
著者:小飼 一至
販売元:エフビー
発売日:2008-12
おすすめ度:

クチコミを見る
日本ソムリエ協会会長で、2007年からは国際ソムリエ協会会長もつとめる小飼一至(こがいかずよし)さんの自伝。
ソムリエが書いた本としては、ソムリエの教科書ともいえる浅田勝美さんの「ワインの知識とサービス」がある。
新版 ワインの知識とサービス―仏・独のワインを中心に
著者:浅田 勝美
販売元:柴田書店
発売日:1991-09
クチコミを見る
筆者はソムリエの友人に勧められて、15年ほど前に浅田さんの本を買って大事にしているが、フランスワインの解説などは今でも参考になる。小飼さんの本でも浅田さんの本が引用されている。
ワインの知識や、サービスについては浅田さんの本にまかせ、この本では、ソムリエやソムリエ、ワインエクスパートを目指す人に向けた小飼さんの実戦的アドバイスが書かれている。
小飼さんの略歴
小飼さんは長野県茅野市出身。日本のマキシム・ドゥ・パリに1969年に入社し、すぐにシェフ・ソムリエとなり、1973年にフランスのマキシムでソムリエとして1年間修業した。
当時フランスのマキシムはミシュラン3つ星で、JFKの未亡人ジャックリーンと結婚した海運王オナシスなどの超VIPが常連だった。
マキシムのオーナーの厚意で、師匠のシェフ・ソムリエ、ジュリアンと一緒にボルドーやブルゴーニュのワイナリーを歴訪して歓待を受け、普通では教えてもらえないような情報まで知ることができた。
日本に帰国後、1981年に日本のソムリエコンクール優勝。翌1982年にマキシムからプリンスホテルに転職。そのときはマキシムのオーナー、ソニーの盛田さんの奥さんからもプリンスホテルへに口添えしてもらい、温かく送り出されたという。
世界ソムリエコンクール予選
1988年にはパリで行われた世界ソムリエコンクールに日本代表として出場。
この世界ソムリエコンクールの日本代表を決めるために、小飼さん、田崎真也さん、そして渋谷昭さんの過去の国内ソムリエコンクールの優勝者3人で、決戦が行われた。
結果は小飼さんと田崎さんが同票で、二人ともいわばプレイオフの問題を要求したのに、審査員はあみだくじを提案。二人が拒否すると、当時29歳の田崎さんは自ら辞退し、当時41歳の小飼さんが世界ソムリエコンクールの日本代表となった。
小飼さんは1988年の世界ソムリエコンクールを最後にコンピティションからは引退し、その後は田崎さんが出場し、ついに1995年の東京大会で優勝する。
1988年の日本代表を譲ってもらった時に、小飼さんは「田崎さんをライバルとは考えない。一生の友と考える」と決心したことを、この本で告白している。
世界ソムリエコンクールで3位入賞
小飼さんが3位に入賞した世界ソムリエコンクールでは、筆記問題と利き酒問題が出題された。
最後の利き酒では、第1問はブルゴーニュのシャンボール・ミュジニー1983年を、小飼さんはシャサーニュ・モンラッシュの1983年と答えた。ブルゴーニュのコート・ドール県の北と南の違いだった。
![★送料無料★[1996]シャンボール・ミュジニー/ドメーヌ・ミシェル・グロ(クール代別)](http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/finewine/cabinet/shohin04/1112111061546.jpg?_ex=128x128)
★送料無料★[1996]シャンボール・ミュジニー/ドメーヌ・ミシェル・グロ(クール代別)
![シャサーニュ・モンラッシュ[2002]ブランショ・デュス](http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/shimurasaketen/img128/img10094595976.jpeg)
シャサーニュ・モンラッシュ[2002]ブランショ・デュス
筆者はシャンボール・ミュジニーは飲んだことがある。女性的な名前だが、ブルゴーニュの赤ワインらしく、力強さも持った特級から第一級のワインだ。
第2問のカルバドス8年ものは、カルバドス6年物と答え、ほぼ正解だった。小飼さんは優勝を確信していたところ、3位になり、観客席で応援していた田崎さんに申し訳ない気持ちで一杯だったという。
ちなみにこの時の1位は利き酒が抜群に強かったアメリカ代表のソムリエだった。地元フランスのソムリエは第2位となり、彼は次の1992年のブラジルで開催された世界ソムリエコンクールで優勝し、リベンジを果たしている。
ソムリエに必要な知識
小飼さんは1993年からは国際ソムリエ協会の技術委員として、コンクールの問題作成と審査にあたり、2007年に国際ソムリエ協会の会長に就任する。
マキシムでの人脈と、国際ソムリエコンクールに参加することで築いた世界のソムリエとの交友関係の広さが、小飼さんの強みだ。
一流のソムリエには、まずはワインの知識が要求されている。トリビアのような問題でも徹底して覚えるのだ。
たとえば世界ソムリエコンクールのフランス予選では、次のような質問が出されたという。
★ロマネ・コンティが造られなかった年は何年か?
![【送料無料】[1985] DRC ロマネ・コンティ 750ml【No.00562】[1985] DRC Romanee Conti 750ml](http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/wine-w/cabinet/drc/a102014-1985a.jpg?_ex=128x128)
【送料無料】[1985] DRC ロマネ・コンティ 750ml【No.00562】[1985] DRC Romanee Conti 750ml
答えは1946年〜1951年だ。これに答えられた選手がフランス代表となった。こんな事は暗記するしかない。
小飼さんの勉強法
小飼さんは片道40分の通勤時間を利用して、電車を勉強部屋にしたという。小飼さんがソムリエとして知識を憶えたのは次の本だ。

