2010年01月17日

半島へ、ふたたび 蓮池薫さんの韓国旅行記 再び踏んだ朝鮮半島の土

半島へ、ふたたび半島へ、ふたたび
著者:蓮池 薫
販売元:新潮社
発売日:2009-06
おすすめ度:4.5
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元拉致被害者で、現在は新潟産業大学専任講師、翻訳家として活動する蓮池薫さんのソウル旅行記。

筆者も家族で昨年9月にソウルに旅行して、この本で出てくる観光地なども訪問したばかりなので興味深く読めた。

この本の第1部は、蓮池夫妻のソウル旅行記、第2部は日本での翻訳家としての活動と韓国人原作者との対話を紹介している。

旅行記は蓮池さんのブログ(My Back Page)を元に構成したもので、ブログは本の出版に際して閉鎖されており、本の目次などが載っている。


第1部はソウル旅行のトピックス

第1部はトピック中心の内容で楽しめる。

たとえば、韓国のドラマは普通週2回放送され、前回の放送分に対する視聴者の反響を次回に反映することが慣例となっているので、制作は非常にあわただしく、監督が現場でメガホンを握ったまま居眠りしていたということがあるという。

視聴者はどんどん注文をつけてくるので、「冬のソナタ」も何度も変更され、ペ・ヨンジュンの演じる「チュンサン」は死ぬはずだったのが、ハッピーエンドに終わったという。

ソウルタワーからソウルの夜景を見て、蓮池さんが思い出したのは、拉致されて北朝鮮の船から見る柏崎の夜景だったという。

「捕縛され、ボートで運ばれながら、殴られて腫れ上がったまぶたのすき間から見た最後の日本の姿は、故郷柏崎のほんわかとやさしい夜景だった」

こんな具合にところどころに拉致の思い出、北朝鮮で暮らしていた時代の苦労話が紹介される。

いままで蓮池さんの本数冊をこのブログで紹介したが、北朝鮮の生活について具体的に書いているものは初めてだと思う。


ソウルでの訪問先

蓮池夫妻が訪問した場所は普通の観光客が訪れない場所も含まれている。

★教保文庫 ー メインの大通り世宗路に面する巨大書店 翻訳家の蓮池さんならではの韓国の書籍の売れ行き調査だ

★景福宮(キョンボック) これはソウル一の観光名所 表紙の写真もここの写真だ

★仁寺洞 ー 繁華街

★ナイフギャラリー ー 日本の手裏剣を購入したという

★Nソウルタワー

★地下鉄 ー 駅に駅員がおらず、自動販売機は千ウォン札しか受け付けず困ったという。実は筆者もソウルの地下鉄の電子マネーではトラブルを経験した。地下鉄内では布教者に出会ったという。

★戦争記念館 ー ピョンヤンの戦勝記念館との対比 北のT−34戦車との再会

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出典:Wikipedia

★漢南区の住宅密集地「月の町」の狭い道路

★韓屋村 北でのキムチ作りを思い出したという。北では一人当たり300キロの白菜と一人当たり50キロの大根が配布される。10キロの乾燥唐辛子を自分で粉にして唐辛子だらけになった思い出。家族4人分1トン以上の白菜を300個くらいの瓶に漬ける作業は大変だったという。

★ベストセラー作家、孔枝泳さん、金薫さん、パク・ピョンウクさん達との会食。

★西大門刑務所歴史館 ー 北朝鮮の革命映画に登場していたという。
 
★韓国占い ー 占い師に奥さんのことを「残念だが、真に心を分かち合った相手ではない」と言われたという。

★猛スピードで走るタクシーの運転手 ー 注意したら、李明博大統領がソウル市長の時にタクシー認可を緩和して、タクシーの台数が1.5倍に増えたので、客の回転を上げないと暮らしていけないと抗弁するタクシーの運転手。

たしかに筆者もソウルのタクシー、特にデラックスタクシーではない普通のタクシーは運転が荒くてハラハラした。


初めて日本を訪れた韓国人が驚くこと

蓮池さんは、初めて日本を訪れた韓国人の驚くことは次の通りだ書いている。そしてソウル旅行の時に、これらの感想に挙げられた日本との違いを検証している。

1.自動販売機が多い
2.タクシーが自動ドアになっている
3.女子高校生のスカートが短い
4.カラスがやたら多く、しかも大きい
5.町並みがきれいで清潔
6.路線バスの停車位置が正確


第2部は蓮池さんの翻訳家としてのデビュー

第2部は蓮池薫さんが、翻訳家としてデビューするところから、韓国人の原作者との交流を紹介している。

蓮池さんは、翻訳家として生きることを決心し、翻訳家の友人に相談し、「北極で冷蔵庫を売る凄腕」エージェントを紹介して貰う。彼女が蓮池さんの翻訳処女作「孤将」の原作を推薦してくれたという。

孤将 (新潮文庫)孤将 (新潮文庫)
著者:金 薫
販売元:新潮社
発売日:2008-09-30
おすすめ度:4.0
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最後に「半島へ、ふたたび」が拉致問題の世論喚起に役立てばと切に願っていると記して終わっている。

