2018年04月26日

ラグビーワールドカップの東京地区のチケットに当選した

東京地区の住民向け枠で、ラグビーワールドカップのチケットに当選した!

日本VSルーマニアも申し込んだが、これは外れ。筆者が昔駐在していたアルゼンチン(ロス・プーマス)の試合が2試合と、ニュージーランドVSアフリカ地区代表の試合に当選した。

たぶん倍率は相当高かったのだと思うが、アルゼンチンの試合などは「穴」かもしれない。

申し込もうと思ったら、チケット販売サイトでは次のような表示となっていた。

Rugby Worldcup
















最初は動きがにぶかったが、そのうちどんどん減っていくようになり、筆者の順番が来た。

Rugby Worldcup ticket
















チケットが購入できた。その間20分くらいだが、いったんメアドを登録して、退出したら、すぐに順番になったというメールが来たので、もしそのまま待っていれば、10分程度でログインできたのかもしれない。

チケット購入サイトは、当初登録したワールドカップラグビーのIDとPWがクッキーで残っており、たとえ覚えていなくても問題はない。

サクサクと手続きができるサイトだった。

ラグビーワールドカップのポスターのスローガンは「4年に一度じゃない。一生に一度だ」というものだ。まさに筆者もそんな思いでチケットを購入した。

アルゼンチンの友達にも連絡しよう。来年が楽しみだ。


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2017年08月20日

東大式筋トレ術 一般の人にもわかりやすいトレーニング入門

東大式筋トレ術 筋肉はなぜ東大に宿るのか? (星海社新書)
東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部
講談社
2017-04-26


筆者のクラブの後輩が出した本。

筆者のクラブ出身者では、「スロトレ」や「筋肉まるわかり大事典」の石井東大教授が「筋肉博士」として圧倒的に有名で、多くの本を出している。今回は現役の部員がトレーニング法を本にまとめている。



単に東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部という名前で、最後に部室の写真が出てくるが、部員の名前は一切出ていない。写真にも写っている4年生が中心となって書いているようだ。

筆者も数年前からウェイトトレーニングを再開しているので、興味深く読めた。

アマゾンのカスタマーレビューには「プロボディービルダーが書いた本や雑誌の記事がよほど意味があるだろう。」というような厳しいコメントもあるが、筆者はトップビルダーの本は読んでも参考にならないと思っている。

石井教授の現役時代もそうだったが、現役トップビルダーは週6日くらいは練習している。

その練習は細かい筋肉を鍛えるのが中心で、週せいぜい2回か、多くて3回しかトレーニングしない一般人には、トップビルダーのトレーニング法はほとんど参考にならない。

むしろこの本のように、一般人を対象にして、基礎的なトレーニングと食事法やメンタル面での注意について書いたほうが、参考になると思う。

写真のモデルも多分現役部員なのだろうが、まだまだマッチョという感じではないので、その意味でも普通の人でも親しみがわくのではないかと思う。

この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応していないので、「なんちゃってなか見!検索」で、目次を紹介しておこう。目次を見れば、大体の内容が推測できると思う。

まえがき
東京大学ボディビル&ウェイトリフティング部とは
受験で負けた、ダメだったという人こそ筋トレを!

第1章 勉強力は筋力である
筋トレは受験と同じ「正しい努力が実を結ぶ世界」
筋力は学力と同様、効率的な鍛え方がある
トレーニングにおいて壁を破る手段は「頭脳」のみ
筋肉=トレーニングX栄養X急速
モチベーションのコントロールが成否を分ける
見つけよう筋トレ仲間!
宣言して勝つ!
筋トレができない人間は、人生でも落ちこぼれる!
仕事をする上で退治な”見た目”から変わろう
筋トレ力は問題解決能力
筋トレ力は創造力
最高の自己投資、筋トレ

第2章 東大式筋トレの基礎を学ぶ
筋トレのメカニズム
筋トレ時、筋肉には何が起こっているのか
筋肉をデカくするには高負荷を!
トレーニングジムのススメ
ジムの選び方
ジムに持っていくもの
プロテインを飲もう
プロテインはおいしいほうがいい
コンディショニング用品を揃えよう
モニタリングの大切さ
ノー目標、ノー筋肉
筋トレメニューの組み方
ビッグ3とは?
鍛える筋肉を知ること
ジムでのトレーニング
トレーニングプログラムに落とし込もう

第3章 実践! 東大式筋トレ
いいフォームの共通点とは?
ベンチプレス
スクワット
デッドリフト
ビッグ3の様々なバリエーション
ベンチプレスのバリエーション
スクワットのバリエーション
デッドリストのバリエーション
補助種目

第4章 東大式筋トレを支える食事と栄養
三大栄養素とカロリー
カロリーコントロールの考え方
チートデイ(減量中に週1日、あるいは2週間に1日何を食べてもいい日を設ける)
食材の選び方
自炊のススメ
アルコールは飲んでいいのか
実際の食事例
コンビニ食の注意点
どうしても外食しなければならないとき
サプリメントについて

以上が目次だ。結構手取り足取り説明していることがわかると思う。

新入部員の指導にも適切な本だと思う。今年は新入部員が10名入部したと聞いている。ぜひこの本を全員が愛読して、学生選手権で個人あるいは団体優勝を目指して欲しいものだ。


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2016年09月10日

パワーリフティングはパラリンピックの正式種目

パワーリフティング(通常はベンチプレス、スクワット、デッドリフトの三種目)はオリンピックの正式種目とはなっていないが、パラリンピックでは正式種目として採用されている。

大会前の東京の都営大江戸線の地下鉄の各駅に、パラリンピック種目が紹介されていた。

20160829_190714





















筆者の利用する麻布十番駅ではパワーリフティングを紹介していた。

20160829_190658























20160829_190740







































オリンピックでは足の不自由な選手向けにベンチプレスのみの記録で競う形となっている。

上記の写真はパワーリフティング88キロ級に出場する大堂秀樹選手のものだ。

すでにリオ・パラリンピックの競技ははじまっており、54キロ級に出場した西崎選手は、試技を3回とも失敗して、残念ながら記録なしにおわってしまった。

テレビで見た限りでは、3回目は成功しているように思えたが、失敗の理由がよくわからない。あるいは審判の指示が出る前に、バーベルをラックに戻すとかいったことなのかもしれない。

筆者もここ数年、年に1回、大学の現役の記録会にOBも参加する形で、ベンチプレスのみ参加しているが、直近の記録会では、3回失敗して記録なしに終わってしまった。

練習では一度も失敗したことのない重量だったが、どういうわけか腕が伸びきらなかった。

筆者は40年ほど前は学生のパワーリフティング大会にも出場していた。

学生大会では一度も3回連続失敗というのはなかっただけに、ショックだったが、来年の記録会で雪辱をすべく今はトレーニングの種目構成を変えて、ウェイトトレーニングに励んでいる。

ベンチプレスではパラリンピアンのほうが、健常者より重い重量を挙げるということが起きる。

西崎選手も、東京パラリンピックまでにさらに記録を上げて、ぜひ雪辱をしてほしいものである。

次は88キロ級の大堂秀樹選手の活躍も期待したい(大堂選手の結果はこちら。東京大会を期してまたトレーニングに励んでほしい)。


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2016年08月14日

柔道ニッポン復活に貢献した石井教授の愛弟子・岡田隆日体大准教授

NHKの「クローズアップ現代」が久々にクリーンヒットを飛ばした。柔道ニッポン復活をオリンピック直前の番組で予言したのだ。

NHKクローズアップ現代






















リオオリンピック直前の8月4日に放映した「リオ五輪“最強伝説”への道 柔道・井上康生監督 再び頂点へ」がそれだ。
NHKのサイトで、番組の内容が詳しく紹介されているので、上記リンクをクリックしてみていただきたい。

井上康生監督のもと、新たな戦略で4年間取り組んだ成果が、リオオリンピックの男子全階級メダル獲得という輝かしい結果だ。その結果を予測させるような優れた構成のオリンピック直前番組だ。

井上康生監督は、「世界の柔道に対応していくためには、そのルーツから勉強しないと対応できない。」との考えで、ブラジリアン柔術や沖縄角力のトレーニングを取り入れた。

そして、もう一つ強化したのが筋力トレーニングだ。東大の石井教授の愛弟子の岡田隆日体大准教授をトレーナーに採用して、選手の筋力の強化に努めた。

ラグビージャパンのエディ・ジョーンズヘッドコーチのフィジカル強化を思いださせる手法だ。

岡田隆准教授は、現役のボディビルダーで、2014年の東京オープンボディビル選手権大会の70キロ級で優勝している。

今回のリオオリンピックのテレビ中継でも、常に井上康生監督の横に座っていたインテルの長友選手に似た人なので、気付いた人もいると思う。

筆者が岡田准教授の存在に気付いたのは、井上康生監督が出席した、東大スポーツ先端科学研究拠点の発足セミナーだった。石井教授が、東大スポーツ先端科学研究拠点の拠点長に就任したお披露目のセミナーで、このときも岡田准教授は井上康生監督と一緒に行動していた。

テレビの映像ではあまりわからないが、半そでシャツからのぞく腕の太さは相当なものだ。

その岡田准教授が書いたトレーニングの本がいくつかあるので、紹介しておく。

筋力トレーニングだと。



体脂肪減少だと。



筆者も筋力アップをめざしているので、「筋肥大メソッド」は参考になりそうだ。さっそく読んでみる。


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2015年10月13日

創部50周年記念式典を開催しました

私の出身部の創部50周年記念式典を10月10日(土)に東京神田の学士会館で開催しました。

当日はOB・現役・招待者で170名を超える参加者があり、大変盛り上がりました。ちょっとピンボケですが、会場の雰囲気がわかると思います。

20151010_総会3





















式次第はこのようになっています。

20151010_総会2





















我が部出身でスロトレで有名な石井教授も挨拶されました。

20151010_総会4





















当日の様子はTBSの「あさチャン」という番組で10月12日(月)に放送されました。映っているのは、2年連続学生ボディビルチャンピオンで、一時はクイズ番組にも「TAK」という名前で出演していた佐々木卓君です。

TBSあさチャン画面






















招待者の皆さんも含めて、出席者全員が楽しめる会になりました。みんなの協力ありがとう!


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2015年09月21日

祝 ラグビー日本代表 ワールドカップ歴史的勝利!不動の魂 五郎丸歩選手の本

2015年9月21日再掲:

2015年ラグビーワールドカップでの日本代表の対南アフリカ戦での歴史的勝利を記念して、日本代表の得点源、ヤマハ発動機所属の五郎丸選手の本のあらすじを再掲する。



是非次のスコットランド戦にも勝利を収めてもらいたいものだ。


2015年8月2日追記:

会社のラグビー部の後輩がガンで亡くなった。55歳という若さだった。彼は早稲田のホンチャンではないが、リスの会出身で、会社のラグビー部でもフランカーとして活躍していた。

最近では、会社のラグビー部の部長となり、現役の支援と、大学でのラグビー経験者の採用増に貢献していた。

体調が万全でないことは知っていたが、あまりにも早い逝去に言葉を失う。

後輩の冥福を祈るとともに、早稲田出身の五郎丸選手の本のあらすじを再掲する。


2015年7月30日初掲:



ラグビー日本代表フルバックで、日本代表テストマッチ歴代最多得点記録を持つ五郎丸歩選手の本。

五郎丸選手のキックは日本代表の重要な得点源となっている。五郎丸選手のキックは、ルーティンに特徴がある。



ボールを回してセットし、3歩まっすぐ下がって、2歩左に寄るまではいいとして、手をすり合わせて、右手でボールに当たる感じを出してから、また下がって助走に入るという、見ていて面白いルーティンだ。

五郎丸選手は、福岡県出身、両親がラグビー好きだったので、3人兄弟は全員ラグビースクールに入校。末っ子の五郎丸選手は3歳からラグビーを始めた。お父さんは消防士だった。1歳上の兄の五郎丸亮選手は佐賀工業、関東学院大学を経て、現在はコカコーラウェストでプレーしている。ポジションはフッカーだ。

五郎丸選手は小学校4年から6年までラグビーをやめて、小学校のサッカー部に入った。その後中学でラグビースクールに入る。そして次兄が佐賀工業に入学すると、翌年五郎丸選手も佐賀工業に入り、二人でアパート暮らしをしていた。

五郎丸選手は佐賀工業では高校1年からフルバックとなり、高校2年の時にレギュラーとなった。佐賀工業は九州大会で優勝、国体でも優勝と順調にチーム力をつけていたが、花園では準々決勝で東福岡に12対58と大敗した。

佐賀工業は監督の小城先生の方針もあり、ラグビーの基礎をつくることを目標にしたチームで、それが後々役立ったという。

五郎丸選手は高校2年生の時に、将来の日本代表を育成すると発足したエリートアカデミーの1期生となり、高校3年生の時には、高校日本代表に選ばれてオーストラリアに遠征した。

この本にエリートアカデミー時代に北の海部屋に1日稽古に行った時の写真が載っている。同行したラグビー協会役員の早稲田出身の宿澤さんは平成18年に心筋梗塞で亡くなり慶應出身の上田さんは平成27年7月に難病のアミロイドーシスで亡くなった。その二人が北の海親方と写っている貴重な写真だ。

エリートアカデミー1期生
























出典:本書65ページ

大学進学の時には、兄の五郎丸亮選手が進学した関東学院からも引きがあったが、結局早稲田大学のスポーツ科学部に進学した。早稲田の新人練習はこんなキツい練習があるのか!と思ったそうだ。

五郎丸選手は1年生の春の対抗戦からレギュラーとして出場し、フルバックとしてキッカーを任され、早稲田の得点源となった。

この年の7月に2003年のラグビーワールドカップでイングランドを優勝に導いた世界一のゴールキッカーのジョニー・ウィルキンソンのキック指導を受けた。ウィルキンソンは地味な練習をひたむきにやり続けていた。ゴールネットの同じ柱の同じ高さのところに向けて何本も蹴り続けていたという。



ラグビーの清宮克幸監督の息子さんが高校1年生で、早実の野球部で大活躍していることが話題になっているが、そのお父さんの清宮監督が監督として五郎丸選手のいる早稲田大学のラグビー部を率いていた。

清宮監督は、シークエンス・ラグビーという、チームとしての動きをあらかじめ決め、その順番に従って選手が動き、ボールも予定していたところに運ぶというラグビーをしていた。

タックルした後のボール争奪戦のブレイクダウンで1秒早く起き上がっていれば、次のブレイクダウンにも早く到着できて、ボールを奪われることがなかったのではないかという清宮監督のミーティングには衝撃を受けたという。

五郎丸選手は19歳で日本代表としてデビューした。大学2年生のシーズンでは大学選手権で関東学院を破って優勝、日本選手権ではトヨタを破って、18年ぶりに学生チームが社会人チームに勝利したが、次の東芝府中には0対43の完敗だった。

この試合を最後に清宮監督は退任し、次は中竹竜二監督が引き継いだ。大学3年の時は大学日本一の座を関東学院に奪われた。

早稲田のラグビー部は大学日本一になれないと、「荒ぶる」(あらぶる)という部歌を歌って、卒業する4年生を送り出せないという。



4年生の時は、バイスキャプテンとなり、大学選手権で優勝したが、このときは関東学院大学は部員の不祥事で出場を辞退し、決勝は慶應大学に26対6で完勝した。しかし関東と対戦することを目標にしてきた部員のモチベーションは上がらず、東芝府中に24対47で敗れた。

五郎丸選手は2008年に早稲田大学を卒業し、ヤマハ発動機ジュビロにプロ選手として入団した。しかし、モチベーションは上がらず、ラフプレーで6週間の出場停止処分を受ける。典型的な「ワセダ病」、つまり燃え尽き症候群に罹っていたという。

その後、JKことジョン・カーワン率いる日本代表に招集されるが、合宿最初のメニューで手抜きプレーをジョン・カーワンに見とがめられ、いきなり「帰れ!」と激怒された。

JK時代の日本代表ではあまり活躍できなかったが、JKとの1:1のミーティングで、JKから「過去」、「現在」、「未来」のボードを見せられ、「未来」を変えるには、「現在」のことを100%やることだと教えられたという。

2009年にはトップリーグでヤマハ発動機は前半戦5位まで順位を上げていたが、リーマンショックの影響で経営が悪化していた会社がラグビー部の活動を縮小し、プロ契約をやめ、社員契約の選手のみとすると発表した。

しかし、結果的にはプロ契約選手は社員契約選手として残り、社員契約選手はごっそり退社するという予想外の結果となった。

2010年のシーズンは、ヤマハは当初は連勝したが、部員数が36名と、他のチームの45名前後に比べて、層の薄さが目立ち、だんだんに自力の差が出てきて、トップリーグ11位となり入れ替え戦に回った。

五郎丸選手は広報宣伝部に配属され、社員として働くようになった。

ドン底だった2010年のシーズンが終わり、2011年のシーズンにはそれまでサントリーを率いてきた清宮監督がヤマハの監督として就任した。ヤマハの柳社長は、プロの監督を迎えてチーム再生を託したいと語り、清宮監督はいきなり「日本一を目指します」と目標を語った。

清宮監督は、毎朝一時間のレスリングトレーニングを取り入れ、妻帯者も寮で朝食と夕食を食べられるようにして、食事環境を改善した。これで選手の体格も格段に変化したという。

2011年12月には、このブログでも紹介しているエディー・ジョーンズが日本代表監督に就任し、五郎丸選手も代表に復帰した。エディー・ジャパンの最初の目標は「世界のトップテンに入ること」だったという。



「世界一フィットネスの高いチームになる。これまでのワールドカップで、日本は過去20年間勝てていないが、60分間は勝っていたゲームがある。残り20分間、ジャパンが運動量とペースを上げていれば勝てたのだ。だからフィットネスを上げる。練習の強度を上げる。そのために日本で最高のストレングス&コンディショニングコーチ2名を招いた。この2人のアドバイスのもとでハードワークすることで、今までとは違う次元のフィジカルストレングスを身につけられるはずだ。」と。

世界で一番フィットネスが高く、世界で一番優れたアタックをするチームになるのだと。

これを聞いて五郎丸選手は、「行ける」と思ったという。

エディー・ジャパンはカザフスタン、UAEのアジアチームのみならず、ヨーロッパのグルジア、ルーマニアにも勝利し、五郎丸選手はバイスキャプテンとしてチームに貢献した。

藤田慶和選手が史上最年少キャップ記録で代表デビューしてトライを重ねた。



2013年には筑波大学2年の福岡堅樹選手が代表入りしてトライを重ねた。頼もしいバックスがでてきたものだ。



世界一のフィットネスを目指すエディー・ジャパンで、五郎丸選手は体重が93キロから100キロ超に増えた。

エディー・ジャパンは2013年6月には来日していたウェールズを23対8で破り、IRB創設8カ国相手のテストマッチで、実に40年ぶり、最初の勝利だった。



本当に日本代表は強くなったと思う。今年9月から英国で開催されるラグビーワールドカップが楽しみだ。



ちなみに、この解説に出ている濱田岳は、AUのコマーシャルに金太郎役で出演している。



この本の最後に、NHKの番組でも紹介されていた五郎丸選手のキックのルーティンが紹介されている。

現在、五郎丸選手は29歳、バックスとしては、そろそろピークを過ぎてくる年代だと思うが、フィジカルの強さと正確なキックは日本代表の強力な武器となっている。

あの特徴あるキックのルーティンは見ていて楽しい。これからも引き続きトッププレーヤーとして活躍してもらいたいものである。


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2015年09月20日

祝 ラグビーワールドカップ日本代表 歴史的勝利! 再掲 エディー・ジョーンズの監督学

2015年9月20日再掲:

エディー・ジャパンがラグビーワールドカップで歴史的勝利を挙げた。なんと世界ランク3位の南アフリカにオーバータイムで逆転勝ちしたのだ。

早速Youtubeに映像が掲載されている。次の映像はスタジアムで観戦していた人が取ったビデオだ。観客の歓声も入って臨場感抜群だ。



エディー・ジョーンズが目指していた「世界一フィットネスが高いチーム」が、実現した。80分戦い抜いて、南アフリカ代表も疲れていたオーバータイムの84分に、日本代表がトライを決めたのだ。

84分の死闘を戦い抜く体力を備えたチームだ。

いままでのフィットネストレーニングが、この結果を生み出したことは間違いない。優れた戦略と実現力を持つヘッドコーチに恵まれたものだ。

このブログで取り上げている五郎丸選手のいう通り、まだ一つの歴史を変えただけだ。試合はこれからも続く、是非さらに上を目指して、頑張ってほしい。



歴史的勝利を記念し、上を目指して頑張るエディー・ジャパンのために、「エディー・ジョーンズの監督学」のあらすじを再掲する。


2013年6月6日再掲:

