが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子としてわが師、松下幸之助―「松下政経塾」最後の直弟子として
著者:樽床 伸二
PHP研究所(2003-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

松下政経塾出身者では昭和61年の衆議院選挙で逢沢一郎が当選し、塾出身のはじめての国会議員となった。その後増減はあったが、現在は自民党・民主党・地方首長に多くの人材を輩出し、そして今回1期生から野田佳彦総理大臣が誕生した。

松下政経塾は決して一本調子で伸びてきたわけではなく、平成2年の衆議院選挙では塾生6名が立候補したが、逢沢一郎のみが当選という結果となって、志望者が急減した。平成2年の第11期生は塾生はわずか3名となって存亡の危機に立たされた時期もあった。


幻の松下新党構想

最後に幻に終わった松下新党構想を紹介している。

松下幸之助は江口さんに「きみ、政党をつくろうと思うんやけど」と昭和50年ころから言いだし、総論賛成・各論反対のさまざまな人の影響を受けながら、昭和60年から具体的な準備作業を開始し、平成元年の参議院選挙を目標としていた。ところが松下幸之助が90歳という高齢もあり、その年の10月から病気がちになって新党構想は日の目をみなかった。


松下幸之助の著作や言動をたどりながら、松下政経塾設立、そして政治に対しての松下幸之助の思いををわかりやすく解説している。いつもながら江口さんの描写する松下幸之助の言葉は、ビビッドでまるで松下幸之助から話しかけられているようだ。

今後松下政経塾出身者の本はいくつかあるが、塾の設立関係者の話は珍しい。さすが松下幸之助の側近中の側近の江口克彦さんだけある。参考になる本だった。


参考になれば次の投票ボタンをクリックして頂きたい。


  
Posted by yaori at 01:42Comments(0)TrackBack(0)

2011年09月26日

日本中枢の崩壊 経産省古賀茂明さんの本 キワモノ告発本にあらず

日本中枢の崩壊日本中枢の崩壊
著者:古賀 茂明
講談社(2011-05-20)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

最近テレビで見かける経済産業省大臣官房付の古賀茂明さんの本。家内が図書館から借りていたので読んでみた。アマゾンの売り上げで現在19位のベストセラーだ。書店で平積みにしてある本には次のような帯がついている。

scanner131












本の帯には「日本の裏支配者が誰か教えよう」とかいういかにもキワモノ的なキャッチが書いてあるので、以前からあるようなキワモノの(元)官僚による個人攻撃だらけの告発本かと思ったら全然違った。

告発している部分もあるが、政治家などの公人を除き、官僚の個人名は一切伏せられており、告発が目的の本ではないことがわかる。

次に目次を紹介しておく。細かく各節の題が載っており、目次だけを読んでも内容が推測できるすぐれた目次である。序章と終章だけ各節のタイトルを紹介しておく。まずは書店で立ち読みして目次を読んで欲しい。


序章 福島原発事故の裏で

・賞賛される日本人、批判される日本政府
・官房副長官「懇談メモ」驚愕の内容
・「ベント」の真実
・東電の序列は総理よりも上なのか
・天下りを送る経産省よりも強い東電
・「日本中枢の崩壊」の縮図

第1章 暗転した官僚人生

第2章 公務員制度改革の大逆流

第3章 霞ヶ関の過ちを知った出張

第4章 役人たちが暴走する仕組み

第5章 民主党政権が躓いた場所

第6章 政治主導を実現する3つの組織

第7章 役人ーその困った生態

第8章 官僚の政策が壊す日本

終章  起死回生の策

・「政府閉鎖」が起こる日
・増税主義の悲劇、「疎い」総理を持つ不幸
・財務官僚は経済が分かっているのか
・若者は社会保険料も税金も払うな
・「最小不幸社会」は最悪の政治メッセージ
・だめ企業の淘汰が生産性アップのカギ
・まだ足りなかった構造改革
・農業生産額は先進国で2位
・「逆農地改革」を断行せよ
・農業にもプラスになるFTAとTPP
・「平成の身分制度」撤廃
・中国人経営者の警句
・「死亡時精算方式」と年金の失業保険化
・富裕層を対象とした高級病院があれば
・観光は未来のリーディング産業
・人口より多い観光客が訪れるフランスは
・「壊す公共事業」と「作らない公共事業」
・日本を変えるのは総理のリーダーシップだけ
・大連立は是か非か

補論  投稿を止められた「東京電力の処理案



この本を読んで古賀さんが真の憂国の士であることがよくわかった。古賀さんは既得権に執着する霞ヶ関の官僚が、公務員制度改革を骨抜きにしている実態を明らかにしたことから、出身の経産省はもとより、財務省からもにらまれ、経産省からは2010年10月末で退職しろという勧告を受けるなど様々な圧力、誹謗中傷を浴びている。

古賀さんは経産省の大臣官房付という閑職に1年以上も追いやられているが、雑誌・テレビ等のマスコミに頻繁に登場する古賀さんを経産省の幹部は苦々しく思っている様だ。

この本を読むといかに菅政権の打ち出した公務員制度改革を官僚が骨抜きにしていったのかがよくわかる。ただ公務員制度は戦後何十年も掛けてできあがったいわば「エコシステム」であり、古賀さんのような異端者がポッと出ても事態は変わらないだろう。


天下りがなぜいけないのか

古賀さんは2010年10月15日の参議委員予算委員会で、天下りの問題点について発言し、その場で当時の仙石官房長官の恫喝を受けた経緯を語っている。

その国会発言のなかで、なぜ天下りがいけないか次のように整理している。

天下りがいけない理由は、第1には天下りによってそのポストを維持することにより、大きな無駄が生まれ、無駄な予算が維持される。第2には民間企業も含め天下り先と癒着が生じる。これにより企業・業界を守るために規制は変えられないとか、ひどい場合には官製談合のような法律違反も出てくる。

一部に退職金を2回取るのが問題という話もあるが、それは本質的な問題ではなく、無駄な予算が山のように出来る、癒着がどんどん出来るのが問題だと。

これに対する現在の霞ヶ関のロジックは、1.官庁からの天下りの斡旋等は一切ない、あくまで本人が求職活動をしたものである。2.現役出向は「官民交流法」に基づいた民間のノウハウ吸収である。(現役出向先の企業への再就職も、一旦役所に戻って定年退職した後はOK)というものだ。

特に現役出向に関する菅政権の「退職管理基本方針」の問題点について古賀さんが「週刊東洋経済」に寄稿したところ、霞ヶ関の「アルカイーダ」、「掟破り」として古賀さんは全霞ヶ関から監視されているという。

週刊 東洋経済 2010年 10/2号 [雑誌]週刊 東洋経済 2010年 10/2号 [雑誌]
東洋経済新報社(2010-09-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

古賀さんは大腸ガンで手術して、その後腸閉塞を併発して体調を崩し抗ガン剤を飲みながら闘病を続けていたこともあるという。

大腸ガンは死亡率が高く、男性でガン死亡率の第3位、女性ではガン死亡率の1位になっている病気だ。ひょっとすると長くは生きられないかもという不安が、古賀さんの勇気ある発言を支えているのかもしれない。

2158





出典:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2158.html

この本では古賀さんの官僚人生での功績にも触れている。GHQが財閥解体のために残していった純粋持株会社を解禁する独禁法第9条の改正、ガソリンスタンドのセルフ給油解禁、クレジットカード犯罪の刑罰化などが古賀さんの成果だ。官僚の仕事の進め方がわかって興味深い。


古賀さんの日本起死回生策

上記目次で紹介したように、古賀さんはこの本の終章で具体的な起死回生策を提案している。「若者は社会保険料も税金も払うな」などという過激な提案もあるが、さすがに政策論争に慣れた経済官僚だけあって、提案内容は練れていると感じる。

ただこれらの政策提案は、上記の目次を見るとわかるように、いわば「暴論」であり、これらが現状では政策として実現する可能性は低いといわざるをえない。

日本の財政破綻を回避する方法として、政府は増税で何とかしようという知恵しかない。これは自民党政権でも菅政権でもバリバリの増税論者の与謝野馨氏を経済財政政策担当大臣にしたことから明らかだ。これは消費税増税を狙う財務省のたくらみ通りである。

このままいくと日本の消費税は30%になり、経済は縮小し、町には失業者があふれ、犯罪も増え治安も悪いという悲惨な国になっていく可能性が高い。数年内に歳入不足で「政府閉鎖」が起こる可能性もある。

英国の「エコノミスト」誌は、「日本人はこの震災を機に、自らの対応能力と世界から寄せられる畏敬の念によって自信を取り戻すかも知れない」と語っているという。この世界からの期待に応えられるような社会を作らなければならない。

そのための古賀さんの起死回生策をまとめると次のようなものだ。実現性は非常に疑問ではあるが、方向性として正しい議論もある。

1.国の保有資産はJT,NTT株でも公務員宿舎でも独立行政法人の資産でも何でも売って数百兆円の資産売却を行う。

2.社会保障費の削減。支給額削減、先延ばし、富裕層支給カット。「死亡時精算方式」、年金の失業保険化

3.農業、中小企業、組合だからという助成策はすべてやめる。

4.公務員は大幅削減、給与も民間以上にカット、天下り団体は廃止。

5.タブー廃止。農業への株式会社参入OK,休耕地課税、TPP参加、時間をかけても関税撤廃。3ちゃん農業=兼業農家保護縮小。

6.消費税アップだけでなく相続税改革も含めた税制改革を行う

7.衰退産業・企業は潰して有望な企業・産業にスクラップ・アンド・ビルド 観光を未来のリーディング産業に



特記事項

他にも参考になった情報をいくつか紹介しておく。ただし、真偽のほどは確認する必要があるということを言い添えておく。

・東電を含め電力業界は、日本最大の調達企業なので他の業界のお客さんだ。自民党の有力な政治家を影響下に置き、労組を動かせば民主党も言うことを聞く。巨額の広告料でテレビ・新聞などマスコミを支配し、学界に対しても研究費で影響力を持っており、誰も東電には逆らえない。だから菅総理が怒り狂って東電に殴り込みにいっても、「総理といえども相手にせず」という態度だった。

・OECD駐在中に送電分離を唱えた古賀さんはあやうくクビになるところだった。

・現みんなの党渡辺喜美代表から、自民党時代に行革・規制改革担当大臣になったときに補佐官就任要請があったが、大腸ガンの予後が悪く断ったという。渡辺さんは即断の人だという。

・2008年6月福田内閣で成立した「国家戦略スタッフ創設」、「内閣人事局の創設」、「キャリア制度の廃止」、「官民交流の促進」などを柱にした国家公務員制度改革基本法案を中曽根元総理は「これは革命だよ」と言ったという。

・2008年7月に発足した国家公務員制度改革推進本部事務局の審議官に就任した古賀さんは、それから官僚人生の暗転が始まったという。

・経産省では日本企業の細やかな「擦り合わせ」こそ、他国がマネのできない特有の文化で、日本の競争力の原動力との解釈がまかり通っている。

・国税庁は普通に暮らしている人を脱税で摘発し、刑事被告人として告訴できる。金の流れが不透明な政治家は国税庁が怖く、国税庁を管轄する財務省には刃向かえない。ジャーナリストもマスコミも同じだ。古賀さんもマスコミ関係者から「国税のことは書かない方が良いよ」といわれたという。

・小泉首相は政策は竹中平蔵氏をトップとする竹中チーム、マスコミ対策は飯島秘書官の飯島チームを持っていたので、強力なリーダーシップを発揮できたが安倍さんは自前のチームを持たなかった。


現役官僚の暴露本というキワモノではない。政策の妥当性はさておいて、日本の将来を本気で心配する古賀さんの官僚としての良心がわかる本である。



参考になれば、次を応援クリックしていただければ、ありがたい。


書評・レビューランキング
  
Posted by yaori at 23:28Comments(1)

2011年09月02日

中国の言い分 サーチナ編集主幹の鈴木秀明さんの本

中国の言い分 〜なぜそこまで強気になるのか?〜 (廣済堂新書)中国の言い分 〜なぜそこまで強気になるのか?〜 (廣済堂新書)
著者:鈴木 秀明
廣済堂出版(2011-01-18)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

「サーチナ」編集主幹・鈴木秀明さんによる中国人の本音紹介。

前回の加藤嘉一さんの「われ日本海の橋とならん」を紹介した後で、中国シリーズが続くが、大変参考になる本だったので紹介しておく。

ちょうど2010年の中国のレアアース輸出制限の影響で、エアコンが5〜15%値上げされるというニュースが報道されているので、レアアース問題の背景も解説したこの本が参考になる。

サーチナは2000年代初めに中国株投資熱が注目されてきた頃から、急速に存在感を増した中国情報のポータルで、中国株投資をする場合には必須の情報サイトだ。

著者の鈴木さんはサーチナの編集主幹で、レアアース問題、靖国問題、ノーベル平和賞劉暁波氏に対する人権問題、北朝鮮問題など、ともすれば中国人と日本人のマスコミや世論が異なる問題を12件取り上げ、それぞれに中国人の本音、見方をわかりやすく解説してる。

サーチナが中国情報サイトだからといって、決して中国寄りの見方を紹介しているわけではない。たとえば尖閣諸島問題では、1884年から魚釣島に移住して開拓を進めた日本人の貸与願いを受け、清国の支配が及んでいる形跡がないことを10年間かけて確認の上、1895年に国際法上の「無主物先占」原則を適用して日本領に編入したという客観的事実を説明している。

尖閣問題は中国の資源ねらいという見方があるが、実は資源はたいしたことはなく、愛国教育を叩き込まれた若者の政府への不満を爆発させないために日本を強く批判しているのだというのが鈴木さんの見立てだ。

もっとも参考になったのは日本人と中国人は見かけは同じだが、価値観やものの見方はまったく異なるという、当たり前ではあるが、つい忘れてしまう指摘だ。

これを象徴するのが、同じ漢字を使っていてもニュアンスが異なり、誤解のもとになる事例だ。

例えば「原則」という言葉は、いわゆる「和製漢語」の一つだが、日本では例外もありうるというニュアンスがあるが、中国では絶対に譲歩できない議論の前提である。小泉内閣の時に田中真紀子外務大臣が、国会で「中国はこのことを原則と主張しており」と発言すると、「単なる原則だろ!」というヤジが飛んだという。こんなところにも誤解を招く落とし穴がある。

中国は被害者意識が強く、加害者になる恐ろしさをしらないという。非常に参考になる本だが、最後に鈴木さんは差別的発想はしないでくれとくぎを刺している。


★レアアース問題

尖閣列島での漁船衝突問題とレアアース輸出制限が重なったのは報復ではない。たまたま時期が重なっただけ。

中国は世界で流通するレアアースの9割を生産しており、小平はかつて「中東には石油があり、中国にはレアアースがある」と語った。

レアアースは世界中に賦存しており、米国やオーストラリア、ブラジルなどにも資源はある。しかしレアアースの採掘の際にトリウムという放射性物質が混入し、環境汚染を引き起こすので、トリウム除去のためにレアアース採掘コストが上がる。

レアアースの価格は中国との競争が激しく長く低迷していたため、中国を除くほかの国はレアアース生産から撤退してしまった。

中国では環境保護規制がなかったため、最大の生産地の内モンゴル自治区の包頭市では工場排水が飲料水に流入するという大問題が起こった。計画採掘が行われていないので、最も条件の良い鉱床から濫掘され、今では中国のレアアース埋蔵量は世界の30%にまで落ち込んだ。

このままではいずれ中国のレアアースは枯渇し、将来は中国は外国から高いレアアースを輸入しなければならなくなる恐れもあるということで、輸出制限を発動したのだ。


チベット問題

チベットは元の時代から中国の領土であり、外国からとやかく言われる筋合いはない。

中国によるチベットの併合は、ダライ・ラマ以下の貴族に搾取されていたチベット人民の解放である。

中国が少数民族を迫害しているという事実はない。むしろ一人っ子政策を適用しないとか、大学の入学にはゲタを履かせるとかで少数民族を優遇する米国のアファーマティブアクションのような政策を実施している。


★劉暁波氏のノーベル平和賞受賞

劉暁波氏は1989年の天安門事件で「国家政権転覆扇動罪」で裁かれて服役中の犯罪者であり、その犯罪者にノーベル平和賞を授与することは、1999年のダライ・ラマのノーベル平和賞受賞と同じ、西側の政治的な意図の表れである。


★中国の経済格差問題と蟻族

小平は社会主義市場経済を推し進めることにより「格差の出現も一時的にはやむを得ない」と言った。その後の経済発展により経済格差は拡大した。江沢民政権は2000年になって西部大開発を打ち出し、沿岸部と内陸部の経済格差是正に着手した。

しかし格差問題は、「都市部と周辺農村部」、「勝ち組と負け組」、「企業経営者と労働者」といった複雑な様相を見せてきて、江沢民政権は格差解消にはさじを投げた。

都市と農村部の格差は拡大しており、農村部では一日100円以下の貧しい生活をしている住民が大勢いる。都市部でも地方から出稼ぎに来ている農民工は、病気になってもまともな治療が受けられないほど貧しい。黒診所という無許可の診療所に行き、満足な医療が受けられず死亡するケースも出てきている。

都市部のもう一つの問題は、大学を卒業してもホワイトカラーの就職口が少ないので、まともな職業に就けないため大勢で狭い部屋に暮らす蟻族と呼ばれる若者が急増している。

蟻族はインターネットを使い慣れているので、何かあるとインターネットで「炎上」するような騒ぎを起こしがちだ。

政府は経済格差で国民の不満が爆発することを最も恐れており、蟻族は政府がもっとも警戒している対象である。国民の不満が中国政府に向けられないように、時にはパフォーマンスも必要となる。尖閣列島の中国漁船衝突事件の時のように、日本を強硬に非難し、真夜中に丹羽中国大使を呼びつけるなどのパフォーマンスを行っているのはそのあらわれと見られる。


★人民元問題

アメリカが人民元の切り上げを迫ってきているが、日本がプラザ合意以降の円高で競争力を失い、日本経済が停滞に陥った例も見ているので、中国は日本の轍は踏まない。

当時の日本のように中国はアメリカ国債を大量に保有しているので、切り上げれば損失が発生する。投機マネーに狙われることになるので、一気の切り上げは危険だ。切り上げで中国経済が冷え込むと、各国の対中輸出に影響が出るという問題もある。

中国は2007年にそれまでの1ドル=8.28元という固定相場をやめ、通貨バスケット制に移行した。その後だんだんに人民元を切り上げ、現在は1ドル=6.5元となっている。

日本円は1971年に1ドル=360円から、308円に切り上げられ、変動相場制に移行直後の1973年に260円となり、1995年の79.75円まで円高が進行した。日本が変動相場制で急激な円高に苦しんだ歴史を見ているだけに、中国は為替レートを一気に切り上げるのには慎重なのだ。

一方中国はドルが基軸通貨である体制にも疑問を持っており、ロシアのプーチン首相と二国間の決済はそれぞれの通貨で行うことを発表し、ドル離れに一歩踏み出している。


★環境問題

中国は環境問題を深刻に受け止めている、しかしそもそも先進国の企業が中国に進出して工場をつくって製品を作りまくったから環境問題が発生したのだ。一人当たりの温室効果ガスの排出量は中国よりもアメリカのほうがはるかに多い。


中国では水道水は汚染されていて飲めないとか、土壌も汚染されているので野菜なども安全性に問題が生じ、野菜が洗える洗濯機まで売り出されている。

生活にゆとりのある中国人は、外国のミネラルウォーターを飲み、外国産の米や野菜を食べる。日本の有機野菜などは値段が高くとも中国で人気があるという。

日本は衛生面で中国に信頼されているので、日本製の粉ミルクなどはよく売れる。日本は自らの努力で環境汚染問題を克服し、経済成長も両立させたという高い評価がある。

米国のネットメディア・ハフィントン・ポストは2010年9月に世界で汚染が進んだ9つの地域のナンバーワンとして山西省の臨汾市を挙げ、汚染が最悪で洗濯物を干すと、夕方には黒くなっていると指摘している。まるで筆者の住んでいた米国の鉄の町ピッツバーグの1940〜1950年代頃の姿の様だ。

中国では旧式の石炭火力発電所が各地にあり、日本の発電所では100%装備されている脱硫・脱NOX設備を備えていない。急増する自動車からの排気ガスもあり、大気汚染がひどいのだ。

比較のために、中国と日本のエネルギー構成のグラフを紹介しておく。中国の石炭依存度の高さが際だっていることがわかる。

energy balance China






energy balance Japan







★中国には共産党以外にも8つの政党が存在するが、それらは全部ひっくるめて民主党派と呼ばれ、原則として共産党の友党で、すべて共産党と協調して政治を動かそうという立場である。

習近平

次期主席と目される習近平氏は1953年北京生まれ。清華大学化学工学部を卒業した後は、政治家秘書として活動。浙江省、上海市の行政トップを歴任し、江沢民に引き立てられた。

習近平の父親の習仲勲は共産党政治局常務委員までなった人物だが、1966年の文化大革命で失脚し、習近平自身も辺鄙な農村の人民公社で農作業に従事した。

いわゆる太子党と呼ばれる有力者の子弟だが、父親の権力を利用せず、地方政府に職を得て、下働きから始めたということでおおむね国民から好印象を持たれているという。

習近平の奥さんは有名な歌手の彭麗媛(ほうれいえん)だ。人民解放軍の少将で、総政治部歌舞団団長というポストだ。習近平が廈門市長だった1986年に結婚した。

胡錦涛などの共産主義青年団(共青団)出身者の「共青団派」と江沢民をトップとする「上海閥」は権力闘争を繰り広げているが、今のところ「上海閥」の習近平が胡錦涛の後継者となる路線に影響はないようだ。


★靖国問題

中国への侵略戦争を実行した戦犯を祀る靖国神社へ日本政府要人が参拝するのは、侵略戦争を正当化するのに等しい行為。特に小泉元首相が靖国参拝をしたのは絶対に許せない。中国側の配慮を無視した裏切り行為だった。

あの侵略戦争は日本の一部の軍国主義者がやったことで、日本国民はだまされた被害者だ。そこまで譲歩した理屈をつくってあげているのだから、軍国主義者を祀る神社への参拝は辞めて貰いたい。


中国では1980年代から「愛国教育」と称して小中学生の教科書にかなり大きく「南京大虐殺」を取り上げている。中国人にアンケートを取ると、日本で思い浮かぶことのトップが「南京大虐殺」の65%という結果が出ている。

戦後日本は中国に対して20回以上も謝罪や侵略戦争に対する反省を公にしているが、中国人の多くは「日本人は口では謝罪していても心の中では反省をしていない」と思っている。

先日図書館で借りて「靖国」という映画を見た。台湾人監督が隠しカメラで盗み撮りしたような映画で、何かの記念日で旧軍人が軍服で行進する場面もあり、日本人はいまだに軍国主義者ばかりだと思わせるような内容だった。

靖国 YASUKUNI [DVD]靖国 YASUKUNI [DVD]
TOブックス(2010-09-24)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

胡耀邦総書記は靖国問題が原因で失脚したと言われている。胡耀邦総書記は中曽根首相と仲が良かったが、その中曽根首相が終戦記念日に靖国神社を参拝したので、窮地に立たされた。

胡耀邦総書記は日本の戦犯に対しても「愛国主義者だったが、あまりにも狭い考え方で国を誤った。つまり『誤国主義』に陥り、多くの人に災いをもたらした」として、日中両方の若者に愛国心と国際的な広い視野の両方を身につけるように求めた。

しかしこの考えは中国人には到底受け入れられる考えではなかった。靖国問題が契機となり、胡耀邦総書記失脚したので、中国の政府中枢にいる政治家は、「日本に甘い顔をするとひどいめに会う」との思いを強めたという。