ソウルへは日本のほとんどの地域から2時間弱のフライトで行けるが、蓮池さん夫妻にとっては、朝鮮半島に再び足を踏み入れることには、大きな心理的な壁があったことと思う。

この本では韓国との比較で、北朝鮮の思い出がところどころに紹介されていて興味ぶかい。蓮池さんは北朝鮮でも日本語講師として生活できていたから、まだましだったのだと思うが、他の拉致被害者はひどい目にあって、自殺あるいは餓死に近い形でなくなった人も多いのではないかと思う。

拉致問題がデッドロックに乗り上げて久しく、北朝鮮が核兵器を持った以上、交渉はなかなか進まないと思うが、金正日も健康問題から息子の誰かに政権を譲る可能性もあるので、是非タイミングを捉えて、たとえば日本から調査団を長期派遣するとか、交渉を前に進めて欲しいものである。

そんなことを考えさせれら本だった。

蓮池さんの北朝鮮時代の生活が、かいま見えて参考になった。


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2007年09月06日

国家と外交 田中均元外務審議官と田原総一朗の対談

国家と外交
国家と外交


表紙に田原総一朗とのっぺりした田中均(ひとし)さんのツーショット写真が載っていて目立つので、読んでみた。

このブログでは、いままで拉致被害者家族連絡会事務局長の蓮池透さんの手記「奪還」など数点の拉致問題に関する本のあらすじを紹介している。

特に蓮池透さんの手記で、めちゃくちゃにこき下ろされているのが、この田中均元外務審議官だ。

Wikipediaでも田中氏については割合詳しく書いてある。

京都大学卒(運動部はゴルフ部)で1969年に外務省に入省し、すぐにオックスフォード大学に留学、卒業後日本に帰らずにジャカルタに赴任した。

ジャカルタではインドネシアを訪問した田中角栄首相が反日デモで三日間一緒に迎賓館に閉じこめられ、田中首相と同行していた田中眞紀子さんと懇意になる。

帰国して南東アジア課、経済局でODAを担当、ワシントン大使館、北米二課長、北東アジア課長、在サンフランシスコ総領事、経済局長、アジア大洋州局長を歴任し、2002年外務省NO.2の外務審議官になり、2005年に退官した。

北朝鮮拉致問題解決のキーパーソンとして、北朝鮮の「ミスターX」と秘密交渉を重ね、小泉総理の訪朝を実現したが、8人死亡、5人生存というショッキングな情報が明らかとなり、しかもその情報を確認もしないで受け入れたとして、後からボコボコに非難された。

特に2003年に田中氏の自宅に爆発物が仕掛けられた時は、石原都知事が、「爆弾を仕掛けられて当ったり前の話だと思う」と暴言を吐いたことでも有名になった。

いわば近年の対北朝鮮日本外交の悪役である。

「田中氏ほど毀誉褒貶の激しい外交官はいない」と評する田原総一朗との30時間にも及ぶ対談は、田中氏の外交官としての信念と大局観がわかり、日本の国益を計ろうとする外交官の現場の考えがわかって面白い。

対談だからこそなのかもしれないが、こういう言い方をすると誤解されるなというところも見受けられる。


田中氏が考える日本外交の原点

田中氏は「外交官という職を選んだときから、日本にとって一番脅威があって、かつ日本の歴史的な背景から見て外交の原点はどこかと考えたときに、それは朝鮮半島だろうということを一貫して思っていた」と語る。

「まず日本が朝鮮半島を植民地支配したという歴史的事実はぬぐえない…北朝鮮との正常化は進んでいない、という現実がある。…たから朝鮮半島に平和をつくるという作業は、日本という国の外交として、最も能動的にやるべき重要課題だというのが、私の認識だったんです。」と語る。

植民地支配に対する謝罪と補償を求めてくる北朝鮮に対して、「ちょっと待て。植民地支配の問題(過去の問題)についてはきちんとした清算はする。だけれども、いまある問題(=拉致問題)について解決しない限り、そこまで行き着かないよ」という交渉をするのだと。


田中氏の「大きな地図」

田中氏は北朝鮮に「大きな地図」を呼びかけたと。

大きな地図とは「われわれの目的は朝鮮半島に大きな平和をつくることだ。そのためのロードマップをつくりましょう。このロードマップは北朝鮮の利益にもかなうことです。あなた方もこれが自分たちの利益になると思うなら、拉致問題を解決しなさい」というものだった。

小泉前首相も、「俺はそういう大きな平和をつくるために北朝鮮に行く。事前に拉致の情報がとれなくても、俺は行く」と言ってバックアップしたと。

ミスターXとは2001年秋から30回以上、週末の秘密交渉をしたという。もちろん外務大臣も事務次官も了承の上での交渉で、毎週金曜日と月曜日に官邸に報告に行ったという。

