2011年09月28日

ラグビー日本代表 ワールドカップで1勝を逃す



今日の早朝2時までテレビでラグビーワールドカップの日本対カナダ戦を見た。

rubgy world cup





結果はニュースで報道しているとおり23:23のドロー

Rubgy world cup japan vs canada





後半ノーサイド直前まで日本が3点差でリードしていたが、最後に反則でペナルティゴールを決められ、野田首相ではないが、そのままノーサイド。

相撲取り並の重量フォワードのプレッシャーのために、ミスを相手の得点に結び付けられ、力負けしたトンガ戦に比べれば、日本代表ははるかに良い試合をしていた。


惜しいと言えば惜しい試合だが、日本が6割がた試合を支配し、敵陣でのプレーが続いているなかで、ドローに終わったのは今後に課題を残したと言わざるを得ない。

この試合を見ていて、日本代表はテストマッチ(国際試合)に「勝ち慣れ」していないのではないかという印象を持った。

ペナルティゴールを選択せずに、ゴールライン近くにタッチキックして、ラインアウトからトライを狙ってハネ返されたシーンが少なくとも2回あった。

日本代表のキャプテンはナンバー8の菊谷選手なので、ラインアウトに自信があったため、こういう決断をしたのだろうと思うが、国際試合でトライを取ることは、ゴールキックで点を取ることに比べて格段に難しい。

結果論ではあるが、日本が相撲取り並みの体格の強力なフォワードが揃っているトンガのようなチームならともかく、フォワードで互角のカナダ相手であれば、迷わずゴールを狙うことを決断していれば、あるいは勝てた試合だったかもしれない。

前半は17−7とリードしていたので、一気呵成に攻めるという戦法だったのかもしれないが、ワールドカップ勝利が目標なら、なりふり構わず着実に点を積み重ねて欲しかった。

以前のラグビーは強豪同士の試合だと、大体キックの点数で決まる、見ていて面白くない試合が多かったので、ルールが改訂されたわけだが、あの場面では得点になる可能性が大きいゴールを狙うことを選択しても良かったのではないかと思う。

ワールドカップで20年ぶりに勝利を逃した代償が、日本代表を世界で戦えるレベルまで鍛え上げたカーワンヘッドコーチの辞任とか、あまりに大きくならなければ良いのだが‥。


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2011年08月08日

やめないよ キング・カズ 三浦知良のエッセー集

やめないよ (新潮新書)やめないよ (新潮新書)
著者:三浦知良
新潮社(2011-01-14)
販売元:Amazon.co.jp
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日経新聞のスポーツ欄にほぼ隔週で連載しているキング・カズこと横浜FC所属三浦知良選手のエッセー集。

筆者は一度だけカズの試合を見たことがある。

横浜FCがJ−1に昇格してのリーグ戦で、ジェフ千葉との試合を横浜スタジアムに見に行ったのだ。

その時カズはたしか故障明けで、試合には出場しなかった。

kazu1






kazu2






試合が始まってしばらくして控えの選手がアップを始めた。そこで目の前で練習していたカズを見ただけだったが、体がえらくスリムなのに驚いた。

この本でも時々出てくるが、カズは現役サッカー選手なので、体をいわばF−1マシンのように保っているという。筋肉質で持久力も瞬発力もあり、体脂肪は1ケタ台に保っているが、逆に寒さに弱く、ウィルスにも弱い。

40代の男性なら少なくとも体脂肪率は12ー13%くらいあった方が抵抗力もあって健康体なのではないかと。

カズの場合、23年落ちのF−1マシンのようなものなので、エンジン(心肺機能)は強いが、一度走るとタイヤ(筋肉)がすごくすり減り、サスペンション(関節)への負担は大きい。だから専属トレーナーや調理師が必要なのだと。

もっとも時々トレーナーの指示を無視して、六本木・麻布方面に「テスト走行」に出かけることもあるとうそぶく。

「テスト走行」の話も面白い。

キング・カズだけに、巨人軍原監督とグアムの空港で「ヘーイ、キング・カズ!」と呼びかけられた話とか、行きつけの店に行ったら、マリナーズのイチローがカズの指定席を占領していて「カズさん、ブラジル(2014年ワールドカップ)行くんでしょ?見たいね。」と言われた話とか、すごい人脈だ。

イチローには「あのね、J−2で出ていないんだから・・・・。」というと、「関係ないでしょ。見たいね。」と言われ、そこまで言われると行けるような気がしてきたという。

WBCの優勝監督の原監督は、グアムの空港でカズが野球好きの息子を紹介すると「それじゃ、ジャイアンツで待っているぞ!」と手を振って去っていたという。

なんというさわやかさだろうとカズも驚嘆している。

サッカーではジーコの精神が残っているチームとして鹿島を絶賛している。ジーコは「勝負がかかれば何であれ負けるな」とじゃんけんでもリラックスゲームでも常に真剣に取り組んでいたという。

スタメンから外れた選手による練習試合でも、鹿島との試合では「試合に出たい」というハングリーさが浦和とは違っていたという。

これは2009年の話だ。

2009年のJリーグ最終戦では、昇格して1年目で降格が決まっていた横浜FCが一位の浦和に勝つという番狂わせを起こし、2位に急上昇していた鹿島が逆転優勝したドラマがあった。

鹿島のオリヴェイラ監督が練習試合の後で訪ねてきてくれたという。「カズ、君は我々の誇りだ。元気にやっているじゃないか。本当は何歳なんだ?」

カズは練習試合でもフル出場していると。

声を出して仲間を統率し、試合後は入念にクールダウンする。ひそかに見届けていた彼は言ってくれた。

「君はエゼンプロ(手本)だ。その精神を鹿島の選手も見習ってほしい。」リーグを3連覇した優勝監督の激励に涙が出たという。

先週の松田直樹選手の弔問に訪れていたカズがテレビのニュースに報道されていたが、引き締まった面構えはまさに戦士そのものだ。

松田選手が所属していた松本山雅チームは松田選手が亡くなる直前に、7月30日にアウェーで筆者の住む町田市の町田ゼルビアと試合をしている

松本山雅





試合前のポスターでは相手チームの松田選手が全面に出ていたが、この試合は松田選手は交代でも出場していない。松田選手はJFL後期日程は全試合出場していたので、やはり体調が悪かったのかもしれない。

サッカー選手は常にフィットの状態に保っているのだと思うが、カズの「F−1」という言葉であらわされる通り、松田選手のような「もろい」面もある。

カズには、ひきつづき体に気をつけて、現役生活を続けて、1点でも多くのゴールを挙げ、日本に元気を与えてほしい。

ガンバレ、カズ!


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2011年07月20日

おめでとう!なでしこジャパン あの感動をもう一度

なでしこジャパンが女子ワールドカップを制した。

休日の月曜日は朝までサッカー観戦をした人も多いと思う。

筆者は実は後半の30分でアメリカのフォワード・モーガン選手に見事なシュートを決められたところで、眠気に耐えきれず寝てしまった。

もうダメだと思って寝てしまったら、起きたらなでしこが優勝していた。

何度もリプレイをテレビで流していたが、コーナーキックを右足で方向を変えてゴールさせるとは澤選手の超・高度な技術だ。



FIFAが女子ワールドカップの特設サイトを開設している。

全試合の短縮版が見られるので、是非日本代表やアメリカ代表、ブラジル代表の試合を見て欲しい。

FIFAWomen's World Cup






あの感動をもう一度!


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2011年07月03日

心を整える。 アマゾン売り上げ一時トップ! 日本代表ゲームキャプテン・長谷部の本

心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣
著者:長谷部誠
幻冬舎(2011-03-17)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

アマゾンで売れ行き一時トップ(2011年6月20日現在)の日本代表ゲームキャプテン・長谷部誠の本。

長谷部は2010年夏のワールドカップの2週間前に岡田監督からゲームキャプテンに指名された。チーム全体のキャプテンは川口能活、長谷部の前のゲームキャプテンは中澤佑二だった。

長谷部は当時26歳。チーム内で年長の選手が多くいた。一度は、チームに対する影響が大きすぎると岡田監督に辞退を申し出る。岡田監督はすぐに中澤を部屋に呼び、話し合った結果、長谷部にやはりゲームキャプテンをやって貰うという決定となった。

「やはりゲームキャプテンはオマエにやってもらう。オマエは誰とでも分け隔てなく話せるし、独特の明るさがある。何か特別なことをやろうとしなくていい。いままでやっていたとおり、普通に振舞ってくれ。」

岡田監督にはこのように言われたという。

この本のタイトルは「心を整える。」だ。試合で実力を出すために、いわばピアノを調律するように。心を調律して良いパフォーマンスを生み出すのだ。そのための56の習慣を紹介している。

長谷部は静岡県出身。藤枝東高校で2001年の国体に準優勝し、浦和レッズにスカウトされる。レッズでは2年目からレギュラーに定着し、2003年のナビスコカップで優勝、2007年にはACLで優勝し、一躍国際スカウトに注目される。

2008年にドイツのヴォルフスブルグに移籍して、翌2009年ブンデスリーガで優勝。



現在もMFとしてブンデスリーガでプレーを続ける。長谷部というとあまり目立たない選手という印象が強い。遠藤の様にフリーキックを蹴るわけでもないし、かつての小野伸二のようなキラーパスがあるわけでもない。

それでいてチームになくてはならないの攻守の要となっているのが、長谷部がブンデスリーガで4年もレギュラーを張っており、日本代表でもゲームキャプテンとなっている理由だろう。

ヴォルフスブルクのディレクターは長谷部の90分間のポジショニングを見て、感心して次のように評しているという。

「長谷部は組織に生まれた穴を常に埋められる選手だ。とても考えてプレーしているし、リーグ全体を見渡しても彼のような選手は貴重だ。」


長谷部の肉声が伝わる本

この本は長谷部の肉声が伝わるような本だ。

高校3年になってやっと藤枝東のレギュラーになれた長谷部にレッズからオファーが来た。両親は大学進学を勧め、高校生からのプロ入りに反対したが、そんな長谷部に、「じいちゃん」が言った。

「マコト、人生は一度しかないんだよ。男なら思いきって挑戦するべきではないのか」

長谷部の名前は誠実の「誠」だ。スパイクにはじいちゃんの「松」と自分の「誠」を刺繍で縫いつけているという。

長谷部のじいちゃんは松太郎という名前で、既に亡くなったが、スパイクの内側に刺繍を縫いつけることで、いつもじいちゃんと一緒だという気持ちでいるという。

試合でサイドラインを超える時に、長谷部は天を見上げているが、いつも「じいちゃん、今日もよろしく」と心の中で言うのだと。

「昔気質(むかしかたぎ)」なところが、長谷部の魅力なのだと思う。


「心を整える」56の習慣

この本ではいかにも誠実で努力家・勉強家の長谷部らしい「習慣」、エピソードが紹介されている。アマゾンのなか見!検索には対応していないので、目次を紹介しておく。

第1章 心を整える。
 01 意識して心を鎮める時間を作る。
 02 決戦へのスイッチは直前に入れる。
 03 整理整頓は心の掃除に通じる。
 04 過度な自意識は必要ない。
 05 マイナス発言は自分を後退させる。
 06 恨み預金はしない。
 07 お酒のチカラを利用しない。
 08 子どもの無垢さに触れる。
 09 好きなものに心をゆだねる。
 10 レストランで裏メニューを頼む。
 11 孤独に浸かるーひとり温泉のススメ

第2章 吸収する。
 12 先輩に学ぶ。
 13 若手と積極的に交流する。
 14 苦しいことは真っ向から立ち向かう。
 15 真のプロフェッショナルに触れる。
 16 頑張っている人の姿を目に焼きつける。
 17 いつも、じいちゃんと一緒。

第3章 絆(きずな)を深める。
 18 集団のバランスや空気を整える。
 19 グループ内の潤滑油になる。
 20 注意は後腐れなく。
 21 偏見を持たず、まず好きになってみる。
 22 仲間の価値観に飛び込んでみる。
 23 常にフラットな目線を持つ。
 24 情報管理を怠らない。
 25 群れない。

第4章 信頼を得る。
 26 組織の穴を埋める。
 27 監督の言葉にしない意図・行間を読む。
 28 競争は、自分の栄養になる。
 29 常に正々堂々と勝負する。
 30 運とは口説くもの。
 31 勇気を持って進言すべきときもある。
 32 努力や我慢はひけらかさない。

第5章 脳に刻む。
 33 読書は自分の考えを進化させてくれる。
 34 読書ノートをつける。
 35 監督の手法を記録する。

第6章 時間を支配する。
 36 夜の時間をマネージする。 
 37 時差ボケは防げる。
 38 遅刻が努力を無駄にする。
 39 音楽の力を活用する。
    コラム ミスター・チルドレン ベスト15
 40 ネットバカではいけない。

第7章 想像する。
 41 常に最悪を想定する。
 42 指揮官の立場を想像する。
 43 勝負所を見極める。
 44 他人の失敗を、自分の教訓にする。
 45 楽な方に流されると、誰かが傷つく。
 
第8章 脱皮する。
 46 変化に対応する。
 47 迷ったときこそ、難しい道を選ぶ。
 48 異文化のメンタリティを取り入れる。
 49 指導者と向き合う。

第9章 誠を意識する。
 50 自分の名前に誇りを持つ。
 51 外見は自分だけのものではない。
 52 目には見えない、土台が肝心。
 53 正論を振りかざさない。
 54 感謝は自分の成長につながる。
 55 日本のサッカーを強くしたい。
 56 笑顔の連鎖を巻き起こす。

最終章 激闘のアジアカップで学んだこと


この目次だけ読んでも、まじめな長谷部の性格が感じられると思う。


勉強家の長谷部

この本のところどころに、長谷部が影響を受けた本の言葉が引用されている。それは京セラ創業者の稲盛和夫さんだったり、松下幸之助だったりする。

たとえば稲盛さんの次のような言葉を引用している。

「判断に迷った時は、人として正しいかどうかを考えるようにしている」

以前読んだ稲盛さんの本では、「動機善なりや、私心なかりしや」と常に自問すると書いてあった。これと同じような言葉だ。

だから長谷部は監督にも進んで進言するという。「自己保身のために言わないことの方こそ、正しくない行動のはずだ」と思うからだという。

2010年ヴォルフスブルクの監督に就任したばかりの英国人マクラーレン監督にもボランチのポジショニングについて意見を言ったという。

こんな時に長谷部が意識しているのは「上から目線」にならないようにすることだと。監督が腹を立てたら考えも聞いてもらえず、干されてしまうかもしてない。チームのために進言しているという思いを伝えなければならないのだ。

この辺の一途さが岡田監督からゲームキャプテンに指名された理由の一つだろう。


33読書は自分の考えを進化させてくれる

この本の33番目の習慣が読書だ。長谷部は当初は東野圭吾とか宮部みゆきとかの人気作家の小説をよく読んでいたが、デール・カーネギーの「人を動かす」を読んでから、哲学系の本が圧倒的に増えたという。

ドイツではひとりでいる時間が増え、よりサッカーや人生のことを深く考えるようになったことも関係している。

読書は人前で話す機会が多いサッカー選手にとって、言葉のセンスを磨く上でも重要だという。

長谷部の推薦するのは次の本だ。このブログでもあらすじを紹介しているので、題名をクリックして参照してほしい。

松下幸之助の「道をひらく」

道をひらく道をひらく
著者:松下 幸之助
PHP研究所(1968-05)
販売元:Amazon.co.jp
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姜尚中(カン・サンジュン)の「悩む力」

悩む力 (集英社新書 444C)悩む力 (集英社新書 444C)
著者:姜 尚中
集英社(2008-05-16)
販売元:Amazon.co.jp
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太宰治の「人間失格」(リンクは「人間失格」に触発された押切もえの「モデル失格」)

人間失格 (集英社文庫)人間失格 (集英社文庫)
著者:太宰 治
集英社(1990-11-20)
販売元:Amazon.co.jp
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「アインシュタインは語る」

アインシュタインは語るアインシュタインは語る
大月書店(2006-08)
販売元:Amazon.co.jp
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この本はまだ読んでいないが、アインシュタインの伝記の決定版ともいえるものが、翻訳されたので、これをいずれ紹介する。

アインシュタイン その生涯と宇宙 上アインシュタイン その生涯と宇宙 上
著者:ウォルター アイザックソン
武田ランダムハウスジャパン(2011-06-23)
販売元:Amazon.co.jp
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アインシュタイン その生涯と宇宙 下アインシュタイン その生涯と宇宙 下
著者:ウォルター アイザックソン
武田ランダムハウスジャパン(2011-06-23)
販売元:Amazon.co.jp
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斉藤茂太「幸せを呼ぶ孤独力」

幸せを呼ぶ孤独力―“淋しさ”を「孤独力」に変える人の共通点幸せを呼ぶ孤独力―“淋しさ”を「孤独力」に変える人の共通点
著者:斎藤 茂太
青萠堂(2005-12)
販売元:Amazon.co.jp
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長谷部は「読書ノート」をつけて、気に入った文を抜き書きしているという。心の点検もしているのだと。

ちなみに本田圭祐も白洲次郎の本を読んでいたという。

白洲次郎 占領を背負った男白洲次郎 占領を背負った男
著者:北 康利
講談社(2005-07-22)
販売元:Amazon.co.jp
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長谷部の「監督ノート」

長谷部は今は現役選手だが、いずれは引退する。その時のために2年前から「監督ノート」をつけ始めているという。自分が出会った監督が、どのようにチームをマネージしているのかを記録しているという。

また他の選手から聞いた他の監督の練習方法や、本やテレビなどで見たサッカー以外のスポーツの練習方法でも参考になりそうなものは記録しているという。

注目すべき点は多いという。たとえば:

・シーズン前の合宿ではどのようにしてチームの組織を構築するのか
・遅刻したときの罰金の額
・携帯電話やゲーム機の使用制限
・GM(ゼネラルマネージャー)との関係の作り方
・スポンサーへの対応
・ファンやマスコミへの距離感
・どんなスタッフを揃えるか
・試合に向けてどのような練習をするのか
・練習の時間配分
・練習メニュー

この本の38番目の習慣は「遅刻が努力を無駄にする」だ。長谷部は練習の1時間前には着くようにしているという。時差対策も日本への帰国の一週間前から就寝時間を少しずつ早めるという。いかにもまじめな長谷部らしい習慣だ。

ちなみに筆者の時差調整のやり方は、東へ向かう場合は(日本→北米など)機内で眠るが、西へ向かう場合(北米→日本など)は、機内では寝ないで無理矢理時差調整をする。

飛行機に乗ったらすぐに時計を到着地の時間に合わせるというのも、頭の切り替えに役立つと思う。


長谷部はミスチルファン

この本には長谷部によるミスチルベスト15なども載っていて、ミスチルのことが、いろいろなところで出てくる。試合前の移動中のバスの中でもいミスチルは不可欠なのだと。



「ニーチェの言葉」にドキッとする

このブログでも紹介した「ニーチェの言葉」とか、ワタミの渡邉美樹さんの本のこととかも出てくる。

超訳 ニーチェの言葉超訳 ニーチェの言葉
ディスカヴァー・トゥエンティワン(2010-01-12)
販売元:Amazon.co.jp
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きみはなぜ働くか。―渡邉美樹が贈る88の言葉きみはなぜ働くか。―渡邉美樹が贈る88の言葉
著者:渡邉 美樹
日本経済新聞社(2006-09)
販売元:Amazon.co.jp
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「ニーチェの言葉」の中で「脱皮して生きていく」という言葉にドキッとしたという。ワールドカップ直前に、岡田監督の戦術変更を受け入れられない自分に気が付いたという。

2008年のアルゼンチンのボカ・ジュニアーズとの試合では、ボカの選手のワンプレー、ワンプレーに魂がこもった試合態度に圧倒されたという。ボールを失ったら、すごい気迫で奪い返しに来るという。ユニフォームを引っ張るのも当たり前。スタンドに来ているスカウトに必死にアピールして、わずかな可能性も逃さないという真剣な態度だ。

長谷部はボカの選手を見て、自分の未来は自分で勝ち取るのだという単純なことに気づかされたという。長谷部はボカ戦で、海外移籍を本気で考えるようになり、異文化のメンタリティを積極的に自分になかに取り組むことを意識するようになったという。



筆者はブエノスアイレスに2年間住んでいて、トップクラブ「リーベル・プレート」の会員だったので、リーベルとボカの試合も見た。日本でいえば巨人・阪神戦のような感じで、ちょっとハイソなリーベル、下町のボカという立ち位置だ。ブエノスの貧民地区出身のマラドーナもボカに憧れ、一時在籍したこともある。


長谷部の誠実な性格が伝わってくる本だ。正直あまり長谷部のゴールは記憶にない。あまり目立たないが、日本代表の常連としてチームには不可欠な選手なのだろう。

さすが幻冬舎である。著者の誠実さといい、気持ちのこもった内容といい、売れる要素満載の本だ。


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2011年03月26日

自ら育つ力 祝箱根駅伝総合優勝!早大 渡辺康幸駅伝監督の本

自ら育つ力 早稲田駅伝チーム復活への道自ら育つ力 早稲田駅伝チーム復活への道
著者:渡辺 康幸
日本能率協会マネジメントセンター(2008-11-28)
販売元:Amazon.co.jp
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2011年の箱根駅伝で総合優勝した早稲田大学駅伝監督の渡辺康幸さんの本。2008年12月の出版だ。



先日会社で渡辺さんの講演を聞く機会があったので、この本を読んでみた。


脱炭水化物ダイエットで10キロ超減量

この本の写真もそうだが、テレビでも結構ふっくらしている様に見えたが、講演に現れた渡辺さんはいかにも元マラソンランナーらしくスマートな体型だった。

テレビはそうとう太って見えるものだと思いこんでいたら、脱炭水化物ダイエットで最大15キロ減量したのだと。

渡辺さんは1973年生まれ。監督になって7年になるが、まだ38歳だ。


市立船橋の超ハードトレーニングでメキメキ上達

渡辺さんは千葉県生まれ。中学時代は格別目立った選手ではなかったが、高橋尚子を育てた小出義雄監督が監督をしたことがある市立船橋高校の誘いを受けて一般受験して入学。

渡辺さんが市立船橋高校の選手だったころは、授業前の朝練で、船橋市内を流れる海老川沿いの一周2キロのジョッギングロードを4周。3周め,4周めは全力疾走だったという。

午後練は5キロほど離れた夏見総合運動公園までジョッギングし、ここで一周5キロのアップダウンのきついジョッギングコースを4周。

時々は東大検見川総合運動場に行き、クロスカントリーコースを20キロ以上走って、最後は1,000メートルの全力走だったという。日曜日だけが休みだ。

たまにはサボりたくなるようなハードな練習だったという。渡辺さんはハードトレーニングでメキメキ力を付け、千葉県の中学チャンピオンだった選手をすぐに追い抜き、高校2年で世界ジュニア選手権にも出場し、高校の長距離記録を次々塗り替えた。

余談になるが、筆者は実は新婚の頃は船橋に住んでいて、夏見総合運動場の近くの社宅に住んでいた。きれいな運動場だった。

大学の時には検見川で時々合宿していたので、渡辺さんの本を読んで懐かしく感じた。

今回の東北関東大震災で船橋の夏見地区は断水になっていたようだ。市立船橋の生徒にはあまり影響が出ていなければ良いのだが。


学生長距離界のスーパースター

早稲田大学でも1年生から箱根駅伝を走り、10,000メートルで1992年世界ジュニア3位、1993年ユニバーシアード2位、1995年ユニバーシアード優勝、1995年の世界選手権では当時の学生記録を樹立した。

箱根駅伝では、2年先輩に早稲田の三羽烏と呼ばれた逸材を擁し、1年生の時に総合優勝、2年生から4年生まで連続総合2位という成績だった。

学生長距離界のスーパースターとして君臨し、1996年に早稲田の先輩・瀬古さんがいるS&B食品に入社した。


社会人になってからは故障続き

社会人になってからは、アキレス腱の故障に悩まされ、アトランタオリンピックの10,000メートルの代表に選ばれたが、レースには出場できなかった。

銀メダルの谷亮子さんと一緒の飛行機で帰国し、谷さんの出迎えに多くのマスコミが集まっている横を、下を向いてすり抜けたのだと。

結局29歳で競技から引退を余儀なくされるという寂しい現役生活の終わりだった。


2004年に早稲田駅伝監督に就任

渡辺さんが卒業してからの早稲田の長距離チームは箱根駅伝で順位がだんだん落ち、2004年にはワーストタイの16位にまで落ちた。

最悪の状態だったので、あと2−3年待った方が良いというアドバイスもあったが、部員達の「見捨てないでくれ」という強い希望を受け入れ、ワーストタイになった2004年に渡辺さんは駅伝監督に就任した。

初めは自分の考えを押しつけ、「自分ができたんだから」という考えからの「他人の理想」の厳しい練習は、4年生くらいしかついてこれる部員がなく、チームは壊滅状態になった。

これではいけないと思い直して、おんぼろの合宿所で選手と寝泊まりしはじめ、スキンシップを大切にして指導を始めた。

2005年の箱根駅伝はあと一歩のところでシード権を逃す11位。アンカーの高岡選手が区間二位の激走だったにもかかわらず、大手町で両手をあわせてゴメンとゴールインしたシーンは筆者も覚えている。

2006年の箱根は13位と成績は低下し、風当たりも強くなってきたときに励ましてくれたのは今回都知事選挙に立候補した東国原さんだった。

当時の東国原さんは毎月400キロ走り、40歳を過ぎても年々記録が向上するランナーだったという。

人生で大切なことはすべてマラソンで学んだ!人生で大切なことはすべてマラソンで学んだ!
著者:東国原 英夫
晋遊舎(2010-02-20)
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「自ら育つ力」をつけさせる指導

渡辺さんは野村克也監督、ラグビーの平尾誠二さんなどのスポーツリーダーシップに関する本を読みまくり、当時の早稲田のラグビー部清宮監督や他大学の監督にも話を聞いた。

野村ノート野村ノート
著者:野村 克也
小学館(2005-09)
販売元:Amazon.co.jp
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勝者のシステム―勝ち負けの前に何をなすべきか (講談社プラスアルファ文庫)勝者のシステム―勝ち負けの前に何をなすべきか (講談社プラスアルファ文庫)
著者:平尾 誠二
講談社(1998-11)
販売元:Amazon.co.jp
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結論として「自分にえらそうな管理はできない」という考えに至り、選手自身に「自ら育つ力」をつけさせるという指導法に変えた。

このブログでも紹介した松井秀喜の「不動心」に載っていた「努力できることが才能だ」という言葉を思いおこさせる。

不動心 (新潮新書)不動心 (新潮新書)
著者:松井 秀喜
新潮社(2007-02-16)
販売元:Amazon.co.jp
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渡辺さん自身、天才ランナーと言われて、結局最後まで自分を客観的に見るという「自己管理」ができていなかった。だから選手には自分の成長には自分で責任を持つものなのだということを教えたかったのだと。

監督になった時の目標である「4年で総合優勝」にはならなかったが、2008年には往路優勝、総合2位にまで盛り返した。そして2011年には念願の総合優勝を果たした。


「自ら育つ力」をつける渡辺さんの指導法

渡辺さんの講演では、11+5=合計16のポイントを挙げて箱根駅伝で勝つための指導法を説明していた。次は筆者なりに講演内容もふまえて整理した渡辺さんの強いチームの作り方だ。


1.渡辺さんの強いチーム作り

(1)リクルーティング強化
渡辺さんはリクルーティングが駅伝の成功の8割だと語っていた。

早稲田は幸いにして大学のネーム・バリューがあるが、箱根駅伝で実績を残せない間は、高校にリクルーティングに行っても、その高校のナンバーワンの選手を獲得できなかったという。

