2008年08月01日

ぐるなび No.1サイトへの道 ぐるなび成功秘話

ぐるなび―「No.1サイト」への道


交通広告の最大手エヌケービーの社長で、ぐるなび会長でもある滝久雄さんの本。

滝さんの思い入れも込めて、「理工系ベンチャーを目指す人たち必読の書」と本の帯に書いてある。

この本は、大きく分けて次の3部構成となっている。

1.ぐるなびストーりー

2.起業するための心得、ベンチャー成功の12ヶ条

3.貢献する心(滝さんの前著「貢献する気持ち」のエッセンス)

ぐるなびの経験談をより良く理解するために、最初にベンチャー成功の12ヶ条を紹介しておく。


ベンチャー成功の12ヶ条

ベンチャー成功の12ヶ条として次が挙げられている。

第1条 夢と執念を持続する

第2条 時代を読む目を持つ

第3条 企業の最も重要な4つの要素は、顧客、社員、社会性、株主である

第4条 世界一を意識する

第5条 IT時代は最短で変化する

第6条 若い人の発想を潰さないで育てる

第7条 ビジネスモデルが大切である

第8条 技術だけでは駄目 「法の概念」と「マネジメント」が必須である

第9条 経営陣のなかに「人が好きな人」が必要である

第10条 人脈とお金は常に蓄積の気持ちが必要である

第11条 マスコミを見方にする

第12条 大手参入に対する備えを怠らない


滝さんの経歴

滝さんは、エヌケービーの前身の交通文化事業社創設者の滝富士太郎さんの子息で、1963年に東京工業大学機械工学科を卒業して三菱金属に勤め、金属の切削加工技術を研究していた。

三菱金属入社後5年目で退社を決意。そのときの上司から「ライフワークはあるのか?」と聞かれ、退社後1ヶ月半アメリカにライフワーク探しの旅に出て、「鉄道と駅」をライフワークにしようと決心する。

帰国後会社をつくって、いろいろな事業を手がけていたが、1975年に父親の滝富士太郎氏が交通事故で急逝、当時従業員10名強だった交通文化事業社(現在のエヌケービー)を引き受けることを決意する。

ライフワークの「鉄道と駅」に沿った事業展開を考えるが、車内吊り広告は既に大手広告代理店の縄張りが決まっていて、入り込む余地がなかったので、駅広告に絞って事業を拡大する。

同時にコンピューター時代の到来を予想し、1985年に公衆回線が自由化された時にNKBシステム開発という子会社を設立して、IT関係の新規事業を手がける。

当時はビデオテックス(電話回線を利用した画像システム)で、東京駅の銀の鈴広場にブライダル情報やアルバイト情報などが見られる端末を設置したが、コストが高くて大きな事業にならなかった。

一番採算が良かった「JOYJOYブライダル」という事業は継続し、500店もの結婚式2次会のレストラン情報が蓄積されていたので、そのネットワークを利用して1995年にインターネットが登場した時に、ぐるなび事業を開始した。

滝さんはインターネットで情報コストが二桁下がったことから、「情報系の産業革命を起こすのだ」、「今までとの連続性はないぞ」と呼びかけたという。まさにムーアの法則である。

ぐるなびは2000年2月29日に分離独立したが、あえて2000年の閏年の2月29日を選んだのは、インターネットは1000年に一度のビジネスチャンスだという思いを込めてのことだったという。


ぐるなびの成功要因

ぐるなびは次の3段階で、事業を拡大していった。

1.店をともかく増やすいわゆるどぶ板営業 3,000円/月でどんどん飲食店を獲得

2.獲得した店から売り上げを増やすAE(アカウントエクゼクティブ)型営業 付加価値をつけて5万円〜10万円/月の販促パッケージを拡販

3.基盤事業をベースとした関連事業(旅関連、海外事業、BtoBなど)日本最大のグルメポータルの強みを生かす

ぐるなびが誕生する前に、いろいろITを使っての事業拡大を検討していた滝さんは、1995年に取引先のリコー大井町工場で、インターネットを見せてもらい、これこそ進むべき道だと24時間で決断したという。

インターネットのすごさを見て、最初に滝さんが出した指示は、電話帳に広告を出している飲食店の数を調べさせることだった。というのは前述のブライダル情報サービスで、一流レストラン500軒とのネットワークが既にあったし、外食分野は規模が大きく未開拓の分野だと思っていたからだという。

その当時電話帳に広告を載せていたのは2,500軒。年間10〜15万円の電話帳広告費を払えるのは、東京で10万軒ある飲食店のうち、2,500軒、2.5%しかなかったのだ。