ミスターXが誰かという点については、北朝鮮にはいろいろな反対勢力がいるので、彼の立場と日本の国益を考えて、今は明かせないが、金正日を動かすことができる人物だという。いずれ何十年かして外交文書が公開されたらわかるだろうと。

本当の意味での交渉はまだ終わっていないのだと。

朝鮮半島で戦争が起こらないようにソフト・ランディングすることは、関係各国の共通の思いで、その路線の中で6ヶ国協議を通して拉致問題を解決しようとしていることを、一般の人たちにもよく理解して欲しいと田中さんは語る。


拉致被害者を軽視、政治家をバカにしているとの批判

上記の日本外交の原点といい、大きな地図といい、国家を動かす外務官僚という信念があっての発言だろうが、裏を返せば国益優先で、拉致被害者(国民)を軽視しているという批判にもつながりかねないと思う。

田中さんは政治家をバカにしていると批判されているそうだ。

わかる様な気がする。上記の様な信念で行動している外交官なので、政治家を見下していると思われるのかもしれない。


湾岸戦争のトラウマが日米防衛協力の新ガイドラインにつながった

湾岸戦争の時は、日本は130億ドルも資金を出していながら、自衛隊を派遣しなかったことで、クウェートに全く評価・感謝されなかった。

当時は海部内閣で、小沢幹事長は日本も法律を作って多国籍軍に参加しようとしたが、廃案となった。小沢氏は武力行使までやると言っていたので、これが反発を呼んだのだと。

この反省と1993年/94年の朝鮮半島危機の時に、日本はなんの準備もできていないことがきっかけとなって、1997年に日米防衛協力の新ガイドラインができた。それに続き周辺事態法が1998年に成立した。

様々な事態を想定したシナリオで、田中さんはこの新ガイドラインをつくるときの責任者だったのだと。

この一連の動きが有事法制整備だ。


外交は一定の曖昧さを残すことに意味がある

中国の王毅駐日大使に説明に言ったときに、有事とは台湾海峡を含むのかと質問され、「そんなことは言えない」と答えたという。

「それは中国の行動次第だ。中国がしかけ、戦争になったときに、日本が行動を取らないことはありえない。しかし台湾問題が平和的に解決されるかぎり、ガイドラインが発動されることはない。すべて中国の行動次第なのだ」と。

しかし政治家が台湾海峡は入る入らないの議論を始めてしまったのだと。

外交というものは、一定の曖昧さを残すことに意味がある場合があり、旗幟鮮明にしてしまうと、かえって事態を悪くする一例であると。


中国問題は今考える必要がある

田中氏は、日本は少子高齢化で国力が落ちていくわけだから、10〜15年後には中国と日本の国力が交わるタイミングが来る。そのときにどういう日中関係かは、国力が交わってから考えるのでは遅いと語る。

いまから考えるのだという。


佐藤優氏とは接点ほとんどなし

同じ時期に外務省で働いていながら、田中氏は、佐藤優氏はほとんど知らないそうだ。能力のあった人だと思うが、彼の集めた情報を政府の中で生かすシステムがなかったという。

佐藤優氏の著書でも、アルマジロになった外務省高官の話はあったが、田中氏の名前は出てきたかどうか、記憶がない。

佐藤氏からも田中氏の評価が聞きたいものだ。


小泉首相の独断専行のやり方など、日本外交の様々な出来事の舞台裏などもわかって面白い。元外交官の守秘義務もあってか、衝撃の告白的な話はないが、信念を持った外交官という印象がある。

蓮池透さんの本と一緒に読むべき本かもしれない。拉致問題を複眼的に考える上で、参考になる本だった。


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2007年07月29日

奪還第二章 曽我ひとみさんの家族帰日以来何も進展がない 中山恭子議員に期待大だ

奪還 第二章
奪還 第二章


以前紹介した「奪還」に次ぐ、拉致被害者家族連絡会副代表の蓮池透さんの手記。

最初の「奪還」は拉致被害者5人が帰国した翌年の2003年3月の出版、「奪還 第二章」は2005年2月の出版だ。この本以来、蓮池透さんは新しい本を出していない。

2004年夏以降拉致問題にはなんの進展もないので、家族会の内部で拉致被害者と子供が無事帰国した家族と、拉致被害者が北朝鮮により確たる証拠もなしに死亡と発表されたままの家族との間の断層が生じているというマスコミ報道がある。

3年も進展がないので家族会の苦悩が深まっていることと思う。

家族会を支援してきた中山恭子首相補佐官が今回の参議院選挙で当選した。

是非膠着している拉致問題解決のために、力を発揮して貰いたいものだ。


待たれる蓮池薫さんの手記

蓮池透さんもこの本の最後に書いているが、時期が来れば是非拉致被害者本人の蓮池薫さんに語って貰いたいものだ。

蓮池薫さんは、持っていた情報はすべて横田さんご夫妻や支援室に伝えてあるが、他の拉致被害者の情報は限られたものしか持っていない。聞かれても情報を持っていないので悩んでおられたそうだ。