ラグビーワールドカップの準備がいよいよ始まった。

試合開催地に応募する自治体への説明が6月から始まり、2015年3月に最終的に試合開催地が決まるスケジュールとなっている。

RWC2019_newsletter1305_vol 11_ページ_3
















ラグビーワールドカップ2019の基本方針は次の4つだ。

RWC2019_newsletter1305_vol 11_ページ_2
















出典:いずれもラグビーワールドカップ2019組織委員会ニュースレター

今行われているパシフィックネーションズカップでは、国際ランキング上位のトンガ、フィジーと連敗を喫しているが、エディー・ジョーンズ監督の指導のもとに選手が奮起して、次のウェールズとの試合(リポビタン・チャレンジ・カップ)には是非勝ってほしいものだ。

2019年ワールドカップ準備の成功と、エディー・ジョーンズへの応援エールもこめて、「エディー・ジョーンズの監督学」のあらすじを再掲する。


2013年3月10日初掲:

エディー・ジョーンズの監督学 日本ラグビー再建を託される理由エディー・ジョーンズの監督学 日本ラグビー再建を託される理由
著者:大友 信彦
東邦出版(2012-08-23)
販売元:Amazon.co.jp

ラグビー日本代表監督のエディー・ジョーンズについて、ラグビーに関して多くの著書を出しているフリーランスジャーナリストの大友信彦さんがまとめた本。

ラグビー日本代表GMの岩渕健輔さんの「世界で勝たなければ意味がない」は、以前紹介した。

世界で勝たなければ意味がない―日本ラグビー再燃のシナリオ (NHK出版新書 392)世界で勝たなければ意味がない―日本ラグビー再燃のシナリオ (NHK出版新書 392)
著者:岩渕 健輔
NHK出版(2012-11-07)
販売元:Amazon.co.jp

岩渕さんの描いた日本代表強化策を現場で実践するのがエディー・ジョーンズだ。

前日本代表監督のジョン・カーワンは、ニュージーランドのオールブラックスで10年間代表としてプレーし、第1回ラグビーワールドカップでは80メートルを独走する伝説のトライを決めたスタープレーヤーだ。



日本での選手経験や、イタリア代表チームの監督経験もあり、まさに最適の人材と思ったが、もっと適任の人物が日本にいた。

エディー・ジョーンズは1960年、オーストラリア・タスマニア島生まれ。オーストラリア人の父とアメリカ人の日系2世の母との間に生まれた。

173センチ、82キロとラグビープレーヤーとしては小柄だが、フッカーとしてクラブチームなどで活躍。オーストラリア代表に選出されたことはない。

教師の資格を持っており、一旦はラグビーから離れて、教師として教えていた時に、日本人の妻と知り合って結婚する。1995年から日本に来て、東海大学のラグビー部のコーチとなり、日本代表のアシスタント・コーチとしてフォワードを教える。

1998年からはスーパーラグビーリーグに属するオーストラリア・ACTブランビーズの監督として、スーパー12に参戦し、2001年シーズンには優勝する。

2001年にオーストラリア代表ワラビーズの監督となり、2003年ワールドカップ決勝戦では、惜しくも延長戦で英国に敗れ、準優勝となる。



その後、2007年ワールドカップでは南アフリカ代表の助監督として、南アフリカ代表の優勝に貢献した。



その後はイングランドのサラセンズの監督を経て、2009年からサントリー・サンゴリアスの監督に就任し、2010年から2011年のシーズン2連覇を達成した。

そして2015年ワールドカップまでの任期で、2012年に日本代表監督に就任した。

この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして目次を見てほしい。

最初にエディー・ジョーンズの生い立ちからラグビープレーヤー時代、指導者としてのキャリアを紹介し、サントリー・サンゴリアスでの戦い方、日本ラグビーの再建へという構成になっている。

エディー・ジョーンズの目標は、日本代表を世界一フィットネスの高いチームに作り上げることだという。

日本代表チームは、ワールドカップで過去20年間1勝もしていない。60分間はいい試合ができたが、最後の20分で力尽きるパターンが多い。

筋肉を増強する。最後の20分間にペースアップできるようなフィットネスを身につける。そして世界一のアタッキング・ラグビーを目指すのだ。

"TOO, HIGH, TOO HIGH"。エディー・ジョーンズが1996年に日本代表のアシスタント・コーチに就任した時に、練習で選手に呼び掛けていた言葉だという。

2012年には総合格闘家の高阪剛を臨時コーチに招いて、タックルの指導を受けた。体重が重い相手と同じスピート、同じ高さで当たったら、間違いなく重い方が勝つ。



負けないためには、こちらが低くならなければならないのだ。その点を、高阪に指導を受けた。

「絶対に頭を下げない。相手から目を離さない。」

「その低い姿勢を取った時の景色を覚えておいてください。覚えていれば、自分が正しい姿勢を取れているかどうか、考えなくてもわかるようになります。」

オーストラリアのナショナルチーム・ワラビーズは南アフリカなどのチームと比べると、体格的には劣る。エディー・ジョーンズは、「オーストラリアには大きい選手がいないんです。日本と変わらないよ(笑)」と言っていたという。

日本代表でも、スクラムでも、ラック、モールでも低く当たることが絶対に必要なのだ。

エディー・ジョーンズがオーストラリアのブランビーズの監督になった時に、取り入れた戦法が「シークエンス戦法」だ。

これは、ボールを持ったプレーヤーがタックルされる場所(クラッシュポイント)をあらかじめ想定しておき、そこに走り込むプレーヤー、次のボールは誰から誰にまわし、そして次のクラッシュポイントには誰が入るというシナリオを事前に意識して戦うのだという。

相手に攻撃権を渡すキックは控え、極力つなぐラグビーで陣地を取る。

ねちっこいラグビーが見られるだろう。

エディー・ジョーンズの最後の20分もペースが落ちない世界一フィットネスの高いチームを作るという基本方針は正しいと思う。

2015年ワールドカップの組み合わせはすでに決まっている。ぜひともアジア一位となって、POOL Bに入り、勝利を挙げてほしい。

エディー・ジョーンズの戦法はオーソドックスであり、日本ラグビーにぴったり合っていると思う。

今後のラグビー日本代表の奮闘に期待したい。


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2015年08月13日

ライザップでなくても8キロ減量! バナナダイエット成功!

一生太らない体のつくり方
石井 直方
エクスナレッジ
2008-01-17


パワーリフティングやラグビーをやっていた昔ならともかく、60歳を超えて88キロもあるのは重すぎということで、今年4月から本気で減量に取り組んだ結果、とりあえず8キロ減に成功!久しぶりに体重が80キロを下回った。

これがダイエット食だ。

diet1























昼は会社の食堂で、ざるそばや、時間がなければコンビニで買ったサンドイッチ。

家で食べるときは毎食バナナ+豆乳+プロテインのバナナシェイク1杯と、スモークチキン(朝1本、夜2本、ファミマで売っている)とバナナ1本。つまり毎食バナナ2本食べていた。




このマイボトルブレンダーがスグレモノだ。簡単にシェイクができ、ボトルからそのまま飲めて、洗うのもカンタン。プロテインも完璧に溶ける。




甘熟王のシェイクはうまい!シェイクにすると甘熟王の甘さがわかる。

フィリピン産 甘熟王バナナ(かんじゅくおうばなな) 6.5kg 9パック入り(4〜5房/1パック)ワンランク上 甘い バナナを毎日食べて毎日元気モリモリ♪【高地栽培バナナ】05P01Mar15
フィリピン産 甘熟王バナナ(かんじゅくおうばなな) 6.5kg 9パック入り(4〜5房/1パック)ワンランク上 甘い バナナを毎日食べて毎日元気モリモリ♪【高地栽培バナナ】05P01Mar15

バナナの甘味で、豆乳のちょっと青臭いような味も消え、調整豆乳(やはり紀文のものが一番いい)との相性も抜群。







ビタミン+ミネラルはサプリ。飲み物はBCAA 4000MGのアミノバリュー。




バナナのカロリーは低いが、栄養バランスはよく、食物繊維も含んでいる。ノンあるいはローカーボダイエットではないので、体調も良好。プロテインも十分摂っているので、トレーニングしてパワーもそこそこ維持できる(バナナ・シェイク1杯で、プロテインが30グラム摂れる)。

ライザップに行かなくても減量はできる!妻の協力も大きかった。



是非、甘熟王バナナのプロテイン・シェイク・ダイエットを試してほしい。


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2015年06月28日

筋トレをする人は、なぜ、仕事で結果を出せるのか? アバウト過ぎないか?



学生の時は東北大学ボディビル部の主将だったという千田拓哉さんの「99冊目」の本。

そんなたくさんの本を書いているとは知らなかったが、筆者はこの本が初めて読んだ千田さんの本だ。

タイトルからして、たぶんアバウトな本だと予想していたが、予想通りアバウトな本だ。

千田さんは、学生時代東北大学のボディビル部の主将だったそうで、全日本パワーリフティング大会で100キロ超級で2位に入賞したことがあると。

東北大学のボディビル部には知り合いがいるので、今度評判を聞いてみようと思う。

この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、次をクリックして目次を見て欲しい筋トレをする人は、なぜ、仕事で結果を出せるのか? [単行本(ソフトカバー)]アバウトな目次が並んでいる。

筆者が気になるのは、目次の29の「大学デビュー同士の競技なら、東大生が強い」だ。

東大はかつて関東学生ボディビル大会では、11連勝したことがあり、最近は関東学生パワーリフティング大会で2連勝している。

ラクロスとかも結構強いが(2014年のシーズンで関東学生1部リーグA組2位で、決勝トーナメントに進んだ)、たとえばアメフットとか、フィールドホッケーとかは抜群に強いわけではない。

また東大が強いなら、京都大学や東北大学だって、それぞれの地区では強いはずだが、そういった話はない。

パワーリフティングやボディビルは東大生に向くスポーツだと思うが、東大のパワーリフティングやボディビルが強いといっても、一般化はできないと思う。

この他の千田さんの本のタイトルを見ると、このブログでも本を紹介している中谷彰宏さんと同じ様な路線で行こうとしているように思える。

しかし中谷さんはゴーストライターを使っていても、巻頭の3行の本の総括はたぶん自分で書いており、読者のご意見は、必死に読むと巻末で語っている。たぶんそうしているのだと思う。

だからあれだけ多作にもかかわらず、それぞれが良く売れている。

中谷彰宏さんの境地に達することができるのか?

千田さんにやや仲間意識を感じるので、はやくその域に達して欲しいものである。


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2014年09月13日

深読みサッカー論 ブラジルワールドカップ前の対談

深読みサッカー論 (日経プレミアシリーズ)
山本 昌邦
日本経済新聞出版社
2014-04-09


ブラジルワールドカップ直前に出された元オリンピック代表監督の山本昌邦さんと日経新聞編集委員の武智幸徳さんの対談。

実は日経新聞の企画で、この二人がブラジルワールドカップ直後に町田で対談したので、その対談を聞いてから、この本を読んでみた。

筆者は湘南高校でサッカーをやっていたので、興味深く読めた(ボールセンスがないので、サッカーは2年であきらめ、3年生からは受験勉強に専念したが)。

日本人初のブンデスリーガーとして活躍した奥寺康彦さんは、筆者が湘南高校1年の時の相模工業大学付属高校(今の湘南工科大学付属高校)3年生で、湘南高校サッカー部は関東大会県予選決勝まで行って、奥寺さんを擁する相工大付属に3:1で負けた。

奥寺さんはその後、古河電工を経て、ドイツのIFCケルン、ヘルタベルリン、ヴェルダー・ブレーメンと合計10年間ドイツで活躍した。

山本昌邦さんは、年次で言うと筆者の4年後輩だが、同じ年代なので、対談もこの本も楽しめた。

ブラジルワールドカップではドイツが優勝した。



2014年4月に出たこの本では、決勝戦ではブラジルとアルゼンチンの南米対決を、その可能性は高いとして予想していながらも、ドイツをヨーロッパ勢の中では最も期待できると評価している。

一人一人がメンタル的にも強く、タフな環境にも強い。流れを変えられる選手が何人もいるし、何よりもチームが成熟しているから隙がないし、交代のカードがことごとくいい仕事をしていると山本さんは評している。

「ここというときの75分から90分が非常に強い。おそらく決勝トーナメントに進んで延長戦になったら、ますます力を発揮すると思います。

勝負所で強いというのは、交代のカードで入ってきた選手が、みんなものすごく仕事をするからなんですね。疲れた相手の弱いところをどんどん突くし、自分たちがちょっと苦しくなったときに、疲れた仲間をしっかりカバーできる。そういう力があります。」

まさに山本さんの予言的中だ。

参考になったのは、チェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督の話だ。

もともとボビー・ロブソン監督の通訳としてポルトガルのスポルティング・リスボン、ポルトで働いていたが、監督として大成し、いまはチェルシーの監督だ。

モウリーニョは試合の展開を読み切って作戦を立てるという。

ある想定練習をしていると、それに異論を唱えたプレーヤーに「いや、俺たちがリードしていると、あの選手はこの時間帯に必ずピッチに送り込まれてくる。これは、俺たちが勝っている状況での、残りの15分のシナリオなんだ」と説明するのだと。

それで翌日の試合ではモウリーニョが言った通りに、その選手が想定したとおりのポジションで出てくる。

それでモウリーニョの選手たちは、「おおっー」、「うちのボスは何でもお見通しだ!」となる。

中田英寿も、個別の局面についての視点が優れているという。

山本さんは、海外のメディアの試合前の監督インタビューでの、援護射撃について語っている。

海外メディアは、自国の選手を持ち上げて、強い印象を相手チームに植付けようと、「あの選手はヘディングが強いが、どう守るつもりだ」みたいに、監督に単刀直入に聞いて、自国チームの援護射撃をするのだと。

日本のメディアにも、チームと一緒に戦って欲しいと注文を付けている。

日本には高校サッカー、大学サッカーという学生を育てるという意味では、世界でもダントツのクオリティの育成の仕組みと組織があると、山本さんは語る。

トルシエもジーコもオシムも全国高校サッカー選手権を見て、驚いていたという。

あとがきで、武智さんは山本さんの懸念を紹介している。

「強気な山本氏が不安視する数少ない要素に「監督力」がある。山本氏の目には、日本代表を率いるアルベルト・ザッケローニ監督のチーム運営はどちらかというと「信頼」をベースにしたクラブの監督っぽく映るようだ。

プロ野球の日本シリーズで勝てる監督は、1、2戦までに使える選手と使えない選手の峻別をやってのけるというが、短期決戦のワールドカップも時に監督には果断が求められる。

サッケローニ監督は「勝負師」になれるかどうか。そこは私も注目したいところである。」

まさにこの不安が的中した。試合中のメンバー交代やポジションチェンジのちぐはぐな指令。だから負けたというわけではないが、結局交代のカードを切って試合の流れを変えるとか、最後の15分に集中するとかいった戦いかたができなかったことは事実だ。

予定通り後半30分だけにドログバを投入して、日本を逆転したコートジボアールの戦いかたは見事だった。(YouTubeには日本語解説のものは見つからないので、解説はロシア語か東欧系の言葉ではないかと思う。たぶん著作権の関係だろう)



ギリシャ戦では一人少ない相手に対して、攻めあぐねた。



コロンビア戦では、守りの弱さを修正できなかった。



町田での講演では、山本さんはブラジルの試合会場のコンディション(たとえばレシフェは気温30度以上で、雨が多く、湿度80%!)にもふれており、スペインなども含め、涼しいところでキャンプしていた国は大体敗退したと言っていた。

またサブ組は、ワールドカップ期間中、トレーニングマッチの準備がなく、準備不十分だったと。

コートジボアールとの試合でも、日本選手で試合中に10キロ以上走った選手は5人しかいなかった。タックル成功率も60:40で負けていた。メンタル面も含め、コンディショニングに失敗したのだ。

Jリーグで優勝したサンフレッチェ広島のように、球際に強く、シュートブロックやタックル成功率が高いチームが勝ち残った。特にアルゼンチンのマスチェラーノのタックル成功率は驚異的だったと語っていた。


悪い予感が当たったという結果となった日本のワールドカップでの戦いだった。

いまさら読もうという気にならないかもしれないが、読んでみれば楽しく読めて参考になる本である。


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2014年07月24日

Jリーグ再建計画 新旧チェアマンによる継続的改善



2014年1月末にJリーグチェアマンを退任した大東さんと、後任チェアマンの村井さんの本。サッカーライターの秋元大輔さんが構成(ライティング)している。

大東さんがJリーグチェアマンを務めた3年間で、クラブライセンス制の構築、J1昇格プレーオフ導入、ポストシーズン制、J3創設など、様々な改革が推進され、大東さんは2014年シーズンが始まる前にリクルート出身の村井満氏にチェアマンを引き継いだ。まさに継続的改善だ。

大東さんは筆者の会社のラグビー部のチームメートで、一緒にスクラムを組んだ。今でも年に1〜2回は当時のメンバーで集まっている。

4月の大東さんのチェアマン退任慰労会で、大東さんがJリーグの広告代理店を変えたという話をされていたので、筆者は単純に電通の方がスポーツには強いのだなと勘違いしていた(筆者は博報堂との合弁会社に4年半出向していたので、広告業界はある程度知見がある)。

しかし、この本を読むと、電通が博報堂より強いとかいったレベルの問題ではなく、電通と博報堂の力をもってしても、スポンサーが集まらない今のJリーグの窮状がよくわかる。

Jリーグの現状

そもそもJリーグが赤字になりそうなことは、この本を読んで初めて知った。

Jリーグは2015年からのポストシーズン制導入を決定した。2014年のJリーグ収入が最大13億円減収になるという予想が出たことがきっかけとなった。

13億円減収となると、クラブへの分配金を減らさなければならないが、経営体質の弱いクラブにダメージを与える恐れがある。

年間1ステージのホーム&アウェイ方式が理想だが、ポストシーズン制を導入すれば増収につながるという見込みが立ったので、やむなくポストシーズン制を導入したというのが今回の制度改定の背景だ。

スーパーステージ












出典:Jリーグプレスリリース


Jリーグの収益構造

Jリーグの収入は、大体年間120億円で、放映権料(毎年50億円程度)、協賛金(トップパートナー全12枠、約40億円)、入場料30億円という構成だ。

Jリーグのテレビ視聴率と一試合平均の入場者数の推移は次の通りだ。

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出典:本書16ページ

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出典:本書22ページ

視聴率が上がらないとNHK、TBS、スカパーの3社との放映権料交渉も難航する。

協賛金に至っては、Jリーグ発足以来の広告代理店で、ファミリーともいえる博報堂が買い取っていたが、12社のパートナー=広告主を確保できないので、穴埋めのため毎年赤字取引になっていたという。

博報堂が2005年に東証一部に上場されたことから、赤字取引にメスが入り、2011年から電通も加わった。しかし博報堂と電通の力をもってしても、新しいパートナーは日本マクドナルド1社のみに留まっている。

Jリーグチームも赤字のチームがあり、責任企業から補てんを受けられないチームは、時々経営危機が表面化する。

岡田武史元日本代表監督は、今年で22年目を迎えるJリーグについて「最初の10年で選手がプロになり、次の10年で監督がプロになった。最後に残ったのは、経営者のプロ化だ」と語っているそうだ。しかし、言葉では「プロ化」とか言えても、会社経営と同じで、クラブ経営は簡単なものではない。


Jリーグが4大リーグのファーム化?

