2009年10月22日

「古代カルタゴとローマ展」に行ってきました チュニジア大使の「うな重方式」英語勉強法

2009年10月22日追記:

多賀さんの本にたびたび登場する会社の先輩(TOEIC970点!)と同僚で大丸で開かれている「古代カルタゴとローマ展」に行ってきた。

次は会場で配られていたチュニジア政府の観光案内だ。

Tunisia2





チュニジアの各都市の位置を示したのが次の資料だ。
Tunisia1





出典されていたのは、テラコッタの様々な像や瓶など、ギリシャ風の大理石の彫像、ガラス細工の置物や首飾り、指輪やコインなどの金属加工品、墓を飾った石柱装飾や彫刻された石棺、そしてモザイク画などだ。

古代カルタゴとローマ展」のサイトの写真をいくつか紹介しておく。

これが筆者が感心した金属加工による装飾よろいだ。ミネルヴァの女神像が彫られている。
work_05_l








紀元前3世紀というと日本では弥生時代にこれだけの精密な金属加工製品ができていたことに驚かされた。

極彩色のガラス細工の置物もきれいだった。そしてカルタゴ展を代表するモザイク画も見事だった。

バラのつぼみを撒く女性のモザイク像:

work_09_large










モザイクのメデューサ像。

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これが石棺のふたの彫刻だ。下半身が羽となった女神が右手で鳩を持っている。

work_03_l








筆者が1980年代はじめにエジプトに出張した時に、先方の接待でエジプト料理のレストランに行き、鳩料理を食べたことを思い出す。なぜか「オム・デ・アリ(アリのお母さん)」というフルーツタルトのようなホットデザートを食べたことが記憶に残っている。

カルタゴの港は海の入口の商港とその奥にある軍港にわかれていたが、軍港にあった巨大な木製の人口島のモデルには驚かされた。

軍船200隻以上を収納可能だったそうで、中央は司令室、ドック自体は乾ドックとなっており、軍船を収納して修理したもので、当時の再現CGが流れていて大変興味深かった。

次のカルタゴの想像図で、丸い出島のようなものが描かれているが、これが軍港の乾ドックだ。

carthage_img2








カルタゴは今のシリアあたりに居たフェニキア人の植民地で、ローマと戦ったポエニ戦争でのハンニバル将軍の象を使ってのアルプス越えが有名だ。

カルタゴの最大領土(出典:Wikipedia)

CarthageMap




しかし第3次ポエニ戦争でローマ軍に破れ、住民はほとんど殺戮されたり奴隷にされて、不毛の地にするために土には塩がまかれ、カルタゴは徹底的に破壊されたという。もちろんこの軍港の巨大な木製人工島も破壊されたのだろう。

筆者はエジプトには出張したことがあるが、チュニジアには行ったことがない。ましてやカルタゴが現在のチュニジアにあることも知らなかった。アフリカにあるが、住民は見たところアラブ系の浅黒い人というよりは、白人が多いようだ。

この本の著者の多賀敏行さんがチュニジア大使で赴任されたので、おかげで知識が広がった。是非機会があれば「古代カルタゴとローマ展」も見て欲しい。


2009年10月18日追記:

「外交官のうな重方式英語勉強法」の著者多賀敏行さんは、今年7月に辞令を受けて、在チュニジア全権大使としてチュニジアに赴任されている。

そのチュニジアにちなんだ「古代カルタゴとローマ展」が全国各地で順繰りに開催されている。

現在は東京駅の大丸百貨店で10月25日まで開催されている。

カルタゴ





来週にでも一度行ってみようと思う。

それにしても今回カルタゴの英語読みのスペリングを初めて知った。"Carthage"(カーセージ)がカルタゴとは!

チュニジアはアラビア語国だが、フランス語も普及しており、多賀さんも昔独学で覚えたフランス語が役に立っているそうだ。

「芸」は身を助けると言うが、いろいろな国の言葉ができることも立派な「芸」だと思う。

その意味も含めて多賀さんの最新作「外交官のうな重方式英語勉強法」のあらすじを再掲する。


2009年3月11日初掲:

外交官の「うな重方式」英語勉強法 (文春新書)外交官の「うな重方式」英語勉強法 (文春新書)
著者:多賀 敏行
販売元:文藝春秋
発売日:2008-11
おすすめ度:3.0
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この本の最後のクレジットに挙げられている先輩に勧められて読んでみた。著者の多賀敏行さんはジュネーブ日本政府代表部公使や、バンクーバー総領事などを歴任した外交官で、現在は東京都知事本局の儀典長だ。

まず不思議なネーミングに興味がわく。

多賀さんが「うな重方式」と呼ぶのは、うな重は、ご飯、たれ、ウナギ蒲焼きが混ざって初めておいしいのであって、別々に食べても良さがわからない。

英単語もこれと同様に、名詞の前後の動詞なり、主語なりを一緒に覚えることで、記憶にとどめようというものだ。

たとえば日本の戦争責任について、カナダの新聞に"Japan's amnesia"というタイトルの記事が掲載されたことがあったが、"amnesia"とは健忘症のことで、日本の首相が靖国神社に参拝することに中国などが日本は戦争責任を忘れていると怒っているという内容の記事だ。

同じ記事に"The Japanese are contorting the truth"という文が出てくる。"contort"というのは難しい単語だが、"contort the truth"(事実を歪曲する)だと覚えやすい。