また「蓮池薫さんは横田めぐみさんを1994年まで平壌で見ていた」という家族会限り、関係者限りとしている情報が朝日新聞に2004年8月にスクープされる事件があった。

こちら側がどれだけの情報を持っているかを北朝鮮が知ってしまうと、北朝鮮が安心してウソの上塗りに走り、北朝鮮を利するおそれがある。だから、すべての情報は公表できないという事情もある。

残念ではあるが、まだ多くの拉致被害者が未帰還なので、蓮池さん自身がジェンキンスさんの様に手記を出すということはできないという事情がある様だ。

ちなみに蓮池薫さんは翻訳本を何冊も出している。現在蓮池薫さんの訳本を数冊読んでいるので、近々あらすじをご紹介する。


2002年10月以降のできごと

「奪還」では、拉致発生から2002年10月の蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんの五人の拉致被害者の帰国、そして五人が日本で子供達の帰日を心待ちにしているところまでの手記だった。

この「奪還 第二章」では、2004年5月の小泉第二回訪朝で、蓮池さん、地村さん夫妻の子供が一緒に帰日したこと、そして2004年夏のジェンキンスさんと曽我さん夫妻の子供の帰日までが取り上げられている。

あのジャカルタ空港での曽我ひとみさんとジェンキンスさんの熱烈なキスが思い出されるが、あれから拉致問題については全くなんの進展もない。

六ヶ国協議でも毎回議題に乗るが、北朝鮮は解決済みという姿勢を崩さず、家族会の戦いもいつ終わるともしれない状態だ。


子供帰日までの蓮池薫さんの苦悩

蓮池薫さんのこんな本音を蓮池透さんは書いている:

「記者の前で”子供を返してください”などと訴えたら、北朝鮮から”こいつらは精神的に限界にきている。ちょっと揺さぶれば思い通りになる”と思われる。

だから、祐木子にも絶対に弱みは見せるなと言っているんだ」

蓮池薫さんの苦悩がわかる発言だ。


北朝鮮におけるプラス思考

蓮池薫さんは蓮池透さんに、こう語ったと。

「北朝鮮で生きるためのプラス思考というのは、日本へ帰りたいという気持ちを忘れることだったんだよ」

「えっ、それはマイナス思考だろう。いつかは日本に帰れると思うことがプラス思考なんじゃないか」

「違うんだよ。向こうで一生懸命生きていこうと思ったら、日本への望郷の念を捨て去ることが必要で、それこそがプラス思考になるんだ」

蓮池透さんはショックで胸がふさがる思いがしたと語る。

アウシュビッツを生き延びたヴィクトール・フランクルの「夜と霧」には「収容所の1日は1週間よりも長い」という言葉がある。

極限状態で生き延びるには精神力/気力が生き延びる必要条件だ。

この「プラス思考」が蓮池薫さんが北朝鮮で24年間生き延びられた最大の理由だろう。頭が下がる思いだ。


誰も知らないミスターX

この本の中で蓮池透さんは、拉致問題の解決を長引かせたのは日本側の体制の脆弱さにあったことは間違いないと強く非難している。

当時の北朝鮮との交渉窓口の田中均元外務審議官の相手には、ミスターXと呼ばれるフィクサーが居たと言われているが、そんなミスターXなど外務大臣含め誰も知らないのだと。

蓮池さんは、当時の交渉担当者にとっては日朝国交正常化の方が拉致問題解決よりも遙かに重要な問題で、拉致問題はその障害であるとさえ考えていたのではないかとまで言っている。

政府や政治家に対する家族会の不信感は強い。

ただその中でも安倍晋三ー中山恭子ラインへの信頼は厚かったが、内閣官房参与中山さんが2004年9月に辞任したことで失望したと蓮池さんは語っている。

その後安倍首相となって、中山さんは2006年9月に拉致問題担当の首相補佐官として復帰し、今回の選挙で参議議員に当選した。是非拉致問題解決に引き続き当たって貰いたいものだ。


経済制裁の有効性

蓮池薫さんは、次のように冷静に語っている:

「経済制裁を加えることにより、北朝鮮を崩壊に追い込み拉致被害者を救出するという声があるが、そのシナリオは絶対に成立しない。

北朝鮮はそう簡単に崩壊する国ではない。

周辺の中国、ロシア、韓国とも協力して完全に『経済封鎖』するならば、話は別だが、それは容易なことではない。

仮に崩壊するとするならば、金正日政権は真っ先に自分たちにとって不利となることを消そうとするだろう。すなわち『証拠隠滅』で、救出などやりようがなくなるだろう。

経済制裁=体制崩壊=救出というのは、あまりに短絡的な思考である。」

説得力のある意見である。


残念ながら蓮池薫さんの言う通りの展開となっており、経済制裁も機能せず、拉致問題は進展がない。国民の注目度も低下してしまうという事態になりつつある様な気がする。
「奪還」のあらすじでも書いたが、もし米国民が拉致されていたら、米軍が出動して救出にあたっていただろう。自国の国民が生命の危機にさらされたら、国を挙げて救出する。

