2014年06月03日

竹島密約 安倍首相が面談した韓国人歴史家 ロー・ダニエル氏の研究

+++今回のあらすじは長いです+++

文庫 竹島密約 (草思社文庫)
ロー ダニエル
草思社
2013-02-02


この本を知ったのは、たぶん鳥居民さんが著書でこの本を紹介していたからだと思うが、何気なく見ていた安倍首相の日々の行動の2014年4月16日11:05〜12:15に、韓国の日本研究者・ロー・ダニエル氏のインタビューと書かれていることに気が付いた。

なぜ安倍首相がロー・ダニエルさんと会ったのか。その理由はこの本のあとがきを読むとわかる。

あとがきの重要部分だけ紹介しておく。

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出典:本書(文庫版)297ページ

なんと、密約締結関係者の一人の中曽根康弘元総理が、ロー・ダニエルさんに真相を究明して欲しいと依頼し、秘書を通じて多くのサポートを与えたというのだ。

中曽根元総理は先日9回目の年男パーティを迎え、5回目の年男の安倍総理他の多くの政治家が集まった。

杖をつきながらも、自分で動けて、発言もしっかりしているのは立派だが、さすがに年齢による衰えは隠せない。

中曽根元総理も、自分が元気なうちに、自分も関係した竹島密約の真実を伝えたかったので、ロー・ダニエルさんに執筆を依頼したのだろう。

関係者の多くは亡くなっているが、それでもロー・ダニエルさんは直接の関係者数名にインタビューしており、この本の信ぴょう性を高めている。

「なか見!検索」は必見

この本は文庫版となってアマゾンの「なか見!検索」に対応するようになった。立ち読み感覚で、重要な部分が読めるので、ぜひここをクリックして、ネット立ち読みしてほしい。特に最初の目次、主な関係者とプロローグ、あとがきをぜひ見てほしい。

あらすじを紹介する前に、竹島がどのあたりにあるのかを紹介しておく。

次が文庫版14ページにある地図だ。「なか見!検索」でも、見られるので、ここをクリックして、目次と登場人物紹介に続く竹島付近の地図を参照して欲しい。

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出典:本書14〜15ページ

まさに日本と韓国のちょうど中間地点にあることがわかると思う。

竹島は尖閣列島と違って、地下資源があるという話もなく、日比谷公園程度の大きさで、本来何の役にも立たない無人島である。いままで何度も「爆破したら」という選択肢が、外交の場では半分本気・半分冗談として出されてきた。

しかし、竹島の存在は漁業資源に関係する排他的経済水域の設定には大きな意味を持つ。

昭和20〜30年代生まれまでの人は、「李承晩ライン」という言葉を覚えているだろう。李承晩は、初めての韓国大統領で、反日・反共を貫き、日本との間に勝手に「李承晩ライン」という排他的漁業水域を設け、日本の漁船を多数拿捕した。

日本が韓国との日韓漁業協定締結を急務としたのは、こういった漁船拿捕による漁民からの要望も強かったからだ。

尖閣列島については、1978年の日中平和友好条約交渉の際に、小平が先送りを提案したが、公式には日本側はそれには応じなかったとされている(外務省のホームページによると”福田総理より応答はなし。”とされている)。

しかし、その後、日本企業が尖閣列島付近の資源開発を検討しても、日本政府として許可を出さずに、事実上小平提案の解決の棚上げを尊重してきたという経緯がある。

この本では、日中間の尖閣列島問題の先送り合意の13年以上も前の1965年に、日韓間で竹島問題の先送りを秘密裏に合意していた密約が存在することを明かしている。

竹島密約は次のような簡単なものだ。

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出典:本書227ページ

この本では、講和条約交渉の際に、当初は韓国領とされていた竹島が、日本側の外交努力で、1949年12月29日の第6次草案から日本領に変わり、ディーン・ラスク国務次官補は竹島は日本領とみなすと韓国側にレターで回答していることを明かしている。ところが、サンフランシスコ講和条約では竹島に関する記述は抜け落ちて1951年9月8日に調印された。

講和条約が1952年4月28日に発効する前に、李承晩大統領は、竹島は韓国領として「李承晩」ラインを設定、1952年9月から日本漁船の拿捕を始めた。

日韓国交正常化交渉は、1953年10月に外務省参与・久保田貫一郎が、「日本が講和条約を締結する前に韓国が独立したのは不法である。日本の36年間にわたる統治は韓国にとって有益だった」と発言したことから紛糾し、その後4年以上再開されなかった。

その間、1957年2月に首相に就任した岸信介は、地元の山口県の漁民が韓国に抑留され、漁業にダメージを受けているので、自らの「策士」の矢次一夫を使って、韓国に様々なアプローチをしていた。

岸信介は自ら「親韓派」と称していた。

矢次は、岸首相の就任日に、韓国外務部の政治局長と駐日韓国大使館の参事官を秘密裏に、岸首相の南平台にある私邸に案内した。

そのころ岸信介の娘と結婚した安倍晋太郎は、岸信介の秘書として、岸の私邸に同居していた。矢次一行は裏口から入り、オムツの干してある中を通って、就任したばかりの岸信介首相と面談したという。

このオムツをしていたのが、当時2歳だった安倍晋三総理だ。

岸信介は、矢次を使って蒋介石とも連絡を取り、蒋介石・李承晩・岸信介というアジアの反共産主義ラインをつくるろうとしていた。

しかし、1960年に岸信介は新日米安保条約問題で、李承晩は不正選挙問題で退陣する。

李承晩の後は、短期間、民主党の張勉が政権を取り、翌1961年5月16日の朴正煕少将が率いる軍事クーデター後、親日派の朴正煕大統領が誕生する。

朴正煕大統領は、1979年に暗殺されるまで、18年の間、韓国の大統領として、アジアの最貧国の一つだった韓国が先進国クラブのOECDに加盟できるまでに成長させた。

朴正煕大統領と一緒に親日政策を展開したのが、朴正煕の義理の甥の金鍾泌だ。

この本では、第2章”叔父と甥の対日外交”として、、旧陸軍や一橋大学出身者など韓国の親日派が中心となって池田隼人首相の日本と請求権交渉をまとめ上げたことを紹介している。

朴正煕大統領は、就任後アメリカ訪問の前に日本に立ち寄り、政財界の代表の前で、「われわれが、過去のよろしくない歴史を暴きたてるのは賢明なことではありません。両国は共同の理念と目標のために親善を図らなければなりません」と述べて好印象を与えた。

また、岸信介前首相、佐藤栄作、大野伴睦、石井光次郎、船田中、矢次一夫らの政界の「韓国ロビイストの集まり」ともいえるメンバーとの会食では、「未熟な小生をよろしくご指導ください」と日本語であいさつしたという。

韓国の親日派を相手とする請求権交渉では、当初韓国案8億ドル、日本案1億ドルと大きな隔たりがあった。しかし、最終的には1962年10月に金鍾泌中央情報部長が訪日して大平外務大臣と交渉し、有償3億、無償2億、民間借款1億ドルの6億ドルで決着した。これがその後の韓国の発展につながる経済開発5か年計画の資金となった。

請求権交渉が妥結したことで、李承晩ラインも消え、漁船の拿捕もなくなった。次の問題は日韓基本条約の締結だ。

この交渉の過程で、ロッキード事件で一躍有名になったフィクサーの児玉誉士夫の名前も出てくる。

外務省や大平外相は、竹島問題の国際司法裁判所への提訴を条件としたが、韓国側は「未解決の状態で維持する」という作戦にでた。これが後の「未解決の解決」という竹島密約につながる。

金鍾泌は訪日後、下野して外遊、その後1963年12月の朴正煕の第5代大統領就任とともに、与党共和党議長として復帰した。

しかし、「対日屈辱外交反対」を唱える野党勢力や学生デモの前に、朴正煕大統領を守るためのスケープゴートとして辞任した。そのあとを継いで、対日交渉を担当したのが、満州軍官学校出身で、1964年5月に就任した丁一権国務総理と金鍾泌の兄の銀行家金鍾珞だった。

日本川の交渉役は、1964年5月に大野伴睦が亡くなった後、河野一郎が継いだ。

主流派の佐藤派は日韓条約締結に積極的だったが、河野派は佐藤派より5人少ないだけで、党内の第2の勢力だった。もし河野派が反対するとなにもできない。だからキャスティングボードは、党人派を代表する河野一郎が握っていた。

河野一郎を日韓交渉に引っ張りだすには、ちょうど韓国を訪問中だった中川一郎や中曽根康弘が協力した。

そして日韓交渉全体を密にフォローし、時には間を取り持ったのが、大野伴睦の盟友の渡邉恒雄(ナベツネ)の読売新聞社だった。渡辺の指示で、日韓関係をとりもったのが当時の読売新聞のソウル特派員で、幼少期を韓国で過ごした嶋元謙郎さんだ。嶋元さんはこの本の取材に全面協力したので、この本は嶋元謙郎、恵美子夫妻にささげられている。

河野一郎はこのままでは総理になれないというあせりから、日韓交渉を引き受けた。

河野の腹心の宇野宗佑と金鍾泌の兄の金鍾珞が交渉代理人、斡旋役が嶋元謙郎、交渉の責任者が河野一郎、丁一権という交渉チームが出来上がった。

東京オリンピックが1964年10月10日から開催され、池田首相は病気のため、オリンピックを花道に退陣した。そのあとを継いだ佐藤栄作首相の1965年1月の訪米前に、日韓交渉を合意させるというギリギリのタイムテーブル下で、日韓交渉は進められ、1964年末にすべてが決着した。

竹島については、上記に紹介した竹島密約が河野一郎と丁一権の間で成立した。1965年1月11日のことだった。2日後に朴正煕大統領も承認し、1月13日にジョンソン大統領との会談直前の佐藤栄作首相に電話で日韓合意が伝えられた。

日韓基本条約は1965年2月20日に仮調印され、1965年6月22日に正式締結した。河野一郎が病で亡くなったのはその2週間後の7月8日だ。

全斗煥盧泰愚らを中心とする軍部内の「ハナ会」は、朴正煕大統領が暗殺されると、12・12事件を起こして、権力を掌握し、全斗煥が大統領に就任した。

ハナ会」はいわば朴正煕ファンクラブで、メンバーは慶尚道出身の軍人で、滅私奉公に徹した朴正煕を崇拝し、日本流の軍人精神を慕った。

彼らの愛読書は、山崎豊子の「不毛地帯」で、主人公のモデルの伊藤忠の瀬島龍三さんを尊敬していたという。

瀬島龍三さんも、1980年に東急の五島会長と訪韓して、全斗煥、盧泰愚両将軍と面談していることを著書の「幾山河」に書いている。



幾山河―瀬島龍三回想録
瀬島 龍三
産経新聞ニュースサービス
1996-07


竹島密約は、軍人親日主義の朴正煕、全斗煥、盧泰愚の「軍人親日主義」体制では守られた。しかし、盧泰愚大統領を継いだ非軍人の金泳三大統領には伝わらなかった。

野党政治家として半生を送った金泳三大統領は、「歴史の清算」として、光州事件の再調査、全斗煥、盧泰愚両前大統領の逮捕、朝鮮総督府の建物の解体などを実施した。

金泳三大統領自身は、日本語が流暢で、大統領退任後は早稲田大学の特命教授を務めるなど、日本との友好にも貢献した。

金泳三大統領以後は、日韓関係は、金大中大統領や李明博大統領の就任当初や、盧武鉉大統領・小泉純一郎総理のシャトル外交など、一時的な改善の時期はあったが、ほぼ一貫して悪化してきた。

中曽根康弘首相は、首相に就任すると、すぐに「竹島密約」の存在を調査させている。日本の外務省は承知していたが、全斗煥政権の韓国では、発覚を恐れ、密約の紙は処分されていた。

密約の紙自体も、密約の精神自体も消失したのだ。

竹島は、それ自体は何の意味もないが、韓国大統領の対日強硬姿勢を示す格好の話題として、政権の支持率アップのためのプロパガンダとして使われている。韓国の天気予報では、必ず竹島の天気も紹介されるという。

李明博大統領は、竹島に上陸してテレビ中継させている。朴槿恵大統領もいずれ竹島を訪問することだろう。

たかだ日比谷公園程度の島に、そんなに意味があるのか?