このような言い回しで英単語を覚えることを「うな重方式」と 多賀さんは呼んでいる。

筆者も今でこそTOEIC945点だが、会社に入ってアルゼンチンに研修生として赴任する時、パンナムのアメリカ人スチュワーデスに"milk"を頼んだら、何度言っても通じず、"milk","milk"と連呼していたら、結局ビールを持ってこられたときには落ち込んだ。

当時筆者は"L"と"R"の発音の区別ができなかったし、朝食時でもないのに、大の大人が牛乳を頼むというのも、スチュワーデスからすれば、ありえないことだったのかもしれない。

このことが教訓となり、それからはミルクを頼む時は、"(a glass of)fresh milk"と頼む様になり、特に"a glass of"を付け加えるようにすればカンペキになった。

これも多賀さんの言う「うな重式」の例になるのかもしれない。

TOEIC945点までになったのも、このパンナムの"milk"の件で発憤したことも大きいと思う。

ところで、アルゼンチンにいる間に"L"と"R"の発音ができるようになったので、その後の英語の進歩につながった。

アルゼンチンで"L"と"R"が区別できるようになったのは、ワインのおかげだ。

スペイン語で白ワインは”ビノ・ブランコ”だが、はじめはvino brancoという風に発音していた。ある時vino blancoと言えたら、同じ下宿のアルゼンチン人の友達が"L"が言えたじゃないかと祝福してくれた。

余談ながらポルトガル語では白ワインはvinho brancoだ。どういうわけかヨーロッパもポルトガルまで行くと他の国と"L"と"R"が逆転する。


200語を覚えると10,000語理解できる!?

多賀さんは昔の英語勉強法のベストセラー作家岩田一男さんの本を紹介し、100の接頭語(a, in, ex, re, conなど)と100の語幹(たとえばspire)を覚えると、マトリクスで10,000語の意味がわかる50倍の投資効率だと紹介している。

英単語記憶術―語源による必須6000語の征服 (カッパ・ブックス)
著者:岩田 一男
販売元:光文社
発売日:1967-03
おすすめ度:4.0
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筆者も岩田一男さんのカッパブックスの本を学生時代に読んだことがある。英語を語源で覚える英語勉強法の本はいくつもあるが、たぶん岩田一男さんの本が元祖ではないかと思う。

ちなみに接頭語の"a"や"con"は元々ラテン語起源で、"a"は英語の"to"だし、"con"は"with"である。


●冠詞が分かれば英語は分かる

そこそこ英語が出来る人には、冠詞の重要さ、冠詞の使い方の難しさは共通認識になっていると思う。

冠詞が正確に使えると、ネイティブと区別がつかない英文を書ける。

この本では多賀さんはいくつか例を紹介している。たとえば:

・Do you have time?(時間がある?)
・Do you have the time?(今、何時?)
・What is time?(時間とはなんであろうか?ー哲学的疑問)
・What is the time?(今、何時?)

・within a month(1ヶ月のうちに)
・within the month(その月のうちに)

・I ate a chicken in the backyard.(庭で一羽のにわとりを締めて食べた)
・I ate chicken in the backyard.(庭でチキンを食べた)

参考として次の2冊を紹介している。

国際ジャーナリストの英語術 (朝日新書)国際ジャーナリストの英語術 (朝日新書)
著者:村上 吉男
販売元:朝日新聞出版
発売日:2008-05-13
おすすめ度:3.0
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村上吉男さんはよく米国のメディアにも登場した英語の使い手だという。また日本人の英語についてのマーク・ピーターセン氏の本も、冠詞の使い方について参考になるという。

日本人の英語 (岩波新書)日本人の英語 (岩波新書)
著者:マーク ピーターセン
販売元:岩波書店
発売日:1988-04
おすすめ度:5.0
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マーク・ピーターセンは、最初に冠詞が決まり次に名詞を選ぶのだという。発想が全く日本人とは逆である。

多賀さんは、筆者も高校生の時に使ったなつかしい「山貞」(山崎貞)の参考書、「新々英文解釈研究」(初版はなんと1915年)を今でも使える英文法の解説書として、"what"の関係形容詞的用法などを紹介している。

新々英文解釈研究復刻版新々英文解釈研究復刻版
著者:山崎 貞
販売元:研究社
発売日:2008-12-11
おすすめ度:5.0
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"what money I have"は"all the money I have"の意味だ。

●"can"と"be able to"の違い、"will"と"be going to"の違い

この本では"can"と"be able to"の違い、"will"と"be going to"の違いなどが、多賀さんの経験を通じて説明されているので、わかりやすい。

"can"と"be able to"は、多賀さんがケンブリッジに留学していた時、判例が見つかったときに、教授に"I could find the case"と言ったら、理解されなかった例を紹介している。

"could"は、「いつでも望めばできた」という意味で、「ある時あることができた」と言うなら、"be able to"か"manage to"を使うのだと。

"will"と"be going to"の違いは次の通りだ。

・I will take you to the observatory floor."(展望階につれて行ってあげましょうー意志決定)

・I am going to take you to the observatory floor."(これから展望階につれて行ってあげますー元々の計画をこれから実行)


●同じように見えて意味が違うケース

この本には同じように見えて、様々な意味の違いがあるケースを紹介している。答えは続きを読むに記載した。

・「古池やかわず飛び込む水の音」は"A frog has jumped into the water."か、"A frog jumped into the water"か?