そんな当たり前のことができる日本政府にするために、我々一人一人が拉致問題を重大事件ととらえ、決して風化させてはならないと改めて感じた。


第一作と同様、読みやすく心に訴えるおすすめの本である。


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Posted by yaori at 23:08Comments(0)TrackBack(0)

2007年07月16日

奪還 拉致被害者家族連絡会副代表 蓮池透さんの手記

奪還―引き裂かれた二十四年 (新潮文庫)
奪還―引き裂かれた二十四年 (新潮文庫)


北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さんの兄、蓮池透さんの手記。

蓮池透さんは北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の副代表だ。感情を込めながらも、読みやすい手記になっている。

冒頭の2002年の拉致被害者帰国の際の羽田空港でのシーンが印象的だ。

「薫。よく帰ってきたな。お帰り」

「おう、兄貴。帰ってきたよ」

「元気だったか」

「兄貴も元気だったか」

なにげない挨拶を交わしながら、蓮池透さんは5人が洗脳されているかもしれないので、冷静に観察しなければならないと感じた。

拉致被害者5人は全員金日成バッチを付け、「俺たちは祖国統一のため、朝鮮公民として尽くす」と言っていた。

「薫は朝鮮人そのものになっているのかな。これは大変だ」。

5人は帰国した時からいつ帰るかを話していた。そして他の拉致被害者のことは語りたくないが、横田さん夫妻には会いたいと言っていたと。

それが変わったのは薫さんの親友の丸田さんの必死の説得によるものだった。

「俺、腹を決めたよ。もう戻らないから。俺らは日本で子供の帰りを待つから。」

帰国して10日めのことだった。


薫さんと祐木子さんの拉致

薫さんと祐木子さんは1978年中大生だった薫さんの帰省中に、新潟県柏崎の海岸で忽然と失踪する。駆け落ちではないかと言われ、警察はまともに取り合ってくれないので、両親は自分達で捜索を始めるが何の証拠も得られなかった。

1980年にはサンケイ新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」というタイトルで報道し、外国情報機関が関与?とまで書いているが、あだ花の観測記事だった。

それから何年も何の進展もなく、家族の間にも徒労感が芽生え、薫さんの持ち物は見るたびにつらくなるので、処分した。

横田めぐみさんのご両親は、年に一度警察が公開する身元不明死体の写真を見に行った。お母さんはもう死体の顔は見たくないと言っておられたそうだ。

家族が行方不明になり、生きてるのか死んでいるのかわからない状態ほど苦しいものはないと。


北朝鮮による拉致と判明

そして10年が過ぎ、1987年にビルマで大韓航空機爆破事件が起きた。犯人の金賢姫は、自分の教育係は日本人の李恩恵という日本人だったと語ったのだ。

大韓航空機爆破事件の4ヶ月後の1988年には、国会で梶山静六国家公安委員長(当時)が「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事件は、おそらくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」と発言している。

しかしこの発言はマスコミではほとんど報道されなかった。わずかに日経の夕刊にベタ記事として載った他は、朝日、読売、毎日の3大紙は一行も掲載されなかった。

また政府からも警察からも一切家族には情報提供はなかった。

蓮池透さんは、日本のマスコミや警察や政府は、被害者家族の心情を考えたりすることはないのではないかと語る。

その後の北朝鮮との弱腰の政府間交渉が事実を物語っている。

日朝国交正常化交渉は1991年に始まるが、日本が李恩恵の消息について調査して欲しいと言うと、北朝鮮は「会議の秩序を乱す破壊行為だ、撤回を求める」と言いだし、交渉の議題からはずしてしまう。結局日朝交渉は1992年に決裂した。

弱腰外交の筆頭、1995年の村山首相の時は、米50万トンの支援も行いながら、拉致被害者の救済は何の進展もない。

事態が大きく動き始めたのは元北朝鮮工作員のもたらした情報で、横田めぐみさんと思われる13歳の少女が北朝鮮に拉致され、帰国が適わず精神に異常を来してしまうという話だ。

これを1997年1月サンケイ新聞とアエラが実名で報道する。

そして元工作員安明進が、横田めぐみさん以外にも拉致されてきた日本人を何人も見たと語る。


口ばかりの議員達、動かない政府、警察

全国の拉致被害者の家族は1997年3月に集まり、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成して一緒に行動を始める。蓮池さん、有本さん、市川秀一さん、地村さん、浜本さん、増元さん、横田さん、原さんの8家族だ。

代表は横田滋さん、事務局は蓮池透さんと増元照明さんが引き受け、結成翌日に外務省や警察庁に家族会として申し入れを行った。

家族会結成後、様々な支援組織もできあがり、100万人を超える署名も集まる。小渕外相と2度面会するが、「頑張る」というだけで何の進展もない。

超党派の拉致議連も結成され、中山正暉(まさあき)議員を会長とする衆議院78名、参議院45名の大所帯となったが、「頑張る」というだけで具体的な進展はない。

先日弁護士法違反で有罪となった元民主党の西村真悟議員、自民党の平沢勝栄議員は熱心に動いてくれたが、他は名ばかりだったと。特に当初の会長の中山正暉議員はむしろ障害であったと。