引き継がれなかった「竹島密約」の先人の知恵に、あらためて思いを致す本である。


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2014年05月26日

呆韓論 呆れる写真も満載! 元時事通信ソウル特派員の室谷さんの韓国批判

呆韓論 (産経セレクト S 1)
室谷克実
産経新聞出版
2013-12-05


元時事通信ソウル特派員の室谷克実さんの韓国批判。このブログでは室谷さんの「日韓がタブーにする半島の歴史」を紹介している




韓国の対日感情は、朴正煕大統領に続く、全 斗煥、盧泰愚までの軍事政権の時はそれほど悪くなかったが、長年の反日教育のためにどんどん悪化しているのは、憂慮すべきことだ。

最近でも、李明博大統領は経済界出身で、大阪生まれだ。李明博大統領なら、日韓関係も少しは改善するかと期待して、ソウル市長時代の「都市伝説 ソウル大改造」や、「すべては夜明け前から始まる」のあらすじを紹介した。



しかし、李明博大統領も、当初こそ日本に対する関係改善の姿勢を示したが、その後は支持率低下に苦しみ、最後は竹島を訪問するなど、スタンドプレイに走った。

現在の朴槿恵大統領にも期待して、大統領就任の時に「朴槿恵の挑戦」のあらすじを紹介している




朴槿恵大統領は、親日派だった朴正煕大統領の娘なので、「高木正雄」(=朴正煕の日本名)の娘と言われるのを極端に嫌っているという。少しでも親日の姿勢を示せば、「それ見たことか、やはり親日派か」と言われて国民の支持を失うことを恐れ、日本には厳しくあたらなければならないのだろう。

それにしても、日米間の首脳会議の時の朴槿恵大統領のかたくなな態度と、中国の習近平主席には笑顔をふりまく両極端な態度は、最近の「中国という蟻地獄に落ちた韓国」などの本が指摘している通り、韓国は中国の属国として生きていくつもりなのかと思わせるほどだ。




朴槿恵大統領の正当性が疑われている

この本の最初に、朴槿恵政権の正当性が疑われていることが紹介されている。

朴槿恵大統領は2013年2月に就任した。2012年12月に行われた大統領選挙は、朴槿恵候補51%:文在寅候補48%という接戦だった。

当選した要因として、朴候補は選挙戦中に、国家情報院(元KCIA)や国軍サイバー司令部によるツイッターやSNSへの応援書き込み支援を受けていたことが判明している

また高齢層の支持を得るために、65歳以上のすべてに毎月20万ウォン(2万円)の年金を支給すると公約していた。しかし、当選した後は、財政状況が厳しいため、「詐欺公約」と非難されるほど内容が切り詰められてしまった。

これら国家情報院や国軍サイバー専門部隊の支援と、「詐欺公約」がなければ、朴槿恵は大統領にはなれなかっただろう。加えて、「セウォル号」事故で、不信任も急増している。こんな政治基盤が弱い大統領だけに、反日の姿勢を貫いて国民の支持を得るのは必須なのだろうと思う。


この本の目次

この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応していないので、目次を紹介しておく。

はじめに

序章 妄想と非常識に巻き込まれた日本

第1章 「自由と民主主義」の価値を同じくしない国

第2章 恥を知らない国際非常識国家

第3章 反日ならすぐにバレる嘘でも吐く

第4章 世界から軽蔑される哀れな反日病

第5章 歪みだらけのオンリー・イン・コリア

第6章 呆れかえるウリジナルの暴走

第7章 本当に恐ろしい人間差別大国

第8章 「売春輸出大国」の鉄面皮

第9章 わかりあえない不衛生・不法・不道徳

第1 0章 反撃の種「対馬」の仕込み方

終章 官邸、皇居の耳目役への警鐘

おわりに


序章を読めば大体の論点がわかる

この本の序章に最も重要な部分が、かいつまんで説明されている。

日の丸を食いちぎる人や、安倍首相と橋下大阪市長の顔写真を踏みつける人、韓国サッカー応援団の安重根フラッグ、ソウルの日本体感前に置かれた慰安婦像などの写真も序章に紹介されている。

実は序章を読めば、この本の論点が簡単に理解できる。本当は「なか見!検索」に最適の本なのだが、仕方がないので、まずは書店で序章を立ち読みすることをおすすめする。


朴槿恵大統領の「1000年恨み節」

序章の中で、朴槿恵大統領が、2013年3月1日(独立運動記念日)の記念演説で、「1000年恨み節」を語ったことを紹介している。曰く、「被害者と加害者の立場は1000年経っても変わらない」と

「1000年恨み節」なら、元寇は1274年と、1281年。もとはといえば、高麗の皇太子が元のフビライに日本征服を促したことが原因だと室谷さんは言う。

ネットで「元寇」で検索したら玉川大学の公開サイトで、元寇について詳しく解説しているものがあるので、ここをクリックして見てほしい

本も出ているので、今度読んでみる。

知るほど楽しい鎌倉時代
多賀 譲治
理工図書
2011-01



参考になった点をいくつか紹介しておく。

★「日帝統治の体験者ほど反日の度合いが低い」
室谷さんは特派員時代に、韓国13代目の大統領となった盧泰愚が体育相だった時に、パーティで話したことがあるという。

韓国人記者もたくさんいたので、室谷さんは韓国語で話かけたら、盧泰愚は日本語で答えたという。

「あなたの韓国語より、私の日本語の方がうまい。遠慮はいりません。日本語でどうぞ」

さらに話を続けると、

「私たちの世代で日本語を話せないとしたら、バカですよ。若い人は日本語を知らないから、私と全斗煥は、副官に聞かれたくない話は日本語で話したものです。今でも電話をしていて微妙な話題になると、秘書に聞かれないよう、どちらからともなく日本語になります」。

盧泰愚氏は、国民学校で担任だった日本人の教師をソウルに招待したという。

上の親日派世代は鬼籍に入るか、発言力を失う中、反日ファンタジー歴史学しか知らない人びとが韓国の政界、マスコミを牛耳っているのだと。

★朴槿恵大統領は中国語が堪能
朴槿恵大統領は、西江大学電子工学科卒、フランス留学経験があり、学生の時に習った中国語が堪能と言われている。

韓国が中国傾斜を強めている最近の傾向には、こういった背景もあるのだろう。

外華内貧
韓国人にとって大切なことは、外面を華やかに飾ることだと。「外華内貧」は朝鮮半島で創作された数少ない4文字熟語で、「見栄っ張り」、「格好つけ屋」などという意味だという。この4文字熟語ほど韓国人の何たるかを示す言葉はないと室谷さんは語る。

この本ではあまり詳しく紹介していないが、室谷さんの「悪韓論」では、韓国型新幹線(KTX)の韓国製部品の強度の問題によるエンジントラブル多発や、わいろを受け取って、不合格品を原子力発電所に取り付けさせて逮捕された100人余りの技術者のことを紹介している。

悪韓論 (新潮新書)
室谷 克実
新潮社
2013-04-17






★信じがたい離職率
この本のなかで”2007年の古いデータで恐縮だが”と紹介されている雇用統計に驚く。

入社1年以内の離職率     : 30.1%
入社2年以内の離職率     : 68.9%(青年求職者対象となっている)
3年以上一つの職場に勤めた率: 18.3%(つまり離職率81.7%!)

いくら韓国の離職率が高いとはいっても、にわかには信じられないデータだ。

額に汗する仕事そのものを蔑視し、そうした仕事をする人を露骨に軽蔑し、そして、そうした仕事に携わる人自身も、自分の職業に何らの誇りも持っていない。これが、朝鮮半島の歴史が作り上げた産業文化の底流だという。

彼らが作る製品あるいは半製品・部品が精度に欠けるのは、至極当然の帰結なのだと室谷さんは語る。

★慶尚道と全羅道の対立
金大中氏が大統領になるまでは、全羅道(後期百済の中心地域)に対する差別はすさまじかったという。もともとは、高麗王朝の始祖、王建が残した「訓要十条」に、旧百済地区からの人材登用を戒め、それがため高麗、李朝を通じて、全羅道の両班はほとんど官職に就けなかった。

朴正煕、全 斗煥、盧泰愚、金泳三と続いた慶尚道出身の大統領時代に、官民、軍警とともに、慶尚道優位の人材登用、予算配分が続き、全羅道差別は極みに達したという。

もともと異民族のように扱われていた済州島出身者も同様だったという。ちなみに呉善花さんは済州島出身だ。

2012年12月の大統領選挙の結果を見ても、全羅道では野党候補が9割の得票率で、全羅道の中心地の光州での朴槿恵の得票率は7.8%しかなかった。一方、慶尚北道では朴槿恵支持が8割だった。

百済と新羅の対立が現代まで残っているとは!

まとめるのが難しい国である。だから対日批判で国をまとめようとするのだろう。

室谷さんの本は、「悪韓論」も読んだ。こちらは、具体例が多く取り上げられているので、今度あらすじを紹介する。

悪韓論 (新潮新書)
室谷 克実
新潮社
2013-04-17



冒頭に記したように、序章を読めば、まさに呆れるような写真とともに、このの本の論点が理解できる。まずは書店で序章を立ち読みすることをおすすめする。


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2014年05月10日

オーディション社会 韓国 敗者復活戦がない韓国社会



競争社会の割には、敗者復活戦がない韓国社会の問題点を明らかにした本。

著者の佐藤大介さんは、毎日新聞社を経て、2002年に共同通信社社員となり、2007年に韓国の延世大学に社命留学、その後2009年から2011年末までソウル特派員として勤務していた。

韓国の問題点を指摘する本は多い。

このブログでも「韓国併合への道 完全版」を紹介した日本に帰化した韓国人・呉善花(オ・ソンファ)さんや、元時事通信ソウル特派員の室谷克美さんなどが代表格だろう。

呉善花さんは、処女作の「スカートの風」以来、どちらかというと自分の反省を込めて、自分が体験した日本と韓国の差を様々な例で紹介している。それが韓国政府の怒りを買い、日本に帰化した後は、韓国からは入国拒否の扱いを受けている。







室谷さんは、もはや「芸風」が韓国嫌悪となっており、このブログでも紹介した「日韓がタブーにする半島の歴史」に続いて「悪韓論」、「呆韓論」などの本を次々に出している。



現在「呆韓論」を読んでいるので、こちらのあらすじもいずれ紹介する。

呆韓論 (産経セレクト S 1)
室谷克実
産経新聞出版
2013-12-05


船長や船員が一般乗客を装っていち早く逃げたなど、信じられない事実がどんどん出てくる「セウォル号」の沈没事故、ソウルの地下鉄衝突事故など、韓国の信頼度が著しく低下している。

韓国のテレビでは、船長の適切な対応で全員が助かった日本のフェリー転覆事故を報道して、「セウォル号」との差を報道している。



到底こんな国には住みたくないと思うのが人情だろうが、日本にとっては、韓国が隣国であることは変えられない。

きれいごとのように聞こえるかもしれないが、室谷さんのように、呆れて、「すべての問題の根源と責任はかの国の病にある」といって、避難ばかりしてつき合うことをやめて無関心になるのではなく、少なくとも実情は知っておくべきだと思う。

その意味で、この本は役に立つ。

参考になった点をいくつか紹介しておく。

★韓国のオーディション番組は、人口の4%が参加したといわれるほど人気だ。「スーパースターK」と、スーザン・ボイルを生んだ英国のオーディション番組「ゴット・タレント」の韓国版の「コリア・ゴット・タレント」の2つが特に有名で、スーザン・ボイルと同じように、見かけはぱっとしないが、歌唱力抜群の歌手を生み出している。

その代表格がホガクだ。

身長163センチのずんぐりした容姿で、幼いころに両親が離婚。一緒に暮らしていた父の健康が悪化したことから、中学生で学校をやめ、修理工をして生活費を稼いでいた。母の消息を探し当てたが、別の過程を持っており、再会することはできなかったという過去を持つ。



もう一人は、 チェ・ソンボンだ。3歳で孤児院に預けられ、暴力を受けて5歳で脱走。10年以上もガムなどを売りながら、路上生活をしていたという。



本家のスーザン・ボイルはこんな形で見出された。



韓国社会は競争が厳しく、敗者復活戦もない。ホガクやチェ・ソンボンが人気を集めた背景として「代理満足」(テリマンジョク)があるといわれている。代理満足とは自分が目標を成し遂げられなかった場合、本人に代わって、自分が感情移入できる出場者が目標を達成することで満足感を得られることだ。

★人生の競争は「教育」から始まる
韓国の教育熱はすごい。家計の5割が塾の費用という家庭もあるという。

英語教育熱が高まり、子どもと母親が、英語教育を学ぶために海外で暮らし、父親は韓国でせっせと稼ぐ「キロギアッパ」とよばれる居残り父親が5万人を超えるとも言われている。日本でいう「逆単身」だ。

★韓国は高校全入制
韓国では1970年代に高校入試が加熱し、中学浪人が増加したことから、今は私立も公立も一緒にして、高校標準化が行われ、生徒は学区単位の抽選の結果、各高校に振り分けられる。

韓国では私立といっても、教育の裁量権はなく、日本の受験校の様に中高一貫教育で、高校2年までで高校の全教程を完了するといったことはできない。

これによって、高校間のレベルの差はなくなったが、学校内の学力格差が問題となった。できる生徒は、低レベルの授業に満足できず、大学入試のために塾や予備校に通う結果となっている。

★しかし、実際にはソウル大学などの難関校へ入学するには特殊目的高校に入らないと難しい
高校標準化の例外として、特殊目的高校というエリート校が存在する。もともとは、科学、語学、芸術、スポーツなどの専門教育を受けるための高校だったが、現在は有名大学進学のためのエリート校となっている。

実際、韓国の最難関校のソウル大学の合格者出身高校のトップ20はほとんど特殊目的高校となっている。

高校標準化ではあるが、できる子は特殊目的高校に入学するために、激しい受験戦争を戦っているのだ。ちなみに、プサン他4校ある科学英才学校の倍率は15倍だが、入学後は寮費は無料、授業料も安い。実際にはほとんどの生徒が奨学金を得ていて、実質負担はゼロだという。

★就職のためにボランティア活動証が金で買える
韓国では就職競争も激しい。英語ができる、ボランティア活動に従事した、部活動のリーダーだった等の「スペック」がないと、大企業には就職できない。

だからボランティア活動に従事したという証明書を出してくれる団体を紹介するブローカーが、多数活動しているという。大体日本円で30〜50万円の登録料で正式の活動証明書がもらえるという。

★「八八万ウォン世代」
韓国の就職事情は厳しい。「スペック」をそろえて、みんな大企業や安定している公務員を目指す。しかし、2010年の185大学の卒業者25万人のうち、就職できたのは52%の13万人だ。半数は就職ができない。やむをえず非正規雇用労働者となる者も多い。

