2016年05月12日

宴のあと 日本ではじめてのプライバシー侵害訴訟となった小説

宴のあと (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社
1969-07-22


日本ではじめてプライバシー侵害訴訟が起こされた三島由紀夫の小説。

筆者は個人情報保護の仕事をしているので読んでみた。

学生時代に三島由紀夫の小説は新潮文庫版で読んでいたので、読み進むにつれ情景を思い出してきた。




小説の結末は完全に忘れていたので、2度目ではあるが、大変楽しめた。

三島由紀夫の風物や心模様などの描写が、実に精緻で、心を配っている。やはり三島由紀夫は天才なのだと思う。

この小説のモデルとなった有田八郎は、戦前に広田内閣や幾代かの内閣で外務大臣を務め、戦後は衆議院選挙で一度当選した後、落選した。

有田八郎は、外相時代には蒋介石と組むことを主張していたという。このブログで紹介した関榮次さんの「蒋介石が愛した日本」で述べられていたように、日本が蒋介石と組んでいたら、中国共産党は殲滅されていただろう。

「歴史にIFはないが、蒋介石という親日的指導者が中国を統一していれば、戦後の世界情勢は全く違ったものになっただろう。」と関さんは語っている。



有田八郎という人がもっと政治力があったら、歴史が変わっていたかもしれない。

有田八郎は戦後すぐに妻と死別したあと、白金台にあった「般若園」という高級料亭の女将、畔上輝井(あぜがみ てるい)と結婚し、衆議院から東京都知事選挙に鞍替えして、革新統一候補として二度チャレンジして落選している。

畔上は、都知事選挙では料亭を閉め、有田の選挙運動に協力していたが、落選後、料亭再開のために政敵である吉田茂に支援を頼んだとして、有田から離婚されている。

最初の都知事選挙で負けた相手が、安井誠一郎で、二度目の都知事選で負けたのが筆者の寮委員の大先輩である東龍太郎さんだ。

この小説はあきらかに有田八郎と畔上輝井をモデルにしているので、有田八郎は、私生活をのぞき見されたとして東京地裁にプライバシー侵害で提訴し、1審では勝訴を勝ち取り、日本で最初のプライバシー侵害判決として有名になった。

宴のあと裁判
















出典:インターネット検索


判決の全文はインターネットで公開されている。

裁判自体は、その後有田八郎本人が死亡し、和解が成立している。

裁判中に、三島はこの作品について次のように語っている。(Wikipediaから引用

人間社会に一般的な制度である政治と人間に普遍的な恋愛とが政治の流れのなかでどのように展開し、変貌し、曲げられ、あるいは蝕まれるかという問題いわば政治と恋愛という主題をかねてから胸中に温めてきた。

それは政治と人間的真実との相矛盾する局面が恋愛においてもっともよくあらわれると考え、その衝突にもっとも劇的なものが高揚されるところに着目したもので、1956年に戯曲「鹿鳴館」を創作した頃から小説としても展開したいと考えていた主題であった。(中略)

(有田八郎の)選挙に際し同夫人が人間的情念と真実をその愛情にこめ選挙運動に活動したにもかかわらず落選したこと、政治と恋愛の矛盾と相剋がついに離婚に至らしめたこと等は公知の事実となっていた。(中略)

ここに具体的素材を得て本来の抽象的主題に背反矛盾するものを整理、排除し、主題の純粋性を単純、明確に強調できるような素材のみを残し、これを小説の外形とし、内部には普遍的妥当性のある人間性のみを充填したもので、登場人物の恋愛に関係ある心理描写、性格描写、情景描写などは一定の条件下における人間の心理反応の法則性にもとづき厳密に構成したものである。

この作品を読んで、筆者もこれは(当たり前だが)フィクションだと思う。

当事者しか知らないような秘密の事実を明らかにしたわけでもない。

三島は創作にあたり、離婚後の畔上輝井にも取材し、有田八郎からもサイン入り自著をもらっている。

有田八郎は老齢なこともあり、以前三島にサイン入り自著をプレゼントしたことを忘れていて、三島側から法廷にサイン入り本が証拠として提出されると、傍聴席からは驚きの声が上がったという。




裁判が日本初のプライバシー侵害訴訟として有名になっただけで、小説の内容そのものは、あくまでフィクションで、プライバシー侵害とはいえないのではないかと思う。

三島の高い芸術性がわかる作品である。

筆者はゴールデンウィークに一日で読んだ。

簡単に読めるので、スキマ時間ができたら、手に取ってみることをお勧めする。


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Posted by yaori at 23:59Comments(0)TrackBack(0)