1999年原さん拉致の実行犯辛光沫(シンガンス)という工作員が韓国の刑務所から釈放されたが、警察も外務省も動かない。

蓮池さんは怒りを込めて「無法国家と無能国家」と呼んで、2つの国と戦わなければならなかったと語る。


無法国家と無能国家

家族会は2000年に外務省の前や自民党本部前で座り込みを実施。河野外務大臣は「お年寄りが多いのだから、無謀なことはお止めなさい」とノー天気に他人事の様にいうので、家族会は激怒する。

自民党前では、拉致議連の代議士すら顔を出さなかった。

なにより傑作だったのは、田中眞紀子が来て、「コメ十万トンなんか出しちゃだめよ」と言う。蓮池さん達が「そうだ、そうだ」と意気込むと、「百万トンださなきゃ」と。

これには唖然としたと。家族会がもっと出せと抗議しているとでも思ったのではないかと、蓮池さんは語る。

家族会ではアメリカを訪問して、ライス大統領補佐官に資料を渡したりして協力を依頼するなど積極的に活動する。1998年にはニューヨークタイムズに、横田めぐみさんの写真を載せた全面意見広告を載せた。

ブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸国の一員と呼んだこともあり、アメリカから北朝鮮へのプレッシャーは強くなる。

アメリカの助力がないかぎり、拉致問題の全面的な解決はないと蓮池さんは語る。


朝日新聞の障害

1999年8月の朝日新聞の社説では、「テポドン1年の教訓」と題し、次のように書いた。

「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致疑惑をはじめ、障害がいくつもある」

「日本側も北朝鮮の姿勢の変化を的確にとらえ、人道的な食傷支援の再開など、機敏で大胆な決断をためらうべきでない」

「植民地支配の清算をすませる意味でも、朝鮮半島の平和が日本の利益に直結するという意味でも、正常化交渉を急ぎ、緊張緩和に寄与することは、日本の国際的な責務といってもいい」

拉致を「疑惑」と呼び、「障害」と呼ぶことに、家族会は怒り、朝日新聞に説明を求めるが、その後も朝日新聞は国交正常化至上主義の様な論調を繰り返す。

当時の安倍晋三官房副長官が、「朝日新聞の論調が拉致問題をめぐる交渉の妨げとなっている」と語ったほどだ。


2002年9月17日の小泉訪朝

2002年になってから、安倍晋三氏を中心とした拉致問題プロジェクトチームが発足、小泉首相が家族会と面談し、「拉致問題の解決なくして、日朝の国交正常化なし」と明言する。

8月30日に、9月17日の首相訪朝が発表されたが、家族会には一切連絡なしだった。

9月17日の当日午後は家族会は外務省の飯倉公館に呼ばれるが、そこではNHKのニュースを見せられただけだった。そして1家族ごとに別室に呼ばれた。

別室では福田官房長官と植竹外務副大臣が、被害者の生死の宣告を行い、最初に呼ばれた横田滋さんは、戻ってきて泣き崩れて声も掛けられない様な状態だった。

そのうち生存者4人、死亡8人と伝えられ、生存者の家族は最後に呼ばれる。

福田長官は生死を断定的に告げるが、日本政府では全くウラを取るなど確認をしておらず、北朝鮮の情報をそのまま伝えていただけだった。

翌日、平壌で生存者と面会した梅本公使と面談するが、横田さんには、めぐみさん死亡の証拠として、ラケットと写真が示されただけで、死亡の原因もわからないと告げられ、横田滋さんは激怒する。

小泉首相は9月27日に家族会は面談するが、その席で小泉首相は「死亡情報は先方の発表だけで、確認はできていない」ことを明らかにする。

小泉訪朝は、外務省への不信感をより強めることになった。

日朝平壌宣言でも拉致という言葉は一言も使っていない。ただ「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」という曖昧表現のみで、北朝鮮はもちろん謝罪もしていない。

金正日の「特殊機関の一部が盲動主義、英雄主義に走って、…。この場で遺憾なことだったとお詫びしたい」という言葉だけで、なんの正式書類も残っていない。

そんな日朝平壌宣言は小泉首相はサインすべきでなかったと蓮池さんは語る。


5人帰国は「瓢箪から駒」

蓮池薫さん達は確かに帰ってきたが、それは日本政府の力によるものでも、外務省の交渉の成果でもないと。

田中局長を中心とする外務官僚たちの国交正常化への思惑と、北朝鮮側が手持ちのカードを一枚切るタイミングが、たまたま合致した。

それが正しい評価だと思うと蓮池さんは語る。

「瓢箪から駒」。あえて表現するとしたら、その言葉がぴったりだろうと。

政府と外務省は拉致問題を解決しようとしているのではなく、5人生還で終結させようとしている。それが率直な感想だと。

たしかに5人帰還後、全くなんの進展も、新しい情報もない現状では、そんな感じがする。


全編を通して、政府・外務省への深い不信感があふれ、日本政府の国民の生命・安全に対する保護の弱さが痛感される。北朝鮮がもし米国民を拉致していたら、こんなことでは済まされず、たぶん軍が救出に向かっていただろう。