正規労働者と非正規労働者の賃金は大きな差がある。正規労働者では平均1,400円の時給が、非正規労働者では平均800円である。

1997年のIMF主導の改革で、2万社を超える中小企業が倒産し、200万人が失業した。このしわ寄せを受けているのが若者だ。1990年には雇用全体の27%が若者だったが、2000年には23%、2010年位は15.3%まで落ち込んだ。

そんな韓国のワーキングプア世代について書いた「八八万ウォン世代」がベストセラーになっている。




★大企業は弱者を救わない
韓国の2010年の企業数は335万社、このうち従業員300人未満の中小企業が99.9%を占め、300人以上の企業は0.1%に過ぎない。

雇用全体でも79%が中小・零細企業だ。

さらにサムスンなど超大企業は、毎年5〜10%のパフォーマンスの悪い従業員を切り捨てている。大企業に入ってからも、激しい競争に晒されるのだ。いったん切り捨てられると敗者復活の道はほとんどない。

1997年の通貨危機の際に、韓国は財閥の経営改革や金融機関の再編などに踏み切り、輸出主導で2年たたずに景気回復にこぎつけ、「IMFの優等生」と呼ばれた。その結果、GDPにおける貿易依存度は88%と世界でも最も高いレベルだ。

輸出中心型企業を中心とする大企業の労働者の平均月収は2011年で42万円、一方、中小企業の正社員の平均月収は26万円で、格差は拡大している。

★お住まいはどちら?
最後に韓国での「住所」というブランド力について紹介している。ソウルでも江南(ハンナム)地区は高級住宅地として有名で、 ハンナムスタイルというPSY(サイ)のヒットソングにもなっている。



日本も、ある程度は、住所はブランドになる。たとえば、関西なら芦屋、東京なら田園調布とか成城学園などだ。しかし、大きい家が相続税対策で小分けされ、小さな家やアパートになっているので、住所=ブランドがだんだん薄れている。相続税課税強化で、今後もこの傾向は続くだろう。

筆者の故郷の神奈川県藤沢市鵠沼も、昔は大邸宅ばかりだったが、今は普通の込み入った住宅地になってしまった。昔の面影はほとんどない。

★家庭崩壊と自殺大国
最後は、「家庭崩壊と自殺大国」というタイトルで、韓国はOECDで自殺率一位であることを紹介している。

特に高齢者の年金が充実していないので、高齢者の自殺が多いのが特徴である。また、有名人の自殺も多い。

元巨人軍の趙 成Α淵船隋Ε愁鵐潺鵝砲留さんの女優チェ・ジンシルが自殺したことは知っていたし、この本でも紹介されている。しかし、趙 成自身も2013年1月に自殺していることをウィキペディアで知った。

たしかに「自殺大国」なのかもしれないが、複雑な思いだ。


この本を読んで、韓国人を応援したいという気になる人は少ないと思う。「セウォル号」事故を見ても、韓国人に生まれなくてよかったと思う人が大半だろう。

しかし、様々な競争を勝ち抜いたきた韓国人のなかには、当然、世界でもトップクラスの人材もいる。今度紹介する「呆韓論」のように、バカにして呆れているだけでは、足をすくわれる。

この本では兵役のことを一切触れていないが、筆者は兵役こそ、韓国社会に緊張感と規律、そして馬力をもたらしているのではないかと思っている。

もちろん中には脱落者もいるが、幼いころから自らを鍛え抜き、厳しい競争を勝ち抜き、兵役も経験して、緊張感のある人生を生きてきた韓国人トップエリートは侮れない。彼らはハングリーでワールド・クラスの競争力がある。それが筆者の持つ韓国人の印象である。


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2013年10月04日

韓国併合への道 完全版 日本に帰化した呉善花さんの本



1910年の韓国併合に至る歴史的事実と、1945年までの日本統治下の韓国、そして日本統治時代の評価についての拓殖大学教授・呉善花(オ・ソンファ)さんの本。

生い立ちや日本に来た1983年前後の事情は、ベストセラーとなった処女作「スカートの風」に詳しい。今度このあらすじも紹介する。



ちなみに「スカートの風」=チマパラムという言葉の意味は、女の浮気や、ホストクラブ通いなど自由奔放な女性を指す言葉だという。

呉さんは、1956年韓国済州島に生まれる。韓国人だったら誰でも求める、お金と権力にあこがれて、大学から志願して軍人となり、軍人との結婚を目指す(当時、韓国の歴代大統領は軍人だった)。

軍人との初恋はあえなく破れ、27歳の時に日本に留学する。日本の大東文化大学を卒業後、東京外国語大学大学院でマスターを取った。日本の大学で教えながら活発に執筆活動しており、2005年に日本に帰化している。

日本統治時代を客観的に評価する姿勢が韓国で国賊扱いを受けており、2007年の母親の葬儀の時には、空港で入国拒否をくらい、日本領事館の抗議で、葬儀にだけ参列できた。

2013年7月に親戚の結婚式で韓国に行ったところ、仁川空港で入国を拒否され、日本に強制送還されるという事件が起きている。



入国拒否となったのは、全3部作となった「スカートの風」や、この本の影響も大きい。

この本の初版は2000年に発売され、その時は第10章までで終わっている。




次が初版に集録されている1〜10章までのタイトルだ。

第1章 李朝末期の衰亡と恐怖政治

第2章 朝鮮の門戸を押し開けた日本

第3章 清国の軍事制圧と国家腐敗の惨状

第4章 独立・開化を目指した青年官僚たちの活躍

第5章 一大政変の画策へ乗り出した金玉均

第6章 夢と果てた厳冬のクーデター

第7章 国内自主改革の放棄

第8章 新たなる事大主義

第9章 民族独立運動と日韓合邦運動の挫折

第10章 韓国併合を決定づけたもの


上記の通り第1〜10章は歴史書である。

その後、2012年に「完全版」として、11章と12章が追加された。これら2つの追加が本当に重要な日本統治時代の評価に関する部分なので、これらについては、節のタイトルまで紹介しておく。

第11章 日本の統治は悪だったのか

・西洋列強による植民地統治との違い

・韓国教科書に載る「土地収奪」の嘘

・英仏蘭が行った一方的な領土宣言

・巨額投資による産業経済の発展

・原料収奪をもっぱらとした西洋諸国

・武力的な威圧はあったか?

・武断統治から文化統治への転換

・植民地で行われた弾圧と虐殺

・学校数の激増と識字率の急伸

・教育を普及させなかった西洋列強

・差別と格差をなくそうとした同化政策

・戦時体制下の内鮮一体化政策

第12章 反日政策と従軍慰安婦

・反日民族主義という「歴史認識」

・国民に知らされない日本の経済援助

・親日派一掃のための「過去清算」

・韓国人自身の「過去清算」への弾圧

・「従軍慰安婦」問題の再燃

・政権危機と対日強硬姿勢の関係


この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応している。目次は節タイトルまで記載しているので、ここをクリックして、全部の目次をチェックしてほしい。

この本を読んでいて、1〜10章までは歴史の叙述で、正直やや冗長なので、ダレ感があったが、最後の2章の思い切った発言は前の10章までとは全然異なっており、目が覚める思いだ。

2005年に日本国籍を取得して、2012年の「完全版」で、呉さんが思っていたことをやっと書けたということだと思う。それが上記のような韓国政府の入国拒否という事態を招いたのだろう。

第11章の「日本の統治は悪だったのか?」では、日本による朝鮮統治と西洋列強の植民地統治との違いとして次の4点を挙げている。

1.収奪によって内地を潤すという政策をとらなかったこと

2.武力的な威圧をもっての統治政策を全般的にとらなかったこと

3.文化・社会・教育の近代化を強力に推し進めたこと

4.本土人への同化(一体化)を目指したこと

たとえば、現在韓国で使われている地籍公簿(土地台帳、地籍図)は1910年から1918年までの間に朝鮮総督府が作ったものだ。近代国家体制の確立していなかった朝鮮に、本格的な土地調査を導入し、これにより土地の所有者を明確にした。

ところが、韓国の歴史教科書では、「全農地の約40%にあたる膨大な土地が朝鮮総督府に占有され、朝鮮総督府はこの土地を東洋拓殖株式会社など、日本人の土地会社に払い下げるか、我が国に移住してくる日本人たちに安い値段で売り渡した」(2002年の中学校国史の国定教科書を呉さんが引用)と書いている。

日本による土地調査事業について、ソウル大学の李榮薫教授の調査報告を紹介している。

「総督府は未申告地が発生しないように綿密な行政指導をした。(中略)その結果、墳墓、雑種地を中心に0.05%が未申告で残った。あの時、私たちが持っていた植民地朝鮮のイメージが架空の創作物なのを悟った」。

「日帝の殖民統治史料を詳らか(つまびらか)にのぞき見れば、朝鮮の永久併合が植民地統治の目的だったことがわかる。収奪・掠奪ではなく、日本本土と等しい制度と社会基盤を取り揃えた国に作って、永久編入しようとする野心的な支配計画を持っていた。近代的土地・財産制度などは、このための過程だった」。

しかし 李榮薫教授などは少数派だ。韓国の教科書フォーラムで聴衆に殴られる李教授の姿がYouTubeに掲載されている。



李榮薫教授は、「大韓民国の物語」で、韓国の歴史教科書を変えよと主張している。

大韓民国の物語
李 榮薫
文藝春秋
2009-02



この本で呉さんは、日本は西洋列強の収奪を目的とした植民地支配とは異なり、差別と格差をなくそうとした同化政策を取っていることを指摘している。李榮薫教授も、「地理的に接していて、人種的に似ていて、文化的によほど似たり寄ったりで、一つの大きな日本を作ろうとしていたのだ」と語っている。


創氏改名の真実

創氏改名についても、韓国でしばしば主張されているような「朝鮮人の姓名を強制的に日本名に改めさせること」ではない。

昭和15年に施行された創氏改名は次のような条件で行われた。

1.創氏は6か月間限定の届け出制。届け出なかったものは従来の朝鮮の姓が氏としてそのまま設定される。

2.創氏しても従来の姓がなくなるわけではなく、氏の設定後も姓および本貫はそのまま戸籍に残る。

3.日本式の氏名などへの改名は強制ではなく、期限なく、いつでもしてよい制度である。

朝鮮では本貫(ほんがん)と姓がある、たとえば慶州出身の李さんなら慶州李氏が本貫で、李が姓だ。本貫・姓では女性は結婚しても夫の姓にはならないので、本貫・姓に代わる家族名として「氏」を創設できる制度だ。結果として朝鮮在住者の80%が創氏して日本風の名前に変更している。

改名は名を変えることで、こちらは10%以下が改名した。

韓国国民に知らされない日本の経済援助

韓国の初代大統領となった李承晩は、日本の植民地支配に甘んじてきた屈辱の歴史を清算し、民族の誇りを取り戻すために、反日民族主義を打ち出した。

日本は終戦の時に、朝鮮のすべての日本及び日本人保有の私有財産・工場設備・インフラなどを米軍経由韓国に委譲し、北朝鮮にあった資産はすべてロシアが没収した。

ハーグ条約は占領軍が占領地の私有財産を没収することを禁じている。しかし、日本はこの主張を1957年に取り下げ、在朝鮮資産を正式に放棄した。

日本と韓国は戦争をしたわけではないので、本来日本に戦争賠償責任は生じない。

それにもかかわらず日本は1965年の日韓国交正常化を機に、日韓経済協力協定を締結して韓国に多額の援助をした。1950年代には国民一人当たりのGDPがわずか60ドルという世界最貧国の韓国にはまさに干天の慈雨となった。

日韓経済協力協定に基づく日本の援助額は、10年で有償2億ドル、無償3億ドル、民間経済協力3億ドル以上の合計8億ドル以上である。これは当時の日本の外貨準備のほぼ半分にあたる巨額の援助である。

このほか民間人に対する補償として1975年に軍人、軍属または労務者として召集され終戦までに亡くなった者を対象に、その直系遺族9,500人にそれぞれ30万ウォンが支払われている。同時に日本の金融機関への預金などの財産関係の補償として9万4千件に対して総額66億ウォンが支払われている。

韓国は日本からの資金を使って朝鮮戦争で荒廃した港湾、鉄道、鉄橋などのインフラや、農業近代化、中小企業育成、POSCO製鉄所などの重化学工業団地などを建設した。

1970〜1980年には約2,000億円が援助され、1980年からは追加の約3,300億円が地下鉄建設、ダム建設、下水処理などに活用されている。


韓国人自身の過去の清算

1997年1月の韓国の通貨危機以降、「韓国人自身の過去の清算」という言葉が登場し、日本の過去ばかりでなく、自らの過去を問い直そうという動きがでてきた。この表れが1998年10月に日本を訪問した金大中大統領の「もはや過去について論及することはない」という発言だった。

続く盧武鉉大統領も「過去は問わない、未来を見つめよう」と登場したが、金大中も盧武鉉も支持率低下とともに、対日強硬姿勢に転換している。


反日姿勢は大統領支持率アップに必須

盧武鉉はさらに親日反民族行為を糾弾するとして、106名を公表し、財産を没収した。これで親日派を一掃したのだ。

言論も弾圧された。2002年に韓国で出版された「親日派のための弁解」は青少年有害図書とされ、著者のキム・ワンソプは独立運動家の名誉棄損で在宅起訴された。




韓国の日本に対する賠償請求権は、1965年の「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」で消滅している。

しかし、韓国政府は盧武鉉政権の2005年以来、「従軍慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人被爆者は対象外だったので、解決していない」という態度を取っている。

どの政権でも政権支持率が下がる3,4年目には必ず対日強硬姿勢を打ち出しているのが現状だ。

朴槿恵(パククネ)大統領に至っては、就任当初から対日強硬姿勢を打ち出している。これは2011年8月に、韓国憲法裁判所が「韓国政府が賠償請求権の交渉努力をしないことは違憲」とする判断を示したことに始まっている。