・"I have painted the chair"と"I painted the chair"の違い

・"My grandfather has done a lot for me"と"My grand father did a lot for me"の違い


●チャーチルの名言

バトルオブブリテンの時のチャーチルの英国議会での有名な発言が倒置法の例として紹介されている。

"Never in the field of human conflict was so much owed by so many to so few."
(人類の戦争において、こんなにも多くの人々が、こんな少ない人達によって、これほどまでに助けられたことはなかった=訳は筆者バージョン)

横道にそれるが、筆者はオーディオブックで、チャーチルのノーベル賞受賞作"The Second World War"第2次世界大戦を聞いている。

Audibleでダウンロードしたものだが、元々6巻をチャーチル自身が4巻にまとめたものを、声優が全文朗読している。

1巻が10時間から14時間で、4巻全部で50時間程度の大変なボリュームだが、第2次世界大戦のあちこちの戦場での出来事が詳しく語られている。

the second world war





バトルオブブリテンは第12章、オーディオブックで30分ほどが割り当てられている。

撃墜機数も戦果発表当時とは違い、実は半分程度だったとか、レーダーもまだよちよち歩きの段階だったという風に、第2次世界大戦の帰趨を決めた重要な戦いながら、控えめな表現なのが印象的だ。

ずいぶん前から聞いているが、やっと1944年10月のレイテ沖海戦まで来たところだ。

元外交官の関榮次さんの「チャーチルが愛した日本」を読んだことでもあり、時間を掛けて興味深く聞いている。

チャーチルが愛した日本 (PHP新書)チャーチルが愛した日本 (PHP新書)
著者:関 榮次
販売元:PHP研究所
発売日:2008-03-15
おすすめ度:3.5
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ちなみにアメリカを訪問した時に、チャーチルは自分のことを"Half American"と言っており、アメリカ人である母のジェニーの影響を強く受けていることをみずから語っている。


ややセンスが古いところもあるのでアマゾンのレーティングは低いが、軽妙な語り口で1時間程度で読める。

「うな重方式」という奇抜なネーミングに難があるような気がするが(混ぜて食べて味わうならカレーライスでも天丼でも何でも良いはず)、かなり英語が出来る人でも参考になる点が多いので、一度手に持ってページをめくってみることをおすすめする。


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2009年07月15日

シャープなリンゴとルーズなトマト 英語でストリートスマートになる手引き

シャープなリンゴとルーズなトマト―イギリス英語散歩シャープなリンゴとルーズなトマト―イギリス英語散歩
著者:多賀 敏行
販売元:小学館
発売日:1999-07
おすすめ度:4.0
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本日付でチュニジア大使に発令された多賀敏行さんが、英国生活で気が付いた英語の用法をまとめたエッセー。

大前研一さんの「マネー力」などでは資産を増やし、守るために日本人よ"Street smart"になれ、というようなことを書いているが、この本はいわば"英語版Street smart"のすすめだ。

多賀さんはイギリス公使を勤めた外交官であり、ケンブリッジ大学に留学したほどの英語の使い手だが、それでもわからなかった町中での英語の用法が紹介されていて参考になる。

この本で紹介されている英語の用法は大まかに整理すると、次の4パターンとなる。


1.よく使う英単語だが、イギリスでの用法はあまり知られていないもの

たとえば本のタイトルとなっているシャープな(すっぱい)リンゴ、ルーズな(バラ売りの)トマトだ。「よく旅をする"travel extremely well"菓子パン」など、このパターンは結構多い。

信号機のアンバーも知らなかった。日本語だと青、黄、赤だが、英国だとRed, Green, Amberなのだ。

多賀さんも苦労したそうだが、英国の運転免許試験は30分ほどの市中運転の実技と、停車して10問ほどの口頭試問ということなので、これは難しいと思う。

米国、特にピッツバーグなどの田舎は車が運転できないと死活問題にもなるので、運転免許は高校生から取れるし、問題も易しい。

筆者の最初の駐在の時は、日本の免許は他州の免許扱いだったので、領事館で作ってもらった日本の免許の証明付き翻訳を持って行くと、実技は免除で、画面がスライドになっているテスト機で25問だったかの試験にパスするとその場で仮免許をもらえた。

スライド式のテスト機は、たしか合格点が8割とか決まっており、25問中5問以上間違えるとその場でストップという形式だった。

日本の学校の標識はいかにも子どもが歩いている感じだが、アメリカのSchool Zoneの標識は、大人が歩いているので、唯一これを間違えたが他は問題なかったので、事前勉強もせずに一発で合格したが、そのうち日本で免許を持っていても、実地試験が免除されなくなり、後の駐在員は数ヶ月は国際免許で運転していた人が多かった。

また文盲の人は付添人が認められていたので、スライドの設問を他の人に読んでもらっている人もいたが、本当に文盲なのか、あるいは知人に教えてもらうカンニングの一種なのかよくわからない。

School-Zone








日本と違うので注意が必要なのは"No turn on Red"と"Yield"のサインだ。

"No turn on Red"は米国は車は右側通行なので、このサインがない交差点では赤信号でも左から車が来なければ右折して良い。

noturnonread









ニューヨークなどの大都市や、カリフォルニア州などをのぞいて多くの州ではこのサインを取り入れているが、州によってはそもそも"No turn on Red"を認めていないので、レンタカーカウンターなどでチェックが必要だ。

もう一つの三角形のサインは"Yield"つまり、道をゆずれ、向こうの車の方が優先というサインだ。

yield








2度目の駐在の時は、前回の駐在から5年経っていたが、とっくに失効している前の免許を持っていったら、その場で新しい免許を発行してくれた。アメリカは車社会なので、免許は生活に不可欠なのだということがよくわかった。