次の表はJリーグから海外移籍した選手のリストだ。

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出典:本書29ページ

世界のサッカーマーケットは欧州を中心に動いている。実力のある選手はJリーグから4大リーグ(スペイン、イタリア、イギリス、ドイツ)などへ移籍する。4大リーグの放映権料が高騰し、ローカルリーグが4大リーグのファーム化するのは世界で見られる傾向だ。


アジア戦略

アジアでもJリーグチームが勝てなくなっている。

ACL優勝は2007年の浦和レッズ、2008年のガンバ大阪の後は出ていない。最近ではACLで早期敗退するチームが続出している。中国の富裕クラブ(たとえば2013年に柏レイソルに合計8:1で勝った広州恒大は年間予算100億円と言われている)やオイルマネーがバックにあるクラブチームに勝てないのだ。

東南アジア初のJリーガー、ベトナムの英雄レ・コンビンのJ2コンサドーレ札幌加入は、Jリーグの新たな可能性を示した。ベトナムのテレビ局がコンサドーレ札幌の試合を生中継したり、パブリックビューイングも開催された。

レ・コンビンの移籍交渉がまとまらず、在籍はわずか6か月間だったが、アジアにおけるJリーグの認知度を上げ、Jリーグのアジア戦略の重要性を示した効果は大きい。

Jリーグでは、外国人枠3人のほかに、アジア枠が1名あった。2014年からは提携国枠として1名設けて、東南アジア選手の獲得がしやすいように制度変更をしている。


Jリーグチームの活性化策

この本ではJ1チームの活性化策の例として、横浜Fマリノスを紹介している。マリノスは日産を責任企業として持つが、2012年末で16億円の累積赤字を抱えていた。

マリノスの観客数はマリノスのリーグ順位上昇とともに増加し、2012年(4位)から最終節で優勝を逃した2013年には約25%増え、単一試合の62,632人はJリーグ記録を塗り替えた。

マリノスは日産で成功したクロスファンクショナルチームの考え方を導入した。

ホームタウンの横浜市港北地区担当の港北プロジェクトチーム、試合に行ったことのない人をスタジアムに行ってみようという気にさせるプロモーションチーム、試合結果にかかわらず試合に行った人がいい印象を持って帰るようホスピタリティ向上をめざすホスピタリティチームの3つが共同で作業している。

たとえば港北区の25の小学校に毎年トップチームの選手を2名ずつ派遣する活動や、児童全員のマリノスの選手名鑑と試合予定をプリントした下敷きとクリアファイルを配る活動、同じ横浜をベースとする横浜ベイスターズとのタイアップなどの活動を行っている。


J3創設

2014年よりJFLからJリーグ昇格をめざす12チーム(1チームはJ1とJ2のU22選抜)でJ3が誕生した。これでJ1、J2、J3あわせて51チームとなり、36都道府県をカバーすることになった。

J3は小さい予算規模でもまわるように配慮されている。プロ契約選手は3名以上(J2は5名以上)、予算規模は1〜3億円を想定している。

選手としての年俸は無給〜月20万円程度でも、それ以外の仕事をもつことで生計を立てているケースが一般的で、Jリーグ事務局では選手の食と住確保を各J3チームに要望している。

たとえば筆者が住んでいる町田市のチームの町田ゼルビアでは、クラブ社長イーグル建創社長)が建設関係の仕事をしているので、選手を手ごろな物件に安く住まわせ、地元の食堂と提携して1食あたり500円の食費援助を行っているという。

Jリーグでは選手育成のために、全クラブにアカデミー組織の保有を義務付けている。アカデミーからトップチームに昇格できなかった選手の大半は大学に進学し、大学サッカーのレベルアップに貢献している。


2050年までに自国W杯開催・優勝

日本サッカー協会では2050年までに自国でワールドカップを開催し、優勝することを目標に掲げている。Jリーグでは、ACLのタイトルを奪還することが、目標の一つだ。

2013年からJリーグではACLクラブサポートプロジェクトをスタートさせ、日本サッカー協会とともに遠征費や強化費といった費用援助や、日程調整についても協力することを表明している。

過密スケジュールとともに、足枷となっていた「ベストメンバー規定(先発メンバーは直近のリーグ戦5試合の内1試合以上先発出場した選手を6名以上含まなければならない)」も、プロA契約6名以上と緩和された。

選手の平均年俸は現在J1で2,000万円、J2で700万円だ。J2選手の中には年俸300万円程度の選手も多いという。もっと選手の年俸を上げていかないと、将来的にJリーガーを目指す子供が少なくなってしまうかもしれないと両チェアマンは危惧する。


W杯自国開催・優勝というのは、遠い目標だが、それに向けて一歩一歩近づけることはできるはずだ。

筆者は高校2年生まで湘南高校サッカー部に属し(下手なので3年になって辞めた。OB会には属していない)、最初の駐在地アルゼンチンではリーベル・プレートのソシオ(公式サポーター)だった。

プレーヤー歴としては会社に入って始めたラグビーの方が長いが、サッカーに対する愛情も強い。

Jリーグの関心度低下やJリーガーの年棒アップなど、簡単に解決できる問題ではないが、Jリーグの窮状を知り、ファンとして応援することで、Jリーグを盛りたてようという気持ちになった。


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2014年04月26日

関西学院大学と慶應義塾大学のラグビーの試合を見た

会社の先輩にチケットをもらったので(もともと無料ではあるが)、久しぶりに秩父宮記念ラグビー場で関西学院大学と慶應義塾大学のラグビーの定期戦を観戦した。

img017













































高校の定期戦もやっており、高校は関西学院、大学は慶應が勝った。

大学の定期戦は結果は33:54と差がついたが、前半は一時関学がリードしており、試合としてはほとんど互角だった。

練習試合なので、後半は両方ともサブの選手までどんどん入れて、ほとんど1.5軍という感じになっていたが、多くの選手が参加できるのも、定期戦の良いところだと思う。

ちなみに慶應大学の校歌は「若き血」だと思っていたが、これは応援歌で、全然違う校歌があったことを初めて知った。





筆者も昔ラグビーをやっていたので、秩父宮で会社のラグビー部の記念試合をしたことがある。30年ちかく前の話だ。

その時は冬だったこともあり、芝がはげていて、日本を代表するラグビー場がこんな貧相なグラウンドではみっともないと思ったものだ。

現在の秩父宮ラグビー場は、芝の状態はよく、選手は気持ちよくプレイできたと思う。

ラグビーのルールは毎年のように変わる。だいたいは昔からのルールの一部変更が多いが、今回観戦していて「ハンド」という反則は理解ができなかった。

たぶん密集のラック(ボールが地面についた状態)で手を使って、ボールを掻き出すのが「ハンド」なのではないかと思うが、確信はない。

スクラムもフロントローがいったんゆっくり組み合って、次にバックローが加わって全力で押すような、2段階で組む形となっており、ちょっと前のスクラムのルールの「クラウチ」、「タッチ」、「エンゲージ(セット?)」とは異なっていて感が狂う。

ともあれ、天気も良く、点の取り合いで、大変楽しめるゲームだった。また機会があれば、ラグビーの試合を見に行こうと思う。


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2014年03月15日

やっと腑に落ちた筋力低下の理由

多くの企業の健康保険組合を通じて健康ポイントを運営しているKENPOSのイベントに行った。

第1部は健康に関するセミナーと実技、第2部は話題のパフォーマンスユニット、WORLD ORDERのライブだ。

筋力低下に歯止めをかけるべく、昨年からGOLD'S GYMに行って、毎週ウェイトトレーニングをやっているが、せいぜい筋力維持程度で、なかなか記録が戻らないので、おかしいとおもっていたが、今回のKEPOSのセミナーではっきりわかった。

要は加齢による筋力低下が1年で1%程度、じわじわと起こっているので、自分では体重も変わらないし、体型もあまり変化がないように思える。しかし、20歳の時と比べると、たとえば足の筋肉では50%程度も落ちているのだ。

ネットで検索してみたら、KEPOSセミナーで説明していたものと、同様のスライドが見つかった。

加齢変化



















足の筋肉断面積だと、もっと衝撃的だ。

加齢変化






















30代はじめまではラグビーをやっていたこともあり、既製服のスーツのズボンでは胴回りはあっても、脚が入らないので、常にスーツは仕立てていた。ところが、だんだん既製服のスーツでも、BB体とかBE体とかなら着られるようになってきた。

既製服が着られるようになって喜んでいたが、実際には脚の筋肉が落ちて、太ももが細くなったから既製服のズボンが切られるようになったのだ。

しかしその変化は1年に1%とゆっくりで、自分ではわからなかったのだ。

これで、昔の筆者を知っている人から、ちいさくなったといわれる理由がわかった。いままでは、体重が昔と変わらないので、おかしいと思っていたが、まさに腑に落ちた。

KENPOSセミナーでは、60歳以上でも週3回のトレーニングを3か月続けると、9%筋力が回復した例があると説明していた。

男性の平均寿命は79歳だが、健康年齢はだいたい70歳をすぎたくらいまでだという。

つまり、70歳を超えると、そのあとは寿命の79歳まで、8〜9年間は杖などの補助具や、やがては車いすをつかったりして、行動するしかなくなるわけだ。

自分の足で行動できる健康年齢を、1歳でも2歳でも伸ばすためには、筋力維持が絶対必要なのだ。

特に重要なのが、全身の筋肉量の7割を占める、下半身の筋肉だ。下半身の筋肉強化は、歩くことでもできるし、亡くなった森光子さんのように、自宅で毎日スクワットをやっても維持できる。

いままで週1回くらいしか、GOLD'S GYMに行けなかったが、やはり週3回はトレーニングする必要があることを痛感した。

ジムに行く回数を増やすとともに、ジムに行く時間が取れない場合は、自宅でもできるダンベルを使ったトレーニングや、スクワットなどを取り入れてメニューをつくろうと思う。

第2部のWORLD ORDERのライブも大変楽しめた。

前のボタンも留めて、きちっとしたスーツ姿で、ステージであれだけ激しい動きをしていながらも、顔に汗をかいているのは、写真の中段右にいる、ちょっとがっしりした体のメンバー1人だけだったことが印象的だった。

リーダーの須藤元気や、写真の後列右のメガネのとっちゃん坊やも、汗をかいていたが、他のメンバー同様に汗びっしょりという感じではなかった。よっぽど鍛えているのだと思う。

World Order





















出典: WORLD ORDERサイト

WORLD ORDERのビデオはYouTubeでも載っているので、いくつか紹介しておく。





見ていて大変面白いパフォーマンスである。


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2014年03月06日

なでしこ力 女子サッカー日本代表監督佐々木則夫さんの本






会社で佐々木則夫さんの講演を聞いたので、読んでみた。

ちょうどソチ冬季オリンピック開幕前だったので、「今の時期は、なでしこは"ソチのけ"で…」とかいったおやじギャグを飛ばすノリの人だった。

レジリエンス・ジャパン(国土強靭化計画)のポスターでは精悍なイメージがあるが、めちゃくちゃ面白い人だ。

佐々木監督








































出典:国土強靭化HP

講演を聞いただけだったら、「人を楽しますことを常に心がけている気配りの人」という印象で終わっただろうが、本を読んで驚いた。

帝京高校のサッカー部が全国優勝した時のキャプテンなので、都会出身の順調な人生を送ってきた人かとおもったら、大変な苦労人だった。


「観葉植物」

この本で「観葉植物」という一節がある。ここで佐々木さんの生い立ちを書いている。

佐々木さんは山形県尾花沢市出身。関東地方に出稼ぎに出ていた両親と別れて、山形の祖母の家に預けられていた。一人っ子だったので、おばあさんと二人で暮らし、佐々木さんが小学校2年の時におばあさんを看取った。

だんだん衰弱していくおばあさんに気づいて、常におばあさんのことを気遣っていたから、相手を気遣う性格が養われたのだろうと。

おばあさんが亡くなると、両親と一緒にお父さんの土木工事会社の従業員との共同生活を始めた。

土木工事会社なので、作業現場に近いところに住み、現場が変わると、また次の現場の近いところに住むということで、毎年のように転校していたという。転校ばかりしていたので、悪い仲間に誘われ万引きの見張りをやらされそうになったこともあった。

6年生のころは、サッカー仲間が出来た学校から転校するのが嫌になり、2時間かけて通って、友達の家に居候させてもらった時期もあったという。

埼玉県の芝中学時代は足が速く、運動神経抜群だったので、1年生でレギュラーになったが、スキーに行って足を怪我してしまい、その後怪我の連続で、結局公式戦は出場ゼロだった。

中学のサッカー部の先生の口利きで、帝京高校に入り、持ち前の走力を生かして1年生からレギュラーになり、帝京高校サッカー部のキャプテンで高校日本一となり、高校全日本代表チームのキャプテンを歴任した。

明治大学を経て、ノンプロのNTT東日本(現在の大宮アルティージャ)に就職してからも貧乏くらしだった。

今の奥さんと付き合っていて、実家に招いた時に、畳の隙間から雑草が生え出ていたのを、「観葉植物」だと冗談で言った。これで嫌気がさすようであれば、付き合うのをやめようと思っていたという。幸い奥さんは気にせず、結婚して今はお嬢さん一人と犬がいる。

これが「観葉植物」の由来だ。


男子選手と女子選手の違い

佐々木さんはNTT東日本で現役サッカー選手を引退後は、サッカー部の監督もやったが、24年間ずっと平社員だった。NTT東日本時代は、滞納者からの未払い料金回収や、利用者の苦情に対応する電話料金担当や、広報担当などをやっていた。

料金担当は、ユーザーから様々な要望が寄せられるので、臨機応変な対応が求められ、やりがいのある仕事だったという。その経験がコーチ業にも活かされている。

その後、日本女子サッカー代表チームのコーチに就任した時、すぐに足を怪我して、選手の練習に付き添えない状態だった。

この時、冗談まじりで「コーチになったけど、怪我したので、すぐにクビかも」と一人の女子選手に言ったら、チーム全員が佐々木さんを気遣っていたという。

女子選手はみんな相手を気遣う気持ちが強いので、たとえコーチであっても、誰かの不安が伝播して、共有してしまい、チーム全体の士気に影響することを初めて知ったという。

佐々木さんは講演の中で、「必ずやろうと思うこと」の一つに、「トイレ使用後、トイレットペーパーを三角に折ること」を挙げていた。

筆者はトイレットペーパーを三角に折るのは、掃除の人が掃除が終わった印だと思っていた。まさか、男性で三角に折る人がいるとは!初めて知った。佐々木さんの人柄を表しているエピソードだと思う。

この辺が気配りの人・佐々木さんが女子サッカー指導者としてまさにハマるところだろう。


指導者の11の心得

佐々木さんの指導者の11(イレブン)の心得は次の通りだ。

1.責任
2.情熱
3.誠実さ
4.忍耐
5.論理的分析思考
6.適応能力
7.勇気
8.知識
9.謙虚さ
10.パーソナリティ

講演では、ここまでをスライドで示し、そして次のスライドで、11.コミュニケーションと追加した。

まさにコミュニケーションの達人、佐々木さんが最も言いたいところだろう。

しかも、これらの11項目は、足し算ではなく、掛け算で、一つでもゼロがあるとすべてがゼロで、その人に指導者の資格はないと語る。

サッカーはチームとしての「集団的知性」(”多くの個人が協力したり切磋琢磨しあうことにより、その集団自体に知能や精神が存在するかのように見える知性”)が大事で、めざすはソーシャル・フットボールだと講演でも語っていた。

しっかりとした考え方のもとで、チームを育成する様々な気配りの一端が紹介されている。

なでしこらしい選手のイメージは、ひたむき、芯が強い、明るい、礼儀正しい、の4つだ。他国のチームの選手が、試合前に上着を投げ捨ててスタッフに拾わせているのに対し、なでしこジャパンの選手は自分できちんと折りたたんで、並べて置いて、他チームの監督にも感心されたことがあったという.

ちょうどアルガルベカップが開幕したところで、なでしこジャパンは世界最強の米国と引き分けた。 ぜひ優勝めざして頑張ってほしい。



なでしこジャパンを率いるのに最適の人。それが佐々木監督だと思う。これからも、なでしこジャパンを応援したくなる本である。


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2014年01月24日

スロトレの元祖 東大石井教授のミスター日本優勝ビデオ

このブログで大ベストセラーとなった「スロトレ」や「筋肉まるわかり大辞典」などの著作を紹介している東大の石井教授は、1981年と1983年の2回ミスター日本になっている。

スロトレ
石井 直方
高橋書店
2004-06-18


石井直方の筋肉まるわかり大事典
石井 直方
ベースボール・マガジン社
2008-11-22



最初にミスター日本になった時のコンテストの模様がYouTubeに公開されているので紹介しておく。



そうそうたるボディビルダーに続き、17:40頃から20:30頃まで石井教授が登場する。石井教授の後は、ゲストポーザーの杉田さんと須藤さんで、最後に表彰式の場面が収録されている。

石井教授の前が白田さんといって、石井教授より1年年上、学生ボディビル出身のライバルだ。

ボディビルは、バルク(筋肉の量)と、ディフィニション(キレ)の両方で審査する。

いずれのボディビルダーも鍛え抜いているが、そのなかで優勝するほどのボディビルダー現役時代の石井教授のすごさがわかると思う。


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2013年07月28日

月刊ボディビルディング 石井教授のミスター日本DVD付き

ボディビルディング 2013年 09月号 [雑誌]ボディビルディング 2013年 09月号 [雑誌] [雑誌]
出版:体育とスポーツ出版社
(2013-07-25)

学生の時は毎号買っていた「ボディビルディング」の最新号に、「スロトレ」で有名な石井直方東大教授がミスター日本になったときのDVDが付録でついている。

石井教授はYouTubeでも、トレーニングするとなぜ筋肉が太く強くなるのか研究しているが、実はよくわからないことが多いと説明している。



石井教授は1981年と1983年にミスター日本になっているが、付録は1983年の優勝の時のものだ。

ミスター日本と、この時からはじまったミス日本ボディビルコンテスト第1回の模様が収録されている。ミスター日本は全部で60分余りで、石井教授のポージングは43分過ぎから、優勝決定は54分頃に収録されている。ちなみにミス日本ボディビルコンテストは55分くらいの長さだ。

ミスター日本になるには、筋肉の量ももちろん必要だが、ディフィニション(筋肉のキレ)が絶対に必要だ。

この時の石井教授の筋肉のキレはすごい。ここまでキレの良い体をつくりあげた、当時の石井教授の節制に敬意を表するとともに、筆者も最近は週1回しかトレーニングできていないので、もっと回数を増やそうと思う。


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2012年12月12日

世界で勝たなければ意味がない 36歳の日本ラグビー代表GMの決意

世界で勝たなければ意味がない―日本ラグビー再燃のシナリオ (NHK出版新書 392)世界で勝たなければ意味がない―日本ラグビー再燃のシナリオ (NHK出版新書 392)
著者:岩渕 健輔
NHK出版(2012-11-07)
販売元:Amazon.co.jp

最近出版されたラグビー日本代表GMの岩渕さんの本を読んでみた。岩渕さんは現役時代「天才スタンドオフ」と呼ばれたスター選手で、青山学院2年生の時に全日本入りし、ケンブリッジ大学に留学して卒業後、イギリスとフランスのプロチームでもプレイした経験がある。

アマゾンの表紙写真だと味気ないが、書店で売っている本には次のような帯がついている。

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筆者も昔会社のチームでラグビーをやっていた。昨年のワールドカップを除いて、最近はラグビーの試合を見ることも少なくなっていたので、この本は現在のラグビー日本代表がどういう立場にいるかわかって参考になった。

最近のラグビー界の世界ランキングは次の通りで、日本は16位にいる。地図は世界の主なプロリーグだ。

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出典:本書 25ページ

トップは「ハカ」と呼ばれるアボリジニのWar cryで有名なニュージーランドのオールブラックスだ。



日本代表の過去7回のワールドカップでの戦績は次の通りだ。

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出典:本書 28ページ

つまり日本代表は1991年の第2回大会でジンバブエに勝って以来、一度も勝ったことがない。2011年の第7回大会では、カナダに勝っていたが、終了直前に追いつかれてドローに終わったことは以前このブログで書いた通りだ


岩渕さんの経歴

岩渕さんは1975年生まれ。ラグビーをやっていたお父さんの影響で、ラグビーに親しみを感じていた。通っていた青山学院初等部にはラグビー部しかなかったので、生徒たちはみんなラグビーをする環境にあったという。

小学校4年生のころ、お父さんに連れられて香港で7人制ラグビーの香港セブンスの大会を見て、自分も将来世界で戦ってみたいと思ったことが、ラグビーを本格的に始めるきっかけとなった。

中学・高校と青山学院大学の付属校でラグビーをして、都大会では國學院久我山とぶつかって2年、3年と連続して優勝はできなかった。

青山学院大学に進学してもラグビーを続けたが、授業の関係で土日しかグラウンドにいけないこともあり、それを補う意味でジムでトレーニングをしたという。大学2年で日本代表に呼ばれ、控えのスタンドオフとしていくつかの試合に出場した。

7人制ラグビーの日本代表にも呼ばれ、1995年の香港セブンスにも出場した。大学卒業時には英国ケンブリッジ大学への留学が決まっていたが、神戸製鋼に短期間入社してから、ケンブリッジに留学した。

ケンブリッジでもラグビー部に所属し、卒業後2000年にサラセンズというプロチームに入団した。ケガの関係で、実質2年半くらいしかプレイできなかったが、Aチームで2試合程度、他はBチームで20試合くらい年間でプレイしていた。Aチームに出られない理由として、実力もさることながら、外国人枠がリザーブを含めて2名のみということで、枠が限られていたこともあるという。