つい最近もソウル高等裁判所で、新日鐵住金に対して戦時中の朝鮮人労働者に対して雇用条件と異なった重労働をさせたという理由で賠償を認める判決がでており、新日鐵住金は韓国大法院(最高裁判所)に上告した。

日本人から見ればきりがない韓国の賠償や謝罪要求は、実はすべて両国間で解決済みの問題であることを呉さんは冷静に指摘している。

呉さんは親日的な発言に目をつけられて、今は韓国入国を禁止されている元韓国人だが、その主張は拝聴すべきものと思う。

大変参考になる本だった。筆者が読んでから買った数少ない本の一つだ。


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2013年05月13日

隣の国の真実 知っているようで知らない北朝鮮と韓国の現状

隣りの国の真実 韓国・北朝鮮篇隣りの国の真実 韓国・北朝鮮篇
著者:高安雄一
日経BP社(2012-11-22)
販売元:Amazon.co.jp


日経ビジネスオンラインで「知られざる韓国経済」「茶飲み話ではない北朝鮮」として2011年末から2012年初めまで不定期に掲載されていたシリーズものが本になった。

著者の高安雄一さんは、大東文化大学教授。1990年に当時の経済企画庁に入省し、韓国の日本大使館に3年間駐在した経験がある。

この本では韓国経済の基礎知識と、補足として北朝鮮についての統計データを紹介している。

筆者自身も両国に対する基礎知識は断片的だったので、知識拡充に役立った。

たとえば朴槿恵大統領の伝記を紹介した時に、朴正熙元大統領の20年間で韓国と北朝鮮のGDPは逆転したと書いたが、北朝鮮のGDPがそもそもなぜ韓国より高かったのかは知らなかった。

その疑問がこの本を読んで解けた。北朝鮮は第2次世界大戦後ずっとソ連や中国などの共産圏諸国の援助を受けており、これらの無償援助がGDPの多くの部分を占めていたのだ。

たとえば1945〜1960年のソ連や中国の北朝鮮への援助額は18.5憶ドルだった。ところが、中ソ対立で北朝鮮が中国寄りの立場をとったことから、ソ連からの援助は打ち切られ、中国も文化大革命による内紛や援助余力がなかったことから、1961〜1970年には援助額は3.8憶ドルに激減した。

「ガリオア・エロア資金」として知られる米国からの対日復興援助は、1946〜1951年の6年間で18億ドルだった。

国の規模を考えれば、日本の3億ドル/年に対し、北朝鮮の1.2億ドル/年は、優遇といえるだろう。

これが北朝鮮の一人当たりGDPが1950年代の4,000ドル前後から毎年減少し、2010年には推定1,073ドルにまで減少した原因だ。一方、韓国は1950年代は見るべき産業は農業くらいしかなかったが、朴正熙大統領が主導した「漢江の奇跡」により500ドル台から、2010年には20,756ドルと急増して現在に至っている。

現在北朝鮮の一人当たりGDPは世界第144位で、カメルーン、パキスタン、ラオスなどと一緒の下位グループにいる。


北朝鮮の統計

北朝鮮の統計は公式に発表されたものが少ないが、一人当たりGDPが低い割には識字率は100%と高い。

平均寿命は69.3歳で、韓国の79歳に比べて低いが、世界的には中ぐらいに位置する。ただし、幼児死亡率は2.6%と世界117位にとどまっている。ちなみに日本の幼児死亡率は0.2%で世界最低で、韓国は0.4%と世界20位である。


韓国のFTA締結状況

韓国は次の諸国・地域とFTAを締結している。
EU,米国、ASEAN,EFTA(欧州自由貿易連合)、インド、チリ、シンガポール、ペルーの8カ国・地域

現在FTA交渉中なのは、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、メキシコ、GCC,コロンビア、トルコの7件で、日本とはFTA交渉が中断したままとなっている。

よく言われるように韓国の輸出依存度は高い。GDPに占める輸出の割合は韓国では50%近く、15%の日本とは比べ物にならないくらい高いので、輸出が韓国の成長の源であることは国民共通の認識となっている。


農民票の影響度

総人口に占める農民の割合は、日本の5.5%に対して6.4%だ。しかし国民の直接投票によって選ばれる大統領が強大な権限を持っていることや、選挙制度が小選挙区制に基づく一院制で、農民の多い地区は限られていることから、FTAに反対する農業団体の声がマジョリティになりにくい構造がある。

もっともFTA締結のために農業部門を切り捨てているわけではない。農業部門への補助金は莫大なもので、コメの関税化も当初2004年とされていたものを、FTA再交渉で2014年に遅らせている。

しかし、輸出が韓国成長の源なので、韓国政府はTVコマーシャルなどで、「日本が先を走っていきます。中国が先を走っていきます。(中略)より大きな世界に進むための私たちの選択、米韓FTA。…」というような刺激的な言葉で、国民にアピールし、今では国民の過半数がFTA推進を肯定している。

いくつか印象に残った点を要点だけ紹介しておく。

★韓国の財政は健全
韓国の財政は健全で、1988年に導入された国民年金制度は積み立て段階で、まだ支払いが始まっていないこともあり、国家財政は黒字だ。

GDPに対する国家債務比率は33%、それも半分以上の債務が対応資産があるものなので、これらを除くと純債務はGDPの16%程度にとどまる。

1997年の韓国の通貨危機は、財政の赤字が問題ではなく、国際収支の赤字と外貨準備不足によりもたらされたものだ。

★韓国の税率は日本より低い
韓国の税率は日本より低い。1975年には所得税率8〜70%だったが、現在は6〜35%の4段階に下がった。

法人税も20〜40%だったものが、現在は10%と22%の2段階に簡略化されている。付加価値税は1977年の導入以来10%で変わりない。

政府のクレジットカード普及策により法人所得の捕捉率が上がったことも、経済成長と並んで、税率を低く抑えられている原因に挙げられている。

★韓国の予算に占める福祉関係支出は少ない
韓国の予算に占める福祉関係支出はまだ少ないことも均衡財政が保てる理由の一つだ。韓国の65歳以上の高齢者比率は11%で、OECD諸国の間でも低い。

国民皆年金となったのは1999年と日が浅いので、年金をもらえない高齢者には2008年から国家予算から対象者に年金が支給されるが、これは経過的な措置で、いずれ減少が見込まれる。

★医療保険は高齢者への配慮なし
医療保険では日本の健康保険のように、一般は30%だが、高齢者負担が70歳以上20%、75歳以上10%と減る制度ではなく、おおむね同じである。

年間の医療費自己負担額の最高額が決まっており、これを超えると国民健康保険公団が補てんしてくれる制度がある。

介護保険は2008年からスタートしたばかりで、負担も低水準だ。儒教精神で高齢者は家族が看護するという伝統があるせいもあるが、世界でも類のないスピードで高齢化が進む韓国で、このような低負担が将来も続けられるのかは疑問があるところだ。

★外国人労働者は50万人
外国人労働者は現在50万人いて、労働力不足解消に貢献している。

★高い大学進学率
日本の54%に対して79%と高い大学進学率が、これは専修大学(2〜3年)への進学率も含んでおり、実質の4年制大学の比較では日本より若干高い程度である(同じ専修学校も含む基準だと日本は約70%)。

★地方大学よりもソウルの大学
大学は序列化が激しく、ソウルの大学、トップはSKY(ソウル大学、高麗大学、延世大学)が占めており、高学歴は就職等にも有利な現状を反映している。地方大学よりもソウルの大学、専修大学よりも4年制大学の希望が高い。

個別の大学入試はなく、「大学就学能力試験」に一本化されている。国家公務員上級職試験の合格者からみた大学のランキングは次の通りだ。

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出典:本書

★逆単身赴任(キロギアッパ)
「キロギアッパ」という言葉は、海外留学している子どもに一緒に妻がついていっているんで、夫は韓国に残って、時々子ども・妻を訪問するという、逆単身赴任に近い韓国特有の言葉だ。小学生8、000人、中学生6、000人、高校生4、000人が6か月以上の海外留学中だという。

★大学生の就職難
大学生の数は増えているが、企業の新卒者採用は逆に減少している。これが韓国の大学生の就職難につながっている。

1996年の企業の新卒者に占める転職者の比率は34%だったのが、2002年には82%となっている。このため新卒者に占める非正規雇用者率は4割を超えている。

★兵役義務
男性国民は21か月の兵役義務を負っている。企業は兵役義務を終えたものという条件を課すところが多いので、大学生の間に兵役を果たす人が多く、休学者の90%以上が兵役である。2年から3年間休学する人が多い。

★ウォンはリスク資産
韓国政府の財政状態は健全だが、外債残高に対する外貨準備高が不足していた。そのため1997年1月に中堅財閥の韓宝が破たんしたことがきっかけとなって財閥の連鎖倒産が起こり、金融会社の不良債権が積み上がった。

返済能力に不安を感じた海外の貸し手が、短期貸出のロールオーバーを拒否して、資金の返済を迫ったことから、外貨準備不足でIMFの支援を仰いだ。

通貨危機を契機として、1997年末からは韓国は完全変動相場制となった。ウォンは地政学的リスクがあるので、ハイリスク資産と見なされている。それが、韓国の景気が良くても、ウォンが高くならない理由である。

★韓国の電気料金は格安
韓国の電気料金は国際的にも格安で、日本の4割程度となっている。これは割高な重油発電が1981年の79%から2009年には3%にまで激減し、かわりに割安な石炭火力が45%、原子力が34%と転換が進んだことが理由だ。原子力発電所は20カ所ある。

★韓国の年金制度
韓国の年金制度は1988年に国民年金制度が導入されたが、当初は対象が10名以上の事業所で雇用されている人に限られており、1999年に国民皆年金となった。

このためまだ年金の支給が本格的に始まっていないため、退職世代の格差は大きい。所得格差を示すジニ係数で見ると、日本の退職世代のジニ係数は0.34に対し、韓国は0.4となっている。

韓国の年金は「高齢者に厳しい」年金となっており、最低の10年間年金を払った人への支給額は月8千円程度と低い。

40年間年金を支払った人への所得代替率(現役世代の何割の年金がもらえるかの比率)は日本の50%に対して韓国は40%と低い。

もっとも年金制度のスタートが1988年なので、年金を満額貰える人がでてくるのは2028年以降となる。

出生率は2005年は1.08%で日本よりも低いことを考えると、現在は税金を投入しない純粋保険料方式となっているが、将来的にこれが維持できるかどうかは疑問が残る。


知っているようで知らない韓国と北朝鮮の現状がおさらいできて参考になった。

このあらすじを参考にして、日経ビジネスオンラインの「知られざる韓国経済」「茶飲み話ではない北朝鮮」の高安さんの記事もチェックしてみることをお勧めする。


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2013年03月28日

朴槿恵の挑戦 韓国と「結魂」した新大統領に期待する

朴槿恵〈パク・クネ〉の挑戦 - ムクゲの花が咲くとき朴槿恵〈パク・クネ〉の挑戦 - ムクゲの花が咲くとき
著者:李 相哲
中央公論新社(2012-11-08)
販売元:Amazon.co.jp

先日韓国初の女性大統領として就任した朴槿恵(パク・クネ)の生い立ちや政治信条などを紹介した本。


槿(ムクゲ)は韓国の国花

朴槿恵の槿(ムクゲ)は無窮花(ムグンファ)と呼ばれ、国歌(愛国歌)にも歌われている。韓国人にとってはムクゲは特別の花だ。

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出典: Wikipedia



朴槿恵の父・故・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が3日かかって考えた名前だという。

朴槿恵は60歳。若く見えるが、その経歴はすさまじいものがある。

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出典: Wikipedia

22歳の時(1974年)に、朴正煕大統領夫人の母・陸英修が在日朝鮮人の文世光に銃撃されて死亡

その5年後の1979年に、朴正煕大統領も腹心の部下のKCIA部長の金戴圭に暗殺される。この時、朴正煕大統領はまだ61歳だった。


良くも悪くも朴正煕の娘

朴正煕大統領の手法は「開発的独裁」と呼ばれ、軍事クーデターを起こした1961年には一人当たり80ドルだった国民所得を、暗殺された1979年には1,620ドルにまで急成長させた「漢江の奇跡」の立役者として評価されている。

その一方で、クーデターを起こして政権を強奪した手法や、民主化を抑圧し、ベトナム戦争に韓国軍を派兵するなど、独裁者として権力をほしいままにした。米国のカーター政権の圧力をはねのけて、秘密裏に核開発を進めていたこともわかっている。

個人的には清廉潔白な人だったといわれ、韓国にM−16小銃を供給することになったマクドネル・ダグラス社からの賄賂の百万ドルの小切手を受け取らず、代わりに小銃を出してくれと言って突っ返したという逸話がある。

M−16小銃

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出典:Wikipedia

この本の半分以上は故・朴正煕大統領の人物伝となっている。朴槿恵〈パク・クネ〉が紹介されるときは、朴正煕の長女と紹介されることが多いので、やむを得ないところかもしれない。


朴正煕の経歴

朴正煕の経歴を簡単に紹介しておく。朴正熙は1917年に貧しい農村に5男2女の末っ子として生まれ、師範学校を卒業して聞慶国民学校で教師をした後、1940年に満州に渡って、満州国軍軍官学校に入学した。

2年で主席で卒業して、日本の陸軍士官学校に編入。1944年に卒業した後は、満州国軍に配属され、終戦時には満州国軍中尉だった。一時日本名に改名したことがあり、高木正雄と名乗った。蒋介石のように日本陸軍に在籍したことはないが、酔うと日本の軍歌などを歌っていたという。