日本人の多いニュージャージーとかは(カリフォルニアも?)、日本語で運転免許の試験が受けられるという話だった。

それに比べて英国の運転免許試験は難しい。国によってずいぶん違いを感じる。

たぶん外国人にとって日本の運転免許を取るというのも、非常にハードルが高いことなのではないかと思う。

閑話休題。

巻末に「こんなに違うイギリス英語とアメリカ英語」という付録が付いているので大変参考になる。


2.英国ではよく使われているが、日本で目にすることはあまりない単語

筆者もこの本で初めて知った単語に"alight"がある。乗り物から降りるという意味だ。地下鉄のストリートパフォーマーの"busking"という単語も知らなかった。


3.アクセントや発音が違うので通じにくい単語

マクドナルドがこの手の単語で有名だが、(「まくーな」という感じだ)、この本では、コストレル、ーモグロビン、ウディアム(塩分)などが紹介されている。アクセントが違うと全く通じないことがあるので、要注意だ。

この本の付録でも紹介されているが、ロンドンの中心地のピカデリーも日本語風に発音すると通じないと思う。ピカディリーなのだと。

筆者は米国でレンタカーを電話で予約しようとして、Arkansasアーカンソー)で苦労した覚えがある。アーカンサスではないのだ。


4.なんと読むのかわからない地名

なんと読むのか分からない地名が多いのもイギリスの特徴だ。ウィンストン・チャーチルが生まれたブレナム宮殿はBlenheim Palaceだ。

実はこのBlenheimは元々ドイツの町で、チャーチルの先祖のJohn Churchill、Marlborough(モールボラ)卿が勝利を勝ち取った戦いの場所で、ブレナム宮殿は時のアン女王から初代Marlborough卿に与えられたものだという。

現在「21世紀イギリス文化を知る事典」を読んでいるが、実はチャーチルの祖先の話は、この事典に載っていたので紹介したものだ。

800ページの大作だが、イギリス文化の奥深さがわかる話が多く参考になる事典だ。

21世紀 イギリス文化を知る事典21世紀 イギリス文化を知る事典
著者:出口保夫
販売元:東京書籍
発売日:2009-04-04
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Marlboroughもタバコなら日本語ではマールボロと言っているが、チャーチルの場合はモールボラだ。魚のボラを皿に盛ると覚えると良いと多賀さんはコメントしている。

読めない地名はいくらでもあるので、この本では付録にまとめられている。

例えばReadingなどはアメリカのペンシルバニア州にもあり(発音も同じ)、筆者は何度も行ったので忘れないが、初めての人ではディングとは読めないだろう。


英語のなまりから出身がわかる

最後に英語のなまりから出身地、出身階級がわかる話が紹介されており、多賀さんは1.有名パブリックスクールからオックスフォード大学・ケンブリッジ大学に行った人、2.パブリックスクール出身ではないが、オックスフォード大学・ケンブリッジ大学を卒業した人、3.どちらでもない人、の3パターンを聞き分けられるという。

サッチャー元首相は、2.で、メージャー元首相は3.だ。

マイ・ファア・レイディのヘップバーンのコックニー(ロンドンの下町のスラング)を直すヒギンズ教授の話も出てくる。YouTubeでも英語矯正のシーンがある。



ヒギンズ教授は6マイル内の誤差で、その人の出身地を当てることができ、ロンドンでは2マイル以内、時には通り2本の精度で言い当てることができると言っている。

多賀さんは、自らの経験からして、この「通り2本」というのもあながち誇張ではないと語っている。

筆者は仕事で昨年ロンドンに行ったが、そのとき個人情報の話になり、英国の郵便番号(アメリカではZip code、英国ではPostal code)の精度の話を聞いた。

日本の郵便番号は7桁にもかかわらず、一つの町で一つの郵便番号というように全く有効利用されていないが、英国の郵便番号は建物、ビルディング?ごとについているので、その人の郵便番号がわかれば社会的階級までわかるという話をしていた。

さすが階級社会イギリスだと思う。


詳しく紹介すると本を読んだ時に興ざめなので、あらすじはこの程度にしておくが、12チャンネルのワールド・ビジネス・サテライトの小谷真生子(こたにまおこ)さんが推薦していると本の帯に写真入りで紹介されている。

簡単に読めて役に立つ。是非一読をおすすめする。


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2009年07月14日

回想の日本外交 開戦時の外務次官西春彦さんの外交回想

回想の日本外交 (1965年) (岩波新書)回想の日本外交 (1965年) (岩波新書)
著者:西 春彦
販売元:岩波書店
発売日:1965
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第1次世界大戦中に東京帝大を卒業して外交官となり、ニューヨークでの外交官補研修後、中国に2回(長春、青島)、ソ連には3回駐在し、開戦時には東郷外相の下で外務次官を勤め、戦後はオーストラリア大使、英国大使などを歴任した西春彦さんの回想録。

7月14日付けでチュニジア大使に発令された多賀敏行さんの「エコノミック・アニマルは褒め言葉だった」で紹介されていたので読んでみた。この本は多賀さんが高校時代に出版され、むさぼり読んだそうだ。

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
著者:多賀 敏行
販売元:新潮社
発売日:2004-09
おすすめ度:4.5
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日米交渉の時に日本の暗号電報が誤訳され、日本側は交渉の誠意がないと見なされ、強硬なハルノートが出される引き金となった話がこの本の中で紹介されている。