入団当時のサラセンズの監督は、南アフリカ人のフランソワ・ピナールだった。1995年のワールドカップ南アフリカ大会で、南アフリカが優勝した時のキャプテンで、映画「インビクタス」でマット・デイモンが演じている。



フィジカル面での強化のために、ウェイトリフティングのスナッチやクリーン&ジャークをトレーニングに取り入れ、全身のバネを鍛え、瞬発力をつけていたという。

2005年にサラセンズを退団し、フランスのプロチームで1年過ごし、2006年に帰国してトップリーグに次ぐリーグに属するセコムラガッツにコーチ兼選手として加わった。

2007年から7人制日本代表チームのコーチとなり、2008年には香港セブンスに臨んだ。2009年にはセブンスのコーチを務めながら、日本代表ハイパフォーマンスマネージャーとして日本代表チームの強化にもかかわることになる。

そして2012年1月に日本代表GMに就任した。


日本代表GMの役割

GMの役割は、ヘッドコーチやチームマネージャーと連携して、各世代の日本代表の強化計画を打ち出し、それにしたがってプランを実行し、成果を随時チェックしていくことで、日本ラグビー界全体のレベルアップを達成することだ。

日本代表には、年齢制限のない15人制代表チームのほかに、若手育成プロジェクトの「ジュニア・ジャパン」、年齢制限のあるU20、U17(ユース)、U18(高校代表)、7人制日本代表、「セブンズ・アカデミー」、そして女子の15人制と7人制の代表チームがある。

代表チームにはヘッドコーチをはじめとするコーチ、トレーナー、ドクター、チームマネージャーなど11人のスタッフがいる。そのほかの代表チームも5〜8人のスタッフがいるので、全体で50名程度のスタッフがいる。

これらのスタッフの任命、合宿や遠征などの強化スケジュール策定、そして予算決定がGMの仕事だ。


2019年日本ワールドカップまで時間がない

いままで2019年の日本でのラグビーワールドカップ開催まで、だいぶ時間があると思っていたが、この本を読んで、それほど時間の余裕はないことがわかった。

ラグビーのワールドカップはオリンピックとFIFAワールドカップに次ぐ、世界第3位のスポーツイベントだ。2011年のニュージーランドワールドカップは、観客135万人、世界207の国と地域でテレビ放映され、視聴者は述べ39億人というビッグイベントだ。

2015年のイングランドで行われるワールドカップへの日本の出場権はまだ決まっていないし、2019年の自国開催のワールドカップ自体も日本の出場権は決まっていないのだ。

一方、7人制ラグビーが2016年リオ・オリンピックから正式種目になった。リオ・オリンピックの前に、2013年にワールドカップセブンスが開催されるので、男女とも出場すれば、オリンピックの前に人気を盛り上げることができるだろう。


日本代表の強化

代表チームの活動期間は合宿やテストマッチで4−6月と11月の合計100日程度だという。残りの250日を選手にどう過ごしてもらうのかが、日本代表が勝つために最も重要な点であると岩渕さんは語る。

日本の場合は、大学ラグビーの人気が依然として高く、数万人の観客が動員できるが、代表チームのテストマッチでは観客が5,000人ということもある。だから大学ラグビーのトップスターなどは、代表になることにあまりインセンティブがない。

トップリーグでも一時期は、選手を出してケガでもされたら困るということで、代表に選ばれても辞退するということがあったが、岩渕さんはヘッドコーチのエディ・ジョーンズと一緒に各チームとコミュニケーションを取っているので、現在はサポートが得られているという。

サッカーと違い、ラグビーの代表チームでは戦術・技術面のみならず、体力強化のためのフィットネストレーニングも取り入れる必要がある。スクラムの強さや、フィジカルの強さという世界との差を縮める努力が不可欠なのだ。

相手チームも、サモアやトンガ、フィジーなどは、ヨーロッパで活躍している選手もいるので、パシフィック・ネーションズカップなどで対戦する選手と、ワールドカップ本番で当たる選手とは全く異なる陣容となっているという。

ワールドカップ前の試合の戦績は判断材料にならないのだ。

マッチメーキングについても問題がある。ラグビーのテストマッチ(国際試合)はIRB主導で決める試合があり、何年か先まですでに決まっているという。特にトップレベルのニュージーランドやオーストラリアは、すでに2019年の日本ワールドカップまで試合日程は決定済みだ。

かつてのようにオールブラックスが日本に来日するということは、2019年までないことが決定している。

とはいえ、岩渕さんもIRBへの働きかけを通して、2013年にはウェールズ来日、2016−2018年には強豪チームとのテストマッチを組んでいるという。

日本代表が自信を持つために、具体的な目標として2015年のイングランド大会ではトップ10、2019年の日本大会ではトップ8を掲げている。


トップ8入りを目指して

順位を上げるためのターゲットは、現在9〜14位にいるイタリア、スコットランド、トンガ、フィジー、サモアの5か国だ。これらの国とワールドカップの年に必ず開かれるパシフィックネーションズカップやワールドカップ本番で勝つことが、日本の順位アップにつながる。

逆にいうと、テストマッチの予定がすでに組まれているので、これらの国とテストマッチを組むことは難しいのだ。

ランキングが上がれば、上位国と対戦できるが、ランキングが下のままでは、強いチームとは戦えない。だから2015年のワールドカップでトップ10に入ることが、2019年日本大会への準備という意味でも重要なのだ。

その意味では2012年に来日し、また2013年にも来日するフランスの各チーム選抜のフレンチ・バーバリアンズは、各国の代表選手が含まれており、強化試合として重要なのだという。



つい先日2015年のワールドカップの組み合わせが発表されたところだ。これによると、アジア一位になれば、南アフリカ、サモア 、スコットランド、米州2位のプールBに入れるが、もしアジア一位になれず、 敗者復活戦勝者で参加するなると、オーストラリア、イングランド、ウェールズ、オセアニア一位との死のAプールとなる。

2019年日本ワールドカップ開催までの準備期間は始まっている。まずは2015年イングランドワールドカップ、2016年のリオ・オリンピックでの7人制ラグビーにあわせて盛り上げることが必要だ。


日本代表ヘッドコーチのエディ・ジョーンズの戦略

日本代表ヘッド・コーチのエディー・ジョーンズについて書いた「エディー・ジョーンズの監督学」を今読んでいるので、近々あらすじを紹介する。

エディー・ジョーンズの監督学 日本ラグビー再建を託される理由エディー・ジョーンズの監督学 日本ラグビー再建を託される理由
著者:大友 信彦
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エディ・ジョーンズは、南アフリカ代表の副コーチや、オーストラリア代表のワラビーズのヘッドコーチもつとめた経験豊富な指導者で、お母さんが日系人で日系のハーフだ。

岩渕さんもエディ・ジョーンズの「日本ラグビーは世界一のアタッキング・ラグビーを目指す」という方針を支持している。

フィジカルで劣っている人間が勝とうと思えば、1対1になる局面を増やすしかない。相手がラインで待ち構えているところに突っ込んで行っては、すぐに1対2以上となり負けてしまう。そこで、フィットネスを使って、早くポジショニングして、相手よりもいい状況をつくって、個々の状況判断で、1対1の局面をいかに有利に進めるかが課題となるのだ。

エディ・ジョーンズは2012年6月のフレンチ・バーバリアンズとの試合で若手中心の日本代表が負けたときに、すごい剣幕で怒ったという。フランス代表ですらないプロリーグ選抜チームに日本代表が負けることは、我慢ならないことだったという。

勝つメンタリティを持たず、「そこそこやれたな」ではダメなのだ。次のワールドカップまでにメンタルな部分をどう変えていくかが日本代表の大きな課題なのだ。


岩渕さんだけの力では限界が当然ある。ラグビー協会関係者やラグビー経験者も含めて、みんなが日本でのラグビーワールドカップ開催の成功を目指して、まずは直近のゲームから応援しよう!


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2012年08月21日

エースの資格 江夏の何気ない一言が落合を三冠王にした

エースの資格 (PHP新書)エースの資格 (PHP新書)
著者:江夏 豊
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江夏のピッチャー論。

以前このブログで紹介した「江夏の超野球学」でも、いいピッチャーの条件はバッターの観察力だと語っていたが、この本でも江夏は持論を展開している。

江夏豊の超野球学―エースになるための条件江夏豊の超野球学―エースになるための条件
著者:江夏 豊
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江夏の21球の背景

江夏は自分の投げる瞬間に「しまった」というケースがしばしばあったという。バッターを見た途端、タイミングがどんぴしゃり合ってしまって、「あっ」となる。これはコントロールミスとは違うものだ。

数多く打たれて、「もう打たれたくない」という強い思いから、「タイミングが合ってしまった」と思ったら、球を放す前にパーンと抜いたり、スライダーをかけたりできるようになった。キャッチャーはおろおろして、「何ですか、今のボールは?」と聞いてくるので、「ほっとけ。魔球じゃ」と言ったのだ。

これが伝説の「江夏の21球」が生まれた背景だろう。

「相手バッターを見る」技術を若いピッチャーにも知ってほしいという。


エース談義

澤村や斎藤祐樹、ダルビッシュ、杉内など最近の投手についての評価が面白い。

元巨人軍フロントの清武さんが、澤村と斎藤佑樹を巨人軍のBOS(Baseball Operating System)で比較して、差は歴然としていたと、このブログで紹介した「巨魁」という本で語っていた

巨魁巨魁
著者:清武 英利
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江夏も澤村を巨人のエース候補に挙げ、斎藤佑樹は「エース候補」とは言い難いとしている。エースはだれでもなれるわけではないのだと。

澤村はストレートは150キロ超と速いが、勝負球はスライダー、フォークだ。

斎藤はバックスイングの小さいフォームで、器用ではあるが、器用という武器が裏目に出ているのではないかと。

日本ハムの投手コーチの吉井理人コーチも、斎藤を育てようとするあまり、口を出しすぎているのではないかと。本当に「いいコーチ」は「みずから教えない」のだと。まさに落合が「コーチング」の中で語っているのと同じことだ。

コーチング―言葉と信念の魔術コーチング―言葉と信念の魔術
著者:落合 博満
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最近の投手の中では、杉内とダルビッシュを高く評価している。

ダルビッシュはベースカバーをサボらずにやっているという。ダルビッシュの無失点イニングの記録が続いていた時は、ランナー2,3塁でも日本ハムの野手は前進守備をして、一点もやらない姿勢をみせていた。江夏は、ダルビッシュがチームのみんなに愛されていると感じたという。

ダルビッシュと対談した時も、「この男はほんとうに野球が好きなんだな。投げることが好きなんだな」と感じたという。


エースの特権

江夏が阪神に入団した時に、当時の阪神のエースの村山は、わざわざボールの縫い目を高くつくらせていた。それが「エースの特権」なのだと。縫い目が高い方が、指にひっかりやすく、フォークボールも落ちやすいからだ。当時は各球団が自分で自分仕様のボールを買っていたのだ。

それに対して江夏は縫い目が高いボールはマメができて痛くなるから嫌いなので、入団2年目にメーカーに頼んで10ダースほど試合球の縫い目をたたいて低くしてもらった。

村山は激怒したが、江夏は「自分の意志でやってもらっているんです」と答えたという。既に阪神の投手ローテーションは江夏を軸にまわりつつあり、強いことが言えたのだと。


考えて投げるタイプ 考えないタイプ

江夏は考えて投げるタイプだったので、考えないバッターはやりにくいという。その筆頭は長嶋さんだ。また、長嶋さんはずっと江夏のカーブをフォークと勘違いしていた。「いいフォークだねぇ」と言っていたという。江夏もキャッチャーの田淵も長嶋さんがフォークと思い込むのをそのままにしていたという。

ロッテの有藤にも2試合連続でホームランを打たれた後で聞いたら、やはり考えずに来たボールを打つタイプだったという。

ピッチャーで考えないタイプは少ないが、その筆頭が江川だという。

江川は天性だけで投げており、プロに入って最初の5年間は「怪物」だったが、最後の4年間は並のピッチャーとなり、9年で現役を引退した。文字通り持って生まれた素質だけでやっていたピッチャーだという。

清武さんの「巨魁」ではナベツネが江川を巨人の助監督にいれるべく画策して、それが清武以下の事務レベルの反発を招き、「清武の乱」が起きたことが描かれている。

江夏の言葉が本当なら、「考えない江川」をたとえ副監督でも指導者としてチームに入れるのは考えものかもしれない。


ピッチャーの筋力は投げてつける

ピッチャーの筋力は投げてつけるもので、トレーニングはあくまで補助的なものだという。これは以前筆者がトレーニングの権威、石井東大教授から聞いたことと一致する。

だから、外国人監督の100球制限をキャンプに持ち込むのは日本の事情に合わないと指摘する。キャンプでは投げて体をつくるのだと。


自分で自分をだます

松阪の故障以来、明暗が分かれている大リーグの松坂大輔と黒田博樹について江夏は語っている。

松阪は高校時代から非常に器用なピッチャーで、「変化球は遊びのなかで覚えた」というほどだった。江夏は器用なピッチャーは案外好不調の波があり、松坂は器用さがマイナスになっている典型だという。

松阪は30歳を過ぎて体力の限界を感じているところだろうから、右ヒジの手術から復帰したあとの転身を見守りたいと。

黒田は松坂より5歳年上だが、ボールに衰えは感じられない。35歳を過ぎて、本人は衰えを感じているだろうが、練習方法や工夫により、衰えが進む時間を遅らせているのだろうと。

江夏は「自分で自分をだますこともしているでしょう」という言い方をしている。「自分で自分をだます」というのは、たぶん江夏が長年活躍できた秘訣なのだろう。


抑え投手は自分をだませなくてはならない

抑え投手は、たとえブルペンで調子が悪くても、「調子がいいんだ」と自分をだますことが大事なのだ。登板が続くので「自分はマウンドに上がったら常にベストなのだ」と言い聞かせ、少々のことでは動揺しない精神状態をつくっていくものだ。

現役投手には手厳しい。藤川球児は投球術が一切ないのに成功できた珍しい例だと。一方、西武の牧田和久はつねに低めにほうれるので、注目しているという。

通算300セーブの岩瀬は、落合前監督の「作品」だ。全盛期を過ぎていて、スライダーは曲がりが大きすぎて、左バッターは振らない。それでも抑えで使われることのつらさを岩瀬は感じているのだろう。

抑えの岩瀬、荒木・井端の1・2番コンビは、落合の「作品」だから、最後まで落合は面倒をみてきた。その意味で、落合は選手思いの指揮官だったのだ。リードだけでメシが食える谷繁もその意味では落合の「作品」なのだろう。


カーブ談義

カーブ談義も面白い。江夏は高校時代カーブもほうれないでプロに入った。高校の野球部の監督に「カーブを教えてください」とお願いにいったら、「真っすぐでストライクもほうれんのに、なにがカーブじゃ!」と、ぶっ飛ばされたという。

高校2年の時に対戦して驚かされた鈴木啓示でも持ち球はカーブと直球だけだった。今の高校生ピッチャーがスライダーやフォーク、チェンジアップなど、各種の変化球を投げるのとは隔世の感がある。

プロに入っても江夏のカーブはあまり曲がらなかったが、王さんには効果的だったという。王さんは曲がるイメージで打ちに行くのだけど、曲がらないのでタイミングがあわなかったのだ。

江夏は堀内みたいなドロップに近いカーブをほうりたいと、練習したが、どうしても投げられない。そこで恥を忍んで試合前に堀内に聞きに行ったことがある。

そうしたら堀内は、笑いながら手を見せてくれた。堀内は子供のころ機械でケガをして、右手の人差し指が1センチほど短い。だからあの抜けるカーブを投げられるのだとわかって、江夏はあきらめたという。


カモのバッター カモれないバッター

バッターではじっと一球を待つバッターがやりにくいという。

一球一球追いかけてきたバッターを江夏はカモにしていた。1981年に江夏が日本ハムに移った時、落合はその年首位打者にはなったが、何でも追いかけるバッターだったので、江夏はカモにしていた。

ところが、翌1982年に落合は、じっと待つというタイプに変身していた。江夏はこいつ変わったなと思ったそうだが、案の定その年は打ち込まれ、落合ははじめて三冠王になった。

まともなヒットは少ないのだが、落合は思いっきり振ってきたので、当たりそこないでもヒットになった。

じーっと待って狙い球をフルスイング。ピッチャーにとっての絶対的な鉄則である「フルスイングさせてはいけない」を完全に破られたのだ。

これにはオチがある。

1981年のプレーオフの後、江夏は落合と偶然会って、落合が「麻雀がしたい」というので、連れて行った。

落合がリーチをかけてきて、江夏が待ちを指摘すると、「なんで江夏さん、待ちがわかるの?」と聞いてきたので、「そんなもん、野球とおんなじで、おまえの読みなんてすぐわかるわい」、「野球でもじっと待たれるほうがピッチャーは怖いんだぞ」と言ってしまった。

するとそれまでは一球一球追いかけてき落合が、翌年は図々しく待つバッターに変身して三冠王を取ったのだ。

たぶん落合は江夏の何気ない一言を参考にしたのだろう。その意味では、落合にとって「運命の麻雀」だったのではないかと。


江夏の気分転換はマージャン

面白い話を江夏は書いている。

気分転換には酒を飲むのが一番だろうが、江夏はアルコールがダメだという。女性と会って気分転換という人もいるかもしれないが、「女性は一瞬ですからね。そのあと疲れるだけですから、私はそれよりか麻雀」だと。

なるほどと思う。山本モナとスキャンダルを起こして巨人から出された日本ハムの二岡とか、やけどをする選手が多い中で、江夏の達観には感心する。


「バッターの裏をかく」時代は終わった

現代野球はバッターの待っているボールがわかったら、その近辺に投げることが主流になっているという。

以前の野球では、真っすぐを待っているときはカーブ、外角を待っているときは、インコースと「バッターの裏をかく」戦術だったが、現代野球は外を待っていると思ったら、外にほうってバットを振らせて凡打に打ち取る、カーブを待っていれば、鋭いカーブを投げて打ち取るという戦術だ。

だからバットの芯をすこしはずすために多くの球種が必要なのだ。


野村監督の「野球に革命を起こさんか?」発言

阪神から南海に移籍してきた江夏に対して、野村監督がリリーフ専門への転向をもちかけ「野球に革命を起こさんか?」と説得した話は有名だが、江夏は「革命」と言われても、どういう意味なのかわからなかったという。

リリーフ専門を受け入れても、調整方法はわからず、監督は、「好きなようにしろ、自分でつくれ」と言うだけで、江夏は苦しんだという。

野村監督からは「江夏、おまえは毎試合、登板のスタンバイをしておけ。終盤以降、自分たちがリードしているときには、いつでも出られるように。その代わり、ゲームの前半はすきにしてていい。ベンチに入らなくてもいいし、ロッカーで休んでいてもいいから」と言われていたが、このことを他の選手には野村監督は伝えていなかった。

だから事情を知らない選手たちは、「江夏はなにを勝手なことをしているんだ」と反発し、ベテランの広瀬叔功さんからはチームメートの前で、「ナニしとんのや!1回からベンチに入った方がいいぞ」と怒鳴られた。

江夏は悔しい思いをしたが、その場は「わかりました」と引き下がり、あとで広瀬さんには事情を説明したという。

ノムさんはこのブログで紹介した「野村ノート」の中で江夏を三大悪人の一人としているが、江夏は野村監督兼捕手との付き合い方が難しかったことを書いている。

野村ノート (小学館文庫)野村ノート (小学館文庫)
著者:野村 克也
小学館(2009-11-19)
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野村監督は他の選手に説明するなど配慮が利かない人だったと。

この辺がノムさんの限界なのだろう。ノムさんが長嶋さんや、亡くなった仰木さんのような人望がないのは、こういったところなのだと思う。


江夏が育てた選手

東京6大学リーグホームラン記録を持って田淵が阪神に入団してきたとき、キャッチングは落第だった。それでも兼任コーチだった村山さんは、鳴り物入りで入団してきた田淵を試合で使っていくと明言した。

田淵は、江夏の力のあるストレートを捕球する時にミットがわずかに動くので、ストライクのボールもボールと判定されることがあった。江夏は「しっかり捕れよ。球の力に負けるなよ」と、年上の田淵に文句を言った。