終戦後、韓国軍の中心的存在としてランクを高めていき、1961年5月16日の軍事クーデターの時は、第2軍副指揮官だった。(写真の右側のサングラス・ジャンバー姿が朴正煕)

朴正煕クーデター





出典:Wikipedia

クーデター後、朴正煕は国家再建最高会議議長に就任し、1963年に韓国大統領に就任した。1964年には中断していた日韓交渉を再開させた。

反対勢力を押し切るために1964年6月に戒厳令を発布、1965年6月に日韓基本条約を締結し、日本から無償3億ドル、有償2億ドル、融資3億ドルの援助を取り付ける。韓国の輸出額が年間1億ドルしかない時代だった。これが「漢口の奇跡」の原資となった。

竹島をめぐる日本と韓国の間の領有権問題について「両国友好のためにあんな島など沈めてしまえ」と発言したと言われているが、真偽のほどは確認できていないようだ。

1972年に10月に国会を解散、政党・政治活動を禁止して、大学を閉鎖して全土に非常戒厳令を発布する政治改革を断行する国家非常事態宣言を発表した。10月維新と呼ばれる事態である。

1973年8月に、日本を訪問していた金大中がホテルから拉致されるという金大中事件が起こる。

10月維新時代に辛酸をなめた活動家や一般市民に、朴槿恵は謝罪している。2004年に金大中を訪ね謝罪した時は、金大中は「本当にうれしかった。世の中にこんなこともあるんだなと思った。朴正煕が生き返って私に握手をもとめているような気がした」と自伝で書いている。

金大中自伝(II)歴史を信じて――平和統一への道金大中自伝(II)歴史を信じて――平和統一への道
著者:金 大中
岩波書店(2011-02-26)
販売元:Amazon.co.jp

1972年の10月維新の後、1974年に母親の陸英修が在日韓国人の文世光に銃撃されて死亡、1979年には父親の朴正煕が暗殺されたことは前述のとおりだ。


朴槿恵の政治活動

父親が暗殺された後、朴槿恵は政治からは遠ざかっていた。しかし、1997年に韓国経済が破綻し、IMFの管理下に置かれると、朴槿恵は国の危機を救うために政治家となることを決断し、1998年に国会議員となった。

ハンナラ党の主要メンバーとして積極的に活動し、一時ハンナラ党を離れたことはあるが、ほどなく復党した。2004年にはハンナラ党総裁となって、選挙を勝ち抜き、「ハンナラ党のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた。

2006年の遊説中に男にカッターナイフで切りつけられ、右耳から顎に60針縫う傷を負わされた。傷口があと1センチ深かったら、頸動脈に達し、命を落としかねなかったという。

この時の心境を朴槿恵は次のように書いている。「手術台に横になった時、両親を思い出した。手術が行われている間、私の頭には、ずっと、銃創で苦痛に耐えている父と母の顔が浮かんでいた。…」


大統領候補に

2007年に大統領候補を李明博と争ったが1.5ポイント差で敗れ、李明博が大統領として就任する。李明博の「すべては夜明け前から始まる」などの著書を、このブログでも紹介しているので、参照してほしい。

すべては夜明け前から始まる―大韓民国CEO実用主義の大統領李明博の心の軌跡すべては夜明け前から始まる―大韓民国CEO実用主義の大統領李明博の心の軌跡
著者:李 和馥
理論社 (発売) 現文メディア (発行)(2008-02-15)
販売元:Amazon.co.jp

その後、李明博大統領と朴槿恵は、2009年に世宗市問題で対立することになる。世宗市はソウルの集中化を緩和するために、ソウルに代わる首都として韓国中部に新たに建設する都市で、首都移転計画を見直す李明博に、当初計画通りに建設すべしとして朴槿恵が迫ったのだ。


尊敬する政治家は父とサッチャー

「尊敬する政治家」を聞かれて、朴槿恵は、「父とサッチャー」と答えた。サッチャー自身も「人間として必要なことはすべて父から学んだ」と父アルフレッドを尊敬していたという。

朴槿恵は、両親が亡くなった後、大事なことを決めるときに、「父だったら、母だったらどうしただろう」と考える習慣ができたという。


朴槿恵への質問状インタビュー

この本の最後に、朴槿恵への質問状に対する彼女の回答が紹介されている。時間の関係で、インタビューができなかったために、質問状形式での受け答えとなったものだ。

現在の韓国の問題点と解決の方向性が示されているので、興味深い。参考になるものを紹介しておく。

★私は結婚はしておりませんが、「結魂」はしました。何度も公の場で言ったことがありますが、私はずっと前に、大韓民国と結婚(結魂)したのです。ですから、私は大韓民国にすべてをささげてきましたし、これからもそうするつもりです。私は一人でも、独身でもありません。亡くなった父も、きっとこの結婚は喜んでくれているでしょう。

★今、我が国の抱えているさまざまな問題のうち、至急解決しなければならない切実な課題の一つは、さまざまな勢力、社会各層、地域の間に生じている「対立」、「不信」、「不公正」を解決することです。それらの問題を解決して「大統合」を実現するのが何より大事です。

★そのために「国民幸福推進委員会」を作り、誰も疎外されたり、立ち遅れたりすることのないように、どの地域に住んでいようが、どの分野の仕事に従事していようが、みんなが自分の未来を夢見ることのできるような社会を目指します。

★今まで、我が国では、国家の経済成長が必ずしも一人ひとりの幸せに繋がっていませんでした。(中略)私は「国民みなが自分の能力を発揮できる国」にしようと思います。

★それを実現するために、我が国の強みでもある情報通信技術、科学技術を産業全般に応用して創業者を増やし、若い人たちに働きの場を提供するための政策を推進します。今後、製造業中心の伝統的な産業を高付加価値産業へと変貌させ、文化産業、ソフトウェア産業のような未来型産業を積極的に育成し、働き口を増やします。

★中小企業と大企業が共に成長し、正規雇用と非正規雇用との間に差別のない制度を整備する努力が必要です。そのために「経済民主化」を主張しています。(中略)「韓国型福祉制度」を作りたいのです。

★私は、不正腐敗の問題を非常に深刻に受け止めています。政治が存在するもっとも大きな理由、政治の使命は、国民の生活をよりよくすることにあります。つまり「民生」を第一に考えなければならないのです。ところが、我が国の政治は、国民の生活とは関係のない不正腐敗をはたらいて、逆に国民から批判される場合が多い。

★これについては本当に痛恨の思いを持っています。恥ずかしいことです。私はこれから、この国の誰であろうが、不正腐敗に関与した場合は、絶対容認しないでしょう。真の改革は私から、私の周辺から始めなければならないと思います。権力に関連のある不正腐敗問題については、「特別監察官制度」を作り、事前予防に努めます。

★北韓は、核兵器が典型的ですが、武力で相手を脅迫し、屈服させようとする計略が通用しないことを認識し、そうした考えを捨てなければなりません。そこで初めて、相互尊重、相互信頼の雰囲気が作られるでしょう。そのような雰囲気を作り出すため、私は韓半島信頼プロセスを推進しようと思っています。

★私と我が国民は2400万人の北韓同胞を決して忘れることはありませんし、実際、忘れてもいません。我々は同胞愛と人道的な立場に立っていつでも助ける準備ができています。

特に最後の質問の回答が大変参考になった。

この人は「自責」(他人の責任をあげつらう「他責」に対して、自分の責任をまず考える態度の人)の人だと思う。

やっかいな金正恩という隣人の取り扱いは大変だと思うが、日韓関係改善を含め、朴槿恵大統領の今後の活躍を大いに期待したい。


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2011年05月25日

日韓がタブーにする半島の歴史 新羅(しらぎ)の基礎は倭人がつくった?

日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)
著者:室谷 克実
新潮社(2010-04)
販売元:Amazon.co.jp
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エキセントリックなタイトルなので読んでみた。元時事通信ソウル特派員の室谷克美さんの本だ。

室谷さんは、「韓国人の経済学」や「朝鮮半島」などの著作がある。

最初に韓国の金泳三大統領が1994年に来日した時の、天皇のお言葉を紹介している。

「貴国は我が国に最も近い隣国であり、人々の交流は、史書に明らかにされる以前のはるかな昔から行われておりました。そして、貴国の人々から様々な文物が我が国に伝えられ、私共の祖先は貴国の人々から多くのことを学びました」

室谷さんは、天皇のお言葉に代表される、半島経由で中国文化を学んだという「常識」にあえて異議を唱えるという。

「半島に初めて統一国家を築いた新羅の国づくりを指導したのは、倭人であり、新羅も百済も倭国のことを文化大国として尊敬していた」という。

その出典は韓国最古の正規歴史の「三国史記」(1145年完成。全50巻)に次のような記述があるからだという。

「列島から流れてきた脱解(タレ)という名の賢人が長い間、新羅の国を実質的に取り仕切り、彼が四代目の王位につくと、倭人を大輔(テーポ、総理大臣)に任命。その後脱解の子孫からは7人が新羅の王位につき、一方で倭国と戦いながら、新羅の基礎をつくった」

7世紀の中国の「隋書」にも新羅、百済が倭国を大国とみていたという記述があるという。

この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。章題だけ紹介しておく。

序章  陛下の「お言葉」ではありますが

第1章 新羅の基礎は倭種が造った

第2章 倭国と新羅は地続きだった

第3章 国民に知らせたくない歴史がある

第4章 卑怯者を祀る(まつる)OINK(Only in Korea)

第5章 「類似神話」論が秘める大虚構

第6章 「倭王の出自は半島」と思っている方々へ

終章  皇国史観排除で歪められたもの

もともとは2倍くらいの分量があったものを、新潮社のアドバイスでコンパクトにしたものがこの本だという。

室谷さんは時事通信のソウル特派員から帰国した直後に初めての本、「『韓国人』の経済学」という本を書き、当時急成長を続けていた韓国経済の弱点を指摘したという。

1.韓国人は儒教に染まりきっているので「額に汗して働くこと」を蔑視しているから、まともな工業製品はできない。

2.その国の経済は統計数値をごまかしているので表面はピカピカだが、実は「外華内貧」だ。

新版 「韓国人」の経済学―これが「外華内貧」経済の内幕だ
著者:室谷 克実
販売元:ダイヤモンド社
(1989-01)
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「倭王(あるいは天皇)は半島から来た」と漠然と思っている人は特にインテリに多い。その根拠は江上波夫の「騎馬民族国家論」だろうと室谷さんは語る。

騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ (中公新書)騎馬民族国家―日本古代史へのアプローチ (中公新書)
著者:江上 波夫
販売元:中央公論社
(1991-11)
販売元:Amazon.co.jp
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2009年12月に韓国を訪問した当時の小沢一郎民主党幹事長は国民大学での講演で、江上説を敷衍して「天皇家の出自は朝鮮半島南部、いまの韓国」として、観衆を沸かせた。この時の映像がYouTubeにアップされている。



中国の正史も韓国の正史も倭王の出自について何も書いていない。それは書いていないのではなく、当然のことながら純粋倭人だからだと室谷さんは語る。

そもそも倭人は九州北部を中心とする列島だけではなく、半島南部にもいた。だから半島南部で発掘された遺骨と、九州北部の弥生人の骨格などがきわめて似ているという。


筆者の意見
これはあらすじブログなので、筆者の意見はあまり出さないようにしているが、この本については違和感を覚えるので、次に筆者の意見を書く。

上記で紹介した小沢一郎の発言をキャプチャー付きでYouTubeにアップした人も室谷さんも、日本人の大半(そして天皇家も)が半島が出自だというのは受け入れがたい説なのかもしれない。

そういう人にはこのブログでも紹介したIBMのジェノグラフィック・プロジェクトを紹介しておく。



YouTubeの映像は英語版のみだが、IBMのサイトの映像は小さい画面だが日本語キャプチャー付なので日本語字幕付きはIBMのサイトの映像を見てほしい。

要は筆者の言いたいのは、ジェノグラフィックプロジェクトで6万年まえにさかのぼれば「世界人類みな兄弟」が、標語ではなく事実だということがわかってきているのに、たかだか2千年前の日本人、そして天皇家の祖先が朝鮮半島から来たとか、いや元々日本列島だとか議論することが意味があるのかという点だ。

みんな元々6万年以上前にアフリカから各地に移り住み、その地に定着して環境に適応した。日本人も韓国人も、黒人も白人も出自はアフリカで同じである。

特に東日本大震災以来、世界各国が日本をいろいろな形で支援してくれているのに、祖先が半島から来た・来ないという2千年以上前のことに、いつまでこだわるつもりなのだろう。

その意味で、この本には強い違和感を持った。
  
筆者は駐在した国や都市(米国とアルゼンチン)には、良い点も悪い点もあるが、強い愛着を感じている。しかし中には駐在した国を徹底的に嫌いになる人もいる。この本の著者の室谷さんも嫌韓派のようだ。

しかしある国のことや歴史を紹介するなら、プラスの事実もマイナスの事実も両方紹介したうえで、極力客観的に評価を下すべきではないのかと思う。

室谷さんの本は、見方がワンサイドな点が残念である。

せっかくいろいろ資料を読み込んでいるので、室谷さんの説に反するたとえば江上教授の騎馬民族起源説などの資料も比較して紹介すればより良かったのではないかと思う。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。



  
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2010年12月01日

朝鮮戦争を知らずして今を語るべからず ザ・コールデスト・ウィンター

平成22年12月1日追記:

新聞・テレビなどのマスコミで、朝鮮戦争のことが連日取り上げられている。

しかしどれも断片的だ。

北朝鮮が当初からいかに冒険主義国家だったのか。

金日成はソ連で赤軍将校となったコネもありスターリンの傀儡だったが、一旦破竹の奇襲が跳ね返されたら、毛沢東の陰に隠れて陰の人になりさがったのか。

朝鮮戦争は実は米中戦争だったこと。

ソ連と中国は当時一体で、唯一の核配備国米軍に対峙していたこと。(1949年にソ連は最初の核実験に成功している。中国が核実験に成功したのは1964年のことだ)

などなどが全然伝わってこない。

現状を理解するために。朝鮮戦争を描いたハルバースタムの遺作「コールデスト・ウィンター」を再掲する。



平成22年11月25日初掲:

+++今回のあらすじは長いです+++

北朝鮮が韓国のヨンピョン島を突如砲撃した。まさに朝鮮戦争の勃発の時のように、何の前触れもなく一方的に砲撃をしてきた。

朝鮮戦争がいまだに終戦しておらず、休戦状態にあることを思いしらされる。朝鮮戦争を取り上げたハルバースタムの遺作を紹介する。

ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上
著者:ディヴィッド・ハルバースタム
販売元:文藝春秋
発売日:2009-10-14
おすすめ度:4.0
クチコミを見る

アメリカのジャーナリスト ディヴィド・ハルバースタムの遺作。2007年にこの本を書き上げて、ゲラに手を入れた翌週、ハルバースタムは交通事故で亡くなった。

ハルバースタムの作品は今まで余り読んでいなかったが、会社の友人に勧められて「ザ・コールデスト・ウィンター」、ベトナム戦争を取り上げた「ベスト・アンド・ブライテスト」などを読んだ。

「ザ・コールデスト・ウィンター」は、2009年10月に日本語訳が出版されている。

朝鮮戦争を取り上げた作品に「忘れられた戦争"The Forgotten War"」という本があるが、第2次世界大戦とベトナム戦争に挟まれた朝鮮戦争は、まさに忘れられた戦争という言葉が的を射ているとハルバースタムも評している。

The Forgotten War: America in Korea, 1950-1953The Forgotten War: America in Korea, 1950-1953
著者:Clay Blair
Naval Inst Pr(2003-03-31)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


筆者の世代は戦後史は試験に出ない(たぶん歴史の評価が定まっていないので、試験に出せない?)ということで、高校の世界史の授業では教科書自習だったので、戦後史については本で学ぶことが多い。

北朝鮮が韓国のヨンピョン島を砲撃したことから朝鮮半島の情勢が緊迫化しており、北朝鮮の指導者も金正日から金正恩(キムジョンウン)に交代することが決定した現状、アメリカ、北朝鮮、韓国、そしてソ連の代理の中国がまともに戦った朝鮮戦争のことを知っておくのも意義があると思う。

朝鮮戦争は1950年6月25日、北朝鮮の精鋭7個師団(約10万人)が3週間で朝鮮半島全土を制圧するもくろみで、韓国に侵入して始まった。

北朝鮮の指導者金日成は、1949年10月の国共内戦での中国共産党の勝利の後は、自分が朝鮮を統一するのだと言って、ソ連のスターリンの支援を受け、中国の国共内戦を人民解放軍と一緒に戦った北朝鮮軍がソ連の武器を使って十分に準備をしての行動だった。

北朝鮮軍は3週間で朝鮮半島を制圧する予定だった

当時の国務長官のディーン・アチソンのミスで、アメリカの当時の防共ラインは日本海に引かれており、韓国には小規模な軍事顧問団しか置いておらず、侵略に対する備えを欠いていた。だから歴戦の勇者の北朝鮮軍は首都ソウルを含む韓国を蹂躙し、8月には韓国軍と米軍顧問団は南の釜山周辺に押し込められ、日本海に追い落とされるのも時間の問題となっていた。

当時はソ連と中国は緊密で、スターリンと毛沢東は朝鮮支援について話しあい、アメリカは参戦しないだろうが、日本が出てきたら中国が参戦するとシナリオを想定した上での金日成の軍事的冒険だった。

このとき北朝鮮軍の先頭で活躍したのが150両のソ連軍のT34/85戦車だ。

800px-Char_T-34






出典:Wikipedia(以下別注ない限りWikipedia)

米軍の持っていた60MMバズーカ砲はT-34に対抗できなかったので、急遽90MMバズーカ砲が大量投入された。ちょうど両方のバズーカが写っている写真がWikipediaに載っていた。90MMに比べると60MMはまるでおもちゃのようだ。

Bazookas_Korea







朝鮮戦争は「歴史から見捨てられた戦争」、「20世紀最悪の胸くそ悪い小戦争」などと呼ばれるが、険しい地形と朝鮮の冬の凍てつく寒さは米軍将兵を悩ませたという。

当時のトルーマン大統領は、北朝鮮が侵略してきた4日後に記者会見で、「戦争ではない。もっとも事実上そういうことにはなるが」と歯切れの悪い表現をし、「国連のもとでの警察行動」と呼んでも良いと答えた。

第二次世界大戦で勝利した米軍は、戦後5年間で定員も装備も足りない軍隊に成り下がり、おまけに朝鮮の険しい地形は工業力の象徴である戦車に頼る軍隊には最悪だったという。

当時の韓国の大統領はハーバードで学位を、プリンストンで博士号を取得して、アメリカに35年間生活してロビーストとして活動していた李承晩だった。

現在でも朝鮮戦争は休戦が成立したままで、依然として戦争は正式には終結していない。停戦までの米軍の死者は3万3千人、10万人以上が負傷した。韓国側の損害は死者41万人、負傷者43万人、北朝鮮・中国の死者は推定で150万人と言われている。

マッカーサーの甘い見込み

マッカーサーは朝鮮戦争勃発当時は日本を民主的な社会につくりかえるのに熱心で、朝鮮には関心を持っていなかった。ちょうど日本を訪問していたアリソンとダレスに、自分の功績を自信満々に説明した。朝鮮戦争も威力偵察に過ぎないだろうと軽くあしらっていた「朝鮮でパニックを起こすいわれはない」。

しかし部下より先にアリソンから大規模な戦闘になっていることを知らされると、翌日はひどく落胆し、今度は「朝鮮全土が失われた」と言っていたという。

マッカーサーはすでに70歳で、パーキンソン病に罹って、集中力の持続時間が限られ、手が震えていたという。

不意を衝かれた米軍(後に国連軍となる)・韓国軍は、圧倒的な武力の北朝鮮軍にすぐに釜山周辺まで押し込まれたが、現地司令官ジョニー・ウォーカーの獅子奮迅の指揮で、なんとか2ヶ月持ちこたえた。

米軍は大砲、迫撃砲がなかったので、バズーカ砲とクワッド50という装甲車に載せた4連マシンガンが有効な武器だったという。

この間マッカーサーは7月に台湾の蒋介石を訪問した。蒋介石を朝鮮戦争に招き入れるかどうか検討していたからだが、トルーマンはマッカーサーの独走をカンカンになって怒ったという。マッカーサーは台湾を「不沈空母」と呼んでいた。


9月の仁川上陸作戦が大成功

マッカーサーがほぼ独断で決めた9月15日の仁川上陸作戦で背後を衝かれて北朝鮮軍は敗走した。毛沢東は仁川上陸を予想していて、軍事参謀を金日成の元に送り注意を喚起したが、金は聞き流したという。

9月15日は仁川がなんと9.6メートルという最大潮位になる日で、これなら上陸用舟艇を長い危険な砂浜でなく岸壁に直接乗り付けられる。この日を逃すと1ヶ月後まで待たなければならないというぎりぎりのタイミングだった。「マッカーサーの生涯に軍事的に天才だったといっていい日が1日あった」と言われるゆえんだ。

国連軍・韓国軍はソウルを回復、10月には38度線を北上して平壌を陥落させた。「いまやマッカーサーを止めることはできない」とメディアは書き、アチソン国務長官はマッカーサーを「仁川の魔法使い」と呼んだ。

10月16日のウェーキ島でのトルーマンとの会見では、中国は駐中国インド大使経由、参戦すると警告を発していたが、マッカーサーは中国軍は決して参戦しないと請け合っていた。もし参戦してもひどい目にあわせてやると。マッカーサーはトルーマンに対して敬礼しなかったが、トルーマンは問題にしない様子だったという。

ワシントン上層部は平壌附近から攻め上がらず、中国軍の参入を招かない腹だったが、マッカーサーはワシントンの制限を無視して、10月末にはついに中国国境の鴨緑江まで攻め上がった。マッカーサーが従うのは、自らの命令だけであると信じられていたのだ。


クリスマスまでには戦争は終わる

得意の絶頂にあるマッカーサーはクリスマスまでに戦争は終わると公言し、朝鮮向けの武器弾薬をハワイに送り返す準備をしていた。

マッカーサーは自分は東洋人の心理を読むエクスパートだと自認していたが、マッカーサーには日本軍の意図と能力を読み違え、第二次世界大戦緒戦でフィリピンから逃げ出した前科があった。

金日成は南朝鮮から敗退するとすぐにソ連軍の支援を求めた。スターリンは初めから戦闘部隊は出さないと決めていたが、中国なら出すかもしれないと答えた。毛沢東は悩んだ末に金日成の援助要請に応じた。

前年12月に中国を統一してモスクワを初めて訪れた毛沢東はモスクワで冷遇された。会食も拒否され、やっとのことでスターリンに会ったが、軍事援助はわずかで、領土問題について譲歩を迫られた。「虎の口から肉を取るようなものだった」という。

これは筆者の推測だが、ソ連への憎悪から毛沢東は北朝鮮を自分の配下に引き入れるチャンスだと思ったのだろう。毛沢東はまずは12個師団(20万人)の大軍を義勇軍として朝鮮半島に派遣した。補給を船に頼らなければならない国連軍に対して、中国なら地の利があるというのが判断理由の一つだった。

スターリンは当初ソ連空軍の支援を約束していたが、結局空軍支援は鴨緑江以北にとどめ、主戦場の鴨緑江以南は支援区域から外した。毛沢東が朝鮮への友愛からではなく、自国の利害から介入したこと、そして中国がいずれ台湾を攻撃する場合には、ソ連の空軍と海軍に依存する他ないことをスターリンは知っていた。

毛沢東は激怒したが、ソ連の上空支援がなくとも参戦を決定した。軍の統制も子ども並みの金日成を「冒険主義者」と中国は軽蔑しきっており、金日成は戦争の責任者ではなくなった。


10月末には中国義勇軍が参戦

そして鴨緑江対岸に集結していた中国軍の大軍は、国連軍と韓国軍の補給線が伸びきるまで待って10月末に一挙に鴨緑江を超えて攻め込んだ。

当初、マッカーサー司令部G-2情報局のウィロビーは、鴨緑江に中国軍が集結しているという情報を取り合わなかった。マッカーサー信奉者のウィロビーは、マッカーサーの言葉を信じて中国軍が参戦するとは予想していなかったのだ。

この本では中国軍との戦闘に参加したアメリカ兵の実話を多く載せており、広がりと臨場感がある読み物になっている。ソ連製武器と、以前蒋介石に送ったアメリカの武器で中国軍に攻撃され、味方がどんどん倒れていく最前線の戦いが生々しく200ページ余りにわたって詳細に描かれている。

この実話の部分がハルバースタムが、休戦から55年も経ってから朝鮮戦争のことを書いた理由だ。様々な人から貴重な体験談を聞いたので、「書かねば死ねない」のだと。

しかしマッカーサー司令部のウィロビーはアメリカ軍の苦戦を信じなかった。そればかりか11月6日に朝鮮戦争は平壌北で敵の奇襲攻撃を撃退し、事実上終結したと声明を発表した。

マッカーサーは生涯を通じてアジアと関わったにもかかわらず、アジア人を知らず、軍司令官として「汝の敵を知れ」という基本中の基本も学んでいなかった。日本との戦いは工業国同志の戦いで、日本の産業基盤が限界となったのに対して、中国は最も工業化が遅れた国で、自分の弱点を理解してそれに応じた戦術を編み出していた。

日本では絶対的な権力を握っていたマッカーサーのとりまきNo. 1のウィロビーも酷評されている。ウィロビーはスペインのフランコ総統のファンで、従軍中にフランコの伝記を書いており、マッカーサーからは「愛すべきファシスト」と呼ばれていたという。

最前線の第8騎兵連隊の報道官は「カスター将軍を見舞った悲劇と同じだ」と語っていたという。

「勝利のワインが酢になり、マッカーサーは『空からの援護もなく、戦車もなく、大砲もほとんどなく、近代的通信設備も兵站基地もない中国人洗濯屋』にまんまと出し抜かれた」のだ。


12月初めには「鉄のおっぱい」リッジウェイ将軍が着任

12月初めにはマッカーサーの軍隊は全面退却していた。12月末にはマット・リッジウェイが第8軍の司令官としてワシントンの統合参謀本部から着任した。リッジウェイは頑固で、ユーモアがなく、攻撃的だったが、冷徹な現実主義者だった。

リッジウェイはノルマンディー上陸作戦時の空挺部隊指揮官であり、一時ウェストポイントの教官だったことから、軍に教え子が多くいた。マッカーサー同様神話の重要性を知っており、彼のあだ名は「鉄のおっぱい」(old iron tits)というものだった。いつも胸に二つの手榴弾をぶら下げていたからだ。マット・リッジウェイはつねに戦う姿勢にあるということだ。

