2012年09月05日

博士と狂人 オックスフォード大辞典編纂秘話

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話
著者:サイモン ウィンチェスター
早川書房(1999-04)
販売元:Amazon.co.jp
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このブログで紹介した三浦しをんさんの「舟を編む」に参考文献として紹介されていたので読んでみた。280ページ余りの本だが、面白いストーリーなので一気に読んでしまった。

この本は文庫版も出ているが、表紙の写真からOEDの中心編纂者だったジェイムズ・マレー博士の本に囲まれた仕事場の様子がわかると思うので、上記には単行本を紹介した。

OEDの編纂方針は、用例を徹底的に集め、英語のあらゆる語彙の意味がどのように使用されているかを示すというものだった。

今のようにインターネットで調べれば一発で数百万件の用例が検索できるという便利なものはない時代なので、人手でいちいち原典にあたって、例文を手書きで書き留めるという気の遠くなるような作業だった。

そこでマレーは1879年にOED編纂主幹に就任すると同時に、英語圏の読書人にヘルプを依頼する。

その求めに応じてOEDで最も多い用例を提供したのが、殺人罪を犯してイギリスの精神異常者収容所に収容されていたアメリカ人元軍医・ウィリアム(ビル)・マイナーだった。

マイナーはスリランカで生まれ、米国コネチカット州に育ったアメリカ人で、南北戦争で北軍の軍医として従軍し、数々の死者を見る。軍医としてアイルランド人の北軍脱走兵のほほに、焼きゴテで脱走兵を示す”D”の焼き印を押すことを強制されたことが、マイナーの精神に異常をきたすきっかけとなったという。

マイナーはアイルランド人が夜になると忍び込んでくるという被害妄想を抱くようになった。マイナーはその後イギリスにわたり、ますます精神病が悪化し、ついにロンドン市内で或る夜、歩いている人が自分を襲うアイルランド人だと言って、ピストルで撃ち殺してしまう。マイナーは裁判にかけられるが、精神異常者と認められ、精神病犯罪者収容所に修身収容の判決を受ける。

資産家だったマイナーは、精神病犯罪者収容所で特別待遇を許され、2部屋を占有し、他の患者を使用人として雇い、アメリカやロンドンから取り寄せた本に囲まれた生活をしていたという。

この本の次の挿絵が、マイナーが収容所の自室で、英単語の用例集をつくる作業をしているところを紹介している。

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出典:本書 156ページ

OEDの編纂は、1858年にロンドン図書館で行われたウェストミンスター聖堂参事会長をつとめる聖職者・リチャード・シェネヴィクス・トレンチの演説がきっかけだった。トレンチは英語が普及すればキリスト教(イギリス国教)が世界中に広まるという考えのもとに、正統な辞書編纂の必要性を説いた。

これに先立つ辞書としては18世紀の文学者サミュエル・ジョンソンが編纂した「英語辞典」全2巻が1755年に出版されている。ジョンソンの辞書はもともとロングマンを含む5人の出版者が金を出し合って、1746年にジョンソンに辞書編纂を依頼したもので、4万3千の見出し語、12万弱の用例をカバーしたものだった。

OED辞書編纂は、はかどらなかったが、スタートして20年後、1878年にジェームズ・マレーが編纂者となってから本格的に動きだした。マレーはスコットランドの貧しい家庭出身で、14歳で学校を卒業した後、学校や銀行で働きながら独学で数々の語学を身に着け、言語研究を続けた。

1867年に大英博物館に就職を希望する手紙に、マレーは次の語学に関する知識があると書いており、このリストがマレーの語学に対する驚くべき知識を示している。

完璧にマスターしている語学:
・イタリア語
・フランス語
・カタロニア語
・スペイン語
・ラテン語
・ポルトガル語
・ヴォー州放言
・プロヴァンス語
・オランダ語
・フラマン語
・ドイツ語
・デンマーク語
・古英語
・モエシアゴート語
・ケルト語
・ヘブライ語
・シリア語

比較語学の研究ができるもの
・ペルシャ語
・アケメネス楔形文字
・サンスクリット語

知識があるもの
・アラビア語
・コプト語
・フェニキア語

実用に足る知識があるもの
・ロシア語

勉強中のもの
・スラブ語

マレーは大英博物館には就職できなかったが、ケンブリッジ大学の数学者と音声学者・ヘンリー・スウィートと交友があったことから、英国言語協会の会員となり、アマチュア言語学者から本物の言語学者に変身した。ヘンリー・スウィートは「マイ・フェア・レディ」の原作であるバーナード・ショーの「ピグマリオン」のヘンリー・ヒギンズ教授のモデルとなった人だ。



博識を買われ、「ブリタニカ百科事典」に英語の歴史について小論を書くように勧められ、OED編纂事務局書記・フレデリック・ファーニヴァルと知り合った。それがOED編纂者として職を得た契機だ。