例えば後に大学陸上競技界のエースとして活躍し、オリンピックにも出場した竹澤も高校時代はナンバーワンではなかった。竹澤から早稲田に来たいという逆指名があって獲得したという。

高校の長距離界では、長野の佐久長聖高校が有名だが、佐久長聖の監督が東海大学出身だったこともあり、なかなか有力選手を獲得できなかった。

ようやく最近は佐久長聖高校からもナンバーワンを取れるようになり、2010年は大迫というトップ選手を獲得できた。その大迫が2011年箱根駅伝の1区トップで早稲田の総合優勝の出だしを飾った。

スカウティングに加えて、早稲田実業などの附属高校も強化、一般受験でも選手を集めて、選手層を厚くした。

これはオフレコの話なのかもしれないが、大学生の就職が厳しくなってくると山梨学院大学、神奈川大学などは良い選手獲得が難しくなることが予想され、これからはネームバリューのある青山学院大学、明治大学などが強くなってくると渡辺さんは予想していた。


(2)達成可能な目標管理 夢と目標とは違う
チーム作りの基本は5,000メートルで13分台、10,000メートルで28分台で走る選手を育成する。区間賞を取る選手をそろえるのではなく、区間2−3位の選手を10人揃えるのだ。

弱いチームは過信して甘い目標を立てがちだ。

選手には毎年合宿所の壁に今年の目標を貼り出させ、「有言実行」を実践させた。達成可能な小さい目標を積み重ね、自己成長サイクルに乗せた。

この話は筆者も全く同感である。筆者は大学4年間パワーリフティングをやっていた。パワーリフティングも長距離走同様に、小さな目標達成の積み重ねだ。

筆者も最初はベンチプレス60Kg,スクワット140Kgくらいだったのが、卒業時にはベンチ140Kg,スクワット220Kgまで伸びた。

一ヶ月で2.5−5Kgくらい伸ばすことを目標にしていたので、四年間続けたら、記録が倍増した。渡辺さんが語っているのと同じ、小さい目標を積み重ねた結果だ。


(3)自己管理
選手には自己管理を徹底させ、身体のケアをさせた。合宿所も改修して、プロの栄養士、トレーナー、睡眠指導を導入した。

選手は試合前のカゼなどを隠す傾向があるので、これを見抜くのも強いチームを作るための監督の力量だ。

(4)モデル・ライバル・手本をつくる
上級生などでモデルとする選手をみつけ、ライバルをつくり、陽のオーラを出す人を見つける。これで成長を加速させるのだ。

さらにAチームとBチームをわけて、メンバーの入れ替えも頻繁に行った。

2011年のチームは竹澤が卒業し、エース不在のチームだったが、ハングリー精神のある選手がいたので、一区の大迫を覗き、区間賞なしで総合優勝した。

チームのまとまりを生む4年生、そしてハングリーな選手が箱根に強いのだ。「エースと新人には頼らない」というのが渡辺さんの基本的なチーム作りの考え方だ。

ちなみに渡辺さんのライバルは山梨学院大学のスタファン・マヤカ(現創造学園大学コーチ)だったという。

陽のオーラを発する人は毎月400キロは走るという東国原前知事、小出マジックで有名な小出監督が良い例だ。「すっごい足しているね」、「君は絶対に速くなるよ」、「絶対に君は大物になるから」というぐあいだ。


2.勝つための環境整備

渡辺さんは監督に就任して、早稲田のラグビー部の清宮監督に話を聞きにいったところ、まずはまわりを整備しろとアドバイス受けたという。これに従って、次のように環境を整備した。

(1)グラウンドと合宿所を7億円かけて改修
グラウンドは2億円、合宿所を5億円かけて改修した。そのうち1億円はOBの寄付でまかない、残りは大学に出して貰った。ちなみにラグビー部は施設の改修等に70億円掛けたという。

(2)大学のバックアップ
「スポーツの弱い早稲田は早稲田ではない」という奥島前総長の言葉を受けて、早稲田のスポーツ推薦枠は85人しかなかったのを拡大してもらった。

選手強化費も1,200万円だったのを1億5千万円にして貰い、専属のトレーナー、栄養士をやとった。

「光る奴には旅をさせよ」ということで、有望なランナーには海外遠征を経験させた。

例えば学生長距離界のチャンピオン竹澤謙介にはヨーロッパ遠征や世界選手権に出場させ、北京オリンピック出場も果たした。

ちなみに東洋大学は10億円、明治大学は7億円の年間強化費予算を持っているという。

(3)フロント整備
早稲田大学の陸上部のOB会は元日本陸連会長の92歳の青木半次さんや、衆議院議長宇の河野洋平さんなどの大物がいて、小回りがきかなかった。

そこで渡辺さんは70歳定年制を提案して導入し、若返りをはかり、口は出さずに金を出すというOB会に変えたという。


3.箱根駅伝にあわせたチーム作り
 
(1)コーチに山上りのスペシャリストを起用
箱根の山を制するものは、箱根駅伝を制する。渡辺さん自身は山上りの経験はなかったので、山上りのスペシャリストで早稲田の後輩の相楽豊さんをコーチとして上武大学からひっぱった。

(2)担当別に練習内容を変える
相楽さんの意見を入れて、山上り、山下り、平地区間等の担当別に練習スケジュールを変えた。

相楽さんは「相楽ノート」という選手の状態を克明に記録するノートを付けており、渡辺さんが「ガーッと行け」とか感覚的に言うと、「何分何秒で行け」という風に具体的に言い直してくれるという。

渡辺さんに欠けている点を相楽さんは持っているのだと。

ちなみに渡辺さんが雑談で語っていたが、東洋大学の柏原竜二選手はストライド走法で山上りができる100年に一度の選手だと。30〜40秒の差があっても、あっという間に抜かれるという。



しかし柏原選手も万能ではなく、箱根駅伝の山上りでは圧倒的な強さを示すが、山下りと接戦に弱いという弱点があり、最近は自分の記録を上回ることができないでいる。

渡辺さんは柏原君が最終学年の4年になる来年の箱根駅伝には、ひとあわふかせる作戦を考えているという。


渡辺さんのチーム作りの注意点
次は渡辺さんが講演で語っていたチーム作りで気を付けた点だ。

1.成功者の話を聞くこと
なかばジョークで、「監督になったら酒、女、金には気を付けろ」と言われたと渡辺さんは言っていた。そういえば監督の辞める原因は、たしかにこの3つだと。

2.危機感を持ち続ける
チームが上向きの時があぶないという。選手は故障を隠そうとするので、選手に密着して状態を常に把握しておくことが大事だ。

過去の箱根駅伝で何度も「涙の途中リタイア」という劇があったが、これがまさに選手の故障を監督が見抜けなかった例だ。

3.名選手名監督ならず
名選手はどうしても、「なんでできないの?」という態度になる。「俺ができた」のにはダメだという。

練習量も腹八分目の指導、60〜70点を目指し、アベレージ的に良い状態にもっていくのだ、

4.古い伝統の廃止
早稲田では後輩が給水したり、風呂掃除というノルマがあった。「礼に始まり礼に終わる」というOB会の反対もあったが、押し切った。

5.実力にあわせたチーム編成
A,B,C,Dチームをつくり、Dは故障者、1,2,3軍の入れ替えを頻繁に行い、チーム内でも競争させた。

6.適性の見極め
山上り、山下りのエクスパートを養成するため、高校時代から大学1年まで適性を見極め、山上り・下りのエクスパートを育てた。
  
7.補欠のケア
補欠には理由を告げ、納得させる。たとえチームでトップクラスの実力を持っていても、勝手な行動をする選手は補欠にした。

8.就職先のケア
OB会、陸上のネットワークなどで就職のケアをきっちり行うことで、高校生を早稲田に進学したいという気持ちにさせることができる。

9.マスコミ活用
渡辺さんは一切取材拒否はしないので、箱根駅伝の直前の12月20日あたりになると、取材陣が100人を超える。敵をつくらないのがポリシーだという。


最近の若い選手の扱い方

ビジネスマン向けの講演だったので、最近の若い選手の扱い方について渡辺さんがコメントしていた。筆者のメモからポイントを紹介しておく。

1.2/6/2の法則で監督自らが歩み寄って育てる
選手育成は子育てと同じだという。渡辺さんは女子アナと結婚しており、共稼ぎで、2歳の息子がいる。講演で「ワーク・ライフ・バランス」についての質問が出たときに、子育ては人間を強くすると語っていた。
  
高校ナンバーワンの大迫も天才肌で練習嫌いだが、監督から歩み寄って育てるのだと。

2.納得すると力を出す
接触する時間をふやして、わかりやすく説明すると納得すれば力を出す。

3.ミーティングを短くする
一回5〜10分として、毎日やっている。

4.昔の話、苦労話をしない 
信頼関係ができると聞きたがるが、それまでは自分からは苦労話はしない。

選手とコミュニケーションを取るために、渡辺さんは一時間ほど選手と一緒にジョッギングするという。

5.マザコンが多い 好き嫌いが多い
週一回の休みには家に帰る選手が多い。牛乳が飲めない奴もいる。


以上講演の内容も加えて、渡辺さんの指導法を整理して紹介した。

上記でも紹介した東洋大学の柏原君の対策を必死になって渡辺さんは考えているようだ。下り坂、平地に的を絞ったものだと思うが、2012年の箱根駅伝では柏原対策の秘策を見たいものである。来年の箱根駅伝が楽しみだ。


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2011年02月19日

ザイニチ魂! ドイツで活躍する鄭大世(チョン・テセ)の本

ザイニチ魂!―三つのルーツを感じて生きる (NHK出版新書 337)ザイニチ魂!―三つのルーツを感じて生きる (NHK出版新書 337)
著者:鄭 大世
NHK出版(2011-01-06)
販売元:Amazon.co.jp
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4年間在籍した川崎フロンターレから、昨年ドイツ2部リーグのボーフム(Bochum)に移籍したザイニチ3世・鄭 大世(チョン・テセ)の本。

チョン・テセオフィシャル・ブログも持っており、ドイツでの生活やボーフムでの試合結果などが載っている。

チョン・テセブログ





書店で目立つところにあったので買ってみた。

この本を読んだ後で、「壁を壊す!」というブックレットが岩波書店より出ているので、こちらも参考までに読んでみた。「壁を壊す!」は「ザイニチ魂!」の内容と基本的に一緒で、2010年7月に早稲田大学のアジア太平洋研究センターで行われたチョン・テセの講演をまとめたものである。

壁を壊す!! サッカー・ワールドカップ北朝鮮代表として (岩波ブックレット)壁を壊す!! サッカー・ワールドカップ北朝鮮代表として (岩波ブックレット)
著者:鄭 大世
岩波書店(2010-12-09)
販売元:Amazon.co.jp
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チョン・テセの所属するボーフムはかつて小野伸二も在籍したことのあるクラブで、現在はブンデスリーガの2部の首位にいる。

筆者はボーフムに行ったことがある。といってもサッカーを見に行ったのではなく、ボーフムにある取引先のオフィスに行ったのだ。

ボーフムにはドイツの重工コングロマリット・クルップの特殊鋼部門の本社があり(現在は同じ重工コングロマリットのティッセンと合併して、ティッセンクルップという会社になっている)、昔担当していた鉄鋼原料の関係で訪問したのだ。

ボーフムはデュッセルドルフの郊外にあり、ライン工業地帯の中心地の一つだ。

Ruhr_area-administration




出典:Wikipedia

ボーフムの隣には香川真司が所属するドルトムントや、内田篤人が所属するシャルケ(ゲルゼン・キルヘン)もあり、チョン・テセは香川とよく食事するという。

チョン・テセは読売新聞で「一騎当千」というコーナーを半年ほど書いたり、サッカー雑誌にコラムを書いている。スポーツ選手が書いた本にしては読みやすく、文才があると思う。

この本ではチョン・テセの生い立ちから、幼稚園(河合塾ドルトンスクール名古屋校)、愛知朝鮮第二初級学校、東春朝鮮中級学校、愛知朝鮮高級学校、東京都小平市にある朝鮮大学校での生活、プロとして4年間在籍した川崎フロンターレの生活、そして北朝鮮代表として2008年の東アジア選手権、ワールドカップ予選、2010年のワールドカップ南アフリカ大会のことを書いている。

チョン・テセは身長181センチ、体重81キロというサッカー選手にしては、がっちりした体格をしている。サッカーもさることながら、ヒップホップをやりたいがために筋肉をつけたウェイトトレーニングの賜だとという。

フィジカル面が強いので、日本では「人間ブルドーザー」、韓国では「人民ルーニー」と呼ばれていた。

チョン・テセの憧れはコートジボアール代表のドログバだったが、実際にワールドカップで直接対決して、「レベルが違う、これが世界一か、人間技ではない、人間のがたいではない」という驚きばかりだったという。



ドログバは噂通りの怪物で、当たりの激しいイングランド・プレミアリーグのフィジカルサッカーで勝ち抜くためには、こうならなければならないのかと、ため息が出る思いだったという。

それで目標をドログバからルーニーに変えたのだ。



チョン・テセの目標は次の4つだ。

1.ボーフムをブンデスリーガの1部に昇格させること
2.2−3年後にはイングランドのプレミアリーグに進出すること
3.UEFAチャンピオンズリーグで優勝すること
4.2014年ブラジルワールドカップに出場して1勝以上すること

チョン・テセは現在26歳。ボーフムでは先発のポジションを確保しているが、それでも90分間フル出場は少ない。

チョン・テセのお父さんは在日2世で、国籍は韓国、お母さんも在日2世で国籍は北朝鮮。

もともとチョン・テセの国籍は父系主義で韓国だったが、学校も朝鮮系だし、修学旅行も北朝鮮に行っており、サッカーの代表も北朝鮮代表になるのが当然と思っていたという。

朝鮮大学2年生の時に代表召集の話が来たが、国籍が韓国だったので、参加できずショックを受けた。チョン・テセのお母さんは、韓国籍のお父さんと結婚したことすら悔やんでいたという。

当時から日本代表や韓国代表を目ざすという選択肢はなかった。

朝鮮大学から2006年にJ1の川崎フロンターレに在日として初めて入団。お母さんは泣いて喜び、お父さんも応援してくれたという。

フロンターレでは関塚監督に育てられた。

フロンターレではレギュラーの境目をウロウロしていた2007年6月にチョン・テセは北朝鮮代表になった。

チョン・テセの支援者がFIFAに「在日」の歴史的背景と具体例を示し、照会したところ、北朝鮮のパスポートを持っていれば良いということになった。北朝鮮当局や韓国大使館にねばり強く働きかけて、北朝鮮のパスポートが発給され、晴れて北朝鮮代表になったという。

北朝鮮代表として東アジア選手権予選で、1試合4得点など、3試合で8点を決め、大会の得点王になった。

帰国してからも北朝鮮代表としてなめられてはいけないという思いが強く、練習にも試合にも気を抜くことがなくなり、フロンターレでもレギュラーとなった。

2008年2月に中国・重慶で開催された東アジア選手権本番では、優勝した日本とも対戦し、チョン・テセのゴールで1:1で引き分けている。チョン・テセは韓国戦でゴールを決め、北朝鮮は1:1で引き分けたが、中国戦で1:3で負け、結局優勝を逃している。



チョン・テセは2008年から始まったワールドカップ予選で、チームから浮いてしまい、他の選手からチョン・テセは要らないと監督に進言されてしまったという。

チョン・テセはふてくされていたが、高校の恩師から「自分のルーツを思い出せ」とアドバイスされ、気持ちを入れ替えて代表の試合に臨んだ。北朝鮮は死のグループという韓国、サウジ、イラン、北朝鮮のグループBを韓国と共に勝ち抜いてワールドカップ本戦に出場する。

ワールドカップ本戦ではブラジル、ポルトガル、コートジボアールと同じ組になり、北朝鮮は結局全敗で予選で姿を消す。チョン・テセもブラジル戦での1アシストのみで、得点はゼロだった。ブラジルとは1:2で善戦したが、ポルトガル選では0:7,コートジボアール戦では0:3で負けた。

ワールドカップではカカ、ロビーニョ、クリスティアーノ・ロナウド、ゾコラのユニフォームを手に入れたという。

今後は前記の4つの目標達成のため活躍し、「世界のチョン・テセ」、「世界のザイニチ」として認知されるように貢献したいと結んでいる。


一番知りたい北朝鮮のことは余り書いてない

この本で一番知りたかったのは、チョン・テセがなぜ北朝鮮代表を選んだのか、北朝鮮代表の生活、北朝鮮の民衆の生活はどうなのかという点だが、残念ながらこの本ではあまり詳しく書いていない。

北朝鮮代表を選んだ理由も、日本代表や韓国代表は元々考慮に入れていなかったということであまりはっきりしない。

北朝鮮国籍のお母さんの影響で朝鮮系の学校に行って、教育も朝鮮系の教育を受けてきたので、正式な国籍は韓国でも祖国は北朝鮮と思っていたのだろうと思う。

北朝鮮代表の生活については、ごく断片的な情報しか載っていない。たとえばユニフォームは自分で洗濯しなければならないとか、ユニフォームの質が悪く番号がすぐ取れる、試合用のユニフォームを着て練習するとかだ。

プロがないので、選手達は1年中一緒に生活し、いわゆるステートアマだ。練習は同じパターンの繰り返しで単調だという。

戦い方は超守備的サッカーで、チョン・テセが下がったら10バックになってしまうほどの守備体系だったという。

北朝鮮の選手たちは、純粋で、多くの情報を知らないために、好奇心が旺盛だという。派閥意識もなく、人間的に素晴らしいと。ロシアリーグで活躍するホン・ヨンジョを中心にまとまっているという。

しかしチョン・テセは他の北朝鮮選手とはあまりつきあいがなく、合宿では一人でいることが多いという。やはりザイニチとしては、中に入って行きにくいのだろう。


「壁を壊す!」も含めて北朝鮮のことが余り書いていないのが残念だが、読み物としては面白い。チョン・テセは文才もある。楽しく読めた本だった。


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2010年11月26日

ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣 3%のビジネスエリートとは

ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣ファーストクラスに乗る人のシンプルな習慣
著者:美月 あきこ
販売元:祥伝社
発売日:2009-12-01
おすすめ度:2.0
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日系と外資系の航空会社のキャビンアテンダント(CA=昔風に言うとスチューデス)を16年勤め、その経験を生かしてCA育成講座と法人向けサービス向上コンサルタントとして起業して成功している美月あきこさんの本。

CAの経験を生かして、元CAの社員を使ってCA育成講座と、サービスマナー講習をするというのは、美月さんの考えた「ブルーオーシャン戦略」なのだと語る。

美月さんはCA=Styleというサイトを運営している会社の社長だ。

CA-style







美月さんは、「たった1分でうちとけ、30分以上会話がつづく話し方」や「伸びる人、伸びない人が一瞬でわかる『見抜き力』」などの本を矢継ぎ早に出している。

たった1分でうちとけ、30分以上会話がつづく話し方―“初対面の女王”が明かすたった1分でうちとけ、30分以上会話がつづく話し方―“初対面の女王”が明かす
著者:美月 あきこ
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2010-05-28
おすすめ度:3.0
クチコミを見る


伸びる人、伸びない人が一瞬でわかる「見抜き力」伸びる人、伸びない人が一瞬でわかる「見抜き力」
著者:美月 あきこ
販売元:ベストセラーズ
発売日:2010-10-26
クチコミを見る

筆者はファーストクラスというのは縁遠い世界と思っており、いままでアップグレードで数回乗ったことはあるが、特にファーストに乗りたいという強い気持ちはなかった。

しかしこの本で、「ファーストクラスに乗る人」という人種がいることがわかった。

たとえば東京ーニューヨーク往復運賃は、ファーストクラスは2百万円、ビジネスで80万円から90万円、プレミアムエコノミーと呼ばれる正規のエコノミーで60万円前後、エコノミーの格安だと10万円以下となっている。

こんな高い金を出してもファーストに乗る人は、疲れるのが当たり前の空間で逆に疲れを癒し、到着してすぐにフル活動できるからファーストに乗るのだという。時間と空間の質に注目するのがファーストクラスなのだと。

プライバシーが守られる特別な空間ということも重要だ。

ビジネスエリートのわずか3%の上場企業などの社長クラスや創業者たちが「ファーストクラスに乗る人たち」で、人口の2%といわれている日本の富裕層(資産1億円超)の数に近い。

この本ではファーストクラスに乗る、いわば日本の上流階級の人たちを美月さんが観察し、共通項として見られる習慣を紹介している。

いくつか紹介すると、それは次のようなものだ:

1.寸暇を惜しんで仕事をする人はファーストクラスにはいない。

2.メモをどんどん取る アイデアと感動をフリーズドライにする。

3.健康管理に常に気を配っている 頭がリフレッシュされた朝に頭を使う。

4.ファーストクラスの人は読書家ばかり 
これは筆者もわが意を得たりと感じる。通勤電車の中で、本を読んでいる人のなんと少ないことだろう。本を読むことで、あなたは「その他大勢」から脱却できる。

5.ファーストクラスは他人に気遣いができる人たちの空間。ありがとうの一言で周りを巻き込む。

6.わかりやすい言葉でわかりやすい言い回しをする。

7.ファーストクラスの人は声が良い 良い声を出すにはまず良い姿勢。

8.オウム返し、聞いたことを繰り返すだけで会話は続く。

9.ファーストクラスの人はオープンエンドでなく、掘り下げる質問をする。

10.ファーストクラスの人は沈黙の使い方もうまい。最初に一瞬の沈黙を入れてひきつける。

11.ファーストクラスではルールを守って人脈をつくる。

そして美月さんは「注文の多いエコノミー、ビジネス。手間のかからないファースト」というふうにまとめている。


ファーストクラスの人は姿勢がいい

この本で一番印象に残ったことが、姿勢がいいという指摘だ。筆者は家内からいつも姿勢が悪いといわれ続けている。

いままであまり意識したことがなく、ついダラッとした姿勢になってしまうが、たしかに美月さんの言うとおり、姿勢によって声とか、ひいては自信にもつながってくるのかもしれない。


目標を紙に書き、強く意識することが成功の秘訣

エール大学では次のような質問を卒業生にしているという。

1.あなたは目標を設定していますか?
2.目標を書きとめていますか?
3.最終目標を達成するために計画がありますか?

20年後に追跡調査をしたところ、3つの質問にすべてYesと答えた学生は全体の3%だったにもかかわらず、卒業生の総資産額の90%はこの3%の人が保有していたという。

この数字と、ビジネスエリートでファーストクラスに乗る人の比率、日本の富裕層の比率がすべて3%で一致する。


自分には縁遠い世界といままで思っていたが、ファーストクラスという特権空間が、それなりに存在価値があり、そこで自然な形で人脈をつくるのもアリだと思った。

200ページ強の本で簡単によめて、参考になった。


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2010年11月08日

オシムの言葉 川渕Jリーグ元チェアマンが感動した本

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見えるオシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える
著者:木村 元彦
販売元:集英社インターナショナル
発売日:2005-12-05
おすすめ度:4.5
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元日本代表監督、イビツァ・オシムのボスニア内戦を中心とした伝記。以前紹介した明石さんの本や、「戦争広告代理店」と一緒にボスニア紛争を知るために読んでみた。

ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)ドキュメント 戦争広告代理店 (講談社文庫)
著者:高木 徹
講談社(2005-06-15)
販売元:Amazon.co.jp
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元Jリーグチェアマンの川渕三郎さんがこの本を読んでオシムに惚れ込み、オシムを日本代表監督に推薦したことが思い出される。

この本は旧ユーゴに関する本を何冊も書いているジャーナリスト木村元彦さんによるもの。

終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ (集英社新書)終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ (集英社新書)
著者:木村 元彦
集英社(2005-06-17)
販売元:Amazon.co.jp
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オシム自身が書いたものではない。オシム自身の本は、「恐れるな」、とか「考えよ」とかがある。

恐れるな!  なぜ日本はベスト16で終わったのか? (角川oneテーマ21 A 126)恐れるな! なぜ日本はベスト16で終わったのか? (角川oneテーマ21 A 126)
著者:イビチャ・オシム
販売元:角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2010-10-09
クチコミを見る

最初に現名古屋グランパス監督">ドラガン・ストイコビッチの推薦文が載せられている。「イビツァ・オシムは、私のキャリアの中でも最高の指導者のひとりだった」。

オシムは南アフリカワールドカップに向けた日本代表監督在任中に脳梗塞で倒れ、生死の境をさまよい、それがため日本代表監督には復帰できず、岡田武史監督に代わった。先日のザッケローニ監督の初戦でアルゼンチンに勝利したこともあり、もはやオシムは過去の人という感じもあるが、新聞のコラムなどに書いている日本代表の試合についてのコメントは、するどいものがある。


オシムのエピソード

この本ではオシムの性格がわかるエピソードを多く紹介している。

★ジェフ市原の監督に就任したときに、クラブハウスを最初に訪れたときに就任スピーチなどはいらないと拒否して、選手一人一人のテーブルをコツコツと2回叩いて回った。なぜこれをしたのかは後述する。

★いきなり練習量を増やし、午前と午後2時間ずつの練習。休日は事前には知らされず、前日になって知らされる。フルコートで3対3のミニゲーム、しかもワンタッチでボールを出さないとオシムは激怒した。

★オシムがまっさきにキャプテンに指名したのは、21歳の阿部勇樹だった。


オシムの生い立ち

オシムは1941年サラエボ生まれ。サラエボはセルビア人、クロアチア人、ムスリムの3民族の融和する町だった。13歳でプロチームのジェレズニチャルに参加する。

チームから奨学金を貰ってサラエボ大学では数学を学び、大学から教職員として大学院進学を勧められるが、経済的な理由で断る。

オシムの現役時代は長身(191センチ)のフォワードだった。ドリブルをさせると、ボールを持ちすぎる傾向があったという。


日本との出会い

1964年の東京オリンピックの時に来日し、日本との試合で2ゴールを決めている。このときにカラーテレビを見て驚き、外国人をもてなしてくれるホスピタリティに感動し、日本びいきになったという。

オシムは1970年にフランスのストラスブールに移籍し、8年間フランスリーグのいくつかのチームでプレーして、最後はストラスブールで1978年に引退し、ユーゴに帰国する。


監督としてのキャリア

古巣のジェレズニチャルの監督になり、ユーゴ代表のコーチにも招かれる。1984年のロスアンジェルスオリンピックでは3位になり銅メダルを獲得する。

その時に見いだしたのが">ドラガン・ストイコビッチだ。選手に対する心理的マネージメントと相手チームの分析能力はチームの大きな武器になったという。

1986年にはユーゴ代表監督に就任する。その後ユーゴは分割されるので、最後のユーゴ代表監督となった。この時代のユーゴには世界的なタレントが揃っていた。

多民族国家なので、各民族から一定数を代表に入れ、開催地出身の選手中心にセレクションを行うという不文律があったのを、オシムは無視する。1990年のイタリアワールドカップに向けてオシムは急ピッチで世代交代を図っていた。

チームはスコットランド、フランス、ノルウェー、キプロスという強豪揃いの組のワールドカップ予選を無敗で突破する。

1990年のワールドカップ本戦は、初戦でドイツに1:4で負ける。誰を使えという外圧にその通りやるとどうなるかを見せるためにわざと負けた感がある負け方だ。

その後コロンビア、UAEに勝ち、決勝トーナメント進出。緒戦のスペイン戦では、ストイコビッチの活躍で勝ち、マラドーナ率いるアルゼンチンと対戦して引き分け、PK戦で敗退する。ストイコビッチが外し、マラドーナが止められた歴史に残るPK戦はオシムは見ていないという。監督としての仕事は終わったとして、ロッカールームに引き上げていたからだ。

ワールドカップ後、パルチザン・ベオグラードの監督に就任する。ユーゴ代表監督も兼任するが、このときユーゴ連邦が崩壊し、世界最強チームが戦う前にバラバラになるという経験をする。1990年から1991年の間に国際試合はほとんど勝つが、国はどんどん崩壊していった。