田淵は恥ずかしい思いをしながらも、鍛えなおし、後年「ユタカに言われて再度、手首を鍛えなおしたことが、その後のバッティングにプラスになった」と言っていたという。

江夏は日本ハム時代は大宮龍男というキャッチャー、広島時代は大野豊を育てた。江夏の場合は、プライベートのときも行動をともにして、暇があれば野球の話をして鍛え上げたという。


落合もそうだが、江夏も本当に野球が好きなのだと思う。そんな思いが伝わってくる本である。


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2012年07月31日

人工光型植物工場 千葉大学元学長・古在名誉教授の植物工場紹介

人工光型植物工場人工光型植物工場
著者:古在 豊樹
オーム社(2012-03-24)
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先日会社で千葉大学元学長で植物工場の権威の古在名誉教授の講演を聞いたので、著書を読んでみた。

古在教授は中田英寿の所属しているプロダクションのサニーサイドアップ社長の次原さんと、"All you need is green"という本も出しており、こちらも読んでみた。

ALL YOU NEED IS GREEN コザイ教授とツギハラ社長が考える「環境と貧困」ALL YOU NEED IS GREEN コザイ教授とツギハラ社長が考える「環境と貧困」
著者:古在 豊樹
講談社(2008-07-01)
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古在教授は昔の東京帝大学総長の古在由直(よしなお)さんの孫で、マルクス主義哲学者の古在由重(よししげ)さんの息子だ。

お父さんの古在由重さんは、犯罪者(治安維持法違反で2回逮捕)なのでろくな職業にもつけず、家族は貧困にあえぎ、古在教授自身も差別を受けたという。幣原家とも姻戚関係があり、学者の名門の古在家出身で、千葉大学元学長という経歴からは想像もできない過去の体験だ。

お母さんは通信教育の添削で家族の収入を得て、古在教授も子供の時に造花づくりや、封筒貼りの内職、クズ鉄拾いもやったという。そんな体験があるから、「貧しいが目標を持って困難に立ち向かっている農家」は世界中どこであれ、支援したくなるのだと言って、中国には1986年から、ベトナムにも1993年から出かけて行って植物の苗を作る技術を支援している。

次原さんとの出会いは、古在教授が千葉大学学長となって、千葉大学の知名度を上げるためにサニーサイドアップに相談したことがきっかけだ。たまたま新聞記事などでサニーサイドアップのことを知り、古在教授自らが電話して訪ねてきたという。

サニーサイドアップの社是は「たのしいさわぎをおこしたい。」だという。

サニーサイドアップ所属の中田英寿が世界的な貧困撲滅のためのホワイトバンドキャンペーンを日本に紹介し、キャンペーンは成功した。しかし、集まったお金は貧困国支援のために使われるのでなく、支援活動・政治活動に使われる「アドボカシー」という使い方だったために、日本では誤解されてバッシングを受けた。

ホワイトバンドのキャンペーン自体はG8によるアフリカへの500億ドルの援助決定や、世銀とIMFによる最貧国への550億ドルの債務放棄などの呼び水となり、ある程度の効果はあげている。

しかし貧困問題解決にはまだ道は遠いので、ホワイトバンドキャンペーンの後、サニーサイドアップと協力して、千葉大学では「世界の貧困問題をいかに解決できるか」という授業科目と自主ゼミが設けられたという。


「植物工場」

別の本の紹介で脱線したが、本書に戻って、古在教授の植物工場の講演を聞いた第一印象は、これはスゴイというものだった。

この本の表紙の写真のように植物工場は、多層構造のため、丈の高い植物の生産には向かないが、その生産性は露地ものや農場産品の比ではない。苗やレタスなどの葉物野菜の生産に適しており、無農薬なので、収穫して洗わずにそのまま食べられる。

日本各地に植物工場があり、レタスなどを生産しているが、これらのレタスは一切家庭用には出回らない。すべて中食や外食産業に販売されている。

というのは普通のレタスだと、外側に農薬がついているので、何枚かは捨てなければならず、畑で採れたものは虫が混入しているかもしれないので、外食産業では洗って、一枚一枚人手で裏表を調べて虫がいないことを確認するという手間をかけている。レタスの芯も捨てているので、廃棄率は30〜40%だという。

ところが植物工場でつくったレタスは、葉っぱを捨てる必要がなく、洗う必要もないので下準備の工程が不要となり、人件費を削減できる。芯も小さいので、捨てる部分は5%程度だという。

天然の野菜だと、次の表のとおり旬の時以外は、栄養的に食味的にも落ちるが、植物工場だと1年中、旬の野菜を生産でき、栄養価、食味ともに高い。ちなみに講演で使ったスライドでは、次の表に横に一本の線が引いてあった。それが植物工場の野菜の栄養価だ。

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出典:本書61ページ

水や養分も極限まで減らすことができるので、永田農法のように植物にストレスを感じさせ、糖度を上げた野菜が生産できる。

植物生産には適切な温度と、光、CO2,水と若干の必須無機成分だけが必要だ。

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出典:本書5ページ

植物工場の内部の写真は、MKVドリームという会社のホームページで紹介されている。植物工場の構造図は次のようなものだ。多段棚+光源、それと循環する養液とヒートポンプエアコンがあればよい。

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出典:本書27ページ

ヒートポンプ技術により、エアコンを使えば水利用効率は97%まで上がる。砂漠でも十分操業可能だ。

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出典:本書28ページ

各種の苗を生産するために必要な電気代は、大体1円/本以下である。

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出典:本書34ページ

この本では、中国、韓国、台湾やオランダなどの植物工場の例が紹介されている。日本でも経産省または農水省の支援を受けて、各地で植物工場が稼働して、商業生産を開始している。

太陽光型植物工場―先進的植物工場のサステナブル・デザイン太陽光型植物工場―先進的植物工場のサステナブル・デザイン
著者:古在 豊樹
オーム社(2009-12)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

この本の他に、古在教授は「太陽光型植物工場」という本も出版している。太陽光による植物工場は、太陽光自体は無料だが、電気の安定供給という面では難があり、結局は売電と一緒に組み合わせる必要がある。

その意味では人工光型植物工場の方がオールマイティだ。


このブログでも「日本農業が必ず復活する45の理由」のあらすじで、砂漠農業を紹介したが、砂漠にかぎらず植物工場は様々な場所で展開可能だと思う。

日本の農業が必ず復活する45の理由日本の農業が必ず復活する45の理由
著者:浅川 芳裕
文藝春秋(2011-06-28)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

非常に参考になる本だった。


参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。


  
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2012年07月25日

プロ野球重大事件 ノムさんの暴露本

プロ野球重大事件    誰も知らない”あの真相” (角川oneテーマ21)プロ野球重大事件 誰も知らない”あの真相” (角川oneテーマ21)
著者:野村 克也
角川書店(角川グループパブリッシング)(2012-02-10)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

野村克也楽天名誉監督のぶちまけ話。

巨人軍の元GM清武さんが、ナベツネとケンカして辞めて以来、清武さんがメディアに各種情報をリークしていると巨人軍関係者から非難されている。今日も清武さんが巨人軍などに名誉棄損で1千万円の損害賠償訴訟を起こしたと発表したばかりだ。

清武の乱は、巨人軍のお家騒動ととらえられているが、本質にはプロ野球のあり方についての大きな問題をはらんでいるとノムさんは語る。


オーナーとは何者なのか?

清武の乱、落合の解任、ナベツネが難色を示し、楽天が反対して難産だった横浜DeNAの誕生。これらはすべて「オーナーとは何者なのか?」という問題を提起したのだと。

落合は、就任一年目でリーグ優勝し、8年間でリーグ優勝4回、日本一1回、一度もAクラスから転落したことがないという実績を上げた。しかし、推定3億7千万円という高い年俸と、好成績ゆえに選手の年俸上昇により球団は黒字になったことがないというお家の事情から、シーズン中に落合の解任は発表された。

優勝でもされたらクビを切りにくくなるからという理由だろう。

後任監督が立浪でなく、70歳の高木守道というのも財政事情のためだということを物語っている。

DeNAベイスターズ誕生の際にも、巨人のナベツネが「モバゲー」を球団名につけることに反対し、楽天の三木谷会長は、DeNAの経営の健全性がないことを理由にTBSによる球団売却に執拗に反対した。

ノムさんは、三木谷さんが反対したのは、2005年にTBS株の買収に失敗したことと、DeNAの創業者との間に個人的にいざこざがあったことが原因になっているらしいと語る。

ちなみにDeNAの中畑監督についてノムさんは、現代野球に不可欠の理論性、緻密さ、データの活用といった要素からは(あくまでイメージだが)最も遠いところにいると評している。

たしかにそうかもしれないが、DeNAは知名度を上げ、マスコミから注目されるために、中畑監督を欲しがっていたのであり、別に成績を上げようなどとは思っていないと思う。

筆者は今年、横浜ファンを引退したから冷静に言えるのだが、その意味では中畑監督は正解だと思う。


野球は文化的公共財

どのオーナーも加藤良三コミッショナーの「野球は文化的公共財である」という重みを全く理解していない。オーナーは監督の最大の敵なのだと。

楽天の三木谷会長や、島田オーナーは、「成績が悪ければ解雇される。成績が向上すれば続投する」という球界の不文律を無視して、楽天監督4年目に2位にまで引き上げたノムさんを解雇した。ノムさんはよっぽど頭にきたようだ。三木谷さんも島田さんも球場に足を運ぶことはほとんどなかったという。

ちなみに三木谷さんもこの本を読んだのかもしれないが、急に楽天のオーナー復帰を発表している

そんなノムさんが絶賛するのが、ソフトバンクの孫さんだ。楽天がクライマックスシリーズに進出したときに、面識もないソフトバンクの孫さんから激励のメッセージをもらったという。

「真の人格者とは、こういうものなのか」と孫オーナーのもとで監督を務めることができた王貞治をうらやましく思ったという。

昨年ソフトバンクが日本一になった時には、ホークスの選手は孫オーナーを胴上げし、孫さんはビールかけにも嬉々として参加した。

ノムさんはヤクルト監督就任の際にも、オーナーのサポートがあったことを語っている。


暴露話あれこれ

杉内が巨人に移籍した原因は、ソフトバンクの編成を取り仕切っている小林至取締役の心無いひと言が原因だったという。「きみがFAになっても、必要とする球団はない」。

小林取締役は東大野球部出身のプロ選手だが、プロでは一軍登板を果たせず、引退後は渡米としてMBAを取り、スポーツビジネスに携わった。その後、ソフトバンクの取締役に就任し、杉内事件の責任を取り、編成部からはずれた。

暴露の第一弾は、長嶋と杉浦に当時の南海球団は、月額2万円の小遣いを卒業まで支給していたことだ。南海には立大の先輩の大沢啓二さんがいて、長嶋と杉浦に「おまえらも南海に来い」、「わかりました」という具合だったという。

大卒の初任給が1万5千円の時代の2万円なので、ちょっとした金だったが、南海は長嶋の契約金からいままで払っていた小遣いを減額すると申し渡して、当時1,800万円という巨額の契約金を提示した巨人に長嶋をさらわれた。

契約金の前渡しとは思っていなかった長嶋はいっぺんで南海に幻滅したらしい。長嶋は大沢さんに土下座して謝ったという。


巨人と試合する時は、敵は10人

「巨人と試合する時は、敵は10人だと思え」といろいろな人に言われたが、1961年の日本シリーズで、セリーグ出身の円城寺審判が、スタンカのストライクをボールと判定、「ふつうならストライクだが、風があったので沈んだ。それでボールだ」と。

これでスタンカは気落ちして、結局南海は日本シリーズで敗退した。ノムさんは「円城寺 あれがボールか 秋の空」という川柳をつくったという。

スタンカは、さよならヒットを浴びたとき、本塁のバックアップに入るとみせかけて、円城寺主審に体当たり、ほかの選手やコーチも暴行を加えたという。

日本初のスコアラーは、鶴岡監督時代の南海の尾張スコアラーだという。元新聞記者の人で、7色の鉛筆をつかって、敵と味方の特徴をメモにしていったという。後に西武の根本さんに乞われて広岡監督のもとでデータ野球に貢献したという。


サッチーの武勇伝

ノムさんが1977年に南海の監督を解任されたのは、女性問題、つまりサッチーのためだという。前妻との離婚調停中に、サッチーと同棲していたことが問題視され、南海のオーナーと後援会長のトップ会談が行われて決まった。

後援会長の比叡山の僧侶からは、トップ会談の前に「野球を取るか、女を取るか、ここで決断せい」と言われて、「女を取ります」と即答して席を立ったという。

車で待っていたサッチーが話を聞いて、寺に乗り込み、「野村を守るのが後援会長たるあんたの立場でしょ!野球ができなくなるとはどういうことよ!」と坊さんに向かって啖呵をきったら、剣幕におののいた坊さんは受話器を取り上げて「警察を呼ぶぞ」と言ったという。

ノムさんは坊さんに幻滅するとともに、サッチーに「この女はただものではないな」とあらためて思ったのだと。

今はTBSの関口博のサンデーモーニングに出ている張本さんは、今はご意見番みたいにいわれているが、「張本くらいチームを私物化した選手もいないだろう」とこき下ろしている。

ツーアウト・ランナー一塁で、ランナーに「走るな。じっとしとれ」と言って、ランナーを走らさずにヒットが出やすくさせたという。バッティングにしか興味がなく、肩も弱く、フライは追いかけるふりをするけど、本気で球を追うことはしないというありさまだったと。

そのほか、球界のケチの話。長嶋一茂、息子カツノリの話なども面白い。この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、ここをクリックして、目次を見て、どんな内容なのかチェックしてほしい。

ノムさんは、もう監督はやらないつもりのようだ。他人の迷惑も考えず、言いたい放題だ。読者としては楽しめる本である。


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2012年07月10日

30年?ぶりにプロティンを飲み始めた 後でアクシデント

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30年?ぶりにプロテインを飲み始めた。

2012070123390000














筆者は豆乳とシェイカーにいれて、ミックスして飲む。

筆者は毎週運動しており、従来からの1キロの水泳に加えて、昨年からウェイトトレーニングを再開している。週1回のみだが、一応現状維持はできていると思っていた。

ところが、ベンチプレスでパワーリフティング経験者の最低限と思っていた100キロが上がらなくなったので、プロテインを再開した。

ウェイトトレーニングをやりだした次男がプロテインを飲み始めたこともある。ただし次男は味付きのプロテインだが、筆者は当然、味付けしていないプロフェッショナルタイプだ。

最近はホエイプロテインも大豆プロテインと同じくらいの価格で売られている。ホエイプロテインの方が、吸収にはいいのかもしれないが、ひょっとするとコレステロールが高いのでは?と思って、昔ながらの大豆プロティンにした。

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同じ理由で牛乳でなく、豆乳にしている。血圧は低めなので問題はあまりないが、コレステロール値が上限に来ているので、この辺を気にしているものだ。

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筆者がウェイトトレーニングを始めた40年前は、国産のプロテインパウダーはなく、輸入のウェイダー社製のものを牛乳に混ぜて飲んでいた。

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たしか大学3−4年の時に、明治製菓がプロテインパウダーを売り出したので、それ以降は明治のプロテインパウダーを飲んでいた。会社に入ってからはラグビーをやっていたので、プロテインは継続していた。

当時の明治製菓の担当者が野沢秀雄さんという健康体力研究所(ケンタイ)の創設者だ。

よく学生のボディビル選手権を見に来ていたものだ。

昔のプロテインは牛乳に溶けにくく、塊となって残るので、プロテインドリンクの味を気にするどころではなかった。まず少量のドリンクとパウダーをスプーンでかき混ぜ、一応こなれてきたところで、残りのドリンクをいれて混ぜ合わせる。なんとかのどに流し込むという感じだ。

だから今もプロフェショナルタイプの味付けなしのプロテインで全く問題がない。昔のプロテインパウダーに比べて圧倒的に粒子が細かいので、よくドリンクに溶け、量を間違えない限り塊になって残るということはない。

日本でつくっているメーカーは、今でもザバスの明治製菓とケンタイ(たぶん製造は昔の経緯で、明治製菓だとおもう)くらいしかないが、さすがに40年間の技術革新は大きい。

プロテインを飲むと、筋力アップとともに、プロテインダイエットの効果も期待できる。筆者も体重が減少気味になってきた。

筋力アップとダイエット両方を狙って、当分プロテインを続けてみる。

と書いたところで、左足太ももに痛みを感じて、歩行が困難になった。毎週トレーニングと水泳1キロで体調を整えてきた筆者にとって、歩けなくなるとは、まさに青天のへきれきだった。

さっそく近くの整形外科に行って、レントゲンを撮ったら、股関節にカルシウムが蓄積していて、これが足の神経を圧迫して痛みの原因となっていた。

注射で処置してもらい、土日は完全休養で、なんとか月曜日にはひょこひょこながら歩けるようになった。

歩けなくなってみると、”歩ける”ことはなんと恵まれたことなのか痛感した。

筆者は毎日カルシウムも含んでいるマルチビタミン・ミネラル・サプリを飲んでおり、それに加えて最近は上記のように豆乳も飲み始めている(調整豆乳は牛乳なみにカルシウムは強化している)。

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カルシウム過多傾向にあったのかもしれないが、それにしてもすぐに骨や軟骨に蓄積するとは思えないので、原因は要調査だ。

カルシウム蓄積症は、腰痛と同じような症状がでて、ひどいと筆者のように急に歩けなくなる。スポーツマンの人は、カルシウムのとりすぎには注意してほしい。


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2012年05月21日

巨魁 元巨人軍GM清武さんの球団経営の実態 ナベツネ糾弾はごく一部

巨魁巨魁
著者:清武 英利
ワック(2012-03-16)
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読売新聞主筆兼巨人軍会長として86歳になった今も君臨するナベツネに対して、現場のコーチ人事に口をだすのは「コンプライアンス違反」と突然批判を始め、当然の帰結として2011年11月に巨人軍をクビになった元巨人軍GM清武英利さんの本。ちなみにウィキペディアには清武さんのナベツネ告発というコラムがつくられている

この本を読み終えても「なんで?」という疑問は解消されていない。ナベツネを告発する内容は第8章(最後の独裁者)に集中しており、この本の大半は巨人軍の運営に関するもので、告発本というよりは、球団経営の実情紹介本のような内容だ。

第8章(最後の独裁者)でも、ナベツネの様々な言動や行動が取り上げられているが、ナベツネが悪者であるという決定的な証拠はない。すべてナベツネならありうるだろうなぁ、という想定の範囲内である。

この本を読んで読売新聞社内には歴史的に、ナベツネを筆頭とする政治部と、清武さんが所属していた”正義派”の社会部の社内対立があることを初めて知った。そのあたりが根本原因なのかもしれない。

清武さんは1950年生まれ、立命館大学を卒業後、読売新聞に入社し、社会部の記者として警視庁や国税庁を担当する。中部支社社会部長のあと、編集委員、運動部長を経て、2004年から巨人軍の編成部長に転出し、球団代表、GM・編成部長、オーナー代行などになった後、ナベツネ批判をして解任される。



YouTubeには上記ニュース以外に、清武さんの記者会見の発表全部が6編に分かれて収録されているので、興味がある人は見てほしい。



「コンプライアンス」問題ではない

筆者もそうだが、たぶん多くの人が、「なんで?」と思ったと思う。ナベツネがコーチ人事など巨人軍の運営に介入することなど、いわば日常茶飯事だと思っていたし、別にコンプライアンス違反でもなんでもないと思う。

告発した理由もすでにヘッドコーチに昇格が決まっていた岡崎コーチの代わりに、巨人軍OBの江川氏をヘッドコーチ兼助監督としてナベツネが押し込んできたというもので、たしかに現場の人事に介入するものではあるが、ナベツネは巨人軍取締役会長でもあるので、経営トップが口を出すことは、ままあることだ。

「上司は思いつきでものをいう」という本もあるくらい、上司は思いつきでものを言うものだし、現場はそのことがわかっているので、それなりに根回ししたり、事前に了解を取っておくことは当たり前のビジネス慣行だ。

上司は思いつきでものを言う (集英社新書)上司は思いつきでものを言う (集英社新書)
著者:橋本 治
集英社(2004-04-16)
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清武さんが問題としている「鶴の一声」は、強いて言えば巨人軍会長のナベツネが、巨人軍の経営陣を無視しているというガバナンスの問題ではあるが、別にコンプライアンスやモラルに反しているとかいう問題ではない。「コンプライアンス違反」というのは、新聞記者にはあってはならない言葉の誤用だと思う。