外交官の回顧録は多く出されているが、読むのはこの本が初めてだ。

やはり外交の当事者が語る実話は面白い。

西さんは開戦当時の東郷外務大臣の下で外務次官を務め、東京裁判では東郷さんの弁護側証人として証言したこともある。

大学受験に出ないとして昭和史は高校時代に勉強しなかったが、北康利さんの白洲次郎の本を読んでから、昭和史の本をいろいろ読みはじめた。

このブログではいままで450回以上投稿しており、1回に数冊紹介することもあるので、たぶん紹介した本は1,000冊くらいだろうと思う。

アーカーブのインデックスを見ると大体傾向がわかり、趣味・生活に役立つ情報ビジネスがそれぞれ100回を越えており、歴史政治・外交はそれぞれ15程度と少ないが、最近図書館から借りたり、読書家の会社の友人から借りる本は歴史の本が多い。

歴史の本は、読み出すと面白いし、その本の中で紹介されている本を読み出すと芋づる式に、どんどん広がっていくので、気が付くと現在図書館から借りたり、リクエストしている本は半分くらいは歴史の本になっている。

昨年の世界経済危機以来、世界経済は不況に陥っているので、興味をそそるビジネス書が少なくなっていることもあるかもしれない。

今週読むのは次の2つのの大作で、これらを読むために実は2日ほど休暇を取った。

マオ―誰も知らなかった毛沢東 上マオ―誰も知らなかった毛沢東 上
著者:ユン チアン
販売元:講談社
発売日:2005-11-18
おすすめ度:4.0
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マオ―誰も知らなかった毛沢東 下マオ―誰も知らなかった毛沢東 下
著者:ユン チアン
販売元:講談社
発売日:2005-11-18
おすすめ度:4.0
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21世紀 イギリス文化を知る事典21世紀 イギリス文化を知る事典
著者:出口保夫
販売元:東京書籍
発売日:2009-04-04
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ひょんなことから、自分の読書傾向を見直す機会ができた。

閑話休題。


西さんはモスクワ駐在3回のソ連外交のエクスパート

西さんの本を読むと外交とインテリジェンスとは表裏一体だということが痛感させられる。

「戦後日本はインテリジェンスについて全く鈍感だ」と最近有罪が確定した佐藤優さんと手嶋龍一さんが「インテリジェンス 武器なき戦争」の中で語っていたが、その話が今更ながら正しいことがわかる。

西さんはモスクワに3度駐在した対ソ連外交のエクスパートで、何度も日ソ漁業交渉を経験し、西さん達が苦労して結んだ日ソ漁業協定が1945年まで結局17年間続いた。

まさに蟹工船で働く人の生死を握る交渉だ。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫)蟹工船・党生活者 (新潮文庫)
著者:小林 多喜二
販売元:新潮社
発売日:1954-06
おすすめ度:4.0
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ソ連大使は重要ポストで、後に外務大臣や首相になった広田弘毅、重光葵、東郷茂徳は皆ソ連大使経験者だ。

日本陸軍の仮想敵国は常にソ連だったが、この本を読むと日ソ関係は特に険悪ということもなかったことがわかる。

しかし1936年に日独防共協定が締結された後は、ソ連側は日独を仮想敵国とみなして断交に等しい厳しい態度を取り、西さんたち外交官は常にGPU(後のKGB)により尾行された。尾行は徹底的で、水泳やスキーにまで一緒についてきたという。まるでジョークの様に思えるが、本当の話だ。

戦前でもソ連とは漁業交渉や、日本が採掘していた北樺太の石油、石炭開発など、様々なビジネスがあったが、日独防共協定以降、ソ連は日本からの物資輸入に許可を出さないなど様々な妨害を加えてきて、石油も一時は20万トンくらいとれたが、2−3年後には4−5万トンに減少し、採算がとれなくなってきた。

日独防共協定コミンテルンの破壊工作に対処するもので、ソ連は防共協定自体には抗議しないが、その裏にある秘密協定に抗議するのだと言っていたという。

西さんは知らなかったそうだが、日独の一方がソ連から攻撃を受けた場合には、もう一方の国はソ連攻撃義務まではないが、少なくともソ連の負担を軽くすることはしないという秘密協定があり、その情報がソ連に漏れていたのだ。


英米との戦争に向け枢軸派で固めた人事の流れ

半藤一利さんの「昭和史」を読むと、2.26事件で陸軍の統制派と皇道派の争いに決着がついて統制派が主流となり、海軍でも穏健派の”条約派”とあくまで艦船建造に固執する”艦隊派”の抗争にけりがつき、”艦隊派が主流となったことが書いてある。

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー は 26-1)昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー は 26-1)
著者:半藤 一利
販売元:平凡社
発売日:2009-06-11
おすすめ度:3.5
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外務省でも同様に英米協調派が追いやられ、枢軸国派が主流となっていった動きが、西さんの本でも書かれている。

外務省には1930年代の終わり頃に「革新派」と称するグループがあり、陸軍の親独派と連絡していて、リーダーの一人は局長で、白鳥イタリア大使もメンバーだったという。

白鳥イタリア大使は、1934年から駐独在外武官としてドイツに駐在し異例の昇進で駐独大使になった大島浩中将と連携して1940年9月に日独伊三国同盟を締結した。

そして1940年に松岡洋右が外相に就任すると「バスに乗り遅れるな」というスローガンのもと「松岡人事」で、それまで外務省の本流の外交官、特に在外大公使の大部分が辞めさせられた。