ちなみに天安門事件の契機は改革派の胡耀邦総書記が死去したことを悼む学生が天安門の前に集まったことだ。

胡錦涛も胡耀邦に引き立てられた人物なので、過度の愛国心には警戒感を持ち、歴史問題は蒸し返さないという立場だった。しかし小泉首相が靖国神社を繰り返し訪問したことで、江沢民前主席らが胡錦涛を攻撃し、「軟弱姿勢を示したせいで、日本は対中外交の原則を踏みにじった」と非難され窮地に立たされた。

首相が靖国神社を訪問しただけで、どうしてそんなに中国が大騒ぎするのか日本人には理解出来ない部分もある。これは中国共産党の正当性の最大の根拠が「日本の侵略から中国を守った。共産党にしかできなかった偉業だ」ということだからだ。

つまり日本との関係回復と、戦争責任問題のジレンマを解決する論理が、「すべての責任は日本の軍国主義者にあった。日本の人民は中国の人民と同様に、戦争の被害者だった」というものなのだ。

日本と国交を樹立し、友好関係を築くにあたっての中国側の論理は、「日本に軍国主義者はいない。過去の戦争については反省している。だから対等の立場でつきあえる」というものなのだ。だから日本の首相が靖国神社を参拝すると国内的にも説明できなくなってしまうので、日本を厳しく非難するのだ。

中国の政治指導者は立場上「戦争責任はすべて”軍国主義者”に負って貰うことにした。そのシンボルはA級戦犯だ。日本の立場を考え、互いにうまくいくようにしたじゃないか」とは言えない。

心の底では「日本の政治かはどうして、こんなことを問題にしてしまうのか。避けようと思えば、避けられるではないか。政治センスのかけらもない」と舌打ちしているのだろうと。

中国には悪いことが起きると、問題を発生させた本人にすべて責任を押しつけることが一般的で、4人組が良い例だという。文化大革命では4人組以外の多くの人が加わったのだが、罰せられたのは4人組を中心とした一部の人だけだった。

つまり「悪いのはすべて4人組」は免罪符の機能があり、日中関係でも「悪いのはすべて軍国主義者」が免罪符となるのだ。

「死者を鞭打たない」という考え方は中国にはない。むしろ死者の墓を暴くことが歴史上頻繁に行われている。伝統的な発想の違いも問題がこじれる大きな原因となっている。


★北朝鮮問題

中国と北朝鮮には朝鮮戦争以来の血の友誼(ゆうぎ)があるといわれている。これは朝鮮戦争の時に中国が人民志願軍を送って共に戦ったことから生まれた意識だが、実際にはイデオロギー的な連帯感はない。

中国は北朝鮮を何かと守ってきた。しかし北朝鮮は中国の言うことを聞かずに、核実験やヨンビョン島を砲撃したりして暴走している。これには手を焼いている。

それでも北朝鮮に崩壊して貰っては困る。そうなると米軍の駐留する韓国と国境を接することになる。それだけは避けたいので、北朝鮮に生きながらえて欲しいというのが本音だ。


中国には根強い反韓感情があるという。韓国が中国文化を横取りして世界遺産に登録しようとしていると警戒する中国人が多いという。サーチナが行ったアンケートでも、「韓国も北朝鮮も両方とも嫌い」が最も多く32%を占め、残りは「北朝鮮が好き」、「両方好き」、「韓国が好き」がほぼ同数の15%ずつだった(残りは無回答)。

つまり両方好きを入れても、北朝鮮を好きな中国人は30%しかおらず、北朝鮮を嫌いな人はほぼ50%に上るのだ。

中国政府はかつて1990年代に中国東北地方を活性化させるために、「環日本海経済圏」構想をぶちあげ、ロシア、中国、北朝鮮、日本、韓国で経済圏をつくるべく大プロジェクトを推進しようとした。しかしロシア・北朝鮮が関心を示さなくなり、構想が宙に浮いたという苦い経験がある。


★中国人の意識

この本のまとめとも言えるのがこの部分だ。次にこの本の中国人の言い分を紹介しておく。

scanner035













出典:本書205ページ

「被害妄想」、「上に政策中国は国際ルールを長年無視してきたが、最近は著作権などのルールを守る様になってきたという印象がある。中国人の根底には、欧米や日本に長らくいじめられてきたという被害者意識があるという。

4000年も続く歴史を持ち、かつては世界一の大国だったというプライドがあるので、清朝の末期に列強や日本が侵略行為を繰り返したのは許し難いことだという意識がある。

特に日本には日清戦争で負けて領土を取られ、日露戦争では戦争に参加していないにもかかわらず主戦場とされ、日中戦争では攻め入られたという意識がある。第2次世界大戦後も共産主義が世界から非難されたこともあり、国際法には不信感を持っているという。

さらに中国人には「上に政策あれば、下に対策あり」という言葉があり、良くも悪くもルールを疑ってかかり、方の抜け道を考え出すことに長けている国民性がある。

「事情変更の原則」といったところだ。

さらに鈴木さんは中国人を「交渉上手の宣伝下手」という。宣伝下手というのは、国際的なルールやエチケットを知らないことから誤解を招く行動が多いということだろう。

もっとも、これは今の中国には当てはまるが、たぶん戦前の中華民国の政治家には当てはまらないだろう。筆者は常に感じているが、戦前の日本に蒋介石宋子文のような国際感覚あふれる政治家がいたら世界は変わっていたのではないかと思う。

中華民国の政治家は堕落していたが、金は持っていたので宣伝は上手だったと思う。

しかしそれでも米英のふところには入れず、トルーマンから見放され、蒋介石の率いる中華民国が台湾に退去する結果となったことは、歴史の事実である。

中国共産党の方が、ソ連の支援を受けて日本の関東軍の残した飛行機や戦車、大砲、機関銃などをすべて受け取って軍事力を増強する一方で、汚職のない統治で民衆の支持を得るという政策が功を奏して、1949年10月に中華人民共和国が成立したわけだ。


さすが中国情報サイトナンバーワンのサーチナの編集主幹の本だけあって、中国人の本音がよくわかる参考になる本だった。筆者が読んでから買った数少ない本の一つである。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。

  

  
Posted by yaori at 13:10Comments(0)TrackBack(0)

2011年08月25日

われ日本海の橋とならん 中国で最も有名な日本人 加藤嘉一さんの本

われ日本海の橋とならんわれ日本海の橋とならん
著者:加藤 嘉一
ダイヤモンド社(2011-07-23)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

以前紹介した一新塾のメンバーの友人から紹介されて読んでみた。

明治時代、新渡戸稲造は、アメリカ留学に際して「われ太平洋の橋とならん」と語ったという。

それにならって、”中国で一番有名な日本人”の加藤嘉一(よしかず)さんが、中国政府の官費留学生として北京大学に学び、大学院まで卒業した自らの経験を紹介し、日本の若者に対し、日本人が海外に出て行くことは”ローリスク・ハイリターン”なのだと、海外への雄飛を呼びかける。

楽天の三木谷さんもツイッターでこの本を紹介していた

「友人に頂き読みましたが。本当に共感するところが多い本でした。このような若者がどんどんとでてこないと!」

書店に並んでいる本には、次のような帯がついている。

scanner099












著者の加藤嘉一さんは、1984年静岡県の伊豆地方の生まれ。現在27歳の若者だ。

山梨学院大学附属高校から提携校の北京大学に中国政府の官費留学生として学部4年間と大学院の2年間学ぶ。(ちなみに学生は全員寮生活で、宿舎費は年間1万3千円、食費は一日15元=200円程度だという)


言葉は世界へのパスポート

箱根駅伝で有名な山梨学院大学の附属高校という校名でピンとくるように、中学時代から陸上競技に打ち込む一方、いずれは世界に出るべく英語勉強にも精を出す。

加藤さんの英語勉強法は、1.毎日辞書を読み覚える。2.自転車通学途上で「一人芝居」で英語会話をする。3.英語新聞を毎日読む。というものだ。中・高時代は、国連職員になるというのが目標だったという。

加藤さんは2003年から北京大学に留学する。ちょうどSARS問題で半年間休講だったので、その間毎日、色々な人と世間話9時間、単語の読み書き2時間、人民日報を音読して暗記、ラジオで中国語放送を聞くという中国語漬けの生活を送って、半年でネイティブなみの中国を話すようになる。

言葉は「世界」へのパスポートであり、その国の人々から受け入れられ、心の永住権を得るためのグリーンカードなのだと。

筆者も全く同感である。筆者は会社に入って3年目でアルゼンチンの研修生として2年間ブエノスアイレスで暮らした。その後米国ピッツバーグには2回にわたり合計9年間駐在した。

「芸は身を助ける」ならぬ「言葉は身を助ける」が筆者の持論だ。


北京大学での学生生活

北京大学の公用語は英語で、英語力とパワーポイントなどを使ってのプレゼン能力は、若者フォーラムで交流のある東大生も舌を巻くほどで、比較にならないという。加藤さん自身も「世界には、こんなにすごいやつがいるのか!」と衝撃を受けたという。

学内のコピー料金は安く、分厚い専門書も200円もあればコピーできてしまうので、学生は英語の専門書や「タイム」や「ニューズウィーク」など海外の雑誌もまわし読みかコピーで必ず目を通すという。


中国のテレビのインタビューで一躍有名人に

中国語がかなりできるようになった2005年4月に、反日デモで日本大使館が投石されたり、日本料理屋が壊されたりした最中に、香港のテレビ局のインタビューを受ける。

インタビューで日中どちらに非があるかを問われ、簡単に現状分析を語り、「外交的な案件であるかぎり、どちらに非があるというようなものではない」と切り返し、「問題解決には相互理解に基づく建設的な議論が必要である」と語った。

その時の受け答えが見事で、中国語が完璧だったことから、中国メディアの取材が殺到し、現在はテレビ局のコメンテーターや中国語版ファイナンシャルタイムズに自分のコラム「第3の目」を持ってコラムニストとしても活躍している。

年間300本以上の取材を受け、100回以上の講演を行い、毎年2〜3冊のペースで出版し、胡錦涛主席とも会見し、胡錦涛主席は加藤さんのブログの読者だという。加藤さんは中国共産党の指導部と個人的にコンタクトできる間柄だという。

中国のメディアは「加藤現象」と呼び、「中国でもっとも有名な日本人」と呼ばれているという。

まさに「言葉は身を助ける」の典型だ。


加藤さんのストライクゾーン

加藤さん自身は次の4つの観点から自分の発言をコントロールしているという。

1.自分は日本人であること。2.ここは中国であること。3.政府・インテリ層にとって価値ある提言であること。4.大衆に伝わる言葉であること。この4つの接点が加藤さんのストラークゾーンなのだと。


中国についての7つのよくある質問

加藤さんは、次の7つのよくある質問から始めている。

1.中国に自由はあるのか? 
民主主義国の日本でも目に見えないタブーがある。中国には天安門事件という最大のタブーがあるが、それ以外は比較的自由だ。

2.共産党の一党独裁は絶対なのか?
中国共産党は7800万人もの党員を抱える世界最大の政党である。民主主義的選挙はないが、政治は国内世論を後ろ盾とする健全な権力闘争が存在し、成果主義が根付いている。

3.人々は民主化を求めているか?
天安門事件で最も流血を見たのは北京大学生だった。人々は現実主義者となり、民主主義信奉者は少ない。共産主義も民主主義も手段なのだと考えている。

4.ジャーナリズムは存在するのか?
一部の官製メディアを除き、地方メディアは独立採算、これにインターネットメディアが加わる。天安門事件という最大のタブーはあるがそれ以外は誰にもコントロールはできない状態だ。

ちなみに中国にはGoogleもFacebookもYouTubeもないが、中国版のGoogle, Facebook,YouTubeの様なサイトがあるので、ほぼ同じサービス・情報が得られるのだと。

5.本当に覇権主義国家なのか?
中国の人口は13億人。13億人をまとめるのは大変な仕事であり、中国の指導者が最も恐れているのは国内の分裂だ。インターネットにより情報統制は不可能となったので、国民の世論が爆発しそうな国家主権と領土保全問題には、強い態度を取らざるをえない。これが中国が「核心的利益」を追求する背景だ。

6.途上国なのか超大国なのか?
経済規模はアメリカに次ぐ規模だが、いまなお「戦略的途上国」の立場を取るという「ダブルスタンダード」がある。加藤さんは「戦略的途上国」を卒業せよと訴えているという。

先日読んだ「2011〜2015年の中国経済」という東大の田中修教授の本の最後にも”中国は「大国」か”という文があった。

2011~2015年の中国経済―第12次5カ年計画を読む2011~2015年の中国経済―第12次5カ年計画を読む
著者:田中 修
蒼蒼社(2011-07)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

田中教授は「心・技・体」が揃わない中国はまだ大国とはいえないと、加藤さんと若干異なる観点から同様の結論を出していた。

7.反日感情はどの程度なのか?
中国は第2次世界大戦の戦勝国であり、日本軍国主義と戦って勝利し、戦禍と貧困にあえぐ中国人民を解放し、新生中国を建設したのは共産党だという「建国神話」がある。(筆者注:これが「神話」である理由は、日本を倒したのは米国とその圧倒的な武器・物資支援であって、共産党は山の中に閉じこもっていただけという見方があるためだ)

そのため「親日国」ではないが、日本製品の評価は高く、親日的な人もいる。


日中関係について

加藤さんは、尖閣列島沖中国漁船拿捕事件の時に、中国政府がレアアースの輸出停止を打ち出したのは、中国政府が事前にシミュレーションを行って、先手を打ってきたものだと語る。

中国は天安門事件の反省から、1990年代から「愛国教育」を行ってきた。その結果、「反日は正義」と考える若者が「日本の横暴を許すのか!」と爆発してしまう新しいリスクが生じてきている。

中国政府にとって、日本と敵対するメリットはなにもないが、反日は「建国神話」ともつながり、厳しい態度を取らざるを得ないのだ。

だから小泉首相の靖国問題が一段落すると、当時の谷内外務次官と戴秉国(たいへいこく)外交部常務副部長との間で、「日中総合政策対話」を始め、その成果として「戦略的互恵関係」を打ち出した。

これは以前紹介した、宮本前駐北京日本大使の「これから中国とどう付き合うか」に詳しい。

これから、中国とどう付き合うかこれから、中国とどう付き合うか
著者:宮本 雄二
日本経済新聞出版社(2011-01-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

その象徴的なできごとが、東日本大震災に際し、中国が日本に初めて救援物資を送り、救援隊を送ったことだ。

中国は3000万元(3.8億円)の救援物資と15名の救助隊を派遣し。約20億円のガソリン、ディーゼルオイル、ミネラルウォーターなどを日本に初めて送った。


「暇人」という政治勢力

加藤さんは若者と並び、失うものを持たない政治勢力があるという。それを仮に「暇人」と呼んでいる。仕事はしないが、不動産はあるので最低限の生活はできる人たちだと。

この「暇人」=政治パワー論は初めて聞いた。まさに北京で学生・民衆と一緒になって生活していないと分からない指摘なのだと思う。


日本の政治不在に警鐘

加藤さんは日本の政治不在にも警鐘を鳴らしている。

中国の四川省大地震の時に、温家宝首相はその日のうちに被災地入りし、胡錦涛主席が5日目に現地入りした。

トップダウンで取り組む姿勢が明らかだし、わかりやすい。

さらに四川大地震の復興には、自治体レベルの復興支援が機能した。たとえば北京市がA市、上海市がB市、天津市がC市という具合だ。

一方日本の菅直人首相が現地入りしたのは23日後、それ以前はヘリコプターで上空から視察しだたけだった。

中国と対比するとリーダーシップ不在の日本の現状が浮かび上がる。中国は3.11以降、トップダウンですべての原発計画を白紙に戻している。


見方がちょっと外人化?

加藤さんは3.11地震の翌週の月曜日にいつも通り通勤する東京のサラリーマンを見て驚いたという。

「今日くらいは家族と一緒に過ごしたらどうなんだ?ここで有給休暇を使わずしていつ使うのか?」。日本人は忍耐心や我慢心が強すぎるのではないかと。

加藤さんに指摘されるまで、そんな考えは思いもつかなかった。筆者自身も家では本棚の本が倒れたり、ランプや飾り皿などが破損するという被害があったが、会社を休むという発想は全くなかった。

IMG_6281











IMG_1323











あの時は日本人誰もが、大地震・津波から一刻も早く"Business as usual"、いつもの状態に戻ろうとしていたのだと思う。その意味で加藤さんの「休みを取る」という発想には違和感を感じる。

やはり日本に住んでいないと、良い意味でも悪い意味でも一般的な日本人のセンスとはズレる部分があるようだ。


若者よ海外に出でよ

最後に加藤さんは、日本の若者に海外に出ようと呼びかける。

具体的にはすべての大学生に2年間の猶予を与え、1年間は海外留学、1年間は社会で介護事業などでインターンとして働くことを提案している。1年間の留学費を後半の1年間の労働でまかなうのだと。

筆者も24歳でアルゼンチンに赴任した。加藤さんのアイデアの実現性はともかく、是非日本人には”ローリスク・ハイリターン”の海外を目指して欲しい。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。

  
  
Posted by yaori at 00:14Comments(0)TrackBack(0)

2011年07月10日

チャイナインパクト 在中国日本大使館経済部アタシェの現場レポート

チャイナ・インパクトチャイナ・インパクト
著者:柴田 聡
中央公論新社(2010-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

大前研一氏にも2002年発売の同タイトルの本があるが、こちらは財務省から北京の中国大使館に出向している柴田聡さんによる中国経済の分析レポート。柴田さんは1996年にはスタンフォードでMBAを取っており、2008年6月から北京に赴任している。

柴田さんのお母さんは1944年中国河北省生まれ。祖父がシベリアに抑留されたので、祖母が中国人に助けられて、生まれたばかりのお母さんを連れて命からがら日本に引き揚げたという。中国には縁のある一家だ。


GDPでは中国は世界第2位

2010年に中国はGDP総額では日本を抜き世界第2位となった。

日本と中国のGDPの比較がこの本に載っているので紹介しておく。中国の経済規模が日本の半分になったのは、わずか5年前のことだ。しかし日本がマイナス成長を繰り返している間に、中国は10%以上の成長を遂げ、遂に日本を追い抜いたのだ。

scanner036






出典:本書25ページ


4兆元(60兆円)の緊急経済対策

リーマンショック後、いち早くV字回復し、世界トップクラスの経済成長率を維持している中国経済の強みは「政経一体システム」にある。4兆元(60兆円)という内需拡大策のほとんどはインフラ投資だ。同時に個人消費拡大のための自動車取得税減税と農村への家電普及補助金を導入し、これらも大成功を収めた。

4兆元はGDPの13%に当たる金額で、日本や米国の緊急対策がGDPの1−2%に留まっていたことを考えると、規模の大きさは際だっていた。

この4兆元の経済対策は次の10項目だ。

1.低所得者向け住宅等の建設

2.農村インフラ建設 ー 全体の9%

3.重要インフラ(鉄道、道路、空港等)の整備 ー全体の45%

4.医療、教育等の民生事業の強化 ー全体の1%

5.環境対策の強化(汚水、ゴミ処理、省エネ、CO2排出量削減)

6.産業構造改革の加速(技術革新、リストラクチャリング)ー 全体の4%

7.四川省地震地区の災害復興の加速 ー 全体の25%

8.都市農村住民の収入向上(農産物最低買い上げ価格の引き上げ等)

9.減税措置(増加値税改革の全国実施等)

10.経済成長のための金融による下支え強化(商業銀行の与信貸出制限撤廃等)

これを発表したのが最強の経済官庁・「国家発展改革委員会」のトップの張平主任だ。

自動車は2003年の100世帯当たり1.4台から2009年には10.4台に急増。カラーテレビは農村部100世帯当たり、1990年の5台から、2009年には109台となり、一世帯に一台以上になってきた。それでもGDPに占める消費の比率は36%(日本は60%)に過ぎず、まだまだ伸びる余地がある。


中国政府は「巨大不動産デベロッパー」

中国政府が思い切った内需拡大策を実施出来る理由の一つは諸外国と比べて格段に低い債務比率である。さらに土地は国有だが、利用権を売買するという形で、地方政府自体が「巨大デベロッパー」として、日本でいう第三セクター方式(地方融資プラットフォーム)で土地利用権を使っての錬金術ができることだ。

内陸部への開発が進めば進むほど、地方政府は土地の使用料を高く売れ、それゆえ巨大開発を促進できるというエンジンとなっている。


中国経済のリスクは多い

中国経済のリスクは、不動産バブル、地方政府の債務償還能力の低さ、土地依存財政、労働コストの大幅上昇(北京市の最低賃金は2割引き上げられ、1万3千円/月となった)、大規模ストライキ、投機資金の流入などが生じている。


しかし、長年の課題となっていた不良債権問題は、主要金融機関に巨額の資本注入を行って、不良債権比率を2002年の26%から1%にまで低下させて解決した。日本のバブル後の不良債権比率が8.4%だったことを考えると26%は非常に高い数字だが、これを今や1%に抑え込んだ。

その結果4大銀行の中国政府持ち株比率は次の通りだ。

中国銀行   68%
中国工商銀行 35%
中国建設銀行 57%
中国農業銀行 50%

その上で外貨準備を使って2007年9月に2,000億ドルの中国版SWF(政府系投資ファンド)のCICを設立し、ブラックストーン、モルガンスタンレーに出資するとともに、金融機関への出資金を引き継いだ。

中国のSWFともいえる国家投資の関係図は次の通りだ。

scanner037









出典:本書229ページ

2007年にブラックストーンとモルガンスタンレーに投資しているが、これはリーマンショックで高値づかみとなり、2008年はマイナス2%と赤字だったが、2009年の投資利回りは11.7%と回復している。


日本のバブル処理を徹底研究

このように日本のバブル処理を研究した中国政府の経済運営手腕は見事なものがある。

「経済刺激策で最も避けるべきは、途中で投げ出すことであり、元日本銀行総裁の速水優氏のように落とし穴に陥ることである」と経済誌は解説し、日本のバブル崩壊後の経済政策を研究しつくして、歴史の教訓としていたという。

「日本はアメリカの圧力を受けて大幅な円高を受け入れた結果バブルがはじけて経済がダメになった」と、中国の経済学者からよく聞かされるという。

しかしこれは途中の金融緩和による過剰流動性がバブルを起こし、その後の不良債権の大量発生につながったというプロセスが省略されている。

中国の輸出がGDPに占める比率は33%と極めて高く、日本の倍だ。人民元を切り上げれば、輸出競争力にモロに影響する。従って人民元問題は国際問題であるとともに、雇用・社会安定に直結する国内問題なのだ。


消費エンジン拡大が今後の成長のカギ

2010年は輸出主導の規模拡大路線の限界に来ており、消費を成長エンジンに転換する時期だと柴田さんは語る。中国の個人消費のGDP比率は2009年で36%で、アメリカの7割超はもとより、ブラジルの60%、インドの54%と比べても低い。

まだまだ消費を伸ばす余地はあるのだ。その一つがサービス業の発展である。北京や上海等の一部大都市を除けば、近代的な流通業は普及しておらず、コンビニもスーパーマーケットもない都市がまだまだ多い。


中国の問題点

グローバルに通用する一流企業がほとんどない。中国移動通信、中国石油など、資産規模や株価総額で世界トップクラスの企業はあるが、華為(ファーウェイ)を除くとほとんどグローバル企業がない。

他にも地域経済格差、農村部の貧困と高齢化、裁判官の独立性がないなどの問題点は多い。

中国はGDPの総額では世界NO.2となったが、ひとりあたりGDPでは100位にも入っていない。中国はその意味ではまだまだ発展途上国なのである。


日本の生きる道

2010年に中国に抜かれた日本経済の先行きを悲観する人もいるが、柴田さんはむしろ日本のすぐ近くにある中国という巨大市場を利用して、中国の台頭という歴史的好機を逃がさず、中国の成長によってもたらされる冨を吸収していくことが大事だと語る。