サラエボ包囲戦勃発

1992年3月のオランダ代表との0:2で負けた試合がオシム最後の試合となった。直後にボスニアで内戦が始まったからだ。

1992年4月にサラエボの自宅からオシムと次男がベオグラードに行った直後に、サラエボはセルビア人勢力に包囲され、爆撃が始まった。セルビア軍の戦車260両、迫撃砲120門が町を取り囲んでいた。

これが1395日にわたって続けられるサラエボ包囲戦の始まりだった。

オシムはユーゴ代表のユーロ参加には同行せず、ギリシャのパナシナイコスの監督に就任した。ちなみにユーゴ代表はスウェーデンから強制帰国させられ、ユーロ1992には参加できなかった。

サラエボに残る妻のアンナとはアマチュア無線の交信で連絡を取り合う日々が続き、パラシナイコスのオーナーがギリシャ軍のヘリコプターでアンナを脱出させることを提案するが、アンナは自分だけが特別待遇を受けるわけにはいかないと拒否する。

オシムは一年でパナシナイコスをギリシャカップで優勝させた。翌年はオーストリアのシュトルム・グラーツの監督に就任する。

旧ユーゴ、サラエボと連絡が取りやすいからというのがグラーツを選んだ理由だ。ちなみにグラーツはアーノルド・シュワルツネッガーの出身地でもあり、スタジアムは彼の名前が冠してあるという。

レアルバイエルンなどのビッグクラブからのオファーもあったが、オシム自身ビッグクラブ向けの人間ではないとして断る。ビッグクラブは人気のある選手を外すと、監督のクビが飛ぶ。監督としての仕事ができないからだと。

だからレアルはスペインでもヨーロッパでもチャンピオンになれないだろうとオシムは言う。それは当たっているが、監督も選手以上に人気がある今年のモウリーニョ監督の場合はどうなるのか見ものだ。

オシムは弱小クラブのグラーツを3年でオーストリアリーグ優勝にまで持って行く。
後にグランパスに入団するイビツァ・ヴァスティッチがオシムを慕ってグラーツに入団する。

やがて毎日8人ずつ脱出できるリストにアンナが載り、包囲から2年半後にオシムと再会する。


ジェフ千葉監督就任

オシムはオーストリアで8年間監督した後、イタリアワールドカップで顔見知りになった祖母井(うばがい)GMの、代理人を通さない直接の交渉で心を動かされ、ジェフの監督就任を承諾する。

祖母井さんが訪ねた時、すでにジェフの全選手の名前と顔はインプットされていたという。「余計な挨拶はいらない。選手にはケガをしないよう、祖国に伝わる厄よけのノックをしてやろう」ということで、冒頭の場面となる。

この本の著者の木村さんは内戦の終わったサラエボを訪問して、依然として残る民族間の反感や、サラエボオリンピックの時のスタジアムが今や墓地となっている場所の写真を載せている。

オシム






出典:本書133ページ


オシムがジェフの監督になって、2004年にリアルとの親善試合が組まれた。リアルは銀河系軍団のオッファーを袖にした監督が作り上げたチームを見たいという理由でマッチメイクされたものだ。

この本では現役生活を海外で過ごしたサッカー選手だったオシムのセルボ・クロアチア語の通訳の話や、オシムが監督となって躍進したジェフの戦歴が紹介されている。

もちろん日本代表監督就任前だから、日本代表の話はない。2005年ナビスコカップでのジェフの優勝で終わっている。


ボスニア紛争関係の本として読んだが、オシムの人柄がわかり面白い本だった。川渕元Jリーグチェアマンが読んで、オシムに惚れ込み、日本代表監督に推薦したという理由が理解できる。

オシム自身の本も上記の「恐れるな」とか、「考えよ」とかがあるので、今後読んでみる。

考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)
著者:イビチャ・オシム
販売元:角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2010-04-10
おすすめ度:4.0
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2010年10月18日

松井秀喜の「信念を貫く」と「不動心」

2010年10月18日追記:

信念を貫く (新潮新書)信念を貫く (新潮新書)
著者:松井 秀喜
販売元:新潮社
発売日:2010-03
おすすめ度:4.5
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2007年の「不動心」のあらすじに続き、2010年はエンゼルスの一員となった松井秀喜の近著「信念を貫く」のあらすじを追記しておく。

野球選手はオフのときにプロのライターを頼んで本を出す人が多い。

超多忙な松井が自分で机に向かって原稿を書いたとは思えないので、たぶんこの本も松井の口述筆記をライターがまとめたものだと思うが、松井の人間性や考え方がよくわかる。

内容さえよければ、ライターを使おうが使うまいが関係ないという典型のような本だ。

2006年シーズンに左手首を骨折する大怪我を負った松井は、その後復帰したものの、今度は両膝の故障に悩まされ、その後はヤンキースではDHで試合に出ることが多くなった。

特に2008年のシーズンや、ヤンキースがワールドシリーズに優勝した2009年のシーズンは、守備はやらせないというヤンキースGMの方針で、松井はDH専門となった。

2009年のワールドシリーズは、ナショナルリーグの球場での試合のときは代打でしか出場できないというハンディキャップがあるDHではあるが、シリーズMVPという快挙を成し遂げ、ヤンキースに不可欠の選手という印象を強く残した。



松井もこの本の中で書いているが、ワールドシリーズ第2戦でペドロ・マルチネスの外角低めの球をうまくすくい上げてホームランにしたあの場面が記憶に残っている。

あれは、ペドロの失投だったが、失投を一振りでしとめるのがプロだと。

シリーズMVPになったにもかかわらず、ヤンキースのGMはじめ経営陣は、膝の状態が悪いので松井には守備はさせないという方針を変更せず、守備機会を望む松井との交渉は後回しにされた。

松井は、やはり野球選手は守備につかないとリズムがつかめないと語り、膝の状態がよければ毎試合守備に出てもらってもかまわないというエンゼルスに入団した。

松井との契約交渉に自ら出馬したソーシア監督の熱意にもほだされたという。

この本では今まで順風満帆だった松井が、2006年のケガ以降、守備ができないため、毎試合DHまたは代打という不安定なポジションになったにもかかわらず、監督の起用法に一切文句を言わず、ヤンキースの勝利をひたすら願って、出場したときには常にベストをつくすというチームプレーヤーに徹する姿が描かれている。

不遇の時代でも松井は信念を持って生きているというメッセージが力強く伝わってくる。

不遇がないというのは選手時代の長嶋に限られると思う。他の選手は王でさえ入団当初の数年は苦労している。

不遇の時代があったほうが、いずれ監督なり、コーチになったときに大成するのではないかと思う。その意味では、この本のように謙虚に自分のチーム内のポジションを受け入れ、与えられた役割でチームのためにベストをつくす松井の姿勢は必ず松井自身のためになるだろう。

「不動心」も面白い本だったが、「信念を貫く」も違った面での松井を知ることができ面白い。簡単に読める新書なので、一読をおすすめする。


2007年11月28日初掲:

不動心 (新潮新書)不動心 (新潮新書)
著者:松井 秀喜
販売元:新潮社
発売日:2007-02-16
おすすめ度:4.5
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左手首を骨折した2006年のシーズンオフに書かれたヤンキース松井秀喜の本。

骨折で125日間をリハビリに費やした経験から、さらに人間としてのスケールが大きくなったような気がする。

タイトルの不動心とは、故郷の石川県の実家にオープンした松井秀喜ベースボールミュージアムに掲げている次の言葉から取っている。

日本海のような広く深い心と
白山のような強く動じない心
僕の原点はここにあります


広く深い心、強く動じない心、すなわち「不動心」を持った人間でありたいと、いつも思っているのだ。

この本を読んで松井選手が野球の上でも、また私生活でも、スタンスのぶれない不動心を持っていることがよくわかる。

野球選手はオフになるとヒマがあるせいか、有名選手・監督は多くの著作があるが、やはり一芸に秀でている人の言葉は人を動かす力があるものだ。

本の構成もよく、頭にスッと入る本だ。


目次を読むと、この本で言いたいことの大体の感じがわかると思うので、紹介しておく:

第1章 5.11を乗り越えて
第2章 コントロールできること、できないこと
第3章 努力できることが才能である
第4章 思考で素質をおぎなう
第5章 師から学んだ柔軟な精神
第6章 すべては野球のために


恩師 長嶋監督

ちょうどドラフト会議が終わったばかりだが、1992年のドラフト会議の光景が思い出される。

松井秀喜にドラフト1位指名が集中して抽選となり、当時の長嶋巨人軍監督が当たりくじを引き、満面の笑みを浮かべた場面だ。

この本でも節目節目に長嶋監督が出てくる。

松井が左手首を骨折したときに、脳梗塞でリハビリ中の長嶋監督から電話が掛かってきた。

「松井、これから大変だけどな。リハビリは嘘をつかないぞ。頑張るんだぞ。いいな、松井」

巨人時代に松井の連続試合出場記録がとぎれそうになった時も、励ましたのは長嶋監督だったという。「やれるとこまでやってみろ」

FAになり大リーグに行くことを決めたときも長嶋監督に会い、決断を告げたという。「もう決めたことなのか。考え直す気はないのか」「よしわかった。行くなら頑張ってこい」と肩を叩いてくれたという。


松井と長嶋監督の練習法

長嶋監督の自宅地下には練習場があり、松井はそこをしばしば訪れ長嶋監督に素振りを見てもらっていた。

長嶋監督は、松井が素振りをしている間、目を閉じてスイングの音を聞いているのだと。「今の球は内角だな。」「うん?外角低めだったか」という長嶋さんにしかわからない感覚を持っていた。

その日ホームランを打ったとか、凡退しているとかは関係ない。鈍い音がすると叱責され、休む間もなくスイングを繰り返した。

元阪神の掛布が調子が悪いときに、長嶋監督に電話したら、その場で素振りをしろといわれ、長嶋監督はその音を電話で聞いてアドバイスしたという。それくらいスイングの音を大切にしていた。

さすが天才かつ感覚派の長嶋監督だと思わせるエピソードだ。

長嶋監督とは何度も素振りを繰り返した。長嶋監督から電話が来て「おい松井、バット持ってこいよ」と長嶋さんの自宅、あるいはホテルで二人だけの特訓を繰り返した。

しかしマンツーマンの練習も二人だけの時しかやらなかったので、他の選手から嫉妬されるようなことはなかった。長嶋監督も配慮してくれたのだ。

松井が大リーグのルーキーイヤーにツーシームボールで悩まされていたとき、ニューヨークに到着したばかりの長嶋監督から「松井、スイングやるぞ」と声が掛かったという。

ちなみに長嶋監督の家の地下の練習場には数多くのトロフィーや賞状が整然と並べられていたが、すべて長嶋一茂のもので、長嶋監督自身のものは隅に追いやられていた。

いくら名選手とはいえども、普段は子供がかわいい普通の父親だとわかり、松井は思わずくすくすと笑ってしまったのだと。


伝説の5打席連続敬遠

松井といえば、高校時代の対明徳義塾戦の5打席連続敬遠が有名だが、松井は高校生当時は打ちたい、勝負してくれと考えたが、今は違うと。

あの5打席連続敬遠があったからこそ、日本中から注目され、長嶋監督もあの試合をテレビ観戦していたのだと。もし敬遠されていなかったら、ホームランを打ったとしても長嶋さんの目にとまらず、どうなっていたかわからない。

人間万事塞翁が馬で、思い通りにならなくとも、前に進むしかないのだと松井は結論づける。

松井は打てなくても悔しさは胸にしまっておく。そうしないと、次も失敗する可能性が高くなってしまうからだ。コントロールできない過去よりも、変えていける未来にかけるのだ。

だから打てなかった日の松井のコメントが物足りないのは勘弁してくれと。チャンスで打てなかったら、きっと心の中では悔しさで荒れ狂っているのだろうな、と思ってくれと松井はいう。

星野監督の「星野流」のあらすじを紹介しているが、星野監督は松井と正反対に、感情を外に出すタイプの典型なので、対比すると面白い。

星野流星野流
著者:星野 仙一
世界文化社(2007-11-08)
販売元:Amazon.co.jp
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メディアとの関係

メディアはコントロールできないので、気にしないのが一番だが、なかなか難しい。松井は自分のことを書いた記事も読む。

不思議と調子が悪いと書かれた時ほど調子があがってくるのだと。スランプと書かれる頃には、そろそろホームランを打てる確率も上がっているのだ。

メジャーにはジアンビの様な力任せにバットをボールと衝突させるような打ち方の選手もいるが、松井はしなやかさを生かしたバッティングが、目指すべきバッティングだと語る。


人の心を動かしたい

絶対にコントロールできないが、動かしたいものは人の心だと松井は語る。

巨人の入団会見で、「自分はファンや小さい子供たちに夢を与えられるプレーヤーになるよう、一生懸命頑張っていきたい」と語った。

毎日ホームランは打てないし、毎日ヒットも無理だろう。しかし毎日試合に出て、全力でプレーすることならできるので、松井はそれをやるのだと。

星陵高校のベンチでは次の言葉が掲げられていた。

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

今も心の中に響く言葉だという。

自分も弱い人間なので、つい手を抜きそうになるが、たとえセカンドゴロでも全力で走り、全力プレーを続けることで、最もコントロール不能な人の心を動かしたいと。

今シーズン末に、ひざが悪くても常に全力疾走する松井を見ていて、この言葉通りのことを松井は実行しているのだと感じた。

なかなかできることではない。

自分の身を振り返る機会を与えてくれる松井の言葉である。


努力できることが才能である

これが松井の座右の銘だ。いい言葉だと思う。

松井のお父さんが、小学3年生の時に半紙に書いて部屋に貼り付けてくれたという。加賀市で晩年を過ごした硲(はざま)伊之介という洋画家、陶芸家の言葉だそうだ。

松井は天才型ではない。だから努力しなければならない。大リーグでも才能にあふれた選手は多いが、努力せずに成功した人はいないのではないかと。

たとえば今年ア・リーグのMVPになったアレックス・ロドリゲスは2月のタンパでのキャンプから誰よりも早く、グラウンドに毎朝七時に来て練習をしているので、コーチが根を上げた。

大リーグ最高の選手が、人一倍練習しているのだ。

ヤンキースのキャプテン ジーターの自宅はフロリダのタンパにある。ヤンキースの常設キャンプがあり、練習設備も完備しているので、常に練習できるようにタンパに住んでいるのだ。


不動心 素振りが松井の原点

松井は基本中の基本、素振りを重視する。未来に向けた一つの決意として、素振りを欠かさない。

これは努力すればできることだからだ。ホームランを打った日も、ヒットが打てなかった日も必ず素振りをしてきた。

打てた日は慢心し、打てなかった時は落ち込む。これでは未来にプラスにならないので、松井は毎日素振りをしながらリセットするのだ。

バットが風を切る音が、「ピッピッ」と鋭い音が聞こえると安心し、調子の悪い時は「ボワッ」という鈍い音がすると。自分の感覚はごまかせないので、自分が一番厳しい評論家であるべきだと思っている。

失敗しての悔しさは未来にぶつける。それが素振りなのだ。

松井は岐阜県にあるミズノのバット工場を、毎年オフに訪問する。

頭の中でイメージした形を口にすると、久保田五十一名人がバットにしてくれる。それを振ってみて、イメージと違うとまた削って貰い、一日がかりで、松井のバットをつくるのだ。

そしてできたバットを松井は1シーズン使い続ける。途中でバットは変えない。松井にとって「メガネは顔の一部です〜」(たしか東京メガネのCMソング)ならぬ「バットは体の一部です〜」なのだ。


思考で素質をおぎなう

松井は自分は器用ではないし、素質がある方だとも思っていない。

松井の大リーグ一年目はツーシームというシュート回転しながら、打者の手元で沈む変化球にてこずり、メディアにゴロキングというあだ名を付けられた。

手元で変化するボールを正確にとらえるためには、ボールをできるだけ長く見る必要がある。そのために、一年目のオフにはウェイトトレーニングで筋力をつけ体重を10数キロアップし、特に体の左半身を鍛えた。

左手でキャッチボールをしたり、箸を持ったりして左手を器用に使えるように努力したのだ。

左手をうまくつかうことによって、外角に沈むツーシームを手元まで呼び込んで、左方向に強くはじき返す。そのためのトレーニングだ。

日本で50本ホームランを打っていたので、一年目は結果がでなかっただけ、そのうち打てるようになるさ、と思っているうちはずっと悪い結果が続いたろうと松井は語る。

自分は不器用で、素質もないのだと認識すること。己を知ること。ソクラテスの「無知の知」である。

大リーグに来て自分は素質がないと痛感したので、二度とあんな思いはしたくない。だからあえて力不足の自分を受け入れ、現状を打破したいと必死になったのだと。


不動心 打撃に対するアプローチは不変

不調の時でも、打撃に対する自分のアプローチは変えない。悪い部分は修正していくが、根本的な考え方や取り組み方は決して変えない。結果が出ないからといって、根本的な部分まで変えると収拾がつかなくなってしまうからだ。

調子が良くなると、0.00何秒か長く見えているような感覚になる。長く見られる余裕が出た分だけしっかり振れるのだ。

勝負強さは、打席にはいるまでに頭の整理ができているかどうかだと松井は語る。

たとえばツーストライクまでは、カウントを取りに来るストレートに的を絞るとか、必ず投げて来るであろう決め球以外は振らないとか。

できる限りの知恵を振り絞って対策を決め、打席に入ったら、もう迷わない。結果として三振してもかまわない。それくらいの信念を持って打席に入れるかどうかが、勝負強さを決定するのだと。

有り体に言うとヤマをはるということなのだろうかと。3球のうち1球くらいは自分のツボに来る可能性があり、相手投手もミスをする。そのミスをいかにして確実に攻略するかが勝負だ。そのために自分を鍛え、トレーニングを積むのだ。

打席で150キロのボールに対しては、下半身とか左手とか考えている余裕はないので、自分のスタンスを決め、打席でのアプローチを明確にする必要がある。

自分の足場を固める。根幹をしっかりする。相手に対処しなければならないスポーツだからこそ、素振りやティーバッティングは大切にしたいと松井は語る。

チャンスに強いバッターは、ここぞという時でも平常心を保てる打者ではないだろうか。だから162試合同じように準備をして、すべて同じ心境で打席に入りたい。ここぞという場面で打つためだ。


対戦相手の研究

松井は遠征に宮本武蔵の五輪書を持参したという。日本では相手ピッチャーは限られていたので、記憶していたが、大リーグでは先発だけでも13球団で65名いるわけで、今はメモをつけている。

五輪書 (岩波文庫)


この本のなかでも書かれているが、以前松井がテレビ番組に出た時に300何本目のホームランを打ったときの投手と球場はどこかと聞かれ、スラスラと答えていたのに筆者はびっくりした。

日本でのホームラン(そしてたぶん大リーグでも)は、すべて記憶しているのだ。

相手によって自分のスタンスは変えないが、相手を知らなければ十分な準備はできない。だから相手をしっかりと把握しておく必要があるのだ。


松井は放任主義で親から育てられたというが、この本のあちこちに、父や母に対する感謝の気持ちがあふれている。読んでいて心が洗われる気持ちになる。

本当に好青年、そして求道者という感じだ。

いっそう松井を応援したくなる。おすすめの本である。


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2010年09月30日

プーチンと柔道の心 プーチン首相が書いた柔道の手引き

プーチンと柔道の心プーチンと柔道の心
著者:V・プーチン
販売元:朝日新聞出版
発売日:2009-05-07
おすすめ度:4.0
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ロシアのプーチン首相が友人2人と書いた柔道の手引き書。

山下泰裕さんと元NHKモスクワ支局長の小林和男さんが編集している。

山下さんの本の中でもプーチンとの交流はたびたび紹介されている。この本では、他の本では断片的に紹介されている山下さんのプーチンとの交流を、「『柔』の人、プーチン」という一文にまとめている。


ロシア大統領公邸の柔道場

プーチンの大統領公邸にある柔道場の写真も興味深い。

山下さんの本を読んで知っていたが、プーチンは柔道の創始者嘉納治五郎の座像を道場に置いている。この像は、ロシアの彫刻家の作品だという。

柔道場の更衣室には温水プールがあり、プーチンは毎日1000メートルは泳ぐようにしているのだという。

プーチン2






出典:本書70ページ


柔道着で講道館訪問

次はプーチンが大統領時代に訪日して講道館を訪れたときの写真だ。超多忙なスケジュールの合間に柔道着姿に着替えて講道館を訪問したプーチンに当時の森首相他は驚かされたという。

巴投げの模範練習まで見せている。

プーチン1












出典:本書13ページ


小林さんの制作したNHKの番組の中で、プーチンはこう言っている。

「柔道は私にとって単なるスポーツではない。哲学である。最初は、柔道で使う言葉も分からなかったし、相手の力を利用するという考え方も分からなかった。だが、懸命に稽古に励むうちに、日本語が理解できるようになり、相手の力を利用するということも、よく理解できるようになった。

柔道を通して学んだことは今の私の政治にも生きている。柔道を通じて、自分は今、日本文化というものに非常に関心を持っている」

山下さんが驚かされたのは、上記の写真の2000年に森喜朗首相との首脳会議のために来日した時の講道館でのスピーチだったという。

「講道館に来ると、まるでわが家に帰ったような安らぎを覚えるのは、きっと私だけではないでしょう。世界中の柔道家にとって、講道館は第二の故郷だからです。

私は今日、ゲストという形になっていますが、実はゲストではない。私と皆さんとは、同じ柔道の仲間です。だが、今、私の隣に座っている森さんはラグビーがお好きらしい。ということは、森さんこそが我々のゲストです。

日本の柔道が世界の柔道へと発展していくのはたいへん素晴らしいことですが、われわれにはもっと注目すべきことがあります。それは、日本人の心や考え方、そして文化が柔道を通じて世界に広まっていくことです」

日本の柔道家が言うならともかく、ロシアの大統領がここまで柔道の果たすべき役割を深く理解していることに山下さんは感銘を受けたと。


六段の赤白帯を辞退

プーチンは嘉納講道館長から贈られた六段の赤白帯を辞退する。日本人が一瞬何で?と思った瞬間、プーチンは次のように語った。

「私も柔道家です。この六段の重みはよく分かっています。私はまだこの帯を締められる立場にありません。ロシアに帰って、さらに稽古に励み、一日も早くこの帯を締められるようになりたい」

この瞬間、柔道関係者から拍手が巻き起こったという。

やはり政治家として大成する人はすごい。言葉を通じて、相手の心をつかむ術を知っていると、山下さんは舌を巻いたという。


テロで傷ついた北オセチアの中学生を日本に招待

2004年に日本で中学生国際柔道大会を開催したとき、山下さんはロシアからはサンクトペテルブルクと、テロ被害があった北オセチアのベスランから子どもを招待した。翌年プーチンが来日したときに、「ベスランからの子ども達を励ましてくれてありがとう」とお礼を言ったという。

山下さんはプーチンが、そんな小さな事まで知っていることに驚かされたという。


プーチンの柔道ビデオ

2005年にプーチンは山下さんを招き、サンクトペテルブルクで柔道教室を開催してビデオを撮った。これには当時の日本チャンピオンの井上康生も参加している。そのビデオがこれだ。



北方領土問題以外に日ロ間で問題はない

その時にプーチンが言っていた言葉を山下さんは忘れることはできないと。

「日本とロシアのあいだには、前々から難しい問題があります。でも、これ以外には問題はありません。これ以外の問題をつくろうという気持ちも全くありません。だから何も心配しないでください。安心してください。両国が知恵をしぼってこの問題が解決できたら、日ロのあいだには問題が何も存在しなくなります。さあ、乾杯しましょう」

その後、2008年に山下さんは幻のモスクワオリンピックの日本代表チームメンバーでロシアを訪問し、柔道の指導者講習会を開催した。プーチンは首相になったばかりにもかかわらず、その時も首相迎賓館で食事会を開いた。

このときの様子は山下さんの柔道教育ソリダリティというサイトで公開されている。

柔道教育ソリダリティ





プーチンは山下さんが、2016年東京オリンピック招致大使ということを知って、「ロシアも応援しますから頑張ってください。われわれはノウハウを持っているので、協力できることがあったら協力しますよ」と言ってくれたという。


プーチンの権力掌握術

元NHKモスクワ支局長の小林さんの一文は「謎に包まれたプーチン」という題だ。プーチンは1999年エリツィンに首相に突然抜擢された。年末にはエリツィンの辞任で大統領代行となり、翌年正式に大統領となった。KGB出身の47歳の大統領の誕生だ。

プーチンは代行就任早々、「エリツィン前大統領とその家族は生涯にわたって安全が保障される」という大統領令にサインした。まずエリツィンの安全は保障しておいて、エリツィン一家と組んだとりまきの利権財閥を次々に摘発していった。ベレゾフスキーグシンスキーホドルコフスキーなどが次々に海外に逃亡した。


プーチンと柔道

プーチンは1952年サンクトペテルブルク生まれ。小さい頃はいわば不良で、ほとんど通りでたむろしていたという。小柄だったから、ケンカに強くなりたくてボクシングやレスリングをしたり、12歳からサンボを習い、1964年からオリンピック種目になっていた柔道に転科した。

この本でもインタビューが取り上げられているセンセイのアナトリー・ラフリンの教えで、柔道の精神を身につけ、名門のサンクトペテルブルク大学法学部に進学する。

プーチンは、柔道のない人生は今は考えられないと語る。

1976年にサンクトペテルブルクの大会で優勝する。すでにKGBの将校となっていたので、その後ドイツなどの海外駐在も経験し、それ以降は柔道では目立った成績を挙げることはなかった。

しかしサンクトペテルブルク副市長の時に、日本の総領事の斡旋で1994年頃に日本を10日間訪問し、姉妹都市の大阪や京都、東京を訪問し、このときに初めて講道館を訪れ、稽古を上から見学した。

その時子どもたちの稽古に70歳くらいの老人2人が加わり、一緒に乱取りで稽古を付けていたことを見て驚いたという。その時、柔道は一生続けることができるし、また続けなければならないと思ったという。


「プーチンと学ぶ柔道」

「プーチンと学ぶ柔道」は2002年に出版された柔道の手引き書で、最初に柔道の歴史の解説がある。柔術の起源から、嘉納治五郎の柔道の創設まで興味深い読み物になっている。

元々手引き書なので、この本にはイラスト入りで柔道の様々な技が紹介され、技を掛ける時のコツも紹介されている。トレーニング法も専門的で、この本を読んだ東海大学のトレーニングの専門家はロシアのトレーニングの秘密をここまで公開していいのかと思ったと語っている。

イラスト入りの技の説明で特徴的なのは、技を細切れにせず、連続技として解説していることだ。これには山下さんが感心している。

山下さんは技が決まった段階で動きを止めて、逆に返し技で一本を取られてしまった井上康生、鈴木桂治らの日本選手の油断に警鐘を鳴らしてきた。

武術では投げられることも関節技をはずす等の防御の一つであり、投げられたら、投げられた相手の力を利用して投げ返すというのが本来の武術である。

だから山下さんは投げたら固め技につなげていったという。その基本の流れ技がこの本には取り上げられている。

柔道の心得がない人にも面白く読めるプーチン版柔道入門書である。


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2010年09月24日

指導者の器 山下泰裕さんの柔道指導論

指導者の器 自分を育てる、人を育てる指導者の器 自分を育てる、人を育てる
著者:山下 泰裕
販売元:日経BP社
発売日:2009-11-30
おすすめ度:5.0
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1984年ロスオリンピック柔道金メダリスト山下泰裕(やすひろ)さんの近著。