日独伊枢軸政策を支持するもので外務省の首脳部は占められ、在外公館や外務省の業務にも大きな影響が出たという。

陸軍が外務省人事に口だしするようになり、西さんもソ連公使として外に出された。駐ソ大使は東郷茂徳から代わった元陸軍中将の建川美次大使だった。このとき日ソ中立条約を締結する。1941年4月のことだ。

ちなみに半藤さんの本では、阿部信行内閣の時の1939年9月ー1940年1月に外相に就任し、その後1941年4月に駐米大使に就任した野村吉三郎海軍大将と外務省官僚との人事や貿易省設立案を巡る不仲にもふれている。

戦後白洲次郎が初代長官となって設立した貿易庁(後の通商産業省、現経済産業省)の原案が野村外相の時代に出され、外務省キャリア130人全員が辞表を出したという事件だ。


開戦直前の日米交渉

この本の白眉ともいうべき部分が開戦直前の日米交渉だ。

西さんは1941年10月東條内閣の外務大臣として復活した東郷茂徳外相のもとで外務次官に就任し、日米交渉をまとめあげるために、さっそく外務省内の「革新派」数名を辞めさせた。

東郷外相もなんとか日米交渉をまとめるべく、大本営政府連絡会議(首相、陸相、海相、外相、蔵相、企画院総裁、参謀総長、軍令部総長がメンバー)で中国駐兵期限を25年をメドとすることで米国への提案をまとめ甲案とした。

甲案がうまくいかなかった時に、日本資産凍結解除を条件に南仏印から撤兵するという乙案も用意された。

西さんは1941年11月1日の大本営政府連絡会議に参加し、会議の様子を書いている。この会議の焦点は日米交渉が1ヶ月ほどの間に妥結しない場合は臥薪嘗胆で行くか、開戦を決意するかだった。

永野修身軍令部総長が開戦を最も強く主張した。海軍はこのままいけば石油不足で身動き取れなくなり、その後は英米の要求に屈せざるを得ないという「ジリ貧論」だが、開戦決断は政府の責任だと。

陸軍には即戦論もあった中、東郷外相は交渉の期限を切るべきでなく、全局にわたる見通しがなくして開戦してはならないと強く主張したが、ジリ貧論が大勢を占めた。

西さんも発言し、開戦しなければ石油の不足はあっても無傷の軍艦を温存して平和の時期を迎えられると説いたが、効果はなかった。

東郷外相は賀屋蔵相の賛同を得て、かろうじて結論を1日延ばすこととしたが、結局翌日二人とも東条首相に従うことになり、12月上旬までに交渉が妥結しなければ開戦を決意するとの「第2次帝国国策要領」が決定された。

ルーズベルトと旧知の仲だった前外相の野村吉三郎海軍大将大使の補佐として交渉の専門家の外交官出身の来栖三郎大使も派遣され、甲案から交渉を始めた。

西さんは交渉が甲案でまとめる見込みは五分五分だと思っていたが、ハル国務長官は口頭では甲案を評価したものの対案も出さないので、日本側はやむなく乙案を出した。

しかし議論はかみ合わず結局11月26日にアメリカから出されたのは仏印からも中国からも撤兵を求めるハルノートだったので、時間切れで日本は開戦を決意する。

ハルノートの主要部分は次の通りだ。

BlogPaint











出典:公開されているハルノート原文

日本側が既に甲案で中国からの撤兵を期限付きで提案していることから考えて、筆者が今ハルノート原文を読むと、最後通牒ではなく、まだまだ交渉の余地があるような印象を受けるが、このブログを読む人はどう感じられるだろうか?

いずれにせよ日本側は時間切れで開戦を決定し、戦争に突入した。


日本側暗号解読誤訳の悲劇

西さんはなぜ甲案が受け入れられなかったのか疑問に思いながら、ずっと過ごしていたが、東京裁判の時に弁護側証人として証言した時に、日本側電報の暗号解読文の英訳文にひどい誤訳・曲訳があるのを発見し、合点がいったという。

苦心惨憺の末作った甲案、乙案の妥協案も、この傍受電報一つで蹴飛ばされたと言ってもいいほどだと西さんは悔しがる。

この話を日本側電報原文と暗合解読文の両方をつきあわせて解説したのが、多賀敏行さんの「エコノミック・アニマルは褒め言葉だった」に収録されている「暗号電報誤読の悲劇」だ。

どこがどう曲訳、誤訳、おまけに付け加えられたのか詳しく解説されていて興味深く、わかりやすい。

これでは日本側は誠意がないと受け止められるだろう。

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
著者:多賀 敏行
販売元:新潮社
発売日:2004-09
おすすめ度:4.5
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西さんは1986年に亡くなっているが、西さん没後に出てきた新発見として、「真珠湾の真実」で明らかにされた、日本を挑発して先制攻撃させて、それを理由に対独戦に参戦しようとするマッカラム米国海軍極東課長の”裏口からの対独参戦計画”がある。

なぜ電報が意図的に曲訳されたのかも、”裏口からの参戦”のためと考えると、つじつまがあう。このことをもし知ったら西さんはどう思っただろうか?