着任前の12月26日に東京のマッカーサーに挨拶に行ったリッジウェーは、マッカーサーから「第8軍は君に任せる。いちばんよいと思うやり方でやってくれ」と言われた。この言葉でいままで東京がすべて動かしていたが、これからはリッジウェイが指揮をとることがはっきりした。

マッカーサーは面談の1時間半をすべて持論に費やしたという。マッカーサーは共産中国と全面戦争をやりたがっていた。「中国は南部が開けっ放しの状態だ」。

朝鮮では一泊もしたことのないというマッカーサーに対して、徹底した現場主義者のリッジウェイは小型機で戦場を飛び回り、地図に敵軍の旗があるのは48時間以内に接触した場合のみに限った。偵察、敵を知るのが最重要なことを現場に徹底された。


マッカーサーの米国政府批判

マッカーサーは政府批判を始めた。マッカーサーが中国軍を緊急追跡し、満州内の基地を爆撃しようとしたにもかかわらず、ワシントンが許さなかった。「歴史に前例のない莫大な軍事的ハンディキャップ」を負わされたと主張したのだ。

トルーマンは激怒した。事実上終わったと思っていた戦争が拡大したばかりか、その司令官が政府にとって巨大な敵となって敗北の責任を政府におおいかぶせてきたのだ。トルーマンは「核兵器の使用も含めてすべての兵器の使用は司令官が責任を持つ」と失言してしまい批判をあびる。

毛沢東もマッカーサーのように成功に酔っていた。現場指揮官の彭徳懐は冬が来るのに補給も途絶えがちで、ズック靴の中国兵では朝鮮の厳しい冬は戦えないので、春まで攻勢を待つことを訴える。しかしソ連と金日成の圧力もあり、毛沢東は共産主義の勝利を世界に知らしめるために追撃を命令する。

リッジウェイはソウル放棄を決断したので、中国軍は1月にはソウルを再占領した。ソウルから退却して体勢を立て直した国連軍は、韓国のちょうど真ん中付近の原州附近の双子トンネルや砥平里(チピョンニ)などで空軍の支援も受けて中国軍を迎撃した。

国連軍が多大な犠牲を出し、後に「殺戮の谷」(Massacre Valley)と呼ばれることになるこの激戦の模様が、この本では克明に記されている。

当時の米軍は人種差別をしており、黒人は黒人だけの部隊編成をしていた。トルーマンやリッジウェーは人種差別を撤廃しようとしていたが、第10軍司令官でマッカーサー側近のネド・アーモンドは、黒人を蔑視しており、「灰やゴミ」と一緒だと言って、白人部隊に3人ずつ黒人兵を配置した部下の指揮官を罰した。

アーモンドは中国人を「洗濯屋」と呼んで蔑視しており、中国軍について研究することを一切しなかったので、部隊間の情報交換はなかった。それがためアーモンドが立案した「ラウンドアップ作戦」で、多大な犠牲を被ることになった。国連軍を包囲していた中国軍は道の先頭のトラックを攻撃し、立ち往生した国連軍トラック120台と多くの大砲を手に入れた。

2月には中国軍はさらに進撃し、原州に近づくが、それを察知した偵察機からの情報で、迎え撃つ国連軍の130MM砲数門、155MM砲30門、105MM砲100門という大量の大砲の餌食となり、空からはナパーム弾の直撃を受けた。

リッジウェーは長距離砲を中心とした戦略で、圧倒的多数の中国軍との「人口問題」を解決しようとしていたのだ。中国軍の重火器は空軍力でたたき、「肉挽き機」のように戦うのだと。

朝鮮の中部回廊地区だけで中国軍の死傷者は20万人にも達した。これが戦闘の転機となり、中国軍の進撃はストップした。

F86セイバー戦闘機が共産軍のミグ15との空中戦で優位に立ったのはこのときだ。



マッカーサー解任

リッジウェイの成功で、マッカーサーのプライドが傷ついた。リッジウェイの作戦を、ひいては攻める「アコーデオン戦争」と呼び、依然として中国との全面戦争を主張し、トルーマン政権攻撃をエスカレートさせた。

戦線を北緯38度線まで押し戻せれば、共産主義を食い止めたということで、国連軍の勝利だと主張するリッジウェイに対し、マッカーサーは自分なら同じ戦力で、中国軍を鴨緑江の向こう側に押し返せると明言し、東京駐在の各国の外交官に伝えていることが、外交通信傍受でわかった。

これは明らかな軍の文民統制に対する違反であるとトルーマンは判断し、4月11日にマッカーサーを解任した。マッカーサー自身への通告の前にラジオが放送するという不手際だった。

タイム誌は「これほど不人気な人物がこれほど人気のある人物を解任したのははじめてだ」と書いた。リチャード・ニクソンはマッカーサーの即時復職を要求した。日本では25万人がマッカーサーを見送るために街頭に列を成し、ニューヨークでは700万人がパレードに繰り出したという。

「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」マッカーサーの上院での退任演説での有名な言葉だ。しかし上院聴聞会は3日間続き、マッカーサーは中国軍は参戦しないと確信していたことを認め、ヨーロッパのことは発言を回避するなど、日に日に小さくなっていった。油断から判断を間違えた司令官というイメージが定着していった。


戦線の膠着と和平交渉

朝鮮での戦争は1951年春中国が30万人の兵力を投入し、大攻勢を掛けたが、成果を上げられなかった。1951年7月和平交渉が開城、次に板門店で始まったが、交渉は遅々として進まなかった。

1952年の大統領選挙でアイゼンハワーが勝利し、翌1953年3月にスターリンが死ぬと、戦闘は続いていたが、アメリカと中国は解決策を探り1953年7月27日に休戦合意が成立した。

その後金日成は、朝鮮戦争をまるで一人で戦ったような話をでっち上げ、平壌の朝鮮戦争記念館を訪れた中国人は、その展示を見て激怒するという。金日成は核兵器を開発することと、息子を後継者にすることを目標とし、国内の工業生産も国民の飢え死にも気にしなかった。金日成は死に、金正日が後を継ぎ、そして金正恩がその路線を継ぐことになる。


登場人物の描写

金日成の経歴が紹介されている。金日成は朝鮮生まれだが、両親と共に満州に移住し、抗日運動に属した後、ソ連で赤軍将校となりスターリンのあやつり人形として1945年10月に平壌で朝鮮デビューした。スターリン死後もスターリン主義者であり続け、統治を確実なものにするための個人崇拝の必要を悟ったことなどが紹介されている。

マッカーサーの記述も面白い。

アイゼンハワーはマッカーサーの副官としてワシントンとマニラで一緒に勤務していたので、マッカーサーの手の内を知り尽くしていた。アイクは「わたしはワシントンで5年、フィリピンで4年、彼の下で演技を学びました」と答えていたという。

マッカーサーより「上級」なのは神しかおらず、生涯「自分より劣る人間がつくったルールは自分には適用されないという前提で」行動したという。「マッカーサーは語る。だが聞かない」。

タイム誌のオーナー、ヘンリー・ルースはチャイナロビーと結びついており、蒋介石をタイム誌の表紙にたびたび載せる一方、マッカーサーを賛美しており、マッカーサーも蒋介石に次ぐ7回タイムの表紙に登場したという。

マッカーサーは1918年に最年少で将軍になっており、それから30年間も将軍として君臨して、とりまきにお追従を言われ続けた。マッカーサーは毎日人に会う前に演技の練習をしていたという。

念入りにリハーサルを行っていながら、あたかも即興のようにみせ、天性の独白役者で、演技には寸分の狂いもなかったとハルバースタムは評している。この本ではマッカーサーの父親や、マッカーサーをマザコンにした母ピンキー・マッカーサーのことも説明していて面白い。

マッカーサーが母親に相談なく最初の結婚をしたときに、母は結婚式に出席せず、寝込んでしまい、結局、最初の結婚は長続きしなかったという。マッカーサーの二番目の妻のジーンは母親が選んだ相手で、自宅ではマッカーサーのことを1"Sir, Boss"と呼んでいたという。

マッカーサーはフランクリン・ルーズベルトを嫌っており、ルーズベルトが病気で死去したときには、「ルーズベルトは死んだか。うそが自分に役立つときは真実は決して話さない男だった」とコメントしたという。もっとも、ルーズベルトも「マッカーサーは使うべきで、信頼すべきでない」とコメントしていたという。

マッカーサーは1944年、1948年の大統領選挙に共和党の大統領候補として出馬しているが、いずれも惨敗している。

トルーマンとの関係も悪かった。トルーマンはマッカーサーのことを「あのプリマドンナの高級将校」と呼び、マッカーサーはトルーマンほど大統領としての適性を欠く者はいないと考えていた。大学も出ておらず「あのホワイトハウスのユダヤ人」と言っていたという。

1949年秋にアメリカの原爆独占は終わり、ソ連が原爆を開発した。

それまで親米だった蒋介石の中華民国が毛沢東の中国共産党に敗退し、1949年1月には蒋介石が台湾に移り、4月に南京が陥落し、国共内戦にけりがついた。

中国に於ける米国軍事顧問団の代表だったジョセフ・スティルウェル将軍は、1942年の段階で、蒋介石は全く役に立たず、能力はあっても抗日戦に軍を使う気がないとレポートしていたが、ルーズベルトは蒋介石に圧力を掛けすぎて日本との単独講和に走らせないようにとの配慮から放っておいた。

その結果「アメリカ人に訓練され、アメリカ製装備で武装したほぼすべての師団が、一発も発砲しないで共産軍に降伏して」中国は共産化し、米国では「誰が中国を失ったのか?」と政治問題化した。

この辺の事情はバーバラ・タックマンの「失敗したアメリカの中国政策」に詳しい。こちらも今度あらすじを紹介する。

失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍失敗したアメリカの中国政策―ビルマ戦線のスティルウェル将軍
著者:バーバラ・W. タックマン
朝日新聞社(1996-02)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る


恥ずかしながら、朝鮮戦争については断片的にしか知らなかったので、この本は大変参考になった。

北朝鮮は朝鮮戦争をしかけた金日成の時から「冒険主義者」である。今度のヨンピョン島砲撃も冒険主義者的な動きだと思う。アメリカ・韓国軍と正面切って戦争をやるだけの軍事力も根性もないと思うが、全く危険な隣人である。

緊迫する朝鮮情勢を考える上で、朝鮮戦争のことを知ることは有意義だと思う。一度手にとってみることをおすすめする。


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2008年04月20日

すべては夜明け前から始まる CEO型大統領 李明博氏の伝記

2008年4月19日追記:

本日韓国大統領李明博氏が来日された。これからメディアでいろいろ李さんの生い立ちや、現代建設での仕事ぶり、業績、人となり、考え方などが報道されることになるだろうが、このあらすじが気に入ったら、李さんの本も是非本屋で手にとって見て頂きたい。


2008年4月18日初掲:

すべては夜明け前から始まる―大韓民国CEO実用主義の大統領李明博の心の軌跡


2008年2月に就任したばかりの李明博韓国大統領の伝記。このブログでは李明博さんの清渓川(チョンゲチョン)再生プロジェクトを紹介している。

高麗大学の同窓の韓国ペンクラブ会長の李和馥(イファボク)さんが書いたものだが、1人称で記述しているので、まるで本人が書いたような印象を受ける。


韓国版コンピューター付きブルドーザー

それにしても貧しい生い立ちから出世して大統領まで上りつめた人は、昔はリンカーンとかが居たが、最近ではあまり例を見ない。

日本の首相でいえば田中角栄氏が貧しい生い立ちから建設業で成功し、首相まで上りつめた。田中角栄氏もコンピューター付きブルドーザーと呼ばれたが、田中角栄氏は自分で会社をつくったオーナー経営者だった。

島耕作も最近、社長になったそうだが、李明博氏はまさに韓国版島耕作で、建設会社のサラリーマンから社長・会長となり、それから大統領になった韓国版コンピューター付きブルドーザーだ。

専務島耕作 4 (4) (モーニングKC)


この本では李明博氏の信じられない貧しい生い立ち、行商をして苦学しながら高校夜間部、高麗大学を卒業したこと、反政府主義者と見なされたが、現代建設の会長に気に入られ、現代建設に入社し、サラリーマンとして頭角を現し、社長に上り詰め、国会議員、ソウル市長を経て、大統領にまでなった半生が描かれている。


ホームレス中学生以上の赤貧生活

李明博氏の一家の貧しさと苦労は、近々紹介する「ホームレス中学生」の比ではない。

ホームレス中学生


「ホームレス中学生」の田村裕氏は、夏休みの間約1ヶ月公園で暮らして雑草から段ボールまで食べたそうだが、李明博氏は物心付いてから現代建設に入るまでずっと貧しく喰うものも喰わずだった。

しかも幼少の頃から働きづめに働いたのだ。

小さい頃から母親の大判焼き屋台を手伝ったり、自分でポンティギ(せんべいの様な菓子)の行商をしたり、ソウルに出てきてタコ部屋に住んで建設労働者として働いたりして金を稼いで高麗大学を出た本当の苦学生だ。

しかし暮らしは貧しくとも、「貧しさは人生を苦しくするが、物乞いの根性を持ってはいけない」と言っていたお父さん、暇さえあれば聖書を読むお母さんの教導を得て、誰の世話にもならず、誰からも施しを受けず、自分の力で絶対に高校、そして大学を卒業するんだという志を曲げなかった。

この本で驚くのは、秀才の二番目のお兄さん(李相得氏、現韓国国会副議長)に大学を卒業させるために、一家全員が努力し、李明博さんもお母さんから中学を出たら働いて一家を助けるように言われていたことだ。