山下さんはある時、インタビューアーから「どうして、あなたはこんなに恵まれた人生を歩めたと思いますか?」と聞かれたという。

この質問を受けて、2−3分の間考えていて、自分自身が恵まれた人生を送れるのは、「ありがたい」という感謝の気持ちを忘れなかったからではないかと思った。

順風の時は、周りが協力してくれたのに、感謝の気持ちがなかなか出てこない。「おれにはすごい力がある」、「協力してくれるのは当然」という傲慢な気持ちになってしまうこともある。

上手くいっている時に、支えてくれた人に対して「ありがたい」という気持ちを持てるかどうか、それができる人にはもっともっと支援が集まってくるのだと。

この事を気づかせてくれたインタビューアーには感謝しているという。

たしかに山下さんは恵まれている。東海大学2年の20歳の時、1977年の日本選手権で優勝。それから引退する1985年まで203連勝(引き分け7回)で、公式戦では一度も負けずに引退した。こんな戦績の選手は他にはいないだろう。1984年ロスオリンピックで、足に大ケガをしたにもかかわらず、金メダルを取った後、1984年に国民栄誉賞を受賞している。


現役引退後本を読み始める

山下さんは現役の時はほとんど本を読まなかったが、東海大学監督となって松下幸之助稲盛和夫、などの本を読み出したという。稲盛さんとは個人的にも親しく、稲盛さんの盛和塾にもメンバーとして参加させて貰っているという。

松下幸之助にも影響を受けた。松下幸之助は「自分は小学校しか行っていなくてよかった」と常に言っていたという。自分と異なる意見の人がいれば、まず「なぜ、この人はこう考えるのか」に興味を持つという。その背後には「自分の考えは絶対ではない。相手の考え方に学ぶべきところがあるはずだ」という信念があるからだ。

山下さんは伝記が好きだという。特に西郷隆盛が一番好きで、マザー・テレサの生き方にも大変感銘を受けたという。

選手時代は強くはなったが、人間としてはさほど成長していなかったと山下さんは語る。指導者として選手や学生と向き合うことで、初めて「人間・山下泰裕」が成長しはじめたという。

山下さんは学生にハッパをかけるときは、「おれの得意技は何か、知っているか?」と聞くという。

学生が「大外…、内股…、絞め技…」と答えると、どれも違うという。そしておもむろに、「自分の得意技は開き直りだ。勝負において、開き直ったときぐらい強くなれることはないのだ」と言うという。

山下さんはロスオリンピックの決勝戦は覚えていないという。開き直って無の心境だったのだ。


毛沢東も柔道の原理を応用

山下さんが中曽根元首相と会食した時に、中曽根さんが「毛沢東は、人民解放軍の戦術に柔道の原理を応用していたらしいよ」と言った。山下さんは、「引かば、押せ。押さば、引け」ではないかとその場では言ったという。

後で調べてみて、嘉納治五郎は中国からの留学生を私費で支援しており、その中に毛沢東の義父もいて、毛沢東自身も論文で嘉納治五郎の功績に言及していることがわかった。


全日本柔道の指導者に

全日本柔道男子は1988年ソウルオリンピックで惨敗した。オリンピック後、山下さんが強化コーチに就任して、まずやったことは他の分野の成功者に学んだことだ。

何かに成功したければ、既に成功している人から学ぶことだ。営業成績で一位になりたければ、トップセールスマンの下で働かせて貰うことが一番の早道だというのと同じだ。

オリンピックで好成績を収めていた水泳やスピードスケート、スキージャンプを研究して分かったことは、1.積極的に海外に出ていたことと、2.スポーツ医学を重視していたことの2点だ。

ちょうどJOC主催のコーチ向けセミナーで松平康隆さんが、開口一番「自分の力の限界を知れ!」と呼びかけたことに影響を受けたという。バレーボールの日本男子がミュンヘンで金メダルを取れたのは、自分の限界を知り、多くの専門スタッフの英知を結集したからだ。

柔道界では、サポートスタッフも柔道出身者のみだった。松平さんの講演に影響を受けて山下さんも明治製菓の栄養アドバイザーを採用した。栄養アドバイザーのおかげでバルセロナオリンピックの時に吉田秀彦古賀稔彦(としひこ)両選手は筋力を落とさずに減量でき、金メダルを取れた。

それまで柔道の合宿では相撲部屋の様な一日2回のドカ食いが習慣だったが、これを一日3回の食事に直した。

また1992年にヘッドコーチに就任してからは、筋力トレーニング、メンタルトレーニング、戦略分析の専門家をスタッフに加え、本格的なスポーツ医科学を導入した。

トヨタのように常にカイゼンを心がけたのだと。


日本食禁止令

ヘッドコーチとして最初に打ち出したのが、オリンピックと世界選手権を除いて、海外遠征時の「日本食禁止令」だった。自分の荷物で持って行く分にはかまわないが、チームとしては日本食は外食も含めて禁止した。

代表選考の基準も海外の戦績を最重要視した。それまで4月に行われていた講道館杯を11月に、5−6月に行われていた全日本体重別選手権を4月に変え、2−3月に海外で行われる国際試合の結果を最重要視した。

全日本柔道の基本方針は、「日本で一番強い選手」でなく、「世界で勝てる可能性の一番高い選手」となった。

人の意識を抜本的に変えるためには、人を評価する枠組みにメスを入れることだと山下さんは語る。

柔道界が主要大会のスケジュールや評価基準を変えたとは知らなかったが、やはり実力者の山下さんが改革に取り組めば、成果は上がるものだと感心する。


後継者選び

アトランタオリンピックでは日本柔道男子は、金2、銀2と健闘した。次男に自閉症の傾向があり奥さんも疲れていたので、山下さんは辞任を考えたが、後継者が育っていなかったため、奥さんの協力も得て、山下さんは東海大学の監督を辞め、全日本の監督を続けた。

後継者を育てる意味もあり、階級ごとにコーチを置いて、基本的にコーチに任せる体制にした。


シドニーオリンピック柔道代表

シドニーオリンピックでのメダリスト、81キロ級の瀧本誠、100キロ級の井上康生、60キロ級の野村忠宏、そして100キロ超級の篠原信一については、それぞれの知られざる内面の強さを書いている。

井上康生は色紙にいつも「初心」と書くのだという。井上選手の地震被災者やパラリンピック選手など、弱者への思いやりが紹介されている。大胸筋断裂という大けがに見舞われ、アテネでは惨敗したが、北京オリンピックの代表選考にも最後まで残った。

現日本男子柔道代表監督の篠原信一選手は、シドニーでは、内また透かしを決めて、一本勝ちしたと思ってガッツポーズを見せたとき、審判は逆に相手のドゥイエ選手に有効を宣言した。この疑惑の判定で銀メダルに終わったが、篠原選手は「自分が弱かったから負けた」と一切審判に対する批判を口にしなかった。

相手の「有効」になったときに、試合時間は3分半残っていた。「本当の実力があれば、逆転できたはずだ。」そう篠原選手は考えたに違いないだろうと。

山下さんも「試合の最中でもかまわず、すぐに抗議していれば、何かが違ったのではないか」と悩んでいたが、篠原選手の潔い態度に触れ、いつしか「篠原のメダルは銀じゃない。プラチナなんだ。だからもう、悩むのはよそう」考えるようになったという。


北京オリンピック

北京オリンピックでは強化委員長として臨んだが、結果はメダル2個の惨敗。しかも7階級中4階級が1回戦敗退。ベテランが多かったこともあり、選手の自主性に任せたことが失敗だった。

その中でも100キロ超級で金メダルを取った石井慧(さとし)選手は、「相手に実力を出させない」という戦い方で、21歳の若者とは思えない老かいな戦い方だった。石井は練習の虫と言われているが、単に練習量だけではなく、ビデオでの研究、頭脳を駆使した創意工夫でも優れている。

この本ではプーチン首相との交流も紹介されているが、これは次に紹介するプーチン前大統領(現首相)が書いた「プーチンと柔道の心」でまとめて紹介する。

プーチンと柔道の心プーチンと柔道の心
著者:V・プーチン
販売元:朝日新聞出版
発売日:2009-05-07
おすすめ度:4.0
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柔道ルネッサンス

柔道ルネッサンス」という活動があるが、そのきっかけになったのは、柔道関係者のマナーの悪さだったという。

大会で負けると、ふてくされて帰ってしまう。会場もゴミだらけのまま帰ってしまう。警察からも柔道の試合は振る舞いもだらしなく、ヤジが多いので、「もう柔道はやめて剣道だけにしてもいいのではないか」という意見が上層部で出されているという。

そんなことがきっかけとなり、山下さんは全日本柔道男子のコーチと男女選手だけで試合後の会場のゴミ拾いを始め、他の役員たちも続いた。

2001年には講道館長の嘉納行光さんが、「21世紀に向けて柔道が目ざすべきものは、やはり柔道を通した人づくりである」というメッセージを繰り返し発信され、その後講道館と全日本柔道連盟合同の「柔道ルネッサンス」運動が始まった。


国際柔道連盟(IJF)理事

最後に2007年まで務めた国際柔道連盟(IJF)の教育コーチング理事のことを書いている。

試合中でも審判に文句を付けるコーチ、試合に勝って大げさに喜び、柔道着を脱いでしまった選手、女子選手を殴ったコーチ、イスラエル選手との試合を体重オーバーで失格したイラン選手などの話が紹介されている。

2007年のIJFの理事選挙で、会長派の山下さんは、反会長派の多数派工作に敗れた。理事選挙後に、勝ったアルジェリア人候補に歩み寄り、祝福したという。アルジェリア人候補も一緒によく食事をした仲間だという。

海外の仲間との絆は山下さんの貴重な残産だということで締めくくっている。

IJF理事時代は海外の理解者を一人でも多くつくるために、「海外では日本人と食事しない」と決めていたという。山下さんらしいエピソードだ。

以前紹介したトヨタの奥田相談役との共著の「武士道とともに生きる」も面白かったが、この本も山下さんの人柄がよくわかる。

武士道とともに生きる武士道とともに生きる
著者:奥田 碩
販売元:角川書店
発売日:2005-04-25
おすすめ度:3.0
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他の本でも紹介されている東海大学時代の問題児の教え子の話や、プーチン大統領の話も紹介されている。山下さんの本で、これ一冊ということだと、筆者はこの本を選ぶ。

是非一読をおすすめする。


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2010年07月08日

米国で最も難しいオークモントで全米女子オープン開催!

筆者が昔駐在していた米国ピッツバーグにあるオークモントカントリークラブで、今日から全米女子オープンが開催される

US Women's open 2010






日本からは宮里藍、有村智恵、上田桃子、宮里美香、諸見里しのぶ、森桜子、上野藍子、横峯さくらが参加する。

筆者はオークモントで2回ゴルフをしたことがある。取引先の社長が会員になっていて、招待してもらったのだ。

ひとことで言って、アマチュア向けのコースではない。

筆者がプレイした時は、たしか150以上あったバンカーを整理して、130台にしたとか聞いた記憶があるが、今はなんとバンカーが210あるという。

oakmont cc






そこら中にバンカーがあり、「いい加減にしろ!」と言いたいくらい難しい。

グリーンのアンジュレーションと早さがハンパではない。

全然方向違いだと思っても、キャディの意見に従って打つしかない。

ちょっと強く打つとグリーンからはみ出てしまう。

以前このブログでも簡単に紹介したことがあるが、前回男子のUSオープンが開催された2007年のカブレラの優勝スコアは5オーバー、2位タイのタイガーウッズが6オーバーという超難コースだ。

宮里藍もオフィシャルブログで、さっそく練習ラウンドしたオークモントについて、「難しいーーーーーーーーーーー」と書いている。

宮里藍ブログ






日本選手がどんな活躍を見せてくれるか楽しみだ。

ガンバレ!


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2010年05月30日

東大五月祭でミスター東大コンテスト開催

以前紹介した東大五月祭でミスター東大コンテストが開催された。

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 東大






出場人数は13名で、東大B&W(ボディビル&ウェイトリフティング)部のOBが中心だが、陸上部の選手や、学習院のボディビル部の選手なども参加していた。

次が当日配布されたパンフレットだ。

五月祭






司会は山谷茜(あかね)さん。非常に場慣れしており、ボディビルコンテストでの用語も筆者以上に詳しいのに驚かされた。出場したB&W部OBの奥さんで、月刊ボディビルディングの記者だ(だった?)そうだ。

ボディビルディング 2008年 10月号 [雑誌]ボディビルディング 2008年 10月号 [雑誌]
販売元:体育とスポーツ出版社
発売日:2008-08-25
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解説は東大御殿下グラウンドのトレーナー、武田晃尚さん。B&W部出身ではないが、太い腕が印象的なビルダーだ。

2010052915320000





筆者は実はミスター東大コンテストは初めて見た。あまり人が集まらないのではないかと心配していたが、会場の法文二号館の文1大教室(300名くらい収容だろうか?)が満杯で立ち見の人も出るくらい盛況だった。

観客には女子高生や、防衛大学校だろうか、自衛隊の制服を着た自衛隊関係の学校の学生もいた。若い女性の観客も多く、現役部員の励みにもなったのではないかと思う。

途中から入場する人も多く、5−6名の中年女性のグループ(学生のお母さんたちだろうか?)も最後の方に入場し、佐々木卓君のゲストポージングを見ていた。

出場選手はコンテストを本気で優勝を目指す人と、会場を盛り上げるため(?)の出場者が混ざっており、見ていても楽しかった。観客も飽きることなく、楽しめたのではないかと思う。

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審査員の評価の他に、パンフレットにQRコードが付いており、観客が携帯電話から投票できるようにしていた。

ミスター東大コンテスト投票







フリーポーズ評価も顔評価も同じQRコードなので、同じ顔投票画面が表示されるのはご愛敬といったところだ。

優勝は法学部4年の岸上君。ボディビルコンテストの時期ではないので、他の選手は絞り込んでいないためキレ(ディフィニション)がやや欠けているのに対して、キレがよく、プロポーションもバルクもあった。岸上君の写真はミスター東大コンテストの特設サイトで公開されている

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上の写真は優勝した岸上君。それと主催者を代表して筋肉博士東大石井教授が講評しているところだ。

ゲストポーザーのタックこと、佐々木卓君の仕上がりが非常に良かったのが印象的だった。

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佐々木卓君はB&W部のOB3年目。法学部卒業後、理学部(?)に転科し、現在は石井教授の研究室で、大学院生として筋肉の研究を続けている。いずれは石井教授の良き後継者となることだろう。

佐々木卓君はテレビのクイズ番組などにも時々登場している。彼のポージングを初めて見たが、さすがに二年連続の学生ボディビルチャンピオン、2008年のミスター東京チャンピオンだけあって、バルクは石井教授の現役時代に匹敵するものがある。

コンテスト直前の時期ではなく、身体を絞り込んでいないために、ディフィニションはミスター日本やミスターアジアになった全盛時の石井教授のすごみ・迫力とは比較にならないが、肩幅も広く、骨格的には石井教授よりも恵まれた素質を持っているのではないかと感じた。

観客席まで降りていって、観客に写真を撮らせたりしていたので、観客もトップレベルのボディビルダーの身体が身近に見えて楽しめたのではないかと思う。

10年ぶりにミスター東大コンテストを復活させた主催者の企画力と実行力には感心した。いずれ社会人になっても、人を動かす力は必ずや役に立つと思う。

コンテストの後、帰りに石井教授と一緒になったので、話を聞いた。石井教授はゴルフはやらないが、年間300ゲームくらいボウリングをやっていて、この日も息子さんと一緒にボウリングのトーナメントに参加するとのことだった。

昔石井教授と一緒にボウリングをした時の記憶が甦ってきた。強烈な回転を掛けた強いボールが石井教授の持ち玉で、平均200をちょっと下回るアベレージとのことだった。

総じて現役と、出場選手、現役を支援するOB,他の大学の関係者、観客を巻き込んでイベントを盛り上げた司会の山谷茜さんや解説者の武田さん他の全員のチームワークの良さ、準備・運営の緻密さがよくわかるさわやかなイベントだった。

ボディビルを全く知らない人でも楽しめたと思う。

いずれこのイベントの映像はウェブで公開されるそうなので、楽しみにしている。


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2010年05月22日

東大五月祭でミスター東大コンテスト復活!

このブログでも何度か筋肉博士 東大石井直方教授の本を紹介しているが、石井教授が部長を務める東大ボディビル&ウェイトリフティング部の現役の発案により、約10年ぶりに五月祭でのミスター東大コンテストが復活した。ミスター東大特設サイトもできている。

 東大





五月祭の公式サイトB&W部現役のサイトでも告知されている。

5月祭サイト





 東大B&W部サイト






開催要領は次の通り:

 東大企画






場所は東大本郷の安田講堂前の法文2号館2階の文1大教室で、5月29日(土)15:30から17:30までの開催だ。

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ゲストポーザーは最近テレビのクイズ番組によく出ているタック君こと、佐々木卓君が務める。

筆者は知らなかったが、このミスター東大コンテストが縁で、応援の女子大生と結婚した選手もいる。

筆者は一度もこのミスター東大コンテストというのは見たことがないので、今回は見に行ってみようと思う。

興味のある人は、5月29日(土)午後東大本郷キャンパスまで行ってみよう!


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2010年04月21日

桑田真澄 野球を学問する 元巨人軍桑田さんと早稲田大学大学院担当教授の対談

野球を学問する野球を学問する
著者:桑田 真澄
販売元:新潮社
発売日:2010-03
おすすめ度:5.0
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元巨人軍の桑田真澄さんが2009年4月から1年間早稲田大学の社会人向けマスターコースで学び、「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」という論文を書き、最優秀論文賞を受賞し、成績トップで卒業生総代にもなった話を担当教官との対話で振り返る。


担当教官の平田教授も異色のキャリア

桑田さんのがんばりや熱意もさることながら、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の担当教官平田竹男教授の異色のキャリアにも驚く。

平田さんは横浜国大を卒業して、1982年に通産省に入省、1988年にハーバード大学のケネディスクール(行政学)の修士号を取る一方、ケネディスクールのサッカー部の立ち上げにも尽力した。

その後1989年からは産業政策局サービス産業室室長補佐となり、Jリーグ設立、サッカーくじTOTOの創設、日韓ワールドカップ招致成功という成果を上げた。

1991年からは3年間一等書記官としてブラジルに駐在し、日本とブラジルのサッカー外交を促進。帰国後はエネルギー政策を担当し、アラブやカスピ海諸国との石油利権確保交渉で、サッカー談義を駆使した独特のスタイルで成果を上げたという。

2002年に資源エネルギー庁石油天然ガス課長を最後に経産省を退官し、日本サッカー協会専務理事となり、2006年に早稲田大学の教授に就任した。官僚という枠には収まらない人物だったようだ。

「サッカーという名の戦争」とか「トップスポーツビジネスの最前線」などの著書があるそうなので、今度読んでみる。

サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台
著者:平田 竹男
販売元:新潮社
発売日:2009-03
おすすめ度:4.5
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トップスポーツビジネスの最前線〈2〉―早稲田大学講義録2004 (早稲田大学講義録 (2004))トップスポーツビジネスの最前線〈2〉―早稲田大学講義録2004 (早稲田大学講義録 (2004))
著者:平田 竹男
販売元:現代図書
発売日:2005-10
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この本では桑田さん自身の論文本体は紹介していないが、桑田さんの論文の背景、骨子や大学院での学習についての対話という形で紹介している。

そして日本の野球界で、今でも影響力を持っている飛田穂洲(とびたすいしゅう)の精神主義的野球を見直すことを主張している。

「一球入魂」に代表される飛田穂洲の精神主義は、戦前の軍国主義の風潮の中で、精神鍛錬に役立つとして(アメリカ発のスポーツである)野球を守ったという時代的意義があるが、それをそのまま現代まで持ってくるのは不適当であると。

そこで飛田穂洲の「野球道」を3つに集約して、それぞれ現代的な意義を与えて再定義した。

「野球道」 → スポーツマンシップ

1.練習量の重視 → 練習の質の重視(サイエンス)

2.精神の鍛錬 → 心の調和(バランス)

3.絶対服従 → 尊重(リスペクト)


本の帯に「担当教授との超刺激的会話」と書いてあるが、たしかに驚くことが多い。内容を詳しく紹介すると本を読んだときに興ざめなので、一部だけ紹介しておく。


★桑田さんは小学校のときからグラウンドに行って殴られない日はなかったという。

ちょっと信じられない話である。筆者は小学校では一時野球クラブに属し、高校時代はサッカーをやっていたが、コーチや監督あるいは上級生から体罰を受けたことは一度もない。たしかに誰かが失敗して、連帯責任ということで、同じ学年の選手が全員でグラウンド10周とかいう話は聞いたことがあるが、自分では経験ない。

後述のアンケートでは指導者から体罰を受けたことがあるかという質問には、中学で45%、高校で46%が体罰を受けており、先輩から体罰を受けたことがあるかという質問では中学で36%、高校で51%という回答だ。

体罰、しごきや意味のない長時間練習をなくすことがが桑田さんの論文の主旨である。

★桑田さんの早稲田の大学院入試面接では、研究のテーマを「野球界のさらなる発展策」だと説明したら、面接した教官に「1年では無理だね」といわれ、普通10分程度の面接が30分かかった。受かるとは思っていなかったので、巨人入団の時のいきさつもあり、「やはり早稲田はぼくのことが嫌いなんだ。絶対に入れたくないんだ。」と思っていたという。

★桑田さんのおばあさんは子守唄に早稲田の校歌を歌って、「真澄さんは早稲田に行くんですよ」と言っていたという。それで中学生のときにPL学園→早稲田大学→ジャイアンツという目標を立てたという。

★水を飲んだらバテるとか言われていた時代だったので、便器の水を3回流してすくって飲んだり、アンダーシャツを濡らしてアンダーシャツをチューチュー吸ったという。

★現役選手6球団270人、へのアンケート。11月末のシーズンオフの時を狙って1軍と2軍の選手にアンケートをとった。選手会長が協力してくれ、横浜の三浦大輔選手は自宅まで届けてくれたという。

このアンケート結果によると、中学での平日の平均練習時間は2.9時間、休日は5.8時間。高校だと平日は4.5時間、休日は7.3時間で、休日は9時間以上練習していたという人が70人もいたという。

★桑田さんは高校一年で全国優勝し、全日本チームに参加して帰ってきたときに中村順司監督に練習時間を3時間にしましょうと訴え、練習時間を変えたという。全体練習は3時間だけ。あとは自分で考えて必要なトレーニングをする形に変えたら、PLは練習時間は少ないのに、連続5回甲子園に出場し、2回優勝、2回準優勝、ベスト四1回と抜群の強さを発揮した。

★桑田さんは高校のときは変化球はカーブしか投げなかったという。高校野球でいろいろな球を使わないと抑えられないのではプロでは通用しないと思っていたからだという。

そのかわりバッターのくせや、傾向を観察して、逆算してバッターの狙いを推測していたという。高校時代は7−8割はバッターの狙いがわかったという。

筆者の別ブログで紹介しているが、桑田さんは現役最後のピッツバーグパイレーツ時代に筆者も関係していたピッツバーグ日本語補習校を訪問してくれている。補習校の児童が桑田選手がケガをしたときに、千羽鶴を送ったからだ。

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kuwata/pjs2






一流の野球選手は人格的にも優れた人が多いが、桑田さんは何事も真摯に取り組み、伝統とか慣習に流されることなく、不合理なものには対決して、考える野球を追及している。

平田教授は桑田さんに将来プロ野球のコミッショナーになれとハッパをかけているが、コミッショナーになるかどうか別にして、ちょうど相撲界の貴乃花親方のように桑田さんにはプロ野球の運営者になって改革をしてほしいものだ。

中学生ですでに190センチ近い身長で、PLに入学するやいなや高校1年生の4月にPLの4番になったという清原氏の昔の話も面白い。

野球選手が書いた本は多いが、この本はちょっと違う。桑田さんの今後の活動を応援したくなる本である。


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2010年03月17日

石井直方の筋肉まるわかり大事典 トレーニングと筋肉の参考書

NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」にも出演した石井直方東大教授のトレーニング全般についてのQ&A200題。

このブログでもトレーニング編を紹介しているが、ムック本2冊で出されていた「筋肉まるわかり大事典」が、一冊の本にまとまったものだ。アマゾンのなか見、検索にも対応しているので、目次をまずはチェックして欲しい。

石井直方の筋肉まるわかり大事典石井直方の筋肉まるわかり大事典
著者:石井 直方
販売元:ベースボール・マガジン社
発売日:2008-11-22
おすすめ度:4.5
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以前のムック本はこれだ。

“筋肉博士”石井直方の筋肉まるわかり大事典―筋肉のヒミツ、トレーニングの極意、栄養&食事法まで (B.B.MOOK―スポーツシリーズ (420))“筋肉博士”石井直方の筋肉まるわかり大事典―筋肉のヒミツ、トレーニングの極意、栄養&食事法まで (B.B.MOOK―スポーツシリーズ (420))
著者:石井 直方
販売元:ベースボール・マガジン社
発売日:2006-07
おすすめ度:5.0
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筆者は35年以上ウェイトトレーニングを行ってきているので、自分ではトレーニングのプロと思っているが、この本を読んで基本的なことでも知らなかった事が多くあり、大変参考になった。

「加圧トレーニングの理論と実践」のあらすじでも書いたが、この本を読んで一番参考になったのは、前腕(握力)のトレーニング法だ。

以前は上腕と前腕をセットにしてトレーニングしていたが、上腕と前腕を別々に加圧トレーニングしたところ、効果が全然違った。

前腕はリストカールと30Kgのハンドグリップを3セット行ったが、これなら「加圧トレーニングの理論と実践」のあらすじでも紹介したK−1ファイターの例の様に握力向上も期待できると思う。

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さらに以前は加圧トレーニングと水泳は別の日に行っていたが、加圧トレーニングは大量に成長ホルモンを分泌するため、直後に水泳などの有酸素運動することも有効とわかったので、プールに行く前に加圧トレーニングを行った。

加圧トレーニングで腕を限界まで鍛えているので、当然腕に疲労が蓄積していると思っていたが、疲労の蓄積の自覚はなく、1.5Kmクロールで泳いでも、むしろいつもより調子が良い様に思えた。

加圧トレーニングは軽い負荷・短時間のトレーニングなので、いわば「疑似高地トレーニングで筋肉をだます」様なものと聞いていたが、それを実感した。

この本で参考になったQ&Aをいくつか紹介しておく。


トレーニング法について

40.筋肥大に最も適した負荷は?
ウェイトトレーニングのスタンダードとなっている80%1RM(Repetition Maximum=1回でできる最大負荷)で10回前後というのが筋肥大に最も適したトレーニングだ。

57.腹筋を効率よく鍛えるには?
深く息を吐きながら腹筋をする。これにより腹直筋と腹横筋の両方が鍛えられる。

64.肩の筋肉を目立たせるには?
肩はなまじっかのトレーニングでは効果が現れにくいので、地道なトレーニングを続けていくしかない。プレス+サイドレイズ+ベントオーバーサイドレイズのように肩の部位を変えてトレーニングし、量をこなす必要がある。

65.太い腕をつくるには?

太い腕をつくるのにセット数は少なくて良いというのは朗報だ。上腕二頭筋(いわゆるちからこぶの筋肉)は80%1RMを3セットを週2回、前腕は回数をこなさないと鍛えられないので、30〜40RMを1セットで良い。

さっそく普段のトレーニングに取り入れようっと。

68.首の筋肉は鍛えにくい?
アメフットの選手の例もある通り、むしろ刺激に対する反応が高く、トレーニング効果が現れやすい部位である。

75.瞬発力もスタミナもある筋肉をつくるには?
「ホリスティック法」をすすめている。ホリスティック法は重い重量でトレーニングした後に、最後に50%1RMくらいで30〜50回繰り返してオールアウトする方法だ。

最後のこのオールアウトでトレーニング効果は格段に違ってくるという。

85.スロートレーニングとは?
アメリカで「スーパースロー」という商標登録をしたそうだが、負荷を4秒で下ろし、10秒で上げるのが基本。脱力するフェーズをつくらず、ゆっくり継続して動し続けるのがポイント。

87.スクワット以外の効果的なスロトレは?