30年近く肉親を救う地道な活動を続けてきた家族会の率直な思いがわかる、おすすめの一冊である。


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2006年01月18日

告白 曽我ひとみさんの夫 ジェンキンスさんの自伝 謙虚な人柄がわかります 

告白


拉致被害者曽我ひとみさんの夫のジェンキンスさんの自伝。

読みやすく、自分の脱走を決心した理由なども含め、隠すことなく真実を語ろうという姿勢と人柄に好感が持てる。

波瀾万丈の自伝で、是非一読をおすすめする。詳しく紹介すると興ざめなので、印象に残った部分だけ紹介する。

ちなみに日本テレビでテレビドラマにもなるということだ。


ジェンキンスさんの生い立ち

ジェンキンスさんはアメリカノースカロライナ州東部の人口1,000人あまりのリッチスクエアー出身。1940年生まれなので、65歳だ。

アメリカのYahoo! Mapでノースカロライナの付近の地図を見つけておいたので、興味のある人は見て頂きたい。

リッチスクエアーはRocky Mountから東に行ったところ。

ジェンキンスさん自身が、小さな貧しい町の貧しい家の出だと語っている。

ジェンキンスさんの父親は製氷工場の現場監督だったが、製氷用のアンモニアガスを吸い込んで亡くなった。ジェンキンスさんが11歳の時だ。

出生証明書がなかったため、本来なら17歳以上の州兵に15歳で入隊、その後陸軍の歩兵となり、韓国、西ドイツ、韓国に駐留し、軍曹に昇進した。


脱走して北朝鮮へ

二度目の韓国駐留の時に、ベトナムに派遣されることになり、生きては帰れないと思って1965年にパトロール中に非武装地帯を越え、北朝鮮に入った。

北朝鮮に行けば、ロシアに行けると思って脱走したのだが、それが人生最大の誤りだったと。アメリカの片田舎出身者には驚くほど世界情勢にうとい人がいるので、ジェンキンスさんがこの様に信じてしまったこともうなずける。

先に脱走していた一人から「あなたは片足を煮え湯の鍋に突っ込んでいたのかもしれないが、ここへ来たら火の中に飛び込んだのも同然だ。」と言われたと。

筆者の学生時代にベトナム戦争は終了したが、当時『ベ平連』(ベトナム平和連合)というのがあり、脱走米兵をかくまって逃がす活動などをしていた。


ベ平連と脱走米兵


このように本になっているほどで、当時は脱走兵というのは結構いたのだと思う。

ただジェンキンスさんの問題は、よりにもよって北朝鮮に逃げたことだ。


曽我ひとみさんとの結婚

北朝鮮にはその後40年間とどまることになるが、常に朝鮮労働党(『組織』と呼んでいた)の指導員が付き、監視の元に置かれる生活を送ることになる。

他の3人の脱走兵との共同生活が始まり、1972年前後からそれぞれが、騙して連れてこられたレバノン人、ルーマニア人、タイ人女性と結婚した。

ジェンキンスさんは、『組織』が白人の工作員を育成するために、脱走兵を結婚させたのではないかと考えている。

曽我さんと結婚することになったのも、韓国では米兵との混血児は珍しくないので、生まれた子供を韓国に潜入させる工作員とするためだったのではないか。

ジェンキンスさんは40歳になるまで、ずっと一人でいたが、1980年に曽我さんと出逢う。曽我さんと初めて会った時はこんな美しい女性をそれまで見たことがなく、知り合って40日で結婚式を挙げた。

曽我さんは1978年に19歳で拉致され、1977年に拉致された横田めぐみさん(拉致当時13歳)と一緒に1年半生活し、横田めぐみさんより朝鮮語を教えて貰った。

曽我さんの朝鮮名はミン・ヘギョンと言っていたそうだが、横田めぐみさんが娘にキム・ヘギョンという名前を付けたのは、曽我さんの朝鮮名からではないか。

ジェンキンスさんは曽我さんとの間に2女をもうける。美花さんとブリンダさんだ。美花さんは北朝鮮のプロパガンダ教育のために、最後まで日本に行くことには難色をしめしていたそうだが、「日本に来て北朝鮮を離れたのは人生で最高の決断だった」と確信するようになった。


北朝鮮での生活

ジェンキンスさんは北朝鮮での生活についても詳しくふれている。北朝鮮の中でも『特権階級』であったはずだが、それでも食うや食わずの生活だった。とても日本では考えられない窮乏生活だ。

北朝鮮では冬が最悪だ。

毎年アパート4世帯分として20トンの石炭を配給されたが、自分で粘土と一緒にこねて安定して燃える燃料としなければならなかった。全身真っ黒となり、大変な重労働だった。