日本も中国も歴史問題や尖閣列島問題など様々な隣国であるがゆえの感情問題はあるが、経済大国同志で冷静な判断のもとに互恵関係を保ち、米国、EUに匹敵するアジアという大経済圏の構築を目指すべきだと柴田さんは提言している。


読みやすくよくまとまっている中国経済レポートである。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。



  
Posted by yaori at 01:16Comments(0)TrackBack(0)

2011年05月28日

田中角栄 封じられた資源戦略 日本の原子力・エネルギー戦略の基礎は田中角栄がつくった

田中角栄 封じられた資源戦略田中角栄 封じられた資源戦略
著者:山岡淳一郎
草思社(2009-10-22)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

故・田中角栄元総理を中心とした日本の資源外交についての本。

1973年に第四次中東戦争を契機とするオイルショックが起こり、米国やロスチャイルド、ロックフェラーなどの国際財閥が日本を抑えつけようとしたにもかかわらず、日本は田中角栄の強いリーダーシップで独自の資源外交を展開した。

田中角栄が日本の原子力・エネルギー戦略の基礎をつくったのだ。

もっとも田中角栄といっても、若い人にはピンとこないかもしれない。田中眞紀子元外相のお父さんといった方がよいのかもしれない。

中学卒の苦労人ながら、政治センスと戦略的判断はバツグン。土木業界出身なので「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれていた。

ちなみにこの本の表紙の写真で、田中角栄の後ろに座って横を向いているのが、若き日の小沢一郎だ。

田中角栄について詳しく知りたい人には次の本を紹介しておく。マンガが多く、簡単に読めると思う。

知識ゼロからの田中角栄入門知識ゼロからの田中角栄入門
幻冬舎(2009-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


東電の原発事故が起こったこともあり、日本の原子力政策や資源政策がどのような経緯で現在に至っているかを知るために読んでみた。


アイゼンハワーのアトムズ・フォー・ピース

原子力研究は当初、第2次世界大戦中のアメリカの「マンハッタン計画」で、広島・長崎に落とされた原子爆弾をつくるために進められ、第2次世界大戦直後の東西冷戦時代には原子爆弾より強力な水素爆弾も開発された。

原爆や水爆開発に利用されていた原子力をアメリカのアイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)を呼びかけ、これを受けて全世界に原子力発電所や核関連施設が続々建設された。

これに伴い、原子炉メーカー、核燃料濃縮事業、核燃料再処理事業、ウラン資源確保などの分野で各国の企業が政界を巻き込んで激しい競争が繰り広げ、買収・汚職・リベートなどの工作資金も使うという事態が各国で起こっていた。

日本もこの流れに乗って原子力発電を推進した。日本の原子力政策の基礎をつくったのが田中角栄だった。

日本は戦前から理化学研究所の仁科研究室で、サイクロトロンをつくって核融合を研究していたが、敗戦後進駐軍にサイクロトロンを東京湾に投棄させられ、一旦日本の原子力研究には幕が引かれた。

田中角栄は新潟から15歳で出てきて、一時理化学研究所で働いた。理化学研究所総帥の大河内正敏氏にかわいがられたという。原子力研究とは元から縁があったのだ。

アイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォー・ピース」政策を受け、日本では読売グループの総帥・正力松太郎がイギリスの原子炉技術を推す。いわゆる「大・正力」と呼ばれる人で、政界入りして総理大臣を狙うという野望を抱いていた。

ちなみに正力から当時若手政治家の中曽根康弘の相手役として指名されたのがナベツネ、渡邉恒雄だったという。

この当時CIAが日本の政治家に秘密資金を提供していたことが、最近公開されたアメリカ政府内部資料でわかっている。結果として日本は英国製原子炉でなくアメリカから軽水炉原子炉技術を買うことになった。

福島型原発のBWR(沸騰水型)と、関西電力などのPWR(加圧水型)はいずれもアメリカの技術で開発された軽水炉だ。

フランスはアメリカ・イギリスと距離を取り、独自の原子力利用技術を磨いた。ドイツはKWUという原子炉メーカーがあったが、現在はシーメンスの一部門となり、フランスのアルバと協力している。

ちなみに筆者の住んでいたアルゼンチンの原子炉はこのKWU製で、たしかイスラエルが完成前に爆撃したイラクの原子炉を建設していたのもKWUだったと思う。


オイルショックと日本の資源政策

田中角栄の首相在任は1972年7月から1974年12月まで。わずか2年半の在任期間だったが、この間の1973年10月に第4次中東戦争が勃発。アラブ諸国が親イスラエル国には石油を売らないという政策に転じたことから、第一次オイルショックが起こるという激動の時代だった。

オイルショックが日本の資源政策に大きな影響を与えた。この本では石油確保のために次のような政策を打ち出したことが書かれている。

★親イスラエルと見なされないために、アメリカの圧力にもかかわらずアラブ諸国に必死でアプローチした
★インドネシア石油の新しい輸入ルートをつくった
★最初の「日の丸油田」として日本アラビア石油がカフジ油田を開発した
★北海油田開発にも参加した。出てきた原油は欧州で販売し、代わりにアジアで原油を受け取るスワップ取引を進めた
★ロシアのチュメニ油田の開発交渉
★日本全体のエネルギーに占める原子力発電の比率を上げた



日本の原子力発電

原子力発電では1976年のアメリカ・スリーマイル島の原発事故以来、アメリカでは原子炉は一基も新設できなくなった。新規の原子炉建設は、日本などがメインになった。

1986年のチェルノブイリ原発事故からは、ヨーロッパでも新規の原子力発電所建設がほぼストップしたので、原子力発電比率が世界一高いフランスを除いて欧州企業は、原子力ビジネスから次第に撤退していったが、日本は国策としてCO2排出量が少ない原子力発電の比率をむしろ上げる方向だった。

そのために必要なのがウラン資源の確保だ。

田中首相の時代にフランスと濃縮ウランの委託加工を決定する。当時の朝日新聞の記事がこの本で引用されているので、紹介しておく。

「日本がフランスに濃縮ウランの委託加工を依存することは、米国の『核支配』をくつがえすことをねらったフランスの原子力政策を一段と推進するばかりか、米国の核燃料独占供給体制の一角が崩れることを意味し、世界的に与える影響は極めて大きい」

原出典:朝日新聞 1973年9月28日付

田中首相と当時のポンピドー大統領はパリで会談し、ポンピドー大統領は「モナリザ」の日本貸出を申し出、田中首相を喜ばせたという。田中首相は「これが本当のトップ商談というものだよ」と語っていたという。

田中首相は他にもオーストラリアやブラジルでのウラン資源開発、カナダからのウラン鉱の輸入を積極的に推し進めた。


アメリカの圧力

当時のアメリカ大統領はフォードで、国務長官はキッシンジャーだった、フォード政権は田中首相の独自資源外交を好ましくないと思っており、1973年に行われたフォード・田中会談は予定時間の半分のわずか1時間で切り上げられた。

田中首相は米国の冷淡な態度に圧力を感じたが、逆にいかに脅されても資源外交に突き進もうと覚悟を決めた。


首相退陣とロッキード事件

1974年10月号の文藝春秋に掲載された立花隆の「田中角栄研究」が田中金脈問題を告発し、1974年12月に内閣総辞職に追い込まれた。

田中角栄研究―全記録 (上) (講談社文庫)田中角栄研究―全記録 (上) (講談社文庫)
著者:立花 隆
講談社(1982-08)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

1976年には米国でロッキード社が日本でもワイロ工作をしていることを暴露、田中角栄は全日空がロッキード・トライスター機を購入したときの口利きで、5億円を受け取ったとして受託収賄罪で逮捕される。ロッキード事件だ。

その後田中角栄は政界のキングメーカーとして隠然たる影響力を持ち続ける。首相在任中から高血圧に悩まされており、次第に政治力は衰え、1993年12月に75歳で死去する。ロッキード事件の収賄罪は結局最高裁まで争ったが、被告人死亡のため棄却された。


毀誉褒貶は激しいが、偉大な政治家

毀誉褒貶は激しいが、田中角栄が偉大な政治家であることは間違いない。田中角栄に比べれば、今の政治家は本当に小粒に思える。田中角栄の功績のいくつかを紹介しておく。

★通産大臣に就任してすぐにアメリカとの繊維交渉にあたり、それまで3年間かかっても決着していなかった交渉を、佐藤首相に直談判して「繊維は任せた」と言質を取った。交渉をまとめるため繊維業界の損失補償に2,000億円の予算を大蔵省に了承させた。

大蔵省との交渉に向かう通産官僚に持たせた名刺には「徳田博美主計官殿 繊維問題解決のため2000億円ご用立て、よろしく、頼む。田中角栄」と書いてあったという。就任わずか2−3ヶ月で対米交渉を決着させ、大蔵省の主計官に直接話をつける大臣に通産官僚は意気に感じたという。

★1972年2月に日本の頭ごなしでニクソンが訪中した。田中角栄は首相就任後すぐ1972年9月に訪中し、周恩来首相と国交回復交渉にあたった。日本軍の残虐行為を具体的に指摘する周恩来首相との交渉は、何度も決裂しそうになったが、田中首相はジョークで切り抜けたという。

「私も陸軍二等兵として、中国大陸に来ました。いろいろ大変な迷惑をおかけしたかもしれません。しかし、私の鉄砲は北(ソ連)を向いていましたよ」

当時中ソ関係は冷え切っていた。これで周恩来はそれ以上追求するのをやめたという。

条約文の交渉では、周恩来が条文にこだわる高島条約局長を「法匪」(ほうひ)と呼ぶなど、膠着状態に陥りそうになったが、毛沢東が急遽田中首相との会見を入れ、「もうケンカはすみましたか。ケンカをしないとダメですよ」と水を向けた。中国側も折り合い日中共同声明が成立し、国交が復活した。

周恩来は帰国する田中首相を特別機のタラップの下まで見送りに来た。

アメリカはニクソンが1972年2月に訪中して日本の先を越すが、台湾ロビーの巻き返しで、中国と正式に国交回復したのは1979年のカーター大統領の時だ。日本の国交回復のすばやさが光る。

★1956年の日ソ国交回復時の鳩山総理以来はじめて、総理として1973年にソ連を訪問し、当時のブレジネフ書記長と会談し、「領土問題が未解決」なことを確認する。

ただしブレジネフは「諸問題」と複数形にして欲しいと言ってきたので、日ソ共同声明にはその通り記載された。

山岡さんは、環境エネルギー政策研究所の飯田所長の「日本版グリーン革命で経済・雇用と立て直す」から引用して、日本でグリーンエネルギー利用が進まない原因として「電力幕藩体制」が自然エネルギー利用を阻んでいると指摘する。

日本版グリーン革命で経済・雇用を立て直す (新書y)日本版グリーン革命で経済・雇用を立て直す (新書y)
著者:飯田 哲也
洋泉社(2009-06-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

「田中角栄がもし生きていたら、エネルギー供給源を多角化し、「持たざる国」日本の危機を回避するためにグリーン・ニューディールに突っ走った、と想像する自由は残しておこう」というのが山岡さんの結びの言葉だ。

タイトルから想像して、アメリカからの各種の妨害工作やサボタージュで、田中角栄が主導する多角的資源確保戦略が邪魔されたという内容だと思って読んだが、アメリカの圧力の部分はあまり書いていない。

ちなみにこのブログで紹介した元特捜検事の田中森一さんは「反転」の中で、「ロッキード事件はアメリカ側からの仕掛けという説も根強いが、うなずける面もある」と語っている。

「田中角栄は、ソ連への経済援助やシベリア共同開発、中国との国交回復など、従来のアメリカ一辺倒から、よりグローバルな国際外交戦略に転じようとしていたので、日本を属国とみるアメリカの怒りをかったのではないか。

現にアメリカの異常ともいえる捜査への協力は、田中政権つぶしの意思をあからさまに示していたのではないか。」

反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)
著者:田中 森一
幻冬舎(2008-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


福島原子力発電所事故以来、日本のエネルギー政策は抜本的な見直しが必要となってきている。そのためには田中角栄のような使命感を持った馬力のある政治家が必要なのだが、今の政治家には誰一人として適任者は見あたらない。

現在メインテナンス休止中の原子炉はすべて再稼働が延期されており、日本の原子力政策はヘッドレスチキン状態にある。このままでは日本全国で電力不足という事態となりかねない。

先日紹介した原子炉廃止論を言い続ける広瀬隆さんは、日本には原発は必要ないと言うが、筆者はそうは思わない。

原子炉時限爆弾原子炉時限爆弾
著者:広瀬 隆
ダイヤモンド社(2010-08-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

基地問題と同様に、NIMBY(Not In My Back Yard=総論賛成、ただし自分の町には来ないで欲しい)という問題はあるが、地球温暖化の最も有効な解決策として、日本に原子力発電は必要だ。原発がある自治体も原発受入による雇用拡大と金銭的メリットがあるので今まで受け入れているわけだ。

いままで日本では廃炉の実例は少ないが、米国ではすでに筆者がピッツバーグに駐在していた時から廃炉は進められている。ちなみに筆者の駐在したピッツバーグ郊外にはアメリカで最初の原発のシッピングポート原発があり、この一号機は15年ほど前に廃炉になった。

日本でもこれからは廃炉と新規建設で新陳代謝を図ることになると思う。日本のエネルギー戦略を見直す意味でこの本は参考になった。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。


  
Posted by yaori at 22:35Comments(1)TrackBack(0)

2011年05月25日

日韓がタブーにする半島の歴史 新羅(しらぎ)の基礎は倭人がつくった?

日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)
著者:室谷 克実
新潮社(2010-04)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

エキセントリックなタイトルなので読んでみた。元時事通信ソウル特派員の室谷克美さんの本だ。

室谷さんは、「韓国人の経済学」や「朝鮮半島」などの著作がある。

最初に韓国の金泳三大統領が1994年に来日した時の、天皇のお言葉を紹介している。

「貴国は我が国に最も近い隣国であり、人々の交流は、史書に明らかにされる以前のはるかな昔から行われておりました。そして、貴国の人々から様々な文物が我が国に伝えられ、私共の祖先は貴国の人々から多くのことを学びました」

室谷さんは、天皇のお言葉に代表される、半島経由で中国文化を学んだという「常識」にあえて異議を唱えるという。

「半島に初めて統一国家を築いた新羅の国づくりを指導したのは、倭人であり、新羅も百済も倭国のことを文化大国として尊敬していた」という。

その出典は韓国最古の正規歴史の「三国史記」(1145年完成。全50巻)に次のような記述があるからだという。

「列島から流れてきた脱解(タレ)という名の賢人が長い間、新羅の国を実質的に取り仕切り、彼が四代目の王位につくと、倭人を大輔(テーポ、総理大臣)に任命。その後脱解の子孫からは7人が新羅の王位につき、一方で倭国と戦いながら、新羅の基礎をつくった」

7世紀の中国の「隋書」にも新羅、百済が倭国を大国とみていたという記述があるという。

この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。章題だけ紹介しておく。

序章  陛下の「お言葉」ではありますが

第1章 新羅の基礎は倭種が造った

第2章 倭国と新羅は地続きだった

第3章 国民に知らせたくない歴史がある

第4章 卑怯者を祀る(まつる)OINK(Only in Korea)

第5章 「類似神話」論が秘める大虚構

第6章 「倭王の出自は半島」と思っている方々へ

終章  皇国史観排除で歪められたもの

もともとは2倍くらいの分量があったものを、新潮社のアドバイスでコンパクトにしたものがこの本だという。

室谷さんは時事通信のソウル特派員から帰国した直後に初めての本、「『韓国人』の経済学」という本を書き、当時急成長を続けていた韓国経済の弱点を指摘したという。

1.韓国人は儒教に染まりきっているので「額に汗して働くこと」を蔑視しているから、まともな工業製品はできない。

2.その国の経済は統計数値をごまかしているので表面はピカピカだが、実は「外華内貧」だ。

新版 「韓国人」の経済学―これが「外華内貧」経済の内幕だ
著者:室谷 克実
販売元:ダイヤモンド社
(1989-01)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


「倭王(あるいは天皇)は半島から来た」と漠然と思っている人は特にインテリに多い。その根拠は江上波夫の「騎馬民族国家論」だろうと室谷さんは語る。

騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ (中公新書)騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ (中公新書)
著者:江上 波夫
販売元:中央公論社
(1991-11)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

2009年12月に韓国を訪問した当時の小沢一郎民主党幹事長は国民大学での講演で、江上説を敷衍して「天皇家の出自は朝鮮半島南部、いまの韓国」として、観衆を沸かせた。この時の映像がYouTubeにアップされている。



中国の正史も韓国の正史も倭王の出自について何も書いていない。それは書いていないのではなく、当然のことながら純粋倭人だからだと室谷さんは語る。

そもそも倭人は九州北部を中心とする列島だけではなく、半島南部にもいた。だから半島南部で発掘された遺骨と、九州北部の弥生人の骨格などがきわめて似ているという。


筆者の意見
これはあらすじブログなので、筆者の意見はあまり出さないようにしているが、この本については違和感を覚えるので、次に筆者の意見を書く。

上記で紹介した小沢一郎の発言をキャプチャー付きでYouTubeにアップした人も室谷さんも、日本人の大半(そして天皇家も)が半島が出自だというのは受け入れがたい説なのかもしれない。

そういう人にはこのブログでも紹介したIBMのジェノグラフィック・プロジェクトを紹介しておく。



YouTubeの映像は英語版のみだが、IBMのサイトの映像は小さい画面だが日本語キャプチャー付なので日本語字幕付きはIBMのサイトの映像を見てほしい。

要は筆者の言いたいのは、ジェノグラフィックプロジェクトで6万年まえにさかのぼれば「世界人類みな兄弟」が、標語ではなく事実だということがわかってきているのに、たかだか2千年前の日本人、そして天皇家の祖先が朝鮮半島から来たとか、いや元々日本列島だとか議論することが意味があるのかという点だ。

みんな元々6万年以上前にアフリカから各地に移り住み、その地に定着して環境に適応した。日本人も韓国人も、黒人も白人も出自はアフリカで同じである。

特に東日本大震災以来、世界各国が日本をいろいろな形で支援してくれているのに、祖先が半島から来た・来ないという2千年以上前のことに、いつまでこだわるつもりなのだろう。

その意味で、この本には強い違和感を持った。
  
筆者は駐在した国や都市(米国とアルゼンチン)には、良い点も悪い点もあるが、強い愛着を感じている。しかし中には駐在した国を徹底的に嫌いになる人もいる。この本の著者の室谷さんも嫌韓派のようだ。

しかしある国のことや歴史を紹介するなら、プラスの事実もマイナスの事実も両方紹介したうえで、極力客観的に評価を下すべきではないのかと思う。

室谷さんの本は、見方がワンサイドな点が残念である。

せっかくいろいろ資料を読み込んでいるので、室谷さんの説に反するたとえば江上教授の騎馬民族起源説などの資料も比較して紹介すればより良かったのではないかと思う。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。



  
Posted by yaori at 12:56Comments(1)TrackBack(0)

2011年05月18日

これから、中国とどう付き合うか 宮本・前駐中国大使ソフトパワー交流のススメ

+++今回のあらすじは長いです+++

これから、中国とどう付き合うかこれから、中国とどう付き合うか
著者:宮本 雄二
日本経済新聞出版社(2011-01-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

昨年まで駐中国日本国全権大使を勤められ、伊藤忠出身の丹羽さんと交代した宮本雄二大使の中国関係論。宮本大使は外務省のいわゆるチャイナスクールの代表格だ。

「中国と予測可能な協力関係を築くことができる稀有の機会」が出現していると宮本大使は強調する。

尖閣列島中国漁船衝突事件などの問題が生じるにつけ、日中間では深刻な問題が存在しているように思う人が大半かもしれないが、2008年の胡錦涛国家主席の来日時に福田首相と署名した日中共同宣言に定められた「戦略的互恵関係」で、日中関係は新しい時代を迎えた。


日中間のもめごと

1972年の日中国交回復以来、宮本大使は日中間のもめごとを次のように整理している。

1.歴史問題
2.領土問題
3.台湾問題
4.海洋進出と海軍の増強問題

3.の台湾問題については、「ひとつの中国」は常識中の常識であり、台湾が祖国復帰しないかぎり、屈辱の歴史は終わらないというのが絶対法則だ。日米にとっては、中国の立場に配慮しながら、台湾との関係を可能な限り残すというのが交渉ポジションとなる。最後の4.は最近加わったものだ。

日中間の特有の問題は1.の歴史問題だけで、他の問題は他の国も中国との間に抱えている問題である。

この歴史問題の整理がついて、「日中戦略的互恵関係」樹立が可能となった。しかし、これからも日中関係は平穏無事とは限らない。日中の国民感情も脆弱なので、対立や紛争を回避する努力を今後も行う必要がある。

日本が中国にとって必要な無視できない存在であり続けるためには、科学技術や快適な社会をつくりあげるソフトパワーの強化が急務である。

特に科学技術の分野では日本は中国の一歩先を歩まなければならない。中国問題は日本自身の問題なのだ。

宮本大使の好きな言葉だという「等身大」の相互理解を進めるためにも、歴史を振り返り、相手をより正確に理解し、問題を正確にとらえ、新しい時代の日中関係を考えようというのがこの本の趣旨だ。


中国のクイックレビュー

中国は日本の国土の25倍、アメリカとほぼ同じだ。人口は日本の10倍の13億人、55の少数民族が居て、人口の90%は漢民族である。

中国共産党一党支配の国で、共産党は4つの基本原則を掲げている(中国共産党の党員数は7,500万人)。

1.社会主義
2.中国共産党の指導
3.人民民主独裁
4.マルクス・レーニン主義と毛沢東思想

毛沢東死後、華国鋒が毛沢東の「2つのすべて」(1.毛沢東の決定はすべて変えてはいけない。2.毛沢東の指示にはすべて従う)を打ち出した。これに対して小平が論戦を挑み、勝利した。

小平は「黒猫で白猫でも、ネズミをとればよい猫だ」と語り、改革開放政策を推し進めた。その後ソ連の書記長に就任したゴルバチョフがペレストロイカ(改革)を開始、ソ連・東欧に改革の嵐が吹き荒れ、中国でも1989年に天安門事件が起きた。

天安門事件で民衆を武力で弾圧してからは、政治的には保守化した。この状況に小平は危機感を強め、さらに経済の大胆な改革を推し進めるよう「南巡講話」を発表した。政治的には保守化傾向は変わらなかったが、独特の社会主義市場経済は発展し、現在の中国の発展に繋がる。

中国共産党の適応能力は高いが、腐敗と汚職はむしろ悪化している。中国共産党は憲法の適用を受けないという位置づけになっているからだと宮本大使は語る。

中国の友人には「いくら名医でも、自分の病気の手術はできない」というたとえで説明してきたという。今の体制のままでは、原因は突き止められても、除去はできないからだ。

この本で宮本大使は、外務省のチャイナスクールの主要メンバーとして、中国との外交交渉に通訳兼担当官として携わった当時のエピソードを披露していて興味深い。

1969年のダマンスキー島附近での中ソ武力衝突の後、中国はソ連の核攻撃の危険にさらされていた。それが中国が米国にアプローチしてくる原因となったが、日本との交渉でも「反覇権条項」を入れるよう求めてきたという。

この本では1972年の日中共同声明、1978年の日中平和友好条約が参考文書として添付されている。


小平と日本の経済協力

中国の現在の開放経済は小平がグランドデザインを書いたと言える。小平は2度失脚して、2度復活している。

小平は1956年に党中央書記処総書記となり、毛沢東が大躍進政策の失敗の責任を取って公務から退くと、国家主席の劉少奇と一緒に中国経済の立て直しに尽力した。文化大革命が始まった直後の1968年に総書記を解任され、翌年江西省南昌に下放される。これが第1回目の失脚だ。