”ビリーズ・ブートキャンプ”はプロの研究者の目からも、効果があるとすぐに分かるという。

【正規販売店】ビリーズブートキャンプ脂肪燃焼プログラム(DVD)
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中腰で、たえず小刻みに上下動しているからだ。中腰、ノンロック、つまり膝を伸びきらない体勢で常に動き続ける姿は太極拳にも非常によく似て、まさにスロトレだと。

絶対に効果があるが、問題は続けられるかどうかだと。

88.加圧トレーニングって何?
タレントの水道橋博士や、K−1の武蔵とかソフトバンクの杉内投手などが取り入れている。静脈を押さえるのがポイントで、乳酸や水素イオンなどの代謝物が筋肉から出て行かずに一時的に溜まるので、即発性の筋肉痛が来て、あっという間に筋肉が激しい運動をした後のような状態になる。それが強い刺激となって、成長ホルモンが大量に分泌される。

113.してはいけないトレーニングは?
ウサギ跳びが典型だと。ひざに負担が掛かる運動で腰を深く下ろすのがいけない。

117.一度つけた筋力を維持するには?
筋力をつけるに要した期間が、運動をやめて元に戻る期間とほぼ同じである。だから3ヶ月で付けた筋力は、運動をやめると3ヶ月で元に戻る。しかし、最低週1回それなりの負荷でしっかりと筋力を付けるトレーニングをやれば、一度つけた筋力の維持は可能である。

127.試合で最大限の筋力を引き出すためには?
試合の三日ほど前になったら、過度のトレーニングを控え、やり慣れないトレーニングはやらないこと。試合直前はエネルギーになる炭水化物中心の食事にする。

持久力が必要な競技の場合のカーボローディングという一旦炭水化物を減らし、試合の直前に増やす手法も紹介されている。

136.腰痛を改善させるエクササイズはある?
症状が出ているときはエクササイズはやらない方が良いが、慢性的な腰痛であれば、痛くない方向で運動するのが基本だ。たとえば前に曲げると痛いが、後ろは痛くないという場合は、バックエクステンションなどの後方に反る運動をやると良い。

いずれにせよ前面と背面の筋肉をしっかり強化することで、腰痛はかなり軽減される。

177.日本人は「押す力」が「引く力」より強い?また男性は「押す力」が強く、女性は「引く力」が強い?
日本人が押す力が強いというのは、パワーリフティングでは通説になっている。ベンチプレスの世界記録は日本人が多く保有しており、現在のベンチプレスの世界記録の320Kgも日本人のものだ。

193.トレーニング後のサウナ、水風呂は効果がある?
スポーツ選手がアイシングをやって、氷でぎんぎんに冷やした後に、常温に戻すと、氷を取った後に血管が開いて筋肉も含めた末梢の循環が良くなるのだ。

サウナに入ったら水風呂に入らなくても常温に戻すだけでも十分効果がある。

198.筋肉を礼賛する国、逆に否定的な国は?
日本は伝統的に否定的だが、韓国は肯定的だ。ボディビルは韓国で盛んで、今やボディビルのコンテストでは日本は韓国に差を付けられているという。

韓国ではマッチョマンを「モムチャン」と呼び、ヨン様などのトップスターもジムで体を鍛えている。

200.筋肉にもトラウマはある?
筋肉を鍛え過ぎると筋肉が断裂したり、障害が出ると、筋肉に痕跡が残り、トラウマになってしまう。

だからアメリカのプロ野球の投手などは投球制限を掛けて、何級以上は投げさせないというケアをしているのだ。

201.筋肉に限界はある?
ボディビルの世界大会のミスターオリンピアで何年も連続して優勝しているロニー・コールマンなどは同じ地球人とは思えないという。



ベンチプレスの世界記録は350KGだが、ドーピングも何でもOKという団体に所属している人は400KG以上も上げるという。ただミスターオリンピアのエキジビションで自己ベストの重量を上げようとして腕の骨が折れたという。

陸上の100メートルでも記録は破られており、人間の運動能力はまだ伸びる余地があるという。

美容・ダイエットについて

59.ウェストを締めたり、おなかを引っ込めるのに効果的なエクササイズは?
大腰筋がポイント。大腰筋をしっかり鍛えるとそれだけでウェストが10Cm以上細くなる人もいる。大腰筋を鍛えるには階段の1段飛ばしが一番だが、キツければももを高く上げてその場脚踏みとか、シャキシャキと歩く歩き方に変えることなどが有効だ。

98.有酸素運動を始めて20分以上立たないと脂肪は燃えない?
はっきり言ってウソ。皮下脂肪は15−20分くらいでエネルギーとして使われ始めるが、その前に筋肉中の脂肪が使われているので、皮下脂肪でそれの補充が行われる。

184.表情筋は鍛えられる?
実は化粧品会社から相談を受けて、予備的な測定をしたことがあるという。

顔の筋肉は非常に薄く、トレーニングの効果を測定することは難しいということで、本格的な実験は断念したが、使えば使うほど発達するので、顔のトレーニングも無駄ではないだろう。

194.アンチエイジングに効く筋トレはある?
加齢で衰える腹筋、背筋、大腿筋、大臀筋などを鍛え、循環器系の若さを保つという意味で、トレーニングにはアンチエイジング効果がある。

195.筋トレは美容に効果的?
筋肉をつけると基礎代謝が上がり、ダイエットに効果的で、さらにトレーニング後に成長ホルモンが分泌されるので、皮膚の代謝もよくなり皮膚のハリも出て美容効果もある。


栄養法について

145.筋肉にいちばん大切な栄養素は?
筋肉の栄養を摂るのにいちばん簡単な方法は、筋肉を食べることなりと。BCAA(blanched chain amino acids=分岐鎖アミノ酸)が重要。植物系タンパクでも良いがBCAAが少ないので、BCAAを補給する必要がある。

146.カラダづくりに効果的な食事法を教えて
完璧な結論は出ていないが、血糖値が下がるとカラダは脂肪を蓄えようとするので、血糖値を一定にするためにボディビルダーなどは一日六回食事を取る。食事を抜くより、軽い食事を多くの回数に分けて取る方がベター。

149.プロティン以外の効果的なサプリメントを教えて
筋肉の疲労回復を早めるはっきりとした効果が検証されているものは、(1)アミノ酸(BCAAなど)、(2)クレアチン(アミノ酸の一種)、(3)抗酸化物質(ビタミンC,E、ポリフェノールなど)


すべてのページにマンガチックなイラストがあり、簡単に読め、かつ為になる。

是非手にとって見て頂きたいトレーニング事典である。


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2010年01月09日

宇津木魂 ソフトボールの鬼監督の自伝的リーダー論

宇津木魂 女子ソフトはなぜ金メダルが獲れたのか (文春新書)宇津木魂 女子ソフトはなぜ金メダルが獲れたのか (文春新書)
著者:宇津木 妙子
販売元:文藝春秋
発売日:2008-10-16
おすすめ度:5.0
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女子ソフトボールのルネサス高崎総監督の宇津木妙子さんの本。先日宇津木さんの講演を聞く機会があり、感銘を受けたので、さらに宇津木さんのことを知るために読んでみた。宇津木さんはブログも書いておられ、ほぼ毎日更新している。

北京オリンピックの時は解説者としてゲームを見て、アメリカ戦で優勝が決まった瞬間に「やった!」と叫んだのは多くの人が覚えているだろう。



宇津木さんやソフトボール関係者の長年の念願の金メダルが、かなった瞬間だ。

アマゾンの表紙写真は味気ないが、本の帯にはトレーニングウェア姿の宇津木さんと、北京オリンピックの女子ソフト優勝投手の上野さんのツーショットの写真が載っている。

宇津木魂












宇津木さんというと、この本の帯の写真にあるようにサングラスをかけた真っ黒けのおばさんというイメージがあるかもしれないが、講演でお見かけした宇津木さんは、白いスーツの似合う精悍な人だ。

たぶん練習で声を出しすぎてつぶれたのだろう、しわがれた声は迫力があり、存在感は抜群で、講演を聞いた時もスゴイ人だと思った。この本でもさりげなく、1分間40発の速射砲ノックとか、3時間で3,000本ノックとか書いてある。

この本はアマゾンのなか見!検索に対応しているので、是非目次を見て欲しいが、「倒れる寸前まで練習させる」とか、「死んだ気でやれ!」などといった過激なタイトルが並んでいる。

もちろん選手をひっぱたいて喝を入れることも、しばしばだったという。


抜群の統率力

宇津木さんの現場掌握力をうかがわせる出来事が筆者の聞いた講演でもあった。

宇津木さんは「皆さんと違って、自分は頭が悪いから毎日繰り返し覚えないと忘れる」と、選手には毎日練習の前に、目標や指示を繰り返し説明していたと語った。

そして、「それでは御社の社長の今年の経営方針は何ですか?さーあ、誰か言ってください。こちらから当てましょうか?」と会場の参加者に呼びかけたのだ。

会場が緊張で凍り付いたことは、容易に想像ができるだろう。

実は筆者も社長の年頭の挨拶の要点を覚えていなかった。年頭に聞いた時は頭にたたき込んだつもりだったが、その後時間が経つと忘れていたのだ。

パソナなどは毎日朝礼をやっているそうだ。リッツ・カールトンでは、全員が参加するデイリー・ラインナップと呼ばれる15分間のミーティングで、クレドに基づいた勉強会を毎日全職場で行うそうだが、基本を繰り返し頭にたたき込むことの大切さを、おもいしらされた出来事だった。

毎日の練習も同じで、反復練習が試合での成果につながるのだ。

宇津木さんは中日の選手と親しいようだが、このブログでも紹介した中日の落合博満監督の「超野球学」で、落合監督は、「バッティングは1日、2日で上達するものではない。1回でも多くバットを振った選手が生き残る。」と語っている。

現役時代、練習嫌いというイメージをマスコミに意図的に流していた落合監督だが、「超野球学2」の中で、「現役を退いた今『練習はしました。質も量も他のどの選手にも負けないくらい練習しました』と胸を張って言える」と明かしている。

大リーグ最高のジーターやアレックス・ロドリゲスが誰よりも練習をしていることは、松井秀喜の「不動心」のなかでも紹介されている。

練習しないで、試合だけで結果を出せるわけがない。基本に忠実な練習を繰り返すことによって、スポーツでも仕事でも結果が出せるのである。指導者は、選手にモチベーションを持たせて毎日練習をやらせ、体で覚えさせるとともに、頭でも覚えさせる指導が必要なのだ。


選手個人にあった指導

宇津木さんが監督だった日本代表合宿では、午前の練習はノック3,000本、1時間の休憩のあと、午後は素振り1,000回と打ち込み。最後にみんなで宇津木さんの考案したサーキットトレーニングで締める。これを毎日繰り返すのだ。

しかし、その厳しい練習や個人指導も、実は個人の特性を徹底分析してノートに書き留め、各人の性格や能力、持久力、体重などを考慮してのものだと宇津木さんは語る。

ノックでも、これ以上やったらケガするかも知れないと思ったら、わざと取れない打球を打ち、「お前、やる気がないなら、立っとけー」と、立たせて、実は本人には休憩を取らせ、他の選手には緊張感を与えるという高等技術を用いていたのだ。

さらに選手には練習日誌を書かせて、毎日脈拍、体重、体温を記録し、何を考えながらどこを強化したのか、その結果どうだったのかを毎日リマインドさせて頭を使わせるというフォローもやっている。


宇津木さんの監督時代のエピソード

宇津木さんはアトランタオリンピックではソフトボール日本代表のコーチ、シドニーとアテネオリンピックでは代表監督だった。宇津木さんのソフトボール日本代表監督時代のエピソードが紹介されている。

宇津木さんが、シドニーオリンピックの監督に就任したときに、最初のミーティングで、「私は妥協しないよ。監督に服従できない者は去ってもらう」と監督宣言した。

代表チーム編成は自分のチームのルネサス高崎の選手を中心に編成した。オールスターではチームとしてのまとまりが作れないからだと。

監督になってからは同じ女性の強みで、時には2時間も選手と一緒に風呂に入ってスキンシップを保ち、選手達と公平につきあうようにしていたという。男性監督はどうしても、おとなしかったり、外見の可愛い子をえこひいきしがちだが、それは大きなひずみをチームにもたらすという。

シドニーオリンピックの時は、自分のミスでピッチャー交代のタイミングが遅れ、同点とされ、延長戦で最後には負けてしまったと悔やむ。ピッチャーをバンクーバーオリンピックのボブスレー代表を目指した高山樹里に変えようと思ったが、金縛りにあったようになり、動けなくなってしまったのだと。

延長戦で小関選手が外野フライを落球してアメリカに負けて銀メダルになったときに、落球して泣いていた小関選手に元気づけるつもりが、「いつまで泣いているんだ。お前のエラーで負けたんだろーっ」と暴言を吐いてしまい、チーム全員から「小関のエラーじゃないっ、みんなのエラーだ。監督、このチームをつくるとき、私たちに何て言いましたか!」と言われ、更衣室で人知れず泣いていたという。

次のアテネオリンピックでは金メダルを期待されていながら、銅メダルに終わった。銀メダルを取ったメンバー主体のチームで再出発するという消極的な気持ちが、すべての敗因だったという。「シドニーの銀メダルで親戚が増え、アテネの銅メダルで親戚が減った」と今では笑い話にしているが、バッシングはひどかったという。

宇津木さんもアテネオリンピックの後、日本代表監督を更迭されている。


宇津木さんの経歴

宇津木さんは埼玉県生まれ、5人兄弟の末っ子のお父さん子で、小さいときから負けず嫌いだったという。中学校からソフトボールを始め、私立の星野女子高校に進み、ソフトボールで全国大会に出場する。

高校では1年生からレギュラーの座を勝ち取る。当時のポジションはキャッチャーだった。レギュラーの座を奪われた同級生からの陰湿ないじめや上級生の理不尽な扱いに会うが、何とか見返そうと今でも続く毎日1時間のランニングを始め、いじめをバネとして自分を成長させられたと語る。

いじめにあった経験から、北京オリンピックの優勝投手上野由岐子選手の唯一の欠点は、あまり良い子すぎて意地悪をされないことだと宇津木さんは語る。

実業団のユニチカ垂井からスカウトされ、星野女子高校のエースピッチャーと一緒に入団するが、星野女子高校の先生から「おまえはピッチャーの付録だから」と言われて発憤する。

たしかにユニチカでは実力差があり、スカウトに約束されていたレギュラーの座はすぐには奪えなかったが、毎日5時に起きてランニングを続け、1年でレギュラーの座を勝ち取った。

3年目でキャプテンとなってからは、リーグ優勝という目標を掲げ、各自から優勝するには自分は何をすべきかレポートを提出させた。意識改革を実現して万年リーグ下位だったチームをリーグ優勝に持って行く。それからはユニチカ垂井の黄金時代が続いた。

この頃のソフトボールの友人が、プロゴルファーの岡本綾子さんだ。

ユニチカ垂井での生活は「女工哀史」の世界だったという。寮は19畳の10人部屋で、段ボール箱に自分の所持品を入れて、畳一畳分で生活し、朝食はみそ汁とたくあん3枚にご飯だったという。昭和40年代半ば頃の話だ。

女工哀史 (岩波文庫 青 135-1)女工哀史 (岩波文庫 青 135-1)
著者:細井 和喜蔵
販売元:岩波書店
発売日:1980-01
おすすめ度:4.0
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ユニチカ垂井のチームは軍隊のような封建的な体質で、後輩が先輩の給仕や洗濯をやっていた。宇津木さんがキャプテンになって古い体質をすべて改め、先輩でも自分のことは自分でやり、先輩・後輩へだてなく平等に食事するようにしたという。

会社では総務部に所属していたので、寮の管理者を担当した。この本では書いてないが、講演では20代の若さで、毎日寮の便所掃除をやっていて、つらかったと語っていた。

そういえば星野さんの「星野流」でも、星野さんが大学生の時、「明治大学野球学部島岡学科」(星野さんは卒業したのは明治大学ではなく、島岡野球部監督の島岡学校だと呼ぶ)の時に、キャプテンとして進んで便所掃除をしたという話が書いてあったことを思いだす。

ただ星野さん達はみんなで便所掃除したのだろうが、宇津木さんの場合は一人で便所掃除して、しかもそれが仕事だったという違いがある。

ユニチカには13年間在籍したが、紡績業が不況業種となり、チームへの様々な支援がカットされた時に31歳で現役を引退した。ユニチカ時代は全日本のメンバーに選ばれたり、合計12回全日本級のタイトルを取ったという。


日立高崎(現ルネサス高崎)時代

宇津木さんが引退してからは、埼玉県の実家に戻り、星野女子高校のコーチや、ジュニア選手権の日本代表コーチをやっていたが、群馬県の日立製作所高崎工場長(現ルネサス高崎)からしつこく勧誘され、トレーニングコーチを引き受けた。そして「選手が宇津木さんに監督になって欲しいと言っている」と誘われ、監督を引き受ける。

女性監督には日立内部でも反対論が強く、味方は工場長だけだったという。

宇津木さんはお父さん子なので、お父さんに相談すると、「監督は社長であり、用務員でなければいけない」、「3年で結果がでなかったらやめろ」と言われる。

監督に就任後は、実業団3部の日立高崎を「強くて愛されるチーム」にすることを目標に掲げ、選手には、1.挨拶、2.時間厳守、3.整理整頓という3つのルールを毎日読ませ、規律を徹底させた。

毎日6時に朝練習、7時半から午後2時半まで勤務、それから全体練習、個人練習というメニューだった。

規律が守れない人は、時にはひっぱたき、化粧禁止、男女交際禁止という今では実行不可能なルールを決めていたという。鬼監督だったが、不思議と辞めた選手は一人もなく、2年で目標の1部リーグに昇格した。

監督をやって選手に教えられることが多かったと宇津木さんは語る。たとえば、「監督の顔を見ていると打てるような気がする」とホームランを打った選手もいた。

逆に選手が三振して戻ってくると「監督が頭を抱える姿を見たら、打てない気がしました」とも言われ、それからは何があっても平然と「大丈夫。いけるよ」という顔でうなずくようにしたという。

選手は監督の顔色一つで、気持ちが変わることが分かったからだと。


宇津木麗華さんのこと

最後に宇津木さんは宇津木麗華(旧中国名は任彦麗)現ルネサス高崎監督の話を紹介している。麗華さんは、中国ナショナルチームのキャプテンで、「アジアの大砲」と呼ばれていた。

宇津木さんにジュニア時代からあこがれ、教えを請い、国際電話で頻繁に電話をかけてきて、宇津木さんの元でプレーしたい一心で、日本行きを希望した。引き留める中国側の「アジア選手権に優勝したら日本に行ってよい」という条件を満たして、晴れて1988年に日本に来た。

麗華さんは、ルネサス高崎の選手となり、日本に帰化し、アトランタオリンピックには国籍がなく、出られなかったが、シドニー、アテネのメンバーとして活躍した。

任彦麗さんは、日本に帰化するときに、「宇津木」という名前を有名にしたいということで、宇津木麗華という名前にしたので、別に宇津木さんが養女にしたわけではないという。

宇津木さんは46歳の時に一回り下の日立の同僚と結婚している。


講演でも強烈な印象を聴衆に与えた。すごく存在感のある人だ。2010年4月にルネサス高崎との契約が切れると、東京国際大学の特命教授になるそうだ。

宇津木さんの一番の懸念は、オリンピック競技からはずされ、女子プロ野球がスタートすると、ソフトボール人気が落ちてしまうことだと語っていた。

小さい体にみなぎる闘志を秘めた人だった。この本も簡単に読めて、参考になる。是非一読をお勧めする。



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2009年12月26日

トレーニング・メソッド 筋肉博士 東大石井教授のトレーニング教本

トレーニング・メソッドトレーニング・メソッド
著者:石井 直方
販売元:ベースボールマガジン社
発売日:2009-09
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筋肉博士、東大石井教授のトレーニング教本。本の帯には「筋肉の取扱説明書」と書いてある。

モデルは最近テレビのクイズ番組に東大卒のタレントとして登場しているタックこと、佐々木卓君だ。

最近知ったが、佐々木卓君は三年生・四年生でボディビルの学生チャンピオンを連覇している。

石井教授の全日本学生ボディビル選手権優勝、学生パワーリフティング大会6連勝という偉業には比べようもないが、石井教授でさえ達成できなかった全日本学生ボディビル選手権を連覇しているわけだ。

佐々木卓君の筋肉のバルクとディフィニション(キレ)はさすがだ。

石井教授が2年生の時、学生チャンピオンになったのは、慶應大学の吉見正美さんで、現在はロスアンジェルスでカイロプラクティックの医院を経営されている。

医院のホームページに懐かしい写真が載っている。

Dr, Kichimi





この「月間ボディビルティング」の表紙写真が、吉見さんが全日本学生チャンピオンになった当時の写真だ。

吉見さんは筆者の1年先輩で、慶應大学を卒業して警視庁に入ったはずだが、やめてカイロプラクティックのドクターになられたようだ。

当時人気があった12チャンネルの「勝ち抜き腕相撲」で、70人抜きのチャンピオン、南波勝男さんに勝ったのが吉見さんだ。

12チャンネルの正月番組で、「六大学対抗腕相撲大会」というのがあり、石井教授を擁する筆者のクラブも出場したが、残念ながら優勝はできなかった。団体ではたしか法政大学のレスリング部、そして個人では吉見さんが優勝した。

1975年に筆者の友人が出場した時の「勝ち抜き腕相撲」のスタジオ写真があるので、紹介しておく。

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そう、セコンドはあの俳優のチャック・ウィルソンである。まだ芸能人としては無名の時代で、クラーク・ハッチトレーニングセンターのトレーナーだった。

座っている選手は、筆者の友人が対戦した元ボディビルダーの水上さんだ。

ちょうど筆者達が友人を応援しに行った収録の日に、友人の数人前の挑戦者が、水上さんと対戦して、上腕を変な風にねじって、骨を折るという事故が発生した。

「バキッ」という音がして、急に上腕の筋肉がたわんだので、びっくりした。たしか調理師の人で、1−2ヶ月は休業を余儀なくされただろう。テレビ局から、休業補償はするという説明があった。

一回の収録はたしか10人(?記憶ふたしか)で、2週間分を撮り貯めるのだ。

チャンピオンになると、休む間もなく次々に挑戦者と対戦しなければならず、あの形式で勝ち続けるのはよほど強くないと無理だ。水上さんは結局30人くらい勝ち抜いたと思う。

閑話休題。

筆者はトレーニング歴37年だが、筆者が学生の時は、早稲田大学の窪田登先生の「ウェイトトレーニング」とか、「ボディビル入門」とかの本が教本だった。

ウェイトトレーニング (1979年) (講談社スポーツシリーズ)
著者:窪田 登
販売元:講談社
発売日:1979-05
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ボディビルディング (1964年) (スポーツ新書)
著者:窪田 登
販売元:ベースボール・マガジン社
発売日:1964
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昔は今のようにトレーニング器具がなかったので、バーベル、ダンベル中心のトレーニングだった。

関東学生パワーリフティング大会での筆者のスクワットの試技。バーベルの重さは200Kg。バーベルが重さでしなっている。

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関東学生パワーリフティング大会で、石井教授と1・2フィニッシュ。黒板(裏側はミラー)に書いてある215Kgというのは、筆者の最後の試技の重量だ。

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この本ではゴールドジムさいたまスーパーアリーナの、様々なトレーニング器具を使って撮影している。その器具のバリエーションは驚くほどだ。

この本では次の部位について、解剖学的説明、筋肉の特性にあわせた鍛え方の基本、写真入りでの具体的トレーニング法の解説、「プラスαの筋肉知識」がコンパクトにまとまっている。

1.胸
2.腹
3.肩
4.背中
5.脚
6.脚(ハムストリングス)・尻
7.上腕
8.前腕・下腿

筋肉の特性にあわせた鍛え方というのは、たとえば標準の80%1RM(1 Repetition Maximum=1回挙げられる最高重量の80%の重量で10回程度繰り返す)とか、前腕の筋肉ならダンベルリストカールを30回繰り返す、ゴムボールを握って握力を鍛えるトレーニングなら100回握る、とかいった具合だ。

この本のあとがきに「トレーニングをすでに実践されている方には、『基本を見直す』という視点で読んで頂ければ幸いです」と石井教授は書いているが、まさに筆者など経験者にも楽しく読めるトレーニング教本である。

ウェイトトレーニングで一番気を付けなければいけない点は、正しい姿勢でトレーニングすることだ。

間違った姿勢で重い物を持ち上げると腰を痛めるおそれがある。この本ではどうやったら腰を痛める(椎間板ヘルニア)になるのかも説明している。

具体的には背中が丸まったままで重い物を持ち上げると、たとえ50キロのバーベルでも、椎間板に局所的に700Kgの力が掛かるという。700Kgは脊椎骨の力学的強度に近いストレスで、きわめて危険な状態なのだ。

雑学的にも面白い。たとえば、黒人の脚は、ふくらはぎのところにあまり肉がついていなくて、アキレス腱が長く、膝に近いところに短い「ヒラメ筋」がついている。

すばやく脚を振るには、根元が細く、先が細い方が理にかなっている。アキレス腱が長い方が、引っ張られて伸びる幅も長くなるので、より大きな力を溜め込むことができ、強いバネがあるのだ。

日本人はふくらはぎの筋肉が美しいと言われているが、逆にスプリントとかジャンプではプラスの要因にならないという。

なるほどと思う。


簡単に読めて参考になる。

トレーニングをやっている人に是非おすすめしたい最新の運動生物学情報満載のトレーニングの教科書である。


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2009年11月30日

松坂大輔が読んでいるトレーニングの本 復刻版登場

2009年11月30日再掲:

松坂大輔が読んでいるトレーニングの本として紹介した本が講談社から復活した。

筋を鍛える   ヒトはトレーニングによってどう変わるのか?筋を鍛える ヒトはトレーニングによってどう変わるのか?
著者:石井 直方
販売元:講談社
発売日:2009-09-30
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かなり専門的な内容だが、筋トレの最新理論を詳しく紹介し、具体的なトレーニング方法も紹介しているので参考になる。

もともとは山海堂という出版社から出ていた本だが、出版社が倒産し、アマゾンの中古本市場では実に1万円以上していたことは、以下に説明したとおりだ。

今回復刻版が出たので、オリジナルの本の中古価格は700円くらいになってしまっている。

今だから明かせるが、実は今年の1月にオリジナルの本のあらすじを書いた直前に大学のクラブのOB会があり、石井教授から復刻版が出ると聞いていた。

しかし当時は中古本がプレミアムで売れていたので、この情報を公開すると中古本ディーラーの人に影響が出ると思って、元々のあらすじには復刻版のことはふれなかった。

なにはともあれ、トレーニングの伝説の名著が、簡単に読めるようになったのは喜ばしいことだ。

普通の人にはちょっと専門的すぎるかもしれないが、第5章は「キミはマイケル・ジョーダンになれるか?」という様な肩のこらない読み物になっている。

今度は簡単に手に入るので、ぜひ書店で手にとって見てほしい。


2009年1月27日初掲:

先日のNHKテレビの「スポーツ大陸」の松坂大輔特集を見ていたら、松坂がこのブログでも紹介しているスロトレで有名な東大の石井教授の本を読んでトレーニング法を研究している場面があった。