販売元:Larousse Editions
発売日:2001-10
クチコミを見る
フランス語の辞書で有名なLarousse社が出しているワインの事典だ。アマゾンに載っているのは英語版だが、小飼さんはフランス語の原典で勉強したという。

販売元:日経BP社
発売日:1998-01
クチコミを見る
小飼さんがサーブした有名人
この本では、小飼さんがサーブした海運王オナシス、ユル・ブリンナー、などの有名人の逸話が紹介されている。オナシスは「ルージュ」としか言わないのだという。オナシスがルージュと言うと、1937年か1951年のシャトー・ラフィット・ロートシルトをよく開けたという。

1937 (750ml)シャトー・ラフィット・ロートシルト 1937 (750ml)
ユル・ブリンナーはマキシムを自分のキッチン代わりに毎日使っていたという。大体ボルドーのメドックのワインを飲みながら、その日のおすすめ料理を食べていたという。
ジョン・ウェインはワインは飲まず、ウォッカ・マティーニ一本槍。
セルジオ・メンデスは、いつも女性と一緒に来て、途中で女性が泣き出し、しょうがないなという感じで、メンデスがバンドのピアノを借りて演奏し、女性が歌うというパターンだったという。毎回40−50分の即興演奏で、お客は大喜びだったという。
セルジオ・メンデスは、DRCの”ラ・ターシュ”、”リシュブール”、”グラン・エシェゾー”をよく飲んでいたという。ロマネ・コンティなんかは飲まないという主張が感じられたという。
![パーカーポイント90点!【送料無料】[1985] DRC ラ・ターシュ 750ml【No.11036】[1985] DRC La Tache 750ml](http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/wine-w/cabinet/drc/a102216-1985a.jpg?_ex=128x128)
パーカーポイント90点!【送料無料】[1985] DRC ラ・ターシュ 750ml【No.11036】[1985] DRC La Tache 750ml
ジョン・レノンはオノ・ヨーコと来て、蚊の泣くような声で「オレンジジュース」と頼んだという。
日本で一番カッコイイ男、白洲次郎
小飼さんが日本人で一番カッコイイと思ったのは、白洲次郎で、最初の印象からただ者ではないというオーラを放っていたという。既に70歳を過ぎていた頃だが、上背がありすらりとして姿勢がよく、ワイシャツとネクタイの接点をこれほどきれいにしている人はいなかった。
いつもスーツ姿で、男でもほれぼれするようなカッコイイ人だった。
小飼さんがサーブすると、まるで長年の知り合いのように会話を楽しみ、ワインは何にするかと聞くと、「そうだな、何にするか」と小飼さんの手を握ってくれたという。普通の人がやったら、まるで様にならないと思うが、様になる上に、相手に感動を与えるのはさすが白洲次郎だ。
小飼さんは最初は外人かと思ったと。決していばらない、まさにジェントルマンだった。
目の下に少しソバカスがあったが、目が熱っぽく、老人だったが、目が子供のようにかわいらしかった。とにかくあれほどカッコイイ人はいなかった。
小飼さんは当時白洲次郎のバックグラウンドを知らずにサーブしていて、情けないと語る。後にNHKテレビで白洲次郎特集を見て、非常に感激したと語る。
ソムリエの命は利き酒
ソムリエはワインの売り上げを上げなければならないので、高品質のワインを手頃な値段で仕入れる事が重要で、そのためには利き酒能力を磨く必要がある。
自分で利き酒をして、良いワインを格安の値段で買って、リーズナブルな価格で売るのがソムリエの仕事だ。
たとえば、今回筆者のソムリエの友人からわけてもらったワインは次のワインだ。