それでも暖房が効かないので、もし水の配管が凍結したりすると、それこそ最悪だった。

電気の供給もひどい。

1997年以前は夏のあいだは半日は電気が来ていて、冬は停電が多かったが、1997年以降は冬はほとんど停電、主要な祝日以外はまったくといっていいほど電気の供給はストップしていた。

水も不衛生で、沸かさないと飲めないが、ガスの配給が限られているので料理をすると風呂を沸かすガスが残らず、20年あまりの間で家で熱い風呂に入った回数は5本の指で足りる。

食料も配給(有償)だけでは足りず、自分たちでトウモロコシや野菜などをつくり、物々交換した。

昼食はいつもひとみさんと一緒にトウモロコシでつくった麺を食べていたので、もう
見るのも嫌だと。

娘さんの学校の給食も米を供出しなければならなかったが、持っていった米の半分はくすねられてしまった。

北朝鮮での最大の問題は盗難であり、軍も警察も全く当てにならない。生きるために彼らが盗むのだ。だからジェンキンスさんたちも交代でトウモロコシ畑を寝ずの番をしていた。

娘さんたちが通っていた外国語大学(付属高校)も、北朝鮮の政府幹部エリートの子女が行く学校だが、窃盗の温床だった。



曽我ひとみさん帰国

娘さんたちは外国語大学で工作員として教育され、やがては外国に送り込まれ、家族には消息不明となってしまうのだろう。そんなことを予感する毎日だったが、2002年9月17日に決定的な変化が起こる。

北朝鮮が小泉首相に渡した生存拉致被害者のリストに、曽我ひとみさんが含まれていたのだ。

曽我ひとみさんは日本政府の拉致被害者のリストに入っていなかった。母親のみよしさんと一緒に失踪したと思われていたのだ。

小泉首相が2002年に北朝鮮を訪問する際に、北朝鮮が生存拉致被害者の一人として発表したので、日本では寝耳に水だった。

筆者も覚えているが、手書きのハングルのメモがテレビで報道され、そのうち多くの人が死亡と書かれていたのだ。

それからは日本でも知られている展開だ。まずは曽我ひとみさんと他の拉致被害者合計5名が一時帰国し、北朝鮮に戻ることを拒否した。

北朝鮮では日本政府が曽我さんの帰朝を阻止していると伝えられていたので、曽我さんが日本に帰国してからは、ジェンキンスさんは落胆して酒浸りになっていた。

小泉首相の2度目の訪朝の際に、小泉首相がジェンキンスさんと会って、帰国を勧めるが、ジェンキンスさんは北朝鮮から誤った情報を伝えられていたので、小泉首相を激しく非難する。

そこで第三国で家族が会うことを小泉首相が提案し、インドネシアで再会し、その後一家で日本に来たのだ。


横田めぐみさんの消息

横田めぐみさんの娘、キム・ヘギョンさんは曽我さん達が帰国する際に、空港に見送りに来ていた。

ジェンキンスさんの推測では、キム・ヘギョンさんは陸軍のナンバープレートの車で来ていたので、横田めぐみさんは北朝鮮軍か工作員と結婚しているのではないか。

めぐみさんが海外で暮らしていることもありうるのではないか。

北朝鮮が北朝鮮人と結婚している日本人の帰国を認めるはずはないので、死亡したとされている拉致被害者の中には、北朝鮮人と結婚している人がいるのではないかと思うと。

もし横田めぐみさんの夫が現役の工作員だとすれば、北朝鮮はキム・ヘギョンさんをいわば人質として利用し、めぐみさんと夫が名乗り出ることができないようにしている可能性もある。


日本での永住を決意

日本で米国陸軍に復隊した後、軍法会議にかけられる。司法取引で脱走罪で25日間の禁固刑を終え、晴れて陸軍を除隊した。

今は曽我さんの故郷の佐渡で暮らしており、娘さん2人も日本に慣れ、新潟の大学に通っている。保育士になったり、音楽関係の仕事につきたいというのが娘さん達の願いだそうだ。

選択の自由がある社会で暮らしていることをありがたく思う。

カラオケではエルビス・プレスリーの歌が好きだそうだ。(ちなみに小泉首相もエルビスのファンらしい)

なにせ40年間も北朝鮮にいたので、財産は一切亡く、銀行口座も生まれて初めて日本でつくった様な状態だが、この本の出版契約がまとまったので、自費で故郷のノースカロライナに家族で行き、91歳の老母や親族とも再会を果たした。

日本の税金は一切使わずに行った。

現在は佐渡で畑仕事をしたり、英会話教室を手伝ったりしているが、免許を取り、普通の仕事につきたいと。ガソリンスタンドで働いても良いし、自動車修理や、大工仕事も得意だ。

もう65歳なのに、なんて素朴で謙虚な人なんだ!

重いストーリーではあるが、心が洗われる思いだ。一読をおすすめする。


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Posted by yaori at 13:02Comments(0)TrackBack(0)