そこで全国40万店の飲食店のうち1万軒をターゲットに、ぐるなび事業を1996年にエヌケービーの関連事業として開始した。

外食産業全体では25兆円のマーケットで、飲食店全体では15兆円程度。そのうち上位1万軒の売り上げは1.5兆円。広告宣伝費に3%使うとして、全体で450億円程度のマーケットだという見込みだ。

ぐるなびが先駆者だったが、他の大手企業や「ある大手情報系企業」(たぶんリクルート)などは事業性が明らかになれば、一挙に進出してくるはずだった。

そこで従業員一人一人がユーザーのニーズ・ウォンツを取り入れて進化し続けている限りは、大手でも追いつけないだろうとの戦略をたて、それが可能となる仕組み、モチベーションを高める仕組みとして、「エクスパートシステム」と呼ぶ魅力ある報酬体系を作ったという。

給料を低く抑えたベンチャーの成功はありえない。瞬間的に苦しいときはストックオプションで補って、会社が潤ったら割高な給料だって払う。ぐるなびは最初からそれを実行してきたという。これによって一人一人の啓発と、組織が進化できたのだと滝さんは語る。「将来は楽天の3割増の給料を保証する」と言っていたのだと。

ある情報系大手はぐるなびの営業マンが飲食店を1軒1軒回って、月々3,000円の契約を取っているのをナンセンス呼ばわりしていたそうだが、滝さんはちっとも気にならなかったという。外食産業を研究し、飲食店と親しくなれれば、それが将来的には大きな成果を結ぶと確信していたからだ。

当初から会員は無料、加盟店から料金を取るというビジネスモデルでスタートした。

当時はパソコンがない店が多かったので、メールで受信した予約をファックスで飲食店に送るファックス自動変換システムが機能して、スタートして4年後の2000年に目標の1万軒を達成した。

この本にはコラムとして、いろいろな社員の苦労話や体験談が載っていて、面白い。


収益モデルの転換

1万軒が達成されてから、滝さんはドラスティックな収益モデル転換を計る。それはAE(アカウントエクゼクティブ)型のビジネスモデルである。アカウントエクゼクティブとは、広告業界でよく使われる営業スタッフがクライアントと相談しながら販促プランを提案するという営業スタイルだ。

従来は月3,000円だけだったものを、いろいろな販促手段を提案することで月5万円から10万円などのパッケージに格上げしてもらうのだ。

滝さんが、あるレストランオーナーと話していて、ぐるなびは月100万円くらいの集客に貢献しているとの話があり、それなら売り上げの5%を手数料としてくださいと、半ば冗談で言ったところ、オーナーはこれからも売り上げ増に役立つなら費用を支払うのは問題ないと言われたことがきっかけだ。

このことからAE型への移行の可能性を強く意識したのだという。

収益モデルへの転換を達成するため、まずは社内の意識改革を行った。

従業員全員をヒラ社員に降格したのだ。そして月々400万円以上の売り上げを6ヶ月続けて達成することを正AE昇格の条件とした。

そして実施して10ヶ月で15名がぐるなびのシニアマネージャーとして昇格した。

トップにいる人間が実力でポジションに就いたわけなので、本人が自信にあふれているし、部下たちも尊敬している。雰囲気もいいし、まとまりもある組織に変わっていったという。

コラムでは「一瞬で消えた給料」という題で、降格されたマネージャーの「会社を辞めよう」と思ったという話も載っていて面白い。最初の月の給料が手取りで7万円で、飲みに行って一晩でつかってしまったという。

全員がコミッション制になると情報のいわゆる「たこつぼ化」が起こるので、勉強会を頻繁にひらき、成功事例の研究に力を入れ、「私の自慢話」というような企画や、企画コンペを合宿研修で取り入れてノウハウの共有につとめたという。

25歳の天才営業レディの出現が、みんなもついてくる結果となったと語る。

この人の営業手法は情報誌の広告やチラシを使っている予算のあるところに絞り込み、雑誌で150万円使っているなら、ぐるなびで100万円でもっと成果が出せると売り込んでいたのだ。「雑誌・チラシは1回限りだが、ぐるなびなら毎日続く」が殺し文句だった。

最初の1年間はAEの報酬は10%、次が3%、三年目が1%と決めていたので、この営業レディの年収は2,000万円くらいにはなっていたはずだという。

試行錯誤を通して、年間パックという営業方式が定着する。年間120万円と設定し、レストランは毎月10万円使っても良いし、ある月は5万円、ある月は30万円と販促に幅を持たせることも可能だ。