清武さんは元新聞記者なので、文章もうまく、読み物としては面白い。詳しく紹介すると読んだときに興ざめなので、印象に残った部分を箇条書きで紹介しておく。


歴史的な読売新聞社内の社会部と政治部の対立

★社会部記者は政治部記者を記者として認めていなかった。
本田靖春は、著書「我、拗ね者として生涯を閉ず」のなかで、”赤坂の高級料亭で有力政治家にタダ酒を振る舞われ、政局に際しては、その政治家の意向に沿った原稿を書く。取材先でコーヒーの一杯も頂戴しないようにおのれを律している私たちからすると、彼らは新聞記者ではない。権力者の走狗である。”と言っているという。

我、拗ね者として生涯を閉ず我、拗ね者として生涯を閉ず
著者:本田 靖春
講談社(2005-02-22)
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★清武さんが読売新聞社に入社した1975年に「読売政変」があった。
従来硬派3部(政治部、経済部、国際部)に対して、「社会部帝国」ということで、軟派社会部が圧倒的な力を持った時代があったが、1975年の人事異動で社会部出身の実力者が巨人軍代表に更迭され、務台社長の信頼を得たナベツネが編集部次長兼政治部長に昇格し、軟派と硬派の権力構造は逆転してしまったという。

ちなみにナベツネは、”俺は若いころ長谷川にいじめられた。内職して本を書いたこともある。何年も我慢したんだ。氏家も読売から追放され、ルンペンを何年もやった。それを面倒見たんだ。”と言っていたという。

やはり今回の事件の背景には読売新聞社内の社会部と政治部の対立・不仲があるように思える。


ナベツネの本領発揮

★清武さんの依頼でナベツネが橋本龍太郎に、キューバ選手獲得の骨折りを頼む電話の話が面白い。それまで渋々という感じだったのが、電話になると「渡邊ですが、先生にキューバの件でお願いしたいことがありまして」と丁寧な口調で話し始めたという。ナベツネの本領発揮という感じだ。


ナベツネあれこれ

★近鉄とオリックスの球団合併の時に、新規参入した楽天三木谷さんについてナベツネは知らなかったので、説明を受けて「孫正義の小型版か」と言ったという。当時75歳くらいだったナベツネが知らないのもやむを得ないだろう。

★巨人軍のBOS(Baseball Operating System)についてナベツネが興味を持っているという話があり、パソコンを持ち込んでナベツネに説明したら、怒り出したという。ナベツネがBOSに興味を持っているという話は、取り巻きの勝手な憶測だったという。

★ナベツネは「大震災こそ読売のチャンスだ」と言っていたという。関東大震災のときは、読売新聞は被災し、発行部数も11万部から5万部まで落ち、そのうち2万部は代金未回収で、やむなく当時の警視庁刑務部長だった正力松太郎に読売新聞社を10万円で売却したという歴史がある。

★復興支援の巨人軍激励会で、「復興祈念だから記念撮影、サインは遠慮してほしい」とのアナウンスが流れると、ナベツネが激高して、「なんでダメなんだ。こんなこと誰が決めたんだ。あとで懲罰だ!」と怒鳴ったという。

★カラーバス効果で日本酒の銘柄は気になる。ナベツネの好きな酒は「立山」だという。

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その他の情報

★古田の後の選手会会長の宮本は、酒が飲めないのに何時間でもつきあってくれ、個人的なことまで打ち明けてくれたという。割り勘負けしているのに、「いや、いいんですよ。これも仕事です」と言っていたという。

★ライブドアのホリエモンは、Tシャツ姿で現れ、オーナーたちを挑発し、時には元水着キャンペーンガールの恋人と登場する厚顔ぶりも反発を買っていたという。


巨人版マネーボール

★巨人軍は提携先のヤンキースからBOS(Baseball Operating System)の研修を受け、2010年に自分のBOSを作り上げた。日本ハムも2005年に1億円を投じてBOSを導入したという。RC27という27回アウトになるまでに得点をどれだけあげられるかを見る指標では、巨人では小笠原、谷、阿部慎之助、ラミレスという順番だった。

「マネーボール」に”高校生ドラフトに大金をかけるのは、確率を無視し、理性をないがしろにしている”と書いてあるが、巨人軍でも同じ結果が出たという。

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活躍する確率は、高校生<大学生<社会人とはっきり結果が出ている。

★かつてスカウト部長をつとめた人に「巨人軍は伝統的に小さい選手はとりません」と言われたことがあるという。スカウトはどうしても体格にまず目が行くが、清武さんは、体格にめぐまれていなくても、”B群”として獲得していったという。

★BOSで比較してみると2010年ドラフトの澤村と斎藤佑樹との差は歴然。斎藤より高校生の宮国のほうが数値は高かった。しかし原監督は大石がいいと、異議を訴えてきて一波乱あったという。

★選手が「何かを持っている」というのは英語では"The way carry by himself"というのだと巨人の在米スカウトのミンチーが教えてくれたという。巨人の東北地区担当のスカウトが、無名の坂本を八戸のグラウンドで見つけた時も、そんな雰囲気を感じたという。

「コンプライアンス違反」と清武さんが呼んだナベツネ語録

この内容は2012年1月号の文芸春秋にも載っているが、真偽のほどはわからない。いずれにせよ江川さんはひどいとばっちりだ。「悪名」などと言われ、イメージダウンで大迷惑だろう。

文藝春秋 2012年 01月号 [雑誌]文藝春秋 2012年 01月号 [雑誌]
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”巨人は弱いだけでなく、スターがいない。江川なら集客できる。江川は悪名だが、無名よりはいい。悪名は無名に勝るというじゃないか。彼をヘッドコーチにすれば、次は江川が監督だと江川もファンも期待するだろう。しかし、監督にはしないんだ。

江川の庇護者は氏家だった。だが江川は監督にはしない。天と地がひっくりかえって人格者になれば別だがな。”

”原監督は采配ミスは一つもないと言い張るが、実際は交代をことごとく間違えた。采配で負けた試合はたくさんある。原をコントロールできる江川を置いておくほうがいいんだ”

”江川は99.9%受ける。日テレから1億円もらっていたのが、4900万円くらいになるから、こっちが1億円出せば、ウチに来たほうが多くもらえると考えるだろう。原を江川でコントロールするよ”

清武さんは新聞記者出身なので、文章がうまく面白い読み物である。しかし冒頭に記したように内容は球団経営の実情紹介本で、ナベツベ批判はごく一部だ。読んでも「なんで?」という疑問が依然として残る本である。


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2012年03月08日

祝!なでしこジャパン対米初勝利! サッカーという名の戦争

2012年3月8日追記:

結局なでしこジャパンは、アルガルベカップ決勝でドイツに破れ、2位に終わった。



筆者は今回は試合終了までテレビで観戦した。

すごい試合だった。前半早々に2点立て続けに点を取られた時は、今回はダメかと思ったが、よく追いついた。そして後半43分くらいにPKで3点目を取られた時も、あきらめずにすぐに点を取ってタイにして、ロスタイムに入った。

ロスタイムタイムアップ寸前に、ドイツのセンターフォワード、アフリカ出身のエムバビにハットトリックとなる4点目を押し込まれて、負けた訳だが、試合内容は決して悪くなかった。

たぶん佐々木監督は、今回をロンドン・オリンピックの強化試合と位置づけているのだと思う。後半で岩清水や鮫島など中心選手を交代させた。若手の力を伸ばそうとする戦略なのだと思う。

結局エムバビのみに3点やられた。身体能力バツグンのアフリカ系ストライカーであはあるが、守る手だてはあったと思う。

是非次のキリンカップでも国際試合の経験を積み、ロンドンオリンピックに100%の力で臨んで欲しいものだ。


2012年3月7日初掲:



現在行われている女子サッカーのアルガルベカップの予選リーグで、なでしこジャパンがとうとう米国に勝った。これで対米戦の連敗を止め、対戦成績は1勝、4分、21敗となった。次は3月7日にドイツと決勝戦だ。ぜひこの勢いで優勝してほしいものだ。

筆者は後半の最初まで試合を見ていたが、眠くなって途中で寝てしまった。起きたらなでしこが勝っていた。

前半ではゴールポストにあたる米国のモーガンの鮮やかなシュートとか、あぶない場面もあったので、よく守り切って勝ったものだと思う。

知名度が低い時代からなでしこジャパンを支援してきたのが、現・早稲田大学教授の平田竹男さんだ。平田さんは通産省官僚から日本サッカー協会・専務理事に転職し、現在は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授を務めている。

その平田さんが日本サッカー協会専務理事時代に出した本が、「サッカーという名の戦争」だ。

サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台 (新潮文庫)サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台 (新潮文庫)
著者:平田 竹男
新潮社(2011-08-28)
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平田さんは、元巨人軍の桑田と一緒にこのブログで紹介した「野球を学問する」という本を書いている。

野球を学問する野球を学問する
著者:桑田 真澄
新潮社(2010-03)
販売元:Amazon.co.jp
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この本ではサッカーのもう一つの舞台として、外交交渉の様なマッチメーキングの実態と面白さを紹介している。


なでしこジャパンを支援

平田さんはなでしこジャパンの知名度を上げるために、いろいろな努力をしてきたことを紹介している。

たとえばアテネ五輪の女子サッカーでは、はじめて地上波での生中継が実現した。本来人気番組「新婚さんいらっしゃい」の枠を、女子サッカーの生中継にテレビ局が編成替えしてくれたのだ。

平田さんは今でも桂三枝さんと時々会うそうだが、そのたびにこのことを思い出すという。

日本対北朝鮮の試合は平均視聴率16.3%(同日の巨人ー阪神戦の視聴率は11.3%)、最大瞬間視聴率が31.1%を記録したときは本当にうれしかったという。

平田さんは、男子サッカーのスポンサーのキリンに呼びかけ、女子のキリンカップをつくってもらったり、通産省時代から付き合いのあるアップフロント・エージェンシーの山崎会長に頼んで、所属するタレントの松浦亜弥、吉澤ひとみ、辻希美などに女子サッカーの応援に来てもらったという。

”ハロプロ”の協力もあって、マスコミの注目度も上がり、女子サッカーがテレビで報道される機会が増えた。

2011年に女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝して、女子サッカーの人気は今日の極みに至るわけだが、それまでは平田さんなどの地道な知名度アップの努力があったのだ。


「中東の笛」ならぬ中東のゴール取り消し

サッカーのワールドカップで一旦ゴールと認定された得点が、取り消されたことが一度だけ起こった。

1982年のワールドカップでのフランス対クウェート戦の時に、観客の笛をオフサイドの笛と勘違いしたクウェートの選手がプレーを止めた後にゴールが決まった。そうするとスタンドからクウェートの王子がグラウンドに下りて、猛烈に抗議を始めると、ゴールが取り消されたのだ。

ワールドカップ本大会で得点が取り消されたのはこれが唯一のケースだ。中東の国との交渉がどれほど難しいかを象徴する事件だ。


マッチメーキングで少しでも有利な環境をつくる

ドーハの悲劇と呼ばれる1993年10月のワールドカップアメリカ大会のアジア最終予選では、最終予選に残った6チームがカタールの首都ドーハに集まって総当たりのリーグ戦で戦った。



日本は2週間で5試合を戦い、最後の5試合めのロスタイムでイラクに同点にされて力尽きた。この試合で時間稼ぎをすべき時間帯に、攻めなくてもよいのにイラクゴールまで攻め上がって結局イラクにボールを渡して失点のきっかけをつくった選手がいたことは、前回の「武器としての決断思考」で瀧本哲史さんが指摘していた通りだ

上のビデオではわからないが、次のビデオだとそれがはっきりわかる。



得失点差で3位となり、日本は本大会には出られなかった。しかしあのようなコンディションで戦わなければならなかったのは、協会も含めて日本サッカー界全体に国際競争を勝ち抜けるだけの自力が付いていなかったのだと平田さんは語る。

その12年後の2005年のアジア最終予選は、4か国ずつ2グループに分かれ、6か月かけて各国ホームアンドアウェーで戦った。どちらが困難か明らかだろう。

2002年から2006年まで平田さんは、日本サッカー協会の専務理事としてあらゆる年代の代表戦のマッチメイクを担当した。

たとえばアテネオリンピックの日本代表のアジア最終予選は、日本とUAEの2か所集中開催。しかもUAEが先、日本ラウンドが後という最良の開催方式を勝ち取った。

基本はホーム・アンド・アウェーだが、対戦相手が決定してから24時間以内に交渉で合意すれば、開催方法を変えられる。しかし十分な準備がないと、24時間以内には交渉をまとめられない。事実、韓国が属する別のグループは交渉がまとまらず、ホームアンドアウェーとなった。

この時は通産省時代のカタールの石油大臣とのコネが生きて、ベストマッチメーキングができた裏側も紹介していて興味深い。


通産官僚時代に築いた人脈

平田さんは通産官僚時代にハーバード大学に留学し、ケネディスクールの自治会の役員としてアジア人でトップ当選したり、ケネディスクールのサッカー部を創設したりして、世界的な人脈を築いた。ケネディスクール時代の恩師が、その後労働長官となったロバート・ライシュ教授だ。

留学から帰って1989年4月に通産省産業政策局サービス産業室の課長補佐となり、J−リーグ設立やTOTO創設に尽力し、それが縁で日本サッカー協会の専務理事に就任した。

日本サッカー協会の専務理事になってからは、冒頭のなでしこジャパンの支援やマッチメーキング改善、それまで開催が止まっていた日韓戦の継続開催、日韓戦のテレビ放映権の平等化にとりくんだ。中東勢とは日韓が一緒になって交渉するというサッカーにおける日韓新時代を迎えることになった。

日韓共催ワールドカップでは、大分県の中津江村など各国のキャンプ地となった日本のホスピタリティ精神が世界に報道された。

また中村俊輔が2005年のコンフェデレーションカップで決めたロングシュートは世界中で語り草になり、日本のサッカーの国際認知度を上げる効果があった。



この本で平田さんは中村俊輔のゴールに代表される他国のファンまで魅了するサッカーと、中津江村に代表される日本のホスピタリティ能力という「ソフトパワー」で、日本が国際関係を改善することを提唱している。

2018年あるいは2022年のワールドカップで日本の単独開催を目指すことは、平田さんも従来主張してきたことだが、妥協するとすればロシアとのワールドカップ共催だろうと。

もちろん共同開催は原則として認められず、ロシアとは北方領土問題もある。ロシアはまさに近くて遠い国である。そんな日ロ関係を改善し、お互いがお互いを知る絶好のチャンスになるだろうと。

ロシアと協調することには反対の人も多いと思うが、筆者はロシアとの関係を深めることには賛成だ。ロシアと日本そして米国には中国という共通のライバルがある。このブログで紹介した大前研一さんが「ロシアショック」で提案しているように、ロシアカードはうまく使えれば21世紀の日本外交と日本経済に多大な貢献をすることになるだろう。

ロシア・ショックロシア・ショック
著者:大前 研一
講談社(2008-11-11)
販売元:Amazon.co.jp
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現在の政治家でロシアと関係を深めるという戦略思考ができる人がいるのかどうか定かではないが、柔道大好きプーチンが大統領に返り咲き、第2期プーチン時代が当分続くと見込まれる現状では、北方領土問題を解決して日ロ関係を改善する大チャンスと言えると思う。

平田さんの父親はシベリア抑留者だという。ロシアとの共同開催が実現したら、お父さんは何と言うだろうかという言葉で結んでいる。

サッカーの男女・日本代表の対外試合のマッチメーキングの裏側や苦労について、ここまで詳しく書いた本はほかにないと思う。

大変参考になる本である。


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2012年01月01日

野球人 落合博満が現役引退後すぐに書いた本

野球人野球人
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(1998-12)
販売元:Amazon.co.jp
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近々あらすじを紹介する落合の最新刊「采配」を読むにあたり、落合の書いた他の本も読んでみた。この本は1998年12月の発刊。落合が現役を引退したのが1998年10月だから、現役を引退してすぐに書いた本だ。

落合が長嶋巨人軍終身名誉監督に憧れて野球を始めたことは有名だ。この本では長嶋さんに対する敬意と感謝の念、王貞治さんへの尊敬が感じられる。


落合の現役時代

落合は昭和28年12月・秋田県生まれ。筆者と同学年で、同じ学年には梨田がいる。秋田工業高校を卒業後、東洋大学に入学したが、下級生を鉄拳制裁する野球部の体質に嫌気がさして野球部を退部。大学も中退して、秋田に帰ってボウリングのプロボーラーを目指していたが、社会人野球の東芝府中にさそわれて入社する。

東芝府中はあまり強いチームではなかったが、それでも都市対抗野球3回出場、アマ全日本代表で活躍し、1979年ロッテにドラフト第3位で指名される。

プロに入って1年目、2年目はたいした活躍ができなかったが、3年目にパリーグの首位打者となり、それ以降首位打者争いの常連となり、1982年、1985−6年と3度、三冠王を獲得する。

1987年にロッテが稲尾監督を解任し、嫌気がさしていたところ、星野監督が落合をどうしても欲しいと言いだし、1対4のトレードで中日に移籍。中日で7年間プレーした後、長嶋監督が周囲の反対を押し切って落合を獲得、3年間巨人の4番としてプレーする。巨人の最初の年こそ3割を割ったが、そのあとの2年間は打率は3割を超えていた。

長嶋監督からは、「数字的な成績はいいに越したことはないが、あまり気にしていない。それよりも、巨人の選手たちに戦う姿勢を植え付けてくれ」と言われたという。

この言葉ではじめて「自分の成績はどうでもよい。チームの勝利が第一です」という言葉がはじめて本心から言えるようになったのだと。

落合が巨人に移籍してきた1994年は落合自身はケガに悩まされたシーズンだったが、優勝を決める試合でホームランを打って、渡辺恒雄オーナーは「あのホームランは一本で何億円という価値があった。やはり落合君を獲得したことは正解だった」とコメントしていたという。

西武から清原が移籍してきて、落合か清原かで長嶋監督が悩む顔を見たくないとして、自ら日本ハムに移籍した。2年間プレーして1998年のシーズン限りで引退した。

この本の末尾に落合の現役時代の記録が載っている。

落合記録






出典:本書260ページ

日本ハムを引退したのは、落合の起用法について首脳陣と野球観の違いに苦しんだためだと語る。そして選手としてユニフォームを脱ぐことになるが、いずれまたユニフォームを着ることがあると思うので、「野球人 落合」は引退しないと宣言している。


落合十番勝負

この本では「落合十番勝負」ということで、転機となった勝負を紹介している。そのいくつかを紹介しておく。

十番勝負その1.一流の道は、小さなチャンスから始まる

落合がロッテに入団して1年目に、アッパースイングを酷評され、ロッテの山内監督から指導を受けた。ところが落合は「自分の思い通りにやって打てなかったらクビで結構ですから、俺のことは放っておいてください」とタンカを切って、山内監督の指導を断ってしまった。

そもそもプロ野球に入った時の目標は3年間はユニフォームを着ることだったので、フォームを変えてゼロからやり直す時間はないという切迫感からの言葉だったのだろう。

2軍でくすぶっている落合の転機となったのは、2年目のキャンプで先輩の手首の使い方を真似たことと、イースタンリーグの試合で、2軍で調整していた佐藤道郎投手のキレのある球をホームランにしたことだったという。

筆者も記憶にあるが、落合は「神主打法」といわれた体の前にバットを構える独特のフォームで、右にでも左にでも打ち分けられる、やわらかい手首の使いかたが印象的だった。

落合の現役時代のことを知っている人も少なくなってきているので、YouTubeの落合の現役時代のホームラン映像を紹介しておく。



一流投手と対戦したいという気持ちがモチベーションとなり、それ以来5試合連続ホームラン、一軍に昇格してすぐに鈴木啓示から代打ホームランを打って一軍に定着した。

落合の原点はこの佐藤道郎さんからのホームランなのだと。


10番勝負その2.タイトルや格は選手を育てる。

落合は1981年の3年目のシーズンは一軍スタートで、セカンドのポジションを狙って必死に練習し、試合でも4打席で1フォアボール、3打数1安打を目安に、安打を積み重ね、石毛、島田との競争に勝って首位打者のタイトルを獲得した。

阪急の山田久志からは一本もヒットを打てていなかったが、ロッテが前半戦に優勝し、オールスターに選ばれ、パリーグの4番として起用された勢いもあって、後半戦は山田久志から連続してヒットを打ち、首位打者に躍り出た。

山田久志のシンカーを下からすくうように打つのをやめて、上からたたくよう打ったら打てるようになったという。

ちなみにこの年の落合の年俸は540万円。ラーメンライスばかり食べていたので、心身ともに疲れがピークとなり、一時は打率を落としたが、ライバルも打率を落とし、最初の首位打者のタイトルを獲得した。