江西省南昌では暖房もない住居で、トラクター工場や農場での労働に従事させられたという。

1973年に周恩来に呼び戻され、国家副主席として復活する。1974年には国連資源総会に中国代表団の団長としてアメリカを訪問し、アメリカの偉容に驚嘆する。

しかし1976年に周恩来が死去すると、周恩来追悼に集まった民衆を四人組が送った軍隊が弾圧するという第一次天安門事件が起こり、四人組によって再び失脚させられる。

1976年9月に毛沢東が死去すると後継者の華国鋒が四人組を逮捕し、1977年に小平は2度目の復活を果たし、国務院常務副総理、党副主席、中央軍事委員会副主席兼人民解放軍総参謀長に正式に復帰する。

1978年10月に日中平和友好条約の批准書交換のために中国のトップとして初めて日本を訪れ、昭和天皇や日本政府首脳と会談したほか、新日鉄君津製鉄所、東海道新幹線やトヨタ自動車などの視察を行なった。

そのとき、小平の頭のなかの中国現代化のイメージが、すでに現代化を達成していた日本と重なった。中国現代化の最も重要なモデルのひとつに、日本が選ばれた瞬間である」と宮本大使は表現している。

小平は日本からの帰国直後の1978年12月の第11期三中全会で、「改革開放政策」を打ち出し、圧倒的な支持を得て、中国の最高権力者の座を確保する。

ちなみに尖閣列島は歴史的にも国際法的にも日本の固有の領土だとという立場を取り、実行支配をしている。これに対し中国(台湾も)は1971年から自国の領土だと主張し始めた。

その後小平は棚上げによる共同開発案を出し、これが中国政府の公式見解として現在に至っている。


中国を一貫して支援してきた日本

小平の路線の延長が現在の中国の発展だ。中国は日本のGDPを超えるほどの経済的成功を収めているが、宮本大使は中国の改革開放の道のりは決して平坦なものではなく、困難な時期にある中国を一貫して懸命に支えたのは日本だけだった。

★1970年代後半の改革開放政策初期の頃、中国に資金と技術の支援をしたのは日本だけだった。このころの日中友好の証しが、上海の宝山製鉄所だ。

筆者は1983年に宝山製鉄所を訪問した。たしか当時はまだ高炉が完成していなかったと思う。

上海の川向うにある宝山製鉄所がある場所は、今は浦東地区として高層ビルが立ち並ぶ近代的な地域で、1980年代は高層の建物は全くなかったと思う。

宝山寶館というホテルがあり、技術支援していた新日鉄のエンジニアがたくさん宿泊していた。そこで中国側の人と昼食を一緒にした覚えがある。

宝山製鉄所の建設は、一旦新日鉄や三菱重工、石川島播磨重工業などから主要設備を購入する契約が結ばれたあと、中国が外貨不足でキャンセルするという話が出てきて、宙に浮きそうになった。

新日鉄の人は、そんな契約を後でキャンセルしたり、変更したりという国際ビジネスマナーを守らない中国と根気強く付き合い続けた。その結果、現在の宝山製鉄所があるのだ。このあたりは「大地の子」でも取り上げられているストーリーだ。

大地の子 全集 [DVD]大地の子 全集 [DVD]
出演:仲代達矢
NHKエンタープライズ(2002-09-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


★1989年の天安門事件で世界から孤立した中国に最初に手をさしのべたのも日本だった。

★1999年中国のWTO加盟に際し、主要国のなかで最初に加盟の支持を明したのも日本だった。

これらの事実は中国の人たちにも正確に理解し、記憶しておいて欲しいと宮本大使は語る。

日本は中国に対して1980年から2008年まで3兆3164億円の円借款、1530億円の無償資金協力、1670億円の技術協力を行った。


感謝にこだわる日本、お詫びにこだわる中国

宮本大使は「感謝にこだわる日本、お詫びにこだわる中国」と評しているが、日本からの巨額の援助に対して、最近になって胡錦涛主席・温家宝首相が日本に対する感謝を表明するようになってきた。宮本大使は素直に評価したいと語る。

胡錦涛主席は2008年5月に早稲田大学で演説し、次のように語った、

中国の近代化建設において日本政府は、中国に円借款協力を提供し、中国のインフラ建設、環境保護、エネルギー開発、科学技術の発展を支持し、中国の近代化建設を促進するうえで積極的な役割を果たしました。

日本各界の方々は、さまざまなかたちで中国の近代化建設に温かい支援を提供しました。大勢の日本の方々が中日友好事業のために心血を注がれたことを、中国人民は永遠に銘記します。」


この感謝の演説が「戦略的互恵関係」という新しい日中関係の基礎となったのである。

歴史問題を正しく理解する

中国では1972年の日本との国交正常化を前に、一部の軍国主義者と一般国民・兵士を区分する二分論が考え出されたという。

中国が愛国主義教育をしているから対日感情が悪化しているという見方もあるが、宮本大使は、両親や祖父母から伝えられたものも含めた日本の対中侵略時の原体験に対する痛みや恨みが根底にあることを日本人は決して忘れてはならないと警告する。

英語で言えばファミリー・ストーリーなのだと。中国で仕事をする人は、中国人の痛みに対する理解がないと中国人とのコミュニケーションは不可能だろうと。

宮本大使は1972年の日中国交回復交渉から関係者だったので、田中角栄首相訪中の時の「ご迷惑」発言に、中国側が表現が軽すぎると騒然となったことや、1982年の「第一次教科書問題」(「侵略」を「進出」に変えた)、1986年の「第2次教科書問題」(日本を守る国民会議」編纂の高校日本史教科書の認定問題)などの経緯を振り返っている。

2001年4月に成立した小泉内閣では、首相の靖国訪問が日中関係を悪化させたのは記憶に新しい。小泉首相は、首相に就任した初年度は、2001年8月13日に靖国神社を訪問し、8月15日を避けたことを中国側は「留意」したことになっていた。

しかし2002年4月に小泉首相は海南島のボーアオ・アジア・フォーラムで朱鎔基総理と会談した9日後に春季例大祭にあわせて靖国神社を訪問する。この一件で、朱鎔基総理はメンツを失ったという話は、宮本大使が中国の友人から何度か聞かされたという。

小泉首相在任中は靖国神社参拝のたびごとに日中間の問題が起こり、サッカーのアジアカップでの反日応援や、日本の国連常任理事国入りに反対する各地での反日デモが暴徒化したことなどが思い出される。

小泉首相は、靖国参拝以外の対中政策はリベラルだったが、靖国問題でここまでやられると中国は振り上げた拳をおろせなくなってしまったというのが実情に近いのではないかと宮本大使は語る。

温家宝首相の明確な靖国神社訪問取りやめ要請にもかかわらず、小泉首相は2005年10月に5回目の靖国神社参拝を実施する。すべての日中間の外交交渉はキャンセルされ、新華社は2005年を日中関係で最悪の年と論評したという。


日中戦略討論のスタート

それでも2005年5月から外務省の谷内事務次官と、戴秉国(たいへいこく)外交部常務副部長との間で、「日中総合政策対話」を始めることとなり、これが「日中戦略対話」となり、その後の日中関係を改善する上で重要な役割を果たした。

2006年4月宮本大使は、駐中国日本国全権大使として3度目の北京勤務の辞令を受けた。日中関係は様々な問題で最悪の時期だったが、谷内次官からは次のように言われて勇気づけられたという。

「外務省の同僚でも、日本外交はいま袋小路に入って先が見えないと暗い顔をしている。しかし自分はそうは思わない。いまやっているのはオセロゲームであり、牌の色が一枚変われば全部が変わる。その一枚が中国だと思っている。全力を挙げて対中関係を改善する決意だ。君には中国でそれを支えて欲しい。」

日本の安全保障理事会入りを阻止しようと、中国はアジア、アフリカ、中南米で穏やかな仮面を脱ぎ捨て怖い顔をさらけ出してしまった。これは中国外交の失敗だった。

日中関係がこのままなら、中国の国益を損なうことがはっきりしてきて、胡錦涛主席が2006年3月に表明した「和すればともに利益し、戦えばともに損す」という考えに中国側もなってきた。


安倍内閣が転機

小泉総理は首相任期の最後に念願の8月15日に靖国神社を参拝し、日中関係をこれ以上ない悪化の状態に落とし込んだ。代わりに後任の安倍首相が就任直後に中国を訪問し、「氷を割る旅」で日中関係を新しいステージに導いた。谷内次官と戴秉国副部長の信頼関係と、二人が双方の政治指導者の信頼を得ていたことが「氷を割る旅」を実現した。

谷内ー戴秉国ラインについてははこのブログで紹介した元NHKの手嶋龍一さんの「葡萄酒か、さもなくば銃弾を」に詳しい。

葡萄酒か、さもなくば銃弾を葡萄酒か、さもなくば銃弾を
著者:手嶋 龍一
講談社(2008-04-25)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

宮本大使は、戴秉国氏が事前交渉のために訪日する際に、この任務に成功したら銅像を建てると約束してしまい、戴秉国氏から催促されて困っているという。

安倍訪中時の共同発表で、「戦略的共通利益に基づく互恵関係」という言葉ができ、これが後の「戦略的互恵関係」という日本側が提案したキーワードに結びつく。

2006年10月の安倍総理の「氷を割る旅」に続き、2007年4月の温家宝首相による「氷を溶かす旅」、2007年12月の福田首相による「春を迎える旅」、2008年5月の胡錦涛主席による「暖春の旅」と続くのである。

温家宝首相による代々木公園でのジョッギング、太極拳、立命館大学での野球、京都での農家訪問、福田首相の北京大学での公演後の絶妙な質疑応答と孔子の故郷曲阜訪問、胡錦涛主席の早稲田大学訪問と福原愛選手との卓球、パナソニック本社訪問など、近くで見ていて宮本さんには多くの思い出があるという。

この本の資料として2008年5月の胡錦涛訪日に際しての「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」が添付されていて興味深い。


戦略的互恵関係の意義

戦略的互恵関係について詳しく宮本大使が解説している。

この新しい関係によって、中国は日本を「平和国家」と公式に認め、日本の軍国主義が復活することはないと結論づけられたことの意義が大きい。いわば「モグラたたき外交」から「攻めの外交」に転換することができたのだと。

1世紀という時間の中でも、そう何度も訪れることのない貴重な機会であり、この機会を逃すべきでないと。

歴史問題が、中国では若い世代の民族主義感情を煽り、強い反応を引き起こし、逆に国内の安定に影響を及ぼす図式になったことも、「歴史カード」が使いにくくなった理由の一つだ。

宮本大使は相互理解の大切さを訴えている。中国人の日本研究家は、「中国人は戦前の日本しか知らず、日本人は隋唐の中国しか知らない」と言っていたという。


その他の特記事項

★宮本大使の大学の恩師の高坂正堯さんの印象に残る話があるので紹介しておく。高坂さんはニュースを見たり、聞いたりしないという。時間の無駄だと。毎日のトップニュースのなかで将来の歴史書に書き残されるものは、ほんのわずかで、人類の歴史という観点から残すべき重要な話はほとんど起こっていない。であれば、歴史書を読んだ方がためになる。なぜなら人類が重要だと考えたことだけが記されているからだと。

3月11日からの福島原発事故のテレビ報道を見ていて、筆者も高坂さんの考えに同感だ。原発報道を見ていて、最初から炉心溶融は間違いないと思っていたのは筆者だけではないだろう。地震直後は1号機、3号機の冷却ができず燃料棒が露出しているという報道だった。

誰もが炉心溶融を思ったのに、NHKなどのマスコミは休止中の4号機の使用済み燃料プールの冷却問題、自衛隊ヘリコプターのセミのションベン報道に移り、全く一号機については報道しなかった。

今頃になって一号機の炉心溶融とか言い出しているが、そんなことは元からみんなが分かっていたことだ。

閑話休題

★中国人に北海道旅行ブームを巻き起こした「非誠勿擾」という映画はこれだ。



★中国では「大砲かバターか」の時代となった。一人から1,000円徴収しても1兆3千億円になるので、こういうやり方で北京オリンピックも上海万博もやったが、人口13億人の中国で一人1,000円配ったとしても1兆3千億円の予算が必要だ。

年金や社会保障を充実させるためには、巨額の資金がかかる。そのことを考えれば、世界に雄飛する軍事大国の建設というのは難しい。

★中国指導部は、ソ連の崩壊を徹底的に分析している。ソ連が崩壊した理由の一つがアフガン侵略に代表される帝国主義的行動である。だから中国は領土を求めることはしない。そして、もう一つの理由はソ連がアメリカとの軍拡競争に敗れて国が疲弊したことだ。

中国は湾岸戦争やイラク戦争での米軍の装備と作戦に驚愕した。軍の近代化は一刻も猶予は許されないが、軍備はあくまで祖国防衛が主眼である。

★四川大地震の時の日本の国際緊急援助隊が死者に黙祷を捧げる姿が、中国国民に与えたイメージは中国人の日本人に対するイメージを変えた。



これ以外にも北京オリンピックの時の入場行進で中国の旗を振ったのは日本チームだけだったとか、女子サッカーで「謝謝CHINA」との横断幕を掲げて、感謝の気持ちを示したりということなどで、日本は「礼の国」だという評価が高まってきた。

宮本大使は、地方交流、青少年交流、観光交流の重要性を挙げて、ソフトパワーの交流の大切さを訴えている。まさに草の根ベースのつきあいが重要なのだ。


さすが中国との外交を長年担当されてきた外務省チャイナスクールの代表格だけある。大変参考になる外交史をふまえた中国との付き合い方論である。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。




  
Posted by yaori at 00:45Comments(0)TrackBack(0)

2011年04月22日

趙紫陽極秘回想録 天安門事件で失脚した趙紫陽主席の肉声

趙紫陽 極秘回想録   天安門事件「大弾圧」の舞台裏!趙紫陽 極秘回想録 天安門事件「大弾圧」の舞台裏!
著者:趙紫陽
光文社(2010-01-19)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

1989年の天安門事件で武力鎮圧に反対して失脚した趙紫陽(ちょうしよう)中国共産党総書記の回想録。2010年1月発刊だ。

アメリカで発売された"Prisoner of the State"という本が原本で、中国では発禁処分になっているという。

Prisoner of the State: The Secret Journal of Premier Zhao ZiyangPrisoner of the State: The Secret Journal of Premier Zhao Ziyang
著者:Zhao Ziyang
Simon & Schuster(2010-05-18)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

1989年6月4日(中国では6.4事件と呼ぶ)天安門事件の武力鎮圧後、趙紫陽は当時の最高権力者・小平の怒りを買って失脚し、事件の2ヵ月後から自宅に幽閉された。

幽閉生活は16年にも及び、最初は外出も禁止されていたので、好きなゴルフもできず、自宅で孫と遊んだり、ネットに向かってゴルフ練習をする毎日だったという。

この回想録は趙紫陽が監視の目を逃れて、60分テープに約30本録音したものを時系列的に整理したもので、翻訳で420ページものボリュームがある。


前任の胡耀邦も失脚

趙紫陽の前の総書記の胡耀邦(こようほう)も1987年1月に開明的すぎるとして小平の怒りを買い、辞任に追い込まれている。

胡耀邦の場合には、日本を訪問した時に、日本の若者3,000人を中国に招くと約束したり、中曽根首相と個人的にも親しくなって手紙のやりとりや、自宅に招いて宴会を開いた。それで「中国は個人外交をしてはならない。中曽根にきちんと対応できないものもいるようだ」として小平の批判を受けた。

加えて、香港のジャーナリストに小平の引退を望むような発言をしたことが、小平の怒りを買ったのだ。


趙紫陽の履歴

趙紫陽は河南省生まれ。13歳で中国共産主義青年団に入団した後に、1938年に共産党に入党、毛沢東周恩来と一緒に抗日戦争を戦った。

戦後は主に広東省で行政官としてキャリアを積み、特に農業生産拡大に成果を上げ、1965年に46歳という若さで広東省の党委員会第一書記に就任した。ところが、1966年からの文化大革命で失脚し、湖南省の機械工場で組立工として働かされた。一家4人で小さなアパートに住み、スーツケースを食卓代わりにしていたという。

1971年に毛沢東の指示で北京に呼び出され、内モンゴル自治区の党書記として復活し、広東省、四川省と党第一書記を務めた。

当時の中国は農業はソ連のコルホーズ(集団農場)にならって、人民公社が農業生産に当たっていた。いくらまじめに働いても個人の所得が増えないシステムなので、中国の農業生産は人口の伸びに見あっては増えず、凶作があった年は数千万人?の餓死者が出たといわれている。

この悪平等の人民公社システムを、一生懸命働いて生産量が増えれば、それだけ収入が増える戸別請負制に変え、あわせて国家の取り分も抑えて農民の生産意欲を格段に向上させた。

この農業改革が功を奏す一方、一人っ子政策で人口の伸びが頭打ちになったこともあり、中国の農業生産は人口を十分賄えるほどに拡大した。

このようにして趙紫陽は四川省などの勤務地で農業改革に成果を挙げ、それが中央の権力者の目にとまって、1979年には中央政治局委員、1980年には政治局常務委員会委員、国務院総理とトントン拍子で出世し、1987年に胡耀邦の失脚により党総書記に就任した。


1989年の天安門事件

ところが1989年4月15日に胡耀邦が亡くなると、自由化・民主化を求める学生や市民が天安門に集まり、デモを繰り返し、軍隊も出動して天安門事件が起きる。

ちょうどこのタイミングで北朝鮮を訪問することになっていた趙紫陽は、流血の事態を避けることを提案し常務委員会の全会一致で承認を得てから北朝鮮を訪問した。

一旦は収まった学生達の抗議行動が、再度燃え上がるのは4月26日の人民日報に、デモを非難する小平の厳しい言葉が掲載されてからだ。

小平は自分の言葉が公表されたことにショックを受けるが、最高指導者の言葉を撤回するわけにもいかず、デモ隊との衝突は避けられなくなる。

趙紫陽は2つのミスを犯したといわれている。

一つはアジア開発銀行の総会で「民主主義と法の原則に基づいた冷静かつ合理的かつ節度ある秩序正しい方法で問題の解決を図る必要がある」と演説し、学生デモは収まると発言したこと。

そして天安門事件のさなかに、ソ連共産党書記長のゴルバチョフと中ソ首脳会談をしたときに、小平が中国の最高指導者であるとゴルバチョフに語ったことだ。

小平は党中央軍事委員会主席ではあったが、国家主席でも党総書記でもなく、外から見れば国家主席の趙紫陽の方が権力者に見える。しかし、実は小平との会談が今回のゴルバチョフ訪中のクライマックスであると述べたという。

この2つのミスが、小平と長老達を激怒させ、趙紫陽と対立する李鵬首相を勢いづかせ、趙紫陽失脚に繋がった。


武力弾圧前の最後の学生達説得の試み

趙紫陽は5月19日に学生たちに広場から退去するよう天安門に直接出向いて演説したが、学生たちは聞き入れなかった。そして6月4日に軍隊により武力弾圧され、数千人の犠牲者が出たといわれる。

趙紫陽はすぐに党の全職務を解任され、それから16年間自宅に幽閉される。

その後1997年に小平が死去し、趙紫陽は2005年に死去している。

この本に1989年に天安門に出かけていって学生達にメガホンで呼びかける趙紫陽の写真が掲載されている。そしてその後ろには見たことのある顔がある。

scanner033







出典:本書5ページ

そう、恩家宝首相だ。当時はメガネをかけていないが、党中央弁公庁主任、中国共産党のいわば秘書長官のような立場だった。

恩家宝は胡耀邦、趙紫陽、江沢民の3人の総書記に仕え、出世して現在は首相の地位にある。天安門事件で趙紫陽は失脚したが、恩家宝はしぶとく生き残ったのだ。


いわば同年代史

筆者が中国との貿易に最初に携わったのは1976年で、1983年以来何度も中国を訪問している。

四人組が文化大革命で、政権を掌握して中国社会がめちゃくちゃになり、餓死者が数百万人出たと言われたのが1970年代初めだ。筆者が中国との貿易にかかわった1970年代後半は、毛沢東が死んで四人組が裁判にかけられ、小平が実権を握った時期だった。

中国とビジネスをやっていて困ったのは、1980年代初めに中央統制貿易から地方に貿易権を移譲する決定が出て、それまで交渉していた北京の冶金総公司から、契約窓口は地方の冶金分公司になるということで、急に窓口を移管されたことだ。

契約交渉には北京の冶金総公司の担当者も参加して、うまく契約できたから良かったが、中国政府の政策がガラリとかわったことには驚かされたものだ。

当時フィリピンの原料を中国浙江省に持って行って、委託加工して製品を日本に持ち帰るという取引をやっていた。

今は中国に原料を持ち込んで委託加工して製品を日本に持ち帰るという取引は普通に行われていると思うが、当時は画期的な取引だった。

この本を読むと1980年代は外資を活用して中国の経済を拡大する「合作」を奨励していたことがわかり、あの委託加工取引は中国の政策転換にぴったりタイミングがあっていたのだと思う。

筆者が1983年に委託加工工場の浙江省の横山鋼鉄廠を訪問した時には、夏にもかかわらずすっぽんを捕まえておいて、宴会をやって歓迎してくれた。たぶん浙江省の冶金分公司も中国中央政府の政策に沿って、外国との「合作」を実現したとして、評価されていたのだと思う。


中国の権力構造

1980年代は中国で誰が実権を持っていたのかわからなかったが、この本を読むと、中国共産党総書記は必ずしも実権を掌握しているわけではなく、四人組を追放した後は、小平が実権を持っていたことがわかる。

毛沢東の後継の総書記の華国鋒は1976年に党主席に就任して四人組を抑え込んだが、1978年に小平が最高権力者となると、権力闘争に敗れ、1981年に党主席を退いた。

華国鋒の後の総書記は小平によって推挙された胡耀邦で、1981年から1987年に失脚するまで党総書記を務めた。そのあとがやはり小平より推挙された趙紫陽で、1987年から1989年のわずか2年間だけの総書記だった。

趙紫陽の後を継ぐのが江沢民で、江沢民も中国のトップになったのが、主席就任後3年の1992年からだった。

小平は1978年から1992年まで一貫して党中央軍事委員会主席の座に座り続け、外国からはわかりにくい形で、中国のトップとして君臨した。

胡耀邦、趙紫陽、江沢民が総書記でありながら、中国の最高権力者ではなかったというのは、今回初めて知った。

中国の対外政策に関する権限がバラバラ(fractured)だと指摘するストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の「中国の新しい対外政策」という本を紹介したばかりだったので、趙紫陽の回想録はまさに当事者の発言で大変興味深かった。

中国の新しい対外政策――誰がどのように決定しているのか (岩波現代文庫)中国の新しい対外政策――誰がどのように決定しているのか (岩波現代文庫)
著者:リンダ・ヤーコブソン
岩波書店(2011-03-17)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

小平は1997年に亡くなっており、現在の中国には小平のような絶対権力者はいないと思うが、趙紫陽そしてその前任の胡耀邦と華国鋒の3人の国家主席が相次いで権力闘争に破れ失脚したことは、現在の胡錦涛、恩家宝らの首脳陣にもトラウマのようになっていると思う。

つまり外国に対してあまり友好的な態度を示すと、中央政府ではやっていけないということだ。


その他参考になった点

その他参考になった点を箇条書きで紹介しておく。

★中国政府は巨大なデベロッパーとして、中国経済の急成長を推進している。土地の賃借権を売って、開発を進めるという考えは、1985年に趙紫陽が香港の実業家ヘンリー・フォック(霍英東)に会ったときに、市街地の開発資金がないと言うと、「土地があるのに、どうして資金がないのですか」と言われて気が付いたものだという。