1965年に書かれた本なので、ロシアがソ連だったり、中国が中共だったりして、古い部分はあるが、在野時代も含めて46年間も外交に携わった西さんだけに、裏話も含めた回想録は面白い。

日米安保改訂反対、「完全軍縮」、世界の核兵器廃絶を訴える姿勢は、今は逆に新鮮ささえ覚える。

絶版となっているようだが、アマゾンのマーケットプレースで購入もできるし、岩波文庫なので、多くの図書館でも置いていると思う。

さらに興味が増すので、誤訳された電報解読文が載っている多賀さんの本と一緒に読むことをおすすめする。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。






  
Posted by yaori at 22:42Comments(0)TrackBack(0)

2009年06月24日

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった 役に立つ英語のショートストーリー集

「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
著者:多賀 敏行
販売元:新潮社
発売日:2004-09
おすすめ度:4.5
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ケンブリッジ大学で法学の修士学位を持つ外交官で、東京都儀典長の多賀敏行さんの英語の本。

先日お目にかかる機会があったので、サインも頂いた。

多賀さんサイン






タイトルも含めて、次のような文を集めている。

第1章 「日本人は12歳」の真意

第2章 「エコノミック・アニマル」、「ウサギ小屋」は悪口か

第3章 アーネスト・サトウと山下将軍の無念

第4章 暗号電報誤読の悲劇 ー 日米開戦前夜

第5章 漱石の鬱屈、魯迅の感動

第6章 ダイアナ妃とブッシュ・シニアの文法

第7章 存在しない「グローバル・スタンダード」という言葉

第8章 ブッシュ・ジュニアの国連演説

第9章 騒動の中心はたったひとつの言葉

付録として1951年5月5日のマッカーサーの上院答弁の原文、1941年11月4日の日本の東郷外相から野村駐米大使宛ての電報(暗号が誤読された電報原文)、1979年のEC報告書(英語版)を紹介している。

「文藝春秋」などで公開された作品もあり、文学小品として大変興味深いものばかりだ。


マッカーサーの「日本人は12歳」発言

たとえばマッカーサーの「日本人は12歳」発言。筆者もマッカーサーが日本人のことを見くびった発言だとばかり思っていたが、この本の解説と原文を読むと、決して日本人をバカにした発言ではないことがわかる。

日本人をバカにした発言と思いこんでいる著名人の例が挙げられており、そのような評価につながった朝日新聞の報道や「天声人語」も紹介されている。

意に添わない受け止められ方をしてマッカーサーも残念だったことだろう。多賀さんも「あまりにも気の毒な感じがしてならない」と語っている。

マッカーサーの発言は、マッカーサーがトルーマン大統領に解任されて、帰国直後の1951年5月5日の上院の軍事・外交合同委員会の時のものだ。

ちなみにこの1ヶ月ほど前に、マッカーサーは上下両院議員を前に「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」(Old soldiers never die; they just fade away.)という有名な言葉で締めくくった演説をしている。

日本の民主化の成功を得々と説明するマッカーサーが、つい「一旦自由を享受した国民が(平時に)自発的にその自由を手放したという事例は一つたりとも私は知りません。」と言い切ったのに対して、ロング議員が意地の悪い切り返しをした。

ロング委員はワイマールドイツの例を出し、一旦は民主化したのにファシズムに転換した例もあるではないかと鋭く突っ込んだので、とっさにマッカーサーが答えたのがこの発言だ。

ドイツやアングロサクソンは文化的にも45歳の成熟期といえ、ナチズムも国際道義を知っていながら侵略やホロコーストなどを確信犯的に犯したものだ。

これに対し日本は長い歴史がある民族ではあるが、社会の発達の度合いからも12歳の少年のように(they would be like a boy of 12)ナイーブで民主主義教育が可能だと言いたかったものだ。

多賀さんの総括の言葉を引用すると:

「日本人はドイツ人と異なり封建体制下でしか生きたことがなく、世界のことも十分知らず暮らしてきた。欧米の社会の発展の度合いでみると子供のようなものである。しかし子供であるからこそ、教育が可能だ。壮年期に確信犯として悪事を働いたドイツとは違う」ということを強調したかったのだろう。」

この本で紹介されている原文を読んでも、多賀さんの理解が正しいと思う。

ネガティブ発言として歴史に埋もれてしまったマッカーサー発言を、原典にまで遡って調査して、誤解を解消する多賀さんの地道な言論活動に敬意を表する次第である。

マッカーサーと、その良きカウンターパートの吉田茂も感謝していることだろう。


その他の話の要旨

詳しく紹介すると本を読んだときに興ざめとなるので、筆者の備忘録も兼ねて要旨だけ紹介しておく。


★「エコノミック・アニマル」、「ウサギ小屋」は悪口か
日本を「エコノミック・アニマル」と読んだのはパキスタンのブット元首相だが、多賀さんの外交官の先輩によるとブット氏は「自分は決して日本人を侮辱するつもりでエコノミック・アニマルと言ったのではないのに」と語っていたという。

ブット氏はUCバークレーとオックスフォード大学を卒業し、同大学で教鞭をとったこともあり、完璧なイギリス英語を話したが、この「○○アニマル」という云い方は、決して侮辱的ではないことが様々な根拠から論証されている。

★1979年のECの報告書に「日本人はウサギ小屋のような住居に住んでいる」と書かれたことを、フランス語の原文までたどって、決して侮辱的な意味ではなかったことをきっちり説明している。

フランス語では共同住宅のことを"cage a lapins"、と呼んでいるが、これは文字通り訳すと「ウサギ小屋」となるのだ。

★アーネスト・サトウと山下奉文(ともゆき)将軍の無念
アーネスト・サトウは幕末の日本を書いた「一外交官の見た明治維新」の著者として有名だ。アーネスト・サトウの話は、幕府との交渉の時に"The treaties"なのか"treaties"なのかで、あいまいに幕府側が説明したことにミスリードされたという話だ。定冠詞の有無で意味が全然異なる例である。