タイトルや格は選手を育てるのだと。


10番勝負その3.三冠王とトレードが、プロでの生き方を決めた

1986年はプロ野球選手としての評価は年俸で示してもらうことを決意した重要なシーズンだったという。

落合の年俸は次の通りだ。(カッコ内は前年の成績)

1981年          540万円
1982年(首位打者)  1,500万円
1983年(三冠王)   5,400万円
1984年        5,900万円
1985年(タイトルなし)5,900万円
1986年(三冠王)   9,700万円、
1987年(三冠王、中日移籍)1億3千万円(日本人初の1億円プレーヤー)

落合が三冠王を獲得できるという自信をつけたのは、ホームランを量産するコツをつかんだからだという。

落合がポール際に大きなフライを打つ場面をみたことがあるかと落合は問う。最近、横浜のGMに就任した元巨人の高田はポール際の大ファールで有名だったが、たしかに落合のポール際の大ファールはあまり記憶がない。実はレフトへはスライスボール、ライトへはフックボールを打つ打法を身につけたからホームランが増えたのだと。

いろいろな角度でバットを出す練習を繰り返し、このような打球になる角度を体に覚えさせた。野球には感性を磨くことも必要なのだと。

ホームランが量産できるようになったもう一つの理由は奥さんの何気ない言葉だったという。ブーマー、ソレイタ、門田などのホームランバッターはみんな太っている。「だからあなた太りなさいよ」と、毎回食べきれないほどの料理が出で、体重はすぐに75キロから80キロを超えたという。


10番勝負その4.たったひとつの結果が打撃を狂わせた

この告白が一番面白い。

3度目の三冠王となった1986年のポストシーズンではメジャー・リーグ選抜が来日し、落合が4番を打つ全日本と対戦した。

その第3戦で、21勝を挙げたデトロイト・タイガースのジャック・モリスと対戦し、ストレートをバットの真芯でとらえた打球は手ごたえも十分で、スタンド入りすると思ったが、フェンスの前で急に失速し、センターフライになってしまった。

メジャーは力対力の勝負なので、全力で打ち返すが、日本野球は10のうち5の力で打ち返す。力いっぱいスイングするより、無理のないスイングでボールをとらえた方がいい打球を飛ばせる可能性は高いからだ。

落合はメジャーとの試合で、完全にペースを崩され、それ以降10の力で打つようになってしまい、日米野球は2割6分、長打は2塁打1本だけという結果に終わった。

翌期から中日に移籍したが、これ以降の12年間は落合本来のバッティングを取り戻す戦いで、結局引退するまで取り戻すことはできなかったという。長い時間をかけて築き上げてきたものが、たった1週間で崩れてしまう。技術の奥深さと人間のもろさを感じたという。

やはり力みすぎるとプロでも結果は良くないのかもしれない。


10番勝負その6.試合の流れを読んで奇跡を起こす

評論家が「落合は打席の中での読みが鋭い」と解説しているのをよく聞いたが、落合は「ヨミ」は一度もしたことがない。そんな努力をする時間があれば、すべてバットを振ることのために割いてきたという。

こんなコースにこんな種類のボールが来たら、こう打てばよいということを体に覚えさせたのだ。9,000打席以上投手と向かい合ってきたなかで、次は間違いなくこのボールが来ると思ったことは一度もない。もしそんなことをしようとしていたら、幾度となく頭部を襲ってきたボールに当たって、野球人生はとっくに終わっていたはずだと。


10番勝負その10.節目の記録を本塁打で決める理由

落合が節目になる記録をホームランで決めたのは偶然ではなく、落合のバッティングはすべてホームランを狙っているからだと。

落合がすべての打席でホームランを狙っているというのは、スラッガーの使命のようなものだという。投手との戦いを熟知して、どんなボールでも確実に打ち返せるように精度を高め、少しでも捉えやすいボールを投げされるための構え、呼吸、間の取り方を研究してきた。

その結果ホームランにできるスイングのバリエーションを多く持つことができた。ホームランの打ち損ねがヒットになるというバッティングをするのだと。

プロ野球でスラッガーと呼ばれた人はほぼこの考え方で打席に入っていたと確信しているという。王貞治さんは「ヒットの延長がホームラン」と言っていたが、それは表現の違いだと思っているという。


落合の理想のチーム

最後に落合は「理想のチーム」ということで書いている。その項目だけ紹介しておくと。

・ファンにストレスを与えない野球をやる
 ちなみに長嶋さんの野球は試合を見に来るファンを大切にして、135試合すべて勝つという采配だったという。しかしこれでは選手、とくに投手のスタミナが持たないという。

・相手の嫌がる野球ができるチームにしたい

・1点を大事にする野球

・セオリーを大事にする野球ー外人以外は外角低めに投げる

・野手はできるだけ固定して戦う

・勝つ野球をやるか、お客さんが喜ぶ野球をやるか

・ヘッドコーチはいらない

・1軍と2軍のコーチの役割はまったく異なるから2軍には優秀なコーチを置きたい

・4番には日本人の頼れる打者を据えて打線を組む

・捕手は固定する


今季リーグ優勝した中日が理想のチームにかなり近いと思う。しかし、リーグ優勝していながら中日と契約更新できなかったのは、上記の「勝つ野球をやるか、お客さんが喜ぶ野球をやるか」の問題にうまく対処できなかったことが原因だと思う。

もっと言うと、落合監督の中日では人気が出ず、観客動員数も2008年をピークに年々落ちていたことから、球団側がもっと観客の呼べる監督に変えたがったのだと思う。

ネットで調べたら12球団の観客動員数のグラフを載せているブログがあったので、紹介しておく。

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出典:新プロ野球観客動員ランキング速報

いずれ落合はまたユニフォームを着ることになると思うが、(筆者が懸念しているのは、落合が中国のナショナルチームの監督にスカウトされることだ)。次も理想のチームをつくれるのか、今から楽しみである。


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2011年11月28日

サッカー代理人 中村俊輔、長谷部誠らの代理人の本

サッカー代理人 (日文新書)サッカー代理人 (日文新書)
著者:ロベルト 佃
日本文芸社(2011-05-25)
販売元:Amazon.co.jp
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中村俊輔、長谷部誠、長友佑都、岡崎慎司、阿部勇樹などの代理人をつとめるFIFA公認代理人であり、6か国語を話すというロベルト佃さんの本。

ロベルトさんはアルゼンチン生まれで、アルゼンチンで同時通訳などをやっていて、1995年に横浜マリノスの当時のアルゼンチン人監督のホルヘ・ソラリ監督と3人のアルゼンチン人コーチの通訳として雇われた。

当時マリノスにはラモン・ディアス、メディナベージョ、ビスコンティ、サパタのアルゼンチン代表、元代表がいて、あわせて8人のアルゼンチン人がチームにいた。選手の通訳はうまくなくてもよいが、監督の通訳は正確性が求められる。そのため当時のマリノスの森孝慈GMがロベルトさんにオファーを出したのだ。

中村俊輔は1997年にマリノスに入った時からの知り合いだ。またロベルトさんの会社の共同経営者の西塚さんとは、マリノスのフロントで知り合った仲だ。

この本では日本選手を海外チームに売り込む場合の交渉術、日本人プレーヤーにあった国、ヨーロッパの国の民族性の差、年俸戦略などが紹介されており興味深い。


年俸は必ずしも高い方が良いわけではない

非常に参考になったことは、年俸は必ずしも高い方が良いわけではないということだ。

たとえば現在の年俸が2,000万円であれば、交渉で5,000万円とするよりも、3,000万円にとどめておいたほうが良い場合もある。

クラブの経営状態が悪くなると、高い年俸の選手からリストラの対象となるので、たまたま次のシーズンに結果がでないと5,000万円の選手はリストラされてしまう恐れがあるからだ。Jリーグの選手の年俸は500万円/年きざみで上がっているのが現状だという。

プロ野球の選手の高額年俸がメディアで報道されるのを見て勘違いし、年俸をあまりに吊り上げるようなことは自分自身の首を絞める。80年の歴史のあるプロ野球チームと20年の歴史のJリーグクラブとの財政状態は大きな差があることを忘れてはならないとロベルトさんは語る。


契約年数は代理人の腕の見せどころ

複数年契約もトリッキーだ。複数年契約は、2年目は1年目の年俸を下まわらない額、3年目は2年目を下まわらない額という風に決めることが多い。その場合には大体500万円ずつのアップになる場合が多い。

ところが単年度契約なら、活躍できる選手にはクラブ側は残ってほしいので、最初の年は1,000万円でも交渉によっては2年目は2,000〜2,500万円と年俸を上げることができる。

もっとも海外移籍を目指す選手の場合には、安易に単年度契約をしてしまうと、2年目は条件が白紙になったということで、海外からオファーが来た時に、クラブ側が移籍金を吊り上げることが可能となる。そうなると高い移籍金を払える移籍先は限られてしまい、簡単には海外移籍ができなくなってしまう。だから海外移籍を考える選手は複数年契約にしたほうがよいという。


国によって違う交渉

ドイツや英国のクラブはしっかりしていて、約束も守る。オランダはお金に細かい。北イタリアは比較的北ヨーロッパに近いが、南イタリアはルーズで、フランス、スペイン、ポルトガルは約束の時間を守らず、トルコ、ギリシャは論外だという。

ヨーロッパの国の多くでソブリンリスクが発生しており、ギリシャはもちろん、スペインでも経済が停滞し、クラブが次々と経営破たんしている。

スペインのクラブはソシオという会員組織で成り立っており、サッカー以外にも多くのスポーツをやっている。景気が悪くなると会員収益が減り、とたんに経営が苦しくなるのだ。スペインの中小クラブでは選手の給料や移籍金の未払いも日常茶飯事で、有名クラブのバレンシアでさえ財政難からバレンシア市の援助を受ける事態にまで陥ったという。

日本のサッカー選手はスペインサッカーの質の高さに魅了されているが、給料を滞納しているクラブもあることを注意すべきだと語る。イタリアもクラブ経営が厳しいのはスペインと同じだが、イタリアでは私財を投じてクラブ経営を行っているオーナー経営者が多く、スペインよりは安定しているという。


代理人として海外移籍第一号の中村俊輔

ロベルトさんが仲介した海外移籍第一号は中村俊輔だった。

中村俊輔のセリエA移籍はレッジーナ側が積極的で、最初から買い取り前提のレンタル移籍だった。レンタル期間は6か月という好条件で、マリノス社長の条件もクリアーできた。

中村俊輔がセリエAをまず目指した理由は、フィジカルが強いセリエAで通用すれば、フィジカル面での欠点を補える能力があることの証明になるためだった。

中村俊輔の技術力はイタリアでも高く評価されており、「手でボールを扱っているようだ。あそこまでコントロールできる選手は見たことがない」とイタリアのプロも評価していたという。

セリエAで3年間やった後で、スコットランドのセルティックの監督が中村にほれ込み、2005年にセルティックに移籍した。ヨーロッパのビッグ20に入り、チャンピオンズリーグの常連の名門クラブで活躍した日本人選手は俊輔だけだった。

中村俊輔はマリノス入団当時からサッカーノートをつけていた。自分のプレイのみならず、相手の良いプレイでも書き留めていたという。このメモが課題克服に役に立ち、日ごろの自己分析を自分の成長につなげた典型例だ。

中村俊輔はサッカーが好きで、イタリアでもサッカー漬けの生活をしていた。夜7時に夕食、8時からはテレビゲームでリラックス、9時からは風呂、ストレッチで、11時前には寝る。朝は7時に起きて、いいイメージをつくるために、自分が出場した試合のビデオを見るという生活だったという。


海外で活躍する有力選手

長友佑都は3つぐらいの単語を知っていただけで、1時間もイタリア語で談笑できる、だれとでもすぐ仲良くできる「ラテン系日本人」だという。心肺能力も抜群のものがあり、走力はずば抜けている。

岡崎慎司は技術面ではもっとうまい選手がいるが、チームのために限界まで頑張れるタイプの選手だという。メンタル面とフィジカル面での強さを兼ね備えた選手である。

ヴォルフスブルクの長谷部誠は、攻撃面では得点にからむ決定的な仕事をし、守備面でも豊富な運動量に裏付けられた献身的なプレーで高い評価を得ている。

長谷部はドイツ語を流暢に話し、ドイツの文化、クラブにも溶け込んでいる。イギリスやイタリアからの誘いもあったが、ドイツへの移籍は長谷部が希望して実現した。非常に頭がよく、読書家であり、人のことを第一に考えるタイプの人間なので、そういった人間性がドイツの国民性・サッカーに合致して、まわりの信頼を得ている。

礼儀正しく律儀で、ロベルトさんの事務所に顔を出すときも、必ずみやげを持ってくるという。自分でできることは自分でやる。チケットの予約も自分でやるというぐあいだ。


南米の選手はなぜ異国で活躍できるのか

ブラジルやアルゼンチンの選手がなぜヨーロッパなどで活躍できるのかについては、ロベルトさんは技術の高さもあるが、次の要因を挙げている。

1.家系にスペイン人、イタリア人、ポルトガル人の親族がおり、ヨーロッパで活躍すれば、数年でEUのパスポートが取れることが大きなモチベーションとなっている。

2.サポーターの厳しい目があり、手を抜いたプレーをするとヤジが飛ぶ。そんな日常的なプレッシャーの中でプレーしている彼らはプレッシャーを感じない強靭な精神構造がつくられる。

3.南米社会の底辺は貧しく、家族を養うために生活費を稼ぐハングリーさを持ち合わせている。

4.ブラジル人選手は「サッカー界の中国人」と呼ばれ、数も多く、どこの国にいっても存在感は大きい。しかし、ブラジル人は多いが、失敗する選手も多い。

逆にアルゼンチン人選手はブラジル人に比べれば数は少ないが、海外で成功する確率は高い。これはアルゼンチンの競争心をはぐくむ教育方針が関係しているとロベルトさんは語る。アルゼンチン人は、仕事は成功させなければならないものという意識が高く、失敗して故郷に帰るくらいアルゼンチン人にとって恥ずかしいことはないのだと。

長谷部も「心を整える。」の最後でアルゼンチンのボカジュニアーズとレッズ時代に対戦した時に、ボカの選手の試合にかける意気込みとハングリーさはレッズの選手と全く異なっていたと書いている。

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
著者:長谷部誠
幻冬舎(2011-03-17)
販売元:Amazon.co.jp
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マラドーナもブエノスアイレスの貧民街出身だ。天性のサッカーセンスもあるが、そのハングリー精神はすごいものだ。だからあれだけの選手となったのだ。


Jリーグ年俸制の問題点

Jリーグの新人選手の年俸は大学・高校生は”C契約”で上限は480万円だ。アマチュア時代に国際Aマッチ、オリンピックやアジア大会などの予選・本戦の出場時間が450分以上となると”A契約”が可能だが、それでもA契約の上限は700万円と設定されている。

ロベルトさんはこれではいかにも低すぎ、プロの世界といっても夢が感じられないだろうと語る。サッカーでなくほかのスポーツを選ぶ可能性も出てくる。野球のほうが選手生命は長く、高額な契約金もある。スポーツのできる子がサッカー界を目指さなくなるのではないかと。


スポーツ選手の代理人というと、口八丁手八丁の辣腕弁護士のようなイメージがあるが、ロベルトさんはその辺を感じさせない。トリッキーなところがなく、選手から信頼されて各国のクラブオーナーやGMと誠実な交渉をしていることがうかがえる。

ロベルトさんが代理人をとつめるサッカー選手の人柄や、サッカー選手年俸・移籍に関する交渉の内実がわかって参考になる本である。


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2011年11月18日

落合博満の超野球学1 梨田監督が絶賛する落合博満監督の野球学

2011年11月18日再掲:

2011年度の日本シリーズがいよいよ大詰めを迎えている。下馬評もソフトバンク有利だったが、福岡での2敗の後、敵地で3連勝して本拠地福岡に戻るソフトバンクがやはり有利のように思える。

昨日の第5戦のテレビ中継を解説していた野村克也氏が、「こんなオーナーはいままでなかった」と絶賛していた孫正義オーナーの絶大なる支援も受けている。

ノムさんが落合監督を高く評価していることは、ノムさんの「あぁ、監督」でも紹介した。

今回のシリーズで落合監督が内川のバットのグリップのテープにクレイムをつけたことも、ノムさんがヤクルトの監督時代に日本シリーズでオリックスと対戦し、イチローの振り子打法に「足がバッターボックスから出ている」とクレイムをつけて、結局イチローを封じ込めた心理戦をほうふつとさせる。

今年で中日の監督を退任する落合博満監督は、マスコミ対策にはほどんど関心はなく、それがアダとなり退任という結果となったようだが、選手の心をつかむことが巧みなので、火事場の馬鹿力で中日優勝の目もあるかもしれない。

映画「マネーボール」で紹介したように、野球はメンタルなスポーツなのだ。

所詮短期決戦はどうころぶかわからないと思う。第1戦、第2戦のように投手が抑えていても、たった一球の失投で勝敗が決まるのが怖いところだ。

第6戦の先発はソフトバンクは和田毅だろう。六大学出身で、三振の数だけポリオワクチンの提供献金を続けている和田には是非日本シリーズで勝利を挙げて欲しいと思う反面、落合監督にも花道を飾ってほしい気持ちもある。

ところで、どういうわけかこのブログでも紹介した落合の書いた「超野球学 1」、「超野球学 2」が絶版となり、プレミアム付きで売られている。

落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2003-05)
販売元:Amazon.co.jp
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落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈
著者:落合 博満
ベースボールマガジン社(2004-03)
販売元:Amazon.co.jp
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本の画像をクリックして見ればわかるが、アマゾンマーケットプレイスで古本がそれぞれ6,000〜7,000円という値段がついている。

筆者も読んでから買った参考になる本である。いまやプレミアムがついている落合の「超野球学 1」の紹介を再掲する。


2009年1月20日再掲:


昨日ニッポンハム監督の梨田昌孝さんの講演を聞いた。梨田さんは「梨田昌孝の超野球学」という本を出しているので、近々読んであらすじをアップする。

梨田昌孝の超野球学―フィールドの指揮官梨田昌孝の超野球学―フィールドの指揮官
著者:梨田 昌孝
販売元:ベースボールマガジン社
発売日:2006-05
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最後の質問コーナーで、最強の打者は誰かという質問に、梨田さんは落合博満と答えていた。落合さんは梨田さんの同期だ。

落合さんの場合、やる気があるのかないのかよくわからない構えで打席に立つ。

てっきり見逃すと思って梨田さんがキャッチングしようとすると、落合さんはスイングのスピードがすごく速いので、スコーンと打ってしまうという。

梨田さんは、王さん、長嶋さんとは直接対決していないので、直接対決した打者のなかではという限定つきだが、落合さんは様々な面で最強の打者だという。

筆者も落合さんの本を読んで、全然「オレ流」ではないと感じた。落合監督の著書のあらすじを再度掲載する。


2007年11月2日再掲:


日本シリーズを制して、中日に53年ぶりの優勝をもたらした落合博満監督。

名球会の資格がありながら、名球会には入らないなど、落合監督は「オレ流」とか言われて誤解されることが多い。

今回の最終戦も落合監督の采配が非難されているが、プロとして当然のピッチャー交代だと思う。

その落合監督の考えがよくわかるのが、この「コーチング」と「超野球学(1)」なので、日本シリーズ制覇を記念して再掲する。

コーチング―言葉と信念の魔術


落合博満の超野球学〈1〉バッティングの理屈


落合博満中日監督というとマスコミは『オレ流』とレッテルを貼る。しかし彼の流儀は『基本に忠実に』であり、全然『我が道を行く』とか『唯我独尊』ではない。

彼はあまりに当たり前の事しか言わないので、常人とは異なる『鋭い』見方で人気を保っている有名プロ野球解説者面々には煙たがられ、彼らとは異なるという意味で『オレ流』と呼ばれているのかもしれない。

そんな落合の本は出版社が受けを狙ってか前著の『コーチング』でも『教えない、ただ見ているだけで良い』とか、誤解を招くサブタイトルを付けられていた。

この本も『超野球学1』とあたかも普通の野球理論とは異なる本の様なタイトルを付けられているが、実際はサブタイトルの『バッティングの理屈』が示すとおり、基本の基本のおさらいである。

バッティングの常識は
1.センター返し、
2.ボールをよく見る、
3.コンパクトにスウィングする
の3点だが、落合はそれぞれにわかりやすい説明をして、それらがいかにちゃんと理解されていないかを指摘する。