それがこの本だ。

石井教授自身は、日本で2度ほど松坂の練習を見たと言っておられたが、松坂の体はあきらかにアメリカに行く前と違う。

現在のほうが筋肉がついて、いかにも大リーグのピッチャー(筆者は大リーグのピッチャーというと、ロジャー・クレメンスのイメージが浮かぶ)らしくなってきたという感じだ。

この本が松坂のビルドアップに役立っているのだと思う。

筋と筋力の科学〈2〉筋を鍛える―トレーニングするとからだはどうなるのか? (からだ読本シリーズ)筋と筋力の科学〈2〉筋を鍛える―トレーニングするとからだはどうなるのか? (からだ読本シリーズ)
著者:石井 直方
販売元:山海堂
発売日:2001-07
おすすめ度:4.5
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先週石井教授にお会いしたので聞いてみたら、実はこの本の出版社の山海堂が倒産したので、もうこの本を買うことはできないのだとのこと。

同じシリーズの「重力と闘う筋」にはプレミアムはついていないので、まさに松坂効果だと思う。

筋と筋力の科学〈1〉重力と闘う筋―筋はどのようにして力を出すのか? (からだ読本シリーズ)筋と筋力の科学〈1〉重力と闘う筋―筋はどのようにして力を出すのか? (からだ読本シリーズ)
著者:石井 直方
販売元:山海堂
発売日:2001-07
おすすめ度:4.5
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この本は絶版で、アマゾンのマーケットプレースでは1,800円の本に15,000円の値段がついている。

町田市の図書館では蔵書がなかったが、図書館同士の貸し借りネットワークがあるので、西東京市図書館から借りて貰った。

このように稀少本でも図書館にリクエストすれば読めるのだ。


この本はサニーサイドアップ社発刊「月間フィジーク」というトレーニング雑誌(現在は休刊)に、1999年から石井教授が連載したシリーズ記事をまとめたもので、次の目次のようにかなり専門的な内容だ。

第1章 レジスタンストレーニングの効果
  1.トレーニング効果とは
  2.トレーニング効果の動作特異性
  3.トレーニング効果の現れ方
第2章 トレーニング効果発現のメカニズム
  1.トレーニングによる筋肥大のメカニズム
  2.メカニカルストレスと筋肥大
  3.代謝・内分泌系と筋肥大
  4.筋内の酸素環境と筋肥大
第3章 トレーニング法の違いと効果の違い
  1.刺激の要因と特徴を理解する
  2.さまざまなトレーニング法
第4章 スキルという迷宮
  1.筋を制御する仕組み
  2.スキルという迷宮
  3.予測(読み)と反射とイメージトレーニング
第5章 キミはマイケル・ジョーダンになれるか?
  1.ダンクシュートの力学
  2.トレーニングでできるようになること、ならないこと
  3.運動能力と遺伝

トレーニングの基礎理論に加え、様々な実験結果が満載で参考になる。

いくつか参考になった点を紹介する。


腕や脚の周径位が10%増えると、筋肉の量は20%増える。

だから1998年の大リーグのホームラン王だったマーク・マグワイア選手(その後ドーピングの疑いがかけられているが黙秘することで記録は剥奪されていない)の上腕囲は51センチだったので、日本のプロ野球選手の平均上腕囲が36センチとすると、上腕囲が40%アップ、筋力は2倍と推定される。

オリックスのカブレラなどの上腕囲の太さはマグワイア並だと思うが、日本の野球選手の倍の筋力というのは、うなずける気がする。松坂もアメリカに行って相当筋力アップしているはずだ。

トレーニングを開始して1ヶ月くらいで筋力は伸びるが、筋量をふやすには最低3ヶ月、中高齢者は4ヶ月以上トレーニングを継続する必要がある。

特に中高齢者は筋肥大が若者に比べて遅い。筆者も加圧トレーニングを週1回程度続けているが、やはりこれでは現状維持がやっとだ。最低回数を週2回以上にして4ヶ月以上続ける必要がありそうだ。

この本の原稿は1999年頃に書かれたものなので、石井教授自身が加圧式トレーニングを半信半疑で試してみて、驚くべき効果が得られたことが書かれている。

加圧トレーニングは筋内の酸素環境を強く刺激して効果を得るトレーニングだが、これと同様の効果を得られる可能性があるトレーニングとして、コンティニュアス・テンション・メソッド(「常時緊張法」とでも訳すべきか)という名称で、スロトレの原型が紹介されている。

唯一無二の絶対的トレーニングはないので、継続的に能力を向上させたい場合は3〜4ヶ月毎にトレーニングの方法や処方を見直し、段階的に変える必要があるというのも重要な指摘だ。


最新のスポーツ理論の本だけに、現在スポーツ界で深刻な問題になっているステロイド、成長ホルモン、遺伝子ドーピングなどについても解説している。

特に高齢者の筋萎縮治療や、筋ジストロフィー治療に開発された遺伝子ドーピング療法の悪用は「スポーツ自体を滅ぼす最終兵器」になるおそれがあるとして、強く注意を呼びかけている。

石井教授は、筋肉を増強する悪魔の技術をいくつか挙げている。ネガティブミオスタチンインスリン様成長因子(IGF−I)そしてミトコンドリア脱共役タンパク質(UCP−2,UCP−3)などがあるという。

北京オリンピックでベラルーシのハンマー投げのチホン選手など2選手がドーピングで失格して室伏選手が3位に繰り上がったが、ベラルーシの選手もこういった遺伝子関係の巧妙なドーピングをやっていたのかもしれない。

トップ選手ほど壁を乗り越えるために大変苦労するのだろうが、カベを乗り越えるために薬物を使っては倫理上の問題は勿論、自分の健康もむしばむことになる。

一時は隆盛を極めた野球のマーク・マグワイアもドーピングのせいで、野球の殿堂入りはまず無理と言われている。バリー・ボンズも薬物を使用していたのに、使っていなかったとウソをついたと偽証罪で訴えられている。

筆者はピッツバーグに2度駐在しているが、バリー・ボンズは元々ピッツバーグパイレーツの選手だった。最初の駐在(1986年ー1991年)のときのボンズはスリムだったのに、二度目の駐在(1997年ー2000年)のとき(サンフランシスコ・ジャイアンツ)はえらく筋肉隆々になっていたのに驚いた記憶がある。

ドーピングした選手の末路はみじめである。せいぜいホセ・カンセコの様に暴露本をだすくらいしか金を稼ぐ方法がなくなる。

Juiced: Wild Times, Rampant 'roids, Smash Hits, And How Baseball Got BigJuiced: Wild Times, Rampant 'roids, Smash Hits, And How Baseball Got Big
著者:Jose Canseco
販売元:Regan Books
発売日:2006-03
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かなり専門的な内容で、こんな本を読んで、あきらかに一回り体を大きくしている松坂大輔投手を見直した。稀少本なので、買うと15、000円もしてしまうので、是非もよりの図書館でリクエストして探して読んで欲しい本だ。


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2009年04月20日

一生太らない体のつくり方 スロトレ実践編 スロトレ実践するには最適の本

一生太らない体のつくり方-スロトレ実践編一生太らない体のつくり方-スロトレ実践編
著者:石井 直方
エクスナレッジ(2009-01-16)
販売元:Amazon.co.jp
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スロトレでテレビにも頻繁に登場する石井直方東大教授の本。

以前紹介した「一生太らない体のつくり方」「スロトレ」を組み合わせた実践編だ。


キツくなければトレーニングではない

筆者は以前「スロトレ」で紹介した”ブルガリアンスクワット”を毎日のように朝晩歯を磨く時に実施していたが、結構足に疲労が残った。



地下鉄大江戸線新宿駅の長いエスカレーターを歩いて登っていると、足に疲労が貯まって階段の登りがキツくなったのだ。

石井教授は「スロトレは、どこでも誰でも手軽にでき、比較的短時間で、しかも安全と、利点はたくさんありますが、楽ではないのです。楽にできるようでは筋トレにはならないのです」と語っている。

”ブルガリアンスクワット”をやっている時間はせいぜい3分程度だが、最後は足が伸ばせなくなるほどキツいので、やはり相当の効果があるようだ。だから疲労感を感じた後は週3回程度にしている。


トレーニングの基本

石井教授は誰がやっても成功を収めることのできる普遍的なトレーニング方法は、次の三つのポイントしかないと語る。

1.筋肉を維持し、できれば増やす。

2.有酸素運動で脂肪を燃やす。

3.余分なエネルギーを摂らないようにする。

基本はエネルギーの最大の消費者である筋肉を維持・増強して基礎代謝を上げ、三食きちんと摂って、摂取エネルギーと消費エネルギーの差で少しずつ体重を減らし、体質改善と体重減を実現させることだ。


スロトレの標準コース

この本ではスロトレの標準コースとシニアコースがイラスト入りで紹介されていて、わかりやすい。

ウォームアップから始めて、ステップ1のニートゥーチェストーステップ2スクワットーステップ3プッシュアップーステップ4アームレッグクロスレイズの4ステップで15分程度で完了するトレーニングコースが標準コースだ。

これを週2−3回行う。

YouTubeには「メタボ侍」というシリーズで、石井教授のスロトレのトレーニングコースが紹介されている。

最初のウォームアップのリズミカルニーアップ



ステップ1のニートゥーチェスト



ステップ2はスクワット



ステップ3プッシュアップ



ステップ4アームレッグクロスレイズ




Q&Aも参考になる

最後の第三章は”あなたの悩みと疑問にお答えします”というタイトルで、よくある疑問・質問に、トレーニング編、有酸素運動編、食事編、一般編にわけて石井教授が丁寧に回答していて参考になる。

いくつか例を紹介すると。

・筋肉をつけるためには下ろす動作を大切に

・腹筋と背筋は、毎日鍛えても効果的?

・大腰筋を鍛えると、腰痛は解消するか?

・割れた腹筋、カッコイイふくらはぎ

・速く歩くことで痩せる理由

・食事は三食きちんと摂ろう

・人気の低糖質ダイエット(アトキンスダイエット)よりも、脂質を減らす努力を

・不規則な生活は、太りやすい原因をつくる

・就寝前の運動は避けるべき

・筋肉は記憶する。とにかく3ヶ月やってみる

・スロトレは、毎日少しずつが理想的


スロトレは、器具もいらないし、どこでも誰でも思い立ったときにできる。まさに万人向けのトレーニング法だと思う。

是非この本を参考にして、一日15分、週数回のスロトレで体質改善を目指そう!


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2009年04月16日

2016 東京オリンピックを実現しよう!

2009年4月16日再掲:

東京タワーの近くに行ったので、東京オリンピック招致を応援するライトアップの写真を撮った。

2009041518340000

6時過ぎだったので、文字は"TOKYO"だけだったが、8時を過ぎると"2016"の数字も別のサイドに表示される。

みんなで東京オリンピック招致を応援しよう!


2009年4月14日初掲:

土曜日に神宮球場で東京六大学野球の早稲田対東大の試合を見た。

斉藤佑樹投手が先発して七回まで投げ、後続投手に引き継いで完封リレーだった。

イニングの間にバックスクリーンの電光掲示板で"2016 baseball again!"キャンペーンの広告を流していた。

2016 Baseball again






斉藤佑樹投手も出演して「オリンピックに出たい!」と言っていた。

そのCMはYouTubeにはまだ載っていないが、次が日本のオリンピック招致CMだ。最初が日本国内向け、次が外国向けのイメージ広告だ。





東京は競合する4都市(シカゴ、マドリッド、リオデジャネイロ)の中では現時点では一番評価が高いが、最大の問題は国民の支持が低いことだという。

オリンピック東京開催が実現すれば、大きな経済効果が見込める。筆者としては是非この機会に1964年の東京オリンピックの時に完成した首都高速を、片側4車線くくらいの一流国として恥ずかしくない高速道路に改造して欲しいと思っている。

現在の道路の上か下にもう一本道路を造って耐震構造を強化するとともに、諸外国でよく見るダブルデッカーにすれば、実現可能ではないかと思う。

インフラ整備以外にも、治安、衛生、環境、文化、観光誘致、対外国人friendlinessなど日本の国をあらゆる面で見直す良い機会となると思う。

もちろん野球とソフトボールがオリンピック競技として復活することは間違いない。

是非オリンピックの東京招致が成功するようみんなで応援しよう。!


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2009年01月16日

武士道とともに生きる 山下泰裕さんとトヨタの奥田碩さんの共著

2009年1月16日追記:

今日の午後10時からNHK総合で「スポーツ大陸 何があっても勝つ〜史上最強の柔道家 山下泰裕〜」が再放送される。

山下泰裕さんの現役時代の活躍がよくわかるので、是非見て頂きたい。



2009年1月11日追記:

本日(1月11日)午前7時にNHK BS−hiで「スポーツ大陸 何があっても勝つ〜史上最強の柔道家 山下泰裕〜」を見た。

スポーツ大陸 山下泰裕






山下さんの現役時代の数々のエピソードが取り上げられており、山下さんの恩師の佐藤宣践(のぶゆき)先生も登場する。

柔道を始めた頃から、1984年のロスアンジェルスオリンピックで2回戦での右足の肉離れにもかかわらず金メダルを取ったこと、オリンピックの翌年の全日本柔道選手権で宿敵斉藤仁選手と対決し、優勢勝ちを収めて203連勝無敗のまま引退したことなどが紹介されている。

筆者も見た記憶がある懐かしい場面ばかりだが、ロスオリンピック決勝の時の山下さんは、利き足の右足を引きずって、とても試合などできる状態ではなかったことがよくわかる。

筆者も高校生のときにサッカーをやっていて肉離れを経験したことがあるが、筆者の場合は「バキッ」という音とともに激痛が襲ってきた。とても運動などできたものではない。

今映像を見直しても痛々しいかぎりだが、それでも金メダルを取るとは、本当に国民栄誉賞に値すると思う。

山下泰裕氏といっても引退したのが20年以上前の1985年ゆえ、若い人にはどんな活躍をした選手なのかわからないと思うので、是非この番組を見てなぜ「史上最強の柔道家」といわれるか知って欲しい。

NHK総合で1月16日(金)午後10時から再放送されるので、是非見て欲しい。


2009年1月10日初掲:

武士道とともに生きる武士道とともに生きる
著者:奥田 碩
販売元:角川書店
発売日:2005-04-25
おすすめ度:3.0
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トヨタの奥田碩(ひろし)元会長と、東海大学体育学部教授で前国際柔道連盟教育コーチング理事の山下泰裕氏の寄稿と対談を集めた本。奥田さんは柔道6段だ。

山下さんの講演を聞いて感動したことがあるので読んでみた。

ちょうど山下さんを特集したNHKの「スポーツ大陸」が1月11日(日)午前7時のBS−Hi,1月16日(金)の夜10時からのNHK総合で再放送されるので、こちらも是非見て頂きたい。

山下さんの肩書きを前理事と書いたのは、2007年の国際柔道連盟の理事選挙に敗れたからだ。このことは話題になったので、山下さん自身の山下泰裕公式ホームページ敗戦の弁を紹介しておく。

柔道が"JUDO"時代となり、山下さんの知名度をもってしても、本家本元の日本が国際柔道連盟の主導権を取れない現状がよくわかる。柔道国際化の宿命といってしまえばそれまでかもしれないが、ハンドボールの「中東の笛」をはじめ、国際スポーツ界の金権化が危惧される。

山下さんは柔道教育ソリダリティというNPO法人のホームページと、山下泰裕公式ホームページで、山下さんの活動や各種雑誌などへの寄稿や各地で行った講演などを情報発信している。

どちらかというとこの本は奥田さん色が濃く、山下さんの話は抑えている感じなので、このあらすじでは山下泰裕公式ホームページで公開されている講演録などの情報も含めたあらすじを紹介する。

山下さんの講演録は「自己実現と教育法 ―柔道に教えられ、学んだこと―(全10回)」という題で、筆者が聞いた講演とほぼ同じで他の話題も含まれていて大変面白いので、是非是非読んで欲しい。


同級生からの表彰状

山下さんは子どもの頃から体が大きく、暴れん坊だった。小学校4年生から柔道を始めたが、それまでは山下さんがいるから学校に行けないという登校拒否児童が出るありさまだったという。

山下さんがロサンジェルスオリンピックで足のけがにもかかわらず金メダルを取った時に、故郷の同級生が次のような表彰状をくれたという。

「表彰状 山下泰裕殿 
あなたは小学生時代、その比類稀なる体を持て余し、教室で暴れたり、仲間をいじめたりして、われわれ同級生に多大な迷惑をかけました。しかし、今回のオリンピックにおいては、われわれ同級生の期待を裏切るまいと不慮の怪我にもかかわらず、見事金メダルに輝かれました。このことは、あなたの小学生時代の数々の悪行を清算して、あり余るだけではなく、われわれ同級生の心から誇りうるものであります。よって、ここに表彰し、偉大なるやっちゃんに対し最大の敬意を払うとともに、永遠の友情を約束するものである。」

山下さんは過去の栄光の品々は国民栄誉賞も金メダルも一切飾っていないそうだが、この表彰状だけは飾っているという。過去は関係ない。大事なのは、今とこれからだという。


指導者としての山下さん

山下さんが師と慕うのは、中学時代の恩師白石礼介先生、高校・大学の恩師佐藤宣践(のぶゆき)先生、東海大学の創始者松前重義先生、そして柔道の創始者嘉納治五郎先生だ。

講演でも話されていたが、山下さんは指導者といっても、自分が教えたことよりも、むしろ学生やみんなから教えられたことのほうが多いと謙虚に語る。

山下さんも名選手名監督ならずの例で、初めは自分の立場でしかものを見ることができず、他人の考えていることがわからなかったという。

しかし指導者としての経験を通して、不世出の名選手だった山下さんが「何を言ったか」ではなく、山下さんの指導により相手が「どう変わったか」が重要なのだと考えるようになった。「お前、これはあの時教えたじゃないか」などと言っても、それは指導者の自己満足でしかないのだ。

山下さんの教え子の中では、手間が掛からなかった教え子よりも、手間の掛かった教え子のほうが、指導者としての山下さんを成長させてくれたという。

山下さんが現役を引退して東海大学柔道部の監督だった時に、仲間を楽なほうへ、悪いほうへ引っ張る4年生の問題児がいたという。彼は兵庫県の高校代表だったが、全国のトップクラスが集まる東海大学柔道部では試合に出られず、後輩に追い抜かれ、くさっていたようで、山下さんはやる気がないなら辞めて欲しいと思っていたという。

そんな時に白血病のお子さんを持つ両親から、山下さんに献血のためにA型の学生を集めて貰えないかとの依頼があった。そこで山下さんが声をかけ、20名ほどの献血者が集まったが、その中にその問題児がいたのだという。

手術が成功し、そのお子さんが退院していくときにお母さんが挨拶に来られて、涙を流してお礼を述べられたが、その時にその問題児が片道1時間も掛かる病院まで何度も見舞いに行って、試験などで行けない時は手紙を書いて励ましていたことを山下さんは知って驚いたという。

自分もA型なのに監督だから学生に声をかけるだけで献血にも参加せず、その学生をやる気のない奴だということで、ただ叱っていた。兵庫県でチャンピオンだった学生が後輩に追い抜かれる挫折感、心の葛藤も理解しなかった。また選手を強くしたいという気持ちよりも、自分が日本一の監督だと思われたかった自らに気が付いたという。

指導者としての経験を通して山下さんはできる、できないで区別せず、「この子はできるまでに時間がかかるんだ」と考えるようになったという。

人を評価するときは、できるだけ全体的に見なくてはいけないということを、その学生から教わった。欠点を指摘するのはたやすいが、良い点を見抜くのはじっと見ていないといけない。頑張ったところをほめてやる。枠にはめず、いいところをできるだけ伸ばしてあげるようにしたいと考えているのだと。

英語のEducationも語源は「educe=引き出す」だ。その人のいいところを育ててやる。それが教育だと思っていると山下さんは語る。

山下さんは、筆者がもう一度話を聞きたい人の筆頭だ。


シドニー・オリンピックのデュイエと篠原

2000年のシドニーオリンピックでの100キロ超級決勝でのデュイエの内股を、篠原信一選手が内股すかしで返したが、審判は高度な技を理解せずデュイエの金メダルが決まった。

この試合の後、日本とフランスの間がギクシャクしたが、デュイエは「困難から逃げないで立ち向かう勇気を教えてくれたのも柔道だった」と、つたない日本語で「よろしくお願いします」と手紙を書いてきて山下さんに訪日の件を知らせてきたという。

「弱いから負けた」と一切言い訳をせず、審判にも決して不満を言わなかった篠原信一選手の人間の大きさも立派だし、デュイエも立派だ。どちらも金メダルにふさわしいと山下さんは語る。


「道(ひとのみち)」としての柔道

山下泰裕氏は「柔道を通じて「武士道」のような日本人の精神を世界に広めたい」と語っており、奥田さんと山下さんが、「姿三四郎」などに描かれている柔道の武士道精神などについて語っている。

筆者は柔道は高校の体育で数ヶ月やった程度だが、柔道といい剣道といい、相手と1対1で対決する武道は、勝つための自らの鍛錬という面でも、対戦相手との友情が生まれるという面でも、きわめて教育的なスポーツだと思う。

だから「道」という名前がついており、まさにこれが創始者の嘉納治五郎が柔術から柔道を生み出した違いである。

北京オリンピックの石井慧(さとし)選手が象徴的だが、勝つことに意味があるのだという風潮がある。

スポーツとしてのJUDOなのか、鍛錬としての柔道なのか、意見が分かれるところかもしれないが、JUDO路線の対極にあるのが、この本で述べられている武士道精神を目指す柔道である。

石井慧選手を特集したNHKスペシャルを見て、石井選手が口だけではなく人一倍努力をして、ヒマさえあればウェイトトレーニングをやって筋肉をつけ、筋力、技のきれ、スピードを磨いてオリンピックに臨んだことを知った。

「腹筋の出ている重量級の柔道選手など(他には)いない」という石井選手の言葉もその通りだと思う。

普通の人ではマネのできない努力の結果勝ち取れた金メダルだと思うので、石井選手を悪く言うつもりはないが、たとえ試合に勝ってもその行動や言動を見ていると柔道家として周りの人や他の選手から尊敬される存在にはなっていない。

柔道は心技体のはずであり、石井選手の場合「心」はまだまだ鍛錬が必要だと思う。

山下さんは勝つための柔道には公共心などがなくなってきているので、創始者の志に戻る「柔道ルネッサンス」を提唱している。「最強の選手」をつくるのではなく、「最高の選手」をつくるのだと。


「ソフト・パワー」としての柔道

奥田さんと山下さんは日ロ賢人会議で一緒になってから親しくなったという。山下さんは奥田さん達の支援を受けて、柔道教育ソリダリティというNPO法人をやっている。

山下さんの友達に「日ロ賢人会議」に出たというと、「お前、熊本県人だろ?」とか、「えっ、ロシアにも県があるのか?」といった反応が返ってくると。山下さんの子どもの頃を知っているので「賢人」とは思えないのだと。

山下さんはプーチン首相と親しい。YouTubeでも山下さんと井上康生がプーチン首相と一緒に、ロシアの子ども達に柔道を教えているビデオが公開されている。



プーチン首相は別荘に嘉納治五郎の銅像を建て、今でも週2回柔道の練習をしているという。

柔道の用語は日本語ですべて通しているが、プーチン首相も「最初はさっぱり分からなかった。でも、そのうち、だんだんそれがわかるようになった。柔道で使われている日本語に興味を持ち始めたことがきっかけとなって、日本の文化に興味、関心を持っている」と言っていたという。

ロシア人は日本びいきだで、日本が好きだと答えている人は74%も居ると以前紹介した大前研一氏の「ロシア・ショック」に書いてあった。プーチン首相はロシア語で「柔道、わが人生」という本を共著で出版しており、2000年の2回目の訪日の時に講道館を訪問し、次のように語っている。

「講道館に来ると、まるで我が家に帰ってきたような安らぎを覚えるのは、きっと私だけではないでしょう。世界中の柔道家にとって、講道館は第二の故郷だからです。日本の柔道が世界の柔道へと発展していくのはたいへん素晴らしいことですが、われわれにはもっと注目すべきことがあります。それは、日本人の心や考え方、そして文化が柔道を通じて世界に広まっていくことです」

 日本の柔道家が同じことをいえば、ある意味でそれは当然でしょう。しかし、ロシアの、それも大統領がこれほど深く柔道の役割を理解していることに、私は強く胸を打たれたのです。しかも、プーチン大統領は、講道館館長から送られた六段の紅白帯をその場で締めることを丁重に辞したうえ、こう言葉を続けました。「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、一日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」

 この発言はいわゆるリップサービスだと、穿った見方をする人がいるかもしれません。多忙な大統領に練習のための時間などあるはずはないと。しかし、プーチン大統領が週に2回、今でも道場に足を運んでいることを私は知っています。この言葉は、心から発せられたものでした。

出典:山下泰裕公式ホームページ記事

オバマ新政権で駐日米国大使になるジョセフ・ナイさんや、国務次官補になるカート・キャンベルさんなど、米国の親日派のビッグショットがそろい踏みした日経新聞とCSIS(米戦略国際問題研究所)主催のセミナーを12月に聞いた。

ジョセフ・ナイさんは、「ソフト・パワー」を提唱し、国の力として軍事力、経済力などの「ハード・パワー」とともに、これからはその国の文化、ファッション、食べ物、流行などの「ソフト・パワー」が重要になると説く。

ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力
著者:ジョセフ・S・ナイ
販売元:日本経済新聞社
発売日:2004-09-14
おすすめ度:4.0
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この本で奥田さん、山下さんが繰り返し述べられている武士道精神、柔道の精神性もまさに日本を代表するソフト・パワーであり、プーチン首相の日本びいき、世界190ヶ国に柔道連盟があるという圧倒的なネットワーク力などを、日本ももっと活用すべきだと筆者も思う。


奥田さんの愛読書「姿三四郎」

奥田さんの愛読書は「姿三四郎」だという。今から120年ほど前の明治時代の物語で、柔道の精神性と日本人としての生き方の理想像、柔道の美学がそこにあるという。これは新渡戸稲造の書いた「武士道」にも通じる生き方であると。

武士道 (岩波文庫)武士道 (岩波文庫)
著者:新渡戸 稲造
販売元:岩波書店
発売日:1938-10
おすすめ度:4.5
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「姿三四郎」は現実のモデルに即した小説で、柔道の開祖嘉納治五郎は矢野正五郎として描かれ、当時の四天王は「姿三四郎」の著者の富田常雄の父、富田常次郎、横山作次郎、山下義詔、そして姿三四郎のモデルの西郷四郎だった。

姿三四郎;普及版; [DVD]姿三四郎;普及版; [DVD]
出演:大河内傳次郎;藤田進;河野秋武;清川荘司
販売元:東宝
発売日:2007-12-07
おすすめ度:4.0
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富田常雄は講道館の敷地にあった富田常次郎の家に生まれ、自身も柔道の有段者だったので、柔道に囲まれた環境に育った。

嘉納治五郎は柔道の国際化に尽力した。嘉納治五郎は東大卒で、英語で日記を書いているといわれるほど、英語が達者だった。早くから海外への柔道の普及に尽力し、アジア初のIOC委員にもなって、幻に終わった1940年の東京オリンピックの招致にも貢献した。

現在国際柔道連盟加盟国は約190あり、これはオリンピックに参加している競技の中で、3番目に多い加盟国だという。


日本柔道界金メダルゼロの日

奥田さんは山本七平の「日本はなぜ敗れるのか」を社員に読むように薦めているという。

日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21) (角川oneテーマ21)
著者:山本 七平
販売元:角川グループパブリッシング
発売日:2004-03-10
おすすめ度:4.5
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トヨタもおごりの心が出てきてしまうことを強くいさめているとのこと。柔道も「勝ちさえすればよいのだ」という風潮になりつつあることを危惧している。