マレーが編纂主幹を務め、7,000ページ、全4巻の辞書を10年間で仕上げるとういう契約が1879年に1月に成立した。そしてマレーはすぐに「英語を話し、読む人々へ」という8ページの編纂協力依頼文を2,000部印刷して書店や雑誌社、新聞社に送った。

この「訴え」が、どういういきさつか英国バークシャー、クローソンにあるブロードムア刑事犯精神病院に収容されているアメリカ人元軍医・ウィリアム・マイナーの目に留まった。

その「訴え」は、印刷が発明されるまでの初期の英語については、外部の協力は不要だが、次に関して「原典か正確な復刻版で読む機会と時間のある人」に協力を依頼している。

・印刷された書籍の最も初期のもの、具体的にはキャクストンとその後継者のもの
・17世紀の未調査の作家のもの
・18世紀の書籍すべて、ただしバークの著作は除く(とりわけ緊急に協力が必要)
・19世紀の一部未調査のもの

マレーは200人ほどの必ず読まなければならない著作リストを添付している。これらの大半は稀覯本(きこうぼん)で、きわめて限定された収集家しか所蔵していないものだった。

この「訴え」に呼応して、ビル・マイナー博士がせっせと”バークシャー、クローソン、ブロードムア”という住所で、編纂事務局と手紙のやり取りを始めたのは1880年〜1881年のことだった。マイナーは独房一杯の蔵書から単語リストを作り始めたのだ。

最初の本でつくった単語リストの一つの単語のページに、次の本の用例を書き加えるというやり方で、まさにOEDが最も必要としている用例集を作っていった。最初の本はフランス人作家・ジャック・デュ・ボスクの「完全なる女」の英訳本だったという。

L'Honneste Femme (1632)L'Honneste Femme (1632)
著者:Jacques Du Bosc
販売元:Kessinger Publishing
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このようにして単語リストをつくり、丁寧な細かい文字でメモに書き込んでいった。

リストがだんだんにできあがってきたので、マイナーはOED編集部にどんな言葉の用例が必要なのか聞いた。第2分冊用に"art"が必要との答えだったので、1885年に"art"の用例を書いた4インチX6インチのカードを送った。

他の協力者はせいぜい1〜2の用例だけだったのに、マイナーは27用例を送り、編集部員を喜ばせた。その後マイナーは20年以上にわたって多くのカードを小包で送った。OEDの全12巻、1万5千ページ、見出し41万語、用例183万のうち、マイナーが送った用例は数万にも達した。

編集主幹のマレーは1891年にマイナーを訪問し、以降定期的に会っていた。被害妄想で、アイルランド人の小人が毎夜床の隙間から攻め出てくるということで、床は亜鉛のシートで覆われ、悪魔が部屋の扉をすりぬけてこないように、扉には水を入れたボウルを置いていた。マイナーは毎夜、連れ出され、飛行機に乗せられて外国でハレンチな行為を強いられていると語ったという。

被害妄想という異常なところはあったが、それ以外はマイナーは普通で、辞書編纂についてマレーとじっくり語り合ったという。

その後マイナーは夜ごとのハレンチな行為を終わらせるために、1902年に自分の性器をペンナイフで切断するという自傷行為を行った。マイナーが68歳のときだ。その後、所長が変わって、マイナーは37年間使っていた二部屋続きの独房を追い出され、使用人を使うという特権をはく奪された。

マレーは1908年にナイトの称号を与えられていたので、マレーが主導して、年老いたマイナーをイギリスからアメリカに帰国させるべきだという運動が起こった。ちょうどその時、アメリカ好みのチャーチルが内務大臣となり、マイナーの釈放と本国送還を承認した。マイナーは出身地のコネチカットではなく、ワシントンDCの精神病院に収容され、1920年に85歳で亡くなった。

マレーはOED完成を見ることなく、1915年に”T”のところでなくなった。前立腺を病み、当時の治療法だったX線照射で衰弱したという。たぶん放射線被ばくしたのだろう。

OEDは最初の"a〜ant"までをカバーした第一分冊が1884年に発刊され、今後11年で完結すると発表されたが、実際には完結まで44年かかった。1927年大晦日にOEDの完成が宣言され、最後の言葉は古英語のケント方言の単語で単数直説法現在形で、見るという意味の"zyxt"だった。

編纂後、最初の補遺が1933年に出版された。”bondmaid"という言葉が、編纂の際に紛れて紛失していたのだという。その後も補遺が続けられ、言葉の変化や追加を記録して全20巻となり、1970年代からは拡大鏡付の縮刷版、最近ではCD-ROM版も発行され、現在はオンラインでも利用できる

OED





出典:OEDウェブサイト

全体の構成もよく、翻訳も良い。テンポよく読める本である。


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Posted by yaori at 13:03│Comments(0) 趣味・生活に役立つ情報 | ノンフィクション