マンガ家水木しげるの奥さんの武良布枝さんの本。
NHKの朝ドラになったので、覚えている人も多いと思う。
松下奈緒、向井理、有森也実、星野真里、杉浦太陽 ほか
NHKエンタープライズ
2015
映画では俳優が代わっている。
著者の武良布枝さんは、島根県安来市出身、夫の水木しげるさんは中海の反対側の鳥取県境港市出身。境港市には水木しげる記念館がある。
武良さんは、戦争で左腕を失い、ニューギニアから帰ってきた水木しげるさんと1960年見合い結婚した。
見合いから結婚式まで5日間という超スピード結婚だった。
戦後、ラバウルから帰った水木さんは、絵描きを目指して武蔵野美術学校に入学するが、2年で中退、紙芝居画家になった。紙芝居でも、ゲゲゲの鬼太郎の原点の「墓場鬼太郎」などの作品を書いていた。
しかし、テレビの一般家庭への普及で、紙芝居業界が縮小し、水木さんは赤貧の生活を強いられていた。餓死しないために、必死だったという。その後、貸本マンガ家となったが、生活は苦しく、あらゆるもの、靴まで質に入れた。
この本でもお金がなかった時代のエピソードとして、武良さんは、水木さんの原稿を貸本の出版社に持ち込んだ話を書いている。
3万円という約束だったのに、作品にケチをつけられて1万5千円しかもらえず、粘っても往復の電車賃しか上乗せしてくれなかったことを、水木さんに報告すると、水木さんは何も言わなかった。
水木さん自身も、頼まれた作品を持って行ったのに、「たのんだ覚えはない」とかとぼけられたことがあったり、出版社がつぶれてお金がもらえなかったことがあった。
苦しい生活を続けていたが、息抜きとして夫婦で連合艦隊のプラモデルつくりに熱中していたという。上記の佳子さまの水木しげる記念館訪問のビデオに、展示品の端に軍艦のプラモデルがチラッと見えている。
水木さんは傷痍軍人なので国から恩給がもらえるが、それは境港の実家が受け取っていた。
苦しい生活の中でも娘さん二人が生まれ、水木さんの作品も貸本マンガ向けから、いよいよ雑誌向けとなった。
最初は「月刊ガロ」。おにぎり頭の南伸坊さんが、一時編集担当者だったという。
次に「少年マガジン」の講談社から依頼があり、「テレビくん」、そして「墓場の鬼太郎」と作品を発表し、「テレビくん」で講談社児童漫画賞を受賞する。
それからは続々と仕事が入り、水木プロを設立し、アシスタントを雇う様になった。
つげ義春、池上遼一さんなどが水木プロのアシスタントとなっていた。
その後は、テレビ向けに「悪魔くん」、改題した「ゲゲゲの鬼太郎」などがヒットした。
「悪魔くん」の悪魔を呼び出す時の「エロイムエッサイム、我は求め訴えたり」という呪文は、筆者も覚えている。
売れるまでは大変苦労した水木夫妻だが、最後は「人生は…終わりよければ、すべてよし!!」と結んでいる。
水木しげるさんは亡くなったが、「『その後』のゲゲゲの女房」も、近々出版されるようだ。ぜひ読んでみたいと思う。
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