2010年11月21日

日本開国 日米中関係の原点はアヘン戦争と日本開国

2010年11月21日追記:

京都大学教授で国際政治学、インテリジェンス史が専門の中西輝政さんの「アメリカの不運、日本の不幸」という最近の本を読んでいたら、渡辺惣樹さんの本が引用されていた。

アメリカの不運、日本の不幸―民意と政権交代が国を滅ぼすアメリカの不運、日本の不幸―民意と政権交代が国を滅ぼす
著者:中西 輝政
幻冬舎(2010-07)
販売元:Amazon.co.jp
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ペリーは「アメリカの国策を一人で背負っていると自認する特殊なパーソナリティの持ち主」で、政権と議会を説得して予算を獲得、「日本遠征計画」を実行した。

各州がバラバラで分裂しそうな「アメリカを一つにする唯一の方法」と考えて、わざわざバージニアから喜望峰、インド洋を通って日本に来航したのだと。

「日本の港で捕鯨船の便宜を得るため」は予算を認めさせる方便にしかすぎず、北米大陸外に発展していくことによって、他国との対抗上アメリカが一つにまとまらざるを得なくなることをペリーは狙っていたのだと。

渡辺さんの主張を紹介するとともに、1848年のカリフォルニアの金鉱発見で、各州が独立国家だとカリフォルニア州の金鉱を取りに行けなくなるからという理由でアメリカの各州は一つにまとまったのだと中西さんは説明する。

中西さんの「アメリカの不運、日本の不幸」は、学者の書いた本としてはありえないほど論拠・引用の出典明記がないが、その中で渡辺さんの本はしっかり論拠として挙げられている。

ちなみに以下にも紹介してるとおり、渡辺さんは市井の研究者だが、渡辺さんの本は本文230ページ、注・論拠資料・参考文献紹介30ページという論文にしても良いくらいの構成だ。

それに対して、中西さんの「アメリカの不運、日本の不幸」は重要な点を赤でハイライトしている2色刷りの学習参考書のような体裁で、論拠・引用紹介・参考文献はほぼゼロである。どっちが学者なのかわからない。


2010年5月8日初掲:

日本開国 (アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由)日本開国 (アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由)
著者:渡辺惣樹
販売元:草思社
発売日:2009-11-25
おすすめ度:5.0
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カナダ在住の友人が本を出したので読んでみた。

筆者の渡辺惣樹(そうき)さんは、JTに入ったあとに留学し、会社をやめてカナダで貿易会社を創業、現在もカナダ在住だ。

渡辺さんは大学時代は写真部員だった。

ひょんなことから筆者は写真部の連中を、俳優の内田朝陽君のご両親がやっている原宿にあったスナックに招待したことがある。それが知り合ったきっかけだ。


偶然が偶然を呼ぶ出会い

ちょっとありえない話なので、この辺の経緯を説明しておく。

筆者は大学3年のときに内田朝陽君のご両親と、夏の暑い盛りに西伊豆の戸田のビーチで偶然知り合った。これもまたありえないきっかけなのだが、これはまた別の機会に紹介する。

その後当時神宮前に住んでおられた内田さんご夫妻を、神宮球場で行われた秋の東京六大学野球の開幕戦に招待したら、東大が明治に2連勝して、なんと勝ち点を挙げたのだ。

筆者が大学3年生だったと思うので、昭和49年(1974年)のことだと思う。

当時の明治の野球部監督の島岡御大は、さぞかし激怒したことだろう。星野さんの「星野流」という本でも紹介されていたように、島岡さんは何かあると「グラウンドの神様」におわびしていたそうなので、たぶん部員全員と島岡監督で「グラウンドの神様」に土下座しておわびをしたのではないかと思う。

もっとも、それ以来、東大は明治には勝てず、92連敗して、次に勝ったのは1999年だった。

閑話休題。

その試合を応援していた内田さんと当時飼っていた犬の写真が、筆者の大学の卒業アルバムに神宮の試合のスナップ写真の一つとして載った。

内田さんの犬はその後知人の家に預けることになったため、なつかしいので是非写真を焼き増ししたいということになり、筆者が卒業アルバムをつくっている写真部に話をつないだ。

写真部の連中はこころよくOKしてくれ、ネガを借りたお礼に内田さんのお店に招待したという訳だ。

その後筆者はアルゼンチンに2年間研修で行って、日本にはいなかった。

帰国したら内田さんのお店が今の六本木ヒルズのある六本木6丁目に移っていて、写真部の連中が入り浸り、常連の作曲家の猪俣公章先生の子分(虫)となっていたのには面食らった。

現在は六本木1丁目にある内田さんのお店で、時々彼らと出会うことがある。筆者は内田さんとは35年以上のつきあいで、写真部の連中も内田さんとは33年以上のつきあいである。

そのグループの一人が渡辺さんだ。渡辺さんはカナダ産品等の貿易商社を経営しているので、六本木の内田さんのお店にはカナダ産の建築資材が使われている。入口にある巨木の柱は日本の建築家にも高く評価されている銘木ということだ。