★1980年代前半には「三来一補」=来料加工(委託加工)、来様加工(サンプル委託加工)、来件装配(部品組み立て)と補償貿易(技術や機械の提供を受け、製品で支払う貿易)を進めたという。上記で紹介した通り、まさに筆者が中国で委託加工貿易を進めたタイミングと一致している。

★胡耀邦が北朝鮮に甘すぎたことも小平の怒りを買った理由の一つ。北朝鮮を訪問したときに、金日成から中国のジェット機を供給して、北朝鮮のパイロットを中国でトレーニングして欲しいとの要請を胡耀邦が受け入れたが、帰国後小平に潰された。

★趙紫陽自身はまだ読んでいないが、ゴルバチョフの回想記には、1989年に中国を訪問したときに趙紫陽から複数政党制と議会制への移行を示唆されたと書いてあるという。趙紫陽の考えは、共産党独裁という統治の方法は変えなければならないことと、「人治」から「法治」にすべきだという2点だという。


なにせ中国の元主席が書いた本なので、中国を動かすいわゆるFAW(Forces at Work=そこに働く力)の実態がよくわかる。

同時代史としても価値があり、大変参考になる本である。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。





  
Posted by yaori at 00:20Comments(0)TrackBack(0)

2011年04月12日

モノ言う中国人 中国のネットメディアの現状がよくわかる

モノ言う中国人 (集英社新書)モノ言う中国人 (集英社新書)
著者:西本 紫乃
集英社(2011-02-17)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

駐中国日本大使館で外務省専門調査員としてネットメディアを研究した西本紫乃さんの本。西本さんは中国在住歴が10年で、現在は広島大学大学院博士課程に在籍中だ。

先日会社で前駐中国日本全権大使の宮本大使の講演を聞く機会があった。講演の冒頭で宮本大使が西本さんの研究を本にして出版するように勧めたという話をされていた。

宮本大使ご自身も「これから中国とどう付き合うか」という本を出されている。

これから、中国とどう付き合うかこれから、中国とどう付き合うか
著者:宮本 雄二
日本経済新聞出版社(2011-01-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


モノ申す中国大衆

西本さんは最初に、中国では「話語権」という言葉を新聞やインターネットで目にすることが増えたと語る。

話語権とは単なる発言権でなく、世論に影響を与えるほどの影響力があることを意味している。「モノ申したい人」が増えており、中国の大衆が「モノ申す場」がインターネットなのだ。

中国のメディアは次の図のように完璧に国家によってコントロールされている。

scanner028




出典:本書54−55ページ

これに対してインターネット情報の監視システムは次の通りだ。

scanner029













出典:本書 83ページ

「インターネット管理室」が監視し、好ましくない記事にはサイト管理者に電話連絡して、「15分以内に削除しないと罰金3万元=39万円」が課せられるという。

このほかに「五毛党」という世論を体制側に有利なように誘導するため1件当たり五毛=8円の報酬を貰って書き込みをするインターネット評議員がいる。


最近の事例紹介

この本ではインターネット関連で問題になり、役人などの関係者が処分されたり、「人肉捜索」(いわゆる”さらし(晒し)”、ネット上でプライバシーや言動などをよってたかって暴くこと)になった例が紹介されている。


★「あなたはどこの単位の人間?」
国家水泳スポーツ管理センターの副主任の周継紅が、インターネット上の飛び込み競技の八百長について質問した記者に対して言った言葉だ。

国体の飛び込み競技の12個の金メダルは事前に受賞者が決まっているという八百長疑惑に対して、記者を見下した周継紅の発言が2009年の流行語にもなったという。


★蘭州の悲劇
2010年1月に甘粛省蘭州の省共産党の宣伝部長が不用意に650名から成るインターネット評議員のチームを編成したことを発表した。エース級50名、ハイレベル要員100名、ライター500名で構成され、エース級の人員を中心に、チームは緊密に連携を取りながらインターネットの掲示板などに活発に「正しい」意見を書き込むのだと。

甘粛省で650人もの評議員がいるということは、全国では10万人を超える評議員がいるのだろうから、仮に評議員の年収が五万元(65万円)だとすると、年間50億元(650億円)もの費用が評議員に充てられている。

それほどの予算があれば、四川省地震の時にロシアから借りたヘリコプターが90機買えるので、何が大事なのか考えるべきだという非難が盛り上がったという。

ちなみに甘粛省は中国の西域の省で、水力発電による安価な電力が有名な省だ。


★南丹錫鉱事故
広西チワン族自治区の南丹市の錫鉱山で2001年に浸水事故が発生し、81名の労働者が死亡したが、南丹県の幹部と鉱山主が結託して、事故の隠蔽を行ったことが、クチコミで広がった。

取材に行った記者は暴力で追い返されたが、インターネットで匿名の情報が掲載されてから、大きな問題になった。

「人民網」や「強国論壇」でもスレッドがつくられ、数万件の非難が寄せられ、南丹県の書記は死刑、錫鉱山オーナーは懲役20年の判決を言い渡された。中国でインターネットが世論を動かした初めての事件と言われている。


★孫志剛事件
2003年に広州で、身分証明書をもっていなかったため警察に拘束され、むかったために暴行されて死んだ孫志剛の死因が「心臓発作」と処理された事件。

両親が広州の都市報の「南方都市報」に事件を告発し、インターネットでも非難の声が広まった。大学教授などの法律専門家が、政府に対して法律の見直しを求めた結果、「収容送還の規則」が廃止された。

収容した農民たちから金を巻き上げて私腹を肥やしていた収容所職員の汚職も明るみに出たという。


★山西省闇レンガ工場事件
河南省に住む両親が行方不明となった我が子を探すために全国を探し歩き、山西省の違法闇レンガ工場で奴隷のような労働をさせられている息子を捜し当てたという事件。

河南省のテレビ局の記者が、行方不明の子どもを捜している親がいるという情報をもとに、闇レンガ工場に潜入し、最後に親子の再会の場面を映像におさめて放送するとともに、インターネットでも公開した。

インターネットでの書き込みは一週間で一万件を超え、政府を非難する声も高まったので、胡錦涛、恩家宝他の指導者が徹底的に調査するよう指示した。

監督不行届で山西省の省長が謝罪し、95名の党員や公務員が処分を受けた。ネットユーザーのパワーとインターネット世論の恐ろしさを中国の指導者が痛感した事件だった。

中国では農村と都市との年収格差が問題になっているが、農村でもインターネット人口は2007年以降急速に拡大している。


★許霆(きょてい)ATM事件
2006年広州市でたまたまATMの誤作動で、大金を引き出した許霆が、無期懲役に処せられた。刑が厳しすぎるとネットの声がひろまり、再審で懲役五年に大幅に減刑された事件。


★深圳市の女児わいせつ未遂事件
2008年に深圳市の海鮮レストランで、女児がトイレに連れ込まれそうになった事件で、犯人が「北京の交通部から派遣された市長と同格の高級官僚だ。何が悪い」と居直った事件。

レストランの監視カメラが女児が連れ込まれそうになった現場の映像を捉えており、両親とのやりとりも録音されていて、それがネットに公開された。公務員の横暴に非難の声が高まり、人肉捜索が行われ、犯人は広州市の党書記ということがわかり免職となった。


★インターネットの社会風刺が流行語に
2008年貴州省で、中学生が強姦され川に投げ捨てられるという事件が発生した。容疑者三人のうち二人が地元警察署長と親戚だったことで、真相隠しが行われ、容疑者が深夜の橋の上で、「腕立て伏せ」をしている最中に、女子中学生が自殺したという警察の発表が行われた。

2009年には雲南省の刑務所で入所四日めの囚人が頭部損傷で死亡した。刑務所側は「鬼ごっこ」をしていた時に壁に頭を打ち付けたという発表をした。

「腕立て伏せ」、「鬼ごっこ」という体制側の荒唐無稽な言い訳が、都合の良い言い逃れに対する冷ややかな批判をこめて、インターネット上の流行語になったという。

さらに2004年から胡錦涛主席の掲げる「和諧=ホーシェ社会」=ハーモニーの取れた社会、を皮肉って「河蟹=ホーシェ」がインターネットによく登場し、「河蟹される」というのは、管理者から発言を削除されるという意味で使われているという。


★愛国教育の世代
中国のインターネット人口は4億人を超え、年齢構成は若く、「80後」という1980年以降生まれの20代、「90後」といわれる10代が7割弱を占める。

次が日中のインターネット人口の年代別構成だ。30歳以下の年代が中国では7割を占め、日中間では大きな差があることがわかる。

scanner030







出典:本書161ページ

インターネットの普及により、以前であればデモ行動は簡単に抑圧できたのが、インターネットで抗議が広まると中国政府もコントールしがたくなっている。

この本では1999年のベオグラード中国大使館誤爆デモ、2005年の小泉靖国神社参拝反対デモ、2008年のカルフールボイコット騒動を比較し、インターネットで抗議が一般の民間人にまで広がっていることが比較説明されている。


尖閣漁船衝突事件
2010年9月に発生した尖閣列島沖での漁船と巡視船の衝突事件は、中国のインターネット人口が愛国教育を受けている若いユーザーが多いことから、燃え上がる可能性があった。

しかし北京や上海などの大都市では目立った抗議行動は発生せず、西安や武漢といった地方都市でのみ反日デモが発生した。もちろん中国政府の必要以上に事を荒立てないという方針もあったのだろうが、西本さんはこの現象は大衆の価値観の「ポストモダン化」が影響しているからだと説明している。

つまり大都市ではイデオロギーや国益といった大きな問題よりも、就職とか物価、あるいは海外旅行や車の購入といった個人的なことに関心を持つ人が増えているからだという。

西本さんはさらに中国理解のキーワードトは「非主流」だと語る。

経済の自由化によって中国では大衆社会というパンドラの箱があいた。メディアが国によってコントロールされていた頃は、海外の人は知る由もなかった「非主流」の情報が流れ出したのだと語る。

テレビ番組などの「三俗」(庸俗=下品、低俗=暴力的、媚俗=他人に迎合)の問題が指摘され、匿名性があり敷居の低いインターネットの普及により、大衆がインターネット上で様々な意見を述べるようになった。

胡錦涛や恩家宝もオンラインでインターネットユーザーと直接対話を行い、広州市では広州市の都市報の「南方都市報」傘下の「奥一網」でインターネットの対話コーナーを設けている。

米国の有名なチャイナ・ウォッチャーのスーザン・シャークは「中国・危うい超大国」という本で、中国のシンクタンク研究員の「私たちは、自分たちが行ってきたプロパガンダの虜囚となってしまったのです」という発言を紹介している。

中国危うい超大国中国危うい超大国
著者:スーザン L.シャーク
日本放送出版協会(2008-03-30)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

いままで愛国教育として「共産党よくやった史観」をマスメディア、博物館、映画、演劇などあらゆる機会で国民に植え付けてきた。そのため若い世代の多くは中国は優れた国、強い国と信じ、「西側の悪意に満ちた報道で不当な批判にさらされている」と思いこみがちだという。


2011年2月22日に出版された本で、中国のインターネットを中心とする世論の成り立ちがよくわかる。尖閣漁船衝突事件など最新の話題も含まれており、興味深く読める本である。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。




  
Posted by yaori at 13:05Comments(2)TrackBack(0)

2011年04月08日

明治の外交力 陸奥宗光の「蹇蹇録」に学ぶ

明治の外交力―陸奥宗光の『蹇蹇録』に学ぶ明治の外交力―陸奥宗光の『蹇蹇録』に学ぶ
著者:岡崎 久彦
海竜社(2011-02)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

外交関係を中心に多くの著作を発表している元外交官・岡崎久彦さんの最新作。

岡崎さんは、お父さんの岡崎勝男さんも元外交官で吉田内閣の外務大臣という外務省のサラブレッドのような人で、陸奥宗光の親戚ということで系図も紹介されている。

この本では近代日本外交の創始者ともいえる陸奥宗光の回想記・「蹇蹇録」(けんけんろく)の原文と口語訳を対比し、岡崎さんの解説を加えていて、大変わかりやすい。

陸奥宗光











出典:近代日本人の肖像(国立国会図書館)

上の写真の出典で紹介した国立国会図書館の「近代日本人の肖像」という肖像写真コレクションは、坂本竜馬とか見慣れた肖像画が収録されていて参考になるので、チェックすることをおすすめする。

外務省の建物の前には陸奥宗光の銅像が建っており、外務大臣の謁見室にも陸奥宗光の銅像があるという。

陸奥宗光は1840年生まれ、紀州藩の藩士の家に生まれ、父の友人だった坂本龍馬に見込まれて、勝海舟の海軍操練所に入り、その後海援隊に参加する。明治維新後は政府の役人となるが、藩閥人事に反発し、政府を倒すべく画策したとして5年間東北の監獄に投獄される。

その後ワシントン、シカゴ、イギリス、ウィーンで政治学を学び、ウィーン大学教授ローレンツ・フォン・シュタインに師事する。帰国後、親友の伊藤博文に重用され、明治政府の外務大臣として活躍する。

この「蹇蹇録」は陸奥宗光の日清戦争についての回想録である。

そもそも「蹇蹇録」(けんけんろく)というネーミング自体がただ者ではない。漢学は四書五経を原典として学ぶが、五経のなかの最後の易経に「蹇」という言葉がある。「蹇」は足が萎えて進めない状態で、「蹇蹇」とは力の限り尽くして、結果の善し悪しは問うべきでないという意味だ。

この「蹇蹇録」を記した当時の陸奥宗光は結核に冒され、高熱を出し、血痰を吐き、命を削りながら難局に当たった。日清戦争には勝利したが、三国干渉で遼東半島をあきらめざるを得ないという結果となった。どうやっても同じ結果になっただろうという意味も含めて、「蹇蹇録」とネーミングしたものだ。


帝国主義は「過去」のものではない

先日の尖閣列島の中国漁船拿捕事件後、中国のデモのスローガンには「沖縄奪回」もあったという。日米安保条約があるので、米国が尖閣列島付近の軍事行動は日米安保が発動されると警告したことが、中国の抑えになった。

岡崎さんは「帝国主義は『過去』ではない」と語り、軍備増強を続ける中国を「力の強い方が傍若無人にふるまうのが帝国主義時代だ」として警戒を呼びかけている。

昔の中国である清と直接戦争した当時の外務大臣だった陸奥宗光の「蹇蹇録」は現代の日本人への教訓に満ちていると紹介している。

以前紹介した中国の現役大佐による「中国最大の敵・日本を攻撃せよ」などという本が中国で30万部のベストセラーになっているということを聞くにつけ、岡崎さんの「帝国主義は過去ではない」という主張もうなずけるところである。

中国最大の敵・日本を攻撃せよ中国最大の敵・日本を攻撃せよ
著者:戴旭
徳間書店(2010-12-17)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


「蹇蹇録」を読むための基礎知識

「蹇蹇録」を読む際の基礎知識として次の3点を指摘している。

1.欧米列強が激しく競い合っていた帝国主義時代のまっただ中だったこと。

2.日清戦争に至る経緯では、朝鮮半島の壬午事変甲申事変などの事件で清国は日本に煮え湯をのませてきたこと

3.当時の日本には明治維新で近代化を達成した誇りから、朝鮮半島から清国を排除して日本と同じような近代化をもたらせようという「義侠心」があったこと

最後の3.については、今では信じられないが、蹇蹇録には朝野を挙げて朝鮮を清の属国から近代化を遂げさせて救おうという義侠心があったことが記されている。

陸奥宗光自身は、「義侠を精神として十字軍を興すの必要を視(み)ざりし」と、冷静に考えていたが、この様な日本全国の強い世論をバックとして、清との軍事的解決という非常手段に臨めたと陸奥は記している。


陸奥宗光の功績

外務大臣としての陸奥宗光の功績は、条約改正と日清戦争を日本の勝利に終わらせ、清の巨額の賠償金を使って、南下するロシアに対抗する日露戦争の備えができたことと言われている。

日本が関税自主権を回復するのは、明治44年、小村寿太郎外務大臣の時であり、条約改正は実に明治の45年間を通じてやっと完了した。

条約改正の最初は英国との日英通商航海条約締結であり、1894年(明治27年)のことだった。陸奥は条約改定のことを感慨深げに蹇蹇録に「条約改正の大業は維新以来国家の宿望に係り、これを完成せざる間は維新の鴻業(こうぎょう=偉大な功績)もなお一半を余すに均し」と書いている。


日清戦争

そして日英条約締結の8日後に、豊島沖海戦があり、日清戦争がはじまる。

日清戦争の10年前の甲申事変では、清が日本に圧勝している。しかし日清戦争では日本軍の連戦連勝で、清は兵力は日本とほぼ互角だったにもかかわらず、重なる敗戦に怖じ気づいて敗走を重ねる。

最初の陸戦の成歓の戦いで、戦闘開始前日に豊島沖海戦で、清国兵千人と武器弾薬を満載した英国戦績の輸送船「高陞号(こうしょうごう)」を日本軍が撃沈していたことが伝えられ、清側に心理的ショックを与えていたという。

日本は清の外交暗号をすべて解読していて、清の増援艦隊の動静を把握して連合艦隊が撃破した。「高陞号」も東郷平八郎が指揮する「浪速」が見つけて、警告ー英人艦長以下退艦ー攻撃という手順を踏んだ上で撃沈したのだ。

岡崎さんも書いているが、敵の戦艦は逃しても輸送船団は逃さないという作戦を東郷平八郎は取った。その戦略的発想が当の日本海軍でなく、アメリカ海軍に引き継がれたことは歴史の皮肉というより、日本軍人のおごりに他ならない。

日清戦争の経過図は次の通りだ。

scanner027













出典:本文 141ページ

アメリカの調停で、清の李鴻章が来日し、下関で講和条約交渉がはじまるが、来日した李鴻章を自由党員にピストルで狙撃され、重傷を負うという事件が起こる。

講和条約交渉当初は、日本は休戦を認めていなかったが、李鴻章が狙撃されたので、日本としても誠意を示す必要があったので、休戦に応じた経緯が蹇蹇録に記されている。

《条》~1



出典: Wikipedia


三国干渉と日露戦争への道

下関条約で日本は巨額の賠償金を勝ち取り、遼東半島台湾澎湖諸島などの領土を獲得するが、条約締結直後のドイツ・フランス・ロシアの三国干渉で、遼東半島を手放すことになる。

日本では英米の力を借りて、はねつけようとするが、英米が静観する態度を取ったので、やむなく受諾して清に遼東半島を還付する代わりに追加の賠償金を得る。

日本の世論はこの屈辱にいきり立ったが、政府は臥薪嘗胆をスローガンに軍備を拡充し、次の日露戦争への備えを進めることになる。

ロシアは李鴻章にワイロを払って、1896年に李鴻章ーロバノフ秘密協定を結び、三国干渉で日本に諦めさせた遼東半島の旅順・大連の租借権を手に入れる。ロシアの旧満州での権益拡大が、1902年の日英同盟、1904年の日露戦争に繋がった。

蹇蹇録は三国干渉後で終わっており、陸奥宗光は持病の結核が悪化し、下関講和条約後の1897年に亡くなる。

「余は当時何人を以てこの局に当たらしむるもまた決して他策なかりしを信ぜんと欲す」が終わりの言葉だ。まさに蹇蹇録というネーミングの通りの他に策はなかったという回顧の言葉である。

300ページ余りの本だが、字も大きく読みやすい。

日露戦争は「坂の上の雲」でも取り上げられているので、ある程度親しみがあるが、日清戦争についてはほどんど覚えていなかった。陸奥宗光という偉大な明治の政治家と、日清戦争前後の時代背景がわかり、興味深い本である。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。







  
Posted by yaori at 12:51Comments(0)

2011年04月07日

中国の新しい対外政策 ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の最新論文

中国の新しい対外政策――誰がどのように決定しているのか (岩波現代文庫)中国の新しい対外政策――誰がどのように決定しているのか (岩波現代文庫)
著者:リンダ・ヤーコブソン
岩波書店(2011-03-17)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

軍備・戦略研究で世界トップクラスのストックホルム国際平和研究所の中国研究者2名が、誰がどのように中国の外交政策を決定しているのかについての研究結果を発表した論文。

ストックホルム国際平和研究所は略称SIPRIとして知られており、世界各国の軍事費を調査した「軍備,軍縮及び世界の安全保障年鑑」が有名だ。

SIPRI年鑑:軍備,軍縮及び世界の安全保障2006SIPRI年鑑:軍備,軍縮及び世界の安全保障2006
著者:ストックホルム国際平和研究所
広島大学出版会(2007-03-31)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

この本は原注が240以上、全体の1/4を占める本格論文で、次のような構成となっている。

要約

第1章 序説

第2章 対外政策における公的関与者
    中国共産党
      政治局及び政治局常務委員会
      党外事指導小組と他の中央委員会機関
    国務院
      外交部
      大使
      他の政府機関
    人民解放軍

第3章 対外政策関与者の思考に影響する諸要因
    「合意形成」による政策決定
    非公式チャンネルと忠誠心
    教育
      海外での教育と経験
第4章 周辺の関与者
    実業界
      金融機関
      エネルギー関係企業
      その他の企業
    地方政府
    研究機関と学術界
      政治局の集団学習会
      高次の政策提言
      情報の収集と共有
    メディアとネチズン
      多様性、速度、そして表現方法
      全方向的影響

第5章 結論
  
    
目次を見ただけでも、この論文がポイントをついていることがわかると思う。


著者は中国語ペラペラの中国研究専門家

著者のリンダ・ヤーコブソン(林達)はフィンランド人で、フィンランド国際問題研究所を経て、2009年にストックホルム国際平和研究所の「中国と世界の安全保障」の責任者に就任した。中国滞在15年以上という人で、流暢な中国語を話すという。

もう一人の著者はアメリカ人のディーン・ノックス(那鼎承)。核不拡散問題の専門家で、台湾に6年間滞在し、ストックホルム国際平和研究所の「中国と世界の安全保障」の研究補佐。やはり中国語はペラペラという。


この本の要約

この本の最初に要約がある。中国の対外政策の決定過程は外から見て非常に見えにくいが、次の3つの傾向があるという。

第1は対外政策に関する権限がバラバラなことだ。外国人はもはや政策決定者の一つとだけ交渉することはできず、複数のキープレーヤーの管轄権や対抗関係を考慮しながら交渉しなければならないこと。

上記では「権限がバラバラ」と書いたが、英語の原文が併記してあり、それが"fractured"となっていたので、筆者なりに訳したものだ。

この本では「細分化」と訳しているが、"fractured"は複雑骨折などの時に使われる言葉で、てんでんバラバラで組織化されていないというイメージがある。

もし「細分化」だったら原文は"fragmented"となるはずであり、あえて"fractured"という言葉を使った原文の意味が通るように上記のように訳した。


第2に中国のすべての関係者が国際化は中国にとって不可避だと感じているが、どの程度まで国際化するかどうかは様々な見解があること。


第3に中国が国際的にその権益をより強く追求するべきだという見解が外交政策関与者の間で広まっていること。


これらの見方は、東大の高原教授が指摘されている小平の「韜光養晦、有所作為」スローガンを、2009年の大使会議の席で胡錦涛「堅持韜光養晦、積極有所作為」に変えたという中国外交政策のFAW(Forces at Work)の変化と符合している。


中国の国家機関

中国の国家機関の組織図は次の通りだ。

中国国家機関組織図





出典:外務省ホームページ

一般的には日本の内閣にあたり、温家宝首相が率いる国務院が中国政府の最高機関であり、対外関係で中国を代表するが、日本の外務省にあたる外交部はここ10年来権力が低下しており、楊潔篪(ようけつち)外交部長の儀典上の順位は5番目か6番目である。

外交上重要でない国は別として、重要な対外政策については、外交部は政策決定部門ではなく政策執行部門となりつつあるという。


影響力のある権力者や機関

外交部が力を失い、次のような幾重にも重なり、相互の関係がわからない権力者や委員会が中国の対外政策に影響を与えていることがこの本で詳述されている。

1.共産党の組織

政治局常務委員会(メンバー9名、胡錦涛が委員長)−最高決定機関
          I    (7−10日に会議開催ー非公開)
          I
党中央政治局(メンバー25名)ー不定期で会議開催

政治局常務委員会でも意見が分かれることはあるが、すべての重要決定には胡錦涛の支持が必要であり、かつ全員の合意が必要である。それゆえ対外政策決定は「まとまりがなく、混乱した、非効果的なもの」(原注:政府に助言を与えている中国の研究機関責任者へのインタビュー)となりがちである。


2.国の機関にポストを持たない党中央委員 
王家瑞(党中央対外連絡部長)
・王滬寧(党中央政策研究室主任)


3.党中央指導小組(一部メンバーのみ明らか)
・党外事指導小組(国家安全保障指導小組とも呼ばれる)
重大な対外政策決定はほとんどこの小組で行われ、常務委員会はそれを単に承認するにすぎないと推定されている。政治局常務委員のほとんどが対外政策問題には不慣れのため、対外政策専門家の経験に依存している。

主要メンバーは、戴秉国(たいへいこく)国務委員(議長)、王家瑞国際部長、楊潔篪(ようけつち)外交部長、陳徳明商務部長、梁光烈国防部長、国家安全部長である.