アテネでの金8個、銀2個という成績はできすぎでピークだった。日本の柔道界に金メダルゼロの日がやがてやってくるのではと危惧されているという。

柔道がここまで国際化した背景には、やはり精神性があると思う。この本ですすめらてている「姿三四郎」も一度読んでみようと思う。

姿三四郎 上巻 (1) (新潮文庫 と 6-1)
著者:富田 常雄
販売元:新潮社
発売日:2000
おすすめ度:5.0
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簡単に読め、柔道のソフト・パワー力、精神性、教育的価値がよくわかる。山下さんのホームページとともに是非おすすめする。



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2009年01月05日

箱根駅伝の激走

年末年始に箱根に行ったので、箱根駅伝を見た。

初日は往路のゴール付近で待ち受けた。

駅伝ゴール






芦ノ湖湖畔のゴール付近では、大型スクリーンが用意されており、中継が見られるので、待ち受けるファンも多かった。

今回20人抜きの新記録を達成した日大のダニエル選手とか、北京オリンピックに出場した早稲田の竹沢選手などもいた。

当初はトップの早稲田の選手の周りにテレビクルーが集まっていたが、最後の5区で脅威の追い上げで東洋大学が首位になると、今度は東洋大学の選手ばかり撮って、早稲田の選手を撮るものはいなくなった。冷淡なものだ。

第5区で東洋大学の柏原選手に逆転を許した早稲田の三輪選手は、ゴールした後白目をむいてぶっ倒れていた。

3分程度で立てるまでに回復したが、救急車が必要なのではないかと思わせるほど力を出し切って完全燃焼だった。

二日目の復路では、小涌谷付近で応援した。

駅伝小涌谷





ちょうど早稲田の選手が東洋大学の選手を逆転したところで、どちらも必死の形相で走っていた。



下り坂をすごいスピードで駆け抜けていたので、あれではひざに負担が掛かり、ゴール付近でフラフラになる選手もいることがよくわかった。

いままでテレビでしか見たことがなかったが、やはり実際に身近で見ると全然違う。

毎年駅伝を見に来るファンの気持ちがわかった。

ちかくで駅伝があれば是非観戦・応援に行くことをおすすめする。


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2008年12月13日

一生太らない体のつくり方 看板に偽りなし

一生太らない体のつくり方 東大石井教授の新著 看板に偽りなし


一生太らない体のつくり方一生太らない体のつくり方
著者:石井 直方
エクスナレッジ(2008-01-17)
販売元:Amazon.co.jp
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スロトレでテレビにしばしば登場する東大石井直方教授の新著。この本は「生活習慣病予防のための運動指導」というテーマで、各地で講演した内容をとりまとめたものだ。

スロトレは20万部以上のベストセラーとなっており、アマゾンの人気ランキングでも上位に入っている。

スロトレスロトレ
著者:石井 直方
販売元:高橋書店
発売日:2004-06
おすすめ度:4.5
クチコミを見る


筆者も試してみたが、看板に偽りのない太らない体つくりの理論と実践がわかる有益な本だ。筆者が読んでから買った今年5冊目の本である。

実は筆者は9月にヨーロッパに出張して、2ー3キロ体重が増えたので減量を心がけていた。

朝食をバナナとシリアルをかけたヨーグルトにしたり、仕事で忙しい時は週に何日かは昼食を思い切って抜いたりして、なんとか落とそうと思ってトライしていたが、効果が上がらず、どうもおかしいと感じていた。

ウェストは変わらず、なかなか体重が減らないのに、脚のももや太ももが細くなってきた様な感じで、ズボンの脚の部分がゆったりしてきた様な気がするのだ。

筆者は学生の時は1年後輩の石井教授と全日本パワーリフティング大会で一緒に表彰台に昇ったこともあり、スクワットは最高220キロを挙げていた。

当時の太ももの太さは64センチくらいで、既製服は太ももが入らず着られなかった。

会社に入ってラグビーを始めたが、あまり重いバーベルを持たなくなったので、徐々に太ももが細くなり、10年くらい前からは既製服が着られるようになった。

経済的で良かったと思っていたのだが、最近太ももがさらに細くなったような気がして測ってみたら57センチになっていた。

まだ普通の人よりは相当太いが、昔の64センチに比べると、もはや普通の人に近いと言った方が良いと思う。

週1回の1.5キロくらいの水泳は欠かさずやっているが、筋力トレーニングは最近やっていなかったので、急激な食事制限ダイエットで筋肉が落ち、体重が減らない体になっていたことが、この本を読んでわかった。

この本で石井教授は食事制限だけのダイエットは筋肉を減らしてしまうので、リバウンドが起きやすく、たとえ元の体重でも筋肉量は減って基礎代謝は落ちているので、「痩せにくい体」をわざわざつくり出していると説く。

むしろ何もしなかった方が良かったのだと。

30歳を過ぎると、年に1%くらい筋肉量が落ち、それによって基礎代謝が落ち、体に溜め込まれる脂肪が増える。

それに加えて、食事制限ダイエットで血糖値が下がると、糖質を補給しようとして、コルチゾールというホルモンが副腎から分泌され、肝臓と筋肉から糖質を補給する。筋肉のタンパク質が分解されて、エネルギーを補給するのだ。

最もエネルギー消費の多い筋肉を減らすことによって、体が消費エネルギーを節約しようとしている。体にとっては合理的だが、ダイエットという意味では省エネの太りやすい体質に変わっている。

筆者の2−3週間の昼飯抜きダイエットは、どうやらこの筋肉を分解して糖質を補給するというサイクルをスタートさせてしまったようだ。

これで脚が細くなってきた理由がわかった。しかしそれほど急に筋肉は落ちるのか不思議に思ったが、健康な人でも2日寝たきりで過ごすと、それだけで1%筋肉が落ちてしまうという。

筆者の場合、平日は毎朝最寄り駅まで30分弱歩いているが、ちょうど食事制限ダイエットをやっていた時は、バスに乗ることが多く、週に1日程度しか歩いていなかったことも、脚の筋肉が落ちてきた理由だと思う。

水泳でも脚は使うが、筋力トレーニングではないので、脚の筋肉はつかない。やはり筋力トレーニングで、太ももの筋肉中心に筋肉量をアップさせるのだ。

この本を読んで、食事制限ダイエットはやめ、毎日駅まで30分歩き、週1−2回の加圧式トレーニング+スロトレを再開したら、いっぺんに効果が出て体重は2キロ減った。

スロトレの良い点は、10分程度の短時間で効果が上がるトレーニングができることだ。

加圧バンドを太ももに巻いてスクワットをスロトレでやると、10回で相当効く。休憩しないと続けられないくらい筋肉を使う。

この本には付録としてスロトレの標準コースとシニアコースが図解入りで紹介されている。

理論を正しく学んで、筋力トレーニングで、筋肉量をアップして基礎代謝を上げれば、成長ホルモンとアドレナリンが分泌され、脂肪を燃焼しやすい体がつくれ、ダイエットの効果が上がる。

筋力トレーニング以外でも、ちょっとしたことを変えるだけで生活運動量はアップする。たとえば、1,エスカレーター・エレベーターを階段に変える、2.昼休みに10分散歩する、3.一つ手前の駅で降り歩く距離を長くする、といった例だ。

筋力トレーニングも1回10分程度であれば、十分週2−3回できると思う。

筋トレは肩こり、腰痛、ストレスにも効果的で、筋肉がつくと骨盤や背骨が矯正され、腰痛が緩和できる。また筋肉の血行が良くなると、冷え性、肩こりにも効果的で、便秘にも効く。


まさに看板に偽りなし。トレーニングのプロの筆者も実行して納得した。是非一読と実践をおすすめする。


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2008年05月26日

バイオラバーの山本化学がハイテク水着素材を発表!

2008年5月26日追記:

昨年水道橋博士の「博士の異常な健康」のあらすじを紹介した時に、バイオラバーという副作用のない抗ガン剤をつくっている山本化学を紹介した。

その山本化学が、今度はスピード社のレーザーレーサーに対抗するハイテク水着で一躍脚光を浴びた。

表面をたこ焼き板の様にでこぼこにして、くぼみに水の分子を吸着し、水の抵抗を限りなく減殺するという素材だ。

水道橋博士が紹介していたバイオラバーは半信半疑というところだったが、このハイテク水着でブレークすれば、バイオラバーも注目されるかもしれない。

加圧式トレーニングといい、ホットな話題なので水道橋博士の本のあらすじを再掲する。


2007年11月20日初掲:

博士の異常な健康
博士の異常な健康


タレント水道橋博士漫才コンビ浅草キッド)が実際に取り入れている健康法を紹介したレポート。

水道橋博士は時々テレビなどで見るが、たけし軍団だったとは知らなかった。

そのまんま東(東国原知事)は元国体ハンドボール選手で、今でも月300キロを走るランナー、井手らっきょうは100メートル11秒台、ラッシャー板前は柔道の黒帯、たけし自身もスポーツ万能ということで、たけし軍団はスポーツマン揃いだが、水道橋博士は体も小さいし、コンプレックスがあったという。

だから加圧式トレーニングにハマり、筋力トレーニングを続けているのだという。

水道橋博士の芸名は、鉄腕アトムのお茶の水博士のパロディだ。


ためしているのは次の6種類だ。

1.育毛技術

プロピアというヘアコンタクト(カツラ)メーカーが出している「シェルタ」という育毛マシーンと、プロテインシャンプー。

シェルタとは、美容院のパーマの様なヘッドセットを装着する育毛マシーンだ。SF映画に出てくる洗脳マシーンの様だ。

Propia







ヘッドセットの中で減圧・加圧が繰り返され、毛穴が開いてきた時に超微粒子化された育毛剤が噴霧されて毛穴にしみこみ、まるでヘアトニックのような感覚があるという。

プロテインシャンプーも試したら数ヶ月で抜け毛が減り、効果があったという。

水道橋博士は以前から薄毛で悩んでおり、ロゲイン(ミノキシジル)や飲む育毛剤プロペシア(フィナステリド)を常用してきたが、このプロテインシャンプーが最も効果があっただろうと語る。

但し、人によっては毛髪の再生サイクルが失われているケースもあり、その場合には精巧に作られたヘアコンタクト(カツラというよりも植毛)が役に立つ。

ヘアコンタクトは、テイジンの開発した人工毛髪を、日東電工が開発した装着フィルムと、開発費10億円掛けた吸着剤で頭皮に接着するので、シャンプーやブラッシングもできるというスグレものだ。

最後に水道橋博士は唐沢俊一氏の「育毛通」という本を推薦している。頭髪に悩みのある人は、本も読んではどうかと。この本に詳しく紹介されているが、水道橋博士は1に禁煙、2に栄養バランス、3に頭皮を清潔にすることが重要だとアドバイスする。

育毛通 (ハヤカワ文庫 JA (598))
育毛通 (ハヤカワ文庫 JA (598))



2.近視矯正手術

最近ではかなり広まってきた近視矯正手術を、水道橋博士は1988年、つまり約20年前に受けたという。

ソビエト伝来のRK手術で、角膜の中央を除いた部分にダイヤモンドメスで放射状に切れ目を入れ、凸レンズの焦点を修正するというもの。

大体視力が10倍になるということで、博士も0.07だった視力が、0.7に回復したという。時間は15分で完了。念のため片目ずつ手術したが、目の前にメスがせまり、目に切れめを入れる恐怖はすごかったという。

現在は人の手で切るRK法は衰退し、コンピューターコントロールされたエキシマレーザーで角膜を削るPRK法とLASIK法が主流で、手術の失敗率も格段に減少した。

日本では保険治療でもなく数十万円かかるが、外国ではもっと安く手術が行える様で、筆者の知人でも海外で手術した人がいる。

日本ではまだ年間5万件(2005年)という話だが、アメリカでは2000年以降100万件を突破しているという。

有名人では、タイガー・ウッズ選手、倖田夾未などがいる。テレビ東京のワールドビジネスサテライトにコメンテーターとして出演しているBCG(ボストン・コンサルティンググループ)の御立尚資さんも、ある日突然メガネなしで出演し、実は視力回復手術を受けたのだと語っていた。

筆者自身は乱視が強いので、手術に向かないのではないかと思っているが、そのうち気が変わって手術を受けるかもしれない。それほどに一般化してきた感がある視力回復手術である。


3.胎盤エキスは不老薬?

芸能人に胎盤エキスが流行しているという。

自ら公言している杉本彩の他、噂に上っている人たちだけで、木村拓哉、神田うの、川島なお美、森光子、叶姉妹などが使用していると噂されている。

作家の村上龍幻冬舎の見城徹社長、さだまさし、K−1の角田信朗、元レーサーの鈴木亜久里も利用者だという。

水道橋博士自身も、胎盤エキス治療に取り組んでいるこうじんクリニックの越智先生とかなり前から知り合いだったので、胎盤エキス治療を受けているのだという。

人の胎盤由来物を医薬品として認めているのは、世界でも日本、ロシア、韓国だけだそうだが(他の国は羊など動物の胎盤)、日本では1959年から肝硬変の医薬品として正式に認可を受けている。

胎盤と聞くと、なにやら気持ち悪い感じがあるが、胎児を育てるためにアミノ酸、ビタミン、ミネラル、酵素、核酸などの栄養分が含まれており、さらに多種類の細胞増殖因子が含まれているという。

中国では秦の始皇帝が不老不死の薬として使っていたと言われ、楊貴妃も使っていたと言われているそうだ。

筆者はあまり好まないので、リンクは付けないが、興味のある方はウィキペディアで「胎盤」で検索して見て頂きたい。詳しい記事が図解とともに載っている。

胎盤エキス治療の効果は、若さの保持と、関節痛や筋肉痛の解消にも効果的という。

こうじんクリニックでは胎盤エキスをツボ注射する治療法を行っているが、これは猛烈に痛いのだという。他の方法としては点滴があるが、毎日点滴を打つよりも、一週間一度のツボ注射の方が効果的だという。

芸能人はなぜ老けない?その答えの一つが胎盤エキス療法かもしれないという。


4.ファスティング(断食)

ファスティング(断食)は小川直也が、柔道からプロレスラーに転向した時に使った強烈な肉体改造術として有名になった。

3日間、水とファスティングジュースという野菜の青汁のようなもの以外は、食事は一切取ってはいけないそうだ。

水道橋博士は、夜腹が減って眠れないので困ったという。

体重は3日間で、5キロ(元が59キロなので、1割)減ったという。

ファスティングが体によいのは、疲れ切った胃や腸を休ませ、消化液を出さなくてすむ期間をとることによって、オーバーホールできるからだという。

石原慎太郎都知事もファスティングを評価しており、「老いてこそ人生」のなかで、次のように語っているという。

「私がいいたいのは、断食という通常では誰も本気で考えない、つまり食を断つという行為が肉体を根源的に立ちなおらせるという機能のメカニズムの中に限られた識者は知っていようと、万人に共通する肉体の素晴らしい秘密が窺えるということです」(原文のママ)

老いてこそ人生
老いてこそ人生


3日間断食を続けるのは大変だが、それだけ続けると胃も小さくなって、断食後も効果はあるだろう。

1日程度であれば普通の人でもやれるかもしれない。ダイエットと言うよりは、自分自身をコントロールできたという精神的な効用がある様だ。

石原さんも力説するなら、試してみる価値はあるかもしれない。


5.バイオラバー 

水道橋博士は強度の肩こりに悩まされていたが、ある時知人から紹介されたバイオラバーを使ってみたら、肩こりが消えてしまったという。

バイオラバーとは、高純度石灰石をベースにした発泡体ラバーに、貴金属鉱物粒子などを織り込み、波長4〜25マイクロメートルの赤外線放射機能を持たせたものだそうだ。

たった15センチくらいの三角巾で3万円もする。ベルトが11万円、ベストだと36万円だ。

メーカーは山本化学工業という会社で、ウェットスーツのラバーでは世界シェア60%のニッチ分野のトップ企業だ。消しゴム付きの鉛筆はこの山本化学の発明だそうだ。

その会社の2代目山本社長が、個人的に惚れ込んだのがバイオラバーだ。

バイオラバーは人間に最も良い波長を放射する装置なのだという。人体は一定の波長を持つ電磁波を常に帯びているが、バイオラバーは人体発の電磁波と共振するので、あたかも電子レンジのように体の中の分子の振動が大きくなり、自然治癒力を呼び起こすのだという。

バイオラバーは副作用のない抗ガン剤だという。

水道橋博士はバイオラバー応援サイトを立ち上げて、情報集約を図っている。

学会でも取り上げられる様になってきているという。

筆者はまだ半信半疑だが、もっと安くなれば試してみようかなという気になった。


6.博士の愛した加圧式トレーニング

この本のメインテーマであり、表紙の写真にもなっているのが加圧式トレーニングだ。

加圧式トレーニングの発明者、佐藤義昭氏の「加圧トレーニングの奇跡」も先日読んだが、あまり面白みのないまじめな本なので、そのあらすじを紹介するよりも、水道橋博士の加圧トレーニングの話の方が、具体例が多くわかりやすいので、この本を読んでみた。

加圧トレーニングの奇跡―免疫力を高める
加圧トレーニングの奇跡―免疫力を高める


理論的には血流を制限することで筋肉を酸欠状態にして、高地トレーニングをしている様に筋肉をだまし、低負荷・短時間で成長ホルモンを大量に分泌させ、最大限の効果を挙げるというものだ。

加圧トレーニングでK−1の現役に復帰した角田信朗氏も「この衝撃は人生の中でもエポックメーキングな出会い」と語っており、体重は過去最高の100キロ、上腕囲もトレーニングを始めて5日間で6センチ増え、20代の時よりも今のほうが筋肉量がアップしたという。

実は筆者も加圧式トレーニングの推奨者、東大の石井教授から勧められて4年ほど前から実施している。

筆者はトレーニングウェアに血流を制限するベルトが腕と太ももについているフェニックス社のカーツを使って、週1〜2回自宅でダンベルでトレーニングしている。

上腕囲のサイズは測定していないが、たしかに昔のサイズに近い様な気がする。

元々は正座による脚のしびれから発想した加圧トレーニングだが、腕と脚にベルトを巻くことを試行錯誤で行い、だんだんにシステム化して現在は筋肉アップ君というベルトと、前述のフェニックス社のトレーニングウェアを販売している。

この本の表紙でも水道橋博士が加圧ベルトを装着している写真が載っているが、水道橋博士は「わずか15分、週1回のトレーニングでムキムキ&若返りが実現」とセールストーク調に紹介している。

加圧トレーニングは、リハビリや重症患者にも効果が認められており、寝たきりにさせない、痴呆にさせないトレーニングとして、今後の日本社会にとって不可欠なものだという。

佐藤会長は加圧トレーニングの特許を各国で取得し、1995年に東大の石井教授との共同研究を開始した。当初懐疑的だった元ミスター日本の石井教授も、非常識なトレーニングの効果を認識し、積極的に広めた。

プロスポーツ選手は自分のトレーニング法を公開しない人が多いが、加圧トレーニングを公表しているスポーツ選手もいる。

ゴルフの杉原輝男は、週1回大阪の自宅から府中まで通い、30代の体力が戻ったと言っているそうだ。K−1の角田師範の他、武蔵、レスリングの永田克彦、ロッテのジョニー黒木、金田正一さん、有名サッカー選手、力士、トップリーグのラグビーチーム、甲子園に出場した高校の多くが取り入れている。

マリオンジョーンズが薬物使用を告白して、記録抹消、メダル剥奪され、バリーボンズも同様の結末を迎える可能性が強い。

ステロイドとか薬物の力を借りて筋肉をつくることは、副作用もあり、絶対にやってはならないことだ。筆者は昔パワーリフティング/ボディビルをやっていたこともあり、当時のボディビルの世界チャンピオンで廃人になったという噂の人も知っている。

しかし加圧トレーニングは、全く薬物などを使わない、短時間でできる画期的トレーニング法である。

リハビリのみならず、NASAも宇宙飛行士の筋力維持に注目しているそうで、いずれは誰もが普通にやっているトレーニング法として定着するのではないかと思う。


この本は水道橋博士が実践している6種類の健康法を、気楽に楽しく読める。一読をおすすめする。


参考になれば次クリックお願いします。



  
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2008年04月27日

筋肉博士石井直方の筋肉まるわかり大事典 トレーニングについての100のQ&A

“筋肉博士”石井直方の筋肉まるわかり大事典―筋肉のヒミツ、トレーニングの極意、栄養&食事法まで (B.B.MOOK―スポーツシリーズ (420))


4月15日のNHKの「爆笑問題のニッポンの教養」に出演した石井直方東大教授のトレーニング全般についてのQ&A100題。

筆者は35年以上ウェイトトレーニングを行ってきているので、自分ではトレーニングのプロと思っているが、この本を読んで基本的なことでも知らなかった事が多くあり、大変参考になった。

「加圧トレーニングの理論と実践」のあらすじでも書いたが、この本を読んで一番参考になったのは、前腕(握力)のトレーニング法だ。

以前は上腕と前腕をセットにしてトレーニングしていたが、上腕と前腕を別々に加圧トレーニングしたところ、効果が全然違った。

前腕はリストカールと30Kgのハンドグリップを3セット行ったが、これなら「加圧トレーニングの理論と実践」のあらすじでも紹介したK−1ファイターの例の様に握力向上も期待できると思う。

【エックスワン】腕・握力の筋力アップグッズ!ハンドグリップ30kg 080424UP10【エックスワン】腕・握力の筋力アップグッズ!ハンドグリップ30kg 080424UP10


さらに以前は加圧トレーニングと水泳は別の日に行っていたが、加圧トレーニングは大量に成長ホルモンを分泌するため、直後に水泳などの有酸素運動することも有効とわかったので、プールに行く前に加圧トレーニングを行った。

加圧トレーニングで腕を限界まで鍛えているので、当然腕に疲労が蓄積していると思っていたが、疲労の蓄積の自覚はなく、1.5Kmクロールで泳いでも、むしろいつもより調子が良い様に思えた。

加圧トレーニングは軽い負荷・短時間のトレーニングなので、いわば「疑似高地トレーニングで筋肉をだます」様なものと聞いていたが、それを実感した。

この本で参考になったQ&Aをいくつか紹介しておく。


トレーニング法について

20.筋肥大に最も適した負荷は?
ウェイトトレーニングのスタンダードとなっている80%1RM(Repetition Maximum=1回でできる最大負荷)で10回前後というのが筋肥大に最も適したトレーニングだ。

28.瞬発力もスタミナもある筋肉をつくるには?
「ホリスティック法」というトレーニング法がある。筋力をつける80%1RMのスタンダードトレーニングの後、50%1RMくらいの軽い負荷で30ー50回くらい、できなくなるまで続ける1セットを付け加えるやり方だ。

38.腹筋を効率よく鍛えるには?
深く息を吐きながら腹筋をする。これにより腹直筋と腹横筋の両方が鍛えられる。

40.肩の筋肉を目立たせるには?
肩はなまじっかのトレーニングでは効果が現れにくいので、地道なトレーニングを続けていくしかない。プレス+サイドレイズ+ベントオーバーサイドレイズのように肩の部位を変えてトレーニングし、量をこなす必要がある。

41.首の筋肉は鍛えにくい?
アメフットの選手の例もある通り、むしろ刺激に対する反応が高く、トレーニング効果が現れやすい部位である。

51.加圧トレーニングって何?
タレントの水道橋博士や、K−1の武蔵とかソフトバンクの杉内投手などが取り入れている。静脈を押さえるのがポイントで、乳酸や水素イオンなどの代謝物が筋肉から出て行かずに一時的に溜まるので、即発性の筋肉痛が来て、あっという間に筋肉が激しい運動をした後のような状態になる。それが強い刺激となって、成長ホルモンが大量に分泌される。

52.してはいけないトレーニングは?
ウサギ跳びが典型だと。ひざに負担が掛かる運動で腰を深く下ろすのがいけない。

59.スロートレーニングとは?
アメリカで「スーパースロー」という商標登録をしたそうだが、負荷を4秒で下ろし、10秒で上げるのが基本。脱力するフェーズをつくらず、ゆっくり継続して動し続けるのがポイント。

65,腰痛を改善させるエクササイズはある?
症状が出ているときはエクササイズはやらない方が良いが、慢性的な腰痛であれば、痛くない方向で運動するのが基本だ。たとえば前に曲げると痛いが、後ろは痛くないという場合は、バックエクステンションなどの後方に反る運動をやると良い。

いずれにせよ前面と背面の筋肉をしっかり強化することで、腰痛はかなり軽減される。

70.一度つけた筋力を維持するには?
筋力をつけるに要した期間が、運動をやめて元に戻る期間とほぼ同じである。だから3ヶ月で付けた筋力は、運動をやめると3ヶ月で元に戻る。しかし、最低週1回それなりの負荷でしっかりと筋力を付けるトレーニングをやれば、一度つけた筋力の維持は可能である。

91.試合で最大限の筋力を引き出すためには?
試合の三日ほど前になったら、過度のトレーニングを控え、やり慣れないトレーニングはやらないこと。試合直前はエネルギーになる炭水化物中心の食事にする。

持久力が必要な競技の場合のカーボローディングという一旦炭水化物を減らし、試合の直前に増やす手法も紹介されている。

92.日本人は「押す力」が「引く力」より強い?また男性は「押す力」が強く、女性は「引く力」が強い?
日本人が押す力が強いというのは、パワーリフティングでは通説になっている。ベンチプレスの世界記録は日本人が多く保有しており、現在のベンチプレスの世界記録の320Kgも日本人のものだ。

99.筋トレはアンチエイジングに効果的?
加齢で衰える腹筋、背筋、大腿筋、大臀筋などを鍛え、循環器系の若さを保つという意味で、トレーニングにはアンチエイジング効果がある。


ダイエットについて

43.有酸素運動を始めて20分以上立たないと脂肪は燃えない?
はっきり言ってウソ。皮下脂肪は15−20分くらいでエネルギーとして使われ始めるが、その前に筋肉中の脂肪が使われているので、皮下脂肪でそれの補充が行われる。

47.ウェストを締めたり、おなかを引っ込めるのに効果的なエクササイズは?
大腰筋がポイント。大腰筋をしっかり鍛えるとそれだけでウェストが10Cm以上細くなる人もいる。大腰筋を鍛えるには階段の1段飛ばしが一番だが、キツければももを高く上げてその場脚踏みとか、シャキシャキと歩く歩き方に変えることなどが有効だ。


栄養法について

73.筋肉にいちばん大切な栄養素は?
筋肉の栄養を摂るのにいちばん簡単な方法は、筋肉を食べることなりと。BCAA(blanched chain amino acids=分岐鎖アミノ酸)が重要。植物系タンパクでも良いがBCAAが少ないので、BCAAを補給する必要がある。

74.カラダづくりに効果的な食事法を教えて
完璧な結論は出ていないが、血糖値が下がるとカラダは脂肪を蓄えようとするので、血糖値を一定にするためにボディビルダーなどは一日六回食事を取る。食事を抜くより、軽い食事を多くの回数に分けて取る方がベター。

76.プロティン以外の効果的なサプリメントを教えて
筋肉の疲労回復を早めるはっきりとした効果が検証されているものは、(1)アミノ酸(BCAAなど)、(2)クレアチン(アミノ酸の一種)、(3)抗酸化物質(ビタミンC,E、ポリフェノールなど)


すべてのページにマンガチックなイラストがあり、簡単に読め、かつ為になる。

是非手にとって見て頂きたいハンドブックである。


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2008年04月14日

加圧トレーニングの理論と実践 加圧トレーニングをもっと知ろう!