渡辺さんは今はカナダ在住で、時々は日本に出張で来ているらしい。久しくお会いしていないので、この本を読んで旧交を温める思いだ。


日本開国前後のエピソード集

この本はペリーが結んだ1854年の日米和親条約、ハリスが結んだ1858年の日米修好通商条約による開国前後の日本、アメリカ、中国などの動きを、ペリー提督タウンゼント・ハリスペリーの娘婿オーガスト・ベルモント、ロスチャイルド家のアメリカの代理人アーロン・パーマー、ラッセル商会関係者など歴史上有名な人物のエピソードをちりばめる形で描いている。

モザイク画のような手法なので、渡辺さんはスーラの画法と表現しているが、まさに言い得て妙である。

Georges_Seurat_-_Un_dimanche_aprè





出典: Wikipedia

ちなみに、上記のスーラの絵は米国シカゴ美術館に所蔵されている。シカゴにはよく行っていたので、米国駐在中に見ておくべきだったと反省している。


この本は日本開国を多角的な視点で描いた物語で、注記も多く、いわば私設ウィキペディアの様な本だ。

ただウィキペディアと違って、リンクでなく巻末注記なので、いちいちページをめくって注を読まなければならない。ウェブ版にして資料がすぐにリンクで参照できるようにしたら、渡辺さんの博覧強記なところが一目瞭然にわかって、もっと良かったと思う。


渡辺さんはハリスゆかりの静岡県下田市出身

渡辺さんは静岡県下田市出身。子どもの頃から黒船祭や、初代米国領事館のあった下田玉泉寺などに慣れ親しみ、トレーダー出身で本職の外交官ではなかったタウンゼント・ハリスが、なぜ日本に初代領事として派遣されたかの謎を中心に、この物語を描いている。

ハリスについては、このブログで紹介した「大君の通貨」で、当時の日本の金銀為替レートを利用して利殖を謀ったことが描かれている。

大君の通貨―幕末「円ドル」戦争 (文春文庫)大君の通貨―幕末「円ドル」戦争 (文春文庫)
著者:佐藤 雅美
販売元:文藝春秋
発売日:2003-03
おすすめ度:4.5
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この本の主役アーロン・パーマー

この本でタウンゼント・ハリスが登場するのはほんの10ページ余りで、ハリスは脇役だ。

米国がペリーによる黒船外交で圧倒的な戦力を示して日本を無理やり開国させながら、後の交渉はノンキャリのセミプロ外交官に任せたのは、”プレイボーイが一旦籠絡した相手には途端に興味を失う”という様子を見ているようだと渡辺さんは独特の表現をしている。

セミプロ外交官のハリスがなぜ派遣されたのか?それがずっと違和感となって渡辺さんの心に残っていた。そのことが、この本の研究に結びついたのだという。

この本の主役の一人は、アーロン・パーマーという「アメリカ合衆国最高裁判所カウンセラー」の肩書きを持つ弁護士で、ロスチャイルド家の米国代理人だ。

彼が、ロビイストとして1849年に起草した「改訂日本開国提案書」が、その後の米国のペリー艦隊派遣等の外交政策の基礎となった。

この歴史的に第一級の資料である提案書は、実はアマゾンでペーパーバックとして売られている。

Documents and Facts Illustrating the Origin of the Mission to Japan: Authorized by Government of theDocuments and Facts Illustrating the Origin of the Mission to Japan: Authorized by Government of the
著者:Aaron Haight Palmer
販売元:BiblioLife
発売日:2009-07
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アメリカ政府はパーマー提案に従って、ペリーを日本に2度派遣し、日本を開国させた。

その表向きの理由は、当時世界的ナンバーワンだった米国の捕鯨船の寄港を認めさせるというものだったが、真の理由は米国と中国(当時は清)を結ぶ太平洋ハイウェイ(シーレーン)構想があったためだと渡辺さんは語る。

日本は開国することによって、アメリカの太平洋ハイウェイ構想の一角をになうので、繁栄につながる。それゆえ「日本は東洋の一等国(東洋におけるイギリス)に変貌できるのだ」とパーマーは書いている。


アメリカの版図拡大(マニフェスト・デスティニー

アメリカの版図は、はじめから大西洋・太平洋の両方に面していたわけではない。この本で紹介されているアメリカの領土図が、大変興味深い。

USA territory




出典:本書12−13ページ

日本に開国させた当時のアメリカは、テキサス、オレゴンテリトリー、カリフォルニアなどを獲得して、1849年のゴールドラッシュで急速に西海岸地区の開発がはじまり、西海岸の延長線上にあるアジアにも注目しだしたところだった。

パナマ運河の開通は1914年だが、1855年に開通したパナマ地峡鉄道を利用することによりアメリカ東海岸の世界へのアクセスは飛躍的に向上した。たとえば次のような具合だ。