・党中央対台湾工作指導小組(国務院にも属する)
・金融経済工作小組


4.その他の党中央委員会関連機関 
・政策研究室
・中央書記処弁公室
以上の2機関の長は胡錦涛の外訪にも同行し、対外政策に影響力を持つとみられている。

・党中央国際部
もともとは海外の共産党との窓口だったが、現在は非共産党を含む海外政党との関係を担当。その出自から北朝鮮労働党、ミャンマー、イランなどの対外政策に影響力を持つ。

他にも宣伝部、対外宣伝弁公室、組織部なども対外政策に限定的な影響力を持つという。


5.大使
駐EU,ブラジル、フランス、ドイツ、インド、日本、北朝鮮、英国そして米国の駐在大使は副部長(次官級)だが、外国の影響を受けすぎて妥協するとして立場は弱体化しているという。


6.他の政府機関
・商務部 
対外援助の大部分を配分。

・中国人民銀行
為替レートと外貨保有の管理

・国家発展改革委員会
エネルギー分野での対外政策の関与者

・財務部
予算管理権を持つ。

・国家安全部
安全保障


7.人民解放軍
現在は軍の代表は政治局常務委員会にはいないので、中央政治局と人民解放軍の間には距離がある。人民解放軍を統括する党中央軍事委員会には、胡錦涛と昨年から習近平が唯二の文民メンバーとなっている。

人民解放軍と共産党の微妙な関係が、2007年の中国の衛星破壊兵器実験や2010年の米国ゲーツ国防長官訪中時の「殲−20」ステルス戦闘機の公開など、外交関係者が軍事面での動きを知らなかったという連絡不足を招いている。




8.非合法チャンネルと忠誠心
いわゆるコネのことである。出身地、出身校、履歴などを詳しく調べることで関係が見えてくる。前職が国有企業の社長であったり、同じ時期に留学していたなどだ。

たとえば胡錦涛と李克強は同じ中国共産主義青年団出身で、胡錦涛は次期首席に李克強を推したのは有名な話だ。

忠誠心も見えない力学の一つだ。たとえば江沢民はいまも政治局のすべての文書が届けられるという。


その他の特記事項

次のような面からも対外政策への影響力について分析している。

★教育
党中央委員会の203名のうち、少なくとも172名(85%)が学士以上、73名が修士、16名が博士だ。ただしこの中には教育レベルの低い中央党学校などの党の教育機関から認定を受けたインフレ学位もある。

★政治局の集団学習会
2002年に胡錦涛が党総書記に就任したときに政治局の集団学習会を始め、2010年までに66回開催されたという。毎回2人の専門家が招かれ、テーマの1/3は対外問題だったという。政治局のほとんどの議事は秘密だが、集団学習会の開催は公開されているので、報告者には知名度アップと昇進の機会となる。

★メディアとネチズン
メディアとインターネットメディアの分析も非常に参考になる。

1980年代に中国政府がメディアへの補助を打ち切ったことから、メディアは市場から資金を獲得せざるをえず、結果的に2000種類もの新聞、雑誌、数百ものテレビ局、インターネットのニュースサイトが顧客と広告収入を求めて競いあっている。

インターネット人口は2009年に4億人弱となり、世界最大のネット社会を形成している。もっとも人気があるのが「強国論壇」で、利用者は2百万人。

ブログも盛んで、公安当局は「五毛党」と呼ばれるアルバイトを多数使って、危険な内容を当局に通報し、ネット上の好ましくない見解を圧倒しているという。「五毛党」というのは、当局に有利な書き込みをすると5毛(約6円)もらえるからだという。

ネチズンの対外政策形成への影響力は増大しており。日本と米国に関する過激な民族主義的な意見が当局の行動の自由を制約している。世論が分かれている場合は、政府は無視できるが、世論が一致していると政府も無視するわけにいかなくなるからだ。

2008年フランスのサルコジ大統領がダライラマと面談したので、中国は温家宝首相のフランス訪問をキャンセルせざるをえなかったという例が挙げられている。


監修者の岡部達味東京都立大学名誉教授が負け惜しみ気味に語っているが、西洋人に弱いという東洋人のメンタリティをうまく活用してオフレコ情報も含めて突っ込んだ情報収集をしている。

このような高度な研究レポートの英文原本が、SIPRIサイトで無料でダウンロードできる。便利な時代になったものである。

プレスリリース:
http://www.sipri.org/media/pressreleases/2010/100906chinaforeignpolicy
レポート・ダウンロード:
http://books.sipri.org/product_info?c_product_id=410

興味があれば上記のリンクから原文をダウンロードして見て欲しい。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。



  
Posted by yaori at 13:08Comments(0)TrackBack(0)

2011年03月18日

中国最大の敵 日本を攻撃せよ 中国軍現役大佐のトンデモ戦争論

中国最大の敵・日本を攻撃せよ中国最大の敵・日本を攻撃せよ
著者:戴旭
徳間書店(2010-12-17)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

中国空軍現役の戴旭(ダイシュイ)大佐の世界軍事情勢分析と対日米戦争論。戴旭大佐は中国の有名な軍事専門家ということで、著作も多く北京大学の中国戦略研究センター研究員も兼任している。

このブログで田母神元航空幕僚長の「座して平和は守れず」などを紹介しているが、戴旭大佐は中国で30万部も売れているというトンデモ本を出版して何のおとがめもないのが大きな違いだ。

決して中国の支配層を代表する意見とは思わないが、こういう見方もあるということを知っておくことは、日米両国には役立つと思う。

この本はアマゾンのなか見!検索に対応していないので、サブタイトルまで含めた目次を紹介しておく。この本の内容が大体推測できると思う。

第1章 日米のC型包囲網を突破せよ
 1  中国の出口を閉ざす「海上包囲網」
 2  鉄格子を撃ち込まれた「陸上包囲網」
 3  アメリカの標的は、イスラム世界、ロシア、中国に絞られた
 4  中国はまもなく戦争に突入する
 5  中国は三たび分割の危機に直面する
 6  中国をむしばむ国内のガン
 7  今こそ中国は勇敢に戦争を肯定せよ

第2章 中国は日本との戦争が避けられない
 1  日本という猛獣が凶器を手にする日
 2  右傾化しはじめた日本は何を狙っているのか
 3  中国は日本の「戦争」にいかに対処するか
 4  日本はその正体を決して見せない
 5  300年にわたる「抗日戦争」はまだ続くのか
 6  琉球は日本のものではない
 7  迎撃ミサイルは、アメリカによる日本への新しい首輪

第3章 中国空軍はこうして戦う
 1  ラプターを狩れ!
 2  中国が目指す次世代戦闘機開発
 3  「J−8精神」で自主イノベーションを起こせ
 4  「攻防一体」を担う戦闘機の開発を急げ
 5  ステルス機には長距離弾道ミサイルで対抗する
 6  2015年にステルス機を完成させる日本の魂胆
 7  中国はいかに攻め、いかに守るか
コラム 金融危機はアメリカが仕掛けた戦争だった

第4章 中国軍は陸海でこう戦う
 1  時代遅れの陸軍をすぐに改革せよ
 2  日本とロシアを捕捉せよ
 3  中国海軍は自国領海内の存在感を高めよ
 4  南沙進出が中国の未来を決める鍵
 5  国家利益を守るため一流の海軍を建設せよ
 6  中国は空母を所有し、占領された島々を奪還せよ
コラム アメリカの「反テロ」の本当の標的はロシアだ

第5章 強大な中国が世界を救う
 1  中国は世界の覇権など狙っていない
 2  中国が目指すのはアジアの大国
 3  中国を侵略する勢力に対する攻撃
 4  中国が強大になれば世界は平和になる
 5  正義の戦争は中国発展のチャンス


読んでいてバカらしく思えるような過激なタイトルが並ぶ。


中国は日本との戦争が避けられない?

この本が生まれた遠因には、レーガン政権で国防長官を7年間勤めたキャスパー・ワインバーガー氏が書いた「ネクスト・ウォー」という本がある。

ネクスト・ウォー―次なる戦争ネクスト・ウォー―次なる戦争
著者:キャスパー ワインバーガー
二見書房(1997-05)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

今度この本も読んでみるが、こちらの本では2007年に日本戦艦が中国領海内に侵入し、強力なコンピューターウィルスをまき散らすロジック爆弾を中国と台湾に発射し、すべての運輸・航空管制・社会基盤システムを破壊する。中国軍が機能停止している間に日本軍は中国、台湾に飛行機による爆撃と巡航ミサイルを雨のように振らせ、そのうち中国はやむなく講和を受け入れるというシナリオだという。

しかし空軍力で圧倒した後は、歩兵が侵攻しなければならないわけで、ワインバーガー氏が描く先制攻撃など、中国にとっては即時講和を望むほどのダメージにはならないだろう。

日本は侵略戦争の準備はほとんどなく、とりわけ兵力を敵地に送り込む”パワープロジェクション能力”がゼロであることは、以前紹介した故江畑謙介さんの「日本に足りない軍事力」の通りだ。

今回の東北関東大震災でも、自衛隊の災害支援トラックを米軍の揚陸艦が運んでいるところをテレビが報道していた。道路が渋滞でマヒしている今回のような災害出動の場合、米軍の力を借りないと日本国内でさえ自衛隊は大規模輸送ができないというのが現実だ。

パワープロジェクション能力のない自衛隊が中国侵略に大軍を繰り出せるとは思えないし、空爆や巡航ミサイルで圧倒できるほど中国は小さい国ではないことは第2次世界大戦が証明している。

たぶん「中国も空軍力を増強すべき」という結論を誘導したいのだろう、戴旭大佐はこのような仮想攻撃がトム・クランシーの"Clear and Present Danger"(いま、そこにある危機)のように、すぐにも現実化する脅威だと喧伝したいようだ。

いま、そこにある危機〈上〉 (文春文庫)いま、そこにある危機〈上〉 (文春文庫)
著者:トム クランシー
文藝春秋(1992-06)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

”日本は新型軍用大型機の開発で中国からリードを奪おうともくろんでおり”、ヘリ空母を持ち、国産のC−X輸送機P−X哨戒機を開発し、国内に数千発の原子爆弾がつくれるプルトニウムを貯蔵していると戴旭大佐は語る。


ステルス戦闘機の脅威と中国の対抗策

この本ではF−22ステルス戦闘機を、大きな脅威と位置づけており、日本がF−3導入計画でステルス能力のある国産戦闘機を製造するようになると、さらに大きな脅威になると警告している。

F−22

F-22






出典: Wikipedia

そしてF−22に対抗する手段は、ステルス機の航続距離≪2,000キロ)の外から長距離弾道ミサイルで基地や空母を叩くことだと語る。

たとえば精密装備を持たないコストの安い無人機を10万機くらい持ち、衛星測位システムにより誘導して爆弾を持たせて敵を攻撃するという「人海戦術」ならぬ「機海戦術」もあると語っている。

中国が最近「殲ー20」というF−22そっくりのステルス戦闘機のテストフライトに成功したことが報じられたが、中国も自前ステルス戦闘機開発に拍車を掛けているようだ。



この本の第5章のサブタイトルのひとつのように「中国は世界の覇権など狙っていない」なら、なぜ自前のステルス戦闘機が必要なのか理解に苦しむところだ。


南沙地域が中国の生命線

「満蒙は大日本帝国の生命線」というのは、戦前の日本のスローガンだったが、戴旭大佐は「南沙進出が中国の未来を決める鍵」と語っており、非常に違和感を覚えるところだ。

南沙列島は中国がフィリピン、マレーシアなどと領有権を争っている地域だ。

この本によると、この南沙地域には数百億トンの石油と天然ガス資源があるという。そして既に石油と天然ガスの生産は、中国の近海石油・ガス生産量の数倍の規模だという。

南沙諸島にそれだけの天然資源があると推測している根拠は、「権威ある部門の推計による」と書いているが、参考までに世界で最も「権威ある」BPの世界のエネルギー資源の統計を紹介しておく。

次のグラフはすべてBPがホームページで公開している資料だ

世界の国別石油埋蔵量

oil_reserve_2010











世界の国別石油生産量

oilproductionstatistical_review_of_world_energy_full_report_2010











世界の国別天然ガス確定埋蔵量

gasreservestatistical_review_of_world_energy_full_report_2010











世界の国別天然ガス生産量

gasproductionstatistical_review_of_world_energy_full_report_2010











少なくとも今の確定埋蔵量や生産量では、南沙周辺や尖閣列島周辺に戦争をしてまで争うほどの大規模な化石燃料資源があるとは思えない。


中国のGDPは年8−9%で成長しており、軍事費も10%以上の伸びを示している。

本のタイトルが刺激的が、現役の中国軍人が日本やアメリカをどう見ているのかがわかって参考になる貴重な資料だと思う。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。


  
Posted by yaori at 13:10Comments(0)TrackBack(0)

2011年01月07日

日本を決定した百年 吉田茂の寄稿と回想

日本を決定した百年―附・思出す侭 (中公文庫)日本を決定した百年―附・思出す侭 (中公文庫)
著者:吉田 茂
中央公論新社(1999-12)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

エンサイクロペディア・ブリタニカの百科事典の付録として出している補追年鑑の1967年版の巻頭論文を加筆修正した吉田茂の寄稿と回想。読書家の会社の友人に勧められて読んでみた。

昨年末出版された米国の知日派代表格のリチャード・アーミテージ元国務副長官とジョセフ・ナイハーバード大学教授の「日米同盟VS中国・北朝鮮」という本でも、アーミテージ氏は日本の戦後の「吉田ドクトリン」を高く評価している。

米国の軍事力の傘の下に入ることで、防衛に金を使わず、経済復興を最優先して日本を世界第2位の経済大国に押し上げたからだ。

日米同盟vs.中国・北朝鮮 (文春新書)日米同盟vs.中国・北朝鮮 (文春新書)
著者:リチャード・L・アーミテージ
文藝春秋(2010-12-15)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


この「日本を決定した百年」は次の構成となっている。

第一章 明治の創業

第二章 近代化のジレンマ(大正から太平洋戦争に至るまで)

第三章 戦後の二,三年(困難と努力)

第四章 奇跡の経済発展(池田首相の所得倍増計画まで)

第五章 奇跡のあとで(Good Loserーよき敗者)

この本の「解説」で粕谷一希元「中央公論」編集長は、この本は吉田茂が外務省を通して当時の京大教授で国際政治学者の高坂正堯(こうさかまさたか)に代筆を依頼したものだという裏話を紹介している。

粕谷氏はこの本を読んで、100%高坂正堯の文章であることを確信したと記している。

中間に「外国人が見た近代日本」ということで、江戸時代に日本に来たロシアのゴロヴニン、アーネスト・サトウからハドソン研究所の未来学者ハーマン・カーンまで合計7名の日本についての短い文を紹介している。

後半は「思出す侭(まま)」ということで、「時事新報」に連載された吉田茂の回想がまとめられている。

今度紹介する北康利さんの「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」にもある次のストーリーがこの本でも紹介されている。

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて吉田茂 ポピュリズムに背を向けて
著者:北 康利
講談社(2009-04-21)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


★「ディプロマティック・センスのない国は必ず凋落する」
これは吉田茂が駐英大使を辞め、外務省の在外公館査察使として世界を回った時に、米国でウィルソン大統領の親友だったハウス大佐に言われた言葉だという。

ハウス大佐は第1次世界大戦の直前にウィルソン大統領の命を受け、ドイツのカイゼルと面談し、戦争回避を訴えたという経歴がある。

吉田茂は、戦争直前の日本をこの言葉で形容している。しかし、この言葉は残念ながら現代の日本に一番当てはまる言葉ではないかと思う。

★「ハル・ノート」は最後通牒ではない
1941年11月26日付けのハル・ノートの原文がネットで公開されている。吉田茂はこれを読んだとき、"Tentative"(試案)と書いてあるし、決定的なものではないと書いてあるので、最後通牒ではないと了解したが、時既に遅しだったという。

当時の中日米国大使のグルーが「ハル・ノートは最後通牒ではないことを、当時の東郷外相に会って説明したいと吉田に仲介を頼んだが、既に12月1日の御前会議で、日米開戦の方針が決定されていたこともあり、東郷外相はグルー大使に会わなかった。

ネットで是非ハル・ノートの原文を読んで欲しい。


★真珠湾は奇襲だったかー先方は事前に知っていた?!
日本の電報は解読されていたので、米国側が知らないはずがない。

★日本復興に尽力した米国
吉田茂は、英国が占領軍の中心だったら、米国のように日本経済の再興のための援助に尽力することはなかっただろうと語る。

今度紹介する「虜人日記」でも、フィリピンは米軍が管理していたので、捕虜の食事にはさほど困らなかったことが描かれている。

しかし学生の時に読んだルネサンス史の大家、会田雄次元京大教授の「アーロン収容所」を再度読んだところ、英米の間で、捕虜の待遇は大きな差があったことがわかった。

英国軍が管理していたビルマでは捕虜の食料はほんの少量しか供給されなかった。

やむなく捕虜は栄養失調や、アメーバー赤痢の細菌に汚染されているカニを食べたりしてどんどん死んでいった。英国兵は捕虜がカニを取っていても、見て見ぬふりとしていたという。

アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書 (3))アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書 (3))
著者:会田 雄次
中央公論新社(1962-11)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

米国の食料援助は、日本国民にパン食と(スキム)ミルクの味を覚えさせ、その後の米国産品の輸出におおいに役立っている。

★対米一辺倒と罵る(ののしる)は無智
ここがこの本の肝心の場所なので、その部分を紹介しておく。

吉田茂本文214頁






出典: 本書214ページ

つまり米国一辺倒と非難する人たちは、近世に於ける国際関係につき全く無智なことを自ら表明しているのだと。

12月11日に放映されたNHKの「日米安保」特集では日本総研の寺島実郎さんが、「外国に基地を使いさせ続ける国は他にない」というような発言をしていた。

ヨーロッパの国はNATOに加盟しているので、当然のことながら自国の基地に米軍など外国の軍隊を駐留させている。寺島さんの論拠がわからないし、このような発言はまさに吉田茂の攻撃するところだ。

吉田茂は「わが国の国防を米軍がその一部を負担するということは、米国の好意である以上に、両国のためであり、世界平和維持のためである」と書いている。

この部分を冒頭に紹介したアーミテージ元国務副長官は「吉田ドクトリン」として高く評価している。


★「中立主義」「は空論
吉田茂は「中立主義」は空論と切って捨てている。

社民党はいまだに非武装中立を唱えていると思うが、核武装強化を進める北朝鮮や、空母やステルス戦闘機開発など軍事力増強が著しい中国が、東シナ海を自分のテリトリーにしようとする動きにはどうするのだろう。




現在の日本の外交を考える上でも、参考になる本である。


参考になれば投票ボタンをクリック願う。



  
Posted by yaori at 02:31Comments(1)

2010年12月01日

朝鮮戦争を知らずして今を語るべからず ザ・コールデスト・ウィンター

平成22年12月1日追記:

新聞・テレビなどのマスコミで、朝鮮戦争のことが連日取り上げられている。

しかしどれも断片的だ。

北朝鮮が当初からいかに冒険主義国家だったのか。

金日成はソ連で赤軍将校となったコネもありスターリンの傀儡だったが、一旦破竹の奇襲が跳ね返されたら、毛沢東の陰に隠れて陰の人になりさがったのか。

朝鮮戦争は実は米中戦争だったこと。

ソ連と中国は当時一体で、唯一の核配備国米軍に対峙していたこと。(1949年にソ連は最初の核実験に成功している。中国が核実験に成功したのは1964年のことだ)

などなどが全然伝わってこない。

現状を理解するために。朝鮮戦争を描いたハルバースタムの遺作「コールデスト・ウィンター」を再掲する。



平成22年11月25日初掲:

+++今回のあらすじは長いです+++

北朝鮮が韓国のヨンピョン島を突如砲撃した。まさに朝鮮戦争の勃発の時のように、何の前触れもなく一方的に砲撃をしてきた。

朝鮮戦争がいまだに終戦しておらず、休戦状態にあることを思いしらされる。朝鮮戦争を取り上げたハルバースタムの遺作を紹介する。

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上
著者:ディヴィッド・ハルバースタム
販売元:文藝春秋
発売日:2009-10-14
おすすめ度:4.0
クチコミを見る

アメリカのジャーナリスト ディヴィド・ハルバースタムの遺作。2007年にこの本を書き上げて、ゲラに手を入れた翌週、ハルバースタムは交通事故で亡くなった。

ハルバースタムの作品は今まで余り読んでいなかったが、会社の友人に勧められて「ザ・コールデスト・ウィンター」、ベトナム戦争を取り上げた「ベスト・アンド・ブライテスト」などを読んだ。

「ザ・コールデスト・ウィンター」は、2009年10月に日本語訳が出版されている。

朝鮮戦争を取り上げた作品に「忘れられた戦争"The Forgotten War"」という本があるが、第2次世界大戦とベトナム戦争に挟まれた朝鮮戦争は、まさに忘れられた戦争という言葉が的を射ているとハルバースタムも評している。

The Forgotten War: America in Korea, 1950-1953The Forgotten War: America in Korea, 1950-1953
著者:Clay Blair
Naval Inst Pr(2003-03-31)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


筆者の世代は戦後史は試験に出ない(たぶん歴史の評価が定まっていないので、試験に出せない?)ということで、高校の世界史の授業では教科書自習だったので、戦後史については本で学ぶことが多い。

北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃したことから朝鮮半島の情勢が緊迫化しており、北朝鮮の指導者も金正日から金正恩(キムジョンウン)に交代することが決定した現状、アメリカ、北朝鮮、韓国、そしてソ連の代理の中国がまともに戦った朝鮮戦争のことを知っておくのも意義があると思う。

朝鮮戦争は1950年6月25日、北朝鮮の精鋭7個師団(約10万人)が3週間で朝鮮半島全土を制圧するもくろみで、韓国に侵入して始まった。

北朝鮮の指導者金日成は、1949年10月の国共内戦での中国共産党の勝利の後は、自分が朝鮮を統一するのだと言って、ソ連のスターリンの支援を受け、中国の国共内戦を人民解放軍と一緒に戦った北朝鮮軍がソ連の武器を使って十分に準備をしての行動だった。

北朝鮮軍は3週間で朝鮮半島を制圧する予定だった

当時の国務長官のディーン・アチソンのミスで、アメリカの当時の防共ラインは日本海に引かれており、韓国には小規模な軍事顧問団しか置いておらず、侵略に対する備えを欠いていた。だから歴戦の勇者の北朝鮮軍は首都ソウルを含む韓国を蹂躙し、8月には韓国軍と米軍顧問団は南の釜山周辺に押し込められ、日本海に追い落とされるのも時間の問題となっていた。