この本も読んでから買ったが、買う価値のある本だと思う。

たとえばセンター返しについては2000年の中村紀洋との対談で、『落合さんはライトへのホームランが多かったと思いますが、どうやったら右へ強い打球を狙い打ったのですか』と聞かれた時に『ライトに狙い打ったことは一度もないよ』と答えたと。

一瞬中村は驚いた表情をしたが、すぐになるほどと理解した由。翌2001年は中村は前年の記録を大幅に伸ばし、プロの一流の打者でも基本に忠実にやることによって記録を伸ばせることを実証してみせた。

あくまで常識=理屈を説き、全然オレ流ではない。

『バッティングは1日、2日で上達するものではない。1回でも多くバットを振った選手が生き残る。』実に泥臭いが、そういえば王も練習の虫と言われていたことを思い出す。

コンパクトなスウィングの解釈はバットを短く持って、当てに行くのではなく、『トップの位置はより深く、バットは一直線に振り出し、フォロースルーは大きく』だ。

全然しろうと考えと違うが、なるほどと思う。参考になる野球理論である。


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野球がもっと面白くなる 落合の超野球学2 再掲

2011年11月18日再掲:


落合博満の「超野球学 1」に続けて、古本がプレミアム付きで売られている「超野球学 2」のあらすじも再掲する。



2009年1月20日再掲:


落合の超野球学1のあらすじでコメントした通り、梨田昌孝ニッポンハムファイターズ監督の絶賛する落合博満監督の野球論を再掲する。


2007年11月2日再掲:

落合ドラゴンズが日本シリーズを制した。落合博満監督が浪人時代にベースボールマガジンの超野球学シリーズで持論を展開したのがこの本だ。

今回の最終戦の完全試合達成中だった山井を、8回で換えた采配が論議を呼んでいる。

「小心な夢のない野球」とか言っている人もいる様だが、結果論もいいところだ。

1:0の試合で、そのまま逃げ切れば日本シリーズ制覇となる場面で、岩瀬へのスイッチは当然だ。そのまま山井に投げさせていれば、日本ハムは最後の力を振り絞って反撃してきただろう。

一人でも走者を出せばズルズル行く恐れはあった。筆者も記憶があるが、ヤクルトの松岡弘だったと思うが、9回まで完全試合をしていたが打たれて負け投手になった例もある。

あの場面で岩瀬が出てきたので、日本ハムは意気消沈し、日本ハムの息の根を止める見事な采配だった。

勝つために野球をやっているのであって、記録をつくるために野球をやっているのではない。

この本でも紹介されている落合の、「相手の嫌がることをやるかが勝負の鉄則」の真骨頂を見せた試合だ。

その落合の野球理論がイラストや写真入りで、わかりやすく説明されているので、「コーチング」と「超野球学(1)」と一緒に、再掲して紹介する。

落合博満の超野球学〈2〉続・バッティングの理屈


超野球学1はバッティングの技術、基本を一から説いたが、2では頭、考え方を説く。

いかに相手の嫌がることをやるかが勝負の鉄則だと。

佐々木主浩との対決ではフォークを捨ててストレートだけで勝負して良い結果を残した。

そういば数年前イチロー、佐々木のマリナーズと松井が入る前のヤンキーズでプレイオフを戦ったとき、ヤンキーズ打者全員に徹底的にボールを見られて通用しなかった事を思い出す。

力のある投手がアウトローをひたすらついてくるとお手上げなのに、なぜ自分と同じ考えをする投手がいないのだろうと、ほくそ笑んでいたのだと。

『最後は自分のウィニングショットで打ち取りたい』という投手の美学、『真っ向勝負したから悔いはない』という投手の冒険心、相手バッテリーの性格を考えて攻略するのだと。

『データ人間になってはいけない、自分がデータの宝庫になろう!』といいながら、『ヤマは張ったことはありません。』、『配球も読んだことがありません。』ではやや混乱するが、インハイを意識してたち遅れない準備だけをしてボールを待つのだという。

超野球学1でのボールをよく見る、深いトップと大きなフォロースルー、早い始動、超野球学2の理想的な体の回転、『ボールを押し込む』という手首の動き、理想的なミートポイント、これらのチェックポイントを頭に入れて、かつリキまない。

今度バッティングセンターに行くのが楽しみだ。

最後に現役時代の『練習なんかしません』発言について、現役を退いた今『練習はしました。質も量も他のどの選手にも負けないくらい練習しました』と胸を張って言えると。

落合の言うことはすべて疑ってかからなければならない。すべて目的があって言っているのだから。


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2011年11月12日

映画「マネーボール」 ブラピがカッコよ過ぎ 



今日公開された映画「マネーボール」をさっそく見た。

映画のあらすじを紹介すると映画を見るときに興ざめなので、詳しくは紹介しない。

貧乏球団のオークランド・アスレチックスが、ヤンキースなどの金満軍団の1/3の年俸総額でもプレーオフ進出を果たした2002年のシーズンの実話を取り上げている。

2002年の球団別の選手サラリー合計は次の表の通りだ。

MONEYBALLchart





出典:Wikipedia

主演のブラッド・ピットがかっこよすぎて原作のビリー・ビーンのすぐカッときて当たり散らすキャラクターが目立たないことと、離婚した元妻のところで暮らす娘とビリーの交流が映画全体を流れるテーマとなっていて、本と映画は別物であることだけ記しておく。

本の方は2003年に日本語訳、文庫版は2006年に発売されている。

マネー・ボール (RHブックス・プラス)マネー・ボール (RHブックス・プラス)
著者:マイケル・ルイス
武田ランダムハウスジャパン(2006-03-02)
販売元:Amazon.co.jp
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映画化されたこともあり、今書店で並んでいる本にはブラピのカバーがついている。

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映画は純粋にエンターテインメントで、これはこれで楽しめる。

内野手ジェイソン・ジアンビー、外野手ジョニー・デイモン、投手イズリングハウゼンという中心選手3人を失ったオークランド・アスレチックスが、最下位というおおかたの予想に反して翌年の2002年のシーズンに快進撃を続ける実話をドラマチックに描いている。

一方本の方は、新人選手スカウティングや電話会議で行われるドラフト会議の現場も描いており、強いチームをつくるという目標達成のために、何をどうすれば良いのかという大変面白いビジネス書である。

今年の文化勲章受章者の丸谷才一さんが「思考と生き方のためのマニュアル」という解説を書いていることも、スポーツ関係の本としては異例である。

この本はアマゾンの「なか見!検索」に対応していないので、「なんちゃってなか見!検索」で目次を紹介しておく。

この本がノンフィクション小説ではあるが、野球を題材にしたビジネス書であることがわかると思う。

まえがき

第1章 才能という名の呪い

第2章 メジャーリーガーはどこにいる

第3章 悟り

第4章 フィールド・オブ・ナンセンス

第5章 ジェレミー・ブラウン狂騒曲

第6章 不公平に打ち克つ科学

第7章 ジオンビーの穴

第8章 ゴロさばきマシン

第9章 トレードのからくり

第10章 サブマリナー誕生

第11章 人をあやつる糸

第12章 ひらめきを乗せた船

エピローグ

あとがき:ベースボール宗教戦争

解説:丸谷才一 思考と生き方のためのマニュアル



本の方もいずれ詳しくあらすじを紹介する。

映画を見た人は是非原作を読んで欲しい。新たな面白みが発見できるはすだ。


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2011年11月10日

あぁ、監督 野村克也元監督の名将、奇将、珍将 メッタ切り

あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)あぁ、監督 ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)
著者:野村 克也
角川グループパブリッシング(2009-02-10)
販売元:Amazon.co.jp
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現役時代は南海で三冠王を達成し、南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた「生涯一捕手」を信条とする野村克也氏(ノムさん)の監督メッタ切り。「名将、奇将、珍将」という副題がついているが、手放しで名将としてほめているのは川上哲治さんくらいで、ほかはすべて何かしらケチをつけている。

2009年2月の第2回WBC開幕直前に出版された本なので、その当時の話も紹介している。


落合WBC監督?

落合がノムさんをWBCの監督に推薦したのだという。ノムさんは、逆に落合の名前はなぜ出ないのかとWBCの体制検討会議で発言したが、結局誰も落合の名前を出す人はいなかった。

結果は前年西武に負けて日本一を取れなかった巨人の原辰則監督に決まったわけだが、ノムさんは落合監督を一番評価しているという。

落合が評論家時代、ノムさんの率いる阪神のキャンプに来て、3−4時間も野球論議をしていったという。「野球界広しといえども、野球の話ができる人はほかにいないんですよね」と言っていた。落合のこの発言がいまのプロ野球界の状況を物語っているという。


プロは終着駅という選手が大多数

現役のときからノムさんは「素質を見込まれてプロに入ったのに、どうして努力しないのだろう」とよく思ったという。プロになるのが終着駅で、プロに入ったらホッとして向上心をなくしてしまい、持てる素質すら開花させられないで終わってしまう選手が大多数なのだと。

落合も同じことを「超・野球論2」で語っていたが、ノムさんもだれにも負けないくらい練習したと語る。それでもいくら練習をしても打率が伸びないという技術的限界にぶちあたったという。

要は相手ピッチャーのマークがきつくなったのだ。そのままでは2割5分しか打てない。3割を打つための残りの5分を埋めるのが、データの導入だった。

本当のプロの戦いは技術的限界の先にある。技術的限界を超えた「知力」の戦いなのだ。


監督代えたらチームは強くなる病

阪神は真弓監督を更迭し、またもや「監督を代えるだけでチームは強くなる」病が出てきそうな感じだ。

ノムさんが阪神の監督1年目の時に先日亡くなった久万オーナーに、球団の心臓部は編成部であり、10年近く低迷した理由は編成部にあると直談判したという。

オーナーはノムさんの訴えを聞き入れ、補強に力を入れて現場が野球に集中できるような環境をつくってくれた。だからノムさんの後の星野監督の1年目でセリーグ優勝できたのだと。


それにしても監督を神格化していないか?

この本では監督はあたかも補強、選手起用、試合の指揮のすべてに絶対的権力を持つような存在に書かれているが、今週ブラッド・ピット主演の映画が公開される「マネー・ボール」を読んだところなので、「本当にそうか?」という疑問がわいてくる。

マネー・ボール (RHブックス・プラス)マネー・ボール (RHブックス・プラス)
著者:マイケル・ルイス
武田ランダムハウスジャパン(2006-03-02)
販売元:Amazon.co.jp
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大リーグではゼネラルマネージャー(GM=日本でいえば球団社長か?)がいて、編成には絶対の権力を持っている。

監督は選手起用と試合の采配、つまり雇った選手をどう使うかが役目で、補強や新人獲得、つまりどの選手を雇うかはGMの役目と分担ができている。

新人獲得の場面に、監督が出て行って、最後の一押しをするというのはあるのかもしれないが、少なくとも誰を獲得するかという議論で監督が決断を下すべきではないと思う。

監督は自分の意見は言えるかもしれないが、数年で変わる監督が将来の戦力となる新人選手獲得の決定権を持っているというのは考えずらい。その意味で、この本には違和感を感じた。

ドラフト会議で指名が重なって監督がくじを引く場面が報道されるが、だからといって監督が決定権を持っているわけではないだろう。あまりにも監督を神格化しているのではないかと思う。

特に今回の日本ハムの栗山新監督就任や、中日の高木守道監督就任にも、軽さを感じてしまうところだ。


中日落合監督

監督の敵は、選手、ファン、オーナー、メディア。いずれもうまく使うという発想が大事だ。

その意味で落合監督は勘違いしているのではないかとノムさんは語る。

「どうも落合は勘違いしているのではないか。彼はグラウンドで結果を出せばいいと考えているようだが、それだけではプロ野球の監督として失格なのだ。いくら強くても、実際にファンが球場に足を運んでくれなければ、商売は成り立たないのである。

誰のおかげで自分が存在できるのか。ファンあってのプロ野球ということをいま一度考えてもらいたいのである。」


落合監督はセリーグで優勝し、CSも勝ち抜き、日本シリーズでも優勝する可能性があるにもかかわらず、今年で中日のユニフォームを脱ぐ。落合監督になって中日の人気が落ちて、観客動員数が減っていることがその理由だ。

ノムさんの懸念通りの展開となった。


ヤクルト古田前監督

古田が監督としてダメだったのは、プレーイングマネージャーとなる道を選択したことと、ヘッドコーチに投手出身で自分と親しい伊藤昭光を起用して、お友達内閣を作ってしまったたからだという。

スター選手だから自分中心の考え方をするので、周囲に感謝の念がない。野村さんに年賀状一枚送ってこないことがそれを象徴しているという。

まさに名選手、名監督ならずだ。


監督メッタ切り

この本でノムさんは多くの監督を批評している。詳しく書くと本を読んだときに興ざめなので、対象としている監督の名前だけ挙げておく。

三原脩(巨人、西鉄ライオンズ(現西武)、横浜をいずれも日本一にした)

鶴岡一人(南海ホークスで20年間監督。ただしノムさんは鶴岡組には入れてもらえなかった)

土井正三(オリックス監督時代にイチローを飼い殺し)

・恐怖と情感にあふれていた星野仙一

・財布を持ち歩かない絶対的指揮官・広岡達朗

・揃った戦力を使うのに卓越していた森祇晶

・人格者・王貞治

・監督して必要な6つのファクターをすべて持っていた川上哲治

ノムさんが本を読むきっかけとなった本


ノムさんの本は色々読んだが、ノムさんは本当に勉強家だと思う。そのノムさんが評論家となった時、多くの本を読むきっかけとなった本は、安岡正篤(まさひろ)の「活眼活学」だったという。

[新装版]活眼 活学(PHP文庫)[新装版]活眼 活学(PHP文庫)
著者:安岡 正篤
PHP研究所(2007-05-22)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

この本は筆者も読んだ。平易でわかりやすい。手軽な安岡正篤入門書である。


データ野球はどこを見るか?

最後にノムさんがどういったデータを見ているのか、さわりを紹介している。今週映画「マネーボール」を見るので、比較してみるのが楽しみだ。

たとえば:

・あるピッチャーはストレートを何球続けて投げるか

・ボールカウントごとの配球はどうなっているのか

・こういうアウトカウント、ボールカウント、ランナー位置ではどういう球種を投げてくるのか

・どういう状況でキャッチャーのサインに首を振ったか

・このバッターは空振りしたあと、どのようなスイングをしたのか


野球は心理戦でもある。ノムさんの放談が楽しめる本だった。


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2011年10月11日

日本男児 インテル長友の本 「長友革命や!」

日本男児日本男児
著者:長友佑都
ポプラ社(2011-05-25)
販売元:Amazon.co.jp
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イタリアのインテル・ミランでサイドバックとしてプレイする長友佑都選手の自伝。

長友はインテルにとっても、日本代表にとっても、サイドバックとして必要不可欠のプレーヤーになっている。次が長友のインテルでの最初のゴールシーンを収録したYouTubeの映像だ。



長友は1986年愛媛県の西条市生まれ。長友が小学校3年生の時に両親が離婚して以来、母親の手で姉と弟と一緒に育てられた。長友の母方の家系には競輪選手が何人もいて、母親はアスリート一家に育ったという。

母親が結婚式場の司会者として働いて、長友のサッカー人生を支援してくれたおかげで私立のサッカー有名校・東福岡、明治大学と順調にサッカー人生を歩み、ついにはFC東京、U−23代表、日本代表、イタリア・セリアAのチェゼーナ、そして世界最高のクラブの一つのインテルのレギュラーとなった。

長友はチームの中では一番長距離走が早い選手として目立つようになるまで走力を徹底的に鍛え、フィジカルを強くするために、体幹の筋肉を徹底的に鍛えた。長友の今日の成功は、努力のたまものであることがよく分かる。




”努力する才能”

小学校からサッカーを始め、フォワードで得点王だったが、弟の方がうまいとして評判が高かった。中学に入って長距離走の重要性に気づき、徹底的に走りこんで走力とスタミナがつけた。

松井秀喜の「不動心」のあらすじで「努力できることが才能である」という言葉を紹介したが、長友も「”努力する才能”がないと、成長できない」と全く同じ事を語る。

不動心 (新潮新書)不動心 (新潮新書)
著者:松井 秀喜
新潮社(2007-02-16)
販売元:Amazon.co.jp
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どんなにサッカーがうまくても努力をしないと上には行けない。現在の自分に満足せず、なにが足りないかを知り、それを補うトレーニングを行う。”努力する才能”とは、努力することをためらわない勇気でもある。

努力して全校トップになった中学校時代の駅伝は、長友に努力の成功体験を与えてくれたという。


「長友革命や!」

長友は福岡の東福岡高校に入学が決まり、愛媛県の西条北中学を卒業する時に、みんながくれた写真と寄せ書きを破り捨てて、「俺はビッグになってやる!」、「長友革命や!」と叫んだという。

感傷を捨て去り、「活躍するまで、ここへは戻れない」と覚悟したのだ。

東福岡高校での初練習の時、ランニングでいきなりトップを独走した。監督の目に留まるためだ。「このチャンス、ものにしてやる!」。高校の寮の部屋には、「努力に勝る天才なし」、「意志あるところに道あり」という校訓を貼りつけていたという。

長友は体が小さいので、高校の時からウェイトトレーニングをやっていた。朝5時に起床、朝食前にランニングなどの自主トレ。8時半には教室に行き、放課後は全体練習。その後は夜間の筋トレ。毎日睡眠不足の戦いだったが、授業中には寝なかった。お母さんが必死で働いて授業料を支払ってくれると思うと、寝ることなんてできなかったという。

高校から明治大学に入学してサッカー部に無事入部出来た後は、朝5時起床、6時から朝練習、学校に出て授業、授業が終わると練習という生活だった。しかし大学に入学して、すぐに椎間板ヘルニアによる腰痛が出て、数カ月リハビリを続けた。

歩くことも苦痛だったという。

腰痛の克服のために「一生もんの体幹をつくる」と決心して慎重にトレーニングを行い、食材、食べるタイミングから、眠り方、入浴方法、入浴後のストレッチまで気を使った。

筆者も椎間板ヘルニアの持病があるので、筋力を維持するために毎週ウェイトトレーニングと1キロの水泳は欠かさない。長友には同病の親しみを感じてしまう。

余談だが、長友はウェイトトレーニングの際に腰をガードするベルトを使わなかったために、高校生の時に腰を痛めたのではないかという気がする。

Schiek シーク 4インチパワーレザーリフティングベルト モデル2004L M ウェイトトレーニングベルト
Schiek シーク 4インチパワーレザーリフティングベルト モデル2004L M ウェイトトレーニングベルト


重い重量を持つ時は、ウェイトトレーニングベルトは欠かせない。腹圧で背骨の椎間板を保護するのだ。もちろんベルトをやっていても、腰を痛めることはあるが、ベルトなしだと間違いなく腰を痛める。

高校生で自主トレで筋トレしていたとなると、たぶんトレーナーなどもいなかったのだと思う。

ベルトをして正しい姿勢で筋トレすれば、歩けなくなるほど腰を痛めるということはまずないと思う。

閑話休題。

体幹を鍛えることで、なんとか腰痛を克服し、明治大学のレギュラーとなった。FC東京に見出され、大学とプロに掛け持ちを経て、正式にFC東京の選手となる。U−23の反町監督に見出され、キリンカップでU−23代表デビューを果たした。

本代表でも召集され、2008年Jリーグシーズンでは、優秀選手賞と優秀新人賞を受賞した。「もっと、もっと」と自分を鍛えた成果だったという。

優れたサッカーの才能を持っているわけではない。自分から努力を取ったらなにも残らないと語る。努力は裏切らないし、努力をすれば成長出来る。そして成長に限界はない。


岡田監督の信頼を受ける

2010年の南アフリカワールドカップでは、岡田監督のもとで活躍した。「カメルーン戦は、お前にエトーを見てもらいたい」。

ワールドカップ前に敗戦続きで、非難されていても岡田監督はブレることはなかったという。逆に悪いときこそ、成長できるチャンスなんだと、ずっと選手に言い続けていたという。


「心を磨く」ということ

インテルに来て、「心を磨く」、「心に余裕を持つ」ということを覚えたという。心を磨く」ことの重要性を知った長友は、どんなプレッシャーも力に変えることができるようになったという。プレッシャーを楽しみながらプレー出来ているという。


すべてが「努力」で統一されている。体が小さいというハンディがあるなかで、世界トップのクラブでプレーを続けている長友らしい本である。

長谷部の「心を整える。」とはまた違った意味で、参考になり、かつ役に立つ本だと思う。


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Posted by yaori at 23:29Comments(0)