★ケープ岬経由
 イギリス −   サンフランシスコ 13,624マイル
 ニューヨーク − サンフランシスコ 14,194マイル

★パナマ経由
 イギリス −   サンフランシスコ  7,502マイル
 ニューヨーク − サンフランシスコ  4,992マイル

捕鯨業者の保護もさることながら、アメリカから中国・アジアに行く航路の安全と、整備はアメリカの西海岸の経済発展には不可欠だった。

マニフェスト・デスティニーの旗印のもと、西部開拓を推進したアメリかは、西部開拓が終わった後の発展は、西海岸からハワイ、さらにアジアへの展開だったのだ(それゆえハワイ王国はアメリカに1898年に併合された)。


歴史を織り成すもう一本の糸はアヘン貿易

渡辺さんは、日本海国とその後の日米中関係の背景となっているのは、アヘン貿易だと語る。

アヘン戦争は、中国からの茶の輸入増大により、対中大幅貿易赤字となった英国が、茶の代金を調達するために、インドで生産した劣悪なアヘンを中国に売りつけて、莫大な利益を得たことに抗議して、武力に訴えた清を英国がなんなく破った戦いだ。

そしてアヘン戦争には、英国系のジャーディン・マセソンなどのトレーダーのほか、アメリカのトレーダーであるラッセル商会が深くかかわっていた。

「ラッセル商会は19世紀最大の犯罪組織であり、世界的なドラッグディーラーだったのだ」とアメリカの歴史家ジョージ・ファイファーは指摘しているという。

Breaking Open Japan: Commodore Perry, Lord Abe, and American Imperialism in 1853Breaking Open Japan: Commodore Perry, Lord Abe, and American Imperialism in 1853
著者:George Feifer
販売元:Smithsonian
発売日:2006-10-01
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ラッセル商会のパートナーのウォーレン・デラノは、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)大統領の祖父だ。

ラッセル商会のパートナーのウィリアム・ハンティントン・ラッセルは、タフト大統領の父のアルフォンソ・タフトと一緒にエール大学出身者の秘密親睦組織スカルアンドボーンズを創設した。

ブッシュ前大統領父子もスカルアンドボーンズの会員だ。

ラッセル商会のパートナーたちはアメリカの外交に大きな影響力を持つアメリカ外交問題評議会(CFR)の設立にもかかわり、アメリカの教育と外交に大きく影響を与えたという。

渡辺さんは、アメリカのリーダーには「中国にはアヘン戦争の借り」があり、「日本には開国の貸し」があるという深層心理があるという。

最近ではアメリカの外交戦略に大きな影響を与えているカーライルグループに着目する見方があるが、19世紀のラッセル商会の影響力に着目するというのはユニークな着想である。


その他参考になった点を下記する。

★第11代将軍の家斉の娘溶姫を加賀前田家に嫁がせた時に、前田家の迎え入れのために作ったのが、東大の赤門だ。東大経済学部出身の渡辺さんだけに赤門の由来を織り込んでいる。

シーボルト事件のシーボルトの記念館シボルト・ハウスが、オランダのライデンにあり、渡辺さんは訪問したことがあるという。

★鯨は当時「泳ぐ石油」と言われ、19世紀ではアメリカが世界ナンバーワンの捕鯨大国だった。1846年には捕鯨船は722,水揚げは1千百万ドル、現在の価値で51億ドルだったという。」

★トリニーダード島のピッチから灯油を抽出する技術がアブラハム・ゲスナーにより1850年に発明されてから、鯨油の価格は下がり最高リッター47セントだったのが、1865年は16セント、1895年には2セントにまで下がった。捕鯨船の数も1876年には39隻に激減したという。

筆者の住んでいたピッツバーグの北に、車で1時間強行くと、アメリカで最初に石油が発見されたドレーク油田地帯がある。

元々アンドリュー・カーネギーがつくったサイクロップスという特殊鋼メーカーが、この油田地帯の真ん中のTitusvilleにあり、この会社は19世紀からロックフェラーの石油パイプラインにパイプを供給していたのだ。

筆者は何度もサイクロップスを訪問したことがある。この本で鯨油から石油へのエネルギー転換の話を知り、興味深かった。

★オランダは1794年末にフランスの侵攻を受け、それから1815年までフランスの衛星国となっていた。しかし出島のオランダ館長は徳川幕府には秘密にしていたという。


情報が盛りだくさんなので、もうすこし出し惜しみした方が本としての完成度は上がったような気がするが、それにしても渡辺さんの開国関連の歴史の造詣と、博覧強記ぶりはすばらしい。

米国在住の日本史研究者が日本のみならず、米国や他の国の資料を基にして、貴重な歴史書を書くケースは、たとえばこのブログでも紹介した「暗闘」などの例がある。

世界史の中での日本史を書くためには、渡辺さんのような地道な研究が重要なのだということがよくわかる好書である。


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Posted by yaori at 00:03Comments(0)