一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)
著者:アーネスト サトウ
販売元:岩波書店
発売日:1960-01
おすすめ度:5.0
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山下奉文中将はシンガポール陥落の時の日本軍指揮官で、英軍パーシバル中将が降伏交渉でくどくどと条件交渉をはかったので、"Yes"か"No"かで答えを迫ったという話で有名だが、実はこれは通訳が悪かったのでしびれをきらしたのだという。

終戦の時、フィリピン方面軍総司令官の山下奉文大将の降伏調印式には捕虜収容所から出所したばかりのパーシバル中将がいたという。マッカーサーの報復である。

山下奉文―昭和の悲劇 (文春文庫)山下奉文―昭和の悲劇 (文春文庫)
著者:福田 和也
販売元:文藝春秋
発売日:2008-04-10
おすすめ度:4.0
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★暗号電報誤読の悲劇
太平洋戦争前からアメリカは日本の暗号を解読していて、ルーズベルト大統領は”マジック”と呼んでそれを読んでいたが、実は重要な部分に誤訳があってそれが日米交渉を終了に追い込んだ理由の一つになったという。

今度紹介する「真珠湾の真実」でも解読された日本の暗号文が数多く紹介されているが、この本では英文と和文が対照されているので、興味深くわかりやすい。

真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々
著者:ロバート・B・スティネット
販売元:文藝春秋
発売日:2001-06-26
おすすめ度:3.0
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開戦当時、外務次官だった西春彦氏は「回想の日本外交」に、日米交渉の際に日本側が甲・乙両案を出したのに、アメリカ側は重大な譲歩を含む甲案に興味を示さなかったので不審に思ったことを書いている。

西氏が戦後、東京裁判の時に不思議に思って米国の暗号解読資料を読んでみると1941年11月4日の東郷外相から野村駐米大使宛の電報が、米国側に誤訳され、日本側は誠意がないと受け止められる内容となっていて、はじめて甲案に米国が反応を示さなかった原因がわかったという。

この傍受電報の誤訳が日米交渉が決裂した大きな原因の一つになったと思うと、西さんは、その晩は眠れなかったという。

回想の日本外交 (1965年) (岩波新書)回想の日本外交 (1965年) (岩波新書)
著者:西 春彦
販売元:岩波書店
発売日:1965
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★漱石の鬱屈(うっくつ)、魯迅の感動
ロンドン留学時代の夏目漱石が官費留学にもかかわらず金欠病で、海外生活不適応症候群となっていたのに対して、日本留学中の魯迅は「藤野先生」にも書かれている通り、大変熱心に指導を受け、文法の誤りも含めノートはすべて朱筆してもらったという。

阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫)阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫)
著者:魯迅
販売元:講談社
発売日:1998-05
おすすめ度:5.0
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多賀さんもケンブリッジ留学時代に教授から"I am slightly disappointed at your rather slow progress."という具合に「英国人的指導」を受け、それから論文を念入りに朱筆してもらって、有り難かったことや、英国での下宿生活の経験を書いている。

筆者もアルゼンチンで2年間、研修生として賄い付きの下宿で生活していたが、他に3人アルゼンチン人の同宿人がいた。

いまだに彼らとは文通しているが、土日(平日は朝・夕、土日は夕食はなかった)は彼らと一緒に食事したり、外出したりして楽しく過ごし、スペイン語漬けの生活を送ったので、帰国して社内スペイン語検定で1級が取れた。

同宿人はスペイン系アルゼンチン人とイタリア系アルゼンチン人だったが、一緒に町を歩くと、出会った若い女性には必ず声を掛けるので、閉口する部分もあったが、今から思えば楽しい思い出である。

多賀さんも書いているが、やはり良い下宿、良い環境で生活するというのは、語学を上達させる上で絶対に必要だと思う。


★ダイアナ妃とブッシュ・シニアの文法
湾岸戦争の時に、ブッシュ・シニアが「サダム・フセインがイラクからいなくなったらよかっただろうとは思う。これは超過去完了時制ですよ。」と言ったという。

原文では、"'Out of there' would be have been nice. This is ex-pluperfect past tense."と言ったという。「超過去完了」などなく、実際には仮定法過去だが、インテリらしく見せないブッシュ・シニア一流の切り返しだという。

ダイアナ妃は自分のことを"She won't go quietly"とインタビューで語り、強い女の一面をのぞかせた。


★存在しない「グローバル・スタンダード」という言葉 
よく「アメリカン・スタンダードはグローバル・スタンダードではない」という風に使われるが、これは和製英語のようだ。


★ブッシュ・ジュニアの国連演説
"We will work with the U.N. Security Council for the necessary resolutions"と最後が複数形になっているのは、フランスに配慮してのことだという。英語は奥が深い。


★騒動の中心はたったひとつの言葉
カナダのクレティエン首相の報道官がブッシュ大統領のことを"moron"と呼んで辞任。"moron"とはうすのろのことだ。その他"recalcitrant"とか難しい単語をめぐってのエピソードが紹介されている。


多賀さんの知性と教養があふれる英語のショートストーリー集である。楽しく読めてためになる。

簡単に読め、大変面白い本なので、是非手にとって見て欲しい。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。




  
Posted by yaori at 23:36Comments(0)TrackBack(0)