池上彰さんの「伝える仕事」の中で名文家として森本哲郎さんが紹介されていたので読んでみた。
森本さんは終戦直後、まだ大学生だった時から雑誌社の編集者としての仕事を始め、マンガ雑誌、文芸雑誌、思想雑誌、総合雑誌の編集者を経て、東京新聞の新聞記者となった後、朝日新聞の記者として四半世紀働き、1976年に文筆家として独立した。
「私」のいる文章を書きたかったのだという。
新聞報道では、「私」を消して、客観報道が求められる。池上さんも、「伝える仕事」のなかで、NHKの社会部記者時代の思い出として、「私」を消すことを徹底的に仕込まれたという。
しかし、これが過ぎると、おどろきのない報道となってしまう。
森本さんが、この本でいいたかったのはただ一つのことだ。「ジャーナリズムの世界で、いや人生において、なによりも大事なことは、いつもおどろきを失わないこと、人生という旅において、けっして旅なれてはいけないということーーーこれである。それが人生を、「私」のいる人生にすることではなかろうか」。
1972年にグアム島の洞窟に隠れていた元日本兵の横井庄一さんが見つかった時の話を紹介している。
森本さんは急遽グアム島に行って現地を取材した。
警察に案内してもらい、道なき道を行き、横井さんの隠れていた洞窟の現場に行った。ところが、現場に行ってみると、一つ山を越えるとアパートが見えて、上空には飛行機が飛んでいた。
ジャングルの中の洞窟に28年間隠れ潜んでいた元日本兵というイメージは、現場に行ってみると崩れた。そのことを森本さんは記事に書いたが、他の新聞は書かなかったので、結果的にスクープになった。他紙の記者は、イメージが壊れるので、民家が見えるとか書かなかったのだと。
ことほどさように取材は、自分の抱くイメージとの戦いだ。イメージは大事だが、ジャーナリストにとっては、ものごとについての自分のイメージを、ことあるごとに反省することが大切なのだと。
ジャーナリストには、好奇心に加えて行動力も大事だ。
前回の1964年の東京オリンピックの時は、国境紛争をしていたインドとパキスタン両方のホッケーチームの監督にオリンピック前に取材した。
インドとパキスタンの国境警備隊の指揮官が、両国のホッケーチームの監督で、二人は同じパキスタンのラホールの町の隣同士の家で育ち、同じパンジャブ大学に学び、同じホッケーチームの仲間だった。だが、1947年にインドからパキスタンが分離独立して、親友だった二人は敵味方にわかれ、国境警備隊の指揮官として国境をはさんでにらみあうようになったという。
この話を聞いた森本さんは、さっそくカルカッタに飛び、国境の町に行ってインド側の司令官クマール氏に取材し、次にパキスタンに行き、パキスタンの司令官にも会った。アポイントもなく、とびこみで取材して、次のような記事を書いたのだ。
パキスタンの司令官はこういった、「え、クマール?彼は相変わらずぼくの親友さ。おたがいに自分の国じゃ会えないが、こんどはトーキョーで会える。会ったとたん、ぼくらはいつもこういうんだ。カシミールの話はよそう、ホッケーの話をしよう。なんていったってスポーツに国境はないからなあ」
人を惹きつける文章だ。
森本さんの取材した人は、文明史家トインビー、音楽家ストラヴィンスキー、ヒンデミット、オイストラフ、作家フォークナー、テネシー・ウィリアムズ、アンドレ・マルロー、スタインベック、パール・バック、政治家のダレス、哲学者のハイデッガー、映画監督のヒッチコック、女優のマリリン・モンローなどがいる。
最近の竹内結子さんの自殺もあり、特に印象に残ったのは、人気の絶頂の36歳で睡眠薬自殺?したマリリン・モンローが、二度目の結婚相手のジョー・ディマジオと1954年に来日した時の、帝国ホテルの記者会見のことだ。
孤独で、劣等感に悩み、善良で気の弱い彼女が、いくたびも現実からの逃走を試み、ハリウッドにすっかり蝕まれてしまった精神を病院で癒そうとしていた悲劇も、その場では気が付かなかったという。
しかし、これまでに会ったどの女優にもない不思議な妖気が彼女から立ちのぼっていたと森本さんは語る。
どんなスキャンダルさえ、神話に転化する不思議な錬金術を彼女は縦横に駆使しているように思えたと。
森本さんは、最前列にいたので、どこかの記者が日本語で質問したのを通訳してあげた。記者会見が終わったあと、マリリンは「通訳ありがとう」といって、握手してきたという。その握手の感触は、いまなお、わが手の中にあるという。
知る由もないが、竹内さんも自殺するには当然何らかの原因があっただろうが、人気絶頂でこの世を去るとは、何とも残念なことだ。
思いがけないところで、そんなことを考えさせられた。
名文家と言われるだけあって、筆の運びがよどみない。古い本だが、読んでいて古臭くない。惹きつけられる本である。
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