家族みんなで働いてお兄さんの学資を稼ぐという犠牲的精神は、いまだに儒教精神が残り家族の絆の強い韓国ならではだろう。


李さんの生い立ち

李明博氏、日本名 月山明博氏は1941年大阪生まれ。戦争直後韓国に一家で帰国する途中で船が転覆し、九死に一生を得たが家財一切を失う。

韓国に戻っても頼りにしていた親戚から援助してもらえず、お父さんがなんとか見つけた牧場の管理人の仕事も、朝鮮戦争で失ってしまう。

そしてこの本の冒頭に出てくるショッキングな場面が語られる。

朝鮮戦争で李さんのお姉さんと弟が爆弾で負傷し、お母さんが山で薬草を見つけて手当するが、二人ともほどなく亡くなってしまうのだ。

朝鮮戦争というと、共産軍により釜山付近まで追いつめられていた韓国軍は、マッカーサーの国連軍の仁川上陸作戦により、一気に勢いを盛り返し、逆に北まで攻め上がったことが記憶に残るが、朝鮮半島を上から下まで戦火に巻き込んだ戦争では民間人の犠牲者も当然多く出ていたのだ。

李さんの一家は、浦項(ポハン)の日本人が建てた廃寺の木張り長屋の一部屋に重なりあうように住んでいたという。韓国の冬は本当に寒い。木張りの家の寒さは創造を絶するところだ。

そのころお父さんは古物を見つけてきては町で売り歩き、お母さんと李明博さんは大判焼きの屋台で商売して、爪に火をともす様にして稼いだ金をソウルに居る二番目のお兄さんの学資として送った。

自分たちは喰う者も喰わず、一日一食でも我慢した。食べるものがなくなって、お母さんがどこからか酒粕を貰ってきて、一日二回は酒粕を煮て食べていたので、中学の担任の先生に子供が昼間から赤い顔をしていると目を付けられた。


働きながら高校夜間部に

しかし真相がわかると、担任の先生は李さんの家に家庭訪問にきて、成績優秀の李さんに高校を受験させて欲しいとお母さんに頼んだ。

お母さんはお兄さんの学資を稼ぐために、李さんには中学を卒業したら働いて貰おうと思っていたので、高校進学を拒否するが、担任の先生は三度足を運び、最後には高校の夜間部に主席で入れば入学金が免除になるからと、お母さんを説得した。

ポンティギの行商をしながら高校の夜間部に通ううちに、どうしても大学に行きたいという気持ちが目覚める。

お兄さんも「あきらめるな!」と応援してくれたので、ソウルに行き、タコ部屋で生活し、建設労働者として働きながら高麗大学を受験し、見事合格する。

このときに清渓川(チョンゲチョン)の古本屋で受験用の参考書を買ったのが、李さんと清渓川とのつきあいのはじまりだ。清渓川再生プロジェクトについては以前のあらすじを見て頂きたい。


市場のみんなのカンパで高麗大学に入学

お母さんに高麗大学に合格したことを告げると、お母さんは「どうしてそんなことしたんだい。一体どういうつもりだい」と言ったという。入学金が工面できないのだ。

お母さんの言葉に李さんはいきなり冷や水をあびせられた様に、「大学に通うというのではなく、ただ試験を一度受けてみただけです」と答えたという。

当時李さんのお母さんはソウルの市場で、魚の行商を細々とやっていたが、市場が終わってから毎晩市場の汚れているところをすすんで掃除していた。

そのことを見ていた市場の人たちが、李さんが大学に受かったが入学金がないと聞くと、みんなでカンパして李さんの入学金をつくってくれたのだ。


学生会長から投獄へ

李さんは苦学しながら高麗大学で勉強し、学生会長になる。

1963年に当時の日韓交渉で、朴正煕大統領の韓国政府が日本に譲りすぎているという非難の学生運動が起こり、李さんはリーダーとして警察に捕まり、六ヶ月間投獄され1964年に最高裁で懲役三年、執行猶予五年の判決を受ける。

その時面会にきたお母さんが言った言葉が李さんの心を打った。

お母さんは李さんを非難することなく、「お前の考えていることは正しいと思う。心に決めた通りにやってみなさい。自分を信じて頑張りなさい。」と言ったという。

その後しばらくして李さんのお母さんは病気で亡くなる。


現代建設入社

逮捕歴があるので、李さんは就職に苦労するが、当時の朴正煕大統領に手紙を書き、「ある人が自分の力で世の中を生きていこうとしているのに、国家がその道を遮るならば、この国は一人の個人に永遠に負債を負うことになります」と訴えた。

これにより李さんの就職を妨げていた障害が取り除かれ、現代建設の海外要員の公開応募によって現代建設に入社する。

現代グループの創始者鄭周永と李さんはコンビを組んで、世界中でプロジェクトを受注し、現代グループを世界でも有数のグループに育て上げる。

現代建設の入社面接で、鄭周永会長から問われたことは、「君は建設を何だと思う?」というものだった。

李さんは「無から有を創るから創造だと思います」と答えたという。

李さんのソウル市長時代の業績として清渓川再生プロジェクト、ソウルの新交通システムが挙げられる。

どちらも数千回にも上る住民や利害関係者との折衝のたまものであり、信念を持って接すれば理解は得られるのだと李さんは語る。


なぜ大統領にならなければならないのか?

この質問に対しては、李さんは「今は経済的な危機、社会的な危機の時代なので、経済を立て直すことができるリーダー、社会の葛藤を統合することができるリーダーシップが最優先されなければならないでしょう」と答える。

アマチュア式のアプローチでは問題は解決できない。長期戦略に立ったプロの登場が必要なのだと。

近々榊原英資さんの「日本は没落する」のあらすじを紹介するが、榊原さんが言っているのも、まさにこの点だ。長期戦略に基づいた国造りが、韓国のみならず、今の日本にも絶対に必要なのだ。

日本は没落する


韓国の政治は後進性があると李さんは語る。

日本の永田町にあたる汝矣島(ヨイド)の感覚で理解しようとしたり、盧武鉉(ノムヒョン)大統領が非難されたコード政治(血縁、地縁・学閥政治)が問題なのであると。


コンピューター付きブルドーザー

李さんの辣腕ぶりを物語るエピソードも紹介されている。ソウルの地下鉄の労働組合がストを決行したときに、李さんは消防隊員と市役所幹部に地下鉄を運転させ、結局ストは八日で終わったという。

ビジョンとは見える1%から、見えない99%を探し出す力だという。

韓国に登場したサラリーマンCEO、島耕作型大統領 李明博氏。大いに期待できそうな、ともに日韓新時代を築いていきたいパートナーだ。


この本ではジーンとくる場面がいくつもあった。「ホームレス中学生」も良かったが、こちらも是非おすすめしたい一冊である。


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Posted by yaori at 03:25Comments(0)TrackBack(0)

2008年02月25日

ソウル大改造 李明博 韓国新大統領の清渓川再生事業手記

都市伝説ソウル大改造


本日(2008年2月25日)韓国大統領に就任した李明博(イ・ミョン・バク)氏のソウル市内を流れる清渓川(チョン・ゲ・チョン)再生事業についての手記。

清渓川






出典:韓風(kampoo)

李明博氏は「ブルドーザー」と呼ばれていたので、ソウル市長としての権力をふるってゴリ押しするタイプの人かと思っていたが、この本を読んで、様々な人に気を遣いながら、慎重に事を進めていく黙考熟慮型の人ということがよくわかった。

この本では李明博氏の生い立ちや、平社員からわずか10年あまりで社長に就任した現代建設時代の活躍などは書かれておらず、もっぱら清渓川再生プロジェクトのことだけが書かれている。

本日大統領に就任したら日本のマスコミで李明博氏の生い立ちやキャリアなどが詳しく紹介されると思うので、ここでは簡単に李明博氏の経歴を紹介しておく。


李明博氏の経歴

李明博氏は1941年日本の大阪生まれ。終戦後両親とともに韓国に帰国したが帰国途上で船が転覆し、九死に一生を得る。

貧しい農家の息子として生まれ、パンや蚕のさなぎ(ポンテギといって酒のつまみ)などを露天商として売って学費を稼ぎ、苦学して地元の夜間高校からソウルの高麗大学を卒業した。

24歳で現代建設に入社し、ヒラ社員の時は課長の様に、課長の時は理事(役員)の様に常に一歩先を見て行動し、シベリアや砂漠などでビジネスをつくって注目され、入社5年で理事(役員)、12年目の36歳で社長になった。47歳に会長に就任してからは、政治を志し、1992年 51歳の時に国会議員に当選した。

国会議員だった時に1998年から99年までの間、米国のジョージワシントン大学の客員研究員として留学し、環境対策を中心とした国家経営を研究する。

2002年、61歳の時にソウル特別市市長に就任し、清渓川再生プロジェクトで一躍韓国のみならず世界の注目を浴びる。

日本でも清渓川にならって、東京の日本橋再生計画などが議論される様になってきている。清渓川については日本語のホームページもできているので、是非ご覧頂きたい。


下水道化していた清渓川

清渓川再生プロジェクトを思いたったのは、米国に留学してボストンのビッグディグプロジェクトを見学してからだと李明博氏は語る。

ビッグディグとは、ボストンの都心の史跡の風景を損なっている高架道路を撤去し、高速道路を地下化しようというプロジェクトで、米国で最もコストがかかる公共事業工事とされている。昨年末20年近くかかった工事が完成し、これによりボストンの町中の慢性渋滞も解消し、景観も回復する効果があった。

清渓川は元々都心を流れる人工河川で、生活用水などが流れ込み、名前のような清流ではなかった。

韓国の高度成長時代に清渓川の上に清渓川高架道路が建設され、清渓川は暗渠(あんきょ)になっていたが、メタンガス爆発を時々繰り返し、高架道路としての耐用年数を超え、1990年代にはソウルの厄介者になっていた。

清渓川をどうにかしなければならないという共通の問題意識はあったが、どうすべきかは決まっていなかった。

一日17万台の車が通る片側6車線の高架道路で、この付近には露天商の出店が並んでいた。清渓川の復元をすると、大規模な交通マヒが起こり、露天商に対して巨額の補償をしなければならないと、学者たちは反対していたという。


2つの重点目標

ソウル市長就任してからは、交通事情の改善と清渓川再生を2大テーマとして、環境に配慮したサステイナブル都市として有名なブラジルパラナ州のクルティバ市を視察し、ベンチマーキングを行った。

この本では交通事情改善は取り上げられていないが、李明博氏の功績の一つとしてソウルの交通事情改善も有名だ。

清渓川についてはソウル市長立候補時の公約通り、高架道路下の暗渠から、清流流れる都市型くつろぎの公園河川に生まれ変わらせる工事を2年間で終わらせるべく清渓川復元本部を組織した。

清渓川本部は推進本部、復元研究団、市民委員会の3部構成で、工事は3区間に分けて入札で大手建設会社が請け負った。当初は尻込みしていた大手建設会社をたきつけるマーケッティングを行ったのも李明博氏だ。

200年周期の大洪水対策も、模型でシュミレーションを積み重ねて行い、2段の護岸構造とした。

着工直前には、取り壊す清渓川高架道路を歩くイベントを行った。李明博氏は野党出身なので、清渓川再生のための交通規制などに警察などの協力を得られず、着工もあやぶまれていたが、盧武鉉大統領と面談し協力を取り付けると警察も一転して協力的になった。

清渓川は人工河川だったので、ソウルを流れる漢江から水を引こうとすると、水資源公社からは莫大な代金を請求されそうになった。この論争がインターネットで報道され、国民から圧倒的な支持を得たので、無料で漢江から水を引けることになったという。


国際的に評価が高い清渓川プロジェクト

清渓川には平均260メートル間隔で、国際コンペで選ばれた22の異なるデザインの橋を架け、ソウル市の景観を変える効果もあった。

韓国では日本と同様にいろいろな規制がある。たとえば李明博氏が市民から募金を集めて、橋を建設しようと思いたったら、寄付に必要な行自部の承認が得られなかった。そこで募金はやめて、市民にタイルに絵を描いてもらい、それで壁画をつくることにしたという。

李明博氏が一番神経を使ったのが露天商対策だ。最初から権力で露天商を追い出すことはせず、商人対策チームをつくって、延べ4,200回も商人を訪問して十分話し合った。

移設先を文井洞の物流団地と東大門運動場に露天商のための蚤の市をつくったが、それでも移転に反対する露天商にはやむなく強制撤去して、工事を予定通り完成させた。

清渓川再生プロジェクトは2004年にはベネチア建築ビエンナーレで最優秀施行者賞を受賞し、一躍世界の注目を集めるようになった。

日本からも日本橋再生プロジェクトの関係などで、清渓川再生プロジェクトを研究する運動が盛り上がっている。

李明博氏は、「経済効率ばかり追求していては日本は21世紀の先進国とはなり得ない」と発言し、高速道路一つ取り外せない日本の行政を批判し、日本橋再生プロジェクトにエールを送っている。

ちなみに筆者自身は日本橋再生などというケチな事業ではなく、首都高速の主要路線はすべて地下化する一大プロジェクトにすべきではないかと思う。これなら期間限定のガソリン税を払っても良い。


日本生まれ、苦学して大学を卒業、民間企業の経営者としての経営ノウハウ、米国に留学しての都市再生、環境対策の研究、住民との対話を重視する政治姿勢、日本語もできる知日派大統領、李明博氏への期待は高まる。

今や日韓などで対立している時代ではない。まさに漁夫の利で、日韓対立を一番喜ぶのは中国だ。巨大化することが必至の中国に対抗するためにも日韓の2国間関係をさらに深めるべきだろう。

そんな時にタイムリーに登場した李明博大統領。是非これからの活躍にエールを送りたいものだ。


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