![“バッド・ボーイ”[2005]年・ジャン・リュック・テュヌヴァン・AOC・ボルドー“Bad Boy”[2005] Jean-Luc-Thunevin AOC Bordeaux](http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/wineuki/img128/img10163314290.jpeg)
“バッド・ボーイ”[2005]年・ジャン・リュック・テュヌヴァン・AOC・ボルドー“Bad Boy”[2005] Jean-Luc-Thunevin AOC Bordeaux
ワイン評論家のロバート・パーカーが、醸造家のテュヌヴァン氏を"Bad boy"と呼んだことから、それを銘柄としたボルドーワインで初めて英語の名前がついたガレージワインだ。2005年が最初のビンテージで、熟成は2010年以降、2025年頃までと予想されている。
まだ出たばかりなので、価格は安いが、いずれ評判が上がれば、同じテュヌヴァン氏のシャトー・ヴァランドローの様に価格も上昇することが見込まれる。
![[1997] シャトー・ド・ヴァランドロー 750ml](http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/auc-old-wine/cabinet/varandro1997bin.jpg?_ex=128x128)
[1997] シャトー・ド・ヴァランドロー 750ml
ソムリエは、定評のあるワインを揃える他に、このような知られざるワインでも積極的に試飲して評価し、良ければ店の在庫として確保し、常連客に出すのだ。
ワインは色、香り、味の3つの点で判断するが、小飼さんが最も強調するのが、ワインの香りだ。
ワインの香りにはアロマとブーケがある。
言葉で言い表しにくいが、小飼さんは、若いワイン、たとえばボジョレー・ヌーヴォーの香りがアロマで、熟成した良いワイン、たとえばモンラッシュの10年ものの香りがブーケだという。
ワインの評価には香りが不可欠
利き酒の能力を伸ばすには利き酒につぐ利き酒しかない。コンクールなどでの利き酒での決め手は香りだと小飼さんは語る。
ワインの試飲で香りが重要な理由は、味だけでは、そのワインがどんなワインなのかを理解出来ない、つまり当てられないからだと。
グラスに注いで香りをかぐ練習が良い。
筆者の友人のソムリエは、ワインを一旦グラスに注いで、すぐにグラスを空にして香りをチェックする。こうすると熟成した時の香りがわかるのだという。
ソムリエはそこまで香りに真剣になる。利き酒というと、味を見るのかと思っていたが、プロのソムリエは香りをいろいろな角度から評価する。今まで疑問に思ってきたことがこの本を読んでわかった。
香りを記憶するために、フランスでは”ネ・デュ・ヴァン”という、香りのエッセンスを入れた小瓶54本セットのワインテスターがある。

【送料無料】ルネデュヴァン54種LES060ALワインの香エッセンス 取り寄せ品
香りを表現していくには、”グー・デュ・ヴァン”というワインの香りを系統的に分けている本が良いという。
この本にはソムリエなどのプロの読者も想定して、小飼さんの「接客の心構え」9ヶ条、よいソムリエの5つの条件、「人を育てる心得」11のポイント、最後に国際ソムリエコンクールで出題される問題の傾向について説明していて興味深い。
この本を読むまで国際ソムリエ協会の会長が日本人だとは知らなかったが、日本のソムリエ業界を小飼さんと、田崎さんの二人で世界トップクラスにもり立てているようだ。
ソムリエコンクールの質問の傾向など、舞台裏も描かれていて面白い。
ワインに興味がある人に、是非おすすめする。
参考になれば投票ボタンをクリックして頂きたい。