2008年4月14日追記:

明日(4月15日)夜11:00からのNHKの「爆笑問題のニッポンの教養」に石井東大教授が出演する

今回紹介している「加圧トレーニング」を含めてトレーニングにまつわるいろいろな話が紹介されるので、是非ご覧頂きたい。

加圧トレーニングの理論と実践


加圧トレーニングを様々な角度から研究した論文集。

加圧トレーニングの発明者の佐藤さんと、筆者の後輩の東大の石井直方教授の他に、日本加圧トレーニング学会と、佐藤さんの加圧トレーニング本部関係者が主体となって、研究論文を寄せている。

このブログでも紹介したとおり、タレントの水道橋博士が加圧トレーニングを多くの芸能人などに勧めており、急速に愛好者が広まっている

英語でもKAATSUと呼ばれており、ウィキペディア英語版に簡単な記述がある様に海外でも広がりつつある。

専門的な論文ばかりなので、内容をフルに理解できるわけではないが、加圧トレーニングの最大の特徴である成長ホルモンが大量に分泌されることが、心臓・循環器や整形外科、うつ・認知症にいたるまで様々なプラスの効果を生んでいることがわかる。

筆者が加圧トレーニングについて石井教授から聞いたのは1995年だが、当時は半信半疑だった。

現在は筆者もここ5年くらい加圧トレーニングを週1〜2回、腕立てと腹筋を週1回、1〜2キロの水泳を週1回、2−3キロのジョッギングを週1回行っている。

加圧トレーニングをすると成長ホルモンが大量に分泌されるので若さを保つ効果もあるということなので、年齢にしては白髪が少ないと言われるのはトレーニングのせいかもしれないと感じている最近である。


加圧トレーニングの基本

加圧トレーニングの発明者の佐藤義昭さんが、トレーニングの基本を説明している。それによると:

1.負荷 : 1回できる最大重量(1RM=Repetition Maximum)の30%程度

2.回数 : 1セット目 25〜30回、2セット目 10回、3セット目 4〜5回、4セット目 限界

3.セット数: 3〜4セット

4.セット間のインターバル: 脚は30秒、腕は15秒

5.トレーニング頻度: 週1〜3回


前腕(握力)のトレーニング
 
この本を読んで参考になったのは、K−1 HEROSファイターの大山峻護選手の例で、週1〜2回、40分ほどのトレーニングを3ヶ月続けて、上腕囲が2センチ前後、前腕囲も1〜2センチアップしたという。

最も注目すべきは握力が30〜40%アップしたことだ。

格闘家にしては握力が弱かったので、握力強化も加圧トレーニングの目的だったそうだが、ハンドグリップによるトレーニングで3ヶ月で握力が30〜40%も向上するとは驚きだ。

近々紹介するが、石井直方東大教授の「筋肉まるわかり大事典」に、前腕は持久性が高い筋肉なので、リストカールなら30〜40回やらなければならないと書いてある。

“筋肉博士”石井直方の筋肉まるわかり大事典―筋肉のヒミツ、トレーニングの極意、栄養&食事法まで (B.B.MOOK―スポーツシリーズ (420))


筆者も加圧してリストカールをやっているが、あまり効果が見られないのは回数が不足していたためかもしれない。

また筆者は上腕と前腕をセットにしたサーキットトレーニングをしているが、どうやらハンドグリップとリストカールで前腕だけのトレーニングに変更した方がよさそうだ。

握力はゴルフでもテニスでも運動の基本なので、筆者は50KGのハンドグリップを使っており、実は自宅に握力計も持っている。今後1セットの反復回数を増やして握力を鍛えようと思う。

握力計







日本製 元祖!!エバニュー・ハンドグリップ強度約50kg日本製 元祖!!エバニュー・ハンドグリップ強度約50kg



成長ホルモンの効果

加圧トレーニングの効果として、大量の成長ホルモンの分泌が指摘されているが、この本では次の分野で効果が報告されている。

1.骨強度向上

2.心臓リハビリテーション

3.メタボリリックシンドローム (加圧トレーニング+ジョッギング等の有酸素運動)

4.慢性心不全

5.閉塞性動脈硬化症

6.整形外科的疾患(骨折、ヘルニアなど)

7.免疫疾患(リウマチ、がん)

8.うつ・認知症 「脳内革命」で一世を風靡した春山茂雄氏が論文を書いている。

脳内革命〈2〉―この実践方法が脳と体を生き生きさせる


9.寝たきり

10.健康・体力づくり

11.宇宙への応用


国際宇宙ステーションに滞在する宇宙飛行士は、無重力空間のなかで体力を維持するために週6日、1日2時間半トレッドミルや抵抗運動器などでトレーニングをするという。

この運動時間を加圧で短縮できれば、宇宙飛行士の生産性も上がり、経費も削減できるということで加圧トレーニングの採用が検討されている。


このように広い分野に効果が認められる加圧トレーニングだが、やはり負荷が軽く筋肉を痛めることがないという点が、アスリートのみならず高齢者から病人まで適用できることにつながっているのだと思う。

加圧トレーニングを体験したことがない人は、是非体験されることをおすすめする。

方法は2つある。

自分でトレーニングスケジュールを組み立てられる上級者には、フェニックス社の加圧専用トレーニングウェアのカーツを購入することをおすすめする。

最初に自分に合った最適な圧力を専門家に測定して貰う必要があるので、フェニックスのウェアを販売している専門店やデパート、ゴルフショップを訪問して欲しい。

トレーニング初心者の人には、佐藤さんの加圧トレーニング本部のホームページに全国のトレーニングができる施設が紹介されているので、こちらで体験されることをおすすめする。


加圧トレーニングは筋肉の高地トレーニングの様なものだ。

水道橋博士自分の著書2冊で加圧トレーニングの驚くべき効果を報告しているので、是非ためして頂きたい。


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2008年03月03日

図書館に行こう!その6 新着本が週1,000冊!

図書館には毎週多くの新着本が入荷する。

たとえば筆者の利用している町田図書館だと、1ヶ月の新着図書はなんと3,547件で、ここ1週間だけでも1,066件ある。

さらに図書館は人気のある本は一度に数冊購入するので、週1,000件なら、たぶん実際の購入数は2,000−3,000冊程度になると思う。

たとえばベストセラーの「ホームレス中学生」は町田図書館の保有数は41冊。「スタバではグランデを買え」は17冊、今話題の勝間和代さんの「お金は銀行に預けるな」は12冊だ。

ベストセラーだとリクエストが多いので、図書館の保有数も多くなり、先日の実験のようにベストセラーの新刊書でもリクエストしたら、1ヶ月程度で読めるということになるのだ。

図書館のホームページでは新着図書を公開しているが、ここ1ヶ月のアイウエオの「あ」から「う」で始まる新着図書だけで100を超えるほどだ。

新着図書






CDやビデオ、DVDだと1ヶ月で92件ある。

新着AV






新着図書としてまとめて陳列されているものもあるが、陳列されずそのまま書架に行くものも多い。

筆者は毎週図書館に行くので、新着図書のコーナーは必ず見るようにしている。

その新着図書のコーナーで見つけた本がこれだ。

劇的にスコアがのびる! ボウリング絶対上達 (LEVEL UP BOOK)


今まで何冊かボウリングの本は読んだが、この本は写真入りで詳しく説明してあり、非常にわかりやすい。

モデルは表紙でわかる様に美人ボウラーの姫路麗(うらら)プロで、公式サイトや自分のブログもある。

また新鋭男子プロで超フックボーラーの山下昌吾プロのダイナミックなフォームも、「自分のスタイルを探す」という題で紹介されている。

フックボールはボールの横を持つ感じで(上から見て中指と薬指の方向が時計の10時の方向といわれる)、投げるときに親指をまず抜いて、リリース時に中指と薬指で引っ張り上げる感じで回転を付ける。

ストレートボールはボールの後ろに手をあてて、そのまま投げるが、まっすぐ投げるのはかえって難しいそうだ。

今まであまり気を付けていなかったが、この本の表紙の写真のように、投球時に左手を伸ばしてバランスを取ることもフォームを安定させるために重要だ。

ボウリングがうまくなりたい人には、おすすめの本だ。


この本はたまたま図書館の新着本のコーナーで見つけたものだが、このように掘り出し物が新着図書コーナーにはたくさんある。

是非近所の図書館に行くか、住んでいるか働いている町ちの図書館のサイトで、新着図書をチェックして欲しい。

ベストセラーでも発売されてすぐにリクエストすれば、筆者の2回の実験の様に1ヶ月程度で読めるはずだ。

知識の宝庫。しかも無料だ!是非図書館をうまく利用しよう!


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2008年02月26日

筋肉バカの壁 水道橋博士のトレーニング本第2弾

筋肉バカの壁 [博士の異常な健康PART2]


以前紹介した「博士の異常な健康」に続く、浅草キッド水道橋博士のトレーニング本第2弾。

前作同様加圧バンドを腕と脚に巻いた姿で水道橋博士が、本の表紙に登場している。

昨年の東京マラソン2007に出場したテレビ番組の話が半分を占め、その他に前作で紹介されていた数々のトレーニング/健康法の続話が紹介されている。

この本を出版したかった最大の理由は、加圧式トレーニングであると水道橋博士は語っている。

前作では書き足らず、また、あの時点では回答不能だったテーマが加圧式トレーニングだと。

前作では加圧式トレーニングを発見、検証しただけだったが、その後トレーニングを続けるうちに体型は変わり、体力は格段に増強したという。

2004年と2007年の水道橋博士の体の写真が載っているが、全然違うのに驚く。2004年は単なる痩せて腹の出た中年男だったのが、2007年は体操の池谷かと思うほどである。

その結果を目の当たりにして知人、友人、芸能人に熱烈に推奨してきたそうだ。

北野たけし社長などからは、「なんで水道橋に筋肉がそんなに必要なの?」と言われるそうだが、これが加圧式トレーニングが最も誤解されている部分であると。

加圧式トレーニングはアスリート専用の様に思われがちだが、加圧式トレーニングをしている人の多くは女性や高齢者で、短時間で筋力アップできるということより、成長ホルモンが出ることでアンチエイジングやダイエットに有効という点を重視している。

軽い負荷なので関節や筋肉を痛めず、血流を制限することによって毛細血管が生まれ、脳の疾病、身体のマヒなどのリハビリに効果を発揮するという点に、このトレーニングの特徴と未来性があるのだという。

芸能人の間での加圧式トレーニング愛好者の増加はめざましいものがある。

以前はプロゴルファーの杉原輝男が有名だったが、藤原紀香が「紀香魂」で丸々1章を加圧式トレーニングに割いている。水道橋博士から勧められて始めたという。

紀香魂―ハッピー・スピリット


元々太りやすい体質だったが、加圧式トレーニングのおかげで体型が変わったといい、夫の陣内君も加圧式トレーニングをやっているという。

他の芸能人では、自分で加圧式トレーニングジムも経営しているヒロミ、関根勤、北野誠(たけしのお兄さん)、勝俣州和、長嶋一茂、宇津井健、大地真央、東山紀之、木梨憲武、渡辺正行、萬田久子、小倉優子、浅田美代子、辺見えみり等々だ。

著名人の愛好者が増えたことで、都内の加圧トレーニングジムは入会希望者が殺到し、盛況だという。

先日「世界一受けたい授業」に出演した東大の石井直方教授の「筋肉まるわかり大事典」によると、「筋肉を8%太くするには通常のトレーニングでは10週間かかるが、加圧トレーニングでは2週間で可能である」と書いてあるそうだ。

“筋肉博士”石井直方の筋肉まるわかり大事典―筋肉のヒミツ、トレーニングの極意、栄養&食事法まで (B.B.MOOK―スポーツシリーズ (420))


筆者も石井教授の話を聞いて加圧式トレーニングを開始したので、加圧式トレーニングが広まることは大歓迎だ。

実際、加圧式トレーニングは時短トレーニング法ともいえ、現代人に最適だと思う。

水道橋博士によると加圧式トレーニングのポイントは、普通は3セットやるウェイトトレーニングを4セット行うのだと。ワンモア、限界からのあと1回に筋力トレーニングの神髄はあるとのこと。

但し回数はドンドン減り、腕立てで20→15→5→3回という具合だ。

これは筆者も知らなかった。加圧式トレーニングだと3セットから極端に筋力が落ちてしまうので、筆者は普通は2セットか3セットで終わりにしていたが、今後は4セットやってみる。


この他メインの東京マラソン体験談の他、ビリーズブートキャンプの体験や、100メートル走、そして前作のハゲ克服法、バイオラバー、レーシック視力回復法の続話が取り上げられ、さらに酸素カプセルの体験談も加わっている。


肉体派芸人ではないが、水道橋博士の新しいものへの探求心はたいしたものだ。

東京マラソンの部分はやや冗長な感があるが、加圧式トレーニングの実体験ストーリーとして参考になる本だ。


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2007年12月04日

星野流 祝!北京オリンピック出場決定 カミナリ親父星野仙一監督の本

星野流


本日(12月3日)来年の北京オリンピック出場を決めた日本代表、星野仙一監督の考えがよくわかるショートストーリーを77集めた本。

今日台湾に勝った試合での采配も、星野監督の指導者、監督としての非凡さが表れていた。7回表、台湾に1:2とリードされたノーアウト満塁の場面でのスクイズ。

同点とした日本チームの各バッターは、心理的な重圧からも解放されたこともあり、連続ヒットでこの回6点をあげた。あそこでまず同点になっていなければ、プレッシャーで連続ヒットも生まれなかったのではないかと思う。

これこそ星野采配の真骨頂だと思う。星野さんは試合後のインタビューで、うれし涙を浮かべていたが、北京への重圧から解放されホッとしたのと、会心の試合ができたせいではないかと思う。

星野さんは、1947年生まれの今年60歳。田淵幸一コーチや、山本浩二コーチも同年代だ。

星野さん自身の記録は通算146勝、121敗。長嶋監督、王監督と病魔に襲われ、上も下も人材がいないとして、自分に代表監督のおはちが回ってきたのだと謙遜する。有事に燃えるのが男だろうと。

名選手、名監督ならずのことわざ通り、星野さんより記録は上でも、監督として使い物にならなかった名選手は多い。

特に毎年最下位で野村監督の手腕を持ってしても低迷していた阪神を、就任わずか2年で優勝させ、その後も優勝を争えるチームにつくり上げた手腕を持つ星野さんは、やはり監督としては日本を代表する名監督だと思う。


健康に不安

この本では健康状態も自分自身で明らかにしており、最近のオシム監督の例もあり、気に掛かるところだ。

星野さんは高血圧と不整脈という持病があり、オシムさんと同じく脳梗塞が一番怖いという。不整脈は監督時代からのもので、血圧は普段からも上が170前後、下が130前後と高い。試合になると30〜40も上がり、上が210を超えてしまうこともあると。

もともと感情が激しく、喜怒哀楽が激しい上に、タイガースの1勝は他のチームの3勝分くらいで大変なプレッシャーだったという。星野さんが監督を退任して、阪神のSD(シニアディレクター)になった時は、今ひとつ理由がはっきりわからなかったが、健康の話を聞いて理解できた。

代表監督はメンタル面でのプレッシャーもあり大変な仕事だと思うが、体に不安はあっても、有事に燃える星野さんは日本代表監督を引き受けたのだ。


明治大学野球学部島岡学科出身

星野さんが生まれる前に、エンジニアだった星野さんのお父さんは脳腫瘍でなくなり、お父さんの勤務先だった三菱重工の水島工場の寮母としてお母さんが働き、星野さんと2人の姉を支えた。

母子家庭で育った星野さんは、水島の中学から、倉敷商業高校に進むが、甲子園には出場できなかった。倉敷商業の監督が明治大学出身だったので、その後明治大学に進む。

明治大学は毎年100人程度野球部に新入生が入るが、野球部はとんでもないところで、大体1年で8割はやめる。夏なら4時半、冬なら5時半から練習開始(!)で、当時の監督の島岡吉郎さんは、練習開始前の1時間前に起床し、合宿所の玄関で目を光らす。

まずは裸足でグラウンドを20周。そのあとグラウンドの草取り、小石取りに1時間。それから練習だ。

星野さんが、1年生の時、毎日球拾いをしていると、突然バッティングピッチャーをやれと指名されたという。当時の明治大学のコーチがサブグラウンドで球拾いをしている星野さんに目をつけて、星野はいつも一生懸命やっているからと推薦してくれたのだと。

野球人生を振り返ると、これが星野さんのその後の幸運の始まりだったような気がすると。

田舎出の無名選手だったので、ともかく目立とうと思って必死に投げ、バッティングピッチャーで、上級生、レギュラーを押さえ込んでいるのが島岡さんの目にとまり、面白い奴と、1年生でレギュラーとなった。

この年の六大学の新入生で1年からレギュラーになったのは、星野さんと法政の田淵だけだったと。

「命がけでいけ!」、「魂を込めろ!」、「誠を持て!」が島岡さんの口ぐせで、これを常に復誦させる。

「なんとかせい!」と。

星野さんは一晩に1,000球の投げ込みを命じられた時もあったと。

星野さんが主将の時、早稲田に負けたときは、グラウンドの神様に謝れといわれ、星野さんは島岡さんと一緒に、真夜中の雨のグラウンドで2時間にもわたり土下座して謝った。

島岡さんは、「グラウンドで毎日、こうして技術、体力、根性ー人間を磨くことができるのは、グラウンドの神様のお陰なんだ」と本気で言っていたという。島岡さんは、何十年も自宅に帰らず、野球部の合宿所に住んでいたという。

星野さんはお父さんはいないが、オヤジはいたという。それが島岡さんだ。星野さんは、よく明治大学野球学部島岡学科卒だと公言していたという。


厳しい練習は人間教育

島岡さんは合宿所のトイレ掃除は、キャプテンの仕事としていた。

「人の嫌がること、つらいことこそ、先頭に立って上の者がやれ。人間社会は常にそうでなければならん。最上級生のキャプテンが毎日掃除をしているトイレを使う下級生は、常にそういう先輩の態度や気持ちを忘れたらいかんのだ」ということで、星野さんも毎日トイレ掃除をした。

掃除に手抜きをすると、合宿から出されるのが掟で、便器の掃除にしても、いい加減にやっていると、星野さんも便器をなめさせられたという。

キャプテンの他の仕事は、運転手役と、毎日の意見具申役だ。運転手役は社会にでるための準備、意見具申は人間教育で、いずれも島岡流の指導者育成方法だった。

星野さんはプロに入っても島岡流で貫いたと、同級生からは言われるのだと。

星野さんの原点はこの島岡さんの教育で、厳しさと激しさのなかでこそ人は伸びるものだと。島岡さんの指導を受けられたことは、天にも感謝したいと語る。

1975年秋の神宮の六大学野球で、東大が明治大学に2連勝して勝ち点を取ったことがあった。明治は東大に破れたが、たしか優勝した。

それ以来東大は明治から勝ち点は取っていないと思うが、あのとき島岡さんは選手に対して激怒したと聞く。選手もそれこそ死んだ気になってがんばり、優勝したのだと思う。


星野さんのポリシー

星野さんは理想の上司投票でNo.1を続けている。主張がはっきりしており、コミュニケーションを重視するからだろう。

星野さんは減点主義を排すという。これも人気の出る理由の一つだろう。

減点主義では失敗を恐れて、人は小さくなる。野球は得点主義なので、たとえ失敗しても明日は頑張って負けた分を取り返す。

「チャンスはやるぞ。失敗は自分の力で取り返せ」というのが星野さんの主義だ。

野球は所詮首位打者でも7割は失敗で、成功はわずか3割。首位チームでも勝率は6割程度だ。日本は減点主義が多すぎるので、野球から得点主義を学んで欲しいという。


星野さんの選手育成

星野さんは毎年選手にはレポートを提出させていたという。意識付けはまずは自問自答で始めるのだと。

ピッチャーには自己採点をさせ、チーム内でのランキングを付けさせ、自問自答を繰り返させて目標意識をはっきり確認させるのだ。

今の選手は「右向け右」では動かない。納得しないと動かないので、タイガースの監督2年目から始めたのだという。

選手自身の目標と目標達成の具体的方法をレポートで提出させ、自分自身で実践させるのだ。

タイガースの今岡は、星野さんがタイガースの監督時代に最も伸びた優等生だ。

星野さんがタイガースに行く前までは、やる気がないなど、さんざん不評を聞いていたが、実際は全く異なり真剣そのもので、ガッツプレーも見せるし、ピンチにはピッチャーの激励に行く。

今岡は絶対に叱ってはいけない選手だという。叱るよりもほめる方が生き生きとプレーする。

野村さんは、「あいつは一体なんだったんだ。おれとは相性があわなかったんか。わしゃあ、まったくわからんよ」と苦笑しているそうだ。野村さんは、何を考えているか分からない今岡に、2軍行きを命じたりしていたのだ。

星野さんは選手を代える時、「代われ!」というだけだが、その後に「また明日な」と必ず付け加えている。ダメだから代えるのではない、今日は体を休めろという意味なことを、その一言で分からせるのだと。

人生の1%をボランティアに割けと星野さんはいう。

自身でも岡山の障害児施設との交流を30年以上も続けているそうだが、今のタイガースの選手では赤星憲広が、盗塁をひとつ成功させる毎に、障害者施設に車いすを1台づつ送っている。

赤星は、新人王で39盗塁を記録し、才能があると慢心していたので、広島から金本が入り、濱中、桧山を使ってプレッシャーを掛けると、目の色を変え、努力の人に生まれ変わったのだという。


星野さんは伊良部の用心棒

星野さんは伊良部の用心棒と公言していたという。伊良部はどこへ行っても無愛想で、マスコミにもつっけんどんで誤解されやすかった。

本当の伊良部は繊細で、実に頭の良い男だったという。自分が苦しみながら勝った試合では、伊良部はロッカーの入り口で引き上げてくる選手一人一人とていねいに感謝の握手を交わしていた。

これは伊良部が6年間のメジャー生活で学んできた日常的なマナーだろうと。

なかでもヤンキースは、一騎当千の選手軍団でも「チームで戦う」ことで選手に厳しく、うるさくしつけることで有名だという。伊良部もだてに6年間メジャーでもまれてきた訳ではないと。

伊良部はコーチともよく話しあい、よく研究していた。くせを見破られていないかとか、あの審判はこういう傾向だということまで研究していた。それを若い選手にも是非見習ってもらいたいと思っていたと。

タイガース時代でいつも一番辛い点をつけるのが井川慶だと。ピッチングに関してはすべてがアバウトだから、球筋、コントロールが中途半端で、高めのボールは日本では見逃されても、メジャーではみんなもっていかれるのだと。

星野さんは毎年、このチームに居たくない人は手を挙げてというが、阪神の優勝が決定した場面でも不在で、身勝手な異端児だったのが井川だったという。


星野さんのマネジメント術

星野さんは監督賞などは、若いときの監督経験から一切出さないことにしている。しかし、その代わりに選手や家族、裏方の人たちや家族に感謝の意を表すため、必ずバースデーカードを送り、プレゼントを贈るようにしていると。

チームには裏方として、バッティングピッチャー、ブルペンキャッチャー、用具係、トレーナー、スコアラー、マネージャーなど現場のスタッフが30人近くいる。星野さんは、こういった裏方にも気をつかう。

また罰金はその年の納会で、選手や裏方の家族も含めた全員の家族用の景品やおみやげに使って、還元しているという。


星野さんの闘魂野球の背景

星野さんは、母子家庭の選手だと聞くと、どうしても目を掛けてしまうと。タイガースの江夏や、大洋の平松。中日の立浪などだ。

母子家庭の子には、「お父さんのいる子には絶対負けない」という強い気持ちがこもっているのだと。

星野さんがルーキーの年、2回でKOされると、コーチを通じて当時の水原監督に明日の試合にもう一度先発させて下さいと申し出たという。水原さんは、翌日も星野さんを先発させた。

星野さんは完投したが、1:2で負けた。試合後誰にも会わせる顔がなくて、ロッカーで沈み込んでいると、三原さんが「よう頑張ったな」と握手してれたという。

きかん坊で暴れん坊で、いつも逆らってばかりいた星野さんも、このときは三原監督の手を握って子供のように泣いたのだという。

人の情けが人を救い、人の情けが人を作るというが、叱るのも怒るのも、チャンスをあたえるのも、つらい練習を強いるのも、監督としての星野さんの心のバックボーンであると。


人使いの名手 星野監督

星野さんは、選手を生かしていくコミュニケーションは二つあると語る。

一つはほめる場面と、叱る場面の見極め。もう一つは選手に「おれはいつも監督に見られている」という意識を植え付ける接し方、言葉の掛け方であると。これは日常会話でも良い。

星野さんは、いつも選手に「おれはお前を見ているよ」「おれはお前に期待しているよ、信頼しているよ」というサインを送ることは大切だと語る。

どんな人でも、人から「見られている」という意識、その緊張感がプラスに働くことがある。

星野さんは選手を能力と特色だけでは使わない。常に「仕事への心の準備」ができているかで選手の起用を決めていると。

星野さんが大事にするのは、試合の流れにも気を配りながら準備をして、自分の出番に集中している選手の姿であり、ベンチを見回して目があって、気持ちが通じ合うのがこうした選手なのだと。

星野さんが評論家時代にマスターズの取材に行って、ジャック・ニクラウスにインタビューしたときに、ニクラウスが「わたしはいつも『今日しかない』わたしの人生には、今日しかないと思っていつもプレーしている」と語っていたという。

そういう心の準備ができている選手が、力を発揮するのだ。


星野さんの仕事術

リーダーは普段の顔と、監督でいる顔と少なくとも2つの顔を持てと星野さんは語る。

西武の管理部長だった根本さんに言われたことがあると。

「君は星野仙一か。しかし、今は星野仙一ではないだろう。今は中日ドラゴンズの監督なんだ。他のチームに伍して戦っていけるチームを作るのが仕事だろう。人間だからつらいことはいろいろ出てくるさ。でも、トレードだって、君の監督としての重要な仕事なんだ」

いつでもどこでも重要なのは、やるべきことの発見と手順だと星野さんは語る。チーム改革と一口にいっても、すべきことを発見し、どういう手順でやるのかが大切だ。

星野さんは、若いときは選手を殴るなど、熱血指導で知られるが、いい人は好かれても尊敬されないという。

摩擦をいやがる人は管理職になれないというが、プロ野球でも似たようなものであると。選手に好かれる兄貴になれても、嫌われるオニになれないコーチは辞めさせるしかなかったという。

星野さんの野球は「弱者を強者にする野球」だと、そして心技体ではなく、体心技の順番なのであると。

体力がないと、ピッチャーでもバッターでも良いプレーができない。見本は金本だと。

広島に入ったときは、きゃしゃな体でどこまで持つかと見られていたが、オフも体つくりのトレーニングを欠かさず、いまや鉄人とよばれるほどの選手となった。

39歳になって、連続1000試合以上の連続フルイニング出場の世界記録を更新中だ。


「若者」と「グローバル」がキーワード

星野さんは今までトップ選手のメジャー流出を食い止める施策を取らない球界首脳を批判してきたが、代表監督となった今は、「行きたい選手は行けば良い。日本にはまだこれだけの選手がいるんだ、というところも見せてやる」と思うようになったと。

プロ野球もどんどん若者を育てて、次々を育て上げれば良いという考えが強くなったという。

日本のプロ野球とメジャーの差を考えると、有力選手の流出は今後も続くだろう。そしてメジャー帰りの日本人選手も増えて、輸出入というか、人材の相互の交流は益々活発になるのではないか。

その意味で、星野さんの考え方は、この選手の輸出入を拡大し、球界の活性化に役立つのではないかと思う。

松井秀喜の求道者の様な「不動心」と、明大島岡御大仕込みの熱血指導の星野さん。タイプは違うが、厳しい練習をして、マウンドや打席に入る前に準備ができていることの重要性など、基本は同じだと感じた。

この本を読むと、星野さんが理想の上司トップにランクされている理由がよくわかる。

おすすめの本である。


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Posted by yaori at 00:45Comments(0)TrackBack(2)