当時はソ連と中国は緊密で、スターリンと毛沢東は朝鮮支援について話しあい、アメリカは参戦しないだろうが、日本が出てきたら中国が参戦するとシナリオを想定した上での金日成の軍事的冒険だった。

このとき北朝鮮軍の先頭で活躍したのが150両のソ連軍のT34/85戦車だ。

800px-Char_T-34






出典:Wikipedia(以下別注ない限りWikipedia)

米軍の持っていた60MMバズーカ砲はT-34に対抗できなかったので、急遽90MMバズーカ砲が大量投入された。ちょうど両方のバズーカが写っている写真がWikipediaに載っていた。90MMに比べると60MMはまるでおもちゃのようだ。

Bazookas_Korea







朝鮮戦争は「歴史から見捨てられた戦争」、「20世紀最悪の胸くそ悪い小戦争」などと呼ばれるが、険しい地形と朝鮮の冬の凍てつく寒さは米軍将兵を悩ませたという。

当時のトルーマン大統領は、北朝鮮が侵略してきた4日後に記者会見で、「戦争ではない。もっとも事実上そういうことにはなるが」と歯切れの悪い表現をし、「国連のもとでの警察行動」と呼んでも良いと答えた。

第二次世界大戦で勝利した米軍は、戦後5年間で定員も装備も足りない軍隊に成り下がり、おまけに朝鮮の険しい地形は工業力の象徴である戦車に頼る軍隊には最悪だったという。

当時の韓国の大統領はハーバードで学位を、プリンストンで博士号を取得して、アメリカに35年間生活してロビーストとして活動していた李承晩だった。

現在でも朝鮮戦争は休戦が成立したままで、依然として戦争は正式には終結していない。停戦までの米軍の死者は3万3千人、10万人以上が負傷した。韓国側の損害は死者41万人、負傷者43万人、北朝鮮・中国の死者は推定で150万人と言われている。

マッカーサーの甘い見込み

マッカーサーは朝鮮戦争勃発当時は日本を民主的な社会につくりかえるのに熱心で、朝鮮には関心を持っていなかった。ちょうど日本を訪問していたアリソンとダレスに、自分の功績を自信満々に説明した。朝鮮戦争も威力偵察に過ぎないだろうと軽くあしらっていた「朝鮮でパニックを起こすいわれはない」。

しかし部下より先にアリソンから大規模な戦闘になっていることを知らされると、翌日はひどく落胆し、今度は「朝鮮全土が失われた」と言っていたという。

マッカーサーはすでに70歳で、パーキンソン病に罹って、集中力の持続時間が限られ、手が震えていたという。

不意を衝かれた米軍(後に国連軍となる)・韓国軍は、圧倒的な武力の北朝鮮軍にすぐに釜山周辺まで押し込まれたが、現地司令官ジョニー・ウォーカーの獅子奮迅の指揮で、なんとか2ヶ月持ちこたえた。

米軍は大砲、迫撃砲がなかったので、バズーカ砲とクワッド50という装甲車に載せた4連マシンガンが有効な武器だったという。

この間マッカーサーは7月に台湾の蒋介石を訪問した。蒋介石を朝鮮戦争に招き入れるかどうか検討していたからだが、トルーマンはマッカーサーの独走をカンカンになって怒ったという。マッカーサーは台湾を「不沈空母」と呼んでいた。


9月の仁川上陸作戦が大成功

マッカーサーがほぼ独断で決めた9月15日の仁川上陸作戦で背後を衝かれて北朝鮮軍は敗走した。毛沢東は仁川上陸を予想していて、軍事参謀を金日成の元に送り注意を喚起したが、金は聞き流したという。

9月15日は仁川がなんと9.6メートルという最大潮位になる日で、これなら上陸用舟艇を長い危険な砂浜でなく岸壁に直接乗り付けられる。この日を逃すと1ヶ月後まで待たなければならないというぎりぎりのタイミングだった。「マッカーサーの生涯に軍事的に天才だったといっていい日が1日あった」と言われるゆえんだ。

国連軍・韓国軍はソウルを回復、10月には38度線を北上して平壌を陥落させた。「いまやマッカーサーを止めることはできない」とメディアは書き、アチソン国務長官はマッカーサーを「仁川の魔法使い」と呼んだ。

10月16日のウェーキ島でのトルーマンとの会見では、中国は駐中国インド大使経由、参戦すると警告を発していたが、マッカーサーは中国軍は決して参戦しないと請け合っていた。もし参戦してもひどい目にあわせてやると。マッカーサーはトルーマンに対して敬礼しなかったが、トルーマンは問題にしない様子だったという。

ワシントン上層部は平壌附近から攻め上がらず、中国軍の参入を招かない腹だったが、マッカーサーはワシントンの制限を無視して、10月末にはついに中国国境の鴨緑江まで攻め上がった。マッカーサーが従うのは、自らの命令だけであると信じられていたのだ。


クリスマスまでには戦争は終わる

得意の絶頂にあるマッカーサーはクリスマスまでに戦争は終わると公言し、朝鮮向けの武器弾薬をハワイに送り返す準備をしていた。

マッカーサーは自分は東洋人の心理を読むエクスパートだと自認していたが、マッカーサーには日本軍の意図と能力を読み違え、第二次世界大戦緒戦でフィリピンから逃げ出した前科があった。

金日成は南朝鮮から敗退するとすぐにソ連軍の支援を求めた。スターリンは初めから戦闘部隊は出さないと決めていたが、中国なら出すかもしれないと答えた。毛沢東は悩んだ末に金日成の援助要請に応じた。

前年12月に中国を統一してモスクワを初めて訪れた毛沢東はモスクワで冷遇された。会食も拒否され、やっとのことでスターリンに会ったが、軍事援助はわずかで、領土問題について譲歩を迫られた。「虎の口から肉を取るようなものだった」という。

これは筆者の推測だが、ソ連への憎悪から毛沢東は北朝鮮を自分の配下に引き入れるチャンスだと思ったのだろう。毛沢東はまずは12個師団(20万人)の大軍を義勇軍として朝鮮半島に派遣した。補給を船に頼らなければならない国連軍に対して、中国なら地の利があるというのが判断理由の一つだった。

スターリンは当初ソ連空軍の支援を約束していたが、結局空軍支援は鴨緑江以北にとどめ、主戦場の鴨緑江以南は支援区域から外した。毛沢東が朝鮮への友愛からではなく、自国の利害から介入したこと、そして中国がいずれ台湾を攻撃する場合には、ソ連の空軍と海軍に依存する他ないことをスターリンは知っていた。

毛沢東は激怒したが、ソ連の上空支援がなくとも参戦を決定した。軍の統制も子ども並みの金日成を「冒険主義者」と中国は軽蔑しきっており、金日成は戦争の責任者ではなくなった。


10月末には中国義勇軍が参戦

そして鴨緑江対岸に集結していた中国軍の大軍は、国連軍と韓国軍の補給線が伸びきるまで待って10月末に一挙に鴨緑江を超えて攻め込んだ。

当初、マッカーサー司令部G-2情報局のウィロビーは、鴨緑江に中国軍が集結しているという情報を取り合わなかった。マッカーサー信奉者のウィロビーは、マッカーサーの言葉を信じて中国軍が参戦するとは予想していなかったのだ。

この本では中国軍との戦闘に参加したアメリカ兵の実話を多く載せており、広がりと臨場感がある読み物になっている。ソ連製武器と、以前蒋介石に送ったアメリカの武器で中国軍に攻撃され、味方がどんどん倒れていく最前線の戦いが生々しく200ページ余りにわたって詳細に描かれている。

この実話の部分がハルバースタムが、休戦から55年も経ってから朝鮮戦争のことを書いた理由だ。様々な人から貴重な体験談を聞いたので、「書かねば死ねない」のだと。

しかしマッカーサー司令部のウィロビーはアメリカ軍の苦戦を信じなかった。そればかりか11月6日に朝鮮戦争は平壌北で敵の奇襲攻撃を撃退し、事実上終結したと声明を発表した。

マッカーサーは生涯を通じてアジアと関わったにもかかわらず、アジア人を知らず、軍司令官として「汝の敵を知れ」という基本中の基本も学んでいなかった。日本との戦いは工業国同志の戦いで、日本の産業基盤が限界となったのに対して、中国は最も工業化が遅れた国で、自分の弱点を理解してそれに応じた戦術を編み出していた。

日本では絶対的な権力を握っていたマッカーサーのとりまきNo. 1のウィロビーも酷評されている。ウィロビーはスペインのフランコ総統のファンで、従軍中にフランコの伝記を書いており、マッカーサーからは「愛すべきファシスト」と呼ばれていたという。

最前線の第8騎兵連隊の報道官は「カスター将軍を見舞った悲劇と同じだ」と語っていたという。

「勝利のワインが酢になり、マッカーサーは『空からの援護もなく、戦車もなく、大砲もほとんどなく、近代的通信設備も兵站基地もない中国人洗濯屋』にまんまと出し抜かれた」のだ。


12月初めには「鉄のおっぱい」リッジウェイ将軍が着任

12月初めにはマッカーサーの軍隊は全面退却していた。12月末にはマット・リッジウェイが第8軍の司令官としてワシントンの統合参謀本部から着任した。リッジウェイは頑固で、ユーモアがなく、攻撃的だったが、冷徹な現実主義者だった。

リッジウェイはノルマンディー上陸作戦時の空挺部隊指揮官であり、一時ウェストポイントの教官だったことから、軍に教え子が多くいた。マッカーサー同様神話の重要性を知っており、彼のあだ名は「鉄のおっぱい」(old iron tits)というものだった。いつも胸に二つの手榴弾をぶら下げていたからだ。マット・リッジウェイはつねに戦う姿勢にあるということだ。

着任前の12月26日に東京のマッカーサーに挨拶に行ったリッジウェーは、マッカーサーから「第8軍は君に任せる。いちばんよいと思うやり方でやってくれ」と言われた。この言葉でいままで東京がすべて動かしていたが、これからはリッジウェイが指揮をとることがはっきりした。

マッカーサーは面談の1時間半をすべて持論に費やしたという。マッカーサーは共産中国と全面戦争をやりたがっていた。「中国は南部が開けっ放しの状態だ」。

朝鮮では一泊もしたことのないというマッカーサーに対して、徹底した現場主義者のリッジウェイは小型機で戦場を飛び回り、地図に敵軍の旗があるのは48時間以内に接触した場合のみに限った。偵察、敵を知るのが最重要なことを現場に徹底された。


マッカーサーの米国政府批判

マッカーサーは政府批判を始めた。マッカーサーが中国軍を緊急追跡し、満州内の基地を爆撃しようとしたにもかかわらず、ワシントンが許さなかった。「歴史に前例のない莫大な軍事的ハンディキャップ」を負わされたと主張したのだ。

トルーマンは激怒した。事実上終わったと思っていた戦争が拡大したばかりか、その司令官が政府にとって巨大な敵となって敗北の責任を政府におおいかぶせてきたのだ。トルーマンは「核兵器の使用も含めてすべての兵器の使用は司令官が責任を持つ」と失言してしまい批判をあびる。

毛沢東もマッカーサーのように成功に酔っていた。現場指揮官の彭徳懐は冬が来るのに補給も途絶えがちで、ズック靴の中国兵では朝鮮の厳しい冬は戦えないので、春まで攻勢を待つことを訴える。しかしソ連と金日成の圧力もあり、毛沢東は共産主義の勝利を世界に知らしめるために追撃を命令する。

リッジウェイはソウル放棄を決断したので、中国軍は1月にはソウルを再占領した。ソウルから退却して体勢を立て直した国連軍は、韓国のちょうど真ん中付近の原州附近の双子トンネルや砥平里(チピョンニ)などで空軍の支援も受けて中国軍を迎撃した。

国連軍が多大な犠牲を出し、後に「殺戮の谷」(Massacre Valley)と呼ばれることになるこの激戦の模様が、この本では克明に記されている。

当時の米軍は人種差別をしており、黒人は黒人だけの部隊編成をしていた。トルーマンやリッジウェーは人種差別を撤廃しようとしていたが、第10軍司令官でマッカーサー側近のネド・アーモンドは、黒人を蔑視しており、「灰やゴミ」と一緒だと言って、白人部隊に3人ずつ黒人兵を配置した部下の指揮官を罰した。

アーモンドは中国人を「洗濯屋」と呼んで蔑視しており、中国軍について研究することを一切しなかったので、部隊間の情報交換はなかった。それがためアーモンドが立案した「ラウンドアップ作戦」で、多大な犠牲を被ることになった。国連軍を包囲していた中国軍は道の先頭のトラックを攻撃し、立ち往生した国連軍トラック120台と多くの大砲を手に入れた。

2月には中国軍はさらに進撃し、原州に近づくが、それを察知した偵察機からの情報で、迎え撃つ国連軍の130MM砲数門、155MM砲30門、105MM砲100門という大量の大砲の餌食となり、空からはナパーム弾の直撃を受けた。

リッジウェーは長距離砲を中心とした戦略で、圧倒的多数の中国軍との「人口問題」を解決しようとしていたのだ。中国軍の重火器は空軍力でたたき、「肉挽き機」のように戦うのだと。

朝鮮の中部回廊地区だけで中国軍の死傷者は20万人にも達した。これが戦闘の転機となり、中国軍の進撃はストップした。

F86セイバー戦闘機が共産軍のミグ15との空中戦で優位に立ったのはこのときだ。



マッカーサー解任

リッジウェイの成功で、マッカーサーのプライドが傷ついた。リッジウェイの作戦を、ひいては攻める「アコーデオン戦争」と呼び、依然として中国との全面戦争を主張し、トルーマン政権攻撃をエスカレートさせた。

戦線を北緯38度線まで押し戻せれば、共産主義を食い止めたということで、国連軍の勝利だと主張するリッジウェイに対し、マッカーサーは自分なら同じ戦力で、中国軍を鴨緑江の向こう側に押し返せると明言し、東京駐在の各国の外交官に伝えていることが、外交通信傍受でわかった。

これは明らかな軍の文民統制に対する違反であるとトルーマンは判断し、4月11日にマッカーサーを解任した。マッカーサー自身への通告の前にラジオが放送するという不手際だった。

タイム誌は「これほど不人気な人物がこれほど人気のある人物を解任したのははじめてだ」と書いた。リチャード・ニクソンはマッカーサーの即時復職を要求した。日本では25万人がマッカーサーを見送るために街頭に列を成し、ニューヨークでは700万人がパレードに繰り出したという。

「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」マッカーサーの上院での退任演説での有名な言葉だ。しかし上院聴聞会は3日間続き、マッカーサーは中国軍は参戦しないと確信していたことを認め、ヨーロッパのことは発言を回避するなど、日に日に小さくなっていった。油断から判断を間違えた司令官というイメージが定着していった。


戦線の膠着と和平交渉

朝鮮での戦争は1951年春中国が30万人の兵力を投入し、大攻勢を掛けたが、成果を上げられなかった。1951年7月和平交渉が開城、次に板門店で始まったが、交渉は遅々として進まなかった。

1952年の大統領選挙でアイゼンハワーが勝利し、翌1953年3月にスターリンが死ぬと、戦闘は続いていたが、アメリカと中国は解決策を探り1953年7月27日に休戦合意が成立した。

その後金日成は、朝鮮戦争をまるで一人で戦ったような話をでっち上げ、平壌の朝鮮戦争記念館を訪れた中国人は、その展示を見て激怒するという。金日成は核兵器を開発することと、息子を後継者にすることを目標とし、国内の工業生産も国民の飢え死にも気にしなかった。金日成は死に、金正日が後を継ぎ、そして金正恩がその路線を継ぐことになる。


登場人物の描写

金日成の経歴が紹介されている。金日成は朝鮮生まれだが、両親と共に満州に移住し、抗日運動に属した後、ソ連で赤軍将校となりスターリンのあやつり人形として1945年10月に平壌で朝鮮デビューした。スターリン死後もスターリン主義者であり続け、統治を確実なものにするための個人崇拝の必要を悟ったことなどが紹介されている。

マッカーサーの記述も面白い。

アイゼンハワーはマッカーサーの副官としてワシントンとマニラで一緒に勤務していたので、マッカーサーの手の内を知り尽くしていた。アイクは「わたしはワシントンで5年、フィリピンで4年、彼の下で演技を学びました」と答えていたという。

マッカーサーより「上級」なのは神しかおらず、生涯「自分より劣る人間がつくったルールは自分には適用されないという前提で」行動したという。「マッカーサーは語る。だが聞かない」。

タイム誌のオーナー、ヘンリー・ルースはチャイナロビーと結びついており、蒋介石をタイム誌の表紙にたびたび載せる一方、マッカーサーを賛美しており、マッカーサーも蒋介石に次ぐ7回タイムの表紙に登場したという。

マッカーサーは1918年に最年少で将軍になっており、それから30年間も将軍として君臨して、とりまきにお追従を言われ続けた。マッカーサーは毎日人に会う前に演技の練習をしていたという。

念入りにリハーサルを行っていながら、あたかも即興のようにみせ、天性の独白役者で、演技には寸分の狂いもなかったとハルバースタムは評している。この本ではマッカーサーの父親や、マッカーサーをマザコンにした母ピンキー・マッカーサーのことも説明していて面白い。

マッカーサーが母親に相談なく最初の結婚をしたときに、母は結婚式に出席せず、寝込んでしまい、結局、最初の結婚は長続きしなかったという。マッカーサーの二番目の妻のジーンは母親が選んだ相手で、自宅ではマッカーサーのことを1"Sir, Boss"と呼んでいたという。

マッカーサーはフランクリン・ルーズベルトを嫌っており、ルーズベルトが病気で死去したときには、「ルーズベルトは死んだか。うそが自分に役立つときは真実は決して話さない男だった」とコメントしたという。もっとも、ルーズベルトも「マッカーサーは使うべきで、信頼すべきでない」とコメントしていたという。

マッカーサーは1944年、1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補として出馬しているが、いずれも惨敗している。

トルーマンとの関係も悪かった。トルーマンはマッカーサーのことを「あのプリマドンナの高級将校」と呼び、マッカーサーはトルーマンほど大統領としての適性を欠く者はいないと考えていた。大学も出ておらず「あのホワイトハウスのユダヤ人」と言っていたという。

1949年秋にアメリカの原爆独占は終わり、ソ連が原爆を開発した。

それまで親米だった蒋介石の中華民国が毛沢東の中国共産党に敗退し、1949年1月には蒋介石が台湾に移り、4月に南京が陥落し、国共内戦にけりがついた。

中国に於ける米国軍事顧問団の代表だったジョセフ・スティルウェル将軍は、1942年の段階で、蒋介石は全く役に立たず、能力はあっても抗日戦に軍を使う気がないとレポートしていたが、ルーズベルトは蒋介石に圧力を掛けすぎて日本との単独講和に走らせないようにとの配慮から放っておいた。

その結果「アメリカ人に訓練され、アメリカ製装備で武装したほぼすべての師団が、一発も発砲しないで共産軍に降伏して」中国は共産化し、米国では「誰が中国を失ったのか?」と政治問題化した。

この辺の事情はバーバラ・タックマンの「失敗したアメリカの中国政策」に詳しい。こちらも今度あらすじを紹介する。

失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍
著者:バーバラ・W. タックマン
朝日新聞社(1996-02)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


恥ずかしながら、朝鮮戦争については断片的にしか知らなかったので、この本は大変参考になった。

北朝鮮は朝鮮戦争をしかけた金日成の時から「冒険主義者」である。今度のヨンピョン島砲撃も冒険主義者的な動きだと思う。アメリカ・韓国軍と正面切って戦争をやるだけの軍事力も根性もないと思うが、全く危険な隣人である。

緊迫する朝鮮情勢を考える上で、朝鮮戦争のことを知ることは有意義だと思う。一度手にとってみることをおすすめする。


参考になれば投票ボタンをクリック願いたい。




  
Posted by yaori at 23:52Comments(0)TrackBack(0)

2010年11月19日

カイト・ランナー 全米ベストセラーのアフガン・アメリカン小説

カイト・ランナーカイト・ランナー
著者:カーレド ホッセイニ
アーティストハウスパブリッシャーズ(2006-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

1980年に家族と一緒に15歳でアフガニスタンからアメリカに亡命し、カリフォルニア大学サンフランシスコ分校(UCSF=医学部)を卒業し、現在医者としても活躍中のアフガン系アメリカ人、カーレド・ホッッセイニの2003年のデビュー作。

ハヤカワ文庫から出ている「君のためなら千回でも」という本も同じもので、文庫版が出たときに、この小説の中の有名なセリフを本のタイトルとしたものだ。

君のためなら千回でも(上巻) (ハヤカワepi文庫)君のためなら千回でも(上巻) (ハヤカワepi文庫)
著者:カーレド・ホッセイニ
早川書房(2007-12-19)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

売り出されてニューヨークタイムズのベストセラーリストに64週間もランクインし、全部で800万部を売り上げるベストセラーになったという。

たしか佐々木俊尚さんの本で絶賛されていたので、読んでみた。

非常に面白い小説だった。

映画化もされている。

君のためなら千回でも [DVD]君のためなら千回でも [DVD]
出演:ハリド・アブダラ
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン(2010-02-26)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る




この映画の予告編で全体のストーリーがざっと紹介されているので、是非見て欲しい。

例によって小説のあらすじは詳しく紹介しないが、これはアフガン・アメリカンの小説であり、アフガン小説ではない。

つまりアフガニスタンを舞台にしたアメリカ映画であって、1979年のソ連軍のアフガニスタン侵攻や、ソ連軍撤退後にアフガニスタンの実権を握ってやりたい放題のイスラム原理主義政治を行ったタリバンのことを描いた映画ではない。

そういった出来事は、単に時代的背景であり、いかにもアメリカ人が好みそうな、ハラハラ・ドキドキのサスペンスや、どんでん返しがあって、エンターテイメント作品として秀逸である。

ストーリーはアフガニスタン生まれの主人公アミールが、下男の息子ハッサンと兄弟同様に育つが、凧合戦の時にパシュトゥーン人とドイツ人の混血児のガキ大将に目を付けられてハッサンが襲われ、アミールは見て見ぬふりをしてしまう。

アフガニスタン人の多数を占めるパシュトゥーン人と、下男はハザラ人という人種的な対立や、パシュトゥーン人はスンニ派、ハザラ人はシーア派というイスラム宗派の違いもある。

それからはアミールは、ハッサンとは気まずくなり、結局ハッサンの家族はアミールの家を出て行く。

1979年のソ連のアフガニスタン侵攻とともに、アミールは父親と一緒にアメリカに亡命する。

アメリカで小説家となり、成功しはじめたアミールの元にパキスタンの知人から電話が入り、呼ばれてパキスタンに行くと、そこでハッサンがタリバンに殺され、一人息子のソーラブが孤児となったことを知らされる。

ハッサンに負い目があるアミールはアフガン入りすることを決意。そこからアメリカ人好みのアドベンチャーが始まる。

筆者はアフガニスタンは行ったことがないが、イランには仕事で2回行き、テヘラン、古都イスファファン、港町バンダルアッバスを訪問した。

筆者はペルシャ語の簡単な挨拶は覚えている。「神のご加護を!」という意味の「インシャラー」は中近東各国で同じなので、それはいいとして、英語の"How are you?"にあたる「ハリ・ショマ・フベー」がペルシャ語でもパシュトゥーン語でも同じなのに驚いた。