加盟店からもらった効果データが役立ったという。ぐるなびは月1万円もかけていなのに、営業効果は400万円、雑誌・情報誌の広告は数十倍のコストにもかかわらず売り上げは10万円から100万円程度。この店はビルの7階にあったので、広告が不可欠でかなりの予算を掛けていたという。

AE型に転換が成功した初年度に社員全員でハワイ旅行に行ったという。初年度で早速約5億円の利益を出すことができたからだ。


着実な改善

情報ポータルなので、コンテンツが勝負だ。トップページのリニューアルには滝さんが趣旨を説明した上で社内コンペも行い、現在のトップページに近い原型が500時間かけて2001年5月に完成した。

滝さんの思いつきである毎日プレゼント企画、ぐるなびラーメンなどについての社員の回想コラムも面白い。

楽天マーチャントサーバー(RMS)の様に、飲食店自身がページを更新する加盟店管理画面のシステム開発も同時に進められていた。「楽天大学」の様に、「ぐるなび大学」を1回1万5千円の参加料で実施、年間開催1,200回を超えた。

滝さんがリクルートした東工大の後輩の久保現ぐるなび社長の面目躍如たるものだ。

これにより営業員は煩雑な入稿作業から解放され、コンサルティング営業に集中できるようになった。

当初は社内の制作と営業のセクト意識があった。

バレンタインデー特集の入稿締め切りが年末だったり、飾り物でしかなかった「ぐるなび特集」を滝さんの一声で、締め切りをキャンペーンスタート前日までに変更し、今では年間1,000本のぐるなび特集がページを飾っているという。

ぐるなびホームページには多くの特集が載っているが、UGAパーティステーションというサービスでは、今話題の芋洗坂係長が出演するCMを公開しているので楽しめる。

会員獲得はアフィリエイト(成果報酬型広告)をスタートして半年で100万人を超えたという。NIKKEI NETとも提携して優良顧客を獲得した。

ぐるなび こちら秘書室!」を会員限定でスタートし、秘書を7,700人、登録者数約5,000社の規模のネットワークをつくった。たぶん秘書だけのネットワークというのは初めてなのではないかと思う。滝さんの発案で、一流店の下見会も開催しているという。ボスが利用する高級店を秘書が下見できるので、人気がある。

ぐるなびe-DMという販促メールを導入したり、滝さんの思いつきで、「春雨じゃぬれていこう」という月形半平太のせりふにちなんで、雨が降りそうなときにケータイにメールが届くという「月形半平太メール」サービスも開始した。

「ぐるなびご当地グルメ」、「ぐるなびシェフクル」などのコラムも面白い。


ぐるなびの拡大

ぐるなびは2005年4月にヘラクレスに上場した後も順調な成長を遂げている。

えきから時刻表は兄弟サイトだ。

ぐるなびの特徴をとらえたメリルリンチのアナリストの評価が引用されている。

「ロングテールを効率的に取り込むサービスプラットフォームを構築した企業」として「飲食店からのリアルタイムに近い情報配信が可能なシステムを構築しており、中小飲食店の広告需要というロングテール市場の取り込みを行っており、Googleの飲食店版のような位置づけと考える」というものだ。

滝さんは、これからは土産サイトと海外に進出したいと言う。

ぐるなび上海は「Gudumami」という名称だ。グドゥアミは「お母さん、お腹が空いた、何か食べたい」という意味だという。

筆者もぐるなびを使っているが、地図に大体割引クーポンがついているので、店を利用する前に、必ずぐるなびで検索するようにしている。これからもグルメサイトのNo.1としてさらに成長すると思う。


貢献する心

滝さんは「メメント・モリ」(死を憶えよ)ということを常に意識しているという。

級友の兄ががんになって当初は遊ぶだけ遊んだが、その後は思い詰めたように勉強をはじめ、二度と遊ぶことはなかった。滝さん自身も、骨の腫瘍で、そのままいくと全身に転移してしまうという恐ろしい病気にかかり手術したことがある。

滝さんは母校の評議員になったり、賞をつくったり、総務省のICT国際競争力懇談会のメンバーになったりして「貢献する心」をいろいろな形で示している。


滝さんの話も、社員が書いている様々なコラムも面白い。ベンチャーの成功秘話としておすすめの一冊である。


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Posted by yaori at 13:24│Comments(0)TrackBack(0) インターネット | 広告

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