パシュトゥーン人とペルシャ人は人種的・言語的に共通するものが多いようだ。

筆者がイランを訪問したときは、1983年頃で、ちょうどイランーイラク戦争の時だった。ソ連軍がアフガニスタンで戦っていた時期でもある。

ソ連はミル24ヘリコプターなど、最新兵器をアフガニスタンに持ち込んだ。

Mi-24D_Hind_Attack_Helicopter_(Berlin)




出典:以下別注ない限りWikipedia

映画ランボーで出てくるヘリコプターだ。



ムジャヒディン達は、軽武装ながらも、アメリカから援助されたスティンガーミサイルのおかげで、多数のミル24を打ち落とし、結局ソ連軍は安心してヘリコプターや飛行機を飛ばすことすらできなくなった。

800px-FIM-92_Stinger_USMC





結局ソ連は撤退し、ムジャヒディン達は勝利を収める。

Jamiat_e-Islami_in_Shultan_Valley_1987_with_Dashaka









勝ち誇ったムジャヒディン達は、今度はアメリカから援助された武器を使って、アフガニスタンの住民を支配し、さらにオサマ・ビン・ラディンの率いるアルカイダは、アメリカに対して9.11テロ攻撃を仕掛ける。

そのタリバンが制圧するアフガニスタンが、この小説の後半部分の背景だ。

全体を通して凧(カイト)がアクセントになっている。

よくできた小説だと思う。是非どちらかの本を手にとってみることをおすすめする。


参考になれば投票ボタンをクリック願う。


  
Posted by yaori at 02:02Comments(0)TrackBack(0)

2010年11月09日

変われない組織は亡びる 河野太郎と二宮清純の対談集

変われない組織は亡びる(祥伝社新書206)変われない組織は亡びる(祥伝社新書206)
著者:二宮 清純
祥伝社(2010-07-02)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

自民党の若手代議士のプリンス河野太郎とスポーツ評論家二宮清純との対談集。

スポーツの話題もあるが、大半が政治についての対談だ。へーえということがいくつかバラされている。たとえば:

★ゆうちょ銀行の預け入れ最高額を倍にしようと日本新党の亀井静香が動いているが、もしそうなれば銀行のペイオフの1,000万円を超える安全な金融資産となる。

現在郵貯は預貸率(よたいりつ)が2%しかない。つまり預金の2%しか貸付しておらず、残りはすべて国債を買っている。

預け入れ残高が倍になれば、その分国債を買わせられるので、財務省はOBの斉藤(愛称デンスケ)元大蔵次官を送り込んだのだと。

★大臣は引き継ぎはしないという暗黙のルールがあるという。大臣の引継書は官僚が書き、定型的な政策の説明を一式バインダーで閉じたもので、中身など誰も見ていないという。河野太郎は法務副大臣の時に、引継書を自分で書いて官僚に驚かれたという。

★パラリンピックの選手はナショナルスポーツセンターは使えない、パラリンピックは文科省ではなく、厚生労働省管轄だからだ。特例として車いすテニスなどの有名選手には、特別に使わせてやるという姿勢だ。

★社民党の福島みずほ党首などは、すぐに大企業に税金を払わせろとか言うが、日本の法人税は実効税率で約40%、OECD30カ国の平均が26.3%なので、大企業ほど外に出て行く力がある。

サッチャーは「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない」と言っていたそうだが、民主党の政治は「共存共貧」であり、この国で将来何で食っていくのかが明確でないと。

★衆議院には投票ボタンがない。参議院には投票ボタンがあるから、若林正俊議員の「なりすまし投票」が起きた。


簡単に読める本で、参考になった。


参考になれば投票ボタンをクリック願う。








  
Posted by yaori at 22:27Comments(0)TrackBack(0)

2010年11月05日

世界を知る力 寺島実郎さんの「アメリカを通してしか世界を見ない」日本批判

メドベージェフ大統領が北方領土の国後島を訪問したことが、日本の右派を中心とした世論に火を付けている。

一方中国とは尖閣列島問題が尾を引き、シンガポールでの日中首脳会談もキャンセルになるほど関係はぎくしゃくしている。タカ派の前原さんが外務大臣になってからは、中国はなおさら日本とは距離を置く外交姿勢に転換しているのではないかと思う。

外交や経済・株価・円高などについての八方ふさがりな状況から、菅内閣の支持率は低下の一方だ。

アメリカの同盟国という位置づけは変えないが、戦略的に中国に対抗するために、日本はロシアやCISなどとの関係を深める選択肢しか、21世紀に影響力を保つ方策はないのではないかと筆者は思っている。

アメリカ一辺倒、「アメリカを通してしか世界を見ない日本」の姿勢を批判している寺島実郎さんの近著のあらすじを紹介する。

世界を知る力 (PHP新書)世界を知る力 (PHP新書)
著者:寺島 実郎
販売元:PHP研究所
発売日:2009-12-16
おすすめ度:4.5
クチコミを見る

三井物産出身で、三井物産戦略研究所会長、日本総研会長、多摩大学学長を勤める寺島実郎さんの近著。

寺島さんは最近はTBSの関口宏のサンデーモーニングにコメンテーターの一人としてレギュラー出演しているので、知っている人も多いと思う。

寺島さんは日本人の「アメリカを通してしか世界を見ない」傾向は、特殊な世界認識の鋳型であり、世界認識を改める必要があると語る。そのため、いままで知らなかった次のような事実が紹介されていて興味深い。


ロシアの日本語学校は1705年創立

ロシアのプーチン首相の出身校、サンクトペテルブルク大学の日本語学校は1705年に設立された。ピョートル大帝のサンクトペテルブルク建設のわずか2年後に日本語学校がロシアにできていたのだ。ペリー来航の150年も前のことだ。ロシアは日本に1792年に遣日使節を送っており、幕府は丁重にもてなしたという。

日本が函館を開港した1859年の翌年、ロシアはウラジオストック建設に着手している。極東ロシアと北海道はほとんど相似形ともいえるほど非常に似た歩みで開発されていく。日露関係は日米関係よりも、もっと歴史的に深く長くかかわりを持っていたのだ。

ちなみに白系ロシア人というのは、色が白いという意味ではなく、赤=共産党に対する白だ。東京のウクライナ大使館の大使の部屋には、大鵬(お父さんが白系ロシア人)の等身大の写真が飾ってあるという。

地図の上下を逆さまにみると、日本がいかにユーラシア大陸に近接しているかよくわかると寺島さんは語る。

napaJ





たしかにこうしてみると、日本海は内海で、日本は大陸の一部であることがわかる。


その他参考になった事例

この本で参考になった事例をいくつか紹介しておく。

★世界を変えた5人のユダヤ人。それはモーゼキリストマルクスフロイトアインシュタインで、ユダヤのジョークに5人が議論するジョークがあるという。

★電力網は仕組みがインターネットに似ている。アメリカの電力網効率化計画のスマートグリッドには、Googleがグーグルパワーメーターという電力最適化商品をひっさげて参入している。

筆者は1980年代後半と1990年代後半の2回アメリカに駐在しているが、最初の1980年代後半の時に既にアメリカでは送電網をコンピューターを使って最適化しようというソフトウェアがあった。

当時の上司のピッツバーグ支店長が、アメリカの電力業界(電力会社が石炭の炭坑や船積み設備を持っていた)のコネを使って、この送電網最適化ソフトを開発していた、ベンチャー企業を発掘しようとしていた。

だからスマートグリッドというのは、発電と送電が別個に自由化されて、3,000以上も電力会社があるアメリカでは決して新しい考え方ではないのだ。

★「小泉構造改革」は2001年の米国政府の構造改革対日提案に沿うように日本を市場主義の原理によって改革することを意味していた。小泉政権は、日本をアメリカのような国に変えなければと思い詰め、アメリカの要求に則って、規制緩和や民営化を進めていった。

★小泉政権が「郵政民営化こそが構造改革の本丸」という珍妙な論理で実行されたのは、とにかく改革しなければという強迫観念にも似た幻想にすぎなかったからだ。

★「日米関係は米中関係である」これは国際ジャーナリストとして活躍し、日本憲法の原案作りにも加わった松本重治さんの言葉だ。寺島さんは至言と言っているが、筆者もまさにその通りだと思う。米中関係というもう一つの尺度をもたないと日中関係も上手くいかない。
 
★20世紀の米中日関係に深い影響を与えた人と言われれば、寺島さんはタイム・ワーナー創始者のヘンリー・ルースを挙げるという。チャイナ・ロビーの活動を通して蒋介石を支援していた。その中国側窓口が宋子文だった。孫文夫人宋慶齢、蒋介石夫人宋美齢の兄弟である。戦争期を通じてアメリカが中国に行った支援の累積額は今の金で200億ドルを超すという。

★1949年に中国の内戦が終わり、蒋介石が台湾に逃れてから、1972年のニクソン訪中まで米中関係は混乱していた。その間で日本は復興・経済発展を遂げた。

★「アメリカのアジア政策は常に日本を基軸とする」という幻想にとりつかれていたので、「日米の力で、新たな脅威=中国に対抗しよう」というような議論があるが、これは「日米関係は米中関係」という基本の視点を欠いた議論である。

★そもそも、独立国に外国の軍隊が駐留し続けていることが、いかに不自然な事態であるか、我々日本人は知るべきである」と。ドイツは冷戦終了後、在独基地の縮小と地位協定の改訂を実施した。

★イラン革命が起き、三井物産がイラン・ジャパン石油化学で四苦八苦していた時に、イスラエルのモサドはイラン革命を予想していたという。

寺島さんはこれに驚き、テルアビブ大学の研究所(現ダヤンセンター)を訪問し、「情報」の持つ本当の意味を実感したという。モサドは当時ホメイニ師が毎日瓜とヨーグルトを食べていることまで掴んでいたという。

このブログで紹介した佐藤優さんの「国家の罠」で、佐藤さんが起訴される理由の一つとなった、信頼できるロシア情報をイスラエル経由で入手するために、外務省の公金でイスラエルの著名な大学教授などを日本に招待したことが思い出される。

ロシア情報をイスラエル経由取得するのは、世界の常識では当たり前と考えていたことがよくわかる。

他にも参考になる情報が満載だ。

池上解説ほどジャーナリスティックで、わかりやすいわけではないが、200ページの新書で簡単に読めるので、「アメリカを通してしか世界をみない日本」という問題意識に共鳴する人は、是非一読をおすすめする。


参考になれば投票ボタンをクリック願う。


  
Posted by yaori at 01:30Comments(0)TrackBack(0)

2010年09月14日

タオバオの正体 中国のEコマースがわかる

中国巨大ECサイト タオバオの正体 (ワニブックスPLUS新書)中国巨大ECサイト タオバオの正体 (ワニブックスPLUS新書)
著者:山本 達郎
販売元:ワニブックス
発売日:2010-06-08
おすすめ度:5.0
クチコミを見る

「アリババ帝国」に続いて、中国のEコマースの本を読んでみた。

アリババ帝国 ネットで世界を制するジャック・マーの挑戦アリババ帝国 ネットで世界を制するジャック・マーの挑戦
著者:張 剛
販売元:東洋経済新報社
発売日:2010-07-09
おすすめ度:3.5
クチコミを見る


タオバオはアリババグループのCtoC,BtoCサイトで、アリババとソフトバンクのジョイントベンチャーとして2003年に誕生した。タオバオとは見つからない宝はないという意味だ。

taobao site






当時中国ではeBayが投資する易趣味が圧倒的シェアーを持っていたが、タオバオは少なくとも3年間は出店料、手数料を無料にすると発表、急速にマーケットシェアを奪っていく。

2003年10月にはアリペイという決済システムがスタート、中国Eコマースで最大の問題だった信用問題を解決した。現在中国Eコマース決済の2/3がアリペイだ。

2003年8月には5万人だったユーザーが、2004年末には350万人、2005年末には1400万人に拡大。2010年には1億8千万人にまで拡大した。中国のネットユーザーは3億人といわれているので、その6割がタオバオユーザーだ。

CtoCビジネスでは2009年のタオバオのシェアーは81.5%を占めている。


タオバオの拡張戦略=大タオバオ戦略

タオバオの拡張戦略はオーソドックスだ。まずは個人向けオークションで、先行するeBayの易趣網を追い抜き、次にタオバオモールでBtoCビジネスに展開した。

2008年9月からタオバオアフィリエイトサービスを開始、またたくまに40万ものサイトがタオバオの商品を飾るショップフトントとなった。

2009年3月からはタオバオモバイルを開始、携帯電話でもタオバオの商品を購入できるようになった。

チャットツールのアリワンワンや、SNSの淘江湖、クチコミの淘心得、タオバオQ&Aサイトという具合に事業を拡大してきた。

変わったところでは女性を中心としたユーザーが、ファッションなどを自ら身につけてネットショップとモデル契約を交わす、いわばモデルのマーケットプレースの淘女郎もある。

mmtaobao






タオバオの売れ筋商品

タオバオには現在250万もの個人ショップが出店しているという。この本では日本からタオバオに出店する場合の手続きを詳しく解説している。

タオバオの売れ筋商品は次の通りだ。

1.化粧品
2.レディースファッション
3.デジタル家電
4.レディースバッグ
5.韓国アクセサリー
6.日用品と家具

タオバオの成功モデルとして、2009年4月に出店したユニクロが取り上げられている。ユニクロの柳井社長は、「ユニクロの目的は世界最大のアパレル販売会社になることであり、その戦略の中でもタオバオは非常に重要な位置を占めている」と語っているという。

IBMのパソコン事業を買収したレノボ、スポーツ用品のKappa、通販のフェリシモなどの企業の成功例が紹介されている。

また成功した個人ECショップも紹介されている。タオバオナンバーワンの個人ECショップは「檸檬緑茶」というサイトだ。このサイトでは化粧品、ファッション、アクセサリー、時計などを販売している。

檸檬緑茶





この本では檸檬緑茶や日本人の経営する粉ミルクショップ「宝貝心願」についても詳しく説明している。

宝貝心願






日本製粉ミルクショップはちょうど中国で粉ミルクにメラミンを混ぜるという悪質な品質詐欺事件があったことから、大ブレイクした。

「宝貝心願」のオーナーの内田さんのコメントも興味深い。内田さんは、中国人には絶対に仕入を任せてはいけないという。すぐに独立して中抜きされたり、私腹を肥やしたりするケースが多いという。

その他タオバオで成功した泥パックのショップ「御泥坊」や、田舎町の産品を売っている「四川味道」など、様々な個人ショップが取り上げられている。

タオバオショップの成功の秘訣は、1.クチコミ、2.ユーザーへの対応/アフターサービス、3.商品説明のわかりやすさ、4.中国市場の研究他だという。

タオバオではニセモノ排斥運動に力を入れており、7日以内であれば理由を問わず返品、交換を保証したり、ニセモノがあった場合、3倍の賠償を保証している。

この本の著者の山本達郎さんの経営している北京ログラスなどの出店・運営代行サービスも紹介している。

これからはEコマースは日本のヤフーの運営するタオバオ購買サービスのYahoo!チャイナモールで中国製品を買ったり、タオバオ販売代行サービスを通じて、中国に日本の製品を売ったりする日中共通ECサービスの時代だという。

Yahoo!





タオバオで成功している店が詳しく紹介されていて参考になる本だった。一度中国製品のEコマースも体験してみようと思う。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。





  
Posted by yaori at 12:06Comments(0)

2010年09月04日

生きることにも心せき 元国連事務次長明石康さんの回想記

生きることにも心せき―国際社会に生きてきたひとりの軌跡生きることにも心せき―国際社会に生きてきたひとりの軌跡
著者:明石 康
販売元:中央公論新社
発売日:2001-06
おすすめ度:4.0
クチコミを見る

カンボジアとボスニアの国連事務総長特別代表として紛争解決のため国連PKOを指揮した明石康さんの自伝。

明石さんの対談「独裁者との交渉術」を読んだので、もっと明石さんのことを知るために読んでみた。


明石さんの経歴

明石さんは比内地鶏で有名な秋田県比内町に1931年に生まれた。渋谷の忠犬ハチ公は、明石さんのお母さんの実家の生まれだという。

東京大学教養学部アメリカ分科卒業後、1955年にフルブライト留学生としてバージニア大学大学院で学ぶ。東大の卒業論文のテーマだったジェファーソンが設計した大学だという。1年で修士号を取得した後、ボストンのタフツ大学の国際関係専門のフレッチャー大学院で学ぶ。学生数は60名だったという。

ちょうど1956年に日本の国連加盟が実現し、国連見学の時に重光葵外相の加盟演説を聴き、国連政務部長よりリクルートされ、フレッチャー大学院からコロンビア大学に移って博士研究を続ける条件で国連事務局に採用される。


明石さんの国連での仕事

ハンガリー動乱の事務総長報告書作成が最初の大きな仕事だったという。

明石さんの仕えた最初の国連事務総長は、アフリカの飛行機事故で亡くなったハマーショルドだった。次のビルマ出身のウ・タントの下で、明石さんは国連大学設立にあたった。

筆者も国連大学について理解していなかったが、学部レベルの国際教育を行うのではなく、国際的に緊急かつ重大な問題に関して各国の研究者や研究期間が協力するためのネットワークだという。

今は「国連大学」という名称は間違いだったと反省していると。


途中で外務省職員になる

明石さんは途中で、1974年に外務省に中途入省し、国連日本政府代表部に配属され5年間働き、また国連に戻った。当時は外務省の同期に比べて待遇は遜色があったという。当時の大河原官房長は人事院のせいと、すまながったという。

明石さんは1969年からニューヨーク郊外のスカースデールの一軒家に住んでいたという。


国連に復帰

ウ・タントの次がワルトハイム事務局長で、明石さんはワルトハイム事務局長の下で、1979年に広報担当の事務次長となる。それから18年間事務次長として、いろいろなポジションを経験してきた明石さんは、事務次長としてパキスタン出身の一人を除いて最高記録だという。

この頃からアメリカは国連総会に見切りをつけるようになり、決議を無視するようになったという。国連総会の2/3の多数といっても、世界の人口の10%で、国連拠出金の5%だけだったからだ。


国連カンボジア暫定統治機構のトップに就任

1991年にブトロス・ガリ事務総長の就任とともに、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の事務総長に任命される。就任直後、日本の宮沢総理、渡辺美智雄外相、小和田外務次官などにも会い、日本政府からも支援を得た。

明石さんは在任中シアヌーク殿下、フン・セン首相、硬直的なポルポト派などと交渉し、紛争3派の武装解除を実施した。

国連PKOはショーウィンドーのようなものだと明石さんは語る。軽武装だから、簡単に武力では圧倒されるが、その際大きな音がするので、周りの人が集まってくるので、PKOに対して大それた事を試みる者が出てこないのだという。


カンボジアPKOでの邦人犠牲者

それでも命をなくす人は出てくる。カンボジアでは1993年に入り、選挙を予定通り実施すると発表してから、国連ボランティアやPKOが襲われる事件が続出した。選挙を妨害する目的である。

4月に国連ボランティアの中田厚仁さんが殺害され、5月にはコンボイが襲われ、高田晴行警部補が殉職し、4名の日本人文民警察官と5人のオランダ人兵士が負傷した。

これに対し宮沢首相は、旺盛な知識欲と分析能力を元に情勢分析をして、日本政府は自衛隊や警察官の撤退は考えていないと発表した。宮沢首相のからは会うたびに克明な説明を求められたという。

明石さんは中田さんの父親中田武仁さんの悲嘆にくれる姿を想像していたら、息子を誇りに思うと語り、その後勤務先の日商岩井を辞め、NGOとして働くことを決心した。親子が一つの理念に殉じるという戦後日本では稀有な出来事だったと明石さんは語る。

明石さんは中田さんの態度に芥川龍之介の小品、「手巾(ハンケチ)」を思い出したという。

大導寺信輔の半生・手巾・湖南の扇 他十二篇 (岩波文庫)
著者:芥川 龍之介
販売元:岩波書店
発売日:1990-10
おすすめ度:5.0
クチコミを見る


明石さんにも暗殺予告は届いていたが、1993年5月23日予定通りカンボジアの総選挙は実施された。明石さんは生涯で最良の日だったと語る。投票率は89%を超えたという。

総選挙の結果、シアヌーク殿下は、シアヌーク国王の王政を復活し、ラナリット、フン・セン両首相の内閣を構成することを発表し、暫定国民政府が樹立された。シアヌーク国王は国連のUNTACをインポッシブル・ミッションと讃える演説を行ったという。

その後はカンボジアの憲法を制定するプロセスが続いた。明石さんは「マッカーサー」にはなりたくなかったので、カンボジア人に憲法制定を任せ、1993年9月、560日のカンボジア勤務を終えた。

明石さんは帰途バンコクで日本公使にフランス料理店でシャトー・マルゴーをごちそうになり、肩の荷がおりたことを実感したという。

シャトー・マルゴー[2001](赤ワイン)
シャトー・マルゴー[2001](赤ワイン)


後でも述べるが、いまどき在外外交官からシャトー・マルゴーで接待を受けたなどと告白したら、それこそ公費のムダ使いと糾弾されるだろう。明石さんにズレを感じる点の一つだ。


ボスニアPKO

この本の後半部分は1994年から1995年11月までのボスニアPKOの話だが、前回紹介した「戦争と平和の谷間で」とかぶるので、詳しくは紹介しない。

カンボジアの経験と、カンボジアPKOにあたった職員を「カンボジアマフィア」として連れて行き、奮闘したが、結局内戦収集にはいたらず、1995年11月に国連事務総長特別代表を辞任した。

その後人道問題担当事務次長に就任した後、1997年末で国連を退職し、日本に戻る。1999年には都知事候に立候補するが、石原慎太郎に敗北する。


明石さんの本に足りないもの

このブログは書評ブログではないので、本の内容について論評を加えることはしないのが基本方針だ。

それでも明石さんの本については、あえて書き加えたほうが良いと思うので、以下筆者の感想を述べる。

明石さんの対談の「独裁者との交渉術」と著書「戦争と平和の谷間で」と今回の「生きることにも心せき」の3冊を紹介したが、明石さんの本を読んだ後、今度紹介する「オシムの言葉」を読んで、何が明石さんの本に足りないかがわかった。

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える (集英社文庫)オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える (集英社文庫)
著者:木村 元彦
販売元:集英社
発売日:2008-05-20
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


明石さんの本では、指導者や政治家、将軍は出てくるが、一切「民衆」が登場しないのだ。

「オシムの言葉」では1992年3月末から1、395日にも及んだサラエボ包囲戦で、ユーゴスラビアが崩壊し、オシムの奥さんと娘がサラエボに閉じ込められ、オシム自身はギリシャのパラシナイコスの監督としてチームを率いる傍ら、アマチュア無線で奥さんと不定期に交信する姿が描かれている。

サラエボは260台の戦車、120門の迫撃砲、無数の狙撃兵に囲まれ、多くの住民が亡くなり、サラエボ冬季オリンピックのスタジアムは墓地になっていた。

オシムの奥さんは、特別に国連ヘリで脱出できるという誘いを断り、毎日8名だけという順番を守って、やっと2年半後にオシムが監督をやっていたオーストリアのウィーンでオシムと再会する。

オシムの奥さんは、2年半で体重は10キロ減ったという。

もちろんカンボジアでも多くの民衆が内戦の犠牲になっている。

明石さんが意図して民衆や紛争当事国の生活のことを書いていないとは思えないので、きれいさっぱり民衆のことを忘れているということは、明石さんはやはり国家間の交渉を仲介する国連職員であって、民衆のことを考える政治家ではないということを物語っていると思う。

ボスニア紛争のことをよく知らなかったが、この機会に明石さんの本、オシムの本、それから今後紹介する「戦争広告代理店」という様々な角度からボスニア紛争について学べて良かったと思う。

ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)
著者:高木 徹
販売元:講談社
発売日:2005-06-15
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


自伝の情報のみでは判断してはいけないという教訓を与えてくれた明石さんの自伝だった。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。


  
Posted by yaori at 00:31Comments(0)TrackBack(0)